よろしくお願いします。
吉野川分水巡りは前回から曽我川工区に入ったわけですが、その前回は幹線水路の分水工から一般河川に注がれた流れが頭首工に至るまでの経緯をお送りしました。今回から本格的に用水の配水へのルートを追って行くことになるのですが・・・、まあ~相変わらず予測や想像でしか書いてないかのような文章が続くことになると思います。いつも述べているように見えないものを追って行くわけだから仕方ないと言えば仕方ないのですが・・・、先に言い訳だけしておいて、本文と行きましょう。今回追いかけるのは下の写真の薄い青色の囲った部分、曽我川工区西部幹線です、文字通り曽我川を境にして西側を通る水路はどのような風景でしょうか、行ってみることとしましょう。
前回の最後の訪れた兵庫頭首工で曽我川から分かれた水路は、北上して用水を橿原市へと導く区間へと入って行く、西部水路はその途中で分岐するがそのはっきりとした場所はどこか確認できなかった。上にある写真の1枚目、2枚目には曽我川に架かる水管橋の写真だが、これが西部水路のものかどうかは分からなかった、頼りにしている地図で見るともしかしたら違うかも知れない。その地図では京奈和道に沿って水路があるので、それに倣って京奈和道の下道を進んで行く、所々では県営水道のマンホールを見かけるが、これが吉野川分水のものかどうかも分からない。これが吉野川分水だとはっきり分かったのがイオンモール橿原の前に現れたコンクリートに被せられた水路、イオンモールを囲むように進んで行って国道24号線を越えた所で一旦姿を消してしまうが、その辺りはマンホールで確認することができる。
近鉄大阪線松塚駅から北へと伸びる道はよく走る道、吉野川分水はその道に沿って通っているらしく途中で分水槽を見かける。周辺は曽我川と葛城川に挟まれた田園風景が広がる所、写真にもあるようにこの辺りからは葛城川の堤防越しに凛々しい姿の二上山を見ることができる。更に北へと進んで行くと百済の集落、ここでも何度か取り上げたことがある百済寺の三重塔がある町です。吉野川分水はこの集落の西側の外れにある道沿いを通っていて、周辺ではいくつか分水槽を見かけることができる。その分水槽は一列に並んでいるわけではなく各所に散らばっているので、この辺りは細かい水路がいくつも張り巡らされていて、用水を田畑に供給しているのだろう。この百済の町並の中で吉野川分水に関係しているのかしてないのか分からないが、ちょっと興味を惹かれる水路を見かけた、地図を見るとこの先分水に沿うようにして北へと流れて行ってるので、ちょっと次回あたり取り上げてみることにするかな?
百済の集落を抜けるとまたまた広く田園風景が展開する所、曽我川と葛城川に挟まれたこの地域では集落はほとんど見かけない。広陵町は現在のところ奈良県内にある町村の中では一番人口が多い町だと言うことだが、この辺りは2つの大きな河川に挟まれて低湿地であることから住む所には合わないのかも知れない。その流域には田畑が広がり農業も盛んとなってくる、よって吉野川分水の役割も大きく関わってくることとなる、今年もまたその季節がやって来ました、各所で水の小気味いい流れの音が聞こえてくることでしょう。地図を見ると西部水路の末端部分は細かく分岐していてそのすべてはまだまだ追い切れていない、この時はとりあえず地図で一番末端となる近鉄田原本線を越えた所で巡りを終わらせました。広陵町を走る機会はまだまだ何度もあると思うので、その時に今回取りこぼした部分を見つけてみようと思っています。まあそんな簡単に見つけられるものではないでしょうけどね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
吉野川分水巡りは前回から曽我川工区に入ったわけですが、その前回は幹線水路の分水工から一般河川に注がれた流れが頭首工に至るまでの経緯をお送りしました。今回から本格的に用水の配水へのルートを追って行くことになるのですが・・・、まあ~相変わらず予測や想像でしか書いてないかのような文章が続くことになると思います。いつも述べているように見えないものを追って行くわけだから仕方ないと言えば仕方ないのですが・・・、先に言い訳だけしておいて、本文と行きましょう。今回追いかけるのは下の写真の薄い青色の囲った部分、曽我川工区西部幹線です、文字通り曽我川を境にして西側を通る水路はどのような風景でしょうか、行ってみることとしましょう。
前回の最後の訪れた兵庫頭首工で曽我川から分かれた水路は、北上して用水を橿原市へと導く区間へと入って行く、西部水路はその途中で分岐するがそのはっきりとした場所はどこか確認できなかった。上にある写真の1枚目、2枚目には曽我川に架かる水管橋の写真だが、これが西部水路のものかどうかは分からなかった、頼りにしている地図で見るともしかしたら違うかも知れない。その地図では京奈和道に沿って水路があるので、それに倣って京奈和道の下道を進んで行く、所々では県営水道のマンホールを見かけるが、これが吉野川分水のものかどうかも分からない。これが吉野川分水だとはっきり分かったのがイオンモール橿原の前に現れたコンクリートに被せられた水路、イオンモールを囲むように進んで行って国道24号線を越えた所で一旦姿を消してしまうが、その辺りはマンホールで確認することができる。
近鉄大阪線松塚駅から北へと伸びる道はよく走る道、吉野川分水はその道に沿って通っているらしく途中で分水槽を見かける。周辺は曽我川と葛城川に挟まれた田園風景が広がる所、写真にもあるようにこの辺りからは葛城川の堤防越しに凛々しい姿の二上山を見ることができる。更に北へと進んで行くと百済の集落、ここでも何度か取り上げたことがある百済寺の三重塔がある町です。吉野川分水はこの集落の西側の外れにある道沿いを通っていて、周辺ではいくつか分水槽を見かけることができる。その分水槽は一列に並んでいるわけではなく各所に散らばっているので、この辺りは細かい水路がいくつも張り巡らされていて、用水を田畑に供給しているのだろう。この百済の町並の中で吉野川分水に関係しているのかしてないのか分からないが、ちょっと興味を惹かれる水路を見かけた、地図を見るとこの先分水に沿うようにして北へと流れて行ってるので、ちょっと次回あたり取り上げてみることにするかな?
百済の集落を抜けるとまたまた広く田園風景が展開する所、曽我川と葛城川に挟まれたこの地域では集落はほとんど見かけない。広陵町は現在のところ奈良県内にある町村の中では一番人口が多い町だと言うことだが、この辺りは2つの大きな河川に挟まれて低湿地であることから住む所には合わないのかも知れない。その流域には田畑が広がり農業も盛んとなってくる、よって吉野川分水の役割も大きく関わってくることとなる、今年もまたその季節がやって来ました、各所で水の小気味いい流れの音が聞こえてくることでしょう。地図を見ると西部水路の末端部分は細かく分岐していてそのすべてはまだまだ追い切れていない、この時はとりあえず地図で一番末端となる近鉄田原本線を越えた所で巡りを終わらせました。広陵町を走る機会はまだまだ何度もあると思うので、その時に今回取りこぼした部分を見つけてみようと思っています。まあそんな簡単に見つけられるものではないでしょうけどね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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