まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.540 人の暮らしを守る人と脅かす者についてのお話

2016-07-31 22:32:25 | 日記
おはようございます。


今週の『とと姉ちゃん』、常子の意地と花山のこだわりがぶつかった末の断絶となってしまいました。双方それぞれの言い分は分かるのですが何とかならなっかったんでしょうかねえ、広告を掲載するのは今では当たり前のことだと思うのですが、この時代の思想や花山のこだわりはまだそう言ったものには拒否的な気持ちが強かったんでしょう。それに比べて現在はどこもここも広告だらけ、町を走れば至る所に看板があり、電車やバスにはラッピング、スタジアムにはネーミングライツなど、でもそれがあたりまえでしょ、今となっては。この状況を花山が見ると頭のてっぺんが爆発するくらいに怒り出してしまうのではないでしょうか・・・かと言って、じゃあ常子のやり方が正しかったのかと言えばそれもどうなんでしょう。出版社を維持させていくためにはその方法しかないにしても、社長と言う立場にいるなら花山を説き伏せるくらいに話し合うべきだったんでは、いくら何でも勝手に広告を掲載して、出来上がったものを見せて仕方ないからやりましたでは、花山の性格を考えると断絶となってしまうのも仕方ないことだと思いました、結局常子はアホ、と言うことでその辺りは最初から変わってない感じの今週でした。

この間、NHKでこんな番組が放送されていました。




ちょうど唐沢寿明がスタジオパークにゲスト出演したその後にあった番組でしたが、なかなか興味深い感じで見させてもらいました。つくづく思うのですがもっと最初の方からこのドラマのモデルとなっている大橋鎭子さんに沿っての内容にできなかったんでしょうかねえ。ネタバレサイトなどを見ると大橋家には浜松に所縁はないみたいだし、タイピストになっていじめられたと言う話もない、歯磨きは作ったらしいが。鎭子さんは1940年には日本女子大に入学されたと言うことだがこの時の学長は井上秀・・・って宜チャンじゃないですか、前作『あさが来た』とは平塚らいてうがつながっているが、この辺りのエピソードを外したのは前作とのリンクを嫌ったから?それでも前作のあさのようにほぼ実在の人物をなぞるかのような内容にした方がもっと共感を得られたのかも知れないし、興味を持たれたのかも知れない。この頃がやっと面白くなってきたと感じるようになっただけに残念な気がします。
さて、先述した番組では花森安治氏を迎えて「暮しの手帖」が発刊された流れや、この雑誌がどのようなことを伝えてきたのか、人々にどのような影響を与えてきたのかを紹介している。もちろんにわかに最近興味を持ったばかりなので自分(一人称)は全然知らなかったが、この雑誌、これまで結構アグレッシブな企画を行ってきたらしい↓↓↓

・石油ストーブの実験で「燃えているストーブが倒れたら、どうなるか、試してみろ」と言い出す。
→実際に、研究室の車庫で火が天井まで上がり、火事寸前に。

・配線器具のテストでは、プラグをひとつあたり5000回も抜いたり差した。

・自動トースターのテストでは食パンを4万3088枚焼き、それをどっさりと積み上げた写真を雑誌に掲載。

他にはベビーカーやミシンなども「商品テスト」と銘打っていろいろと試していたらしい。物が人の暮らしにどのように役立って行くのかを試すための企画だと言うことだが、ここで×を打たれた商品を生産している会社にしてみればたまったもんではない。ただ、ドラマの中で花山が頑なに広告を掲載することを拒んでいるのはここへつながっていくような気もしますが、その辺りはこの先ドラマで描かれることになるのでしょうか?トースターのエピソードなどは脚本次第で結構面白くなりそうなのですがどうなんでしょうかねえ、楽しみにしたいところです。
番組では三姉妹の中で鞠子に当たる方がご存命と言うことで、時代はまだまだつながっているんだなあと言う印象を与えてくれました。来週のキーマンともなりそうなのがよっちゃん、モデルとなったのはもちろん鎭子さんの妹で大橋芳子さん、『暮しの手帖』創刊当時からのメンバーで、鎭子さん同様障害を独身で過ごされたのこと。



真ん中の方が芳子さん、ドラマではととの記憶があまりないよっちゃんが花山に傾倒している感じがいじらしい感じで描かれていますが、芳子さんも花森氏の机の整理を任されていたとのことで、こちらも鎭子さん同様持ちつ持たれつの関係だったのでしょう、先週の鉛筆選びのシーンがそのフラグになっているような感じがしました。よっちゃんを演じている杉咲花さんはなかなかうまいですねえ、フジの3億円犯のドラマでは唐沢寿明といっしょに出ていました。上野樹里、瀧本美織を見抜いた自分(一人称)の目にかかったならこの先は楽しみな女優さんと言ってもいいでしょう。



話は結構逸れます。さっき以前やっていた『ウルトラマン50』のエピソードベスト10の8位にランクインされたウルトラセブン第42話「ノンマルトの使者」



をBSで見ました。脚本家の思想が強烈に前面に出ているがゆえに名作扱いされていることであまりにも有名なエピソード、ただ改めてドラマを見てみると、特に普通のエピソードと変わらない感じがしました。この物語の中で象徴とされるのが

「ノンマルトの海底基地は完全に粉砕した。我々の勝利だ!海底も我々のものだ!」

と言うキリヤマ隊長の台詞。この言葉によってキリヤマは非道な人間だとかいろいろと悪名高い称号を得ることとなってしまいました。物語の流れがノンマルト=善、人間=悪と言う感じで描かれ、モロボシ・ダンもノンマルトが地球の生物だったと認めているシーンもあった。しかしキリヤマ、ウルトラ警備隊からしてみればノンマルトは海底から地上に暮らす人々を脅かす恐ろしい存在、海底基地の攻撃はやむなしと言うよりはもう必須条件だったところでしょう。キリヤマは海底基地を発見した時にほんの少しだけ攻撃をためらうシーンがありました、それだけでも少しは気持ちに救いはあったんじゃないかと言う気がします。
ただウルトラセブンは悪い宇宙人、怪獣から地球の平和を守るために戦う正義のヒーロー、純真な子供たちはそのヒーローの活躍を毎週楽しみにしていました。そんな子供番組にここまで徹底した感じの大人の思想を入れるのもどうかと思うのですが・・・その辺りは脚本家の思惑がテレビを見ている人たちの心に見事に突き刺さったと言うことなのでしょうか、だから誰もこの作品を駄作だとか凡作だとは言えなくなってしまっている風潮になってしまったとか・・・ウルトラマンの話となると何かしつこいくらいにこんな話ばかりしてしまってますね、ファンの方、ごめんなさい。


『とと姉ちゃん』では人々の暮らしを守るために行ってきたこと、『ウルトラセブン』では人々の暮らしを脅かす者に対してどう対処するのが正しいのかを、と言うのを今回は少し強引な形でつなげてみました。『ウルトラセブン』からでももう50年近く、人々の暮らしって本当に良くなっているんでしょうか?自分(一人称)は正直言ってお金はないし家も狭いし、他にもいろいろと事情があって最近少し気がまいり気味です、だからブログの更新も滞りがちなのですが。それでも何とか生きています、てか生きていけるんですよ、たいていは。テレビもパソコンもあるし、車は免許はないけど自転車があればどこへでも行けるし、近くにスーパーが多いから食いはぐれることもない、だから生きていけるんですよ。
今テレビで東京都知事のニュースをやっているのを見ていますが、結果に対しても「あっ、そう」くらいの感想しかないですね、東京のことだし奈良に住んでたら関係ないし。ただ、こうやって選挙で選ばれた人に何を期待しますか?ベビーカーやトースターなどの商品テスト?海底基地の攻撃?違うでしょ、人が普通に暮らしていけるための政策、それが当たり前のことなんです。ところが政治家と言う人たちはその座をつかむと変わってしまうと言うか、金に汚くなるわ他人を攻撃するわ、テレビの前でも醜態を晒すこともしきり、なぜこうなってしまうんでしょうかねえ。今回の東京都知事にしても前任、前々任は金が原因で辞めさせられたわけですが、この人たちも金では躓いたかも知れないけど都民の生活を守るための努力はしていたはずでしょう、しょーもないことで足元をすくわれる形になってしまったが猪も舛ももっとやれていたんではなかったかと思う。まあ過ぎたことは言っても仕方ないし今回ももう結果は出た、次期都知事となる小池さんはまあ足元をすくわれることはないだろうとしても、いや、そうは言えないか、でも都民のために、人々のごく普通の生活を守るために何をしてくれるんでしょうか。またまた話は大きく逸れての終わりとなってしまいました、まるでオルフェーブルの逸走みたいやな~、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち