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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2082 岡山の旅(2)・・・吉備津神社

2024-05-17 23:48:33 | 文化財
よろしくお願いします。















GW終わりました、夢も希望もありません、そんな自分(一人称)にやって来たのは今頃になってコロナでした。踏んだり蹴ったりの5月もこれからが折り返し、ここからは気分も上げて行きたいところ、さて、今回は2月に岡山を走った記録をお送りしていきます。さすが晴れの国をPRするだけあってこの日も絶好の晴れ模様、寒さもほとんどなくJR総社駅から始まった旅は気分快適に、まずは吉備路自転車道を進んで行っています。前回は備中国分寺の五重塔へと訪れましたが、この自転車道にはこの先まだまだ見所がいっぱいです、そんな快適な走りの中で前方に見えてきた大きな丘が造山古墳です。奈良の多々ある古墳を差し置いて全国で4番目の大きさを誇る古墳を中心にして、その付近にある他の5つの陪塚と合わせて古墳群を為している、ここはちょっと時間もあったのでその5つの古墳も巡ってみることにしました。全部で6つある古墳の中にはポッコリとした小さな丘もあれば人の手で造営された感じのものもあり、そして中心となる一番大きなのは古墳群の中では5号墳に当たる千足古墳、何か戦隊チームみたいな古墳ですね~。























自転車道は岡山市からいつの間にか倉敷市に、何か戻されている感覚にとらわれるが自転車道は確実に前に進んでいる。途中にあった看板が気になったのでそちらへと自転車道を外れる、静かな集落の中に佇んであるのは鯉喰神社と言う名の神社↓↓↓

「吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。」

とHPにある。村人を苦しめていた悪者を正義の味方が成敗するというのはまるで桃太郎のお話のようだが、最後はその征伐の仕方も残忍な感じですね、悪は許すまじ、徹底的に倒すというのがこの地にある掟みたいなものなのでしょうか。
自転車道へと戻ってその後は右へ左へと折れを繰り返しながら、遠くの山裾にある重厚そうな神殿の屋根を目指して進んで行く。その建物が近づいて来てやがてたくさんの人の賑わいを感じる所へとたどり着く、吉備津神社、こちらは南側の入口に当たる方か、重厚そうな屋根に向けて回廊が伸びている。自転車を止められる場所があったのでそこに相棒君を置いて境内へ、本殿へと続く回廊は狭くて結構急な上りになっていてたくさんの人の行き来がある。本殿まで行こうと思ったが重要文化財の南随神門が工事中で出鼻をくじかれたかの感じ、本殿への参拝はあきらめて相棒君へと戻り、とりあえずもうひとつの重文である北随神門を見てからこの場所を離れることにする。











吉備路自転車道とは岡山市の中心部へと向かう辺りでお別れ、ここからは岡山の旅第2編と言った感じで町の賑やかな部分を通り抜けて、町にいくつかある文化財を巡って行きます。新幹線とJR山陽本線は地下トンネルで無事通過、2ケ月前に岡山駅に向けて走った県道を抜けてJR瀬戸大橋線の高架もくぐり抜けて旭川の近くへ。中央図書館とスポーツ広場がある一角に建っているレトロな感じの建物が旧旭東幼稚園園舎八角園舎、幼稚園園舎では日本で初めて重要文化財に指定されたとのこと、とりあえず建物をぐるりと巡ったが、地上からでは普通に歴史のある建物だと思ったが後で地図で見てみると十字型になっている。その後は旭川沿いへと出て路面電車が通る橋へとたどり着く、ここは2018年の旅でも来ているが、その時は路面電車と橋の袂にある道路元標、川岸にある火の見櫓が登録有形文化財とあっていろいろと写真は撮ったのですが、同じく登録有形文化財である橋に並行に架かる水管橋はおろそかにしてしまった。そんなわけで今回はその水管橋をじっくりと見物、今回はキッチリと写真も撮っておきました。橋を渡ってすぐの左への曲がり角が西国街道、この道を進んで旅はいよいよ後半戦へと差し掛かって行きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2073 滋賀の旅2月編(2)・・・重要文化財巡り編

2024-04-24 08:41:22 | 文化財
よろしくお願いします。











そんなわけで2月の滋賀の旅、関西線~草津線~近江鉄道と乗り継いで日野駅で相棒君を立ち上げてスタートしました。厳しい状況の近江鉄道ですが何とか再生に向けて走り続けています、奈良の人間で自転車で走るのが主だから電車に乗る機会はほとんどないですがやっぱり残してほしいもの、何とか機会を見つけてまた乗りたいと思っています。さて、日野駅から走り始めてまず最初の文化財は駅から南へ、国道307号線沿いにある神社、となると本殿や神殿がそれやと思いきやここの重文は宝篋印塔、竹の柵に囲まれて立っています。

















近江鉄道朝日野駅から少し行った所にある寺院では石造の九重塔が重要文化財、観光目的の寺院ではない所に重文と言うのも何ともミスマッチな感じだが、これもまた文化財のいいところではないでしょうか。その後は国道477号線・・・と言っても御代参街道の旧街道を進んで宿場町へと差し掛かる、中心部の道標と道路元標が立つ角を曲がった所にある神社に重厚そうな神殿が二つに並んで建っている。左がこの神社の本殿、右側にあるのがこの神社内の境内社の本殿で共に重要文化財、境内社と言うからには本神社の付属となるのだろうが、神様が祭られているのは変わりありません、どちらの建物も厳かな雰囲気で静かな町の中に佇んでいるようです。ここから旧街道を外れて集落の中に入った所にある山部神社へ、そこに隣接する赤人寺に石造の七重塔があるのだが、マップでは違う場所に印がついていてそれに惑わされて探し当てることができなかった。これは悔やまれる・・・と言うことで宿題にしておいた、ちなみに神社名と寺院名を合わせると山部赤人となる、奈良時代の歌人で「田子の浦」の歌で有名な人だがここが終焉の地だったと言うことらしいです。





















気を取り直してコンビニで朝食休憩をとった後は竜王町へ、引き続き三角点巡りと合わせて重文巡りは続きます。竜王町は鉄道の駅から離れていてあまりここを目当てとして来ることはないのですが、東近江市をよく訪れるようになってからはこの町を通り過ぎる機会も増えました、前に万葉歌碑巡りで来たこともあったので町の風景も見覚えがある所となっています。竜王町での見所は苗村神社、明るい雰囲気の町の中に立派な神社がデ~ンと構えている、町のメインストリートを挟んで東側の少し薄暗い森の中にある東本殿が重要文化財、西側にある威風堂々と構える楼門を抜けると西本殿がありこちらは国宝に指定されている。鉄道の路線から離れていてはいるが有名なショッピングセンターがある町、ここはまさに隠れた観光名所と言ってもいいのでは・・・と決めつけると地元の人は気を悪くしてしまうかも。この後は県道を北へと進んで近江八幡市へ、いくつかの重要文化財を巡りながらたどり着きました。まあいつものことですがこちらはもう押しも押されぬと言った感じの観光地、今回はどんな巡りとなったでしょうか、その模様は次回でのお伝えと言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2067 重要文化財巡り、相棒君といっしょに敷居の高い2月の京都編

2024-04-12 10:04:41 | 文化財
よろしくお願いします。
















京都の巡りについては現在ある気での重文巡りの記録をお送りしていますが、その記録については後残り1回、近々のお伝えを予定しています。今回はその時は不調だった相棒君が帰ってきて自転車での本来の巡り、三角点巡り・・・は苦戦してすぐあきらめたが・・・、薬師堂巡り、御土居巡りなどいろいろなテーマを混ぜ混ぜで行ったのですが、その中で重文を巡った記録をお送りしていこうと思います。この日は2月とは思えないほどの暖かさ、そんな時は走りも快調、テンションも上がってきますね、それに釣られて巡りも順調に行くでしょうか。府道22号線から千本通を経て京都市内へ、近鉄竹田駅の近くにある寺院には薬師堂巡りで訪れたのですが、その寺院から少し外れた所にあったのが上の写真にある五輪塔、後ろの建物がホームなので何ともミスマッチな感じです。











京都駅付近の千本通界隈には御土居の跡がうかがえる場所、その後も御土居の遺構を巡りながら西大路通へ、そのまま進むと北野白梅町駅へとたどり着くがその辺りは人が多いので手前の一条通に入る。少しだけ進んだ所にあるのが大将軍八神社、建物に文化財はないが何とも壮大な感じがする神社名がちょっと気になったので境内に入ってみる。本殿に続く参道に立つオブジェには「 乾,兌,離,震,巽,坎,艮,坤」の文字が周囲に刻まれている、当たるも八卦当たらぬも八卦の「八卦」と呼ばれる文字で占いなどで使われる文字のこと。一条通で占いと言うと今やってる大河ドラマのあの人を思い出すが、この神社には藤原兼家も祀られていることからしてもやはり関係はありそうです。その後は人が多いことも承知のうえで北野天満宮へ、ちょうど梅が見頃と言うこととこの暖かさもあってか境内はたくさんの人、人、人・・・。ここでのお目当ては重文巡りと御土居巡り、無事に済ませることはできましたが人の多さと重厚な雰囲気が漂う境内と建物にはちょっと気が押されてしまいました。神社を後にして上七軒通へ、狭い通りに軒を連ねるお店はお金をかけなければ遊べない所と言うことを象徴しているかのようで自分(一人称)には敷居が高い所、自分に見合う場所を巡ることにしよう、行こう、行こう、そういうこととなった。






















千本通を突き進んで小高い所で御土居巡り、その後は再び平地部に戻ってきて大徳寺へ、広い境内に小さな寺院が集まっていてその中にも重文が多くある。ただ見るだけと思って山門を入るといきなり廃刊拒絶の看板、さすがに人を寄せ付けないって辺りの頑ながいかにも京都らしい。貧乏人には敷居が高くいちげんさんもお断り、京都はどうも気難しい場所、重要文化財巡りはそのことを再確認させてくれます。さっきの北野天満宮と違ってこちらは至って静か、重厚さ漂う寺院なだけにはしゃげない場所だと言うのは誰にも分かる・・・とは行かないのが外国人ですね、特に日本人と同じ肌色の外国人たちは集団でつるんで大きな声で話している、まあ文化の違いがそうさせているんですかね~。この先季節が進むと更に観光客が増える京都、特に日本の奥ゆかしさを知らない外国人には京都の敷居の高さなど関係ないね!と言ったところなのでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2063 銀閣寺・・・徒歩で京都を重文巡り(3)

2024-04-05 09:45:51 | 文化財
よろしくお願いします。













相棒君が不具合を起こしてしまい自転車屋さんにて入院、そんな中歩きで京都を重文巡り、妙心寺から始まり平野神社、閻魔様の寺院やその他の社寺を巡りながら今出川通りを東へと進みました。白川通との交差点を過ぎても人はいっぱい、皆が目指す先はもちろんこの先にある世界遺産慈照寺、通称銀閣寺・・・テストの問題で『銀閣寺』と書くと誤答となるらしい・・・ですが、まずはその寺院に向かうまでにもいろいろな見所があります。進行方向右手側にある洋館のカフェは奥にある建物が登録有形文化財、その先の銀閣寺橋から右へと分かれているのは哲学の道、そこに沿う川は白川疎水でここも以前に巡ったことがありました。石橋を過ぎると緩やかな上り坂、ここは寺院への参道となっていて両側に名産店が軒を連ねている、たくさんの人が店をのぞいていろいろ楽しんでいるようだが自分(一人称)はもちろんそこはスルー、やがて銀閣寺の山門へとたどり着きます。


















山門をくぐって拝観料を支払って境内へと入る、まず目についたのが庭園、砂がきれいな模様で敷き詰められていてその真ん中には砂でできた富士山、あれ崩したら気持ちいいやろうなあ~。そしてお馴染みの建物、銀閣と呼ばれている観音殿、砂の富士山とのコントラストは抜群、手前の池には水面に逆さに映る銀閣もまたよろし!金閣寺の金閣が金色で華やかに見えるのに対して、銀閣は銀色ではない普通の建物だがしっとりとして落ち着いた雰囲気でたたずんでいる。外国人などは金閣が金色だからこちらは銀色だろうと期待して来るかも、建設当初は銀色にする計画もあったらしいがこの姿で十分歴史の重みが感じられる、まさに「僕のことを分かったふうに言うな」とでも言っているかのよう。ちなみに銀閣はもちろん今回の巡りのテーマでもある重要文化財であり国宝でもあるが、金閣はそのどちらでもないとのこと、そんな金閣寺も世界遺産、歴史の重みも考えないで外見だけで登録しているわけですからね、ただの箔付け、客寄せ目的と言ったところでしょうか・・・、まあ自分(一人称)の巡りも見た目だけですけどね。


















銀閣寺の創建は室町幕府8代将軍足利義政によるもの、金閣寺創建の3代将軍足利義満と共に室町幕府歴代将軍の中では名前をよく知られている人物です。ただ室町時代と言うのがイマイチよく分からない時代なんですよね~、華やかなイメージもあり戦乱のイメージもあり、ドラマでもあまり取り上げられない時代です。よく知られているのが応仁の乱、「いよいよむなし」1467年に始まり11年続いた大きな戦乱ですが紐解けば大いなるお隣戦争だったとか、それが京都から周囲全体を巻きこみ幕府の衰退を招いたようなものです。銀閣寺はその戦乱が終わった後に築かれたとのこと、戦乱後の焼け野原となってしまった都に華やかさを取り戻すために造られた感じだが、政治的機能も備えていた所だったそうです。混乱を極めやがて幕府は衰退しみんながドラマでもよく知っている戦国時代へ、そんな時代の生き証人のようにあった銀閣寺、当時の慌ただしさなどどこ吹く風と言った感じで人々は見た目の美しさを目に焼き付けるかのようにして境内を散策しています。あまりお金を使いたくない自分(一人称)も今回の一番の目的として訪れました、前にも何度か来たことがあった所でしたが落ち着いた雰囲気はやっぱりいいですね、大いに満足させていただきました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2058 徒歩で京都を重文巡り(2)

2024-03-25 10:07:08 | 文化財
よろしくお願いします。














天気の悪い日が続いていますね~、こないだの祝日が雨、この土日も2日続けて雨、それでも家にいるのは嫌なので歩きでちょっと行って来たのですが、その記録はまたいずれの機会として、今回は歩きで京都を巡った記録の2回目です。前回は妙心寺から始まり嵐電乗車を挟んで平野神社、更には大河ドラマで強烈なキャラクターを放っている花山天皇の陵へ、更には閻魔様を祀る寺院へと巡りました。今回まずはその寺院から歩いて割とすぐの所にある大報恩寺、たくさんの人が訪れていて境内にはテープでお経が流れていて何か賑やか、その中にデ~ンと構えた本堂はこの日初めて巡る国宝です。国宝とは重要文化財の中でも特に価値の高いものとして指定されているもの、と言うことでつながりがあるものだと言うことを再確認しておきましょう。

















白峯神社に立ち寄った後は今出川通を東へと進んで行く、次の目的地は世界文化遺産にも指定されている東山慈照寺、この寺院については次回一枠まるごと設けてのお送りとしておきます。烏丸通を過ぎると向かって右側の森が京都御所、一方の左側には洋風の建物が見える、この建物群が同志社大学でその中には登録有形文化財の建物もいくつかあるみたいだが、その時は確認ができなかったのでとりあえずそれらしい建物を写真に撮ることに。更に鴨川を越えて東大路通が交わる百万遍交差点を過ぎた所にあるのが知恩寺、現在の正式な寺院名は百萬遍知恩寺、となると気になるのが交差点にも寺院にもついている「百萬遍」とは何ぞや?↓↓↓

「自身の往生、故人への追善、各種の祈祷を目的として念仏を百万回唱えること」

wikiには百万遍念仏についてそう説明されている、ただ百万遍知恩寺と言う寺院名は宗教法人としての名称、もちろん上記の念仏からの由縁もあるが近くの交差点から名付けられたイメージも感じさせられる。


















東山慈照寺・・・くどい言い回しはやめましょう、銀閣寺のことです・・・の来訪を終えて京都市内での重文巡りも後半戦、ここまで結構な距離を歩いてはいるのですが疲れは全く感じません、まだまだ行けますよ~。次に訪れた眞正極樂寺から金戒光明寺は参道が一続きになっているので分かりやすかった、目指す重文の三重塔は小高い丘の上で長い階段を上らなければならない。途中で振り返ると京都タワーが見えているが、天気が良ければ大阪、あべのハルカスも見えるらしい・・・と言うことで写真を撮ってみたのですが、やはりぼやけていて何も見えませんねえ~。その後は春日北通を進んで生八つ橋でもお馴染みの聖護院へと寄ったのですが、この日はイベントがあるらしくてたくさんの人で境内はあふれていて、目指す重文にはたどり着けなかった。京都市内での巡りも残りわずか、その後は京阪電車で宇治へ行くことにしています、その記録は次回の次回としておきましょう、次回は銀閣寺です、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち