我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「訪れた 一瞬の幸せ」

2017年09月28日 | 日記

三十歳ぐらいの奇麗な奥さんが、
一人でレジに並んでいた。

親父はその後に並んだが、
二人共、商品は買い物カゴも不要な量で、

奥さんがレジに商品を置き、
何気に親父もその隣に
自分の商品を置くと

奥さんのレジを始めた
若い店員さんが親父の顔を見て

「お客様も、(奇麗な奥さんと)
ご一緒ですか?」

と尋ねるので、

「(私たち)夫婦に見えますか?」

と返すと、
店員さんがニコッとしたので
親父は続けて

「見えましたら、光栄です」

と返した直後に、隣で
そのやり取りを聞いていた奥さんが
「クスッ」と笑ったかと思ったら
はっきりと一言、


「私も(光栄)です」

奥さんは嬉しそうに軽く会釈をして
店を後にしたが、

親父は奥さんが
言葉を発することすら
予想しないばかりか

よもやのこの言葉に、ただ、唖然。

驚いた。
この世には親父の洒落が通じる
お姉さんがいるんもんだと。


「笑いとは緊張の緩和である」

亡くなった
桂枝雀師匠の言葉である。

つまり、

「緊張が緩和した時に、笑いが生まれる」
と言う、師匠の理論である。

レジの小さな空間の僅かな時間に
親父の懲りない いつもの軽口から
三人の口元に笑みが生まれた。

親父にはこれが、無性に嬉しかった。

奇麗な奥さんのお顔は、
横から窺(うかが)っただけで
今もはっきりと覚えていない。

しかし、あの奥さんが残した
「私もです」の言葉は

たちまち恋に落ちて仕舞いそうな、
幸せな一瞬だった。

今夜も「My favorite songs」
の番外編。

ロック史上に残る名曲

ザ・ビーチ・ボーイズ

「 Good Vibrations」

 

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「災い転じて、福となす」

2017年09月21日 | 日記

ごん子さんからのコメントのお返しを
今日の日記に。

 

ごん子さんへ

怪我を負った後の数日は、
まばたきさえ痛く、目を閉じていることが
完治の近道と判断しておりましたが、

先生の「できるだけ動かすこと」の言葉に、
昨日はリハビリを兼ねた日記となりました。

その日記に早速のお気遣いを頂き、
心より御礼を申し上げます。
  

その眼の怪我も今日で四日目となり、
随分と痛みも癒えましたが、
全治には今しばらく、時を要するようです。

ところで先日は、
大分を襲った豪雨が気になり
鬼嫁に安否を確認する電話を
催促することになりましたが、

ごん子さんのお家族を含め地元の皆様、
大事に至らず安心しております。 

我、思うに
台風や地震などの天災により負った
不慮の怪我ならある意味

「致し方なし」としても、

バスタオルで顔を拭くのに、
眼を開けていた・・

何とも呆れたこの体たらくの
「不覚」と言うにはあまりにも
情けない怪我の因みが、

自ら招いたものとなると、

常々、いくら洒落が好きな輩でも
周りからは失笑を誘うが落ち。

嫁が私の言うことを
聞かないのは慣れていますし、

その因みは自身にある訳で、
今更、深刻なことでもありませんが

自分の身体が自分の言うことを
聞かないとなると

実のところ、ことのほか
傷心致します。

日頃は、見事に老けゆく
同級生を前にして、けして、
「己はまだ若い」とは
嘘でも言えませんので

「御齢、六十六」だの、
「前期高齢者」だのと、

表面上は歳相応の老けを
装ってはおりますが、

悲しいかな、それも過去形・・
 

実は、私が眼の怪我で
病の床にいることも知らずに、
近況を報せる
滋賀のチャーリーからの電話で、

私からの、
悲惨な怪我の結末に続いて
彼曰く、

「日頃のウォーキングも
トレッキングポール(散歩用杖)を
使った方がいいよ」

それを聞いて、

「うら若き青年に向かって、
冗談じゃないよ!」

とは、けして言えません・・

近いうちに必ず、
杖の助けが必要になるでしょうし、 

これからも益々、
身体は主人の言うことを
聞かなくなるでしょうが、

お互いに気分は、
「うら若き美少年」、「永遠の美少女」。

手には、
「転ばぬ先の杖」で参りましょう!

今日もごん子さんのお蔭で
眼のリハビリが出来ました。

ここでリハビリの眼を一度閉じて
永遠の美少女の面影を
思い浮かべることにします。

リハビリ以上に、
回復が早く訪れますようにと。


お礼の最後に

「全快しましたら、
素敵なお目目になってるかも」
のお言葉、

「災い転じて、福となす」

頂いたお言葉で私も段々と、
その気になっております。
 

今日の番外の「My favorite songs」、

ごん子さんのお見舞いのお返しは
最近、一番よく聞いているこの曲を。

ジョージ・ガーシュイン作曲
「ラプソディ・イン・ブルー」 

小澤征爾指揮 ベルリン・フィル 
プラス
マーカス・ロバーツ・トリオ 

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「弱り目に 祟り目]

2017年09月20日 | 日記

夏の初めに、
二軒先の新築現場から
上等の長尺ものの廃材を
頂戴した親父は、
あるものを創ると決めた。

有難いことである、
親父の意識が
ある方向に向かうと、

身体は異を唱えず、
意識に連れて
同じ先へと向かってくれる。



年を追うごとに熱くなる
夏のさ中にもありながら、

身体は文句一つ言わず、
親父の意識に
健気(けなげ)に応え、

家の通りに面したスペースに、
頭の中にあった幾つかのアイデアを
形にすることができた。


有難いことである、
アイデアを形にできるのは、
心と身体があってこそ
であり、

アイデアが枯れぬ間は、
ひたすらに頑張って頂きたいと
願うばかりである。



普段は
「甲斐性無し!」だの
「役立たず!」などと、

鬼の如き面をした嫁から
罵(ののし)られ
蔑(さげす)みを頂くだけの
憐れな親父でも、

一旦、その気になれば
「水を得た魚」の如く、
その勢いを止めるのでさえ
容易くない。


ところで、世に
「鬼の霍乱(かくらん)」
なる言葉がある。

「攪乱」とは、
日射病・熱中症のこと。

「鬼」とは前述の
「春日の鬼嫁」のことではなく、
「健康な者」のことであり、

「鬼の霍乱」とは、
至って健康な者が
突然、病に倒れる

ことを言う。


さて、今日の日記の「鬼」とは、
この日記の主である。

今夏の熱いさ中には、熱中症何ぞ
意にも介さなかった親父が
あろうことか、

唯今、九月に入って二度目の
病の床にある・・・


日曜日の夜のこと、風呂上がりの
バスタオルを持つ手が不覚にも、

右の目を思い切り突いて、
眼球を大きく傷つけて仕舞った。

瞬間、痛みよりも唖然、
呆然自失。

タオルで顔を拭く最中に
目を開けるとは・・・


これは意識と身体が
同じ方向にない現象であり、

生まれてこの方、
何度も繰り返してきた一つの動作で
関連して働く身体の部署が
その役目を怠っている。
ということか?

自分でも信じれれない。
「とんだヘマをしてしまった」と
無念でならぬが、
てめえの身体がやったこと、
誰も恨めない。


季節の変わり目の
長びいた風邪のお次は、

この先、こんな思いも寄らぬことが
待ち受けるのではと、

弱り目に祟(たた)り目の、
「鬼の目にも涙」ならぬ、
「鬼の目に眼帯」の今日である。


画像は、

永い患いの風邪をひく前の
八月末に完成したスターダスト前の
ランプのついたボード。

季節の移り目の病と
不覚の怪我を重ねた
唯今の心境、

アイデアの尽きるまでの暫くは
幾久しく健やかでありたいと
願う心に 明かりを灯す秋の夜

 

あとがき

 今日の通院で、
「痛みが和らいだら、
少しは眼を動かした方がいいですよ」
の先生の言葉を受けての

片目の日記と、相なりました。

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「My favorite songs(19)」

2017年09月13日 | 日記

つい、躓(つまづ)き
平衡を失うと足がよろめいて、

前のめりになったと思ったら、
身体はそのまま倒れ込み、
起き上がるまでに数日を要したのは、

「秋がやって来た」
と、喜んでいた矢先のことだった。

躓いたのは秋、
倒れ込んだのは布団。

身体はまだ、夏のままの
気配は秋の涼しさに
身体はやにわに順応せず、

季節は
夏から秋への引継ぎのさ中に、

秋を待ち焦がれる慌て者は
嗚呼、情けない、

早速、風邪をひいて仕舞う。


御齢、六十六。

当の本人「まだまだ、若い」と
勝手に自負してはいても、
若いのは所詮、気分や感性だけ。

風邪をひくのは致し方ないとしても、
問題は思い以上に
回復に時間を要すること。

免疫力の低下も甚だしいが、
一体、日頃の走りや歩きは、
何の役目を担っているのかと、
いぶかしくもなる。


しかし、
これはまだまだ、序の口。

行く末には、越えねばならぬ峠が
幾つも待ち構えている。

それを思えば前途多難ではあるが、
幸いなことが一つある。

生来のひねくれ者で
性根の嘘つき親父でも、
身体だけは唯一、嘘もつかず、
正直なことにある。

無理をすれば、必ず、
何処かが悲鳴を上げ、
何処かが病む。


ことを成す時、
何があっても心が先に出ず、
身体が先に出ず。

今回の怪我(風邪)の功名、

「心と体は、両輪なり」

と、見つけたり。

病み上がりの
「My favorite songs」


「丘を越えて」 

作詞:島田芳文 作曲:古賀政男

唄: 矢野顕子

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