おはようございます、と言える時間ではないですが、今日2度目の更新となります。
いきなり何や?とお思いになられたかも。潮岬の本州最南端の場所から空を撮ったものです。見ての通り雲ひとつない真っ青な空、今日は1月1日、1年の始まりとなる冬の寒い日のはずなのですが、そんなことを微塵とも思わせないほどの青い空です。今回は本州最南端への旅、いよいよ最終回となります。
写真はどれも潮岬灯台の近くから撮ったもの、もうこの海の向こうには日本の陸地はないわけで、まさにまじり・・・もうこのフレーズはいいですか。3枚目の写真では水平線が丸みを帯びたように見えている、地球の丸さを実感できる風景を撮ることができた。
潮岬灯台を過ぎると道は進路を北へと向け、少しずつ最南端から遠ざかって行く。さっきまでは真っ青で太陽の光が燦々と降り注いでいた空だったが、西の方角に目を向けると水平線に近い辺りはもう夕暮れ時を思わせる感じの色に近づきつつあった。あれほど晴れ上がった空と言ってもやはり季節は冬に違いないので、日が暮れてくるのも早いと言うことか。
海沿いの道を走って坂を下りてきて串本の市街地に近い所まで戻って来たが、その頃はもう風景は夕暮れ時のものとなっていた。潮岬への行きしなに見た海は東側の海、今ここで見ているのは西側の海、雲の間から覗く太陽はもうさっきの光り輝くものとは違って、赤色を帯びて海に近い低い位置にまで下りてきている。
写真1枚目、2枚目は串本の町に建つちょっと形の変わった灯台、一方は夕日に照らされ、もう一方は夕焼け空をバックに、一種ノスタルジックな雰囲気を漂わせている。海の方には突堤に立つ灯台、こちらも夕焼け空と藍色の波が揺れる海をバックにして、少し物悲しい雰囲気を漂わせている。泣ける風景(このフレーズ使うの久しぶりだわ)とまでは言わないが旅の最後に見る風景なので、寂しいと言うか去り難い感情に覆われてくる。
やがて空は完全に暗くなり、串本を去る時間がやってきた。行きは天王寺から(正しくは奈良から)ここまで全駅各駅停車だったが、帰りは特急『くろしお』で一気に天王寺まで帰ることに。乗り込んだ車両は乗客が自分(一人称)以外には一人もいないまさしく貸切状態、でも暗くなった外の風景は全く何も見えず、車窓には自分(一人称)の顔が写るばかり、そのうち睡魔が襲ってきてやがてZZZ・・・今回はここまでとしておきます。 まちみち
いきなり何や?とお思いになられたかも。潮岬の本州最南端の場所から空を撮ったものです。見ての通り雲ひとつない真っ青な空、今日は1月1日、1年の始まりとなる冬の寒い日のはずなのですが、そんなことを微塵とも思わせないほどの青い空です。今回は本州最南端への旅、いよいよ最終回となります。
写真はどれも潮岬灯台の近くから撮ったもの、もうこの海の向こうには日本の陸地はないわけで、まさにまじり・・・もうこのフレーズはいいですか。3枚目の写真では水平線が丸みを帯びたように見えている、地球の丸さを実感できる風景を撮ることができた。
潮岬灯台を過ぎると道は進路を北へと向け、少しずつ最南端から遠ざかって行く。さっきまでは真っ青で太陽の光が燦々と降り注いでいた空だったが、西の方角に目を向けると水平線に近い辺りはもう夕暮れ時を思わせる感じの色に近づきつつあった。あれほど晴れ上がった空と言ってもやはり季節は冬に違いないので、日が暮れてくるのも早いと言うことか。
海沿いの道を走って坂を下りてきて串本の市街地に近い所まで戻って来たが、その頃はもう風景は夕暮れ時のものとなっていた。潮岬への行きしなに見た海は東側の海、今ここで見ているのは西側の海、雲の間から覗く太陽はもうさっきの光り輝くものとは違って、赤色を帯びて海に近い低い位置にまで下りてきている。
写真1枚目、2枚目は串本の町に建つちょっと形の変わった灯台、一方は夕日に照らされ、もう一方は夕焼け空をバックに、一種ノスタルジックな雰囲気を漂わせている。海の方には突堤に立つ灯台、こちらも夕焼け空と藍色の波が揺れる海をバックにして、少し物悲しい雰囲気を漂わせている。泣ける風景(このフレーズ使うの久しぶりだわ)とまでは言わないが旅の最後に見る風景なので、寂しいと言うか去り難い感情に覆われてくる。
やがて空は完全に暗くなり、串本を去る時間がやってきた。行きは天王寺から(正しくは奈良から)ここまで全駅各駅停車だったが、帰りは特急『くろしお』で一気に天王寺まで帰ることに。乗り込んだ車両は乗客が自分(一人称)以外には一人もいないまさしく貸切状態、でも暗くなった外の風景は全く何も見えず、車窓には自分(一人称)の顔が写るばかり、そのうち睡魔が襲ってきてやがてZZZ・・・今回はここまでとしておきます。 まちみち
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます