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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2224 2024年年末、四国~しまなみの旅(2)・・・謎多き町・その2

2025-03-13 08:30:01 | 旅行記
よろしくお願いします。

















2024年年末の旅は四国、しまなみへ、まずは1日目30日、JR多度津駅から走り始め前回は謎多きイメージがある町、三豊市を走り抜けた記録をお送りしました。更に先へと進んで観音寺市へ、この地名で思い出すのがセンバツで初出場初優勝を果たした観音寺中央、1995年とのことで震災があった直後のことでした。あの時は開催が危ぶまれたことでしたが無事開催することができました、何があっても甲子園は開催されることが当たり前だと思っていたのですが・・・。観音寺市の中心部からは離れた所を進んで走っていると大平記念通りと言う道へと差し掛かる、町中の神社には立派な銅像、その主は大平正芳と言う人物、確か自分(一人称)が小学生の時の総理大臣だった人、「ああ~、うう~」でお馴染みでした。その後は国道11号線に出て海とJR予讃線に挟まれた道を進んで行ってやがて道の駅とよはまへとたどり着く、ここが国道で言えば香川県最果ての場所、もうすぐそばには愛媛県が控えている、さあ、県境越えと行ってみましょう。
















県境は道の駅を出てほんの数秒の所、ここからは愛媛県四国中央市へと入るのですが、四国中央市・・・何かここも謎が多そうな所みたいですね~、どんな町でしょうか、進んで行ってみましょう。町が近づいてくると手前の山の上に城が見える、これが川之江城、と言うことでこの四国中央市は川之江市と伊予三島市などが合併して誕生した町、しかし「四国中央」とは大きく出たもんですね。川之江の中心部を過ぎると工場群が広がりまるで工場の敷地内に入ったかのような所を通り過ぎる、この辺りが伊予三島地区でJTB時刻表では伊予三島駅に◎が付いているので、この辺りが市の中心となっているのだろう。その町中を通り過ぎた所で標識を見かけた、新居浜までは26キロ、時刻はもう午後2時を過ぎていて自分(一人称)のペースではこのままでは目的地の伊予西条まではきつい、最終目的地は新居浜駅に変更してあとは距離を詰めるだけの走りに・・・。
















左手側には四国山地の山並みが連なっていて頂上部には雪が被っている、このところの寒さで雪が降ったのだろうけどこの日は天気の心配がなくて良かった。新居浜までは途中で海側ルートと山間を抜けるルートがあるがここはおとなしく国道11号線の山越えルートを選択、峠を越えた所で四国中央市とはお別れして新居浜市へと入る。下り坂の途中で旧街道へと入って新居浜の中心部へ、後はもう駅を目指すだけ、その後たどり着いた新居浜駅前で相棒君を寝床につかせてここからは今治まで輪行です。ここからは普通列車で行くつもりだったが本数は1時間に1本だけでさっき行ってしまったところだった、普段なら待つ所だが今は財布にちょっと余裕もあるのでここは特急で行くことに。乗車した特急列車は自由席は満席でデッキに立っている人も何人かいた、30日の夕刻でちょうど帰省ラッシュに当たっていたのだろう、その中には自転車を持ち込んでいる人もいる、自分(一人称)も何とか場所は確保できて今治へ。今治駅に着いた時にはもう日も暮れて町は真っ暗、今夜の宿泊地までは700メートルほど、重い相棒君を抱えて人通りのなくなった歩道を進んで行きました。さて、1日目の旅はこれにて終了、明日大晦日は久しぶりにしまなみ海道を走ります、風きつくなりそうやなあ~、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち





No.2222 滋賀の旅・・・ほどではない走り、12月編

2025-03-09 15:09:52 | 旅行記
よろしくお願いします。









滋賀の旅12月編・・・なのですが、昨年は1ヶ月に1度は出向いていた滋賀県だったのですが、12月は忙しくて時間が取れずやっと年末の休みに入ったので行くことができました。ただこの時は全くのノープラン、とりあえず1000円以内で一番行ける遠い駅である比叡山坂本駅で下りてそこから走り始めました。いつものようにビワイチルートを北へと進み雄琴港前のコンビニで朝食休憩、堅田の町並を過ぎて琵琶湖大橋を渡り守山市へと入りました。今は12月、ちょっと気が早いかも知れないが海浜なぎさ公園へ、ここは早咲きの菜の花でお馴染みな所ですがやっぱり気が早すぎましたね、緑の葉は広がっていても花はまだ咲いていない、いや、1ヶ所だけ、小さな黄色い花が咲いているのが見える、湖国の菜の花はたくましいですね、でも寒さも雪もこれからが本番です。















ノープランの滋賀の走り、花畑の向こうには琵琶湖、更にその奥には雪を被った比良山系、晴れてはいるものの上空にはグレーの雲が流れていていつ雪が降ってもおかしくない状況。あまり遠くへ行くことは考えてないのでここからは再び国道477号線へと戻り、カントリーエレベーターがある所を曲がってメロン街道を進んで行きま・・・って何や!この強い向かい風は!!自転車が前に進むことができないほどの風が前から襲ってきて目もまともに開けられない、ごぉ~っと音も凄くて上空の雲の流れが早くなっている。メロン街道はもう走り慣れた所、浜街道とさざなみ海道にはさまれた所を通り一面田園風景が続く道、だからこそこの風は強力な敵になっている。たまに相棒君を止めて風景の写真を撮っていると風に煽られて倒れそうになる、こりゃ~テンションも上がるはずがないわ、もう欲を張ることはなく大津へと戻ってちょっとでもこの風から逃げることとしよう。













【214-1 標高=60.6876 m 一等水準点】



【熊小路 標高=17.46 m 四等三角点】

近江大橋を渡って大津市へと戻ってきました、ここまでもう行くとこ行くとこ向かい風に見舞われて散々な走りになっている、滋賀の寒さはよく知っているつもりだがこれだけ風がきついと走るのも嫌になってくる、何しろ琵琶湖の湖面か波打っているくらいですからね、ここは風向きを変えるべく潔く大津から離れることに決めた。上り坂の国道1号線は山に囲まれているので風のきつさは感じない、しかし京都に入って下に下りてくると寒さと風のきつさは相変わらず。このまま帰るのも惜しい気がするのでネタ拾いとのことで三角点巡り、3ヶ所を巡ったのですがそのうちの1ヶ所では成果はあったものの、山科の中心部と木幡の住宅街の2ヶ所では標柱や標石を見つけることはできずこちらも虚しい結果に終わってしまった。2024年最後の滋賀の旅、何とも残念な走りとなってしまいました、こんな形で来年につなげたくはなかったんだけどね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち









No.2220 兵庫、子午線巡りの旅(1)・・・国鉄鍛冶屋線廃線巡り

2025-03-04 07:47:21 | 旅行記
よろしくお願いします。














こちらも今回から新章、兵庫で子午線巡りをした記録をお伝えしていこうと思います。子午線巡りは以前にもやったことはあったのですが、昨年明石の天文科学館を訪れてまた熱が再燃したと言ったところでしょうか、久しぶりにそのラインをたどってみたいと思って出向きました。走りのスタートはJR西脇市駅から、朝一番の奈良発の電車で出て西脇に着いたのが9時過ぎ、家を出てから5時間もかかってです、やっぱり遠いですねえ。三木市、小野市、加東市辺りは毎年来ていますが西脇市となると久しぶり、駅前で相棒君を立ち上げて早速出発、と行くのですが車体を向けた方向は子午線に関する場所とは逆方向、西脇市の中心部へと向かう遊歩道へと進んで行きます。この道は下は国鉄鍛冶屋線の廃線跡、ここも前に走ったことはあった・・・その時は逆方向で鍛冶屋駅から西脇市方面へ・・・のですが今回久しぶりに西脇市に来たので、再び走ってみようと思いました。















遊歩道は市の中心部で途切れて廃線跡はしばらくは県道を進んで行く、市街地を出ると山と川に挟まれた道、田園風景に真っ直ぐに伸びる道となり、所々では廃線跡を表している標識も見かける。やがてたどり着いたのが市原駅跡、駅舎後は記念館になっていてその先にはホームがあり2両編成のディーゼル車両が止まっている。駅標、踏切、腕木式信号機と当時を思わせるものがあって、ここも廃線になるまでは乗客で賑わっていた時期もあり、乗客が減って厳しい時代の中を走っていたんだなあと感じさせている。更に県道を北へと進むと羽立駅跡、その場所はちょっとした公園になっていてホーム跡らしき所に駅標も立っている。市原駅跡もこの駅跡も周辺には素朴な集落があるだけだが、加古川線には4つの廃線があってその中ではこの鍛冶屋線が一番輸送密度が高かったとか、この路線は町なのに対して他の路線は市とつながっているだけに意外な気もしますが、それだけ地元との結びつきが強かったと言うことでしょうか・・・。




















廃線跡をたどって西脇市から多可町へ、たしか巨人(G)の抑え投手がここの出身でしたね。鍛冶屋線は13キロほどの短い路線、西脇市駅から10キロが過ぎて終点までもう近くまで来ている、曽我井駅跡、更に多可町の中心部へと差し掛かって中村町駅跡と通り過ぎ、橋を渡って真っ直ぐ進むとやがて終点の鍛冶屋駅跡へとたどり着く。廃線跡道路の終点の標識が立っていてその先にはホームがあり、当時この路線を走っていたディーゼル車両が置かれている、駅舎は記念館となっているが展示物は見ることができなかった。前にここを走った時は丹波市・・・これ余談ですが天理市の中心部には「丹波市」と言う町があり幼稚園や小学校は今でもこの地名を使っている、天理駅も以前は丹波市駅と言っていた、だから兵庫でこの地名を知った時はめっさ違和感がありましたね・・・から山を越えて来たんだった、今回はそれほどきつい思いはしないつもりだが、ここからは子午線巡りの旅へと移行するので再び西脇市へ、山を越えて歴史のある町でもある黒田庄へと向かいます。さて、いよいよ本題の子午線巡りについては次回でのお伝えと言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち





No.2216 2024年年末、四国~しまなみの旅(1)・・・謎多き町、その1

2025-02-24 16:43:10 | 旅行記
よろしくお願いします。



















2024年年末の旅は30日31日の泊まり掛けで四国、しまなみ海道を走ってきました。一昨年の年末旅は悪天候の予報のため四国本島に行くことができず、その埋め合わせみたいな感じで計画した旅ですが、今回のスタートはJR多度津駅からと言うことで前回までお送りした香川の旅の続編みたいな感じになっています。ちなみにこの日の宿泊先は今治、まあどう考えても自分(一人称)の足で多度津から今治までは無理なのでどこかからは輪行を考えています。それがどこになるか?せめて新居浜市までは行きたいところだし伊予西条駅には鉄道のテーマパークかあるとのことでそこにも行ってみたい、後は行き当たりばったりで考えることとなりそうです。


スタートの多度津駅、前にも触れましたが老朽化のために撤去が決まっていた給水塔ですがやはりなくなっていました、文化財でも簡単に壊してしまうんですね、もったいないと言うかリスペクトがないと言うか・・・。前回文化財巡りで走った町並を過ぎて未踏の区間へ、ここからが長い今治に向けての走りの始まりです、まず標識を見ると観音寺市までは、えっ、7キロ?そんなに近いのか、これなら伊予西条駅までは余裕で行けそうやな~、そう、アホな旅人はこの時とんでもない勘違いをしていたのであります。










小さな峠を越えると海が見えてきた、毎年天気に悩まされる年末旅でしたがこの日はその心配もなし、瀬戸の海は穏やかに迎えてくれています。ただこのコースを走る時に考えていたのが、今回走るルートは見所らしい見所はほとんどない、ただこの日は距離を稼ぐだけの走りになりそうだな、と言うこと、だから写真の方もさほど撮れ高はありません、そんなわけで30日の走りの記録は2回で終わります。さて、走りの方は国道11号線に入って順調に進んでいます、たださっきの標識の地点からは7キロはもうとっくに過ぎている、そう、自分(一人称)が見たのは観音寺ではなく善通寺、観音寺市までは約20キロ、まだまだ先は長いとのことで伊予西条駅はちょっと厳しい状況となりました。

















多度津町を過ぎて三豊市へと入ったのですが、知らん、こんな名前の市、香川県にあったんか?市の中心となる駅は詫間駅かな・・・JTB時刻表では高瀬駅に◎が付いている・・・、この地名は知っている、浅見光彦シリーズで殺人事件の舞台となった所で浦島太郎伝説が絡む内容だった。その通り詫間駅前の公園には浦島伝説の碑が立っている、でもその時はまだ三豊市と言う地名はなかったはず、と言うことで調べてみると2006年に合併して市になったとのこと。全然知らなかった、と言うか多度津の隣は観音寺市だとずっと思ってましたからね、まさに謎多き町です。更にそこに輪をかけるように謎なのが、この三豊市、香川県では高松市、丸亀市に続いて3番目に人口が多い市だとのこと、まさかの坂出市や観音寺市を差し置いてです。走っている時は全然そんな大きな町だとは思わなかったが、面積が広いからそれに比例しているんでしょうかねえ、ホントに謎多き町です。さて、この三豊市を過ぎると観音寺市、センバツ初出場で優勝したチーム・・・今はなき観音寺中央高校、統合されて校名も変わっている・・・のある町はどんな所なのでしょう、その記録については次回とのことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち


No.2210 2025年新春浜松の旅(1)・・・姫街道を行く

2025-02-09 23:16:42 | 旅行記
よろしくお願いします。
















2025年初めての旅は1月2日、浜松方面へと行ってきました、本来なら昨年末の旅の記録の方を先にお送りするのが筋なのですが、そちらの方は今お送りしている香川の旅が終わり次第つないでいこうと思います、と言うことでこちらを先にお送りです。2023年のGWに浜松へ行った時はこの地が舞台となった大河『どうする家康』で三方ヶ原の合戦をやる直前の頃、タイムリーな時だったがこの時は駈足で走り抜けたので現地は巡り足らず、その後の宿題としておいたのですが何度か計画はしたものの実行できず、今回やっと日帰りですが実行へと至りました。朝一番のJR奈良駅から関西本線を乗り継いで名古屋駅へ、これまでなら快速で豊橋駅へか名鉄線で豊川稲荷駅へと行っているところだが、今回はちょっと余裕があるのとちょうど豊橋停車の『ひかり』があることもあって贅沢に新幹線利用としました。豊橋駅からは飯田線、2両編成の電車はもちろん満員、初詣のお客さんでいっぱい、まあそこはそんなに長い時間でもないのでお立ちで行くこととしましょう。













豊川駅前で相棒君を立ち上げて出発、国道362号線・・・通称姫街道・・・を進んで峠を目指したいところだがまずは豊川駅の近くにある寺院で重要文化財巡り、豊川稲荷・・・ってここは神社ではなくて妙厳寺と言う寺院なんですね、稲荷と言うから神社だと思いがちだけど・・・とは逆側だが初詣に来ている人も見られました。巡りを終えると国道362号線を進んで行く、ああ~、いい天気だ、昨年末の走りでは行く先行く先で風に悩まされたがこの日は風も穏やかで日差しも暖かい、緩やかな上りもさほど気にならなくてまずは快調なスタートです。途中で水準点の表示を見つけた、もちろん今回の走りではこれはノーマークだがとりあえず写真は押さえておこう、帰ってからマップを確認しておかなければ・・・。上りが少しだけ急になってきたがそれほど苦にはならない、やがて本坂トンネルをくぐり抜けて静岡県へと入る、看板には浜松市とある、広い市なんだなあ~。


















広い市なんだなあ~、と思って調べてみると日本の市の中では岐阜県高山市に次いで2番目の広さだとか、ちなみに奈良県で一番広い市は五條市だがその5倍以上の広さと言うことです。トンネルを抜けると一気の下りとなってやがて三ケ日の中心部へと差し掛かって行く、町中で国道が交差する所から先は2019年に天浜線を各駅巡りした時に走ったことがある道となる、せっかくなので久しぶりに三ケ日駅へと行ってみることにしよう。天竜浜名湖線三ケ日駅は駅舎が登録有形文化財、風情のある駅舎から無人の改札を抜けると2面2線のホーム、多分5年前に来た時とは変わってないだろう。駅名板には日本一の柑橘選果場の町とある、そう言えばさっきミカンの流通センターの前を通ったなあ、ただ産地ではなく選果場で日本一をPRされてもなあ~、だから何?ってしか言えないんだけど・・・。そんなわけで始まりました浜松の旅、今回を含めて3回でのお伝えを予定しています、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち