我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「最後の朝」

2015年12月31日 | 日記

カーテンの向こうは暗闇。
午前六時半の空に太陽もなく、
目に映るのは街灯の明かり。

聞こえるのは、
失った暖かさを取り戻し点けた
ストーブの燃焼音。

待ち侘びる夜明けも
寒さにすくめる体も、街も人も、

まだ、静寂の冬の夜。


朝まだき、迎えた今日は今年、
最後の朝。


「人生とは何か」を、
やっと判り始めた一年が終わり、

明日からの新しい年も、
追いかける夢がある。

だから、
足を止めずに生きていく。


今年、叶えられなかった夢が、
新しい年には
少しでも近づけるように、

最後の朝がやって来るのを
今、待ち侘びているところ。

「ファミリー」
 ジョー・ウォルシュ

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「続:夢の配達人」

2015年12月25日 | 日記

今しがた、
チャイムが鳴って玄関に出ますと、
配達の荷物を抱えた郵便局員さんが
立っています。

サインを済ましたら、
郵便局員さんは次のお家へ
バイクに乗って走って行きました。

送り主のお名前を確認して
届いた荷物を開けると、

そうです、

バイクに乗った走って行った彼は、
トナイカイの引く、そりに乗った
サンタクロースさんです。

私が受け取った荷物は
私たち二人への、なんとも嬉しい、
昨日に続く、二日連続の
クリスマスのプレゼントです。


プレゼントを届けてくれた
あなたの名前を明かせないことが
できない代わりに、

二人の思いを込めて
クリスマスの今夜は、

私が最初に聴いた時、
なぜか涙した曲を
お返しお届けます。

勿論、今夜、
あなたからのクリスマスプレゼントに
二人、感激の涙です。

あなたに何時か、私たちからの
サプライズを、あなたに届けます。

プレゼント、ありがとう。
いつまでも、愛しています。


私が涙した曲は
牧原敬之の「チキンライス」ですが、
本人の曲が見つかりません・・

カバーですが聴いて下さい。

今夜はあなたに、
メリー・クリスマス。

チキンライス 
cover by yusuke

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「夢の配達人」

2015年12月24日 | 日記

物忘れの度合いが年を追うごとに、
甚だしくなっている。

相手や約束ごとがある場合は
緊張感からか、物忘れもないが、

ことが、私的なものとなると
緊張のたがも緩んだままで
小生、のべつ幕無し物忘れだが、

今日は、相手のいる大切なことを
忘れていることに

はたと、気が付いた。


今年の正月、マナママから
「サンタクロース代行業」の
話しを聞いた。

内容は、
クリスマスの夜の何時頃、
訪問するかを、打ち合わせておき、

事前に、子供たちの名前や
渡すプレゼントを預かり、
時間が来たらドアのベルを鳴らす。

ママは、
(笑顔を殺し、白々しく)
「どなたさんですか?」
と、玄関に向かう。

ドアを開けたら、そこには
プレゼントの大きな袋を抱えた
正真正銘のサンタさん。


サンタさんは子供たちの名前を呼び、
約束のプレゼントを渡す。

「ワーイ、サンタさんだ!」

「パパ、ママ、
本物のサンタさんが
うちにやって来たよ!」

子供たちは大喜びの、
一生の思い出となる
サプライズの
クリスマスのサンタさん。

「好い話だ

この話を聞いてすぐに、想像した。

今年のクリスマス、近所の子供たちに
プレゼントを渡すサンタさんは、小生。


12月がきて、そして、
クリスマスがやってきた。


不覚

すっかり、忘れていた。

今日と明日は、
サンタさんになる日だった・・・


すっかり、忘れていたのは、
サンタさんにならなかったことだが、

本当は、近所の子供たちに、
サンタさんが本当にいることを
教えてあげられなかったこと。

のべつ幕なしの、
いつもの物忘れ親父も、

約束をした分けではないけれど
相手は子供。

夢を届けられず
供たちに悪いことをしたような
そんな気分なのである。

今夜はクリスマス・イブ。
来年はやりましょう!


追伸

たかぽんへ

たった今、我が家に
貴女からの
クリスマスのプレゼントが
届きました。

ありがとう

お返しするものが
ございませんので、

子供たちに届けるこの曲を
今夜は貴女にも、
おすそ分けのプレゼント。

「Santa Claus Is Comin' to Town 」
サンタが
春日村にやってくる 

マライヤ・キャリー」 


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「三井様へ」

2015年12月23日 | 日記

三井様へ

 三井様からのお問い合わせのコメントに気付いた時は、
私、既に酩酊しておりましたので、昨夜はお届けすることができませんでした。
遅くなりましたが、早速、お問い合わせの内容についてお届けいたします。

・透明ビニールについて
透明ビニールは、テーブルクロス用として、ホームセンター等で巾が1m35。
ロール状で10cm単位でカット販売されているものです。
15年以上も前に仕事の都合で購入したか頂いたもので、価格は不明です。
厚さも判りませんが、しっかりしています。

・要尺について
ビニールは天井から床までを余裕をとって計ります。
接合部分に両端5cm、計10cmほど使いますので、必要な要尺は、
巾1m35のビニールが、小屋を覆うのに何枚必要かを計算してください。

施工について
ビニールを張る場合は、接合部分の5cmを重ねるように
天井から垂直に下ろします。
私は天井と床面の張り付けを、タッカーを使用しました。
ホッチキスの大きいなもので、コの字型の針を打ち込むものです。
タッカーがない場合は、小さな釘打ちでも宜しいかと存じます。

・接合について
天井と床に凹凸がなければ、天井と床までのビニールが重なり合う5cmの部分は
あまり隙間ができませんが、私は数箇所、両面テープで接合させています。
多少の隙間は換気を考えれば、これも必要かと存じます。

・最後に
あまり参考にもならないかと存じますが、三井様宅の快適な牡蠣小屋作りの
お手伝いなれば幸いです。

以上、宜しくお願いいたします。



補足: 私は天井にスピーカーを取り付け、
牡蠣小屋に音楽を流しますが、
、ビニールを張ると、
結構「防音効果」があることに気づきました。

普段はジャズも良いのですが
牡蠣小屋で七輪を囲んで流す
曲は
勿論、八代亜紀さんの「舟歌」です。

少しだけボリュームを上げて
愉しめます。 

三井さんのお陰で、
天皇誕生日の朝五時半から
「舟歌」を聴く、私です。


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「中る」

2015年12月21日 | 日記

暮らしに経済的なゆとりがあれば、
趣味や食事を愉しむ機会や場所も、

我が家ではなく、一歩外に出れば
施設やお店で、
より質の高い満足を
求めることも出来ようが、

いつの間にやら、
そんな暮らしとは疎遠となり、

例えば、「ボケの木」一つをとっても、
植木屋さんに頼めば、

優れたDNAを持つ成長木を
運んでくれた上に、
熟練の職人さんが植えてくれるが、

それができないばかりに、

頂いた小枝を挿し木して
土の中では根が付いたのも解らず
不安を抱えて気長に待つ有様である。


ゆとりさえあれば、
時間と労力を必要とせずに、安心と
質の高い満足を得ることも可能だが、

それができない小生、
負け惜しみではないが、

そんな労力と時間を費やして
得られる満足こそ、

最も質の高いもの
と信じている。


例えば、好きな牡蠣が食べたけけりゃ、
糸島に足を伸ばせば
好きなだけ牡蠣小屋があるが、

負け惜しみではないが、

労力と時間を費やして、
より高い満足を得たいので、

昨日、今年も我が家に
牡蠣小屋を造った。
 

ストーブと、ケトルの湯気で
 温まる小屋内。
テーブルの上には、七輪。

三面を透明ビニールで囲む。
中央、縦に伸びる帯がビニールの接合部。

そこに、沸いたお湯を取りに来た
牡蠣小屋の女将(おかみ) 。

この女将、実は牡蠣を口にできません。

生活にゆとりがないのではなく、
「牡蠣アレルギー」なのです。

いわゆる、
中る (当たる、あたる)
と言う奴ですが、

そのために我が家では、小生の好物、
「カキフライ」も、年に一、二度しか
満足に頂けません。
 

せめて、同じ中るなら、

「年末ジャンボでも当たれば、
我が家もゆとりができるものを」

と、誰かさんが言っておりました。 


ジョン・メイヤー
「Who Says 」
(誰かが言った) 

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「軽さ」

2015年12月18日 | 日記

もしも、あなたが死んだとしても、
私は御仏(みほとけ)になられたあなたの元へ
何をおいても真っ先に駆けつけ、

棺の前の、一人始めた酒盛りで、
周りの沈んだ空気を吹き飛ばし、

出棺のクラクションと同時に
万歳三唱であなたを送り、

お通夜から火葬場まで、
片時たりとも離れず、あなたに付き添います。

十五回忌も済み、また、時が流れて、
誰もがあなたの面影を失くしても

夕刻には、卓に二つの杯を並べ
あなたを偲び、悼(いた)む人。

いつもの様に酔いが回れば、
こんどは夢の中で
あなたと交わす笑みと酒。

私は、あなたを
ひと時も忘れず、生きていきます。



例えば、これは小生がシャイが故に、
ストレートな愛情表現もできず、

 「こんなにあなたを愛しています」の
たった一言、「愛しています」を
言えない代わりに、

愛の思いを端的に表し、
かつ、機知に富んだ言葉なのですが、

愛情の表現と比喩の対象を
一つ間違えれば、
仮それが例(たと)えでも、

「よりによって、
人を殺すとは何事だ!」

結局、心の丈は微塵も伝わらず、
大抵は逆効果。

挙句(あげく)は、「顰蹙(ひんしゅく)者」の
蔑(さげす)みを受けるが落ち。

所詮、世の中ままならず、
洒落や機知が通用せず、
小生、甚(はなは)だ、無念でなりませぬ。


ところで、つい先日、
そんな事例がありました。

「讃岐うどん」で通名な
香川県が作った「かるたうどん」の
発売が、あることで延期されたのです。

理由は、
県が募集した「うどんかるた」の
「つ」の読み札に

「強いコシ 色白太目 まるで妻」

この文言が使われていることに
たった1件だけ
苦情が寄せられたからです。


これに、我が愛する
毒蝮三太夫師匠が噛みついた。

以下は、その記事からの引用。


「強いコシ 色白太目 まるで妻 ?

いいじゃねえか。
どこがひっかかったのかねえ」

と、苦情の主をバッサリ切り捨てた。

 毒蝮は自身のラジオ番組などで、
高齢者を「ジジイ」「ババア」呼ばわりしているが

「オレが『このくたばりぞこない!』って言ったり
『お前の顔、横断歩道みてぇだなあ』
とか言ってクレームが来ることはあるよ」と、

一部から問題視されていることは認めた。
だが毒蝮は謝ったことはないという。

 「それでオレが本当に
バカにしているんだったら謝るよ。
でもバカにしてんじゃねえ。

『ババア』とか『くたばりぞこない』って
言っているのは、そのババアに

『長生きしてくださいね、おばあちゃん』

ということを、オレの環境で
言い方を変えて言ってるだけ」
と胸を張った。

 その上で、
「それがわからないヤツが多いんだったら、
そういう世の中になることの方が
オレは怖いよ」と、

ユーモアや、その裏に隠れる愛情が
わからない人が増えることを
危惧していた。


以上、

小生、全くの同感!
 

「軽妙洒脱な表現」と自負したものの
心にある愛の重さも、
表現次第、あるいは相手次第で
軽さに転じることもあるが、

師匠に小生の、
言葉の理解者がいるように
この世にどなたか一人ぐらいは、

私の「軽さ」を理解してくれる人が
 
私自身が御仏になるまでには
現れることでしょう 

多分。 
 

日記には、全く、関係ない
「軽さ」で選んだ、多分、初登場

 ロギンス&メッシーナ 

「ママはダンスを踊らない」

 

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「重さ」

2015年12月16日 | 日記

少しばかり前のこと
山崎豊子さんの小説、

敗戦後の中国残留孤児の
波乱万丈の半生を描いた「大地の子」の
TV再放送を知った。

感銘を頂戴した小説でもあり、
最初は二人してドラマの終焉まで
観るつもりでいた。

その日がきてドラマは始まり、
残留孤児で主人公の
苦悩の日々が展開されていく。

その展開や結末は既知しているとは言え、
展開とともに、次第に観る者の心は
重くなるばかり。

結局、ストーリーの重さに耐えかねて、
ドラマは初回を終えずして早々と

チャンネルを替えることになる。
 

作品の作家の意図は理解しながらも
二人にとってはあくまでも、
ドラマは
娯楽としての鑑賞、

チャンネルを回す行為は
作家の意志に反しても

「余計な負荷を心に掛けたくない」。

それが、動機であった。

 

「誰しも、心に重さを好まない」。

心に感受する重さ(苦)は、
自身の内に有するものと、
外に因(ちな)むものが有る。

外部から受ける苦に対しては、
チャンネルを切り替えるように、
造作もなく断つことも可能だが、

内なるものに対しては、
容易く断つこともできずに、

長い時の間、悩み続ける心に、
いつしか病を発症することも少なくない。


内なる苦の因みも、たとえば
自身だけのことなら、解決の道も探せるが、

同じ「内」でも、「身内」となると、
これが実に厄介なもの。

身内であるが故に、
因みを造作なく断つことなど
できないからである。

それは、苦痛の上に、
更に苦痛を重ねるようなもの。


そんな悩み続けたある因みから、
私は昨日、解放されることになった。



一夜明けて今、

「どうか、このまま、心の重さから
永遠に開放されたい」

と、二人、願っているところ。


そして今夜、
この曲を思い出す。



「The Weight」
(荷物、重量、重さ)

ザ・バンド
& 
ザ・ステイプル・シンガース 



♪ 

俺はナザレにたどり着いた
もうすでに半分死んだように感じていた
はどこかただ身を横たえて
休める場所を求めているだけなんだ

なぁ、紳士よ、教えてくれないか
人はどこで安息の地をみつけるんだ?
そいつはにっこりと笑み、俺の手をとり握手をし、
「そんなものはない」とだけ言った

荷を降ろせよ くそったれ
重荷を背負うんだよ 自由になるために
荷を降ろせよ くそったれ
そうして、
…そうして背負ってきたものをに置いていきな

は袋を拾った
それを隠す場所を探すことにした
年老いたカルメンと悪魔が
うろうろしているのを見たとき、

そう、は言ったんだ

「おい、カルメン、来いよ、街に出よう」
彼女は答えた
「私もそうしたかったけど、
友達(悪魔)が付きまとって離れないから」

♪ 

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「冥利」

2015年12月14日 | 日記

20年近く、
我が家で鉢を載せる台として

働き続けたベンチは、

長い間、雨や重みに耐えかねて、
精根尽き果て、いよいよ木も腐食し、

「お疲れ様」の言葉で、ついに先日、
その役務から解放されることになった。


しかし、元来
商業施設のお客様向けのベンチ、
足は鉄製で頑丈に作られている。

愛着もあるし、このまま廃棄するのも忍びない。

で、何か再利用できないものかと
働く機会を探して、頑丈な足を活かし、

12月の雨の降る日曜日の朝、
あるものを作ることを思い付いた。



レストランやカフェの、通りに面した
お店の前に客席を設けた、
「オープン・カフェ」と言うものがあり、

お客様は開放的な気分で
食事やお茶を愉しむことができる。


小生、以前から、そんな空間を
ガーデン・レストラン「スターダスト」の
入り口前に欲しいと思っていた。


前を通る人たちが、
スージィーが育てた花々を愉しみ、

小生が洒落で作った〝さながらレストラン”の
雰囲気を褒めてもらえるのは、
実に有難いことである。

二人して、たかが趣味と言えど、
冥利に尽きる幸せである。


それで、先般、
三段の花台を作ったその前に置く、
テーブルを作ることにした。

ベンチの鉄の足は高さ、35cm。
テーブル面には低すぎるので、
嵩(かさ)上げの必要がある。

嵩上げの材料は残り物、
テーブルは4cmの分厚い板を購入し。
雨が上がったのを確かめ作業開始。

作業の間も、
期待しているのやら、
かたや呆れているのやら、

「今度は何を作るんですか?」

そんなご近所さんの
声に応えること数回。

雨もおさまり仕事も進んで
テーブルは塗装が済んだら、
出来上がり。



誰も通らなくなった夕刻の
通りに面したレストランの前で

お湯割りを抱えてテーブルを眺め、
満足な出来上がりに、更に眼を細め、

「どんな柄のテーブル・クロスを掛けようか?」とか、

パラソルや椅子を備えたオープン・カフェで
ご近所の皆さんが一堂に会し
愉しそうにコーヒーを啜(すす)る姿を
想像しながら、

一人、悦に入る

12月の雨上がりの夜である。

1970年発表
ファーストアルバム「はっぴいえんど」より、

松本隆作詞、大瀧詠一作曲

 
「12月の雨の日」

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「遅刻届」

2015年12月12日 | 日記

お昼に、Yahooのニュースで
驚きの計画が浮上したのを知った。

その計画とは、以下の通り。

「JR九州が観光の目玉として
福岡市の博多駅と博多港の
ウオーターフロント地区間を
ロープウェーで結ぶ構想を検討している。

両地区につながる大博通りの
中央分離帯に支柱を立てて、
上空約2・5キロを運行するアイデアで、

実現すれば日本初の
都心型ロープウエーになる」

と言うもの。

記事は続いて、

「定員15人前後のゴンドラを導入し、
博多駅-中央ふ頭の所要時間は約7分、
輸送能力は1時間2400人になるとみている」。

画像は、
博多港と手前のJR博多駅を結ぶ、
中央を走る道路が大博(たいはく)通り。

この通りの宙に、ロープウェーを走らす構想。




なんとも嬉しいばかりの、
ビッグ・ニュースである。


記事を読んで最初に思ったことは、
生きているうちに実現して欲しいこと。

次に思いついたのは、
サン・フランシスコを訪ねた時の
善き思い出の一つでもある、
フッィシャーマンズ・ワーフ
(漁師の波止場)。



観光の目玉なら、海の幸に恵まれた
博多ならではの、テーマパークを
博多港に造ること。

「ロープウェー案は
JR九州以外の企業も提案しており、
地下鉄延伸や路面電車と比べると
工事費を安く抑えることが可能」とのこと。

現在、実現は未知数だが、
仮に計画が現実味を帯びてきたら、

小生、常々、
無理に永生きをしようと思ってはいないが、

この計画を知って仕舞っては、
その時、病に伏した老いた身でも

仮病で「遅刻届」を出し
天国に行くのを少しばかり遅らせて

見聞しとく価値もあるし、

先に逝った人たちへの
立派な冥途の土産にもなる筈。


さぁーて、いよいよ面白くなってきたぞ。
こうなりゃ、ちょっとばかり
永生きをしてみるか! 


このニュースを知った途端に、
小生、気分は「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」。


I'm sittin' on the dock of the bay, 
Watching the tide roll away, ouh, 
I'm just sittin' on the dock of the bay, 
Wasting time. 

 俺は 湾の波止場に座っている
 波が寄せては返すのを 眺めている  
 俺はただ 湾の波止場に座っているだけ
 時間を無駄にしながら・・
♪ 

 

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「秋景色」

2015年12月11日 | 日記

落ち葉の季語は秋、
晩秋

なのに、我が家の紅葉が
冬の暖かさに翻弄されて
葉を落とし始めたのは

冬十二月も、間もなく中旬。

今夜、我が家の

冬の秋景色。
 



 「Autumn Leaves 」

枯葉

ビーギー・アデール・トリオ

Beegie Adair Trio - Autumn Leaves

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「希望の唄」

2015年12月08日 | 日記

1980年、熱狂的なファンの銃に
撃たれてこの世を去った
一人のミュージシャンの曲を、

その命日である12月8日に私は毎年、
日記に流し続けてきた。


その目的は、愛する偉大な
ミュージシャンの死を悼むとともに、

代表曲でもある作品のメッセージを
もう一度、心に刻むことにある。


世界の平和を歌に託した
ミュージシャンの死から既に
35年の月日が経過したのに、

世界はますます混迷し、
争い事は激化の一途たどるばかりで、

人々の願いも虚しく
平和から遠のいて行くだけ。


約73億の人々を乗せて
回る地球の、73億分の1の、
きわめて力の微細な私が、

世界中に平和が訪れることを願い、
いつもの様に今夜、この曲を流しても、

世界は一向に変わらないかも
知れないけれど、

それでも、
今夜も私は希望を持ち続け
この曲を流したい。


今日が命日のミュージシャンとは、
ジョン・レノン。

曲は、
「Happy Xmas (War Is Over)」
「ハッピー・クリスマス(戦争は終わるよ)」 

クリスマスがやってきたね
今年はどんなことをしたんだい
今年ももう終わり
新しい年が始まるんだ

クリスマスがやってきたよ
きみが楽しんでるといいな
近しい人も大切な人も
お年寄りも若者も

メリー・クリスマス
そして新年おめでとう
恐怖のない世の中であるように

クリスマスがやってきた
(戦争は終わるよ)

弱き人にも強き人にも
(それを望みさえすればね)

富める人にも貧しき人にも
戦争は終わるよ)

世界はひどい過ちを犯しているけど
(それを望みさえすれば)

ハッピー・クリスマス(戦争は終わるよ)


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「冬の間だけ」

2015年12月07日 | 日記

かれこれ五年前、

一部腐食したオープンデッキを
作り直す必要に迫られたのを機に、

リビングの延長として、
食事や趣味を、より
心地好く過ごせるようにと、

庭に敷き詰めた枕木の際まで
デッキを広げることにした。

画像は五年前と同じ、現在のデッキ。
右の床を突き抜けているのは
ケヤキの木。



暫くして、デッキに「緑が欲しい!」と、
柱を立て、板を張って囲いを作り、
鉢を下げ、花や緑の空間を作ったが、

何分にも、デッキはオープン。

雨に降られては、
寛(くつろ)げる筈もない。

それで、屋根を造り全天候型で
愉しめるようにしたが、

折角、デッキに「喜多里亭」と言う
老舗を思わせる
立派な屋号がありながら、

タキロン素材丸出しでは
屋号に相応しくないのは
さもありなんと、

それでお次は、
床や柱の塗装にマッチした
天井を張ることにして、
そこにランプシェードを下げ、
テーブルを明るく照らした。


季節は移ろい冬が来て、
そして、年の暮れに
子供たちが帰ってきた。
 

「牡蠣(カキ)を焼いて食べたい」
と、正月の買い出しに出掛け
牡蠣を買ってきた。

「正月」と書いて、
「愉しい 」と読み、

「冬」と書いて、
「寒い」と読む。、

大切な客人に
寒い思いをさせる訳には
いかないし、

「一期一会」の心得を
ひと時たりとも忘れてはいない、


それで小生、
「牡蠣小屋」を思い出した。

思い出したら、
即、小屋を作ることにした。


ガレージに眠っていた透明ビニールを
亭の天井枠に沿って張り、
三方を囲んだ。

冬の夜の寒さも
凌(しの)げる牡蠣小屋で

七輪を乗せたテーブルを家族で囲み
牡蠣を貪(むさぼ)ったのは
昨年の暮れのこと。

画像は、
透明の
ビニールの向こうに見える
今年正月の雪景色。

七輪は、
暮れの牡蠣焼きの名残り 。



七輪の炭火の温度で
小屋は十分に暖かいが、

いかんせん、床板の隙間から
冷気が上がってくる。

それでお次は
もっと、快適さを増すために、

昨日、隙間を塞(ふさ)ぐ
フローリングを購入し、床に敷き詰めた。

換気さえ注意すれば暖かく
安全で快適な牡蠣焼きを愉しめる。


何時のことだったか、
天井に左右ニ個、スピーカーも
取り付けた。

牡蠣小屋で流す「舟唄」は
昨年と同じでも、
今年はスマホの音とは格別。


勿論、フローリングの購入価格は
貧しき者にはけして安くはないし、
至って何処でも買える代物でも、

家族のかわす笑顔だけは
何処にも売っていないのです。


昨日、フローリングを敷き詰めた
画像ですが、

「喜多里亭」と書いて、

冬の間だけ、

「牡蠣小屋」と読みます。



「Deam a Little dream」

唄:ビューティフル・サウス

♪ 

あなたの夢の中に誰がいようとも、
夢見てね、少しは私の夢を


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「愉しみを二つ」

2015年12月05日 | 日記

新聞配達のバイクのエンジン音と、
起き抜けに点けた
ファンヒーターの燃焼音以外に
聞こえるもののない、

未だ明け遣らぬ冬の朝は

現在、五日午前四時半。


休日ともなれば
決まって目覚めも早いが、

老い先短い者はそうそう、
寝てばかりはいられない。


日々を愉しく生きるには、

目的もなく安閑として
時を過ごすことは禁忌である。

「平日は社会のために、
休日は自分のために汗を流す」

を信条とすべし。
 

故に、
今日は愉しみを二つほど準備した。

昼間は趣味に没頭し、
夜は夕刻から福博の街に出掛ける。

まだ夜も明けぬというのに、
想像するだけで、

愉しむ前から、
愉しくて仕方ない。


どうか今日と言う日が
追憶の善き日に名を連ねる
一 日と成りますように。

ジョニー・キャッシュ
「 Good Morning Friend」

Johnny Cash - Good Morning Friend

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「我が夜の生態」

2015年12月01日 | 日記

陽が傾けば
随分と暑さも和らぎ、

訪れた秋の快気に
満たされ過ごした日は、
つい昨日のこと。


涼感を愉しむ間もなく、
更に陽は傾き、

昼は次第に短く、
月は乾いた大気で次第に輝きを増し、
気温は次第に下がり、

肌は冷気に気付き、
冬の訪れを知る。


季節は移ろい、
今年も寒い冬がやってきた。

と言うのに、
決まって晩酌は、外。

そして、夕餉の〆も
喜多里亭のチェアーに再び、身を沈め、
「今日」という名の肴で残りの酒を飲み、

輝く月と、月が照らす庭を眺めては、
愛する木や草や花たちが、
どんな春を迎えるのやらと、

募る思いに何時しか酒も飲み
干し、
やがて、
床に滑り込む。


この、小生の夜の生態は
季節に限らずいつものことでも、

「季節に違い」と言うのなら、

「Tシャツ一枚で水割り」が、
「厚手のウールでお湯割り」
ぐらいなもの、

酔いどれ親父の所作は
おおよそ年中、変わらない。


日記を書き終えたら、
外で晩酌を始めるが、

夕餉が終わっても又、
「今日」を抱えて外に出る。

結局、一生うだつも上がらず、
何の取柄もないままの、
パッとしない人生を送り続ける
酔いどれ親父でも、

夜ともなれば月と一緒に、
誰よりも光り輝く時が、
やってくる。


♪ 

私を月まで連れて行って
星たちと遊ばせて

ジュピター(木星)やマース(火星)では
どんな春を迎えるのか見せて欲しい

つまり 手をつないで欲しいんだ
だから ベイビー キスして欲しんだよ

♪ 

「Fly me to the Moon」

ビーギー・アデール・トリオ 

 


コメント
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