何をするでもなく、
呆然と過ごす日も一日。
時が経つのも忘れてしまうほど、
何かに夢中になって過ごす日も一日。
朝から酒を喰らい泥酔して
前後不覚で一日を棒に振るのも一日。
一日をどう過ごすもその人の自由。
他人が人様の私的な一日を、
とやかく言う筋合いのものではない。
一日をどう過ごすか、
あるいは、どう生きるかの
選択肢はすべて自分にある。
人生の折り返し点を
とっくに通り過ぎた私には、
やるべきことが山ほどある。
限られた時間の中で
どれから手を付けて良いのか
迷うにもかかわらず、
何一つとして完結したものはない。
それはすべてにおいて中途半端。
中途半端のまま、人生が完結してしまいそうで、
心中、焦燥感に苛まれたりもするが、
先日、そんな私の心を払拭する
言葉と出会うことになる。
それは、Webのコラムで見つけたもの。
作者は、
「中途半端でも続けることに意味がある」
と言う。
「続けさえすれば、いずれはことを成す」
と続いた。
この言葉に私は安堵して、
焦る気持ちから開放される気分を
頂くことになった。
人は
「人生を、幸せに生きていたい」
と願う。
金儲けが下手なばかりか、
自ら失うことしか知らない私は、
お金で得られる福感を、
違う方法で探そうとする。
それが音楽であり、
庭いじり等の趣味であり、
家族や友人との絆だったりする。
開高健著「オーパ」の中に
こんな言葉がある。
一時間、幸せになりたかったら
酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら
結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら
豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら
釣りを覚えなさい。
そうです、私の友人に
永遠に幸せな男がいる。
この男、
達者なのは釣りに及ばず、
喰らうことならすべてに熟達している。
基本的にこの男の性分は、
「食い意地が張っている」
のだと察するが、
「食い意地が張っている」
からこそ、
「旨く喰らう術に長けている」
と言うことだろう。
昨日、中途半端な
燻製の技術を磨くために、
雨を眺めながら、
七輪に火を起こすことにした。
今回は「温燻製」。
準備が済んで早速、
この男に温燻製のご指導を願う
電話を入れる。
3時間後に出来上がったが、
下ごしらえのない食材にもかかわらず、
美味しく頂くことができました。
(何故かここで 、敬語にかわる)
愛人様から頂いたお酒と燻製。
この男のおかげで、
中途半端な燻製技術も
随分と上達し、
心と食の、二つの幸せを
得ることができました。
雨が落ちたらできないこともあれば、
落ちてもできることもあり、
「一日を何をして生きるか」、
その選択肢は自分にある。
そこに、どなたかからの
有難いアドバイスを頂くだけで、
念願の技術は向上し、
中途半端は解消され、
一日だけでなく、永遠を
幸せに暮らすことができます。
この男、「燻製の師匠」とは、
山女魚小僧のこと。
兎にも角にも人一倍、
食い意地が張った男、
いや、師匠です。
師匠のおかげで、
昨日より、今日の
私です。
感謝です。
師匠へ、
画像を一つ忘れております。
ただ今、午後3時。今から、春日公園、
気が向いたら、後で追加致します。
愛人様へ
お酒、美味しゅうございました。
感謝です。
いつか、アップしたいと
思っていた曲、
Spiral Starecase
「More Today Than Yesterday」
「昨日より、今日 」