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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2230 2024年年末、四国~しまなみの旅(3)・・・雨の今治

2025-03-26 07:28:31 | 旅行記
よろしくお願いします。















12/30の夜は今治の中心部にあるビジネスホテルで宿泊、『アメトーーク!5時間SP』を見てそのままテレビをつけっ放しのまま寝てしまい、夜中に目が覚めて地元民放局のクロージング、オープニングを見るのが恒例となってしまっています。天気予報では今治に☔マークと☀マークが隣り合わせ、雨の心配は全くしてなかっただけにこれは寝耳に水、朝になって窓のカーテンを開けてみたが空は暗くて分からない、地面は濡れていて歩いている人は傘をさしている、どうも雨が降っているみたいだ。ホテルを出るとやっぱり雨が降っていた、とりあえず濡れない場所で相棒君を立ち上げる、降っていると言っても走るには気にならないほどだ、これなら走ることはできる。まだ薄暗い中を出発、まずは信号を渡って市公会堂前へ、巨大なプロペラも気になったがそれよりも自分(一人称)が興味をひかれたのが道程標の碑、距離の単位に「粁」が使われているがこれは多分「キロ、km」のことだろう、今治を起点にして日本各地の距離が記されています。




















今治港にやって来ました、ここでの目的は三角点巡り、その成果に関してはまた別の機会にして今回は久しぶりの港の風景を巡ることとしよう。細かい雨が降っていて瀬戸内海の上にはグレーの雲が覆っている、ただ遠い空には明るい部分が見えるし雲の流れも早くたまに空も見えるのでさほど悲観的になることはなさそう。この日は夕方に尾道に着ければいいゆったりした走りで行くつもりだが、まず最初の難敵となる来島海峡大橋は雨が降ってない時に走りたい、まあ強風は覚悟しているけど。頭の上の重そうな雲がどこまで消えてくれるか、望みを持ちながらしまなみ海道の旅のスタートです。














来島海峡大橋までは海沿いの道を進んで行く、ここはもう走り慣れた道だが今回は途中で三角点巡りもあるのでスマホのマップで場所を確認しながらの慎重な走りと行きます。山の上の灯台、海沿いには灯台下と言うバス停がありそのバックには巨大な橋、橋桁の下にある島の灯台には青い光が点滅している、これらももうお馴染みの風景、道はそこからうねうねと海沿いをカーブを繰り返しながら進んで行く。目的の三角点巡りも済ませていよいよ来島海峡大橋へ、とこのタイミングでさっきまで止んでいた雨がまた降って来た、でも今回の天気はどうも気まぐれさんらしく、サラッと降ったかと思うとすぐに止んで流れの早い雲の合間からは陽の光も差してきた。おやおや、橋の向こうに虹がかかってますねえ、ただ完全な架橋でなく足元が海からニョキッと突き出た感じで見えた、と思ったらすぐに消えてしまった。やがて海沿いの道は来島海峡大橋の袂へと至る急な上り坂に差し掛かる、何とか登りきると眼下に造船場の風景を眺めながら来島海峡大橋へ、ここを渡るのは2022年のGW以来2年半ぶり、雨と強風が心配だがここを渡らないと始まらないと言うことで尾道へと向けての走りの記録は次回へと続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2229 兵庫、子午線巡りの旅(2)・・・西脇市、経緯度交差点

2025-03-24 09:20:55 | 旅行記
よろしくお願いします。
















兵庫県子午線巡りの旅、1月初旬の連休に行って来たのですが寒いのはまあ当たり前のこと、この地域を走るのは久しぶりなのでテンションも上がり気味で子午線巡りの前に予定外の国鉄鍛冶屋線廃線跡巡りに時間を費やしてしまいました。多可町から峠を越えて再び西脇市へ、まずは国道175号線へと入って少し進んだ所で今日最初のモニュメントを見つけました、国道は車の行き来が多く自転車を止める場所もないので、ここは自転車に乗ったままでカメラを見上げるようにして写真を撮りました。今回の巡りではここが北限となるので折り返して加古川を渡りJR加古川線沿いの道を進んで行く、この辺りは黒田庄と言う町で黒田官兵衛の誕生の地としてもお馴染み、大河をやってた頃はよくここに来てました。加古川線は北の区間は本数も減ってしまう典型的なローカル路線、1両だけの電車がのどかに走り抜けて行く光景をちょうど見ることができました。

























ここも久しぶりのJR日本へそ公園駅、まあ確かにここが日本のへそとなる場所ですがあまりにもベタッとしたと言うかストレートすぎる公園名に駅名・・・、まあそれは良しとしておきますか。その日本のへそとなるのが・・・ちなみに「日本のへそ」を自称している地域がここ以外にもいくつかあって、まあ地理的、政治的などいろいろな観点からそう言っているのだろうけど、これだけ綣があると日本はもう妖怪です・・・JRの線路をくぐり抜けた所にある公園、日時計やオブジェなどがあって一番奥に言ったところに碑が立っている。その碑が東経135度北緯35度が交差する経緯度交差点、碑の手前にはその地点となる標石が埋められている。三角点巡りをしていることや時計、方角などにも興味がある自分(一人称)としては、この場所が基本となる場所と言うこともあってまさに経緯ならぬ敬意を示さなければならない場所、そんな思いで・・・と言うほど大したものではないが、この場所の写真を撮りまくりました。








数ある日本のへその中では一番知られていると思う西脇市、走っている間にはそのシンボルマーク・・・日本地図を鳥に模ってそこを十字に線が交わっている場所がちょうど西脇市になっている・・・をたくさん見かけました。日本のへそ公園、経緯度交差点がある場所はさっき自転車を立ち上げたJR西脇市駅、市の中心部からはかなり離れていて、地域は旧街道沿いに風情のある町並が続き近くには山も迫っている。西脇市と言っても加古川を境に東側と西側で雰囲気が全く違っている、今走っているのはその東側となる地域、やがて国道175号線が寄り添ってきてそこを越えると西脇市も終わりとなる。子午線巡りの旅の記録は残りもう1回、この後は加東市、小野市を抜けて三木市へ、この辺りでは高低差の繰り返しでかなり苦しめられました、その記録については次回でのお送りと言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2228 滋賀の旅2025年1月編(1)

2025-03-23 19:09:24 | 旅行記
よろしくお願いします。




















JR長浜駅を下りると目の前に雪を被った伊吹山がくっきり、ここまでは相棒君はなしで単独でやって来ました。昨年の10月に長浜方面を走った時に市の中心部は時間がなくてスルー、今度来るときはゆっくり巡ると言うことで相棒君なしでやって来ました、ここでは時間までゆっくりジックリ町を巡って行こうと思います。時間、と言うのはこの日はドクターイエローの運転日、米原駅で見ようと思っているのでそれに合わせての行動となります、時間的には2時間ほど、ゆっくり巡れることだと思います。
駅前から伸びる道を進んで行くと左手側にあるのがレトロ風なビルの上に鉄塔が乗っかている、その鉄塔には長浜タワーと掲げられている。初めて長浜に来た時からもう随分経つが、その長い間もずっ~とあるがまさに謎多き建物、なぜこんな所にこんなチープなタワーが?とここに来るといつも思っていました・・・ってことで調べてみると↓↓↓

「1964年(昭和39年)に、地元の資産家が「長浜にも東京タワーのような名物を作りたい」という意向で建設。ビルは5階建てで、その上部に「長浜タワー」と文字の入った鉄塔が立つ(なおこの鉄塔はただの飾りで、東京タワーのような電波の送受信といった機能は一切ない)。」

とのこと、タワーには何の意味がないとは・・・。横断歩道を渡って北国街道へと入る、いつもは自転車で走る所だがそうなるとゆっくり見て回れない、今回は歩きなのでゆっくりと町並を見て進んで行きます。














北国街道は黒壁スクエアを中心として賑やかな雰囲気が続く町並、長浜はその道を中心として他にも商店街や旧街道が碁盤の目状に張り巡らされている。方向を変えて東へと歩いて行くと大きな山門を構える寺院へとたどり着く、長浜別院大通寺と言う名の寺院で前にこの前を通り過ぎた時は大変な賑わいだった。今は冬の真っ最中で寒いこととまだ午前中で境内は静か、まあ自分(一人称)が訪れるにはこれくらいがちょうどいいですわ。山門を抜けて参道を歩き、その後も市の中心部を碁盤の目状に展開している道を右へ左へ、何も考えないで見えたものに興味があったらそちらへと気ままに足を進めて行く。風情のある建物、懐かしさを感じる看板、ガラス越しに見えているアンティークな小物など、時代が昭和に戻ったかのような感覚で町をうろうろと歩きます。さて、これだけ気ままにゆっくりと歩を進めても時間はまだまだあります、と言うことで今度は駅前から伸びるバス通りの南側へと行ってみることとします、写真は3番目のゾーンに続きますがこの日の記録はここまで、後は次回へと続きます。
















センバツは今日で1回戦が終わり2回戦へ、何か今年はすんなりと進む試合が多いですね、逆転劇があまりないような、と思って調べてみると今年初めての逆転劇は・・・何や、あっこかえ、もうええわ、この話は終わり。さて、実はただいま相棒君が不具合を起こしてしまって入院中、通勤に困る話をすると代車を貸してもらいました。これまでは20インチの自転車での通勤でしたが26インチとなるとやっぱり早いですね、これは便利やな~、と思ってしまって一念発起、通勤用の自転車を買ってしまいました。いわゆるシティサイクル車でチョイ奈良にもちょうどいい感じ、昨日(22日)が納車だったので今日早速足を慣らせるために走って来ました。明日からは通勤で使うのですが、だからと言ってこれまでの相棒君を邪険にするわけじゃありませんよ、帰ってきたらまだまだ彼にはいろいろと頑張ってもらおうと思っています、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2226 気ままに乗り継ぎ、歩き旅・大阪編(2)

2025-03-18 08:00:25 | 旅行記
よろしくお願いします。











【大浜公園 標高=6.96 m 一等三角点】







大阪、主に堺方面を気ままに乗り継ぎ&歩きでの巡り、泉北から三国ヶ丘へ、世界遺産の仁徳陵を徒歩で巡りその後はバスで南海堺駅へと向かいました。あれだけテレビで路線バス乗り継ぎの旅を見ていても、前に三重で自分(一人称)が乗るとなると久しぶりで緊張してしまった、優先席に座ってしまいましたからね。この日はもう何度目かのこともあっててんぱることはなかったが、行先だけを確認して乗ったためにすんなり行くと思ったがあちらこちらを遠回りして堺駅の少し離れた場所に到着した。ここからは歩いて大浜公園へ、ここでの目的は三角点巡り、以前も取り上げたことがある蘇鉄山に登ります、と言っても頂上まではほんの数歩、ものの数秒でたどり着きます。頂上には一等三角点の標石と表示がある、正真正銘ここが山の頂上、一等三角点のある山では日本一低い山だと言うことだが各地で日本一低い山を名乗っているところがあって、そんなに日本一になりたいのか、2番目ではダメ・・・だよな~、ましてや3番目となると以ての外・・・。



















旧堺灯台はもう何度も取り上げたことがある所、そこから阪神高速湾岸線の下をくぐると見えてくるのが頭の上に竜を載せた女の人の像、その向かいにはちょんまげの侍の像、更に南海本線の高架下をくぐって橋の途中には外国人の像、「橋上ポルト之介」との名前が付いている。これらの像については『newsおかえり』のNDYのコーナーで取り上げられていて、女の人の像は竜の守り神とのこと、それに向かい合う侍とは全く関係ないとのこと。ポルト之介については堺が外国と関係が深いから・・・と言うことは全く関係なく、この像が橋に手と足をかけていると言うことから欄干の一部とされていて、この人が誰かとか何かのモデルかと言うのは全然ないとのことです。さて、堺市とはこれでお別れ、この後は南海本線で住ノ江駅へ、そこから徒歩で阪堺線への駅へと向かいそこからは阪堺電車、一気に終点終点の恵美須町駅へとたどり着きます。












帰りはJR鶴橋駅から大和路快速を大阪駅経由でゆっくり帰ると決めているので、そこまではもちろん歩きで進んで行きます。高速の下のちょっと雑然な場所を抜けて松屋町筋、この道の東側は台地となっていて細く迷路のように入り組んだ道へと入り込むと急な坂が現れる。その坂道には愛染坂と言う名が付いている、この急坂を上った所にあるのが愛染堂勝鬘院、「愛染さん」でお馴染みの寺院とのことだが自分(一人称)は全く知らなかった。ここでの目的は重要文化財巡りと三角点巡り、三角点の方はまた別枠でお送りすることになると思います、でもこんな町の真ん中に立派な多宝塔がある寺院、ホント知らなかったなあ~。この辺り生玉地区から谷町筋にかけては寺院が多く大阪の町中ではちょっと異世界と言った感じ、まあ夜には来たくない所ですね、ここを抜けてJR鶴橋駅へ、時間繰りもちょうどよく電車もゆったり座って帰ることができました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち


No.2225 2025年新春浜松の旅(2)・・・更に姫街道を進む

2025-03-16 23:33:30 | 旅行記
よろしくお願いします。



















さて、大変なことになっております、鳥の大群が駅を襲撃!!浜名湖に接した少しカーブになった所にあるホームの上を鳴き声をあげながら飛び交っています。狭いホームの上、たくさんの人があちらこちらに逃げ惑っていま・・・せん、みんな何か楽しそうで中には頭の上に鳥が止まっている人もいます、世界が鳥に支配されそうなのでこの場所から脱出することとしましょう。そんなわけで正月2日の浜松の旅は今回が2回目、豊川からスタートした走りは峠を越えて静岡県に入り、浜名湖と天竜浜名湖鉄道線に沿う国道362号線を進んでいます。この道は2019年の天浜線各駅巡りで走ったことがある道、その時の記憶もまだまだ鮮明に残っているので幾度とある峠越えも難なく過ぎて行くことができます。峠を下りると右手側には陽光がきらめく浜名湖、年末は寒さに見舞われていたがこの日は左程寒くもなく降り注ぐ日差しに走りのテンションも高くなってきます、さあ、更に先へと進んで行ってみましょう。
















たどり着いたのは天浜線の気賀駅、駅舎やホームに赤が目立つのは井伊の赤備えに因んでか。この地が舞台となった大河では『おんな城主直虎』を思い出すが今回は一昨年の旅で巡りそびれた『どうする家康』に因んだ所を巡る旅、まずその一歩目となるのがこの気賀駅と言ったところでしょうか。でも自分(一人称)が興味をひかれるのはこの駅の駅舎とホームが登録有形文化財と言うこと、でもその県は2019年の旅で取り上げているので今回はもう今更でしょう。駅を後にして再び国道へ、この辺りは交通の要所らしく道は狭いのに車やバスの行き来が多い、すぐにその要所の拠点ともなりそうな5本の道が分かれる交差点へとたどり着く。前に走った国道362号線は直角に曲がった方向、今回進むべく道は姫街道となる県道261号線、浜名湖の支流が注ぐ所にある橋を渡って坂を上って行くといよいよ2023年に走った姫街道の風景へと差し掛かります。














大河ドラマ『どうする家康』の第17回「三方ヶ原合戦」では、城から武田軍の動きを見て出陣した徳川軍だったが次のシーンではその軍が惨敗していて次回に続く、その回の放送が前回自分(一人称)が浜松を旅した次の週だった。家康の軍は勢い勇んでこの姫街道を進み、ボロボロに情けない顔つきでこの道を帰って来たと言うことか。その途中で家康が小豆餅を食い逃げして老婆が追いかけてきて代金を払わせたと言う話があって・・・ただこの話には出典が明確ではなく作り話だそうだとか・・・、その逸話が上の写真の中にあるバス停名に名残を馳せている。さて、豊川からここまでずっ~と姫街道を走って来たが、このまま真っ直ぐ進むと浜松市の中心部へ、しかし今回はそちらへは向かわずこの日初めて姫街道から外れて舘山寺街道へと入ります。でも向かうのは舘山寺ではなく浜名湖でもない別の湖、旅もいよいよ終盤戦、次回へと続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち