少しばかり前のこと
山崎豊子さんの小説、
敗戦後の中国残留孤児の
波乱万丈の半生を描いた「大地の子」の
TV再放送を知った。
感銘を頂戴した小説でもあり、
最初は二人してドラマの終焉まで
観るつもりでいた。
その日がきてドラマは始まり、
残留孤児で主人公の
苦悩の日々が展開されていく。
その展開や結末は既知しているとは言え、
展開とともに、次第に観る者の心は
重くなるばかり。
結局、ストーリーの重さに耐えかねて、
ドラマは初回を終えずして早々と
チャンネルを替えることになる。
作品の作家の意図は理解しながらも
二人にとってはあくまでも、
ドラマは娯楽としての鑑賞、
チャンネルを回す行為は
作家の意志に反しても
「余計な負荷を心に掛けたくない」。
それが、動機であった。
「誰しも、心に重さを好まない」。
心に感受する重さ(苦)は、
自身の内に有するものと、
外に因(ちな)むものが有る。
外部から受ける苦に対しては、
チャンネルを切り替えるように、
造作もなく断つことも可能だが、
内なるものに対しては、
容易く断つこともできずに、
長い時の間、悩み続ける心に、
いつしか病を発症することも少なくない。
内なる苦の因みも、たとえば
自身だけのことなら、解決の道も探せるが、
同じ「内」でも、「身内」となると、
これが実に厄介なもの。
身内であるが故に、
因みを造作なく断つことなど
できないからである。
それは、苦痛の上に、
更に苦痛を重ねるようなもの。
そんな悩み続けたある因みから、
私は昨日、解放されることになった。
一夜明けて今、
「どうか、このまま、心の重さから
永遠に開放されたい」
と、二人、願っているところ。
そして今夜、
この曲を思い出す。
「The Weight」
(荷物、重量、重さ)
ザ・バンド
&
ザ・ステイプル・シンガース
♪
俺はナザレにたどり着いた
もうすでに半分死んだように感じていた
俺はどこかただ身を横たえて
休める場所を求めているだけなんだ
なぁ、紳士よ、教えてくれないか
人はどこで安息の地をみつけるんだ?
そいつはにっこりと笑み、俺の手をとり握手をし、
「そんなものはない」とだけ言った
荷を降ろせよ くそったれ
重荷を背負うんだよ 自由になるために
荷を降ろせよ くそったれ
そうして、
…そうして背負ってきたものを俺に置いていきな
俺は袋を拾った
それを隠す場所を探すことにした
年老いたカルメンと悪魔が
うろうろしているのを見たとき、
そう、俺は言ったんだ
「おい、カルメン、来いよ、街に出よう」
彼女は答えた
「私もそうしたかったけど、
友達(悪魔)が付きまとって離れないから」
♪