我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「続:我が家の青空」

2014年01月31日 | 日記

 我が家の愛犬の死に際し
コメントやお電話を頂きました

皆さん、ありとうございます。

キャッシュも
喜んでくれています。
 

昨夜、ジーナからも、
心のこもったコメントをいただきました。

それで、ジーナのコメントの“お返し”を
今日の日記とすることにしました

ジーナ、コメントと合掌を
ありがとうございます。
 

私の日記の、右のブック・マークに
「 ♪ 愛犬に捧ぐ ♪ 」
というのがあります。

この曲は、
ジェリー・ジェフ・ウォーカー という名の

アメリカのシンガー&ソング・ライターが書いた、
酒の好きな
老いた旅芸人の歌です。

亡くなった
サミー・デービス・Jr の持ち歌でもある、

老いた旅芸人を歌った名曲
「ミスター・ボージャングルス 」
です。

私は、
今まで私と一緒に暮らしてくれた
愛犬を想い、感謝と愛おしさを込めて、
タイトルの通りに 
「愛犬に捧ぐ」としました。

もちろん、私の大好きな曲です。


この歌の中に、こんな内容の
一節があります。
 

南部中の祭りを旅芸人として回ってきた
ボージャングル爺さんには
15年間、旅回りの暮らしを
一緒にしてきた犬がいました。

その犬は、ある日亡くなってしまいました。

留置場の仲間たちにおじさんは
涙ながらに語ります。

その犬が死んで20年もたった今でも
愛する犬が死んで
悲しいことを。

 

不慮の事故で愛犬をなくしたジーナも、
ごん子さんのママも、

犬のみならず
、愛するペットを亡くしたお方なら

ボージャングル爺さんの気持ちは
ご理解いただけることと存じます。

 

ところで私は、さしずめ、
「春日村の ボージャングル爺さん」
といったところですが、

その、
「春日村の ボージャングル爺さん」 

いたって元気です!

今日も「我が家の青空」です。

ありがとうございました。

心から。

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「我が家の青空」

2014年01月29日 | 日記

愛犬キャッシュを亡くしたことについて、
もう、書かないつもりでいた。

“つもりだったのに、
キャッシュの死から気付かされたものがあり、
「別れ」と言うものについて
書き残したいことを記すことにした。

今日、荼毘に付された
キャッシュが
“つもりだった私の心を動かした。


一昨日、
「代筆:ママへ」を書きながら、
私は何度も泣いた。

そして、書き終えた彼の手紙を
何度も読み返した。

読み返す内に、
彼と一緒だった13年間の、
日々の回想が次々に現れ、

止めどなく涙は溢れ出し、
文字はかすみ、
ついに読めなくなって、
涙をぬぐい、また読み返して、
また、涙をぬぐった。

周りで誰かが見ていたとしても、
その様が女々しかろうが見苦しかろうが、
沸々とわく感情を押し殺すことを
私は出来なかった。

泣きたい時には
臆面も無く泣けば良いし、
自分の死を悲しんでくれる
キャッシュだって喜ぶに違いない。


先週、リトルのお見舞いの方が
「金曜日に亡くなった」
の報せが、翌日土曜日に届いた。

その夜中に、愛犬キャッシュが
何度も泣き始めた。

様子がおかしいので、
日曜日の本葬をスージィーが行くことにして、
私一人、残ることにした。


キャッシュを看ながら、
特に異変も起こらず、
いつもと変わらぬキャッシュの様子に

胸をなでおろし、
外は天気も良く、

お昼になって、
春日公園へジョギングに
出掛けることにした。


早々に切り上げ帰宅し、
いつもの様に寝ている彼に

触る ・ ・ ・
と 
・ ・ ・反応がない。

帰宅までの約1時間半ほどの間に、
キャッシュは亡くなっていた。


愛するキャッシュの
眠るような死に顔に直面した時、

「嗚呼、やっぱりか ・ ・」

愛するキャッシュを亡くし、
無性に悲しい筈なのに、

なぜか、
涙を流すことはなかった。

心は悲痛な筈なのに、
自分で想像しない不思議な感覚だった。


ここ数日は食べることもせず、
ずっと寝たきりで、
日に日にやせ細って行く彼を見ながら、

「時の流れのまま、運命のあるがまま」

と覚悟していたし、

彼と私たちは13年間を、
大切に時間を過ごして、

毎日、愛し愛されて、

愛し愛された者にしか創れない
素晴らしい思い出を
沢山積み上げてきた。

たとえ何時、別れが訪れようが、
心には悔いひとつなく、
そんな覚悟を決めていたことが、

無性に悲しいのに落涙のない
不思議な感覚を呼び起こしたのではと
自覚する。


眠るような彼の顔をみて、
悲しさと同時に、

これで、苦しむこともなく、
永久の眠りに就くことができた

「良かったねっ、キャッシュ!

これで、苦しまずに眠れるねっ!

お疲れさん! 

ありがとうねっ、キャッシュ!」

そんな安堵の強い思いがあった。


葬儀が終わるころを見計らい

「何かあったら、電話してね」

伝言のスージィーに訃報を届けた。

スージィーは

「そうねぇ ・ ・ 」

寂しそうに一言漏らした。

電話の向こうで懸命に
嗚咽を堪えていた。

その今にも泣き出しそうな
震える声を聞いた途端、

私は初めて涙を流した。

キャッシュの傍に立ちすくんで、
頬を滑り落ちる大粒の涙が
テーブル・クロースに大きな染みを
いくつも作った。

そして、
急いで帰ってきたスージィーと、
まだ温かなキャッシュを囲み、
二人で泣いた。


人生には、
出会いもあれば別れもある。

それが人でも、愛玩する犬でも、
ハムスターでも、金魚でも、

できるものなら、別れが訪れないほうが好い。

しかし、命あるものはいつか必ず
死が待ち受ける。


「別れたければ、いつでも別れられる」

けれど、

「別れたくなくとも、別れなければならない」。


千利休の茶道に
「一期一会」と言う言葉がある。

「あなたとこうして出会っているこの時間は、
二度と巡っては来ないたった一度きりのもの。
だから、この一瞬を大切に思い、
今できる最高のおもてなしをしょう」


キャッシュの死から
気付かされたものがある。

一度きりの人生、

「愛して、愛されよう」。

別れたくなくとも、
別れなければならない時が訪れたとしても、

けして、後悔しないように。
 

雲一つない
今日の「我が家の青空」

 

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「代筆:ママへ」

2014年01月27日 | 日記

私は、2001年1月5日に生まれました。

生まれて間もなく、
私はスージィーとロバートの暮らす
この家に引き取られ、

「喜多里キャッシュ」と
名付けてもらいました。

私の幸せは、この家にやって来た
その日から始まりました。
 

私は、
「アメリカン・コッカー・スパニエル」
と言う犬種です。

私の主人のロバートは子供の時に、
リトルの町の「油屋」さんと言う金物屋さんに
飼われていた私と同じ犬種を見つけ、

初めて見たコッカーのあまりの可愛いらしさに
ロバートは一目で大好きになり、
学校帰りにいつも可愛がっていたらしく、

以来、犬の大好きなロバートが飼った犬は
すべて「コッカー」でした。

今まで我が家には
何匹ものコッカーが暮らしていて、
私の前が、最初のキャッシュ。
そして、同じ名前の私、そしてバンクです。

最初のキャッシュを、
2歳にもならないうちに
不慮の事故で亡くしたそうで、
ロバートはそのまま私に「キャッシュ」と
名付けてくれました。
 

街で私たちを見かけた人達が

「ワンちゃんのお名前は
なんと仰いますか?」

と尋ねられると、ロバートは
「待ってました」
とばかり、

「キャッシュとバンクです」と
自慢気に
答えます。

すると、たいていみんな笑いますが、

“笑われ者”の、ロバートも私たちも、
この名前が大好きです。


 二人は他にも、
もっと大好きな“もの”があります。

それは、二人のママのスージィーです。

どこのお家にいるママよりも、
スージィーが一番素敵なママです。

昼の間、スージィーはお仕事です。

毎朝、スージィーが出掛ける時
いつも私たちは寂しい思いをします。

駐車場に滑り込む車の音が聞こえるまで、
一日中、バンクと留守番です。


昼間、一緒に遊べないスージィーと
夜はいつも、ひとつの布団でお休みをします。

布団の中から勝手に外に出て、
また、入りたくなると、

私はスージィーの肩を
2、3度叩きます。
すると、スージィーは必ず
布団をめくって、私が入り易くしてくれます。

これを何度も繰り返します。

 優しいスージィーと温かな布団の中で
朝が訪れるまでの時間は、私にとって
かけがえのない、至福の時間です。 

私と大好きなスージィーと二人の
「幸せな幸せな時間」です。


その「幸せな幸せな時間」が
今朝、終わってしまいました。

昨夜、
冷たくなった私の体を
二人が挟んでくれて、いつものように
スージィーと一緒に朝を迎えました。

何度も何度も、二人が私の体をさすり、
何度も何度も、顔を除き込んでいたのを
私はちゃんと覚えています。

今朝は一緒に迎える最期の朝でした。

 

リビングの壁に、
最初のキャッシュと、猫のミータンの写真を
スージィーとロバートは貼っています。

その写真を二人
いつも 見ているのを、私は知っています。 

その壁に間もなく
私の写真が
加わることになってしまいました
 

だから、二人はけして、
最初のキャッシュやミータンのように
私のことを忘れることはありません。
 

私は、2001年、1月5日に生まれました。

生まれて間もなく、
私はスージィーとロバートの暮らす
この家に引き取られ、

「喜多里キャッシュ」と
名付けてもらいました。

私の幸せは、この家にやって来た
その日から始まりました。
 

私の心臓は、
2014年1月26日午後1時に
止まってしまいました
 

私の幸せは、この家にやって来た
その日から始まりましたが、

壁に張られた写真や
スージィーとロバートの心の中で、

 
私の幸せはこれからも永遠に続きます。
 

大好きなママ、スージィーへ
「お願いだから、泣かないで!」

生まれ変わったら、今度は私があなたを
抱っこしてあげる番が来ます。
どうか、その日が来るまで待ってて下さい!

私も楽しみに待っています。 

今日は、それまでの
「さようなら」です。

必ず、その夢を叶えましょう!
 

そして、

「いつも傍に居てくれて、ありがとう!」


それからロバートへ

字を書けない私の
ママへの気持ちを代筆してくれて
「ありがとう!」

お下がりだけど、
素敵な名前をつけてくれて、
「ありがとう!」

そして、もう一度、
大好きなママへ 

心から
本当に、ありがとう!

私は、あなたの子供で幸せです

永遠に」」 


ママの大好きな
ママも大好きな

喜多里キャッシュより。


 

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「消える」

2014年01月24日 | 日記

今日、読んだWebニュースの記事
今日の日記にすることにした。



とある市教委は23日、
市立高校の女性教諭(57)を
減給10分の1(3か月)の懲戒処分とした。

発表によると教諭は2008年から勤務。

A市(学校より遠い市)の
住宅から通っているとして、
6か月ごとに6万2750円の
通勤手当を受けていた。

12年4月に「住所が違う」
と情報が寄せられ、
市教委が調査。

実はB市(学校から近く)の
マンションで
暮らしていることが分かった。

市教委は、同年8月から
今年3月まで1年8か月分の
手当約20万円の返納を求めている。

教諭は市教委に、

「実際にA市に住んでいる」

と説明。

証拠として電気使用量明細書を
提出させたところ、ひと月の電気料金が
358円の月もあり、

「電気を使わず懐中電灯を使っている」

と釈明したという。



以上がその内容。

ニュースを読み終えて、
この女性教諭の見事な答弁に
思わず失笑してしまった。


が、この先生、実は教育熱心で、
書籍購入のために電気代を惜しみ、

夏は蛍の光、冬は雪の明かりで、
明かりのない時には
懐中電灯で本を読んでいた。

取りようでは、こうも取れる。


真意はさて置き、
私、この女性教諭には
減給の懲戒処分よりも、
スコットランド民謡でも歌ってあげて方が
良さそうに思うのだが。

彼女の背中に向かって歌ってあげる
スコットランドランド民謡とは



蛍の光窓の雪

書読む月日 重ねつつ

いつしか年も すぎの戸を

開けてぞ今朝は 別れゆく

「蛍雪」とは、
苦労して勉学に励むこと。

もし、私が彼女の教え子なら、 
「蛍の光」が流れ、遠ざかっていく
彼女の背中に向かって 

「先生は素晴らしい。自ら『蛍雪』を
実践していたのですね!」

「先生こそ真の聖職者です。 
私、先生のことを尊敬します」。

そして、 また一人、世の中から、
聖職者が消えていきました。

とさ。 

 

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「続:願いは『日々 是 好日』」

2014年01月23日 | 日記

円卓を囲んで8人。

今年一番の寒気の昨日の朝、
博多の街は白い雪に覆われた。

雪はすぐに溶けたが、
夕刻の街には、
首をくすめて歩く人と人。

異口同音に皆「寒い、寒い!」

そんな“人と人”に混じって
博多駅近くのお店に
リトルの同級生が集まった。


リトルへの帰郷途中に立ち寄った
純(すみ)ちゃんを囲んで
「福岡会」のスタッフ6人と、
「会」当日、受付を手伝ってくれた
森君を加えた計8人は、
首をくすめた外の寒さなど一切皆無

最後に遅れてやってきた
ドクたぁーが席に着いたころには
みんな“3分の1”出来上がっていた。

仕事を終え、駆けつけてくれた
ドクたぁー、

「今日も、インフルエンザや
ノロウィルスの方が多いんよねっ」、

私が茶化した

「たーちゃん、今日もお客さんが多かったら
随分儲かったろうねっ!」

そしたら、誰かが突っ込んだ

「『お客さん』じゃなくて、『患者さん』やろ」

「患者さん」と言えど、
「お客さん」に代わり
なし。

「風邪ひけば、ドクたぁー儲かる」

で、みんな揃ったところで、改めて

「かんぱーい!」

とにかく、
よく飲んだ、よく喋った、よく笑った。

純ちゃんが持参した
小、中学校時代の写真で
みんな昔にタイム・スリップ。

8人しかいない小さな宴の部屋に
写真の中の同級生までが飛び出して
大宴会。

しかし、円卓を囲み、
みんな顔を突き合わせて愉しむには、
このくらいの人数がベスト。

みんな、身体は老いても、
心は「少年と少女」のまま。


お陰さまで別れるのが辛いくらい
和気藹々の一時を過ごさせて戴いた。


帰りの電車の中でつくずくと、

「どうして、同級生って、こんなに好いんだろうか?」

以下はその同級生、
その「少年と少女」です。
(すべて、左から)

純ちゃん、森君、ミセス・ヤスコ。 

ジョージ、純ちゃん、森君

ドクたぁー、スージィー、山女魚小僧。

「少女」に挟まれた
「少年、ドクたぁー」。 

撮影は、「永遠少年」、ロバ。

予想した通り、
昨日も「好日」 
とにかく、みんな若い。
 

一番若くて、一番頭が幼いロバ、
実は、今日も良いことがありました。

恐ろしいくらいに
連日、「日々 是 好日」です。


ところで、 
いよいよ、
週末がやってきます。

 どうか、思い当たる節を
披露できますように! 
 

今までに何度か出てきましたが、
少年期を思い起こす
少年ロバの大好きな曲 です。


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「願いは『日々 是 好日』」

2014年01月21日 | 日記

ここしばらく、怖いぐらいに
良いこと(好事)が続いている。

昨日も今日も、良いことがあったし、
ありがたいことに、その「好事」を
連日、スージィーに報せることが出来る。

私に嫁いだ、“夢のクリステル”も
その一つだったかも 
知れないし、

明日、博多駅でリトルのみんなと集う。
当然、明日も好い日(好日)となるに違いない。


何故、怖いぐらい毎日、
「好事」、「好日」が続くのか?


私には、“思い当たる節”がある。


一昨日の日記に、

「週末に愉しい事が待っている」

と、記した。

希望的な思いを込め願い、
私は、そう記したが、

もし、これが本当に
愉しい出来事、「好事」に叶えれば、
“思い当たる節”は本物となる。

願い通りに、週末が
「好日」なってくれれば、
私は思い当たる節を披露できる。

どうか、週末が「好日」になりますように!


「好事」、「好日」 は、
人を幸せにしてくれるし、

そのために人は、何がしか
願いを込め、人知れず努力し、
いつか叶う、その日が必ず来ることを
信じている。


ここ数日の戴いた感慨で、
努力できる新しい朝が迎えられるだけで

「日々是好日」

ではないかと、私は思う。
 

そして、その週末がもうすぐ、
私たち、二人にやって来る。



どうか、“思い当たる節”を
披露できますように!
 

スティービー・ワンダー
「迷信 」

 

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「自然からの戴き物」

2014年01月19日 | 日記

天気予報(雪)を気にしながら、
慌ただしく動いた昨日と
打って変わって
のんびりと過ごした日曜日。

ただ、「のんびりと」と言っても、
けして、無駄に時間は使わない。

「じっとしてると、あっという間だよ」
このフレーズと、

昨日の二つお見舞いの感慨は
i一夜明けた今でも
心にしっかりと染み込んでいる。

傍から見れば、
「ダラダラ」に見える「のんびりと」も
自分なりに、「今日」と言う日を
ちゃんと生きた。

その“ちゃんと生きた”
証拠写真を3枚。



バード・レストランのOPEN、
早朝から、沢山の「お客さん」。



大津の道の駅で購入した
「里芋落ち子」の寒さらし。

スージィーが
近所を散策しながら採ってきた
「蕗の薹(ふきのとう)」。

何一つ脈絡も無さそうに見える、この3枚、

ちゃんと自然を愛でて、
自然の恩恵を頂いている。
 

勿論、身体を動かすことも
忘れてはいない。

サンディ・ソングブック(達郎)を
聴きながら、
春日公園をジョグで3週、
ウォークで3週。

気持ちのよい汗をかき、
さっき
お風呂から上がったばかり。

まだ外は明るい。

いつもより早めの
今夜の夕餉の食卓には、
「落ち子の素焼き」と「蕗の薹の天麩羅」。


ところで、今週の水曜日と週末に
愉しいことが二つ待っている。

自然から戴いた英気で
今週も頑張りたいと。

お金が無くても、元気(命)が有れば
大丈夫!

感慨は
心にしっかりと染み込んでいる。


最後に、
今日、走りながら聴いた“達郎”で知ったこと。

達郎のいつものメンバー
ドラムスの青山純さんが昨年12月に
56歳の若さで亡くなられていた。

皆、逝くのが早すぎる!

追悼の意を表して 
音が悪いが、今日の“達郎“で流れた

彼がドラムを叩いたライブの
「DAY DREAM 」

山下達郎
DAY DREAM


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「流れのように」

2014年01月18日 | 日記

例えば、

誰かさんと比べて、
苦労が多いとか少ないとか、
稼ぎが多いとか少ないとか。

育ちが良いとか悪いとか、
貰った器量が良いとか悪いとか。

世間より
学歴が高いとか低いとか、
身長が高いとか低いとか。

人より
髪が濃いとか薄いとか、
情けに濃いとか薄いとか。

連れ合いの
性格が荒いとか細かいとか、
金遣いが荒いとか細かいとか。

暮らしの中の
鏡の中に自分の笑顔が有るのか無いのか、
家の中に笑いが有るとか無いとか。

自分の傍に
真の友達が居るとか居ないとか、
心から愛する人が居るとか居ないとか、

周りよりも自分は
幸(しあわせ)者とか 不幸(ふしあわせ)者とか、


多いとか 少ないとか、

高いとか 低いとか、

有るとか 無いとか、

居るとか 居ないとか、

幸とか 不幸とか。


例えば、誰かや世間と
比較しては、

あるものは悦び、
あるものは嘆き悲しみ
誰かを恨む。


世の中、

「禍福は糾える縄の如し」


今日、リトルにあるお方の
御見舞いに行って
つくづく、思ったこと、

大事なことは、

やってくる明日に

「夢」があるのか、

「希望」があるのか、

そして、
「命」があるのか。

やってくる明日に、命があれば
元気さえあれば・ ・ ・ ・

と、
今日、つくづく思った。

今日の両神社

神社から撮った我が母校、

リトル中学校(左)と
リトル(旧宮原)小学校(右)
 



リトル町立病院


 

国勢橋から眺めた上流(右、合屋)

眺める人はいつか死しても
故郷の川の
流れはとめどを知らず。 

 

美空ひばり 川の流れのように -

 

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「Take it Easy」

2014年01月17日 | 日記

「何にもしないと“あっという間”だよ!」 

このフレーズに、
めくるページの眼を留めた。

実はこのフレーズ、
一昨々日の読売朝刊紙面にあった
健康食品のキャッチ・コピーなのだが、

最近の自身の心情と大きく重なり、
一人、肯(うなず)いた。



たった一度の人生、
「何にもしないと“あっという間”だよ!」 

つくづくそう思うし、
私にも、遣り残したことが随分ある。

で、
悔いのない人生を送るには、 

「もっと頑張らなくては!」

と、
しゃにむに己を掻き立てる。

が、
分相応、 

「慌てず、焦らず、諦めず」。



「何にもしないと“あっという間”だよ!」 

を、
いつも頭の中心において、
でも、
心の中心には、
「力まず気楽に生きること!」 



「何にもしないと“あっという間”だよ!」 

は、
短いけれど、良いフレーズ! 

そして、もう一つ、



「慌てず、焦らず、諦めず」。


 

気楽に行こう (マイク真木)


 

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「意気地なし」

2014年01月15日 | 日記

いやー、実にいい夢だった。

毎日でも、見飽きないどころか、
見たいときにいつでも見れるなら、
有料でもお願いしたいくらいの、

久しぶりに、
いい夢を見させていただいた。


夢の中の出来事を、
あたかも、実際にあったかのように、
真顔で他人に自慢話しする人を、

「馬鹿馬鹿しい」

と、嘲(あざ)笑う向きのある私でさえ、

夢から覚めやらぬ今朝、
ほんのさっきまで見た夢の話を、
黙っておれず、つい
スージィーに喋って仕舞った。

「その夢、カラーだった?」

と尋ねられ、

その人が黒髪だったから、

「カラーだった」

と答えたら、

「『白黒』でも黒髪は黒」

の返事。


私にとっては、
夢が「天然色」だろうが、
「モノクローム」だろうが、
見た夢の中身が大事。 


ただ残念なことが・・・

「夢は、現(うつつ)の人格を映(うつ)す」
と言うが、本当だった。

現実と同じで、
夢の中でも気の小さな自分が
そこにいた。

千載一遇の夢の中でも、
私はその人に
指1本触れることができなかった。


その人は、夢の中で
私の嫁だったのに。


夢の中で、いつも
私のそばにいたその嫁とは、

滝川クリステル(さん)だった。

「白黒の夢」でも
「モノクロームの嫁」でも、

夢の中のクリステルは、
私の可愛い嫁だった。

画像は、その「モノクロームの嫁」。
夢の中とおんなじお顔。 

役立たずの、とっくに還暦を過ぎた
酔いどれ親父の今夜の日記、

ここまで読んだら、
どうかご勝手に

「馬鹿馬鹿しい」

と、遠慮なく嘲笑って下さい。

ただし、
二日続けて「同じ夢をみる術」を
ご習得の方、

ご一報ください、

「謝礼」を用意しております。

 

寝てはクリステル、
起きてはスージィー。

幸せな一日。

だけど小生、寝ても起きても、
気の小さい、

意気地なし。
 

で、今夜の「意気地なし」で
「モノクロームの嫁」と書いたら

この曲のタイトルが
当然のように浮かんだ。

終わってしまった
「大瀧先生追悼特集」の
今夜は「おまけ」と言うことで、

「君は天然色」 

先生も喜んでくれる!

では、お後が宜しいようで! 

追伸
「謝礼」を用意しております! 

君は天然色/大滝詠一
【A LONG VACATION】

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「寒の愉しみ方」

2014年01月13日 | 日記

三連休の中日、日曜日。
昨日に続いて今日も寒い。

本当はこの三連休の一日を
「宝満山登山」にあてる予定だったが、

「何もこんな寒い日に」

スージィーの一言で
延期することにした。

なんとも精神の軟弱な親父なのだが、
「寒いから」と言って
屋内にじっとしている性分でもなく、
明日、月曜日もお休み。

それで今年二度目の
「燻製作り」に精を出すことにした。

空気が冷たく乾燥している寒の日は
「燻製作り」に最適。

「燻製」で、寒を愉しむことにした


午前中、桜のチップと材料の仕入れ。

山口さんから戴いた里芋を湯がいて、
塩さばの塩抜き、鶏の下ごしらえ。

里芋は直ぐに、
2時間後に塩さばと鶏を寒にさらした。



燻製器を取り出し、
材料が適度に水分を失うのを
待つこと2時間。準備完了。



寒にさらした「里芋」。



乾燥に約2時間、

燻製に約2時間。

燻製時間の早い「里芋」を
かじりながら、冷酒で一杯やる頃には
陽は落ち寒さも増してくる。

1月の寒い夕刻に、燻(いぶ)したばかりの
香ばしく熱々の里芋に冷酒。

貧乏で、その上軟弱親父の
なんとも優雅で粋な「寒の愉しみ方」である。 



そして、燻製器から取り出した
フックのついたままの良い色合いの鶏。 

クレイジー ソルトだけで
下ごしらえの「鶏の燻製」が出来上がり。

簡単な割には、実に旨い。

思わぬ出来上がりに、スージィー、喜ぶ。
 

駐車場に
仕事を終えた本田さんが帰ってきた.


それで私は、燻したそのままを1個、
しょうが醤油にくぐらせ、再度燻したものを1個
フェンス越しに差し上げたら、

「燻した里芋は初めてです、旨いです!」
と、思わず喜んでくれた。

「来週、里(熊本)に帰りますから、
また、晩白柚 を持ってきます」。

思いがけないお返しに
今度は私が喜んだ。

 何か得した気分。


いくら探しても、冬の宝満山に
晩白柚 は落ちて

いない。 
 

「燻した里芋」で「晩白柚」を釣る
これぞ、軟弱親父の
「寒の愉しみ方 」。


そうでした、忘れていました。
お終いは、
食べかけの無礼な画像ですが
「里芋の燻製」 です。



 

 

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「ご免!」

2014年01月10日 | 日記

給料の大半を
レコードに費やした
青春時代があった。

好きなミュージシャンの
予約した新譜を
馴染みの店の「レコード到着」の
報せが来るのを
待ち侘びた日があった。

届いたレコードを
ターンテーブルに乗せ、震える手で
針を静かに静かに下ろし、
何が飛び出すか解らない
あの、ときめく瞬間があった。

一秒も経たない内に、
飛び出した音に涙した。

今迄に、そんな興奮の瞬間を
何度繰り返したことか。


その、胸躍らせときめいた新譜の一枚が
「はっぴいえんど」であり、細野さんであり、
大瀧さんだった。


ビートルズやディランに混じり、
日本で数少ないお気に入りの
いや、尊敬するミュージシャンが
彼らだった。


今夜、暮れから続いた
「大瀧詠一追悼特集」が終わる。

「追悼特集」の最後に流れるこの曲を、
アメリカで一緒に作った
ヴァン・ダイク・パークスが、
彼の訃報を聞いて

「さよならアメリカ、さよならエイイチ」

と寂しく言った。


「はっぴいえんど」のファースト、
通称、「ゆでめん」が発売された時、
私は延岡に住んでいた。

ところが当時、
宮崎県内では「ゆでめん」の販売ルートがなく、
県内で一番大きな西村楽器店にお願いし
この、“最高のレコードを取り寄せてもらった。

私は、
宮崎で「はっぴいえんど」を聴いた
県内、最初の人間だった。


今夜の「追悼特集」の最後に流す曲は、

「さよならアメリカ、さよならニッポン」

`1985年6月15日、国立競技場、
「はっぴいえんど」
再結成で最後のライブ。

29年前の「はっぴいえんど」

当時の
「YMO」や、「ロング・バケーション」、
「ハックル・バック」の匂いのするこのライブを
「追悼特集」最後の曲ににした。

と、
此処まではすべて「過去形」。

しかし、
今宵も、彼とその仲間に出会えて
幸せな酔いに浸れる私は
これからも続く。

これからは紛れもなく、
「進行形」。

「さよならアメリカ、さよならエイイチ」 

 

連日、
私の感傷にお付き合いいただき、

ご免! 

今夜も,酔っ払って

ご免! 

 

最後のはっぴいえんど 

最後のはっぴいえんど  





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「外はいい天気 」

2014年01月09日 | 日記

はっぴいえんど
1973年リリース
3枚目にしてラストアルバム
「HAPPPY END」から

大瀧詠一

外はいい天気 」

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「嫉妬」

2014年01月08日 | 日記

ご他聞に洩れず、
随分と、今夜も私は
酔っ払って仕舞いました。

自覚のあるがまままに

「酔っ払っています」

と、吐露したところで毎夜のこと。

皆、呆れはてれるばかりで
何の共感もありません。

私の今宵の酔いも、
自分が気持ちい良いばかりで
周りに何一つ益にもなりません。

そのことは十分に承知しております。

先程も、愛する二人、
小僧とテレサ
ろれつも、頭も回らず、

意味もない「酔っ払いの電話」を
相手構わずにしたばかりです。

そんな無作法な私ですが
人を愛する 想いは、

ジョンにも彼にも
負けません。


お酒をあおり、ただ酔っ払うだけの私には、
自分の想いを表わす素直な詩も、
その詩をもっと美しく表現できる
旋律を
添える才も、残念ながら、
一切持ち合わせておりません。


 
そのお二人の才の
足元にも及びません。

私にはそのことが、
無性に悔しいのです。


今夜も「酔いどれ日記」に
彼の歌を選ぶことにしました。

彼の歌を選ぶことで、
音楽の才能のない私が、

いかにも、繊細な心の持ち主のような
姑息な手段を選んでしまいます。

今夜も酔っ払いました。

今夜、私が酔っ払ったのを
この切ない歌のせいに
するつもりもありませんが、

こんなに切ない詩に
こんな切ない旋律をかぶせる
彼の才能に、

私は嫉妬します。

例えば、この歌の
カレンに嫉妬する

誰かさんのように。


今夜も酔っ払ってご免!

彼の才能に免じて!


大滝詠一

「恋するカレン」 
 

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「シャックリママさん 」

2014年01月07日 | 日記

大瀧詠一

シャックリママさん 

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