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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1517 Go To 堺(4)・・・旧堺灯台

2021-02-24 08:46:19 | ふうけい
よろしくお願いします。





















堺へと走った記録も今回で4回目、浜寺公園から大浜公園へと至り前回は万葉歌碑がある蘇鉄山へとやって来ました。公園沿いを走る阪神国道の下には遊歩道があり、そこを先の方へと進んで行くと海側へと出て旧堺灯台へとたどり着く、堺に来たらここに来るのももうお約束みたいなもの、そう言えばこの走りで海を見るのもここが初めてやなあ。旧堺灯台は海に立つ灯台、とは言っても元は大浜公園内の目立たない所、高速の下の薄暗いぬかるんだ所にあったのをこの場所に移転したとのこと、今は自転車ですぐに見に行けるようになっている。前にここに夕日の写真を撮りに来たこともあったなあ、まあ海と言っても内海で工場の風景に囲まれてあまり風情のある眺めではないんですけどね。もうここには何度も来ているので灯台にはさほど新鮮味を感じることもない、と言うことで遊歩道となっている堤防を進んで南海堺駅方面へと進んで行く、目の前には大きな水門が見えている、前は特に何も思わなかった施設も今は興味の対象となっている、ちょっと見てみることとしよう。















堺市の中心部を流れる水路は堺駅の横にある川からこの水門を経て海へと注がれていく、水門前から国道26号線、南海本線の高架の下を通り抜けると堺駅前に架かる橋へとたどり着く。「なんばんばし」と書かれたその橋には堺の町を見つめるマントの男性の像が立っている、これは誰なんでしょうかねえ・・・と思って調べたのですがよく分かりません、特に有名人だとかそういったモデルはいなさそうな感じです。
















そろそろ帰りの時間が迫ってきた、11月の末なので夕暮れも早くこれは途中から輪行になりそうやな~、などと思いながらも久しぶりの堺なのでいつもの場所で電車の写真だけは撮っておこうと思い、大和川へと向かう。以前、川に架かる橋から南海電車の写真を撮ったことがあったが、今回は違った場所から撮りたいと思い、川沿いの鉄橋に一番近い所で電車を待ち構えることにする、まあ場所を変えても大して変わり映えしないの写真、へたっぴな写真ばかりなんですけど。南海本線は特急、急行、普通が規則正しいダイヤで走るし、堺駅では待避もあるので本数は多いが来ないときは結構間隔が空く時間もある。冬の夕暮れ時、川のそばで頭上には高速も通っていて風がきつくて寒くて仕方ない、電車が来る目印は対岸にある踏切の音、それを合図にカメラを構えていると鉄橋を電車が走り過ぎていく、ただどれも見慣れた汎用車両ばかり。だいたい15分くらいいれば『ラピート』が見れるはずなんだが、それ以上待っていても1本もやってこない、とりあえず『サザン』を撮ることができたので、それを潮に引き上げることにした。後で調べてみたところ『ラピート』は感染症禍のこともあって昼間時は運休となっているらしい、久しぶりに青い車体の雄姿を見たかったのだが今回は空振りに終わってしまった。ちょっとむなしい気持ちで堺を後にすることに、帰りは大和川に沿う自転車道を夕陽を背に走ることにするのだが、これは確実に途中で暗くなってしまいそう、とりあえず輪行のことも考えながら大和川を走って行くこととしよう。その記録についてはこの項の最終回として次回のお伝えとして、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち


No.1513 Go To 堺(3)・・・ 蘇鉄山

2021-02-15 09:29:16 | ふうけい
よろしくお願いします。



















Go To 堺編、前回は浜寺公園内を走り回りました、休日の午後と言うことでたくさんの人が公園へと繰り出していました、まあこれが本来の・・・と言うかまだまだ外出を控えている人は多いのでしょうか、この時は感染症禍の第3波がヒタヒタと近づいてきていた頃でした。公園を出て信号を渡ると半壊電車の浜寺駅前駅、駅なのに駅前って言う駅名も何かおかしい気もする、そろそろ改名してもいいのかも。そこからすぐの所にあるのが南海本線の浜寺公園駅、高架化のために今は簡易的な駅舎になってしまっているが、それまで象徴的にあった駅舎は今までと同じ位置でカフェとして保存されている。国の登録有形文化財だから無下に処分するわけには行かないのだろうし、まあその姿のままで残されるのはいいことだろう、でも時代は重厚長大をどんどん横へと追いやって行ってしまう、それが世の流れなんでしょうねえ。
浜寺公園駅を後にして堺方面へと向かう、ここは阪堺電車が近い所を通る紀州街道を進んで行くことにしよう。南海諏訪ノ森駅も高架化によって登録有形文化財の駅舎はお役御免となってしまった、ここも別用途で保存されることが決まっているのでまずは一安心と言ったところ。賑やかな商店街を抜けるとやがて石津川に架かる橋を渡る、その橋の一角にあるのが写真にはありませんが北畠顕家公の墓。北畠顕家はここで亡くなったとのことですが、日曜日の早朝にやっている大河の再放送『太平記』では、その役を演じていたのが後藤久美子だった、まさか女性だった・・・ってことはないよなあ。













紀州街道は御陵前交差点で大道筋へと合流する、ここからは阪堺電車とのお付き合いで堺市の中心地へと差し掛かって行く。道に入ってすぐの所にあるのが御陵前駅、まあ位置的にこの場合の御陵と言うのは仁徳天皇陵のことになるのだろうが、その場所はここから少し離れた小高い場所にあるので、知らない人が駅名に釣られてここで降りたら、歩いて行くには少々骨が折れそうなところ。昔はこの辺りも海だったと言うことで、ここからは仁徳陵が小高い山のように見えたと言う話を聞いたことがある、今は住宅ができビルができ、高速ができ鉄道もできて仁徳陵の緑は影も見えない。大道筋をそのまま北へと進んで行くと宿院駅、大きな道路が交わる所は宿院交差点で、信号の脇には大きな常夜灯が立っている。この道がフェニックス通りで、この先にある高速の向こうからは国道310号線となって河内長野方面へと伸びている、いわば高野山への分岐点と言った所か。そちらへは行かずにこの交差点を左へと曲がると南海本線堺駅の南側、大きな駅の横の高架下を過ぎると国道26号線が折れる大浜北町交差点。信号を渡って少しだけ行くと大浜公園の入口へとたどり着く、ここが次の目的地、探し物は万葉歌碑だがそれがあるのは山の頂上、さあ、ここからは登山です。


















登山口前に相棒君を止めて、いざ、目指すべく頂上を目指して山登りの始まり始まり~、で1分も経たないうちに頂上に到着ぅ~。山の斜面にある階段を10段ほど歩くだけで頂上へとたどり着くこの山は、日本では2番目に低いとされている蘇鉄山、三角点があるのでれっきとした頂上のある山と認められている。万葉歌碑もすぐに見つけることができた、これでやっとまとめることもできそうやな~、と思いながらその形をここで公開させてもらったのが前にお伝えした万葉歌碑巡り阪神編でした。山を下りて相棒君で公園内を巡る、ここも休日の午後の穏やかな時間を楽しんでいる人が多い、しかし日が暮れる時間はもうすぐそこまで迫ってきている、残された時間でもう少しだけ久しぶりの堺の町を楽しんで行くこととしよう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち



No.1509 天理市の川巡り(14)・・・菩提仙川、その2

2021-02-09 10:46:40 | ふうけい
よろしくお願いします。



















天理市の一番北を流れる菩提仙川を上流に向けて巡った記録をお送りしています。前回は佐保川との合流点からと言うことでほとんどが大和郡山市域での巡りとなりました、今回はやっと天理市に入った所から始めて行きたいと思います。菩提仙川は大和郡山市の一番東にある集落を過ぎて天理市を通る県道51号線を越える、この道は国道169号線のバイパスとして造られたもの、まだ大きくなる前の高井病院・・・ここって上沼恵美子の物まねをする女性漫才師の人が看護師として勤めていて、今も籍を置いているらしい、この前初めて知りました・・・や添上高校の前を通っていて、奈良駅から天理駅までこの道経由で通るバスも設定されたが、今は平日の下り1本だけとなってしまっている。JR万葉まほろば線の踏切を渡ると昔自分(一人称)が住んでいた所、この集落を通っているのが上ツ道だが当時はそんなことなど知る由もなく、毎日通学路として歩いていました。川は緩やかな蛇行を繰り返して集落を横断して国道169号線が通る町へと差し掛かって行く。














国道169号線にある森本バス停はかなり以前、奈良と天理を結ぶバス路線巡りでお伝えしたことがありました。自分(一人称)にとってはこのバス停が奈良、天理への玄関口となった所、昔は10分おき、1時間に6本の運転で一部は天理、桜井、更に大宇陀を終えて菟田野町まで運転されるバスもあった。この地を離れてもう25年以上になるが、今は本数も少なくなり昼間は天理よろづ病院経由になっている、やはり時代の流れはいろいろと変えてしまうんやな~。国道を越えると菩提仙川は昼間でも薄暗い森の中へと差し掛かって行く、背の高い木々に囲まれた所には神社の祠や碑があって薄気味悪いくらい、川を撮ろうと森の中へと入ると真正面に鳥居が見えて背筋がゾクッとしてしまった。



















森の中を抜けると東に延びる道へと入り、田園風景の中を進んで中ノ庄の集落へと入る。自分(一人称)が通っていた小学校、中学校の校区では一番端に当たる場所で子供の頃は滅多に行くこともない所だったが、皮肉なことに天理を離れてからはよく自転車で通ることが多くなった。よくある環濠集落と同じ、よそ者を受け付けないどことなく近寄りがたい、足を踏み入れることが申し訳なく思ってしまうくらいに民家が密集していて、狭い道が狭い範囲に迷路のようになっている。川は集落の一番奥を流れているが、架かっている橋の向こうは畦道になっていて自転車ではもう先へは進めない。ここは川から離れてしまうが一番近くの県道へと出る、この道もここでは何度か取り上げたことがあります、奈良市、天理市の東部にある山奥へと向かう寂しい道だと思っていたのですが、名阪国道と奈良市内を天理ICを経由しないでショートカットするバイパスの役割を担っているとのことでした。中ノ庄の集落を抜けると奈良市に入って高樋町、再び出会った菩提仙川はここからがいよいよ上流部分、ここでも何度かお伝えしたことがある正暦寺へと向かって行きます。病み上がりの体で急坂を上るのはちょっと怖い気もするのですが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち



No.1504 Go To 堺(2)・・・初来訪、浜寺公園

2021-01-29 10:46:47 | ふうけい
よろしくお願いします。
















きままな走りのGoToシリーズ、11月の末に堺方面へと行ってきた記録をお送りしていきます。前回は堺市に入って南海初芝駅付近、太陽の道に関する地名の場所を巡りました、今回は2回目、南海中百舌鳥駅からときはま線へと入ってJR津久野駅の近くまでやって来ました。JR阪和線を越えて更に進んで行くと南海本線、阪堺線の踏切を過ぎると浜寺公園へとたどり着く、横断歩道を渡り公園の北側を通る道へと入ると写真2枚目~4枚目にある橋へとたどり着く。橋の向こうには工場群、紅白の鉄塔や煙突が何本も立っているのが見えている、工場群萌えする人にはいい景色何だろうが自分(一人称)はあまりこの風景は好きではない、何かブリキの鉄人が襲い掛かってくるイメージがあって怖くさえ感じてしまう。ここは橋を渡らずに内海沿いにある公園内の松並木の道へと入って行く、実は浜寺公園に来るのは初めての未知の場所、どんな所か行ってみることとしましょう。



















しばらく真っ直ぐ走っていると小さな蒸気機関車が停まっている駅が見えた、公園内を走るミニ路線らしい、今度はその線路を追って更に先へと進んで行く。たどり着いたのは公園の一番南の場所にある交通遊園駅、そこが路線の終点で、さっきの駅で見た蒸気機関車が先回りして停まっていた。ここに来るまではひっそりとしていた公園だったが、この駅がある辺りはたくさんの家族連れの姿があって賑やか、寒い日だったがやっと休日を感じる光景に出会ったようだった。駅の入口には南海の空港特急ラピートが無残にも輪切りにされた姿で飾られている、昔は難波駅のホームで働いていて当たり前のように見ていた車両だったが、離れた今となってこうやって改めて見てみると威圧感のある車両だな~。帰りは久しぶりに大和川に行って南海電車の写真を撮ることにしようか、久しぶりに走っているラピートも見たいことだし、とこの時は思っていたのですが・・・。走っていた時に線路の内側に蒸気機関車の姿が見えたので、駅の跨線橋を渡って中にある公園へと行ってみる、そこにはD-51と呼ばれる蒸気機関車と阪堺線の古い車両が置かれていた。おやおや、デゴイチの先頭に掲げられているプレートには「無限」の2文字、これって何か意図あって掲げられたんかな・・・、もう至る所から映画を見に行きなさいと誘いをかけられているような気分になってきた。

















公園内の中央部を通る道を進んで行くとたくさんの人が休日の午後を楽しんでいた、さっきまでは人の姿もちらほらとしか見かけなかったが、これが本来の公園の光景と言った感じ。森の中を抜けて公園の入口に近いバラ園へとたどり着いた、さっきの交通遊園駅からかなり長い距離を走った気がしたがそれもそのはず、後で地図で確認すると南北に長いこの公園は南海本線の浜寺公園駅~羽衣駅の距離よりも長い。そんなわけで公園内を一通り巡ったわけですが、実はここでの目的は万葉歌碑探し、たった一つしかない歌碑をこれだけ広い公園内で探し当てるのは本当に骨が折れる。まあ一般的にはどこに何があるかと案内板が示してくれていたりするわけだが、ここの案内板は古ぼけていて地図も文字もはげかかっていた、こうなると自分の力で探し当てるしかない。その目的については上の写真にもあるように、一応達成することができました、公園巡りもあってちょっと時間がかかってしまったが、さて、次の目的地へ向かうこととしよう・・・とその前に、久しぶりにここに来たのだからあの登録有形文化財の建物を訪ねて行くこととしましょうか。その模様については次回に続くと言うことで、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち


No.1500 巨椋池(1)

2021-01-25 09:30:52 | ふうけい
よろしくお願いします。



















京都での走りを終えての帰り道、ここまでは京都駅から油小路通を南へと走って来ました。近鉄京都線の上鳥羽口駅を過ぎた所で鴨川を渡ると、左手側前方に地下鉄竹田駅の車庫が見えたのでちょっと立ち止まって写真撮影、この時の写真は以前にここで載せたことがありました。この橋を渡ると伏見区へ、向こうの山の上には伏見桃山城が見えている、しかし奈良への帰り道となると国道24号線に出るか八幡へ出るか、どちらにしてもこのまま真っ直ぐは進めない。と思いながら進んで下三栖交差点までやって来た、ここでどちらかに曲がらなければならない・・・と前方を見ると宇治川を渡る高架線に自転車が走ることができる歩道がある。ここからは未知の道となるが宇治川を渡るとまあ何とかなるだろう、行ってみることとしましょう。














緑に囲まれた水の流れを越えるとまるで空の上から見ているみたいな感じで、左手側前方にはまっ平な場所に田畑が敷き詰められたように並べられた風景が見えてくる。やがて歩道は地上に下りてしばらくは左手側を通る第二京阪の高架道に沿って走ることになる、走ったのは秋も真っ最中の頃、時間は夕方に差し掛かった頃でまだ太陽は空に浮かんでいるが、陽光は高架橋に邪魔されて差し込んでこないのが恨めしい。しばらく田園風景の中にはあまりにも不釣り合いな感じの高速沿いの歩道を進んでいると前方に巨椋池ICの表示が見えてきた、「巨椋池」は聞き慣れた地名だがイマイチその実体が分からない、見渡すばかりの田園風景にはそのような池は見当たらない。


数回前の項で京都での走りで疏水巡りをお送りしたばかりですが、その時にチラッとだけ名前を出したのが巨椋池でした。ケガで仕事を休んでいる時に夕方の関西ローカルの情報番組を見ていると、「なぜJR奈良線は宇治市で大きく東に迂回しているのか?」と言う疑問を解明するコーナーがあって、その時にこの池の名前が出ていました。もっと以前には『ブラタモリ』で伏見の特集の時にも桃山城の天守からこの巨椋池を臨んでいた、という話もあったことで、何かと気になる池の名前でした。さぞかし大きな池と言うことになるのですが、地図を見ても分かるようにそんな大きな池はどこにも見当たりません。



















wikiを見ると巨椋池は昭和の初期に埋め立てられたと言うことで、地図を見ると北側の宇治川と東側の近鉄京都線、西側の国道1号線に囲まれた部分は、まるで空白の地帯のように道がカクカクとなって区画されたかのようになっている、この辺りが池の跡になっているのだろう。場所は久御山町に差し掛かった辺り、実際に見た風景が上の写真にある田園風景と言うことになる、街の中心部はここからまだ少し離れている。ほとんど走ったことがない所なのでこのまま前を進んで行くとどこにたどり着くのか不安になってくる、どこかで曲がらなければとんでもない所へ行ってしまいそう。地図を見ると大久保へと行ける道があるので、そこで軌道修正することとしよう、でも京都からの帰りには使えそうな道だと言うことは分かった、今後またこの道を利用することがあるだろう。それにしても気になったのが「巨椋池」、興味をひかれたからにはいろいろと痕跡を見つけてみたくなってしまうのは僕の悪い癖、と言うことで次回はこの巨椋池を地上から探ってみることとしましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち