まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.159 飛ぶ雲、飛ぶ声、飛ぶボール

2015-06-14 21:27:58 | 日記
おはようございます。今回も遅い時間での更新となります。

今日は堺方面を走ってきました。まあ、この話についてはまたの機会でのお伝えとしまして、今回は今はなきプロ野球球団、近鉄バファローズについて語ってみたいと思います。今日の走りとどういう関係が?って、何て事ないです、行きしなに藤井寺を通ったので思い出してしまっただけです。


(長尾街道にある道標)

(長尾街道)


球団は2004年になくなってしまいました。いろいろな騒動の結果と言う感じは寂しいと言うより、仕方ないかと言う気持ちの方が大きかった、その前のネーミングライツの話があった頃からそんな予感はありました。自分は元々パリーグの方が好きで、最初は阪急ブレーブスファンだったのですが(ただ単に強かったから)、80年代辺りから近鉄バファローズに鞍替え、あの頃はパリーグが熱かった・・・

近鉄バファローズと言えばドラマチックな試合や名勝負が多くあります。10.19、翌年のブライアント3打席連続本塁打、北川の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打、日本シリーズでは江夏の21球、巨人との3連勝の後4連敗など・・・あまり有名ではないですが1986年は129試合目で力尽き優勝を逃すとか、西武戦では1イニング6本塁打を打たれるとか、藤井寺球場での西武戦ではラジオ中継に藤井寺爆破予告の音声が入るとか、1986年のこれまた西武戦では淡口のサヨナラ本塁打で12-11で勝利とか、野茂3度目の登板では日ハム柴田にノーヒットノーランされるとか、オリックス佐藤義則には最年長でノーヒットノーランをやられるとか、80年代後半の頃はホンマに熱かったなあ、西武戦は毎回血で血を洗う試合ばっかり・・・


『10.19』の翌年の10月12日の西武球場での西武戦のダブルヘッダー、先にも書きましたがブライアント3連発で初戦を逆転勝ちした近鉄、この後の第2試合が自分(一人称)的には近鉄バファローズ最高の試合だと思っています。結果から言うとスコアは14-4で近鉄が連勝、この時点で近鉄のマジックが2になったわけですが、その試合のハイライトは何と言っても3回表、2-2の同点からブライアント、リベラが連続本塁打、一人四球をはさんで(多分阪神から移籍してきた中谷だったと思う)鈴木貴久が本塁打、この時点で6-2、その後も点数を重ねて西武の息の根を完全に止めてしまいました。もう最高でしたねえ!
この時の3本の本塁打、阪神タイガースの3連続は全部バックスクリーンでしたが、こちらはブライアントが左中間(だったと思う)、後の二人が近鉄ファンでいっぱいに埋まったレフトスタンドへ、まさに昨年の10.19の悔しさを払拭させてくれる本塁打だったと言えるでしょう、ファンが待つ元へと弧を描いて飛んでいく打球、客のいない場所に飛んでいく本塁打とは重みが違います。ちなみにリベラが打った後、ベンチから出迎えに出てくる仰木監督、腹を抱えて笑っています、何との嬉しそうな笑顔です。

その仰木監督、近鉄の監督として最後の試合、ファンサービスで投手を細かくつないでいきますが、その最後に登板したのが阿波野秀幸、自分(一人称)これは嬉しかったですねえ、もう涙出ましたもん。88年~89年の近鉄を支えてきたエース、翌年の開幕戦の西武戦でボークを指摘されて以来その座を野茂に奪われてしまいましたが、自分(一人称)の中では近鉄のエースはずっと阿波野でした。仰木監督の粋な計らい、もう最高でした。
阿波野はその後、巨人、横浜と渡り歩きますが、横浜では権藤監督(近鉄優勝当時の投手コーチ)の元で何年ぶりかの勝利投手に(巨人時代は勝ち星なし)、日本シリーズの西武戦では元日ハムのエース西崎投手と投げ合う場面がありました、これも不思議な因縁ですねえ、相手は西武、そして新人王を争った西崎、もちろん自分(一人称)は横浜を応援してました。



(古市街道と長尾街道の分岐点)

(古市街道にある道標)

以上、何を熱く語ってんねん、藤井寺全然関係あらへんやないか、と言う感じでお送りしてきましたが、その藤井寺についてはまたいずれ走る機会があると思います。レポートはその時に、と言うことにして今回は少しだけ、通り過ぎた時に撮った写真を貼り付けておくことにして、今回はここまでとしておきます。      まちみち

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