我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「明日から、10月」

2014年09月30日 | 日記

4月から始まる会計年度では、
10月は第3四半期の始まり。

新年1月から数えて10月は、
最終の第4四半期。

今年も後、3ヵ月。

まぁ、それにしても、
今年も、昨年の反省を顧みず
よく飲み、よく遊んだ。

毎年の如く、遊びがすぎて、
多分に、悔いもあるが、
残すは、3ヵ月。

残り、僅かの3ヵ月で、
一年の汚名挽回なんぞ、出来そうもない。

いつものように、一年の反省会は
大晦日。

「あーだ、こうだ」と悔いるよりも、
生きていることを享受することが
先ず、最優先。

それで、今年も暮れまでの3ヵ月、
いつもの如く、
よく飲み、よく遊ぶことにした。


なぁーに、少しも気にする事はない。

「遊んだ付け」を払うのは、

「来年」でなく、

「来世」

なのだから。
 

The Band 
「Acadian Driftwood 」


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「秋の味覚」

2014年09月29日 | 日記

例えば、

「来週になれば、
こんな楽しいことが待っていますよ」。

などと、楽しみが訪れてくるのを
予告されるのも、嬉しいものだが、

例えば、

期せずして不意に、
楽しみが訪れてくるのも
嬉しいものである。


例えばそれは、今朝のこと。

朝食の卓上に現れたのは、

「大根葉の一夜漬け」

昨日、
故郷から帰ってきたスージィーが、
買って帰ったものを、昨夜漬けたもの。

小生、漬けたことなど知らずに
朝を迎えた。


早速、醤油少々と
小僧から頂いたへべすをかけて、
久しぶりの秋の「大根葉の漬物」。

歯ごたえと風味、

まったく予期しない
「大根葉の漬物」との
嬉しい再会。


先ずは、初めて頂くかの如く
一噛み、一口
確かめるように味あい、


次は炊き立ての白いご飯に、
覆い被せるように大根葉と
きざまれた細い白い根をのせて、

一気にかき込む

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

季節は秋、
まさに、季節の味「秋の味覚」が
期せずして訪れたのは今朝のこと。


生きていくうえで、
楽しみを迎えることは、
嬉しいこと。

それが何時訪れるか判っていても、
あるいは、それが不意に訪れたとしても、
嬉しいことは違いないし、

それこそが、生きる目的。

「予告付き」でも、「期せず」でも、
楽しみが訪れてくれるのは嬉しい限り。


今朝、
今夜の酒の肴は「大根葉の漬物」
と決めた。

今朝の「大根葉の漬物」が
予期せぬ楽しみなら、

今夜の「大根場の漬物」は
予告された楽しみである。

今から“夜の部”を始めることにするが、

「期せず」と「予告」、
どちらが楽しいかって、

どちらも好きにきまっているのは、

「勿の論」である。

では、今から ・ ・ ・。


補足

 「・ ・ ・ ・ ・  ・ ・」
とは、

「言葉にならない」

という意味です。

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「真っ直ぐ、向いて」

2014年09月28日 | 日記

IMG 33711

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「歩いては帰れないけれど」

2014年09月27日 | 日記

募る想いに駆られたら、
時には故郷を訪ね、

思いついたら何時となく、
故郷の人や友と電話で語らい、

いつも心に故郷を捉え、

故郷への愛しい想いを、
片時も失うことはなく、

歳を重ねるごとに、望郷の念は
愈々もって増すばかり。


愛する故郷へのそんな想いは、
何故か秋の季節ほど、
深く心に淀(よど)むもの。


脳裏に故郷の景色や
人の面影を映し出し
かつて、そこで過した日々や出来事を
思い起こす。

映し出された情景はほんのりと
「淋しさ色」を滲(にじ)ませる。

それは、故郷で過した秋の季節に、
寂しさや切なさを覚える出来事と
出会ったから?

それとも、
木々が赤く染まり、葉が落ち始める
「終わりの季節」の秋が
人を感傷に浸させるから?

秋に故郷を想う時、
心にセンチメンタルな想いが
募ります。

故郷まで、車で僅か2時間余りの
春日村に住む
私がこう
だから、


故郷を遠く離れ、
異郷の地で永く暮らすた方たちなら
殊更ではなかろうかと。


世の中には、親の都合や事情で
何度も引っ越しを繰り返すことで、
「故郷」と呼べる、「帰る場所」を
持つことができなかった人達

東京の方たちは、

「東京は故郷ではない!」

そんな認識の方も沢山います。


幸いにも私は、
「リトル」という「帰る場所」のある、
素晴らしい故郷の“持ち主”です。

その故郷へ今日、
四人姉妹みんなで、母を囲んで、
昔の母と子供たちに戻り、
笑顔で愛を交し合い
古いアルバムの新しいページに
新しい思い出を載せるために

間もなく、スージィーは
故郷へ向かいます。


なんでも今年は、
冬の訪れが早そうだとか。

黄金の稲穂を守る真っ赤な彼岸花は、
今は色褪せて、枯れゆく頃かも
知れませんが、

私の心の中で映し出された故郷は今も、
ほんのりの「淋しさ色」は昔のまま、

少しも色褪せてはおりません。

故郷を離れて異郷の地に住み
故郷を懐かしむ想いが

「郷愁」

「愁」は、秋に心。

 

故郷を遠く離れ、
異郷の地で永く暮らすた方たちへ

「故郷に帰りましょう!」 

笑顔で愛を交し合い
古いアルバムの新しいページに
新しい思い出を載せましょう!


只今、27日午前7時。

東の空から明るい日差し。

故郷も今日は晴れ。

起きてすぐ、今日の日記を書き始め
書いているうちに思いついた曲

故郷へは
歩いて帰れないけれど ・ ・ ・ 
 

斉藤和義

「歩いて帰ろう」

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「続:極上の休日」

2014年09月24日 | 日記

これが、
昨日の「極上の休日」に楽しんだ

コールマン製
「ツイン・バーナー」のメンテナンス画像。
 

上部カバーを開けて現れた
錆にまみれ見るも無残なお姿。

丸い二つが、バーナー 
ゆえに、、「ツイン・バーナー」。

部品のオーバーホール開始。

組み立てと塗装の終了。

手前の燃料タンクに新しいホワイト・ガソリンを入れ、
ポンピングでタンク内に圧力を掛けて
恐る恐る着火。

タンクから送られたガス化されたホワイト・ガソリンが
炎の上のパイプを通過する際に熱せられ気化し
次第に火力を増していく。

下の画像は、少し判りにくいが、勢いの良いブルーの炎

メンテナンスに要した時間は、4時間強。

使ったのは、ブラシ、ペーパーやすり、潤滑油。
材料は、残り物のグリーンの塗料。

これで万全な、メンテナンスの終了。
キャンプで使う「ツイン・バーナー」の
準備完了!

そして、その日に備え

陽が落ちて、焚き火を囲み
子供たちでも笑い転げる、
極上の「下ネタ」を作ること、

笑い転げる前に、
蘇ったバーナーで、
極上の「野外料理」を作ること。

これで、愉しいキャンプを楽しめる 。

でも、大切なことを、もう一つ、

極上の休日の「計画」を作ること。

これがきっと、永生きの秘訣。

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「極上の休日」

2014年09月23日 | 日記

今日は、「秋分の日」。

お上(かみ)から戴いた祭日は、
お天道様の優しいの陽射し付きという
この上ない休日。

こんな最高の休日を、
日がな一日、なにもせずに、
無駄に時を過ごしては、
この上ない最高の休日を、貧乏人の私にさえ
分け隔てなく与えてくれた
お上に申し訳ないと言うもの。


今朝、スージィーが、

「そろそろ、燻製の季節ねっ」

と言うので、ガレージの
「ダッチ・オーブン」を思い出した。

ダッチ・オーブンで、「燻製」。

早速、袋を開けたら、
手入れが良かったようで、
ご健在の様子。

それから、ついでに
プラスチックの箱に仕舞ってある
コールマンの「ツイン・バーナー」を
引っ張り出したら。

随分と、錆が付いていた ・ ・ ・

それがきっかけで、
今夏、ガレージ兼倉庫を片付けた際、
気に掛かった作業に
取る掛かることにした。

「よぉーし、今日はこれをやる!」

先の見通しもつかない貧乏人の予定は、
すぐに決まる。
 

早速、
「ツイン・バーナーのメンテナンス」に
取り掛かることにした。

この、随分とお世話になった
ツイン・バーナーの錆を落とし、
ペンキを塗りながら、昔を思い出した。


10年以上も前の、
「秋分の日」が連休ともなれば、
必ず、キャンプに出かけていた。

気心の知れた連中と料理を作り、
焚き火を囲んで、遅くまで酒を飲んだ。

キャンプは、これからの季節に最適。
いつも最高に愉しかった。

その時にお世話になったキャンプ道具たちは、
今は活躍の場を失い
そのまま、ガレージの中で眠っている。

その一つが、
この「ツイン・バーナー」である。

部品のオーバーホールを済ませ、
組み立て終えたら、新しいホワイト・ガソリンを
タンクに入れてポンピング。

そして、着火。

期待通りに、昔と変わらぬ炎に、
4時間以上にわたる作業の労が報われ、
バーナーもきっと喜んでくれている。


今、近い内に実現する、リトルでの
ケンタやマナたちとの
キャンプを楽しみにしている。

酒と食料と燃料以外に
揃える道具は何一つ無いが、

でも、その道具は今、
使わずじまいのまま。

ツイン・バーナーのお次は
テント。

時間を見つけては、
「キャンプ道具のメンテナンス」に
励むことにした。

子供たちと、焚き火を囲み、
私の下ネタを、皆んなが笑う日が
やってくることを願いながら。
 

今日は、「秋分の日」。

お上がくれた、未来に続く

「極上の休日」。 

補足
ツイン・バーナーのメンテナンスの
画像は明日。
 

Alabama - Fire In The Night

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「終:メンテナンス」

2014年09月22日 | 日記

今朝、スージィーが

「今日は、ちんちん、腫れそうもないね」

と言った。

「おーっと!」 


その大胆な発言に私は驚き、
もう一度、確認のために
聞き直すことにした。

すると、彼女が言ったのは、

「今日は一日(いちんち)、晴れそうもないね」

だった ・ ・ ・

それは通勤の車窓から、台風の近づく
曇り空を眺めての言葉だった。

私が聞き間違いしたことに気付くと、
彼女は呆れて一言、

「みっちゃん、病院行って、
頭の中でも診てもらったら!」

と、 ・ ・ ・ ・ ・

ん、やっぱり、そうかも?


「庭」、「身体」、「心」

と続いたその次は、ついに

「頭のメンテナンス」。


不治の病を診て貰いに、
病院に行くのはせめて、
大好きなこの歌を聴いてから。

(でも、〇〇に付ける薬無し)
 

大好きな歌は、故西岡恭造さんの

「自転車に乗って」

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「続:メンテナンス」

2014年09月21日 | 日記

小生、物心ついた頃から
涙脆(もろ)い。

小生の涙脆いの「涙」とは、
叱られたり、意地悪されて、
悲しさや悔しさにいたたまれず
流す「涙」ではなく、

何らかの刺激を心が受けて
感情が高揚されることに依って、
流される「涙」のことである。


還暦をとっくに過ぎたこの齢になっても、
泣きべそは陰を潜めるどころか、
益々、涙腺は敏感となり、
酒でも入っていようものなら、
覿面に“バルブ”は全開。

辺り構わず泣き始める始末。

当の本人、
そんな己の様を恥じるどころか、
近頃はむしろ、「泣きべそ」を
誇らしく思うになってきた。

「涙脆い」とは、
「感受性豊かな、高度な人間の
成せる技」と信じて疑わず
独り勝手な自負心を抱く。

映画を観ては泣き、

音楽で泣き、

美談に触れては泣き、

綿綿たる自然の雄大さと
優しさと厳しさを
目の当たりしては

泣く。

一年中、朝から晩まで四六時中、
涙を流す事象は枚挙に遑(いとま)はない。

どう考えてみても、
小生は、「幸せ者」


一昨日の日記の文末に
「心のメンテナンス」と書いていたのを
今朝、発見した。

今になって、
なんでこれを書いたのか
酔っていてはよく覚えていないが、

例えば、
「心のメンテナンス」とは、

感激を受ける、
如何なる事象に接した時に、
人は忘れてはならない、
大切なもの・思いを取り戻すこと、
優しさと厳しさを取り戻すこと。

それが「心のメンテナンス」。


今日の日記に
「泣きべそ」を書いたのは、

今朝、シナトラの愛聴盤
「THE CONCERT SINATRA」の



「OLDMAN RIVER」
(オール・マンン・リバー)
を聴いていたら、

素晴らしい曲の旋律、シナトラの歌唱力、
そして、この歌の詩を思い出し、

つい、ホロリ。

それが、動機。

時は午前10時。
当然、酒は一滴も入ってはいない。

周りに人が居ようが、
恥じることは無い。

これが私の「心のメンテナンス」。

そして、これが小生の今日の日記
時はお昼の少し過ぎたところ。

外は絶好の
「ウォーク&ジョグ日和」


このアルバムの、この曲を探したが
見つからないので、
スタジオライブ版のシナトラ。

これが、日曜日の朝に
私を「泣きべそ」にした曲と詩 。

オール・マン・リバー」
♪ 

オール・マン・リバーよ
 全てを映しながら流れる大河ミシシッピーよ

ここに 死ぬより辛く生きる事を
強いられた俺達がいるが

あなたはそれでも ただ黙々として 
流れ続ける

黒ん坊は働く ミシシッピー川で
黒ん坊は働く 白人が遊んでいる間も
朝から晩まで舟をひいて
あの世に行くまで 休むひまもなく
 
はしけを引っぱれ! 積み荷をおろせ!
ちょっとでも飲んだくれりゃ 監獄送り

もうへとへとだ うんざりだ
生きるも嫌だし 死ぬのもこわい
だけどオール・マン・リバーは 
黙ってただ流れるだけ

 もう疲れ果てたよ 辛い事ばかり 
飽き飽きの人生

でも死ぬことも恐ろしいんだ
 
だけど
老大河 ミシシッピーよ
あなたは黙して 
ひたすら 
流れ続ける 

♪  


Frank Sinatra.Ol' Man River

これも素晴らしい
サミー・ディビス・Jrを追加。

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「メンテナンス」

2014年09月19日 | 日記

しばらくの間、
日記を休む羽目になってしまった。

その理由は、パソコンの不調。

使い慣れた私のパソコンは
Windows XPのディスク・トップ型。

このXP、
ご存知のようにセキュリティ・サポートを
終了してしまったタイプである。

どうやら、愛機の不調は
その「サポート終了」が一因らしい。

起動するのが当然の愛器が
起動せず、困り果て、

私のありったけの知識を駆使し、
試行錯誤を繰り返したのに ・ ・ ・

残念ながら愛機は、
元に戻ってくれず仕舞い ・ ・ ・


そこで、知人である頼みの綱に
機能修復を依頼することになった。


この修復作業で働いたのが
「TeamViewer(チーム・ビューアー)」
なるフリーソフト。

外部のパソコンから、
インターネットを経由して、
まるでそこに居るかのように
パソコンを遠隔操作できるソフトである。

このソフトと頼みの綱の遠隔操作のお陰で、
私はパソコンを買い換える難を
見事に回避することになったのである。


パソコンの内部には、自動的に
日付・時間を合わせる機能があるが、

実は何らかの事情で、
この機能が働かず、
時間に誤差が生じたことが
不調の要因だった。

これが、セキュリティ・サポート終了との
因果なのか解らないが

時間を合わせただけで、
愛器はすっかり回復したのです。

ついでに、
使用頻度の低い余計なソフトを
アンインストール(削除)したお陰で
起動も幾分とスムーズになった。
 

今や、私にとってパソコンは生活必需品。

お金があれば、買い替えることは
いとも容易いことなのだが
それを許さない訳 がある。

今回の修復方法が、XPをお使いの皆さんの
困った時の対処方と
日ごろのメンテナンスの参考になれば
幸いですが。
 

ところで以下の画像は、
先の三連休を費やし、済ますことが出来た
庭の塀の塗り直し。

愛するパソコンのメンテナンスの前は、
愛する庭の塀のメンテナンス。


「粗」と「細」の二種類のブラシで、
張り付いたツタの根と汚れを
何度も何度も納得するまで落とし、

今度は塗料の缶を左手、ハケを右手に
何度も何度も脚立を上ったり、降りたり。

草臥れもしたが、
見事に蘇ってくれた塀の画像がコレ 。

ベンチの後ろの塀

愛するものは、
使いっ放しではいけません。

「メンテナンスが大切!」

を教えてくれた一週間でした。

 

「心のメンテナンス」

 

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「実は、実話」

2014年09月11日 | 日記

我輩は猫である。

名前はあるが、尋ねられても
「ミャーッ」としか答えられないので
主人に聞いていただきたい。

どこで生まれたかは、とんと見当付かぬが、
物心付いた頃から、
主人の住まいのある春日村とやらで、
永いこと暮らしている。

我輩はこの村のことなら、
どの猫よりも
よく知っているつもりでいる。

例えばこの村に
「喜多里亭」と言う名の居宅がある。

実はこの居宅、
この周辺では珍しい類の
人間と犬が住んでいるが、

この主人が実に面白い。

二日ほど前の夜のこと、
酒と肴を抱えて庭に出たかと思えば、
愛犬を傍らに座らせて酒を飲みながら、
まぁるい月さんを眺め始めたのである。

永いこと、この村に住んでいるが
夜な夜な庭に現れては
酒を飲み、飯を食らう

こんな人間は、
この界隈で観たことがない。


ところで今夜の話は、この主人ではなく
主人の飼い犬のことである。

「犬は飼い主に似る」と言うが、
この犬も変わっている。

犬の名前は「バンク」。

貧しき主人が、
いくらかでも「お金に有りつきたい」と、
悲願をこめて「バンク」と
名付けたらしいが、

我輩の観察したところ、
いまだに、悲願成就の兆候を
見受けていない。

主人の都合で、
勝手に「バンク」と名付けられ、
否応(いやおう)なしに「幸せの使者」に
祭り上げられたバンクは、

「やってられるか!」

と、日がな一日、寝て過す。

夏の間、ガラス戸は閉ざされている。
生意気にも「エアコン暮らし」らしい。


さて、昨日のこと、
散歩がてらに喜多里亭に近づき
部屋の中を覗くと、
いつものようにバンクが寝ている。

このところ、涼しくなったのか、
窓が20センチほど開いていた。

そこで好奇心旺盛の我輩、
ここは一つ、
バンクをからかうことにした。

隙間から部屋に侵入し
バンクの横を忍び足。

バンクは一向に気付く気配なし。

「シメシメ」

そのまま台所に辿り着き、
ラップのお皿の
「塩鮭の切り身」を見つけた。

「いただきまーす」

思いがけず昼食にありつき、
腹もふくらみ、舌なめずりで
帰りもバンクの横。

そのまま、帰っては面白くない

そこで、思いついたのが
肝(きも)試し、悪戯(いたずら)半分で、
バンクの身体を

トントン。

しかし、まるで反応なし。


これじゃ、主人の
「愛玩の役目」は果たせても、
「番犬の役目」も、「幸せの使者の役目」も
おそらく、終ぞ果たさず仕舞い。


ご主人へ一言。

無能なバンクでも、
我輩が泥棒でなくて幸いでした。

ご安心を!

お宅に我輩が来ても、
泥棒が来ることはありません。

お宅には「塩鮭」以外に、何一つ
高価なものはありませんでした。


我輩は猫である。

春日村のこの界隈で、
どこのお家が一番お金持ちで
どこのお家が一番お貧乏か、

どの猫よりも知っているつもりでいる。

ジーン・ビンセント 
 「 Wild Cat 」

Gene Vincent - Wild Cat 

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ちいさい秋」

2014年09月08日 | 日記

ウォーク&ジョグの後で
浴びる冷たいシャワーは
爽快そのものである。

息を切らして流した汗を洗い流して、
火照って身体を冷やし、

身も心も、こざっぱりしたところで、
いよいよ夕餉の卓に着く。

卓の、そこにあるのが、
例えばウィークデイなら、

一日の就労と
健康維持のための運動を終わらせた、

まずは、ご褒美の、酒と肴。

故に、汗を流すシャワーは、ご褒美頂くための、
「儀式」みたいなもの。


冷水は、温水を浴びるのと異なり、
心を引き締める効果があるように思える。

ところが当節、
いつもの心地よいシャワーの水温が、
急に冷たさを感じるようになったきた。

昨日の、
日曜日、午後三時過ぎから始めた
昼間のウォーク&ジョグならまだしも、

帰宅時は、陽も落ちゆく、宵七時ともなれば、
汗に濡れたTシャツ越しに受ける風も
心なしか冷たく、

身体は冷たさから逃がれて、
次第に、温かさを求めるようになってくる。

周りの気温が下がれば
浴びる水温は上がるは当然。

シャワーも、お風呂も、こざっぱりになるのに
なんら変わりは無いが、

確実に季節は限りなく、
秋に近づいているという証拠。


作詞:サトウ ハチロー 

「ちいさい秋 みつけた 」

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

(2番の詩 )

唄うは、矢野顕子

この曲を、約束通りに
西村さんに捧げます。 

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「関係各位」

2014年09月07日 | 日記

読売新聞のWebニュース、
読売・オン・ラインのコラムで
面白い記事を見つけた。

110歳の方に、
今日の日付、引き算、言葉の逆唱など、
色々な項目の認知機能の検査をし、

最後に、
「何か好きな文章を書いてください」
とお願いしたところ、

「私はこんな検査は大嫌いです」
と答えたと言う。

百寿者は、
自分の考えをはっきりと言う人が
多いようです。
(記事は編集)

加えて、長生きの男性では、開放性
(好奇心が旺盛で新しいものが好き)
が顕著らしい。

以前、
「頑固は長寿の秘訣」
と言うのを読んだことがあるが、

前述の内容と共通し、「成るほど」と頷ける記事で
面白く読ませていただいた。


だからと言って小生、
これを参考に「長生きをしよう」
と思っているわけではない。

最近、つとに思うことは
人生の目的は、「長く生きたか」ではなく、
「どう生きたか」。
(特に後半戦は。)

小生が長生きすることに、
自身は一向に困らないが、

周りが困る ・ ・ ・

傍(はた)迷惑も甚だしいし、
長生きして嫌われては割に合わない。

しかし、
長生きはしたくは無くとも、
「頑固」と「好奇心は旺盛」は、
小生の持ち合わせた「性分」。

どう考えても
今更、変えようがない。

己の性来を全うするのも、
また、人生の価値高い目的の一つ。

周りに気兼ねすることなく
胸張って、「頑固で行きよう!」

今まで通り、

頑固に、

一切、変えずに。


関係各位、

その節は、「ご免」。

矢野顕子
「変わるし」

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「マナにも、夜が」

2014年09月06日 | 日記

「ごはんかできたよっ!」

 矢野顕子

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「願掛け」

2014年09月05日 | 日記

何度も見上げたくなる空の下で
大きく息を吸った。

こんな美しい空と
清(すが)しい空気のあることを
忘れていたわけではないのに、

初めて出遭ったような感覚が生まれるのは、
しばらく、曇天と雨ばかりの空を
眺めて続けてきたからだろう。

淡いブルーの広がる空に、
空色まだらの白い雲。

そして、少しばかりの
冷気を帯びた透き通る大気。

「少しばかりの冷気」、

それは、肌が覚える秋の訪れ。

聞こえてくるのは、蝉の声から虫の音へと、
またひとつ、季節のページが捲(めく)られた。

その虫の音が始る、まさしく昨日の夕べ、
届いた一個の宅急便。

送り主は、小僧。
中身は好物、柑橘「へべす」。

画像は、借り物


日向の平兵衛さんが発見したことから、
「平兵衛酢(へべす)」と名付けられた
日向の特産品。

小僧曰く、
「ご免、夏の多雨で、出来は良くないらしい」。

そんな謙遜の前置詞を全く感じさせない
素晴らしい初物「へべす」。

その柑橘の味の見事さは、
今日の天気に似て非なる、爽やかさである。


今年も爽やかな秋がやってまいりました。

せめて私も、
秋の佇(たたず)まいや、「へべす」に肖(あやか)り、

「爽やかに生きていたい」
と願うばかり。


さて、その「願掛け」、

先ず、冷やした焼酎の水割りに、
「へべす」を数滴。

さてさて、どれだけ頂いたら、
私も「爽やか」になれるのでしょうか?


曲は、秋の夜に ぴったしの

今年、7月に亡くなった
チャーリー・ヘイデン(ベース)
& 
マイケル・ブレッカー (テナー・サックス)

アルバム「アメリカン・ドリーム」から 
「Traveis」
 

Travels

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音楽の魔力」

2014年09月02日 | 日記

昨夜の「尻、蹴っ飛ばし」で、
「リトルがらみ」でアップしたのは、
多分、私が二十歳の頃にNHK・FMで
初めて聴いて
一度で大好きになった曲でした。

ラジオで知った
グレン・キャンベルとボビー・ジェントリーの
アルバムをすぐに買い求めたことを
今でも思い出します。


当時、誰が書いたか知らなかったけれど、
たった一度聴いて、好きになったこの曲は、

ボビー・ラッセルが作詞・作曲した
「リトル・グリーン・アップルズ」でした。
 

曲は、
「私がどれほどあなたを愛しているか」

そんな愛の歌です。

この歌も、私が今までに聴くことのできた
どの歌と同じように、

自分の心が優しくなるのを
実感できる、素晴らしい曲です。

以下に記したのが、
聴く人の誰もが優しくなれる
この曲の詞の一部です。 

♪ 

もし、
「彼女が僕を愛していない」
と言うのなら

僕は言いたくなる

神様は

小さな青いリンゴを創らなかったし

夏の間、インディアナポリスに

雨は降らなかった。

♪ 
 

今夜は、
シナトラの歌を聴いて
寝ることにします。

六十余年を生きて、いまだに
優しくもなれない自分に明日の朝、

少しだけ変化が起きますように。

音楽の魔力を信じて。

Frank Sinatra
 Little Green Apples

コメント
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