よろしくお願いします。













今回は夏に生駒方面をチョイ走りした記録をお送りしようと思います。走ったのは8月16日、前のパソコンが死んでしまって2日後のこと、甲子園は中止が相次いだのですがこの日は試合が行われました、まあ甲子園が雨に呪われるのはこの次の日からでしたが。あ、甲子園と言うと智辯学園の来年のセンバツ出場が絶望となりました、近畿大会で東洋大姫路に完封負け、何か夏からのタイムリー欠乏症がいまだに尾を引いているかのようです。いつもより長く、最後まで甲子園にいたことで新チーム作りが遅れたのでしょうか、そう言えば智辯和歌山も県大会で消えましたからね、勢いで頂点を目指す夏に比べると、春の頂点は夏の終わりから始まるとてつもなく長い道のりです、あとは天理だけが頼りかあ・・・天理なあ・・・。さて、話は最初から逸れまくっていますが、走りの記録は生駒の中心部から南へ少し離れた所にある往馬大社から、正式には「往馬坐伊古麻都比古神社」と言う神社名で、市名の「生駒」はこの神社の名前から来ているとのことです。その後は国道168号線を南へ進んで近鉄南生駒駅前から暗峠越え奈良街道へ、さすがに自転車で上まで行くのはヘタレな自分(一人称)には至難の業・・・と言っても一度暗峠まで上ったことはありましたが・・・なので、今回はほんのチョイかみ程度で引き返すことにしておきました。










その後は国道168号線の旧道を竜田川に沿って進んで行く。生駒山ろくの裾野を進んで行くということで、竜田川もまさに渓谷の中の急流と言った感じで、ゴツゴツとした岩に水がぶつかりながらカーブを繰り返しながらの流れとなっている。さて、そろそろ生駒市ともお別れ、最初の方で高校野球の話をしましたが、実は奈良県内にある市の中で高校野球、サッカー、ラグビーの全国大会に出場していないのは、平成以降にできた葛城市、宇陀市を除くと生駒市からは出ていない。今年の秋季奈良大会では生駒市にある奈良北がベスト4、もし県内で21世紀枠に推薦されてセンバツに選ばれると生駒市から初めての甲子園出場となるが、どうだろうねえ~。準決勝では智辯学園を苦しめただけに甲子園で見てみたい気もするのですが・・・、奈良県から21世紀枠はいまだに一校も選ばれてないですからね、高野連も何の恨みがあるかわかんないけど。












そんなわけで生駒市とお別れして平群町へと入りました、結構難読地名で「heguri」と読みます。近鉄元山上口駅を過ぎて国道を通らず山側の道を進んで行くと展望が開け、菊が栽培されている畑が山の裾に広がってくる。竜田川も山を抜けると整備された堤防に挟まれて悠々と穏やかな流れへと変わっている、その脇を遊歩道が通っているのでそこを進んで平群町の中心部へと差し掛かって行く。平群はあまり行くことがない町で開発された住宅地のイメージが強かったが、古墳も結構多く町中の至る所でその中でも代表格に当たる長屋王墓への道標を見かける。その道標に従って進んで行くと、近鉄生駒線の踏切を越えて住宅地の奥に控えているのが吉備内親王墓、そして更に先へと進むと長屋王墓へとたどり着く。何気ない住宅地の中に夫婦の墓が並んでいる、政変の悲劇に巻き込まれたわけだから、今は普通の住宅地で静かに暮らしてくださいと言ったところか。
生駒山のふもとにある小さな町はこれまであまり取り上げることはなかったが、昨年歩きで訪れた信貴山も平群町に属している。毎日仕事に行くときに通る大和郡山市にある神社の入口に由緒の看板があって、そこには昔の郡山は平群郡に属していたと記されている、「平群」とはこの地を治めていた豪族の平群氏に由来していて、平群郡と言う地名は奈良時代からあったとされている。奈良県内にはいろいろと由緒のある地名が多いので、またそれをテーマに巡るのも面白いかも知れません、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち













今回は夏に生駒方面をチョイ走りした記録をお送りしようと思います。走ったのは8月16日、前のパソコンが死んでしまって2日後のこと、甲子園は中止が相次いだのですがこの日は試合が行われました、まあ甲子園が雨に呪われるのはこの次の日からでしたが。あ、甲子園と言うと智辯学園の来年のセンバツ出場が絶望となりました、近畿大会で東洋大姫路に完封負け、何か夏からのタイムリー欠乏症がいまだに尾を引いているかのようです。いつもより長く、最後まで甲子園にいたことで新チーム作りが遅れたのでしょうか、そう言えば智辯和歌山も県大会で消えましたからね、勢いで頂点を目指す夏に比べると、春の頂点は夏の終わりから始まるとてつもなく長い道のりです、あとは天理だけが頼りかあ・・・天理なあ・・・。さて、話は最初から逸れまくっていますが、走りの記録は生駒の中心部から南へ少し離れた所にある往馬大社から、正式には「往馬坐伊古麻都比古神社」と言う神社名で、市名の「生駒」はこの神社の名前から来ているとのことです。その後は国道168号線を南へ進んで近鉄南生駒駅前から暗峠越え奈良街道へ、さすがに自転車で上まで行くのはヘタレな自分(一人称)には至難の業・・・と言っても一度暗峠まで上ったことはありましたが・・・なので、今回はほんのチョイかみ程度で引き返すことにしておきました。










その後は国道168号線の旧道を竜田川に沿って進んで行く。生駒山ろくの裾野を進んで行くということで、竜田川もまさに渓谷の中の急流と言った感じで、ゴツゴツとした岩に水がぶつかりながらカーブを繰り返しながらの流れとなっている。さて、そろそろ生駒市ともお別れ、最初の方で高校野球の話をしましたが、実は奈良県内にある市の中で高校野球、サッカー、ラグビーの全国大会に出場していないのは、平成以降にできた葛城市、宇陀市を除くと生駒市からは出ていない。今年の秋季奈良大会では生駒市にある奈良北がベスト4、もし県内で21世紀枠に推薦されてセンバツに選ばれると生駒市から初めての甲子園出場となるが、どうだろうねえ~。準決勝では智辯学園を苦しめただけに甲子園で見てみたい気もするのですが・・・、奈良県から21世紀枠はいまだに一校も選ばれてないですからね、高野連も何の恨みがあるかわかんないけど。












そんなわけで生駒市とお別れして平群町へと入りました、結構難読地名で「heguri」と読みます。近鉄元山上口駅を過ぎて国道を通らず山側の道を進んで行くと展望が開け、菊が栽培されている畑が山の裾に広がってくる。竜田川も山を抜けると整備された堤防に挟まれて悠々と穏やかな流れへと変わっている、その脇を遊歩道が通っているのでそこを進んで平群町の中心部へと差し掛かって行く。平群はあまり行くことがない町で開発された住宅地のイメージが強かったが、古墳も結構多く町中の至る所でその中でも代表格に当たる長屋王墓への道標を見かける。その道標に従って進んで行くと、近鉄生駒線の踏切を越えて住宅地の奥に控えているのが吉備内親王墓、そして更に先へと進むと長屋王墓へとたどり着く。何気ない住宅地の中に夫婦の墓が並んでいる、政変の悲劇に巻き込まれたわけだから、今は普通の住宅地で静かに暮らしてくださいと言ったところか。
生駒山のふもとにある小さな町はこれまであまり取り上げることはなかったが、昨年歩きで訪れた信貴山も平群町に属している。毎日仕事に行くときに通る大和郡山市にある神社の入口に由緒の看板があって、そこには昔の郡山は平群郡に属していたと記されている、「平群」とはこの地を治めていた豪族の平群氏に由来していて、平群郡と言う地名は奈良時代からあったとされている。奈良県内にはいろいろと由緒のある地名が多いので、またそれをテーマに巡るのも面白いかも知れません、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち