我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「年に願いを」

2017年12月31日 | 日記

30日、今年も魚介類の買い出しに
今日は暗い内からマナカを連れて
糸島市「志摩の四季」に出掛けた。

早起きの甲斐あり、
大勢の行列の前方に
並ぶことができたお蔭で、

お目当ての マエビ、ナマコ、
アラカブなどをクーラーに入れ、
大人の心を満たした後、

今度はマナカのお目当てで、
糖度の高いことで有名な
西区今津の「池いちご園」に向かう。

 

ハウスの中で甘いイチゴを
好きなだけ頬張った二人は、その足で
持ち帰り用の箱に詰めたイチゴを

今年も一年、お世話になった
マルリンのお家へと向かうことに。


「早起きは三文の徳」
大晦日前の一日も、

計画通りに進んだかのよう。しかし、

イチゴ狩りに向かう途中、
工事中の道路に行く先を阻まれ、
止む無く進路変更をすると、

ナビが
「ルートを変更します」と仰る。

仰る通り走り、お蔭で無事、
イチゴにありつけた訳だが、

顧みれば小生、随分と人生のルートを
間違え迷い続けて生きてきた。

人生の至る所で目的に向かう時、

ナビさえあればこんなにも遠回りをせず、
人生で最も安息の住まいである我が家に、
辿り着いていたものをと・・・


唯今、31日の大晦日の朝。

スージィーはマナカに持たせる
「だて巻き」を作っている。

まもなくの9時過ぎには、
新幹線のプラットホームで


可愛い孫との淋しい別れとなるが、

淋しさの別れの後には必ず、
嬉しい出会いが待っている。


お陰様で、今年も良い年でした。

大過無く過ごせた幸せな一年でした。

森羅万象あらゆるものに、
衷心より感謝申し上げます。

今年最後の曲は

「星に願いを」

「世界が、平和でありますように」

新しい 年に願いを 込めて。

いちご園で見つけた、ハート型のくぼみ。



「When You Wish Upon A Star 」

リンダ・ロンシュタット

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2017年回想録(1)」

2017年12月25日 | 日記

年の暮れも近い12月24日の昨日、
朝から取り掛かった年賀状に眼をそらし、
何気に眺めた庭の
ヒヨドリ除けの
バード・フィーダー(餌かご)に

一羽のメジロがミカンを啄(ついば)んでいる。

おもむろにカメラを抱えて窓にすりよると、
メジロはその気配を素早く察知し、
直ぐに飛び立って仕舞った。

ヒヨドリに邪魔されず
好物のミカンにありつけるようにと、
愛鳥家は用意したつもりでも、

当のメジロにとっては、まだ、ここは
安心できる居心地の良い場所では、
なさそうである。

 

諦めて、再び年賀状に眼を戻し、
パソコンのキーを叩きながら、

久しく交際の途絶えた
差出人との懐かしき想い出や、

今なお続く方たちの
新しい思い出と重ねて、

自身がこの一年に残した想い出や、
飽きずに遣(や)ってきたことを、
回想する。

 

毎年のことだが、
振り返れば今年も、遣りたいことに
許す限りの、経済、体力、時間を
費やしてきた。

更に振り返れば、例年の如く、
遣り残したことも多いのに気付く。

遣りたいことの契機の幾つかは、
外から受けた感銘や刺激に
因(よ)る
ものもあるが、

多くは自身の中の感性にある
漠然として形のなきものを、
見顕(あらわ)しが可能な有形へと

心の赴くままに
実行に移したものばかり。


自身の感性を表現したいと思う
根っ子には

「自身に正直でありたい」
の一途な思いにあり、

思いを叶えるまでの、その夢中な様は
まるで子供のようであり、

形のないものを具現化した時、
心は得も言えぬ思いに満ちる。

時には具現化に失敗し、
経済、体力、時間のいずれかを
無駄にすることもあるが、

誰かや、何かに強制されて、
渋々従い、要する時間ほど
「浪費」と思えてならない。

 

自身に拘わらず、

生まれついた時から人の中に存在し
いまだに種のままで芽を出さぬ
才能と、

生きる過程の中で生まれ、
培(つちか)われて研ぎ澄まされた

感性を、

表に現すことに努力せず、

生涯の終焉を迎えるのは
大罪である、

と考える。

 

心の赴くままに
もう一つに言動、

言葉と振る舞いがある。

今年のある日のこと、
自身の発した言動に因り、
一つの人の輪に不穏な波紋を
作って仕舞う出来事があった。

昔の言葉に「舌は禍の根」

言葉は禍(わざわい)を招くものだから、
不用意に発してはならぬの戒めである。

一度発した言葉は容易く、
人の記憶から消去することはできず、
波紋(禍)は今も治まっていないが、

「自身に正直でありたい」

と思い、言葉を発した当の本人は、

「迎えるべくして迎え、
生まれるべくして生まれたもの」

「時間が経てばその内に、
ほとぼりも冷めるだろう」

と楽観的。
 

誰に遠慮することも無く、
遣りたいことを見つけては没頭し、

自身の周りに好ましい環境を作り、
日々を安息に過ごしたいと願うのは
至極、当然なことだと思う。


昨日のメジロですら、
安心して食事にありつける
居心地の良い場所を

求めているのだから。

今日は、クリスマス。

画像は、昨夜イブの
我が家のクリスマス・ケーキ。

曲は今年一年、
ほとんど出番のなかった
達郎が歌う

「Have Yourself A Merry Little Christmas」 

山下達郎

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鳶は 鷹を 」

2017年12月18日 | 日記

産経新聞のWebニュースで、

肉体的な老いと、精神的な若さとは、
年齢に全く、関連性がないことを
まざまざと親父に知らしめたのは、
ある記事との出会いだが、

それは一昨日、16日のことだった。

この記事を読むにつけ、
(前の日記もそうだが)
66歳の親父が自らを「老」などと、
軽々に表現するのは、
あまりに
恥ずべくばかりか、

これからの人生の心の持ち様に
明瞭な励みを頂いた

この記事のタイトルは、

「世界で熊本の
自撮りおばあちゃんが話題」


熊日新聞やRKK・KTT各局では、
既に有名なお方でも、

生まれ故郷の熊本の身近に
こんなおばちゃんがいらっしゃるとは、
この記事に接するまでは
全く知らなかった。

作品によってはブラックともとれる
ユーモアに満ちた数々の

作品の触れる度に、

「微笑ましい」を通り越して
「驚き」であり、

この歳で、このセンスを絶え間なく
生み続けるエネルギーに
ただただ、尊敬の念を抱くばかり。


11月の暮れ、季節柄
イルミネーションの準備で脚立に上り、
工夫を凝らしている最中の親父に

見知らぬ男性が下から一言、

「おっ、アートですね」

ただ単に飾るだけじゃなく、
如何に見る人の目に美しいかを
模索していた親父に頂いた
思いも寄らぬ
「アート」の一言は、


「それなりの評価を戴いた」
と素直に嬉しく受け入れた。



アメリカのタイム紙が
「世界の影響力ある100人」に
日本人でただ一人選ばれた画家の
草間弥生さんは現在、88歳。

今日の日記の主人公
「自撮りおばあちゃん」こと、
西本喜美子さんは、89歳。

プロとアマチュアの差、
表現手法の違いこそあれ、

90歳を前にしたご両人の、
現役でいられるのを見、

66歳の22歳下の親父が
日頃、恥ずかしげも無く使う言葉が
「老い」とは・・・

まだ、西本喜美子さんをご存知のない方に
著作権法に触れ、罰金を覚悟で、
自撮りの作品を幾つか紹介したい。

 

脚立に上って、ポーズ。

この画像を処理すると、こうなる

 

物干し竿の西本喜美子さん、本人。

 

息子さんがプロのカメラマンで
撮影テクニックや、画像処理加工等、
恵まれた環境にあったお蔭で、
素晴らしい作品が
生まれたのではけして無い。

そもそも、
プロの息子さんが生まれたのも、

「この親にして、この子有り」

西本さんの素晴らしいセンスなくしては
ありえない。

「鳶(とんび)は鷹(たか)を
生まない」

のだから。

現在、東京で初の個展
「遊ぼかね」を開いている
おばちゃんは、


「寝たきりになっても、撮り続けたい」

そうである。

 

写真を勝手に紹介した お詫びに
アーティストおばちゃんへ

「Young At Heart 」

心は若く

フランク・シナトラ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「思い馳せる 今」

2017年12月13日 | 日記

人の本性は生涯を貫くほど
永続的であったとしても、

志向や嗜好は、外界から受けた
刺激により生まれる
感慨で
微妙な変化を成し、


繰り返される日常的な慣習でさえ、
意識の及ばぬ何かの力が働き、

思いも寄らぬ変化を
見出すことを、既に親父は
経験してきた。

その傾向が最近はやたらと
顕著であるように思えてならない。

その起因の一つが、
「老い」にある。


「最近の顕著な傾向」の
一つである感情においては
泣き上戸。

酒が涙腺の活動を促すのは
酒飲みに限らず周知の通りだが

映画に然(しか)り、音楽に然り、諸々、
左手にお湯割り、右手にティッシュ。

感激の至りで、溢れ出す涙は
老いて益々、旺盛になっくる。


その一つ、食習慣においては、
食が細くなったこと。

主食であり、好物でもあるご飯の
一度に戴く茶碗に盛る量が、
ほんの僅かで足るようになったこと。


今更、ダイエットしたところで、
効果の程を見て頂きたいお人が
いる訳じゃなし、

貧乏のあまりに、
買うコメに瀕する訳でなし、

さりとて、病気でもなし。


かつての「無芸大食」は
歳老いて、今や「無芸小食」


ダイエットを
望むところではないが、
余計な脂肪も身も
少しは落ちてくれればと

微(かす)かな期待。

 

「顔は性格を映し、

身体は生活を表す」


泣き上戸と、食の細さが
これからの親父の顔と身体に
どんな変化をもたらすだろうかと、

思いを馳せる。


今夜の曲は、
EPOの歌いっぷりがあまりに良くて

酒が回っていれば、必ず、
胸の振り子を揺らしては
ホロリものの、

芸は無いかもしれないけれど

再び今夜も「胸の振子」

後半は同じく、
服部先生の色褪せぬ
「東京の屋根の下」

By EPO

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Message From Heaven」

2017年12月08日 | 日記

 

 

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

 

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

 

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ


1980年12月8日

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「続:毒と魂の蜜月」

2017年12月07日 | 日記

昨日の日記「毒と魂の蜜月」に、
「レディ」なるご婦人から
コメントを頂いた。

最近のコメント欄は、さながら
「ロバと小僧の、愛の交換日記」
と化した感があり、

それはそれで喜ばしいことだが、

我が稚拙な日記に
見知らぬ読者から届くコメントは、

「我が家の青空」に
新風を吹き込んでくれるようで
清(すが)しささえ覚え、
素直に有り難い気分になれる。

その有難さへの報いに、
レディさんが「モダン」と評した
「胸の振り子」にも劣らぬ、
服部先生の不朽の名曲を、

休むはずだった今夜の日記に
アップすることにした。

実は昨夜、「この曲にしようか」
と、直前まで迷っていた経緯があり、

レディさんのコメントが切っ掛けで
今夜も服部先生の作品登場に
なった次第である。

ところで「不朽」とは、

永久に朽ち滅びることがないこと。

同じ意味だが、

いつまでも価値を失わずに残ること。


まさしくこの曲も、
世界の万人が認める
「不朽の作品」「不朽の名作」
である。


服部先生の綺羅星(きらぼし)の如く
数多(あまた)ある、不朽の作品の中から

二夜連続で、
二つの作品を紹介できる機会を
導いて頂いたレディさんに、
心より感謝です。


昭和15年リリース

作詞:西條八十
作曲服部良一

不朽の名作「蘇州夜曲」

昨夜に続いて、

唄:雪村いずみ
編曲:服部克久・キャラメル・ママ
演奏:キャラメル・ママ
細野晴臣(B)鈴木茂(EG)
松任谷正隆(KB)林立夫(DS)

1994年リリース
「雪村いずみスーパージェネレーション」より

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「毒と魂の蜜月」

2017年12月06日 | 日記

何時のことだったか、
「ごもっとも!」
と思うところがあり

「酒も煙草も女もやらず、
百まで生きた馬鹿がいる」

を記載した。

これは作者不詳の
都都逸(どどいつ)の詩で、
要約は

「人生の価値は長生きよりも、
愉しむことにあり」

と一応、解釈するが、

訳あって、
とっくの昔に「女」を絶ち、
「煙草」を嗜好せぬ小生が、
この二つに代わるものとすると

さしずめ
「音楽」と「庭いじり」
にでもなるだろうか。

貧しき暮らしの中にあっても

「四季の景色と、

旬の肴に酒。

そして、

心地好い音楽に包まれて

慎ましく暮らす」

こんな生き方に焦がれる者は、
酒と音楽は一日たりとも
欠かしたことは無く、

日々、
ジャンルを問わず好みの旋律が
居住空間と心を満たし、

窓を開ければ屋外に溢れ出すほど、
絶えることは無く、

年がら年中、明けても暮れても、
家の中にも、周りにも
花や緑を絶やすことは無い。

好きなことに没頭できるのは
幸なことであり、

細やかながらも
理想とする暮らしを得られるのは
これほど幸せなことは無い。


我思う、
好きなことを我慢して
百年の長きを生きることに、
なんの意味がるのだろうか、と。

さて、
「酒と、煙草と、女」のくだりだが、

「人生の価値は長生きよりも、
愉しむことにあり」

と一応、解釈したが、

実はこの三つ、
「愉しみが過ぎると体に害を及ぼし、 
早死に至らしめる」
毒の代表でもある。

この詩の裏には
「故に、百までは生きれませんよ」
戒(いまし)めの意味を含んだ、
都都逸らしい皮肉(洒落)であり、

当の本人、
「判っちゃいるが、止められない」
のは、

兎角、健康に良くないもの程、
魂には優しいからである。

我が家は
「酒と、音楽と、庭いじり」

幾つまで生きるか判らぬが、
酒以外は、とりあえず、
健康にも、魂にも、優しいのである。

今夜、心を満たす曲

昭和22年リリース
サトウハチロー先生(作詞)と
服部良一先生(作曲)の永遠の名曲

「胸の振り子」

唄:雪村いずみ
編曲:服部克久・キャラメル・ママ
(1994年リリース)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つう、と言えば」

2017年12月04日 | 日記

来年の三月末で、
組長の任も解ける。

性に合わない
煩雑な作業も多いが、組長を
「引き受けて良かった」と
思うことの方が、実は多い。


我が家はまるで、
「村八分」にでも遭ったかのような
組の北方向の
一番、外れに在り、

隣組に属した方が適したような
立地にあるため、

これまでは組内の方たちと、
通りすがりの挨拶程度だったが、

組長ともなれば、否が応でも
面(つら)突き合わして話す
機会が増えてくる。

そんな中「組内同士」
と言いつつも、それまでは極めて疎遠で、
一度も会話のなかった
無精ひげのオッサンとの出会いは、

「引き受けて良かった」
と思う一つである。


二つある回覧板ルートの
最初に訪問する二つの一つが、
このオッサンのお宅である。

月に二度、回覧板を届ける度に
このオッサンは笑顔で迎え入れ、
軽く世間話しを交して別れるが、

最初の訪問の四月から
月に二度の訪問で、
既に十回以上は"軒先外交“を
繰り返したことになるが、

十月に訪問した際、
玄関に真新しいバイクを見つけた。

英国トライアンフ社の新型モデル
Street Twin 900cc

画像と同色の「スクランブラー」。


結局、我が人生無念の
乗り損ねたバイクの話を切り出すと、

オッサンは水を得た魚のように、
購入したばかり愛車の話しを
始めだした。

互いに暫く話したと思うが
これで一気に、
二人の距離が縮まった。


今度は、次回の訪問時のこと。

「〇〇さん、酒、好きですか?」

と、刃(やいば)を胸元三寸に
突き付けると、

オッサン、ニヤり。

「じゃ近々、
我が家で一杯やりますか?」

の止(とど)めの一刺しに、

再度、ニヤッとして
「いいですねぇ」と答えた。


たった二言で、
疎遠だった者同士が
意気投合。

「暖簾に腕押し」の輩が
やたらと多い世の中で、

反応が早い人は、分かりがいい。

これを、

「つう」と言えば、「かあ」

と言う。



昨日、今月最初の回覧板を
オッサンに届けに訪ねた時、
家の中から流れてきた懐かしい曲は、
60年代のヒット曲。


組の資料で、むこうと、こっちの
オッサン同士は、同級生。


組長を引き受けたお陰で
「組内(くみうち)同窓会」が、

もうすぐ、我が家で
実現する。

 

昨日、オッサンが聴いていた曲 

1967年リリース

「Can't Take My Eyes off You」

邦題:君の瞳に恋してる 

フランキー・ヴァリ
& フォーシーズンズ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「里芋に 学ぶ」

2017年12月01日 | 日記



この世に生まれ出て、
66年になる。

物心ついた時から今まで、
幾多の体験により
「喜怒哀楽」などの感情や、

外界から触発され生まれる
「美意識」などの感性を
身につけてきたが、

喜びや美しさなど、
喜色満面に堂々と
表現
出来るものもあれば、

屈辱や失望など、
ひたすら自身の中で
押し殺さなければならない
やるせないものもあった。


自身が世間からどう評価され、
また、自身が世間を
どう感じているのか。

常に世間と対峙することで
自身の価値を計り、比べる気風が
知らぬ間に、身についていた。

「自意識」
と言うものである。


ところが何時の頃からか、
そんな気風が「全く、不要なもの」
と思えるようになってくる。


随分と長いこと、仕事を通して
自身の評価を世間から頂き、
一喜一憂を繰り替えしてきたが、

正直、疲れた。

今も世間に帰属はしているが、
今は「世間は世間、自分は自分」
「自身の価値は、自身にあり」
と考えるようになり、

肩から力が抜けて楽になると、

自身の呆れるほどの馬鹿さ加減も、

役立たずの甲斐性無しも、

日々の貧しい暮らしぶりも、

今までは「恥」、
と思っていたことすべてを
世間にあからさまにもできるし、

世間の嫌気や失望にも
知らん顔へと、心は向かう。


新聞を広げ、たとえば
政治家や公務に就く者の
失態や失言の体(てい)たらくに
失望し怒ったところで、

所詮は、おいらが
彼らの性根(しょうね)を
叩き治せる訳がないんだからと、
目を他の記事に移す。


「ホント、最近は下らん番組ばかりだ」
と嘆いたところで、

♪ 生まれてきてよかった ♪

を、世間から長きに渡り受け続けた
虐めにも慣れて、今ではすっかり、
身についてしまった性癖からか、

ずっと

♪ 踏まれてきて良かった ♪

と聞き間違いしていた
欠かさず観る番組、
「鶴瓶の家族に乾杯」
が、あるじゃないかと言い聞かす。



世に生まれ出て、66年。


余計なことに不要な感情や
神経を使う暇など、
ないのである。


里芋を寒にさらすと
旨味が増すように、

我が身の生き恥を
世間にさらすと、人間も人生も、
旨味が増すんじゃないかと

考える。

「Birthday」

さだ まさし

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする