深い思慮もなく、
何気ない言葉や振る舞いでさえ、
受ける側にとっては、
いたく感銘を覚えることがある。
たかがコップ一杯の水でも、
僅か五百円のお金でも、
受ける人の生命や、窮状を
救うこともある。
相手が困っていることを知って、
恵を与えると言うのなら、
これは一つの「施し」だろうが、
全く、そのつもりでないことに、
思わぬ応えが返ってくる。
一昨日、我が家に“返ってきた”のは、
秋の味覚、「Lサイズ梨」一ケース。
この時期になると毎年欠かさず届く、
愛知県安城市の「久亀梨園の梨」。
会社員時代に、単身赴任して来た
酒好きの男が一人いた。
何一つ不自由のない
家族との暮らしは一変し
福岡の一人暮らしの住まいでは
ろくに自炊もできず、外食ばかり。
酒好きは夜毎、居酒屋で、
「夕食」と称した、一人酒。
よって、“食費”は嵩むばかり。
同僚のそんな暮らし振りも知らずに、
お客さんを我が家に呼んで、
食事をするのが好きな二人は、
彼を誘うことにした。
余程、美味しかったのか、愉しかったのか
「又、来たい」と言うので、その後も
回を重ねることになった。
私は晩酌の相手が欲しいから。
スージィーは、奥さんに代わって
「家庭料理をご一緒に」、
と、彼を誘った二人の動機は
単にそれだけのこと。
彼から梨が届く度に、
「たいしたお返しも出来ないし、
もういいよ」
私の言葉に返ってくるのはいつも、
「お世話になりましたから」。
それで、かれこれ十年近くも続く
彼の気遣いも、
今回で終わりにしようと
「気持ちだけでいいから」
と伝えると、
「実は、単身赴任のあの時期に、
度々、お世話になった有難みが
今でも忘れられません」
と言う。
家族と離れ、慣れない土地で暮らす、
博ちょん生活が、本当は、
「淋しかったし、仕事のことも有って
時には辛くもありました」
と漏らした。
十年近くもなって昨夜、
初めて聞く彼の言葉に、
二人は、ジーン。
三人の思いが一つになり
遠慮なく戴くことにした、
こぼれんばかりに、果汁たっぷりの
「秋の味覚」のこの梨は
こちらこそ、「有り難う」を届けたい
格別の「秋の恵み」です。
来春、
名古屋に行くことにしている。
スージィーの目的は、
孫の成長を見守る、小学校入学祝い。
そして私は、彼と同じく博ちょんだった
もう一人を交えての再会を果たすこと。
ところで、「博ちょん」とは、
「博多のちょんがー」の略、
いわゆる、単身赴任者のこと。
この「博ちょん」は、家族と離れて
「淋しい人」と言うよりも、
〝家族(嫁)から離れて、て”なく、解放されて
博多の安くて旨いものの食を楽しめる、
「羨ましい人」とか、「幸せな人」
と言う意味も含まれる。
今日の日記は、
全く、意図した訳でもないのに
何が「淋しい人」を「幸せな人」に
させるか判らない、と言う
そんなお話し。
映画「モダン・タイムス」挿入曲
チャーリー・チャップリン作曲
「スマイル」
唄:トニー・ベネット