我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「続:秋の恵み」

2015年09月30日 | 日記

深い思慮もなく、
何気ない言葉や振る舞いでさえ、

受ける側にとっては、
いたく感銘を覚えることがある。

たかがコップ一杯の水でも、
僅か五百円のお金でも、
受ける人の生命や、窮状を
救うこともある。

相手が困っていることを知って、
恵を与えると言うのなら、
これは一つの「施し」だろうが、

全く、そのつもりでないことに、
思わぬ応えが返ってくる。


一昨日、我が家に“返ってきた”のは、
秋の味覚、「Lサイズ梨」一ケース。

この時期になると毎年欠かさず届く、
愛知県安城市の「久亀梨園の梨」。


会社員時代に、単身赴任して来た
酒好きの男が一人いた。

何一つ不自由のない
家族との暮らしは一変し

福岡の一人暮らしの住まいでは
ろくに自炊もできず
、外食ばかり。

酒好きは夜毎、居酒屋で、
「夕食」と称した、一人酒。

よって、“食費”は嵩むばかり。


同僚のそんな暮らし振りも知らずに、

お客さんを我が家に呼んで、
食事をするのが好きな二人は、
彼を誘うことにした。

余程、美味しかったのか、愉しかったのか
「又、来たい」と言うので、その後も
回を重ねることになった。

私は晩酌の相手が欲しいから。

スージィーは、奥さんに代わって
「家庭料理をご一緒に」、

と、彼を誘った二人の動機は
単にそれだけのこと。


彼から梨が届く度に、

「たいしたお返しも出来ないし、
もういいよ」

私の言葉に返ってくるのはいつも、

「お世話になりましたから」。


それで、かれこれ十年近くも続く
彼の気遣いも、
今回で終わりにしようと

「気持ちだけでいいから」
と伝えると、

「実は、単身赴任のあの時期に、
度々、お世話になった有難みが
今でも忘れられません」

と言う。

家族と離れ、慣れない土地で暮らす、
博ちょん生活が、本当は、

「淋しかったし、仕事のことも有って
時には辛くもありました」
と漏らした。

十年近くもなって昨夜、
初めて聞く彼の言葉に、

二人は、ジーン。

三人の思いが一つになり
遠慮なく戴くことにした、
こぼれんばかりに、果汁たっぷりの
「秋の味覚」のこの梨は

こちらこそ、「有り難う」を届けたい
格別の「秋の恵み」です。


来春、
名古屋に行くことにしている。

スージィーの目的は、
孫の成長を見守る、小学校入学祝い。

そして私は、彼と同じく博ちょんだった
もう一人を交えての再会を果たすこと。



ところで、「博ちょん」とは、

「博多のちょんがー」の略、
いわゆる、単身赴任者のこと。

この「博ちょん」は、家族と離れて
「淋しい人」と言うよりも、

〝家族(嫁)から離れて、て”なく、解放されて
博多の安くて旨いものの食を楽しめる、

「羨ましい人」とか、「幸せな人」
と言う意味も含まれる。


今日の日記は、
全く、意図した訳でもないのに
何が「淋しい人」を「幸せな人」に
させるか判らない、と言う
そんなお話し。
 

映画「モダン・タイムス」挿入曲
チャーリー・チャップリン作曲

「スマイル」

唄:トニー・ベネット

 

 

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「秋の恵み」

2015年09月28日 | 日記

秋の味覚は、海の幸、山の幸。

どれをとっても
旨いものが潤沢な季節です。 

花鳥風月も又、
この季節ならではの趣きが、
人々を魅了します。

今日の日記は
深まりゆく秋の一夜は、
昨夜の話し。

 
アイス・ロックを三っ程落とした
ぐい呑みに、焼酎を盛る。

そこに「へべす」の汁を絞り、
同じく、
へべすの薄切りを一枚浮かべる。



暫らくして、氷が溶けて
薄切りがぐい呑みの底に沈む頃に、

今度は夜空に浮かぶ、お月さま



今宵の秋の味覚「へべす」は、
ある御仁からのお恵み、
柑橘果汁の逸品は、「日向名産」。

そして、今宵のお月さんは、
天からのお恵み、「中秋の名月」。

毎年、この時期になると、
我が家に届く、あり難き秋の恵みの
「味覚と花鳥風月」。

秋の夜は、月を肴に
一杯が二杯、三杯が五杯。

酢の酸味と異なる柑橘独特の
まろやかな、爽やかな酸味が
舌を潤(うるお)し、
月が心を照らす。

のど越しを、味わい深く重ねる毎に、
貧しき者は秋の恵みに満たされて、
心は豊饒となり、

宵が更(ふ)けるに連れて酔いも増し、
その内に、月に向かって船を出す。


「嗚呼、金もないのに今宵も随分と
、呑んでしまい、酔ってしまった」

と悔やむ心に月が射す。

月から戻り、船から下りて
今朝を迎えた小生は、心ならずも酩酊し、
日記を途中で放り出した
昨夜の反省。


へべすの薄切りが沈んだ後に、
上ったお月さんは致し方ないが、

最初に酔いに導いた、「へべす」が悪い。

と、柑橘果汁の逸品の
「へべす」のせいにする。


誰が悪い訳でもなく、
呑みすぎた本人が悪いだけだが、

その“悪いへべす”の送り主の
御仁とは、誰あろう

山女魚小僧。

そして奇しくも今夜は、
小僧の「誕生日」。

とは言え、「へべす」に代わり
送るものがない小生、

いつもの如く、曲を贈ることにしたが、
曲が好みか否かは、嗜たしなみ方一つ。


それが因で、あなたの今宵の悪酔いを
曲のせいにするのは、「禁物」。

旨さのあまり、つい、呑みすぎた
あなたが届けてるれた逸品、
「へべす」のように。

小生は、曲でも聴いて、
「今夜も、月に向かって、
船を出して欲しい」、

「叶うなら、
月から戻ってきて欲しい」

と切に望むだけなのですから。


追伸

小生からの「おめでとう」の言葉は、
秋の恵みを前にして、あまりにも
「無粋で無礼」と言うもの。

あまつさえ、厚い人望故に、
あなたを慕う多くの人の者の
中にあっては、小生の
「誕生を祝う言葉」も不要かと
省略したまで。

「へべす」をお届け頂いたあなたへの
不遜も他意も、一切、ございませぬ。
 

「せいぜい、永生きして欲しい」


の、ただそれだけの

小生の切なる望みだけなのです。

「誕生日、おめでとう」
の市販され使い古された言葉より、

「毎晩、月に行っても良いけれど、
必ず毎晩,戻って来るように!」

「戻るお家は別々だけど、
今夜もお先に、お月さんで
待っています」。



1976年発表
名盤「泰安洋行」より

「エキゾチカ・ララバイ」

作:細野晴臣

あまりにも詩が素晴しいので、
表記することにしました、



♪ 

月をよこぎる舟はとぶよ どこへゆくの
雲の彼方に浮かぶ島に ゆらり ゆらり

ゆらり ゆれるゴンドラは
 はこぶ子供の夢のせて

夜毎迎えにくる 舟が見えるかい

泣いても涙出ぬのなら 一緒に行こうか
妖精の粉ふりかけりゃ ほら身体が浮かぶよ
ボクとキミのララバイ エクゾティカ ララバイ

夜毎むかえにくる ゴンドラに乗り込もう

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「心が言ったよ」

2015年09月26日 | 日記

人には忘れられないことや
忘れられない人が居る。

心の中で眠ったままの
大切な一つ一つを、叶うならば
記憶の中から蘇らさせ、

再現や再会が果たされればと
願う気持ちが、益々、募る昨今である。


同じく、今、此処にいる
己の出生までのルーツや、

出世以後の己自身の性格の
成り立ちと所以など諸々、

知っておかなければならないことも
山々と残っている。


頭と身体が健在な内に、一つでも
再会や紐解きに着手しなければ、

時が過ぎて行くほどに、
作業はいよいよ困難となり、

何時しか死を迎えれば、
今は己の心の中で眠ったままの
大切なものでも、灰と化して終う。


心の中では大切なものであろうと、

「知らなければ良かった」

と思うこともあるかも知れない。

しかし、己が願望した以上は、
事実を無視や拒絶することは
不可である。


その作業の一つが、

「加賀殿の神事」の参加を契機に
覚醒した我が家系の紐解きで

開いた「小國郷史」の中に、
ご先祖さんの名前を発見したり、

たとえば、この日記を綴る
ふとした記述の一片から、

性格の成り立ちと所以などを
自らが発見することになる。


9月、出席者皆さんの
賑やかな雰囲気が伝わる
「65歳の同級生会」を企画し実行された
先輩のお一人児玉さんに、

資料の提供とは別のお願い事を
させて頂いた。

それは、
中学のテニス部の二つ上の先輩、
佐藤さんのお住まいを調べて頂くこと。

幸いにも、携帯の番号を
知らせて頂いたお陰で近日、

同じテニス部の一つ上で、
スージィーと親戚の伊藤さんの三人が
会することになり、

永年の念願、
優しかった先輩との再会が
まもなく実現する。

(現在、佐藤さんは西区、
伊藤さんは大宰府にお住まい)


それから、
もう一人再会したい人の名前が、
前述の「65歳の同級生会」の
出席者名簿に、

佐藤さん同様に優しかった先輩の
お名前の記載を見つけた。

その名は、
「完ちゃん」。

多分、児玉さんに尋ねれば、
すぐに連絡が付くと思うが、

今は完ちゃんとの再会は、
楽しみに残しておくことにした。



信じられない速さで 

時が過ぎ去ると知ってしまったら
 
どんな小さなことでも

覚えていたいっと心が言ったよ
♪ 

は、竹内まりや氏の
「人生の扉」の歌詞。

朝のこんな時間に
日記を書くことは滅多にないが、

心が一言、

「書けよ」

と促したので、

いたって素直な性分な私、
黙って

心に従うことにした。

 

 

 

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「野いばらの実」

2015年09月24日 | 日記

 私は我が家に
趣の異なる二つの店を構えています。

一つが和の趣き、「喜多里亭」。

もう一つが洋の趣き、
ガーデン・レストラン「スターダスト」。

この二つのお店、人の目を惹くために、
わざわざ、看板まで上げています。

しかし、
動機は単純な私の遊び心で、

残念なことに、「店」としての体は、
一切、成しておりません。

にも拘らず、「本当に営業してるの?」と
勘違いをして、“来店する人”、
あまたです。

これが遊び心でも看板を上げるからこそ、
お店は存在感も益し、
現実味を帯びてきます。


アウトドアが好きな輩は、
外で飯を食い、酒を飲むことが好きで、

庭はリビングの延長。つまり、
アウト・リビングが何時しか店舗と化し、

洒落が高じて
看板まで上げたと言うわけです。


そんな二つの店では
時に、友人を招いて二人は店主となり、
時には片方が客となって、

お店は洒落であろうと、今では
我が、「我楽多人生」のなくてはならぬ
愉しみの一項を飾る存在です。


私が上げた看板は洒落ですが、
現実に看板を上げた同級生がいます。

その同級生のお店は、
故郷リトル(小国町)、北里にあり、

屋号を

「蔵‘Cafeギャラリー 野いばらの実」

と言います。

この「野いばらの実」さん、看板を上げて既に
10年になるそうです。



「いつか、自分のお店を!」
と志す人にとっての夢とは、「看板」です。


「夢を絶やさぬこと」がいかに大変かを
私は知っているからこそ、
看板を上げたままの10年には、
頭が下がります。

そしてこれは、
食事のお店に限ったことでは
ありません。

さて、
「蔵‘Cafeギャラリー 野いばらの実」、

店名通りに、自宅の蔵を改装したお店で
癒しの空間で食事を楽しめます。

お店は、同級生の宣子ちゃんと
妹さんのお二人で切り盛り、

お二人の容姿につきましては、
それぞれにお好みもあるところでしょうが、

地元の旬の食材を使った
自慢のヘルシーなランチは、
スージィーも「お勧め!」
の定評があります。 



美味しく戴いていただく為に
食材は旬の新鮮なものを使っておりますので、

画像の食材とその内容は季節によって
替わることもありますが、一年を通して
メニューは豊富です。


店内の雰囲気。



デッキで食事も。



お店は
住所:阿蘇郡小国町北里3196
(ゆうステーションより車で10分)

 お問い合わせ:0967-46-4355

食事だけでなく、朝食付き4000円で
お泊りも出来ます。

定休日は、毎週、火曜日
&年末・年始です。


お二人さんに代わりまして
私からのメッセージ

温泉や自然を楽しみに小国町を訪れる方、

久し振りでリトルに帰える予定の同郷の方、

リトルにお住まいで「私、まだです」の方、

同級生で「冥土の土産にしたい」とお思いの方

是非、「野いばらの実」で
お食事をお楽しみ下さいませ。



ひょっとしたら、

心の隅で眠ったままの
「看板を上げてみたい」の夢が

息を吹き返すかも知れませんよ。

ご予約確認など詳細は、
とにかく一度、お電話を!




そんな「野いばらの実」へ、
シルバーウィーク初日の19日に、
中学時代の、誰が先にいっても
永遠に仲良しグループが
「プチ同窓会」で食事を愉しんでいます。

既に今日は、
4枚の画像をアップしていますので、
どうでも良いのですが、

えーい、こうなりゃついでです、
メンバーとその模様は、
以下の通りです。(敬称略) 



上段 左より、
井野 辰八  佐藤公吉 仁田水久助 近所のおっさん 藍沢セン

下段 左より(旧姓)
穴井カズ 手柴 リツ 石松トメ



 
服装で判断願います。



同じく、 服装で判断願います。



惜しむらくは、画質が悪すぎた。
画像処理を試みたが、いかんせんこの程度。
ただし、画像の再送はお断りです。

捕捉

お店の画像は、借り物。

「プチ同窓会」の画像は、
出席者、チャーリーの提供です。

そんなプチ同窓会の
「冥土の土産」の皆さんが会の後に、
そのまま、おとなしく成仏れたか、否かは 

残念ながら現在、確認できません・・・



最後に、宣子ちゃん、妹さんへ

我が愛する
ガーデン・レストラン「スターダスト」
のテーマ曲ですが、 

ビル・エバンス・トリオの 
「ワルツ・フォー・デビー」を。 


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「汽車ぽっぽ」

2015年09月23日 | 日記

己が思い描き実践した結果に満足し、
満足に導くまでの発想や技量を、

自らが高く評価することを、
「自画自賛」と言います。

そこに持ってきて、
多少なりとも他人様の
お褒めの言葉でも頂いた日にゃ、

気分は忽(たちま)ち、「有頂天」。

今回の自画自賛の対象が、
先般の「豚足の燻製」だけに、

「豚もおだてりゃ、木に登る」
と言う次第です。


とりわけ、これと言った
取り柄も特技も備えていない小生、

皆無に等しき
他人様のお褒めの言葉は、
天にも昇る
誠に有り難きことなのですが、

世間には、
たとえ「趣味の範疇」といえど、

これ見よがしに、
豚足の燻製」画像を並べ立てる、
厚顔無恥な輩とは異なり、

人様の評価も眼中になく、人知れず、
ひたすら上を目指し研鑽をつんで
いらっしゃ方が沢山いらっしゃる。

ただ、気分を悦にしているだけでは、
人間、そこまで。

「更なる努力で、更なる頂点をめざす」。

とは言いつつも、
前述の如く、ガラクタの如き、
何の役にも立たない小生は、

千載一遇のこの機会に
せめて瞬間でも、
自画自賛と有頂天の、
「“豚木”の気分に浸っていたい」
心境なのです。


今日は、シルバー・ウィークの最終日、
ただ今、午後12時半前。

昨日までの「晴天」も今日は、
いつ、雨が落ち付か判らぬ「曇天模様」。


今回の「シルバー・ウィーク」、
それにしても、秋の連休の
充実の五日間でした。

感謝です。


さて、来年は何の役にも立てずままに
いよいよ、「シルバー世代」に突入です。

歳は勝手に進んでも、叶うなら
身体のガラクタは
これ以上、進まないようにと、

曇天の空の春日公園で今日は今から
「しゅっぽ、しゅっぽ」と
ガラクタ号は、ひたすら走ります。


生まれてこの方走り続けて、
そして、来年はシルバーになる
我がガラクタ号の「ガラクタ人生」が、

同じガラクタでも、

「我楽多人生」

になることを思い描いて、
今日もガラクタ号は走ります。

人様の評価を得られずとも、
「自画自賛の我楽多人生」を
終着駅にたどり着くまで、

走り切れますように!



で、今日は、数年ぶりに、

「チャタヌーガ・チューチュー」

唄:カルメン・ミランダ


補足

チャタヌーガ・チューチューの
「チャタヌーガ」とは、
「シンシナ発、チャタヌガ行、旅客列車」。

「チューチュー」とは、
赤ちゃん言葉で「汽車ぽっぽ」のことです。

Carmen Miranda - 'CHATTANOOGA CHOO CHOO'

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「利き手」

2015年09月21日 | 日記

一昨日のシルバー・ウィークの初日を
音楽談議で過ごした後の、

取り立てて外出の予定のない
貧しき者の連休の一日は、

「ある食材で燻製を作る」
と決めていた。

その食材とは「豚足」。つまり、
「豚足の燻製」を作ってみることにした。

しかし、いざネットで調べても、
この手の食材のレシピがない。

それで止むをえず
他の食材のレシピを参考に
我流で始めることにした。


先週の金曜日、
会社帰りのスージィーは寄り道をして、
県庁の近くで、安くて美味しいと評判の、
いつもの星本商店さんから、
豚足10本(一本200円)を購入。


いよいよ、朝から下ごしらえに
取かかることにした。



5本は足そのまま(左)、
残りの5本を半分に割ったもの(右)を、
醤油・みりん・にんにく擦りおろし
唐辛子を塩梅よく調味して、
ジッパーに入れて、漬け込み開始。



と、ここまではスージィーの仕事。

小生はその間に、近所のホームセンターで
「乾燥用のネット」を購入。

2時間ほどして、漬け込んだ豚足の
漬け込み液をよく拭き取って
乾燥ネットに入れる。

陽の当たらない喜多里亭の
天井にネットを吊るし、乾燥促進用の
扇風機を当て、待つこと2時間。



乾くまでの間、時間潰しにギターを弾くが、

扇風機の風はそよそよ、
小生そわそわ、気もそぞろ。


さて、水分も飛んで、いよいよ、
燻製器に移し、七輪の炭に火をつけ、
桜の木を入れる。

途中で桜の木を追加して、
燻製すること、約4時間。



さて、その出来上がりだが
「実に旨い」。

贅沢を言うなら、
漬け込み液の醤油量が多すぎた。

それを除けば、
初挑戦にしては上出来。



皮もしっかりとして、身が崩れることもなく、
そのために、骨が外しやすいので、
外した後は 調理用ハサミでカットが容易で、
大変に食べ易い。 

とりあえず、酢醤油を用意したが、
結局、必要ないまま。
そのままが、一番。


この豚足、
見た目からか、そのグロテスクな容姿に、
食を敬遠する方が多いが、

我が家では二人とも
好物にさせてもらっている。


さていきなり、ここで余談。

豚には足が4本あることは、
ご存知のことと思いますが、
その四本、

どの足も味は均等でないことを
ご存知でしたでしょうか?

ものの本によると、
美味しいのは「前右足」。

その訳は、穴を掘るなど、
四本の足で一番働く足が、
「利き足の前右足」と言う訳。

その信憑の程は定かではないが、

ある飲み屋でお客が、
「前右足」と注文したら、店主が

「お客さん、通だね」
と言ったとか。

ジョンもいれば、ポールもいる。
多分、豚にも利き手が左もいる。

店頭で、
「利き足」とでも書いていなければ
どちらに当たるか判らない。

改めて発見したことは、燻製の間、
豚足から油が一滴も落ちてこないこと。

「ゼラチン質」というのか、
「コラーゲン」と言えばよいのか、

ボイルで余計な脂肪分は
ありません。


昨日は、「燻製のレパートリー」が
一つ増えた、喜ばしい一日。

後は、「ギターのレパートリー」を
増やすだけ・・・


さて、今日はシルバー・ウィーク中日、
現在、午後一時丁度、
穏やかな秋の午後。

これから、春日公園で、利き足のない足で
歩き、走ることにしました。


危ねぇ危ねえ、

前回同様、
大事な画像を忘れておりました、

山女魚小僧から頂いた
燻製には欠かせない、
これが「桜の木」です。


ジョンとポールで思い出したので、

「All My Loving」


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「相性」

2015年09月20日 | 日記

NHK TVで放送されていた音楽番組
「アンディ・ウィリアムス・ショー」等で、
初めて接したアメリカのポップスやジャズに、

小学校高学年の
小生の感性のスウィッチが
ONになって以来、

「生活の核」を成してきた音楽は、
小生と余程相性が良いのか、

現在に至るまでOFFになることもなく、
「生活の核」はとっくに
「人生の核」と成している。


音楽のない生活など、全く考えなれないが、

そんな輩は小生に限ったことでなく、
世の中には巨万といらっしゃる。

にも拘らず、そんな御仁とは
そうそう出会うことがない。

ところが、
そんな御仁のお二人が昨日、
我が家を訪ねて頂いた。

佐賀の西村さんと、
気まぐれ親父こと、中尾さん。

西村さんは愛器のギター二本と、
フラット・マンドリン。

中尾さんは、
「テープ・デッキが健在なら是非、どうぞ」
とブルーグラスの価値あるテープを。

中尾さんは残念ながら
、間近に控えたライブの練習で退座されたが、

残った西村さんとは
音楽論議、楽器論議を
夜の10時近くまで愉しませて頂いた。


西村さんとは
一時期、ご一緒させていただいた
ブルーグラスのメンバー。

中尾さんはひょんなことで知り合った、
すぐご近所に住む、
現在はカントリーバンドのベーシスト。

全く知らなかった者同士が、
共通の趣味の音楽が縁で集う。

シルバー・ウィークの初日を
お陰で素晴らしい一日に
させて頂くことができました。


頂いたものは
「素晴らしい一日」どころか、
今からの「人生の指針」。

「中途半端でも、続けることに意義がある」

と、先般の日記に記したが、
小生には曲りなりもギターがある。

「中途半端には終わらせないぞ」

の決意をお二人さんから頂いた。
 

それでは、これからが価格を聞いて驚きの
西村さんの愛器、

まずは、バックの西村さんと

マーチン「00028」
(1946年製)


135万円

続いて、
日高ギター「オリジナル」
35万円



写真を撮り忘れたが、

フラット・マンドリン
「ランディ・ウッド」
(1996年製)

72万円

最初のマーチンの値段は、
今でも奥さんには知らせていないとのこと。

奥さんが、当日記をご覧ならないことを
確認の上の、アップです。 
 

最後に、
益々、相性が良くなりますように」
の願いを込めて、我が愛器
ギブソン 「J-50」


お二人さんと、
そして、クマさんに感謝です。

 

「音楽と相性が良かった」
と、
つくづく思う小生、

シルバー・ウィークの二日目の午後は今から、
燻製作りに励みます。

こっちも「相性が良くなりますように」

の願いを込めて。


曲は、早速の「課題曲」

「愛餓・あいうえお」 

はっぴいえんど 

 

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「貰い泣き」

2015年09月17日 | 日記


15年前の9月の夜の、
忘れられないエピソード。


その時、
私は機上の人だった。

機内のヘッドホーンで
音楽を聴いていると、

突然、

「只今から、〇〇チャンネルで
野球放送をお楽しみ戴けます


今まで聞いたことのない、
異例のアナウンスに周囲は慌てて、
チャンネルを替える気配。

私もこのアナウンスが
何を指すのか直ぐに気づいて、
チャンネルを野球放送に
合わせることにした
 
直ぐに機内は静けさを取り戻し
その静けさは暫らく続いたが

ある瞬間、
突然、機内がざわめき始めた。

いたるところで会話が始まると、
ざわめきは更に大きくなり
異様な空気が機内を包み込んだ


ヘッドホーンを耳にして
私と同じようにそわそわしだした
隣の席の男性に目をやると、

向こうも私の動きに気が付いて、
振り向きざまに合わす目と目。

「やりましたねっ」の言葉も発せず
互いに手を差し伸べて、
握手を交わす、見知らぬ同士。

放送を聞いていない乗客は
そのざわめきが何なのか
まったく見当がつかないまま。

そして、すぐに機内には、

「おめでとうございます、
先ほど、ダイエー・ホークスの
初優勝が決まりました」

このアナウンスで、野球放送を
聞いていていなかった乗客からも

初めて知るホークス優勝に、
拍手や歓声が上がりだした。

ここが球場ならともかく、
飛行機の中の知らない者同士の
乗客の感情が一つになる。

こういう状況、
そうそう、経験できることではない。


いよいよ、
最終の福岡便は
着陸態勢に入り、
博多湾上を低空飛行を始めると

機体は傾き、窓から眼下に見える
屋根の開いた福岡ドーム。

抑えていた感情が、ここで一気に
爆発した。

涙が止まらなくなってしまったのです。


私が落とした涙の訳は、

眼下のドームの胴上げで、
涙で宙に舞う、男、王監督の
貰い泣き 。


画像は借り物

弱くて弱くて、どうしようもない
ホークス初優勝の

忘れられない瞬間です。

1999年、9月25日の
忘れられない夜でした。

時は流れて、
強くて強くて、どうしようもない
ホークス。

さて、いよいよ今夜です。

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「25・26年生 同窓会」

2015年09月16日 | 日記

まえおき

今日は、夕刻定番のジョグ&ウォークも
降りしきる雨で中止、
日記にあてる時間は潤沢。

その上、
日記に記述する内容の性格上 
随分と永くなります。

それでは、
 


昨日、リトルから
角型2号(A4サイズ)の封書が
届きました。

封書の中には
資料各種と、A4サイズ二つ折りの、
両面カラー印刷の
「ガイドブック」が同封され、

その表紙には、

- あれから5年 -
- 65歳の同級生会 -

裏面には、

母校、小国中学校校歌と、

「また5年後 お会いしましょう!」

の言葉がプリントされています。


私が心待ちにしていた
この封書を届けて戴いた方は、

児玉酒店社長、児玉政俊さんです。

この封書が届いた切っ掛けは、
今年のお盆に家族でお店を訪問した際、

児玉さんの
「9月に同窓会をします」
の言葉を受けた私の、

「会が終わりましたら是非、
内容等の資料を頂きたい!」
の我がままを
快諾して戴いたからです。


「あれから5年」の「あれ」とは、

リトルの、
中学校卒業生の伝統的な行事、
「還暦を祝う同窓会」のことです。

時の移ろいは早いもので、
先輩たちはあの同窓会から
既に5年が経過したのです。


4年前に、私自身も経験した
この「還暦同窓会」、

正式な案内が届き、
一日千秋の思いで待ち焦がれ、

喜色満面で迎えたものの、

今に思えば、一瞬の出来事のよう。

「同級生」と言う、ただそれだけの
えにし(縁)で結ばれた
人たちにしか共感できない、
至福の思い出を残して、

同窓会は、疾風の如く
過ぎ去っていきました。



あの日から5年の時が移ろい、
誰とはなしに、実に自然に
「65歳の同級生会」
の企画は
持ち上がったのだと思います。


その先輩たちの今回の同窓会は、
9月の6日(日)から7日(月)、
会場は玉名温泉の某ホテル。
 

ガイドブックには、
「出席者席次表」と宿泊希望者の
「部屋割り表」を記載。

同窓会出席者数は、
会当日の飛び込み希望者数名を含め、
80名を越す先輩たち。

6日、
リトル組の往路は、山鹿を経由して
「世界文化遺産」に登録された
「三池炭鉱万田杭などを見学して
ホテルへ。

以外の出席者は、
新幹線、JR、両玉名駅から、
ホテルの送迎バスにて集合。

受付を済ましたら、いよいよ
「65歳の同級生会」がスタート。 

翌日7日、
リトル組の復路は
サントリー九州熊本工場などを見学。

先輩諸氏の同窓会の盛り上がりや、
夜明けまで続く二次会、三次会。
そして、バスの中での様子は、

言わずもがなの、
察するところ余りあり。


児玉さんから、
「65歳の同級生会」を
お聞きした時に、「資料が欲しい」
とお願いした私の意図は、

同級生の多くに、
同種の集いを希望される方が
大勢いらっしゃるからです。

「還暦同窓会」の翌年、
福岡在住の5人を中心に
「福岡会」を企画し、沢山の方たちに
出席を戴きましたが、

会出席者や、都合で
欠席を余儀なくされた方たちから
企画者の一人である私に、

「アゲイン!」
(もう一度やろうぜ)
の声を多くの方に戴いています。

お盆には、
リトルの同級生を中心に
会も催されています。

戴いた資料は、
「もう一度やろうぜ」の、
そんな機会が訪れた時の
参考にさせて貰いたかったからです。
 

今回、児玉さんたちは
同級生名簿から300人近い人達へ
2回に分けて案内状を出されたそうです。

会開催に向けた、大変な作業です。

いくら私が
「アゲイン!」に応えようとも、
「福岡会」同様に、到底、
一人では適うものではありません。

出席希望者数が多くなればなるほど、
会は盛大にる一方で、

無事、終えるまでの苦労も
多大なものとなります。


風の便りに
前述のお盆のリトルの会で、
ジーナの
「来年は学校を卒業して、50年になります」
の言葉があったそうです。

50年は、「半世紀」、

・・・感慨深き言葉です。


もし、同級生諸賢に

-卒業から50年-
-あれから5年-

「65歳の同窓会」に
「もう一度、やろうぜ!」の方が
いらっしゃいましたら、

誰とはなしに、自然発生的に
企画が始動すればと。

私、同級生諸賢の中にあっては
路傍の石の如くの者。

でも、
一年後の開催に向けた苦労は
一切、惜しみません。

また、経験者として
会の開催の実現に向けては、

会の趣旨に賛同し、出席希望者の
極力の役割分担制、

全員企画参加型、
オール・スタッフ制の運営の
理解と協力が可能であれば、

これに適うものはないと
信じるところです。



文末ではございますが、

今回、盛会に終えた
「65歳の同級生会」の
企画を実行された有志皆様の
お骨折りをねぎらうと共に、

可愛い後輩への思いに応え
貴重な資料の数々を
惜しみなく提供して下さいました

児玉先輩に
心から御礼を申し上げます。

そして、
「また 5年後にお会いしましょう!」

が必ず実現し、
今回以上に盛会でありますことを
心より祈願いたします。



あとがき

もしも叶うなら、規模の大小、
集う人の数に関わらず、

戴いた資料が必ず、
お役に立つ日が訪れますことを

ただただ、願うばかりです。
 

只今、午後7時丁度。

外は雨も上がり、
すっかり暗くなりました。

今夜は永くなったついでに、
ありきたりでも、同窓会の定番曲、

いつもの「著作権侵害」で、
いつ止められるか判りませんが、

「人生の扉」 

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「感想文」

2015年09月14日 | 日記

一昨日、映画「綴方教室」を
(1938年、山本嘉次郎監督作品
You 
tubeで鑑賞しました。

実在する随筆家
豊田正子さん(役:高峰秀子)の
小学校時代を映画化したものです。

映画は、東京の貧しき職工の
今日食べる米もない
家庭に育つ正子が、

教師のすすめもあって、
次第に綴り方の才能を伸ばしながら、

いつか卒業式を迎え、
女工になるまでを描きます。


父が仕事にありつき、
僅かでもお金が入れば、

腹を空かした親子五人は
小さなちゃぶ台の沢庵を囲み、
ご飯とお茶だけの食事を。

仕事に溢れてお金がなくなれば、
直ぐに米びつは底をつき、
夫婦は喧嘩を繰り返す日々。

正子の母はそんな甲斐性のない父を
罵倒しますが、それでも父は家族の為に
懸命に職にありつく苦労をしながらも、

その一方では、
途方に暮れる嫁と子供たちを前に、

「明日は明日の風が吹くさ!」
(心配するねぇ、父ちゃんが何とかすらぁ!)

と笑いを振舞います。


正子は、そんな貧しき暮らしを
同級生に恥じることもありますが、

それでも家族は一つになり、
みんな、生きていきます。



私はこれほど、困窮した暮らしを
経験したことはありませんが、
多少なりとも貧しき暮らしは
身に沁みついています。


裕福な家庭に生れるか、
それとも、
貧乏の家に生まれ育つかは、

「神様の悪戯(いたずら)」みたいなもの。


私が貧しさから教わったものは、

「いかなる時も、家庭に明るさや笑いを
絶やさぬこと」。

貧乏の暮らしから受ける恥辱は、
大人であっても辛いもの。

だが、暮らしが貧しかろうが、

家庭には
お金よりも笑い声が無いほうが、
もっと貧しいことを、

子供心に私は学びました。


子供にとって大事なことは、
今の貧しさよりも
未来に夢があること。

腹を空かした嫁や子供たちの前で、

「心配するねぇ 」

の、父の笑顔で語る一言で
家中に広がる笑い声は、

夢が叶うことを
予感させてくれます。


貧乏人であっても、
失っては成らぬもの、

「親であることのプライド」、
「人としてのプライド」。


人には、
あれほど憎んだ「神様の悪戯」も
いつかは感謝する日が訪れます。

「Dreams Come True」
です。
 

これが、かつての
(ある意味で今日まで続く)
私の経験を重ねた、

「綴方教室」鑑賞の
感想文です。


あとがき

いつもながら一杯、
頂きながら 昔を思い出し思い出し
やっと、書き終えました。

「貧乏」について、
無礼な記述がありましたら、
寛大なお心持で、

笑ってお許し下さいませ。
 

「Put On A Happy Face」

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「お見舞い」

2015年09月12日 | 日記

日本の中央部を縦断した
台風18号はその後、
温帯低気圧に変わり、
記録的な豪雨を降らしました。

鬼怒川の決壊やその豪雨のもたらした
被害の模様をTVのライブで見るにつけ、
改めて自然の脅威に驚かされるばかり、

自然を前に人の力量が
いかに微々たるものかを
嫌というほど気づかされます。


栃木・茨城、そして、宮城を中心に
東日本一帯には今、
大きな災害の爪痕を残しています。

家族を失った方たち、いまだに不明の方たち、
九死に一生を得たものの
家屋や財産を失い、途方に暮れる方たちが
沢山いらっしゃいます。


地上のすべての生き物の生命を育み、
至高の優しさで
人に幸せをもたらす自然も時に、

人の願いなど一切拒み、
完膚なきまでに打ちのめす、
非情、且つ、残酷な存在、万物です。


私は、先の九州北部を直撃した
台風15号に遭遇しました。

幸い被害にあうことはありませんでしたが、
これを「幸運」と記せば、
被害に遭遇した人たちに
あまりにも無礼千万。

昨日の傍観者も、
今日は当事者です。


私は唯一、
当事者になったことがあります。

 それは、
昭和28年6月25日から29日にかけて、
九州北部に発生した、
「昭和28年西日本水害」です。

私は26年6月生まれですから、
丁度、2歳になったばかりですが、

今でもその時の記憶がうっすらとあります。

Wikipediaの記録では、

小国町宮原の
25日から29日にまでの
総降水量
1002.6mm。

最多日降水量
426.2mm(25日)。

最多時間雨量
90.2mm。

宮原の中心で、生家の裏を流れる
静(しずか)川(筑後川水系)が
氾濫しています。

この水害で、
小国町で多くの犠牲者を出した
北里地区では、

北里小学校(現在、廃校)に、
亡くなった方たち、53名の慰霊碑を建立、
当時の災害の大きさを今に伝えています。

現在は「北里河川公園」
に移設せれております。


「北里河川公園の慰霊碑」。

この「昭和28年西日本水害」で
我が家は大きな被害には
遭いませんでしたが、

西日本一帯の広範囲に
多大な被害と犠牲者を出しています。

「原因は、森林の乱伐と
治水対策の不備」と記載されています。

この水害以降、治水工事が
急激に進められることになります。

 

子供を自動車の屋根に置き、
電信柱に掴まり、ひたすら救助を待つ人、

濁流に愛する家屋が巻き込まれ、
ベランダで屋根の上で、涙を流し怯える人達。

TVの画面から伝わる臨場感も
死に瀕する程の恐怖感は、
その場にいなければ
実感できるものではありません。


家族を家屋を、家宝や財産を、

その人にしか価値の付けられない
思い出の品の数々を、

家族同然の家畜や
愛玩する動物までも

失ってしまいました。
 

いつ、いかなる時に、
また、襲ってくるやも知れぬ
悪魔のごとき天災に怯えながらも、

明日からは
傷心に希望の明かりを灯して
生きていきます。


最後になりましたが、

これ以上、犠牲者と被害が
大きくなりませんように、

皆様の一日も早い復興が
実現いたしますように、

あの日、家中に町中に広がった
みんなの笑顔と笑い声を
必ず取り戻せますように、

国民の一人として
心からお祈り申し上げます。



補足

慰霊碑の河川公園移設に付きましては、
北里勝義氏からの情報、

及び、慰霊碑の画像に付きましては、
古賀河川図書館、「碑文が語る筑後川」から
勝手ながら引用させて頂きました、
 

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「続:ロックの定義」

2015年09月11日 | 日記

今週は随分と不振だったけど、

それでも、よく頑張りました。

頑張ったのか、そうでないかは、

自分自身が一番知っています。

だからこそ、お疲れさまでした!


そして、金曜日の特別な夜は、

さっきまで書いた日記を破棄しても

自分のためだけの 

ロックとブルースの

14分6秒。



体を揺らして、

頭を空っぽにさせたら、

来週も頑張りましょう!
 

Joe Walsh - Rocky Mountain Way ; Funk 49

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「未練の絶ち方」

2015年09月09日 | 日記

肌寒い曇り空の夕刻、
まだ降りそうもないと、いつものように
ジョギングの格好に 着替えて、

春日公園に 向かおうと
家を出た途端に、雨が落ち始めた。 

上下ともに毎度の夏スタイル、
雨と風の寒さをしのぐ格好ではない。

それで、公園を諦めて
家に戻り、日記を書くことにした。 

 
人生に一度や二度の
岐路の二択に悩むような
一大事ではなくても、

人には容易く決断を
下せないこともあります。

他人様には取るに足りぬことでも
やって来たばかりの秋の

さっき降りはじめた雨の
肌寒い風一つで
心を揺らす悩みもあります。


そんな私の、秋の気配に因(ちな)む
悩みの話し。 
 

かつては、ショップの棚に
陳列された商品の中から

私に選ばれて、
我が家にやってきた、
半袖シャツ、Tシャツ、ポロシャツ、
パンツ達の夏物衣料

今はクローゼットや箪笥の中、
ハンガーに掛けられて、

再び、私に選ばれて、
活躍の場が得られると
待ち焦がれていた。

なのに、衣料達にとっては
僅か二、三ヶ月の晴れのヒノキ舞台も

私の手や足を通さぬまま、
一度も外に出る機会も無く

夏を終わってしまった衣料も
数多くあった。


これは夏物に限らず、冬物も同じ。
また、今年に限ったことでもない。


衣類は何も言わない。


でも私は思う、

「可哀相に、
申し訳ないことをした」と。


「ならば、
着てあげれば良いじゃないか!」

「まして、
何年も着ないのなら、
処分すれば良いじゃないか!」

などと、
感傷的な思いは相手もされず
一笑に付されてしまう。

人には柄があり、衣料にも柄がある。

人に恋するように、
衣料の一つ、一つにも同じく
私の一目惚れの恋がある。

簡単に「処分」とは言うが
衣料とは言え、思いは人と同じ。
愛があれば、別れは辛い。


故に、容易く決断を
下せないこともある。


五年ほど前に、
これと同じようなことがあった。

その対象は衣料でなく、「本」。

本の一冊一冊にも愛着があったが、
潔(いさぎよ)く処分を決断した。


いずれは「遺品」の衣料でも、
今は「愛着のかたまり」。

今回も本と同様に、潔く処分するか?

 それとも、このまま、
来年も同じ思案に暮れるのか?

本気で愛する衣料の処分方、
未練の絶ち方を考える、

秋の気配に、心の揺れる夜である。

少々、感傷的な今夜は、
柄にもなく、オフコース 

「秋の気配」 

秋の気配

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「映画の観(み)方」

2015年09月07日 | 日記

子供の時に観た映画を
どうしても、もう一度、
観たいと思っていた。

子供心にも
強い感銘を受けた映画がある。

子供が覚えた感覚や感激は、
すべて刹那ではなく、
生涯を貫き通すほどに、

いずれ、「人間の質の核を成す」と
信じる

この映画は、
我が愛する日本映画の中でも
印象に残る作品でったにもかかわらず、


DVD化もされず
観る機会を失ったまま、
時が過ぎてしまった。

半世紀の時が流れて、映画少年の夢は
儚(はかな)くも潰(つい)えてしまうと
諦念の思いでいた。


ところが今日、思い掛けないことが
起きたのです。


映画とは全く無縁の話題を
テーマのラジオ番組で頂いた
あるキーワードで検索したところ、

冒頭の、

”子供の時に観た映画を
どうしてももう一度観たいと思っていた″

あの映画が、

なんと、
You tubeで
観れることが分ったのです。

しかし、

半世紀も待ち続けたからといっても、
今夜は慌てて鑑賞したりは致しません。 

金曜日の夜がきたら、
半世紀の待ちに待った思いを、
微塵も表さず、

この宝物の映画を、
半世紀振りに観る映画どころか

映画そのものを初めて観る
子供の時のあの心に戻って、

そわそわ、且つ、悠々と
拝観させて頂きます。
 

その映画のタイトルとは、

「綴方教室」 です。




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「ロックの定義」

2015年09月06日 | 日記

今日、読んだ記事に

ローリング・ストーンズの
キース・リチャーズが

ニューヨーク・ディリーニュース紙の
インタビューに答えて、

「ロックは死んだ」と語り、

「大半のバンドは、
シンコペーションもお構いなしだ。

バウンスもリフトも
シンコペーション(注)もなく、
エンドレスにドスンドスンを
繰り返しているだけ」と

具体的なバンド名をあげて
酷評した。


ロック少年だった小生、
こよなくロックを愛し続けて今年、
ロック十四歳。

かつてのロック少年は
今や、ロック爺(じじぃ)。

そのロック爺、最近のロックとやらに
とんと耳を傾けなくなってしまった。

理由はキース同様、
聴いても楽しめないから。


クラシックもジャズも、
演歌もシャンソンもそれぞれに、

独自の音による表現があり、
聴き手の心を揺さぶり酔わしてくれるが、
ロックも同様。

音楽とは音を楽しむこと、
そこにあるのは心地良さ、快感。

楽しくなければ、ただの騒音、
耳を塞ぎたくなる不快感。


「音楽に貴賤なし」
と信じる小生のレコード棚には、
どんなジャンルの音源も肩を並べ、

コレクターの小生にとっては
文字通り、比肩を成している。

キース曰く、「「ロックは死んだ」。

半世紀もロックを聴き続けても尚、
「ロックの定義」を解せない小生だが、

定義や理屈ではなく、
小生の「(心地良い)ロック」とは、

聴いているうちに
勝手に身体揺れては、
そこから生まれる高揚感、
いわゆる、グルーブ。

キースの発言に首を縦に振り、
身体を横に揺らす
小生の「(心地良い)ロック」とは、
例えば、こんな曲。

バウンス=はね返り。 
リフト=揚力。 
シンコペーション=拍節の強拍と弱拍。

ジョー・ウォルシュ
「ロッキー・マウンテン・ウェイ」

Joe Walsh- Rocky Mountain Way

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