我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「晦日の 験担ぎ」

2018年01月31日 | 日記

明日から二月が始まるが、

出来るならことなら訪れる新しい月を
清々しく迎えるつもりだった。

だが、仕事は近年にない
惨憺(さんたん)たる内容で
正直、気が滅入っている。

たとえ暦の都合で正月休みが長く、
少ない就業日数だったとしても、

それを言い訳けにすれば、
日本国中、ブルー 一色の筈。

言い訳は、禁句。


「社長、これじゃ給料貰えませんね」

と言って、返ってきた言葉は

「来月は頑張って下さい、
頼んますよ!」

幾ら奮起を促す慰めの言葉を頂いても、
己の気持ちが治まらない。


仕事は生活のためでもあるが、
仕事の成果で得られる高揚感は
格別であり、

成果を隣人に告げられることは
誇りでもある。


仕事が生きるためなら職場は戦場、
戦いは勝ってこそ。

ホームランと三振じゃ
ベンチに戻る選手の気分は
「天と地」


要は不調を長引かせないこと、
けして、月を跨(また)がせないこと。


よーし、今夜は気分転換に飲もう!

さすれば明日は、
清(すが)しく二月を迎えられる筈。


成果に高揚しては飲み、
不調にめげては飲む親父。

晦日(月の終わり)の今夜は、
「二月は成果が上がりますように」と、

験(げん)を担ぎ、酒を飲む。


「酒と泪と男と女」

河島英五 

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「訓告」

2018年01月29日 | 日記

「訓告書」

貴殿のブログに於いて、貴殿が投稿した
干し魚2枚の画像について、協議の結果、
社会風紀上、問題ないと判断しました。

私、日頃より職業には似合わず、至って
 このような洒落・ユーモアを好んでおり、

貴殿がこの画像で何を指し示しているのか
言わずとも、直ぐに、理解しておりますが、

「風紀」の観点でなく、「風情」の観点で
鑑みるに、直接、画像で指し示すよりも、
読者自身の想像力を働かせる手段の方が、
これ以上の粋はなかろうかとの判断から、

残念ながら、今回、極めて軽い訓告とし、
画像削除の処置を執ることとなりました。
        
貴殿の同級生である、割り込み親父さんの
たってのご所望を果たせず、無念のことと
痛み入りますが、何卒、ご容赦願います。

 尚、この訓告について、罰金、並び、出頭の
必要は一切、ございません。

貴殿におかれましては、今後とも粋に精通して
頂くことを、県警一同、心より願うばかりです。


以上          

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「仏の、和平交渉」

2018年01月27日 | 日記

唯今、27日午後2時30分。

今日の日記に、
亡くなった政治家 
野中広務氏への
追悼を記すつもりだったが、

小僧からのコメントに気付くと

「柄に合わぬことは、止めとけ」

と諭されてようで、素に戻り

コメントのお返しを、
今日の日記とすることにした。

 

物には、表もあれば裏もある。

季節は、夏と冬。

外に出れば、日なたと日陰。

世間は冷たいが、人情は暖かい。

教育には、飴(あめ)と鞭(むち)。

料理に、甘味料に香辛料。

酒を、燗(かん)と冷(ひや)で飲む。

川には、清流と濁流。
人はそれを(清濁)併せ飲む。

歌の文句に、
♪ 酸いも甘いも、噛分けて ♪


最初に戻って、
表と裏は「表裏一体」
表と裏は切り離せない。

とある小倉のお宅の、
鰯の丸干しの仏の亭主に、
鰺の開きの鬼嫁も、

「なん、かんだ」と言った処で、
仏の「忍の一字」で、仏と鬼は
「表裏一体」


「ほたるこい」の歌に、
♪ こっちの水はあーまい(甘い)よ、
あっちの水はにーがい(苦い)よ ♪

ジョニ・ミッチェルの歌に、
「青春の光と影」。

ロバート・ミッチャンの
表向きは平和の日々、其の実、
戦いの連日を暮らす我が家の

鰯の丸干しの性根は、
正気と狂気、善と悪。


教育には鞭と、
豆腐の角で殴ってみたが、

鞭は無知には効き目無く、
馬鹿は生涯、治らない・・


ジョニ・ミッチェルは
「青春の光と影」で、

すべての現象に、
「表と裏」、「光と影」があり、
その両面から人生を眺めるのだと。

ところで、小僧曰く、

「せいぜい、最小の角は残こそうや」

には、素直に従おうと思うが、
隣で鬼が言う、

「どこが最小の角じゃ、全身、悪の、
角の塊(かたまり)のくせに!」

「なぁにー、悪の塊だと!」

いやいや、止めとけ。
ここで怒ると、また、戦争になる。


勝ち目のない戦いは、せぬに限る!

それが解ればこの親父、
まんざら馬鹿でもなさそうだ。


「 Both Sides, Now 」

 ジョニ・ミッチェル

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「今夜は、ティッシュを多めに」

2018年01月25日 | 日記

好く観るTV番組に
鶴瓶の 家族に乾杯」を上げて、
番組への思いを書いたが、

その一方で、
好んで観ていたにも拘らず、
今では全く、ご無沙汰の番組もある。


好むか好まないかは、
人間関係と同じで相性次第、

番組の性格と、親父の嗜好が
一致するか、否かだが、

永きにわたる相思相愛の仲でも
片方の心変わりで、修復不能な
結末を迎えることも・・・


家庭でラジヲが、
唯一、娯楽であった当時の
まだ、学校にも上がらない子供の頃、

水屋の上のラジヲから放送される
古典芸能に、興味深く
耳を傾けていたことを思い出す。

幼き故に、
言葉の意味も判らず聴いている内、
時折起こるお客さんの笑い声で、

「これは,面白いことなんだ」と気付くと、
「何故、今、此処で笑うか」の笑いの意味も、
仕掛けも判らないのに、

「笑い」と「面白い」は、
人にとって、如何に大事なことかを
解るようになると、ただ、訳もなく楽しくて、
放送日を待ち焦がれるようになる。


数ある古典芸能の中でも
特に落語には興味を抱いた。

以来、落語との極めて良好な関係は
今に至るまで、続いている。


最近では、
落語にアテブリ芝居をかぶせた、
NHKの見る落語
「超入門落語THE MOVIE」
を愉しむ機会も多く、
趣向も変わって面白いが、

敬愛する落語家、
三遊亭圓生師匠、桂米朝師匠、
桂枝雀師匠、立川談志師匠
(いずれも、故人)の芸は

DVD、You Tubeで、今も欠かさず、
楽しませて頂いている。


「親父の笑いの原点は、落語にあり」

そんな、極めて良好な関係にある
落語にありながら、こちらの心変わりで、
今や疎遠になった番組に、

「笑点」がある。


落語の世界には、
惚れて一緒になった亭主が働きもせず
甲斐性なしに成り下がっても、

愛想も尽かさず、健気(けなげ)に
生涯、添い遂げる嫁もいるが、

親父にはそれが
出来なかっただけの話。


そんな亭主と嫁の話が、
落語の演目「芝浜」

 年の暮れに聴く落語の
定番となったこの演目、

40分と少々時間は長いが
今夜は談志師匠の「芝浜」を
曲の代わりに。


初めてお聴きになるお方は、
必ず、傍にティッシュを多めに準備して
ご鑑賞下さいますように!

 

「芝浜」

立川談志

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「どんちゃん騒ぎの同窓会」

2018年01月23日 | 日記

数多(あまた)あるTV番組の中で、
好く観る番組とすれば、
永きは「家族に乾杯」、
近きは「西郷どん」。

当然、昨夜も「家族に乾杯」を
愉しく観らして頂いた。

「乾杯」をよく観る要因に、

「番組放送月曜日」は、
比較的に土日よりも、
この時刻は家にいることが
多いこともあるが、


何よりも、番組の売りとする
ぶっつけ本番の旅の中で、
鶴瓶師匠の人柄と機転から生まれる
思いもつかぬ展開へと進む
筋書きのないドラマに登場する

一家の夫婦や家族が織りなす
悲喜こもごもの物語と、

同じ土地で暮らしを共にする
ご近所の方たちとの繋がりに、

忘れてならぬ
ほんわかとした温もりや、
人々の優しさと思いやりに溢れ、

また、ご苦労話を伺い知れば、
人情の機微に触れて涙するも、
しばしば。



温もりの前に「忘れてはならぬ」と
あえて記したのは、それがあるべき、

「日本人の心の原風景」

と信じるからでもある。

現に、初回の番組タイトルは
「鶴瓶の にっぽん家族に乾杯」
だったそうな。


この番組の最大の魅力は、
訪れた土地で広げられる
シナリオのないドラマを演出し
エンディングまでけん引する

鶴瓶師匠に他ならない。


あの見事な人心掌握術と、

憎いほどに嫌味を感じさせない
あの厚かましさには、

平身低頭で敬服するばかり。


ところで当方も、
社交性は少々持ち合わせても、
好き嫌いに難がある。

例えば、

♪ 暮れなずむ町の ♪
の〝テツヤ〝がやって来たとしても、

けんもほろろどころか
天から鼻も引っかけないが、

もし、師匠が前触れもなく春日村に、
やって来ようものなら、
諸手(もろて)を挙げて迎い入れ、

「ん」も言わさず、
三日ほど我が家に泊めて、

ご近所の夫婦や家族を呼んでは
毎夜のどんちゃん騒ぎで、

師匠のあのセンスや立ち振る舞いを
こっそり、盗もうと思う。


師匠と小生は
師匠が12月で小生が6月の、
共に1951生まれの同級生。


三日三晩の大騒ぎは、いつの日か
こんなタイトルで放送される。

(小野文恵アナの声で)

次回、福岡県春日村からお届けする
ぶっつけ本番の旅は、

「どんちゃん騒ぎの同窓会」

笑いあり、涙ありの、
エピソード満載です。

どうぞ、お楽しみに!

 

曲は以前にアップしたばかりだが
今日もこれしかないのです。 

「Birth Day」

さだまさし

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「感動と、その症状」

2018年01月21日 | 日記

暖かな日曜日の午後、
澄んだ青空の下では、時折、
冷たい風がトネリコの枝を
揺らすぐらいで、

こんな天気の、こんな時刻の
いつもなら、

春日フォレストシティまでの
往復を歩く時間なのに、

目はしょぼしょぼ、
鼻はぐしゅぐしゅ。

どうやら、この兆候は風邪の初期症状。


それでウォーキングを諦めて、
DVDを引っ張り出して
映画を観ることにした。


映画が進むとともに症状が変わる、

目はしょぼしょぼを通り越して、
涙の大雨。

鼻はぐしゅぐしゅから、
鉄砲水へ。

にもかかわらす、何故か心は
しゅくしゅく(粛々)と穏やか。

映画を観ると必ず起きる現象は、
感動の症状である。


我、思う、

この映画を世のすべての
政治を司(つかさど)る者に観せて、

小生と同じ症状を
引き起こしてみたいものだと。

映画「ラ・マンチャの男」

今日の曲は、ドン・キホーテ役の
ピーター・
オトゥールが唄う


テーマ曲「見果てむ夢」

見果てぬ夢を夢み
敵(かな)わぬ敵と戦う
耐えがたき悲しみに耐え
勇者ですら怯(ひる)む場所へと向かう
糺(ただ)し難き不正を糺し
彼方より清く純潔なるものを愛する
両腕が萎え、疲れても諦めず
届かぬ星を目指す
 

これぞ我が求めるもの
いかに望みは薄く
いかに遠くにあろうとも
あの星の後を追う

 

疑うこともなく 休むこともなく
正義のために戦う
神の定めとあらば
地獄へ向かうことも厭(いと)いはせぬ

 

この栄光に満ちた探求に
忠実でありさえすれば
死の床に臥(ふ)そうとも
わが心は乱れず、安らかなり

 

さすれば、この世も良きものとなろう
蔑(さげす)まれ、満身創痍となりながら
最後の勇気をふりしぼり
男が一人、届かぬ星を目指したのだから

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「冬の優しき心」

2018年01月18日 | 日記

寒波が去り、週明けは比較的に
暖かい日が続いたが、また、
いつもの寒い日にも戻った一昨日、

「明日の夜は、湯豆腐です」の言葉で

「おっ、湯豆腐で一杯やれるな」と

ほくそ笑んだ親父は昨日、

あのお店の、ある食材を求めに
出掛けることにした。


我が家の食材の買い出しは
基本的に女子の役割だが、

市場や道の駅などの
新鮮で安価な生鮮売り場を好む親父は

旬の食材や、無性に食べたくなるものを
見つけると、つい、買ってくることも
しばしば。

一週間ほど前、
スーパーの夕市に並ぶ野菜売り場で、
赤ちゃんの手をグーにしたほどの
食材を見つけると、
「待ってました!」とばかりに、

1パック、130円の7、8個入った
2パックを
買って帰り、
その夜、早速、頂くと

形はグーで、味噌汁のグー(具)は、
味もグー(Good)。


熱を通して更に丸くなったグーは
つい、口から滑り出してしまいそうで、

滑(なめ)らかな舌触りに、
何とも優しい柔らかな食感と、
小粒ながらも深みのある味の、

冬ならではの味覚を
極めて安価で堪能させて戴いたが、

汁物、炒め物で、直ぐにグーは底をつき、

「明日は、湯豆腐です」と聞けば
直ぐにグーが目に浮かび、心も足も
あのお店へ向かうことになる。


〝あのお店〝 とは、
グーの品質と生産量、日本一大分の

リトルの隣町にある
「大山町農協木の花ガルテン」が、

昨年、近くのスーパーの一角に出した
お店のこと。

思った通りにお店にあったグーのお蔭で、
昨夜は、美味しい鍋にありつけた次第。


ところで、冬の季節は
農産物もさることながら、
海産物も美味しいが、

何故、寒さは
食材の旨味を惹きたて、

何故、冬の食材はこれ程、
人を魅了するのか?


その科学的根拠など、
無学な親父にはとんと解(げ)せぬが、

美味しいことぐらい
食べれば直ぐに解ること。

そこで、
無学な者は無学ながらも、
こう考える。


冬は、民の暮らしに
厳しい寒さを強いる代償として

「せめて、
食べ物だけは
美味しい物を捧げよう」

と、その恵みは、冬から民への
優しき施(ほどこ)しなのだと。


「冬菇」と書いて「どんこ」
と読む、グーは
干したら旨味が更に増すが、

干したどんこを水に戻し、
蒸し器で蒸したら粗熱を取り、
冷蔵庫で冷やして刺身にしたものを、

ある料理の名人曰く

「山鮑(あわび)」

と呼ぶ程、旨いとか。

早速、ガルデンに出掛け、
干したグーを買ってきて、

名人のレシピで作る明日の料理は
「山鮑」。

画像は、借り物。



とりあえず、今夜は昨日の生の冬菇を蒸して
山鮑」を頂くことにして、

今から料理を、
始めるところ。

 

「きょうの料理 テーマ曲」
作曲:冨田勲

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「二重のポケット」

2018年01月16日 | 日記

玄関と車と会社の鍵を束ねた
キーホルダーを失くしたのは、
去年の暮れのことだった。

「失くした」と気付いた時、
洗濯物も含めて、
身に着けていた衣服のポケットや、
家中を探したが見つからない・・

時折、帰宅した際に郵便受けを覗き、
量が多い時は一旦、玄関を開けて
手にしたもの一度置いてから
郵便物を取りに行くことがあるが、

その時に鍵を差し込んだまま
忘れて仕舞う不用心を
しでかすことも多々あり、

「誰かが、抜き去った」
と心配したが、そうではないらしい。


月も半ばを過ぎた今朝のこと、
いつものように一番乗りで会社に着いて
ドアの鍵を開け、部屋に入り、

テーブル横壁のフックに
鍵を掛けようとしたら、

「え、何故・・」

既に、そこには鍵が下がっている?


暫く考え、やっと判った!

昨日から、
暮れに洗ったダウンのベストを
パーカーの上から羽織っていたが、
そのポケットに鍵を入れたままで
洗っていたことになり、

それを知らずに、
ポケットから取り出した鍵が
失くしてたものとも気付かずに、
その鍵で昨日は帰宅していた、
と言うことだ。


アウトドア用のダウンのベストは
暖かいだけでなく、
ポケットも2重になっていて、

時々、上下どちらに入れたか
迷うことは頻繁。


実は、鍵を失くしたことを
口外したのは、会社以外、
唯一、チャーリーだけ。

三つの鍵を束ねるキーホルダーは
昨年、チャーリーから頂き、後に彼の形見となる
アイルランド土産の大事なものだった。



新年に本人から貰った電話で
失くした詫びを入れたが、
大事な頂き物と再び巡り会えて
ホッとしているところ。

それにしても、実に恥ずかしい。

ダウンのベストも二重のポケットだが、
失くした鍵とも気付かずに
昨日の帰宅時も、今朝の出社時も

二重のポケット(ぼけっーと)を、
やらかしていたとは・・


さて、懺悔の後は、
鍵が主題の今日の日記に
相応しい曲をと考えて、
すぐに浮かんだのはこの映画の
テーマ曲と、シーンの数々。


ところで、我が家は今、
車一台に、鍵三つ。

どなたか、

「車の鍵貸します」


マリリン・モンローが演じる筈だった
エレベーターガールの役を、彼女の急死で
代役のシャーリー・マクレーンが
見事な演技を披露した必見の映画

ビリー・ワイルダー監督

「アパートの鍵貸します」

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「捕らぬ狸の皮算用」

2018年01月13日 | 日記

今朝の10時のこと、

車で近くの竹林を通りかかると
小雪の舞う中、四、五人の方が
竹の切り出しをしている。



車中からその様子を眺めて
瞬時にあることが頭をよぎり、

10mほど通り過ぎたところで、
一旦、車を停め、
急ぎ足で切り出しの現場へと戻り、
作業の一人に、

「竹を一本、頂くことはできますか?」

と尋ねると、

「向こうに、竹林の地主さんがいますから、
直接、聞いてみて下さい」

と、近くにいた御老人を紹介され、
改めて、希望と、その趣旨を届けると、

「一本なら、どうぞ」

と、思わぬ有難い言葉を頂き、

既に作業が終えたにも拘らず、
御老人は自ら竹林に招き入れ、
趣旨に相応しい竹を選んで戴いた。

それから、切り出した長い竹の
径の細いトップを除き、

二分割し、
300mほど離れた自宅まで2往復、
肩に担いで持ち帰ることになる。



そもそも、竹の切り出しは、
近所にある住吉神社の
本日、夕刻より行われる

どんど焼きに組まれる
「おんべ」と呼ばれる竹に使われるもので、



作業の方が仰るには、
この竹を春日村で由緒ある白水家が
毎年、奉納しているとのこと。

そう、この御老人こそ、
白水家の代表である


ところで、竹の趣旨とは
今夏に近所の子を集めて、
「流しそうめん」を
やりたい一心からである。

既に、我が家には一本、
立派な流しそうめんの竹があるが、
この長さでは大勢では愉しめない。


戴いた二分割の一本が、3m50。
もう一本が3m。

繋ぎ合わせて、約6m。

(径は、17~13cm)


通りかかった竹林で
偶然、竹の切り出しを見つけ、
「竹が欲しい」と切り出し、

”切り出し”が二つ重なる幸運のお蔭で、

今年の夏は多くの子供達が、
我が家で「流しそうめん」を楽しめる。


一人、100円として、20人。
これを2回やったら、
計4000円。

捕らぬ狸の皮算用は、ジョークとして、

スターダストの主人も
想い出メーカー。

「お知らせ」

今年の夏、
「ガーデンレストラン・スターダスト」は
子供たちに想い出を作る、
「流しそうめん」に替わります。




外では小雪が舞ってると言うのに、
親父の心は、とっくに

夏模様。


「少年時代」

井上揚水

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「大雪の降った冬」

2018年01月11日 | 日記

今日の朝日新聞デジタルニュースに、
子供の頃を懐かしむ記事を見つけた。

高千穂高校(宮崎)一年生のクラスで、
昨年11月に設置したストーブの上で
男子生徒が弁当の肉を焼き

その罰でクラスは1月の寒い今も、
ストーブを撤去されたまま、

と言うニュース。


教頭先生、
「そろそろ寒くなったので
近日中に戻してやろう」とか。


実は昨夜、TVニュースで
高千穂地区の大雪の報せを知り、

隣の五ヶ瀬町に住む後輩に
電話をしたばかり。

後輩曰く、
「こんなに雪が積もるのは珍しい」
とのこと。

寒い冬のさなかに、
ストーブを撤去させられても
生徒も父兄も学校の則に従い、
文句も苦情も言わず、

生徒達は寒い思いをしているのに、
何ともほのぼのとしたニュースに、
こっちは心が温まる。


このニュースで思い出したのは、
まだ、給食制度の無かった
小学生低学年の頃のこと。


昼食時間の前になると
ストーブの周りには、揃って
冷えた弁当箱を置いて温めた。

数は一つ二つどころではなく、
おおよそ、全員分の弁当から
一斉に湯気が立ち込め

教室中、沢庵の香りで充満する。


今でこそ
おかずは「肉」だろうけど、
当時は「沢庵」が
スタンダードの時代。

肉をおかずを持って来ようものなら、
たちまち、肉は悪ごろから略奪され、

挙句に「生意気」だと
虐(いじめ)められるだけ。


時が流れて、高千穂高校の生徒たちも
成人式を迎える日がやって来る。

再び、会場で出会った時に誰かが言う

「あの時はみんな寒い思いをしたけれど、
〇〇君のお陰で、剣道以外でも
全国的なニュースにもなったし、
いい思い出になったよね!」

そんな日が必ず、やってくる。


あの大雪が降った冬、
みんなの冷たい視線を浴びて、
身も心も冷たい思いをした〇〇君は、

いつの日か、みんなの
「想い出メーカー」に
きっとなる。

画像は20年も昔、後輩と一緒に
尻で滑った
「五ケ瀬ハイランドスキー場」

「HERO」

甲斐バンド

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「今年も 決めた」

2018年01月09日 | 日記

 

既に今日は一月も九日、
正月気分も抜けて、
普段の自分らしさを取り戻す。


新しき年を迎えた間もなくは、
神の前で手を合わせ、こうべを垂れて
戴いた神聖なる清々しさと、

静かなるも、希望へと向かう
意気込みが心に宿り、

柄に合わず、
どことなく畏(かしこ)まった

自分がいたが、

時が経つにつれ、
張り詰めた気分もいつしか緩み、
普段の心へと落ち着きを取り戻す。

それはそれで気楽でいいが、
折角、神妙な心持になれたのなら、

一度、心に留めたことは一年を通して、
忘れずにいようと考える。

例年のことながら、
「今年こそは」
と定めた目標を、気負うばかりで
実行に移さずにいることが、
余りにも多すぎる。

 

かつて、
とある洋風居酒屋の常連客で、
年齢も、職業も、男も女も混在した

酒と自然をこよなく愛し、
四季を通してキャンプを愉しむ
アウトドア・クラブの仲間がいた。

時を経て、それぞれの生活環境が変わり、
現在は
年賀状だけのやり取りになったが、

今年も年賀状には
キャんプに、釣りに、登山に、

家族でアウトドアを愉しむ写真の横に、
キャンプのお誘いがある。

にもかかわらず、
毎年のように折角の好意を
こちらは、反故(ほご)にする。


それで、今年の年賀状には
キャンプの代わりに

是非、我が家で
外食(そとめし)をやりませんか」

と、お誘いのコメントを
添えることにした。


そんな思いは、キャンプ仲間に限らず
いろんな方への思いと、少しも変わりない。

 

勝手な思い過ごしかも知れないが、
血縁の無い方が

親しき人と認めてくれる
この有難さ。



「人の情けも、生もの」

食品同様、賞味期限を過ぎれば、
永きにかけて築いた人情も、友情も、
劣化の一途を辿れば、

元の木阿弥(もくあみ)の
遅きに失することになる。

故に、自ら放った約束は、

「けして、不履行にしない」

と心し、

今年の目標にすべき、
愉しみの一つにした。

 

「 Take It Easy 」

気楽に臨めば、容易くできる。

何事も大事なことは、
今、自分にできることを

自分らしく、気負わずにやること。

新しい年を迎え
希望へと向かう意気込みが
心に宿り、

「今年こそは」と、今年も決めた。



「 Take It Easy 」

ジャクソン・ブラウン

 

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「年賀状考」

2018年01月05日 | 日記

今年も我が家は、
沢山の年賀状を戴いた。

元旦から4日遅れの今日、
戴いた一枚の年賀状に
好感を抱いたのを機に、

年賀状を届けて戴いた多くの方には、
無礼にあたることを覚悟で、

今日の日記は「年賀状」
を主題にすることにした。

先ず、何故、この一枚に
小生は好感を抱いたのか?

それはこの年賀状は表裏両面、
是、すべて自筆であること。

次に、自筆の文面は
受取人への想いを書き綴った、

ボールペン以外は
文明の力を一切借りない、

唯一無二の年賀状であること。


今時、こんな年賀状は珍しいが、
単に珍しさだけでなく、
コンセプトが自身と共通することに
好感を抱いたのが、その理由。


年末の多忙な時期に
年賀状に時間を割くご苦労は
敬服に値し、

その苦労の一端を、
小生如きに届けて戴くのは

素直に有難く感謝を申し上げる。

昨今は、パソコンとプリンターで
年賀状を作る時代。

外注に出さずとも家庭で楽に、
しかも、短時間に大量に

作れる利点がある。

プリントで
見た目は奇麗な年賀状でも、
願わくば、

「せめて一言でも、

自筆のコメントが欲しい」

と思うのは、はたして、
小生だけだろうか、

と考える


小生の年賀状表面の、宛名書きは
正月早々、汚い字で申し訳ないが、
自筆。

裏面は毎年、
デザインの中に空欄を設けて、
プリントだけど、一枚、一枚、
受取人へのメッセージを入れ、

今年は初笑いを頂く為の、
ある仕掛けをした。

その為に、
一枚を仕上げるのに時間を要するが、

「幾らかでも差出人の気持ちが伝われば」
と願うだけのその作業は

結構、楽しいものである。

一方で、両面自筆の差出人は、

パソコン、プリンター機器の環境に
無いのか、あるいは、扱えないのか、

単にそれだけのことかも知れないが、

申し訳ないが、プリントだけよりも、
こちらの年賀状の方が、差出人の心を
受けとめることが、小生には出来る。


ここまで書いたら、幾ら覚悟の上でも、
来年はめっきりと、我が家に届く
年賀状も少なくなるだろう・・

あえて、これを書いたのは
自筆の年賀状が届いたからもあるが、
毎年、思ったこと率直に書いただけ。

よって、悔いも、反省も、
微塵も無し。




他人様の年賀状に注文を付けるオイラが
ほざくことではないが、

先日、日記に添える曲目の
「選曲が悪い」と
注文を付けた輩もいた中、

小生の稚拙なブログに目を通す差出人は、
「選曲がいい」と書き添えてくれ、
それがお世辞でも、素直に嬉しく思う。

 

それで今日の曲は、

昔、差出人と一緒に聴いた
ビーチ・ボーイズの中からこの曲を
年賀状のお返しの代わりに
届けさせて頂くことに。

「 I Can Hear Music 」

キャシー・トロッコリー

ビーチ・ボーイズ

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「愛の夢」

2018年01月03日 | 日記

スージィーに、

「正月ぐらいは、のんびりしたら」

と言う。

一方で自分にも言い聞かす、

「正月ぐらいは、のんびりしようぜ」と。

これは
正月に始まってことでもなく、
年がら年中、貧乏暇なし、

それは昨日もそうだった。


「是非、ロバ家で新年会を」

これは、とあるご夫婦の
たってのご所望だが、

この新年会の準備は既に、
昨年暮れの食材買い出しに始まり、
当日の朝から取り掛かることに。

動き回るスージィーを横目に、
自分なりのお持て成しの
あることを思いついた。

これが「お持て成しのロバ編」、
今年最初の、創作活動である。

先ず、玄関に暖簾を下げて
次に「喜多里亭」の名に恥じぬ玄関を作る。
材料はすべて、家にある物ばかり。


冷やしそうめんを入れる
信楽焼の器に砂を盛り、水を張る。
そこに、有田焼の錦鯉を四匹泳がす池を作り、

池のそばには門外不出の、
純金の親子の蟹を遊ばせる。

夜がきて、客人が訪れる前に
竹製の編みランタンに明かりを灯す。

さも、月明かりに映し出されたの様。

玄関で客人を迎え入れたら、
〝門外不出”は
直ぐに撤収。



これは我が家流のお持て成しの演出だが、

 そこで
故郷で正月を迎える客人を持て成す
おばあちゃんやお嫁さんを中心とした
ご家族の苦労が目に浮かぶ。

正月に(お盆に)、
子供達が、嫁、孫を連れて、
何家族も大挙してやってくる。

朝は早起き、夜は宴の片付け
そして、次の日の準備と、
夜遅くまで家事に従事する。

中には義母が懸命なのを横目に
客人然として、
手伝うことを知らぬ嫁もいる。


お持て成しをする方は大変だが、
喜んでいただくのが甲斐で
励むのだから不平は無いが、
てんてこ舞いは、正直、疲れる。

かつて、その様を何度も見てきたが、
迎える方は本当に大変である。


そろそろ、子供たちがUターン。

淋しくはなりますが、

これで少しは楽になります。

そこで、
そんなおばあちゃんやお嫁さんに
「本当に、ご苦労さまでした」
の代わりにこの曲を届けます。

残り僅かなお正月を、
この曲でも聴いて頂き、
子供や孫たちの笑顔を思い出しながら、

のんびりと
お過ごし下さいます様に。

「愛の夢」

作曲:フランツ・リスト

ピアノ:フジ子・ヘミング

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「愛の言葉」

2018年01月02日 | 日記

香りを放ち始めた
蝋梅(ろうばい)の黄色い葉が
眩しい陽ざしを受けて、
透き通るように鮮やかに色めき、

冷たい風に揺れてカサカサと
音を立てる以外、

外には人の声も、
車のエンジン音もなく、

室内ではアラジン・ストーブの
ケトルが「チンチン」と
沸騰を報せる音だけの、

今日は静かなる
一月二日の朝を迎える。


元旦に太宰府天満宮に初詣に参詣し、
参拝はいつもの一つ、

「世界が平和でありますように」


思えば、今朝の静けさこそ
「平和」そのもの。


外には逃げ惑う人の泣き叫ぶ声も、
戦車のエンジン音もなく、

室内には身を寄せ合い
肩を震わせ恐怖に怯えて
高鳴る心臓の音もない。

しかし
「Happy New Year」の今も、

世界のどこかで

ある人は戦火にまみれて銃を持ち、

ある人は迫害や弾圧に苦しみ、

明日への繋ぐ命を危ぶむ人達が
溢れているのにも拘らず、

此処には余りにも力が乏しくで、
祈るばかりで何もできない男がいる。


男ができることは、
人の曲を借りて
メッセージを届けること。


愛を口ずさむ
♪ ラ ラ ラ ♪のメロディが
世界中の人々から
聴こえてきますように


今年最初のこの曲に、祈りを込めて。

 「La la means i love you」
ララの意味は、愛してる
ララは、愛の言葉

フィル・ペリー

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