我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「昨日より、今日」

2015年08月30日 | 日記

何をするでもなく、
呆然と過ごす日も一日。

時が経つのも忘れてしまうほど、
何かに夢中になって過ごす日も一日。

朝から酒を喰らい泥酔して
前後不覚で一日を棒に振るのも一日。

一日をどう過ごすもその人の自由。


他人が人様の私的な一日を、
とやかく言う筋合いのものではない。

一日をどう過ごすか、
あるいは、どう生きるかの
選択肢はすべて自分にある。

人生の折り返し点を
とっくに通り過ぎた私には、
やるべきことが山ほどある。

限られた時間の中で
どれから手を付けて良いのか
迷うにもかかわらず、

何一つとして完結したものはない。

それはすべてにおいて中途半端。

中途半端のまま、人生が完結してしまいそうで、
心中、焦燥感に苛まれたりもするが、

先日、そんな私の心を払拭する
言葉と出会うことになる。


それは、Webのコラムで見つけたもの。

作者は、
「中途半端でも続けることに意味がある」
と言う。

「続けさえすれば、いずれはことを成す」
と続いた。

この言葉に私は安堵して、
焦る気持ちから開放される気分を
頂くことになった。


人は
「人生を、幸せに生きていたい」
と願う。

金儲けが下手なばかりか、
自ら失うことしか知らない私は、

お金で得られる福感を、
違う方法で探そうとする。

それが音楽であり、
庭いじり等の趣味であり、

家族や友人との絆だったりする。


開高健著「オーパ」の中に
こんな言葉がある。

一時間、幸せになりたかったら
酒を飲みなさい。

三日間、幸せになりたかったら
結婚しなさい。

八日間、幸せになりたかったら
豚を殺して食べなさい。

永遠に、幸せになりたかったら
釣りを覚えなさい。

そうです、私の友人に
永遠に幸せな男がいる。

この男、
達者なのは釣りに及ばず、
喰らうことならすべてに熟達している。

基本的にこの男の性分は、
「食い意地が張っている」
のだと察するが、

「食い意地が張っている」
からこそ、

「旨く喰らう術に長けている」
と言うことだろう。


昨日、中途半端な
燻製の技術を磨くために、

雨を眺めながら、
七輪に火を起こすことにした。

今回は「温燻製」。

準備が済んで早速、
この男に温燻製のご指導を願う
電話を入れる。



3時間後に出来上がったが、
下ごしらえのない食材にもかかわらず、
美味しく頂くことができました。
(何故かここで 、敬語にかわる)

愛人様から頂いたお酒と燻製。


この男のおかげで、
中途半端な燻製技術も
随分と上達し、

心と食の、二つの幸せを
得ることができました。


雨が落ちたらできないこともあれば、
落ちてもできることもあり、

「一日を何をして生きるか」、

その選択肢は自分にある。

そこに、どなたかからの
有難いアドバイスを頂くだけで、

念願の技術は向上し、
中途半端は解消され、

一日だけでなく、永遠を
幸せに暮らすことができます。


この男、「燻製の師匠」とは、

山女魚小僧のこと。


兎にも角にも人一倍、
食い意地が張った男、

いや、師匠です。


師匠のおかげで、
昨日より、今日の
私です。

感謝です。


師匠へ、

画像を一つ忘れております。

ただ今、午後3時。今から、春日公園、
気が向いたら、後で追加致します。
 

愛人様へ

お酒、美味しゅうございました。 
感謝です。 


いつか、アップしたいと
思っていた曲、

Spiral Starecase 
「More Today Than Yesterday」

「昨日より、今日 」

 

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「愛人」

2015年08月29日 | 日記

今日は昼から降り続けた雨で
ジョグ&ウォークを諦め 、
燻製を作ることにした。
 

どうしても書いておかなければ
ならないことがあり、

燻製の出来上がるまでの時間に、
そのことを今日の日記にすることにした。



唐突だが、実は私には愛人がいる
それも一人や二人ではない。

その愛人の一人から、お酒が届いたことを
日記にする機会を失い、
既に十日を過ぎれば、 

今更、お礼を届けるには遅きに失するが、
何人も愛人がいると、誰から頂いたのやら
きれいさっぱり、忘れて仕舞う。

それがいつ何時、喧騒の
火種の元になるやも知れない。 

これからの、私と愛人との関係を
より良好に維持するのためにも
書き留めておくことにした。 
 

ところで愛人といえば、

先日、
NHKの番組「歴史秘話ヒスとリア」
で紹介されたのが 

初代内閣総理大臣で、
稀有な女好きで有名な伊藤博文の妻、

梅子の物語。
 

博文は最初の妻と離縁し、
芸者上がりの梅子を
妻の座に迎え入れたが、

相も変わらずの、女遊びは止まらない。

しかし、梅子は
そんな博文の女道楽を許し、

総理大臣の妻として、
外国の要人を招待する鹿鳴館では、

外国人に引けを取らぬダンスを披露し、
努力し教わった英語を流暢に喋り、

ファースト・レディとして、
夫、伊藤を支え生涯を貫いた女性。


実は私の愛人は、梅子と同様に
英語を習った過去がある。

それも、なんと私と一緒にである。

「一緒に」と言うことは

何を隠そう、私の愛人とは、

同級生なのである。

その数、右手、左手
右足、左足の指ては、数えきれない
優に、100人を超す。
 

梅子が習ったアルファベットは、
A B C D E F G H I J K L M N ・ ・ なのだが、

同級生の愛人と習ったアルファベットは、
A B C D E F G I J K L M N ・ ・ 。 

何故か、二人の習ったアルファベットには、

G とI の間に、Hが
ないのである ・ ・ ・ 


愛人を囲う財も無ければ、
甲斐性もない私は、

勝手に同級生女子を
「愛人」と呼んでいだけの事。

あなたと、今はとっくに爺の愛の間に、
Hは不要なのです。

爺=G  愛=I


と言う訳で、遅くなりましたが、

「全量槽搾り
天然阿蘇湧水仕込み純米酒」
(河津酒造)

本妻と美味しく頂くことが出来ました。

今後も、Hなしの愛人で、
宜しくお願い致します。

燻製が出来上がりました
この模様は明日。

故に今日は、
画像も音楽もありません。 

愛人に免じて、ご免! 

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「秋はもうすぐ」

2015年08月26日 | 日記

九州北部を直撃する
大型台風の進路情報と、

各地の様子を報せるTVニュースに
目は離せないまま、落ち着かぬ夜。


明け方近くの午前四時ごろ、
いよいよ
家屋を揺らすほどの凄まじい勢いの
台風は襲ってきた。

「どうか、被害に遭いませぬように!」 

手を合わせ、ただ願うだけの、
非力な私。
 

そして、台風は過ぎ去り、
落とした木の葉が散乱する家の前で
近所の奥さんとの会話。
 

奥さん
「昨日の台風、久し振りに怖かったね!」


 「雨が少ないから良かったけど、
風が強くて、寝つけませんでしたよ」

奥さん
「霜野さんとこは、おばぁちゃんが
自慢にしていた木が、奇麗な花を付けたまま、
根元から折れていたけど、

 おばぁちゃん、がっかりだと思うよ」


「そうですか、
うちはお蔭さんで
二階のベランダの屋根が
 
一枚めくれたぐらいで済みました」。

奥さん
「台風が過ぎたとたんに、
今朝は涼しくなったけど、

 このまま、涼しくなってくれれば
良いけどねぇー」
 

奥さんはそう言って、
向こうに歩いていった。
 

久々の大型台風も難なく過ぎ去れば
間近に迫り来る、あの緊張の
タガも外れ、

台風を話題の会話も、
最後はいつも通りの、世間話し。
 

「 このまま、涼しくなってくれれば
良いけどねぇー」

奥さんの最後の言葉に、
私は言い返し損ねた言葉があった。
 

 私  
「奥さんが気付かないだけで、
もう、直ぐそこに、
秋は来てますよ
」。


 
 「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども
 風の音にも おどろかれぬる」  

(古今和歌集)

           
台風で めくれた、我が家のベランダの屋根。

この程度で済んで、何より、何より。


そして、秋はもうすぐ。 

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「続:の気分」

2015年08月24日 | 日記

昨日の朝、
退っ引き(のっぴき)ならなぬ
報(しら)せを受けて、

一日の予定をすべてキャンセルし、
急遽、車をリトルへ走らせた。

一時間半ほどで到着。

気掛かりな報せは大事に至らず、
その場に集う人達に
安堵の笑みがこぼれたものの、

先のことなど判らない。

それで暫らく様子をみるために、
私たちはリトルに留まることにしたが、

私は、取り立てて何もすることがない。


ここは、リトル。

夏休み以来、
10日ぶりの思わぬ故郷。

そこで私は思いついた

10日前、年に一度は必ず訪れる、
私にとって「聖地」に等しい、
ある場所に行く機会を失ったまま。

ある場所とは、
「奴留湯温泉共同浴場」。

奴留湯(ぬるゆ)の名の由来は、

殿様とその家来たち、
奴(やっこ)まり入る

「奴留湯」。

いつの頃からか、そう呼ばれ、
人々に
親しまれ、愛され続けてきた。


5月の加賀殿の神事の後、
北里在住の北里光男さんから、
届けられた資料では、

「奴留湯」の以前は、読みは同じだが、
「温湯」と書いていた。とあった

古(いにしえ)の「温湯」から、
奴留湯」に至るまで、

我がご先祖さんの方々は
代々、この地を命がけで護り、
暮らしを続けてきた。

ご先祖さんにとって、この温泉は
暮らしにも、商いにも
掛け替えのない存在であり、

時には戦いで
身体についた血を洗い流し
疲れ切った心を癒したはず。


前述の北里さんに、
資料を届けて頂いた切っ掛けは、
5月の神事の際、

故郷に存在する古い歴史書の中に、
我が直系のご先祖様の系譜の有無を
お願いしたことに、端を発している。

そこで調査の参考にと、
曽祖父の名前を伝えた。

数日して、北里さんから届いた書面には、
曽祖父から遡(さかのぼ)ること
五代上のご先祖さんのお名前が、
綿綿と記されている。

驚きであった。

その初代から数え、
曽祖父が六代目、
私は九代目にあたる。(注)

我がご先祖さんの皆様方が
命を懸けて護り、愛し続けた
この地のこの温泉を、

「聖地」と呼ばずに、
なんと、お呼びすれば良いのでしょうか。


開高健の単行本に、
「川は眠らない」のタイトルがある、

ぬるいけれど、お湯も絶えることなく、
今も沸き続けている。

ならば、同じく、 

「温泉は眠らない」。
 

朝の報せは、ひとまず事無きを得、
さっきまでの気掛かりは、すっかり忘れて

掛け流しのお湯に首まで浸かり、
思い切り手足を伸ばし、

風呂の中で居眠りしそうな
のんびり寛(くつろ)ぐ小一時間

外で待つ奴(家来)などいないのに、

「おーい、今から上がるぞー!」 

慌ただしさの午前と対照的な、
殿様気分の午後
 
 

古の「温湯」の時代から、
夏の「ぬるゆ」は、殿様でなくても
格別なのである。


画像は、
昨日午後の、
我が「聖地」 

 

安心して、春日村に帰り着いたのが
午後の八時。

身体にはまだ、ほのかに、
温泉の匂いが染み付いていた。


(注 )
お詫び

系譜の記述に関し、
誤記がありましたので、
書き改めました 。

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「ジーンの気分」

2015年08月21日 | 日記

曇り空を眺めて、

「あの雲が雨を落とすまでには、
あと一時間はかかるだろう」

と、高をくくったのが大間違い。

春日公園に出かけて、
ものの20分しないうちに、

俄(にわ)かに空は搔き曇り、
ついには雨が落ちだした。

雨は雨でも大粒の雨。


思惑は外れて、
公園に着くまでには、全身、びしょ濡れ。


おっさん、高をくくったお次は、
腹をくくった。

ここは慌てず、
公園を雨に打たれて一周して帰ろう、

大粒とは言え、
晩夏の雨も乙なものではないか。

折角だから、気分は、
ジーン・ケリーでいきましょう。


とは言いつつも、
思わぬ大雨で、道路は大渋滞の
車中の人の視線に

雨に濡れたTシャツには、透けた体が
晒(さら)される。


これが、女子高生の
濡れたセーラー服の透けた身体なら、
どこか艶(なまめ)かしくて、

目の毒だが、

おっさんの透けた身体では、あまりのも

気の毒。


兎に角、大雨に打たれながらも
家に辿り着き、

身体を洗うついでに、
シューズも洗い終え、
それから、今日の日記です。

年に一度ぐらいは、
傘も差さずに歩くのも、乙なもの。

大粒の雨に打たれながら、
おっさん、この曲のメロディを
口ずさんでいました。

年に一度ぐらいは、
ジーン・ケリーの気分で。

「 Singin' in the Rain」
雨に歌えば。

 "Singin' in the Rain" (Title Song) 1952 ~ Gene Kelly

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「芝浜」

2015年08月20日 | 日記

結局のところ、

「金持ち、喧嘩せず」

とは、

小生、
いくら貧乏人が勝手に解釈したところで、

己自身が、当の金持ちにならなければ、

到底、解せないことに気付いた。
 

しかし、どう考えても、

現世で金持ちに なれそうもない。

ならば、来世はこの言葉を真に理解できるよう、

「立派な金持ちになるぞ!」

焼酎を二合ほどを胃の腑に落としたところで、

小生は、そう決意した。


そこで、更に気付いた、

来世を待たずとも、

せめて、もう一合ほど飲ませていただけたら、

金持ちになった夢を見て、

「金持ち、喧嘩せず」

の言葉の意味が、多少は解せるのではと。
 

ただ、悲しいかな、

その、あと一合の焼酎が飲めないのが

貧乏人。


そこで小生、考えた、

その一合の焼酎が飲めないことを好都合に

金持ちになる夢を見ないと決めて

さっさと寝ることにした。

 

いけねぇ、いけねぇ 

万が一、夢の中で金持ちにでもなれば、

「金持ち、喧嘩せず」

の訓戒どころか、

又、あの時と同じ失敗を

繰り返す。

 

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「続:一番」

2015年08月19日 | 日記

一度、目に触れただけで、
心から離れ られないものがある。
 

今朝、Web のコラム記事で
見つけた言葉は、
見逃して仕舞いそうな短い言葉なのに

夕刻の今も、小生の心を離れずに
居座り続けている。



先人は、
己や他人の経験の積み重ねから、

「人はどう考え生きていけば良いのか」、

短い言葉の中にも、
訓戒や機知を示してくれるが、

この言葉もまさしく、その一つ。


その言葉とは、

「金持ち、喧嘩せず」。

言葉の意味は、

「喧嘩すると損ばかりで 得がないことを
金持ちは知っているので、
人と争うことはしない」。


「お金持ち」とは、まったく無縁で、
あまつさえ、家計は「火の車」、
蓄えは「永遠の0(ゼロ)」の

生涯、お金とご縁のない
貧乏人の小生にしてみれば、

「金持ちでさえ喧嘩しないのだから、
金無しのあんたは、弥(いや)が上にも、
人様との争いごとは、持っての他だよ」

と教えてくれているようなもの。

血気盛んだった頃は、喧嘩もしたし、
闘争心の炎は燃え盛ったが 、

それはもう、過去のこと。

齢(よわい)も六十を過ぎれば、
炭に例えるなら、熾(お)き火。

人も炭も、火もおさまれば丸くなり、
頭も白くなるが、如し。
 

そんな小生に、この言葉が
たとえ「訓戒」とは言えど、まるで
杭のように
心に
突き刺さったままとは、

何故だか、妙に気に掛かる。

 

「金持ち、喧嘩せず」、

ある意味で、

「戦わずして、勝つ」と言うのなら、

一方に、こんな言葉もある。


何事においても、悠悠と構えられる
金持ちとは違い、

期せずして、争いごとに遭遇した時の
貧乏人の然るべき対処は、

「逃げるが、勝ち」。

逃げて、逃げ通せるには、走るに 限る。
 

小生、今日も夕刻の小雨の中を、

「雨に濡れるも、汗に濡れるも、同じ」

と、先ほど、春日公園から逃げ通せたばかり。

「金持ち、喧嘩せず」
の言葉が、
 気に掛かったのが、
やっと解(げ)せた。

「貧乏人、逃げるが勝ち」、

「逃げるなら、走るが一番」。

そして、 

「走ることさえ出来なくなれば、
逃げるどころか、すべてを失くしますよ、

貧乏人は、身体だけが財ですからね」 。
 

今朝から気に掛かるあの言葉は、
 

貧乏人は、
逃げるが、一番」。

さらに、
「走るが、一番」。

つまりは、
「健康が、一番」。


そんな、小生への
訓戒でありました。

 

本日の学習、

「貧乏人、喧嘩せず。
ただ、逃げるのみ」。 


今夜は何故か 、

Japanese Stream Frog song

カジカの鳴き声

 

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「一番」

2015年08月17日 | 日記

子供たちが帰ってしまう最後の日に、

「夏休みで何が楽しかった?」

と尋ねてみた。


その問いに答え、
子供たちが選んんだ
楽しかったことや、心に残る
想い出の

ランキング、ベスト・スリーは、

第一位

佐賀県呼子の 
「半潜水型海中展望船ジーラ」。


(画像は借り物)

第二位
「小田温泉 露天風呂 」。


第三位
「パパが焼いてくれたBBQ」。



ベスト・スリーの中に、
なんと、我が

「 そうめん流し」も、「露天風呂」も

ランキング外  ・ ・


我が心血注いだ二つが、

ジーラに負けるのは致し方ないとしても、

よもや
パパの焼いた BBQにも劣るとは ・ ・


うん、 

などと、落胆しないほうが良い、
子供は、正直なのだから。

しばらくして、少し大人びてくると、

「みっちゃんの露天風呂が一番!」

などと、心にもないことを言っては、
爺(じじぃ)を喜ばせておいて、

何かをせしめる、狡猾さを覚えてくるから、
始末が悪くなる。
 

露天風呂も、本物には負けたし、
BBQもパパに負けたけれど、

「もっと、完成度を高めてねっ」

と、言ってると考えたほうが
賢明である。


選外になった、そーめん流しと、
露天風呂の入浴画像を見れば、

なぜ、そうになったのか、
その表情を見れば、一目瞭然。

そう、楽しそうにない。

仕方なく入らされて、子供ながらも
取り繕(つくろ)う、笑顔。


二人にとって、ジーラの想い出は、カラーでも、
そーめん流しと、露天風呂の想い出は

とっくに、セピア色。


子供にとっては、
みっちゃんの露天風呂」は、「四番」 、
そうめん流しは、「五番」 。
 

 そして、私にとっては、

子供は正直が、「一番!」
 

私は、一日も早く、
子供が大きくなって欲しいけれど

このまま、正直に育ってくれること、

それが、何よりも「一番」です。


今夜は、私が永ちゃんの曲で、
「一番」、好きな曲。

「時間よ止まれ」 

 

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「続:静かな夏の午後」

2015年08月16日 | 日記

予め課せられた仕事も家事もなく、
受け持つべき責任からも
一切解放されて、

自由気ままに一日を過ごすのも、
たまには良いものです。


夏休み最後の日の日曜日も、
早朝には早速、バンクの散歩と入浴を
済ませてからは、


これからあとの一日のすべての時間を、
自分の意のままに過ごせます。


夕刻に春日公園に出掛ける以外に、
外出の予定もなく、

外には、昨日の蝉の鳴き声も、陽ざしもなく、
ブラインドを上げ、戸を開け放ったら、

天井のファンだけで室温は30℃。

快適な佇まいの中で、
まずは、好きな音楽を聴くことにしました。


いつものように、You tubeで、
曲探しをはじめていると、

そこに、一人のミュージシャンの
驚きの記事、

私の愛するトランペッターの
訃報の記事です。


ほんのつい先日、
私は彼の演奏に酔ったばかりで、

今も現役で活躍中と思っていたら、
今年のスージィーの誕生日の同日、

3月8日に亡くなられていました。


五か月前の彼の死の報せに触れ、
故人を偲び、改めて、
彼の演奏を聴くことにしました。

演奏は、最初に彼のトランペット・ソロ。
そして、ピアノ・ソロが続いた後で、
彼にソロが戻った時


たまらず涙が滲んでしまいました。


今日はこの後も、自由気ままに
一日を過ごすつもりです。

日記も書かないつもりでしたが、
愛する人が亡くなったことを
今日、知りました。

かつては、何度も酔いしれた演奏を
今日は死の報せに落涙し、
謝意を表すために
日記に彼を記すことにしました。

私、これも「供養」と心得ます。

涙が滲んでとまらなった曲、

「Georgia on my Mind」
ジョージア・オン・マイ・マインド

私の愛してやまないトランペット奏者とは、

故 ルー・ソルフ 氏。

享年71歳でした。
 

今日は、天井のファンで、
彼の奏でるトランペットの音(ね)が
舞っています 。

外は今日も、
静かな夏の午後

なのです。

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「静かな夏の午後」

2015年08月15日 | 日記

故郷の夏を雨で過ごした
次の日の昨日は、

エアコンの必要もないほど
気温は驚くほど低下し、

故郷リトルで、わずかな滞在にもかかわらず
すっかり涼に魅せられた私に

「このまま、秋が来るのでは?」

微(ひそ)かな期待を抱かせたのに、
これは、ただの錯覚。


夏の、ほんのひと時の涼しさは、

連日の暑さに草臥(くたび)れて、
秋を恋る人の心を
ただ、弄(もてあそぶ)ようなもの。

私は夏の気まぐれに
翻弄させられただけ。


さすがに、夏はしぶとい、

日が替われば、朝から大地には
何時もの如くの、熱い夏の陽ざしを
降り注ぎ続けている。


昨日は、蝉の声も、
枝や葉の風にそよぐ音も、
開け放った部屋に届いたのに、

今日はエアコンで締め切った部屋に、
子供たちのはしゃぐ声もない。

「静かである」。

連日の賑やかさが嘘のように、
静かなのだが、

これは錯覚ではない。


子供たちの扱いに草臥れて、
静けさを恋る私の心を弄ぶような、
昨日の、夏の気まぐれではない。

昨日、最終便で
子供たちは帰っていきました。



いくら子供たちが騒がしくても、
万が一にも
「賑やか」としか書けないし、

帰ってしまった、と言っても、
よもや、「ホッとした」とか、「嬉しい」とか、
「待ってました」とか、まして「万歳!」などとは、
口が裂けても言えないのである。

思わせぶりで、いくら熱くても、
私は静かな夏が好きなだけ。

今日は、蝉の声と
枝や葉の風にそよぐ音が、
筆舌に尽くしがたきほど心地いい

静かな夏の午後なのである。

 


相も変わらずの、
こんな爺(じじぃ)ですが、

宜しかったら
また、お帰えり下さいませ。

(写真は、後で)。 


作:バート・バカラック
唄:ディオンヌ・ワーウィック

邦題「世界は愛を求めてる」

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「平和な夜」

2015年08月13日 | 日記

昨日は、
春日村の我が家で、

そして今日は
雨音で目覚める朝を
私は故郷リトルの宿で迎えました。


家族の夏休みを故郷で
楽しむために出掛けたのに、

故郷に近づけば近づくほど、
雨音はますます強まるばかり。

いつもの夏のように故郷は
青い空が歓迎してくれるものと
期待した家族は、

降り止まぬ雨を、
ただ、恨めしそうに眺めるだけで
なす術(すべ)もないまま、
二時間ほどで雨の故郷にたどり着く。

そこには青い空がないだけで、
昔と一つも変わらぬ故郷が家族を迎え、
楽しい夜を過ごさせて頂くことが
できました。

変わらぬ人情と景色に、
ただただ、感謝です。


今日の午後、故郷を離れ、
春日村に近づけば近づくほど、

雨は上がり、次第に空は
曇り空色から青空色へと
塗り替えていきます。

みんなは、

「一日だけ、帰郷の日をずらしておけば」

と悔やむだけ。

家族が青空を期待した空は、

「雨を降らして申し訳ない」

と思っているのだろうが、

家族は一向に気にはしていません。

あいにく故郷は雨でも、いつもと変わりなく
家族を温かく迎えてくれました。


故郷の宿で観た
「戦後70年の特集番組」。

その中で、無事に祖国の土を
踏むことができた兵隊さんの言葉、


「戦地で死んだみんなに、
自分だけ生き残ったことが
何時までも、申し訳なく思えてなりません」。


雨を落とし続けた空の、瞬きほどの
二日間の申し訳なさに比べれば、

70年間は途方もなく長い。


空が曇り空色でも、
青空色でも、

来年も帰る故郷があることは
幸せなことです。

戦争のない時代に生きれることは、
もっと幸せなことです。


明日、
子供たちは我が家へ帰ります。

来年の青空の故郷を
心に描いて。

 

「空色のくれよん」

はっぴい えんど 

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「対馬小路の夜」

2015年08月11日 | 日記

殆ど外食をしない我が家でも、
( いや、できない が正しいかも )

「一年に一度ぐらいは行ってみたい」

と思わせる、変わらぬ味を護り続ける
お店もある。


その一軒が中州にあり、

大相撲の福岡国際センターに程近い、
対馬小路(つましょうじ)に、もう一軒がある。

この二軒のお店、
特段に、敷居の高い料理屋さんでもなく、

実に庶民的なお店で、
望みはせめて、年に一度でも、

「兎角、この世はままならぬ」

の通り、なかなか、行けぬが、
今の我が家である。


「年に一度は」のそんな、恋(こ)いる思いが
心にあってか、背を押されてか、

我が誕生祝いに
二年ぶりに中州のお店に六月、

もう一軒は、もう何年振りだか
すっかり忘れてしまうほど久々に
マナ・ファミリーと連れだって昨夜


昔は気軽に暖簾(のれん)をくぐった
馴染みのお店でも、

昨今は
「誕生日」だとか、「家族の帰省」だとか、

暖簾をくぐるのに、大義名分が
必要になった感がある。


何はともあれ、
好きなお店の暖簾をくぐれることは
幸せなことである。



このお店、
スージィーの会社からは歩いて
僅か5分程で辿り着く処にある。

にも拘らず、二人がこのお店に辿り着くまでに、
何年も要することになってしまう。


予約の午後七時に合わせて、到着。
テーブルには、鍋が二つ。

既に。「鶏がらスープ」が湯気を立てている。



博多の「水炊き」は先ず、このスープを飲むことから
始まるが、

私はこのスープを、最後まで
手放すことはない。

「博多ねぎの薬味」と、
好みで「塩、少々」を加えたスープは、

酒のあてに、抜群の相性だからである。


焼酎の水割りと、水炊き。そして、
スープを、幾度も繰り返すこと約二時間、

ひたすら、ゆっくり  ひたすら、深く
味を愉しむ私。

「今度このお店に来られるのは
何時のことになるのやら」

そう思えば、

おのずと、味わい深さを
しっかりと心に刻み留めることになる。


私はこのお店の、水炊きの味も、
博多ねぎの薬味を加えたスープの味も
けして、忘れることはありません。

昨夜、みんなが鍋を囲んで
幸せだったことも。

 

ジミー・スミス

「ミッドナイト・スペシャル」

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「BBQの夜」

2015年08月10日 | 日記

久々に家族が
一堂に会するお盆には、

庭や駐車場の空きスペースを利用して
屋外のBBQを愉しむご家庭が
多くなります。


エアコンで冷えた室内から一歩外に飛び出し、
それぞれのスタイルで、みんなが愉しむ会場を
汗を流しながらの設営です。

その様子を、子供たちが嬉しそうに
眺めます。


いよいよ、炭に火を起こして
BBQも始まり、肉を焼き、
互いに酒酌み交わし、

日ごろは飲み食いだけの男たち、
この時ばかりは、働き手の中心となり
会の盛り上げを一手に引き受けます。


肉を食らい酒を飲み干し、
喋り続け笑い尽くして、
存分に腹と肝を満たしら、

火を消し灯りを落として
昨日は別々でも、今日は同じ屋根の下で
眠りに就く、家族。

今や日本の津々浦々で見かける
夏の夜の光景です。


実は私、夏真っ盛りのBBQが
好みではありません。


例えば、BBQとは、

火が熾(お)きになった頃合いに、
全員がテーブルには着き、

食材も下ごしらえの調味料も
飲み物も器も、何一つ不足なく、

すべて揃ったところで、いよいよ、

「乾杯!」

で、BBQは始めるものと
小生、心得ております。


が、そのバランスが
一つでも崩れると、

小生、どうにもBBQを
無性に愉しめなくなるのです。

「ママ、お腹が空いたよっ」

「早く焼いてよ!」
 

と、最初はせかす子供も、
直ぐに満腹。

挙句は、
「おしっこ」だの、「眠たくなった」だの、
一人で退座すれば良いものを、

誰かがそれに同行し、
席は空き、焼きたての肉は冷め、
終には食べ残し食材を無駄にする。


子供と一緒のBBQが苦手ですが、
これは、躾の域を越えた子供の
本質だから性がありません。


食べることが目的のBBQですが、

BBQは、
食べることだけが目的ではない筈。


BBQとは、

家族(あるいは友人)が集い、
ふれあう喜びを
分かち合う最良の会の筈。


ただ、肉を焼いて食べると言うのなら、

季節を問わず
小生は七輪で一人、
あるいは指し迎えで二人。

炭の表面にうっすらと白い粉が
つく状態を熾(お)きと言い、

この状態になって
材料を焼き始めるのが
炭火焼の、「いろは」と、
心得ております。


食べたいものを焼き、
熱い内に頂く。

大勢のBBQのように、
誰が食べるか判らないものは

絶対に焼かない。


昨夜も随分と、
貧しき者には高価な食材を、
折角焼いたのに結局、誰も食べずに
無駄にしたものもあります、

テーブルは、一人減り、二人減りして
少しばかり心残りなBBQでしたが、
 

それでも、パパが一生懸命に頑張って
焼いてくれましたから、

満足のBBQです。

 

手がブレたのは、
感激なのか、それとも酔ったのか?
 

鉢巻姿で額に汗して頑張る、
マナ・パパでした。 


「チュニジアの夜 」

 

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「続々:吉兆」

2015年08月06日 | 日記

何事においても飽きっぽく、
長続きのためしなく、

どうしようもない面倒くさがりで、
嫌なことは後回しか、

端(はな)っから手をつけないのが
恒だった過日を考えれば、

相変わらず、「几帳面」と言う言葉が
永遠に不釣合いな自分だが、

それでも随分と、我が性分も
時が経つと共に変わった感がある。


その顕著なものに、

「時間を無駄にしない」。

「物を大事にする」。

これは「老う」と言うことに起因するのか
自身の性分でありながら、

その変り様は、当の本人が
誰よりも先ず、驚くところである。


齢をとれば、いよいよ老い先短く、
故に、時間を無駄には過せない。

老えば、ますます身入りは限られ、
故に、ものを粗末には扱えない。

「齢をとれば、みんなそうなりますよ」

と言うのかも知れない。

さらに、
自分の変り様で顕著なものが

もう一つある。

それは、少々では
「諦めなくなったこと」。


「悔いを残してはならない」
の思いが、

そうそう簡単には、
「諦めてはならない」
の意識を強めているのだと
素人は勝手に解釈するのだが、


当の本人にとっては、この変わり様が一番

好ましいと感じている。
 

かつて、諦めたものがある。

その諦めた一つに

若い時に追いかけた「夢」があった。

念願叶い
手に入れた夢もあれば、

もう少しで手中にしたものを
無念にも掴み損ねたものもある。

夢があまりにも大きすぎて
途中で投げ出し、諦めたものもあった。

「こんな家に住みたい」

画像は例えば、かつて、誰かさんが
持ちたい別荘や、夢に見た家。



先日も、夢を見たばかり、

夢は夢でも、「吉兆」の夢。

叶わないかも知れないけれど
もう一度、あの夢に向かって、

萎えかけた士気を鼓舞させるのも
悪くない。

そんな気にさせるのも
ついこの間見た夢、

「吉兆」?


「今日と言う一日は、
残りの人生の最初の日」。


確か、こんな言葉もありました。
 

そして、こんな歌もありました。
 

「ラ・マンチャの男」
主題曲、

「The Impossible Dream]

邦題:「見果てぬ夢 」

フランク・シナトラ

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「続:吉兆」

2015年08月04日 | 日記

昨夕、いつものように
春日公園へ出かけた。

予定の距離を走り終えようとした時、
20m先のゴール付近に
あのご夫妻らしき犬を連れた二人が
歩いている。

私には、どうしてもご夫妻に
伝えなければならないことがあり、
直ぐにでも追いかけたいが、

走り終えたばかりの私は、
息も絶え絶え(たえだえ)。

足は止まり、直ぐにお二人を
追いかけられる状態ではない。


次第に距離は遠のくばかりで、
一度は無理かと諦めかけた、
その時に、

犬が立ち止まり、お二人の足も
そこで止まった。

「今なら間に合う!」

追いかけ追い着き、互いに会釈を交わして、
開口一番に私が伝えたこととは、

「そちらさえ良ければ、
嫁が引き取りたいと言ってます」。


このご夫妻、実はリッター2kmの、
あの、“走る家”、ベンツ社四輪駆動の
持ち主、お二人である。

私がお二人に伝えたしたいことは、
夫妻と同じこの公園で2度目にあった際に、

お二人の飼い犬に
話が及んだことに端を発している


私が「老犬」と思っていたこの柴犬は、
未だ、三歳の青年だった。

二度目の会話で随分と
親しみを感じていたので、

つい、私はいつものジョークで、

「お二人りのほうが
早いかも知れませんね」

と言った。

すると、奥さんは真顔で、

「今、二人でそれを心配しているんですよ」

と言い出し、続けて、

「そうなった時に、子供達は誰も
『引き取りたくない』と言うし・・」

そうこぼし、
果ては、保険所の名前までが
飛び出す始末。


可愛い愛犬の行く末は、
ジョークでは片付けられぬほど、
老いたお二人さんとっては、
深刻な問題であった。



それで、

「我が家にも一匹いますが、
嫁も犬が好きだから、そちらさえ良ければ
どうするか、聞いときます」

その時は、そう言って、
その場を離れることになった。



直ぐに、このことをスージィーに話すと、
返事は言わずもがな。


そして昨日、
三度目の再会が訪れ、

私は、スージィーの

「そちらさえ良ければ、
嫁が引き取りたい」

の意向を伝えたのです


今にして思えば、その返事を聞きたくて
あの時、犬は立ち止まったのか?


愛する飼い主をすべて失うことは、
“一人”残される愛犬にとっても
深刻な問題である。


三度目の会話も、
スージィーの心がお二人に届いたのか、
互いの心も随分と和らぎ、

旦那さんから、私の住所を訪ねられ、
2km先の弥生であることを告げたら、

今度は、出身地を問われたので、

「小国町です」

と答えると、


奥さんは、

「良いところですよねぇ
私たちも、小国は大好きですよ」

と言い、

「あの車で時々、出かけます」

と言う。

そして、言葉は追いかけるように、

「良い環境に生まれた人は、
人柄も良く育つんですねぇ」

なんと、
リトルやサウスの皆さんが
喜びそうな言葉を
私が代表して頂いてしまった。


続けて、

「いつも、帰るんですか?」

と尋ねられるので、

「今度のお盆も、孫と一緒に帰ります」。

ついでに、
名前まで聞かれたので伝えると、

「北里柴三郎さんですもんねっ、
何かご関係は?」

と仰る。

それで、

「所詮、私は下賎の身。
高貴な博士とは、とんでもありませんが
縁も繋がりもある訳がありません」。


僅かな時間だったが、そんな話しで、
お二人さんとは
別れることとなったが、
 

公園から離れる時、
もし、ご夫妻がリトルを訪れた際、

絶対に私のことは、「他言無用」の、
大事なことを伝えるのを
忘れていたのに気が付いた。

もし、私の知り合いに遭遇でもし、

「今は、春日村に住んでいる
この町出身の〇〇さんを知っています」

と喋られでもしたら、

それを聞いた、私を知る男達からは、

「あの時、俺が貸した金を返せ!」
 

そして、女性達からは、

「あの時、私から奪った愛を返して!」

と一騒動。

しまいには、逃げ惑うベンツの四
駆へ
「投石事件」に発展するやも。

いやいや、これは、

下賎の輩の「下種(げす)の勘ぐり」、
いつもの、ジョーク。



忘れてはなりません、先ほどのあの言葉。

「良い環境に生まれた人は、
人柄も良く育つんですねぇ」


話しは永くなりましたが、
昨日、ご夫妻から戴いた嬉しい言葉を
紹介できて幸いです。

 

早速、良いことがありました、

それが今日の日記です。

 

気分の良い夏の夕刻には

ハワイアン・スラッキー・ギターの名曲

ギャビー・パヒヌヒ・ハワイアン・バンド
「プウアナフル」

 

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