我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「終:勘がえる」

2016年05月31日 | 日記

まえおき

今夜の日記は、昨日届いた
有難い頂き物にまつわる話。

ただし、頂戴した品を、

「これ見よがしに、満足げに披露する」

を趣旨とするものではないことを
冒頭に念を押し致します。

ある意味、自虐的で滑稽。
かつ、悲哀に満ちた
心情吐露の
日記です。



世の中には奇特な方も
いらっしゃるもので、
昨日、あるお方が我が家に
お酒を届けてくれました。

この時期に、このお酒。

何かのお祝いの品?

届いたお酒の謂(いわ)れは?

そう言えば、

小生の「生誕日」は
来月、8日。

「父の日」は同じく
来月の、19日。

お酒が届いた昨日は、
5月30日。

最大で20日の違いもあるし、
二つの〝記念日”には随分、
早すぎる。

では、何故?

小生、とんと
がてん(合点)がゆきませぬ。


実はこのお酒、
以前にも届けて頂き、
まだ、封も切らず大事に取ってある、
「大吟醸 燦然(さんぜん)」。

「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2016で
ゴールドメダル受賞」

及び、

「平成28年 全国新酒鑑評会
 金賞受賞」

数々の賞に輝いた、
誉(ほま)れ高き銘酒。




しかし何故、
このタイミングにこのお酒?

 それで、届いた「5月30日」が
何の日かを調べることにした。



小生、合点がいった・・・


「5月30日」は、
「ゴミゼロの日」。


小生、
こんな旨い酒を、何故、手を付けず、
後生大事にしてるかと言えば

永年、
身に染みついた「貧乏性」と、

質の高い品や空間、精神ほど、
独り占めできない性分。

誉れ高き銘酒を、
ゴミの如くの輩が、一人戴くには、
分不相応。

そこで小生、勘(かんが)える。


一寸の虫にも、五分の魂」、

「一塊のゴミにも、五分の魂」。

「燦然」の、もっとも有効な
活用方法。

万障繰り合わせ
みんなが帰って来た時に
座を囲んで、みんなで戴く。

座の始まりの
せめての、「燦然」の封を切る役を
小生が仰せつかれば、
幸せの極み。

「乾杯!」

の一言で、塊(つちくれ)者は
その場で昇天。

奇しくもその日が、
我が家の〝ゴミ”を一掃する日、

「ゴミゼロの日」。



送り主様へ、

頂いたお酒は前回同様、
大事に取っておきますから、

お盆には必ず、
揃って帰っておいでますように。

予定では来年、小生の初盆。

二本の「燦然」で、
互いの泡沫(うたかた)な人生の
久しく出会った夜長を、
みんなで盛大に祝いましょう!

小生の儚(はかな)き望みを
どうか叶えて頂きますように

心より願っております。

届けて頂いた銘酒は、
みんなで頂く品、

小生、代表して

「心から、感謝です」。

さいごに

8日と、19日を
お忘れ無きように!


今夜の曲の
唄の意味は追求せずに。

「島唄」
The BOOM 

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「勘える」

2016年05月28日 | 日記

ゴールデンウィークを徹して行った、
〝さながら遺品整理”は、

当初、予期せぬ効果を
もたすことになる。

その効果とは、

整理の最中に
いろんなところから出てきた、
いろんなモノが、

最初に出会った時の思いや、
当時の暮らしぶりを振り返らせて
くれるのです。

いろんなモノの中には
高額なものもあれば、

形が気に入っただけの
川で拾ってきた石もあり、

すべてに愛着があり、
故に捨てきれず、

されど、使わず仕舞い
飾らず仕舞いでいたモノばかり。


時が流れ、歳を重ねると共に
暮らしぶりが変わるに連れて、

自ずと好みや関心事など、
優先すべきモノが交代し、

交代を余儀なくされて
居場所を失ったモノの多くは、
ガレージや屋根裏、
収納庫や引き出しの、

人目どころか光も当たらない場所で
隠遁生活を強いられ、

いつの間にか、存在さえも
忘れ去られる運命(さだめ)。

その一つが収納庫で見つけた、
「お風呂のポスター」二つ。


そのまま、
隠遁生活を続けさすには、
忍びないどころか、勿体ない。

そこで、
あることを思い付く。


「お風呂のポスター」だから、勿論、
雨水に晒されても耐水性はある。

それで、
「お風呂のポスター」を
「お庭のポスター」にして、

スターダストのインテリアととして
働いてもらうことにした。

表に張り終えた一つは、夏向き。
「奥入瀬の渓流」画像。
( W:94 × H:61 Cm )



会社からもらった
アルミの複合板に二つを
両面に張り付けて
飾る位置は後で考えることにして、

先週、隠遁生活から解放され
ガレージから蘇った鉢の横に
とりあえず置いてみたら、

なんとも、いい雰囲気。

次回のガーデン・パーティは
このポスターを眺めながら
BGMは、「川のせせらぎ」で 

「気分は上々」、間違いなし。

もう一つの裏面は、秋向き、
額に収まった
「紅葉の下の陽の差し込む川面の風景画」。



遺品整理のお蔭で
「お風呂のポスター」は
日の目(光)を見たが、

この他にも、依然として
隠遁生活を続けるモノ、
数多(あまた)。

その一つが、当の本人。

10年ほどの隠遁生活から
解き放たれて、

さっき、日の目を見たばかりの
「お庭のポスター」を眺めながら、

時の川に流されて、形だけは
丸くなった石のような小生、

最早、カウントダウンの我が人生。

「日の目を見ぬまま
イッちゃ、遺憾だろうよ!」

と、勘(かんが)える。



曲は、
〝さながら遺品整理”で
久し振りに引っ張り出し、
「気分は上々」でリンクした 


トラフィック
「Feelin' Alright」

(1969年、リリース)

Traffic - Feelin' Alright

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「過分なる幸福」

2016年05月25日 | 日記

新しい季節が訪れるたびに、
その季節でなければ
食することの出来ない自然の食物と
一年ぶりに巡り合うことは、

生きている愉しみの
一つでもあります。

「ふきと筍三昧」の日々が過ぎると、
お次は「新玉ねぎ」。

「さやえんどう」の皮をむき、
「そら豆」を皮ごと焼き、
炊き立ての「グリーンピースご飯」の
香りに魅了されると、

私は無量の喜びに浸されます。

そして、喜びに浸る間もなく、
いよいよ、今度は「らっきょう」です。


日曜日、
らっきょうを買ってきたスージィーが
「酢漬け」を作ってくれました。

私の好みは「塩漬け」ですが、
「らっきょう」が小ぶりのために
「酢漬け」となりましたが、

今、私の晩酌のアテを務めてくれた
らっきょうは、すでに形がありません。

私、僅か三日で、すべて
食べ尽くしました。

形がありませんから
画像がありません。



この季節、有難きことに
酒のアテに困ることがありません。

酢漬けのお次は、塩漬け。

塩漬けのらっきょう
小鉢に入れて庭に出て一杯。

「ぐびぐび、カリカリ。
かりかり、グビグビ」

お湯割りとラッキョウが
胃の腑に落ちると、

次第に陽も落ちていきます。
 

好きな季節の

好きな黄昏(たそがれ)時に、

好きな庭の、

好きな緑に囲まれて、

好きな晩酌を、

好きなアテで、

好きなだけ、

今年も愉しめるのです。

「好きな」が七つも揃えれば、

我が人生、
何の不服がございましょう!


「おかずは桃屋の花らっきょう」。

こんなCMがありましたが、
我が家はさしずめ、

「肴は今夜も塩らっきょう」

となります。


こんな言葉もありました、

「男は度胸、女は愛嬌

坊主はお経で、子供は勉強
 
牧師は説教カレーにらっきょう

ここは東京、帰れぬ故郷

世間は不況で、わたしは発狂と来たもんだ」。

寅さんの祭りの香具師(やし)の
口上のようなテンポの良い
セリフなのですが、

最後の

「ここは東京、帰れぬ故郷、
世間は不況で、わたしは発狂と来たもんだ」。

とは、なんとも泣かせるセリフです。


6月の第2週の日曜日は、
山口さんちの畑で、ジャガイモ堀り。

まだまだ、
旬の野菜が目白押し、

酒飲みにはたまりません。

あまりにも過分なる幸せに、

それで私、もう少しばかり
生きることにしたのです。


らっきょうとは無縁な曲ですが、
庭で一杯やっている時はいつも、
こんな気分です。

遺品整理中に見つけ
久し振りに聴いた

1969年にリリースされた

ハービー・マン
「メンフィス・アンダーガラウンド」 

 

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「続:ホッ!」

2016年05月22日 | 日記

だ来てもいない梅雨を通り越して
初夏を思わせる今日、

ガーデンレストラン・スターダストの
夜を
より明るくする照明を屋根下に
取り付けることにした。

ガーデン・パーティの照明は、
テーブルのパラソルに取り付けた
明かり一つでも

十分にこと足りるが、

庭全体を照らした方が
緑が鮮明に浮き上がり、
庭と人に一体感が生まれてくる。


勝手に
「ガーデンレストラン・スターダスト」
と呼んでいるが、

パーティは、ただ
「庭で食事を愉しむ」だけでなく、

主人としては、出来ことなら
「庭を愉しみながら食事を愉しむ」。

逆でも同じことだが、
「食事を愉しみながら庭を愉しむ」。
と思うのである。


先週、
我が家に白い細長の鉢の
元気のないオーガスタ
がやってきた。



大きなものでは、この鉢だけ「白」。

そこで、
自称コーディネーターは考えた。

「白を増やす」。


思い付いたのが、
ガレージに眠っている
室内用の白の鉢を二つ持ってきて、
その中にギボシの鉢を入れること。

しかし、鉢は室内用。

ボトムに水はけがなく
給水や雨水が溜まる。

そこで、水やりの支障がないように
石切用のカッターの歯でボトムに
四角に穴を開ける作業。

鉢には痛い思いをさせたが、
ガレージで眠っているよりは
みんなから眺めて貰うに限る。




ところで、
今日の日記の主役は
働き場所を取り戻した
この鉢ではなく、

一週間前にやってきた
「オーガスタ」。

古い葉すべて切り落とし、
土に栄養剤を加えて、僅か一週間で、
新しい葉が三つほど出始めた。


左に一つ、右に二つの
とがったような三つの小さな葉。

「ホッ!」

新しい葉の存在を確認した昨日、
早速、デコに報告。

「他愛もないことだけど」

と、私は開口一番に
心無い言葉を言ってしまったが、
とんでもない、これは「他愛もある」こと。

オーガストにとっても、
育てる人間にとっても、
芽や葉を出すことは大事なこと。

〝ほっ!とニュース”を知った
デコも勿論、喜んでくれた。


このオーガストの鉢が
我が家にやってきたお蔭で、

〝コーディネーター”が働き、
眠っていた鉢が働き場所を取り戻し、
オーガストがまた、新しい葉を付ける。

そして、今日は照明の仕事。

今日もスターダストの主人は、
嬉しい汗をかき、

ことあるごとに、
庭への愛が深くなる。

今日の曲は、
私のそんな気持ちを唄った
大好きな曲。

「Do I Love You」
(本当にあなたを愛してる)

スコット・ウォーカー

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「耳栓夫婦」

2016年05月19日 | 日記

近所のご意見番(以後、旦那)  「オイ、ろば公。
   夜も明けぬ内から
ガタガタと音を立てて、
   何やってんだ」。

ろば 「ヘぇ、趣味のでえく(大工)仕事でございます」。

旦那 「一体、今、何時だと思ってやがるんだ。
   鶏だって寝てる時間じゃねぇーか。
   新聞配達でさえ、まだ起きてねぇーし、

   もっとも、新聞だって今、刷り終わったところだろううよ、
   判っているのか」。

ろば 「ヘイ、判っております。判っておりますが旦那、
   あっしは朝が早く来ねぇーかと、
   昨日の晩から一睡もしてねぇんです。

   昔から、やりてぇことがあると、眠れねぇたち(性質)なもんで」。

旦那 「おめぇのたちはとっくに心得てはいるつもりだし、
   子供の時はオイラも、遠足や修学旅行の前の晩は
   眠れなかったことも覚えているから、判らんでもねえが、
   こんな夜も明けねえ時間に、近所迷惑っもんだろうよ」

ろば 「朝が早えーのは、百も承知してるんですが、
   身体が勝手に動くもんで、つい」。

旦那 「今に始まったことでもねぇし、
   『いつも、周りのことを考えろ』と

   何度も言い聞かしてるじゃねえか。
   おめえには、人の意見を聞く耳が無さそうだな」。

ろば 「とんでもありません。、顔には自信がござんせんが、
   耳には滅法、自信がございます」。

旦那 「じゃ、なんでオイラ言うこと聞かねえんだ。
   おめえ、耳に栓でもしてるんじゃねえのかい?」。

ろば 「 『耳に栓!』、 旦那、さすがにいいことを言ってくれる。
   そうだ、近所の人に耳に栓して
   寝て貰えませんでしょうかね?」。

旦那 「嫁の歯ぎしりがやかましくて、耳に栓して寝た
   親父のいびきがうるさくて

   今度は嫁も耳栓した、『耳栓夫婦』の話は
   聞いたことがあるが、

   身内ならともかく、他人のおめぇのために、
   耳栓する訳ねぇだろう、馬鹿!」。

ろば 「やっぱり、無理ですかねぇ。 遠くに引っ越す金はねぇし、
   どうしたもんですかね・・」。

旦那 「なんで、そんなに朝早くから働くんだ。
   言い訳聞くから、言ってみな」。

ろば 「ヘイ、あっしの好きなでえく仕事が出来るのも、
   せいぜい後、十年かと。

   身体が動く内にやっておかねえと、悔いが残るんです。
   それを思うと辛いんで。

   近所の人が死んでしまえば、
   いくらでも音を立てられるのに。

   近所の人があの世に行く前に、こっちが先に・・

   殺す訳にもいかねぇし・・」。

旦那 「おいおい物騒な、近所の人に聞こえるぞ」。

ろば 「いやいや、聞こえた方がいいですよ。
   『音がやかましくて眠れないより、
   殺されない方が、まだマシ』と、

   きっと、諦めてくれますよ」。
    

 - 暫くして、あたりが明るくなり、春日村に朝が来た。-
 

隣人 「有難い、有難い。
   今日も生きて朝を迎えることができました。

   おーい、そっち(はぎしりの嫁)も、生きているか?
   生きているなら、耳栓外して朝めしだ。

   有難い、有難い、命はあるし、天気はいいし」。

嫁  「お父さん(いびきの親父)、お隣のろばさんも
   天気がいいから、朝早くから頑張ってますね」。 
 

ろば 「ギーコギーコ、トンチンカンチン」、
   「トンチンカンチン、ギーコギーコ」、
   「ギーコギーコ、トンチンカンチン」

 

 

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「ホッ!」

2016年05月16日 | 日記

平日に、
「休日は何かを作る」
いつも、そんなことを思いつく。

思い付いたものをイメージし、
どうやって作るか、
無い知恵を働かせて案を練る。

そして、休日がやってくる。


「待ってました!」

とばかり、

鶏よりも、朝刊太郎よりも
早く起き、逸(はや)る気持ちで

日がな一日をその案の通りに
身体を動かし、汗を流す。
 

たまには初案から逸脱し、試行錯誤を
繰り返すこともあるが、

その内に、イメージしたものが、
次第に形を成してくる。


大抵、その日の夕刻には
イメージも具現化するが、

時間と材料が不足すれば、
次週に作業を持ち越すのも
常である。


思い付いたものが完成した折の
満足は格別、
作業は日がな一日。

その満足を日記を書く余力は
悲しいかな夕刻には
残ってはおらず、

お風呂上がりの早速の晩酌で、
その日の作業を眺めては悦に入り、

繰り返す晩酌に
何度も悦を繰り返しながら

次第に夜が更けるのも、
これまた、常である。


ところが昨日は、
いつもの休日の「常」ではなかった。

GWを前に、
庭や外回りの季節を彩る
花や緑の準備も終えたし、

GWのさ中には、
家屋を震災から護る室内の
気休めの
備えも一通り終えて、

ひと段落したところ。


土曜日、スージィーは
妹デコと被災した熊本の叔母を
見舞いから帰宅。

その後、三人で
ガーデンパーティ。

日曜日はデコを同伴して、
切らした調味料を仕入れにコストコへ。

それから、デコを自宅へ届けた。


午後の2時には帰宅したが
取り立ててすることもなく、久し振りに
達郎の番組を聴くことにした。

番組後も何をするでもなく、
夕刻が近づいてくる。

トンカチも、ショベルも握らない
そんな一日が楽しくなかった
訳ではないが、

休日の過ごし方が
どこか我が家らしくない・・・

消化不良のままで、
折角の休日を終わらせられない。


それで、デコが知人から頂き、
経由して我が家にやってきた 



(画像は借り物だが、全く同じもの)

背の高いしゃれた白の鉢の
元気のないオーガスタを剪定し
再生させるための土改良作業を行うと、

小雨が降り出した頃に、
買い物から帰ったスージィーは
収穫を終えた「さやえんどう」の
小さな菜園に、「ころたんメロン」と
「かぼちゃ」と「小玉スイカ」を植えた。


暗くなる前の、
ほんの僅かな時間で、

私はオーガスタが
また、新しい葉を、

スージィーは、植えた果実が
夏には実らせる作業を終えると、

「ホッ!」

これでやっと、いつもの休日を
取り戻すことができた。


明日は本格的な雨で
もうすぐ梅雨の訪れを思わせる

日曜日の夜でした。



パソコンに差し込んだままの
USBメモリーを壊し、
ガーデンパーティの スージィーとデコの
画像がアップできません・・

お詫びにスージィーが
エルビスとも知らずに


「いい声ね」

と言ったこの曲を、
花の大好きなお二人に。


♪ 

And, yes, I know how loveless life can be.
The shadows follow me,
 and the night won’t set me free.
But I don’t let the evening bring me down
Now that you’re around me.

 

そう 短い人生だったかもしれない

僕は憂鬱だった

しかも夜は 僕を解放しようとしない

けれども 貴方がやって来てからは

僕は夕べでさえ 

暗い気持ちになることはない

 

作詞作曲 ドン・マクリーン
「And I Love You So」 

唄はご存知、エルビス。
 

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「今夜も庭に出る」

2016年05月13日 | 日記

バンクが亡くなったあの日から、
二人の会話に
キャッシュとバンクの思い出話が
途絶えることはありません。

「あの時は、ああだった。
こんなことも、あった」

心配したこと、

感心したこと、

嬉しかったこと、

そして、笑ったこと。

その時の情景が浮かび出すたびに、
懐かしみで心が温かくなります。


バンクが逝って2週間、

キャッシュを失った時に比べると
傷心が早く癒えたのは、

二人して一生懸命に
可愛がってあげたことに
ほかなりません。

愛する者を失う哀しみは
筆舌に尽くし難きでも、

悔いは微塵もありません。


二人の愛に育まれて
生涯を終えたキャッシュとバンクは
幸せ者でした。

二人にとって、スージィーが
ママであったことは
もっと幸せでした。

同じように、二人が
我が家の子供であったことも、
私たちにとって、幸せでした。


昨夜、
いみじくもスージィーが
言いました。

「私の人生、四人で暮らしていた時が
一番幸せかもしれない」。


私達が二人の話をするたびに、
心の中を二人が駆け回ります。

会おうと思えば、
いつでもそれが叶うから、

寂しくないのかも知れません。


それにつけてもこの日記、

とっくに還暦を過ぎて、
間もなく高齢者の仲間入りする
輩の書くような日記では
ないかも知れない。

「いい親父が、
犬の死ごときで感傷的になって」

ほとほと呆れ果て、
失笑に付される方も
いらっしゃるかも知れない。

しかし、
いくら齢を取ろうが、
人には大事に護ってきた
大切なものがあり、

もし、それが「愛」なら、

たとえば、人目を憚(はばか)らず
泣いたとしても、
誰にも恥じることはなく、

元来、根は正直者。

人の目には少々、女々しかろうが
こんな時にこそ、

「己の本性を貫きたい」

と思うのです。

 

今から晩酌、
そして夕食。

空腹が満たされ、酔いが回ると、
いつもの様に庭に出ます。

そこで、
庭で一緒に遊んだ
二人のことを思い巡らす

すると、二人が何処からか
やってくるのです。



だから、
今夜も庭に出るのです。
 

「星のラブレター」
 THE BOOM

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「ふれふれ坊主」

2016年05月10日 | 日記

昨日と今日、
一日中降り止まぬ雨。

その雨は
激しく降りしきる雨ではなく、

静かに優しく降る雨。

所作やふるまいの
美しさを表す言葉に

「嫋(たお)やか」

と言うのがあるが、

街中をしっぽり濡らし
静かに降り続けるだけの
ただそれだけで

情緒的な
昨日と今日の雨は、

「しとしと」

ではなく、

「たおたお」

と降るのです。

GWに酷使した身体を休めるには、
お誂えむきの雨なのです。


GWの休みの間、
材料を購入のために
近くのホームセンターに行く以外は、

外出もせず、本当に好く働いた。

2階から1階へと
かなり重い物も動かしたが、

働いた場所は主に、2階。

荷物を手にして、はたして何度、
階段を昇降したことやら。

あることを覚悟して
意を決して取り組んだ今回の大仕事、

腕も脚も、
〝覚悟の
主人”の期待に応え
重い荷物運びを
快(こころよ)く引き請けてくれました。

大仕事も終われば、今度は
その重い荷物運びの疲れと痛みを
主人の私が引き受ける番です。

いやはや、なんとも久々に疲れて、
随所に痛みを発症させました。


GW最終日の日曜の夜、
私は改装した部屋に布団を持ち込み、
遺品整理を免れ、取り付けたスピーカーに
YuoTubeから好きな曲を流して、
疲れた体を癒すことにしました。


「打ち上げ」と称し、
喜多里亭の「七輪パーティ」で
少しばかり酔った性か、

音楽が心地好くて、
不覚にも
寝入って仕舞ったのです。

その「七輪パーティ」、
火が落ち着かぬ前に
先ずは「旬のそら豆」
から。




取り付けた棚の塗装が乾ききらず、
換気で窓を20Cm開けていたのが災いし、

「今日から、仕事」と言う昨日の朝、
頭痛に襲われたのです。

どうやら、
風邪をひいたらしいのです。


今は平熱を取り戻し、
頭痛もなくなりましたが、

ほとぼり冷めれば、
「この部屋で一人、音楽を愉しみたい」と
企んでいるところです。


批評を他人に委(ゆだ)ねると、
ろくな言葉しか返ってこないが、

我ながら、部屋の改装は
思いのほか上手くいきました。


生来、不器用な男が、

「よくぞここまで
仕事ができるようになったもんだ!」

と、いつもながらの勝手な自負。


そこで、こんな言葉。

「読書百篇、自(おの)ずから
見(あらわ)る」

むずかしい本も、
百遍(ぺん)も繰り返して熟読すれば
自然に意味も判るようになる。

の意味

同じことを何遍でも繰り返せば、
読書も大工仕事も同じである。


ただし、出来上がりを悦に入るなら、
評価は他人に委(ゆだ)ねぬこと、

誰に迷惑を掛けるでなし、
人が何と言おうが
仕事はいつも、「自画自賛」。


しかし、「自画自賛」も、
身体あっての者種。

身体がよく動いたお蔭で、
充実のGWを過ごせたのですから。

身体を労(いた)わりながら、

「好きなことは生涯、続けたい」

と、降る雨を眺めながら
心に「ふれふれ坊主」を下げて、
そう願うのです。
 

今日は、しとしと でなく

たおたお と降る

心と身体を癒してくれる
二日続きの雨の日です。

 ♪

Maybe I should have saved

Those leftover dreams 

Funny, but here's that rainy day
 

多分、夢は全て叶えてしまうのでなく 

少し残しておくべきなのかも知れない 

不思議だね、こんな日に限って雨が降る

♪ 

「Here's That Rainy Day」

フランク・シナトラ

 

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「風車」

2016年05月06日 | 日記

必ず、一泊か二泊は
緑萌える季節の自然を愉しむ為に
家を飛び出すのが恒でしたが、

今年は故郷リトルはおろか、
何処にも出掛けず仕舞いの、

かつて、経験したことのない
ゴールデン・ウィークでした。

先日の九州中部を襲った
地震の余震も収まることもない
先の見えない状況に、

被災地の方たちの思いに配慮し、
愉しむべき行楽を自粛するでもなく、

私が今回の地震から学んだことを、
休日の間に実践したのです。


先ず、一つ。

移動可能なものを階下に降ろし、
二階を出来るだけ軽くすること。


今は使っていない
二階キッチンの食器棚を
二人で降ろした大仕事の後は、

移動不可能な二階で最重量の
CD・DVDの収納家具の
中身を分散し、
軽量化を図ったのです。


お次は、
洋服ダンスやタンスの
勿体ないばかりで眠った
スーツ上下や衣類。

愛着心だけで
捨てきれ無かった物を
潔(いさぎよ)く処分。

重労働も意を決して始めた性か、
目的は果たしましたが、

兎にも角にも疲れました。


随分と整理が付きましたが、
その作業はあたかも、

残された家族が行う遺品整理を、
当の本人がやっているようなもの。


二階の軽量化は、
家屋の損傷を最小限にするための
備えでも、

家屋そのものを一瞬にして吞み込む
大自然の猛威を前に、

備えだけでは防ぎきれぬ
甚大な被害に遭遇した時に
待ち受ける「死」は、

他人事ではありません。


そこで、もう一つ。

いつ何時、
己にその時が来ようが
死を恐れないこと。

何よりも、その時が来ても
悔いのないように、

今を精一杯に生きること、
愉しむこと。

「もし明日、世界が滅びようが
私はリンゴの木を植える」

の言葉通りに。


(まだ、終息はしていないが)
今回の地震で私が学んだものは、

「覚悟」。
 

覚悟の上で、明日の土曜日も、
〝遺品整理”を続けます。



今、連休初日に庭に作った風車が
風に舞っています。



風は風車と同じように、

私の心(命)も
回(舞わ)しています。
 

 ミッシェル・ルグラン作

風のささやき
 唄:ノエル・ハリスン

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「続:がんばれ、リトル!」

2016年05月02日 | 日記

昨日、スージィーの
田代の叔母さんから、

「帰ってきちょるなら、
梅干を用意しょるから取りにおいで」

の電話を頂いた。

毎年、私たちは
ゴールデン・ウィークには必ず、
故郷リトルに帰り、

親戚を訪ね、山菜を採り、
風呂に入り、

眩いほどの緑に囲まれた
リトルを存分に愉しんだ後の、
春日村へ帰る車中には、

親戚からの
梅干しなどの頂き物や、

独活(うど)、ワラビやゼンマイ。

それに、
沢山の思い出を積んで
帰るのが常でした。

しかし、今年は残念ながら、
それが叶いません。


29日に行われる予定の
北里家ご先祖様の「加賀殿」
の神事も、

その夜、小さな宿で催す
小さな同級生会も、

諸般の事情で
やむを得ず延期。

それで、叔母さんに
そのことを告げると、

「いつでも好いから、取りにおいで」

の有難い言葉を頂きました。

そうです、
故郷は本当に有難いものです。

その有難い故郷が今、
出口の見えない長い余震の
トンネルの中にあります。

田代の叔母さんも数日、
旧北里小学校の体育館で
眠れぬ夜を過ごしたそうです。


そんなリトルの画像を
チャーリーが届けてくれました。

以下がメールの文面です。

これが全てではありませんが。
地域によりかなりの差が
あるみたいです。

杖立からの道が
寸断されているためか
GWなのに人がまばらで
寂しいかぎりです。

小国.南小国これからどうするか
早急に対策が必要か。

両神社の石碑

湧き水の停まった?水位の低い
けやき水源 

けやき水源から川下に伸びる
隆起した歩道

鏡ヶ池近所の下町の蔵

チャーリーは今回の帰省で
両親を一時期、自分の家に
連れて帰ろうとしたのですが、

「離れたくない」

が、返ってきた言葉だそうです。


(北里)勝っちゃんの話では、
加賀殿の五輪塔の立派なお墓も
倒れているそうです。

 

有難き故郷がこれ以上、 
被害に遭いませんように
ただ祈るしかありません。
 

「がんばれ、リトル!」 

です。 


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