我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

希望。

2010年12月31日 | 日記

少し努力が足りなくて、
胸を張れるような
自慢できる一年ではなかったが、

周りの人たちの「戴き物」恵まれて、
100点満点の素晴らしい
1年を過ごすことが出来た
果報者の私。

皆様に心かから感謝申し上げます。
「ありがとうございます」


来る年が皆様に幸せが訪れる良い年で
ありますように!

良い年でありますように!

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戴き物:総集編 愛。

2010年12月30日 | 日記

人は「優しい気持ち」になれることが
一番素晴らしいことではないかと思う。

「優しい気持ち」になれば、
「怒り」も「悲しい涙」も消え、
身体も心も互いに傷つけあうことなく、
世界から争いは無くなり、
皆、幸せに暮らせる。

私は今年も沢山の優しさを
皆さんから戴き、
幸せな1年を過ごせましたが、

私だけでなく、
世界中のすべての命あるものが
幸せに生きていければと
心の底から願うばかり。

戴くばかりでなく、
私自身が優しさを届けられるように
生きていけたらと願う。

「愛こそはすべて」。

やさしさに包まれたなら(松任谷由実) - 魔女の宅急便

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戴き物:夢編。(果てしない明日へ)

2010年12月28日 | 日記

いつの日か私も、
人生の終焉を迎えることになるのだが、
その時になって見なければ
判らないことではあるが


自らの生命の存続に執着の無い私にとって、
「終わる」ということが無念とは思わない。

不慮の事故に遭遇するならまだしも、
老化や病であれば
「全て自分が招いたこと」
と、諦めるしかない。
天から差しのべられた“お迎えの手”を
いさぎよく握るつもりでいる。

やり残したこと、挑戦せねばならないことは
山ほどあるが、「アレヤ、コレヤ」と
欲張ったところで所詮、
身の丈のところにしか手は届かない。

「やり直しの効かない人生」
少しでも叶うようにと、
動いている。   つもり。

とっくに黄昏時が過ぎて、
宵に入った人生時計にあって、
小さきながらも閃光を放つ存在がある。

マナである。

老いていく人生の一方で、
朝陽のごとく眩ゆく、
始まったばかりの人生が歩み出す。

人生が始まったばかりの彼女には
無限の可能性が秘められていて、
私の「やり直しの効かない人生」
にもまだまだ、
沢山の可能性が秘められていることを、
孫のマナが気付かさせてくれる。

ところで今日、カ-ラヂオで
「トイレの神様」
と言う歌を初めて聞いた。

10分近くのこの曲を最後まで聞いて、
涙が止まらず、車を止めた。

この歌詞にスージィーとマナを
勝手に重ねて聴いてしまった。

いつか彼女たちにそんな時が来る。
今から嘆いても仕方ない。
「無念」とは思わないようにしよう。

折角、マナから沢山の戴き物を
もらっているのだから、
生きている間は彼女の人生に
何か一つでも役に立つことをしてあげよう
と、誓う。

そう思うと、しばらくは、くたばれない。

そんなマナが、明日やってくる。

耳当て付き帽子とポンチョを着て
雪の大宰府に参る。

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戴き物:癒し編(2)

2010年12月28日 | 日記

ディレクターズ・カット版

P1020088

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戴き物:癒し編(1)。

2010年12月27日 | 日記

普段の生活に欠かせない戴き物は
元気・勇気・刺激・天気の
「ハート」の外に「癒し」。

「酒」然り、「音楽」然り、
「庭の木々や草花達」然り、
バード・レストランに集まる
「小鳥達の鳴き声」然り、
あらゆる「アート」然り、

他人様にはどうでも良さそうなものでも、
私にはこれが無いと
生きて行けない。

その「癒し」の極めつけが2つある。
その1つは、愛犬「キャッシュ」と「バンク」。

食べる物こそ違え、
彼らは私たちと寝食を共にする間柄。
我が家では,ペットの存在を超えた人間様同様、
れっきとした家族の一員。

2匹は10歳と8歳。
人間の歳に換えるなら、
私たちよりはもっと老人。

知らぬ間にどちらが先に逝っても
可笑しくない歳になってしまった。

洒落と縁起を担ぎ
「Cash」に「Bank」と名付けたが、
あにはからんや、
お金の要ること、おびただしい。

日曜日、雪が積もる前の散歩で、びしょ濡れのバンク。


散歩が終えて,
トリミング中のキャッシュ。
あいにく、後ろ姿。飼い主に似て「シャイ」。



トリミング代、2匹合わせて「1万7千円」。

スージィーはこれに懲りて
「二人が死んだら、もう、犬は飼わない!飼うなら猫!
とは言うが
「いなくなったら、淋しくて又、コッカーかもね」
「それも二人に似た」。

彼らは「匹」でなく「人称」。

彼らに掛かるお金と可愛さを差し引いても
可愛さの方が余り有るが、

一度、貯金通帳でも見せて、
貧簿する家庭事情を鑑み、
少しはフードのお代わりを
遠慮するかも知れないが、

「“甘噛み”は出来ても、“鑑み”は出来ません!」
「貧簿する家庭事情は、
あんたが甲斐性が無いからでしょう!」
と、後ろ足で一蹴されるのが落ち。

休日の3時間、散歩と入浴で、
彼らの為に貴重な時間を費やすことになるが、
その3時間のお蔭で1週間、
彼らも私たちに、私たちも彼らに、
互いに「癒し」を与え、そして戴ける。

出来ることなら、
「このまま時が止まって欲しい」、

命に限りがあることは判っていても
「二人と別れる時が来ないで欲しい」、

彼らとの「癒し」の毎日が
「永遠(とわ)にリピート出来ないものか」と、

願うばかり。

 


極めつけのもう1つは・・・・・・・

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戴き物:ハート編。

2010年12月26日 | 日記

戴いた新鮮野菜をはじめとする食べ物は
消化してしまえば形が無くなるが、
最初から無形の戴き物がある。

それは「ハート」。
今年も皆さんから、沢山のハートを戴いた。

前述の「食べ物」同様、
ハートの中の「元気・勇気・刺激」
といったエッセンスは、
身体の中で「血となり、肉となり」
次の一歩、新たな一歩を踏み出す
大事なエネルギー源に代わる。

世界の人口69億人の
ほんの僅かな人たちとしか
手を繋ぐことが出来ないのに、
私は「温かいハートの持ち主」
に囲まれて暮らしている幸せ者。

私を念願の
「ギタリスト兼ボーカリスト?」
に導いてくれた
ブルー・グラスのメンバーの皆さん。

「表現者」としてオリジナルな活動で
刺激をもらうミセス・ヤスコとミッシェル。
生きていることは表現すること。

ヴァリィやキューピーやミセス・ヒロコのように
世間の荒波を自分の力だけで
航海を続ける同級生の勇気。

還暦を過ぎてもなお、黙々と精進を続け、
剣道六段に到達したマリリンパパの元気。

病を克服し、
いつも懐かしい山々と一緒に
私たちを笑顔で迎えてくれる
故郷のモーリーとミセス・ヒトミ。

他、沢山の人たち・・・・

「ありがとう」の一言では、
言い尽くせぬ「敬服」の念が、
私の「終わりなき人生」の道標や灯りとなり、
明日と足元を照らしてくれる。

それから、「天気」。
自然のハート(恵み)のお蔭で
我が家の庭の木々や花たちや
「地球上のすべて」が元気でいられる。

最後にスージィー。

説明無用。

今年も沢山のハートを戴きました。
宇宙と地球のすべての生き物に
心から感謝いたします。

画像は私の「コレクション」。ではありません。


向かって右、ごーんさん。

中央ランディさん。
左、愛器。


私の「くたびれたマーチン」を気遣い
愛器のリペア入院(修理)の間の代用として
お二人から貸与していただいたギター。

この場を借りてお二人の心使いに感謝です。
財政難で愛器は未だ、入院していません。
悪しからず!

 

それから、スージィーが
「来年から挑戦しますっ!」と言った
楽しみな「フラット・マンドリン」。



入りきれない「戴き物」をリュックに詰めて
ロバートの終わりなき人生の旅は
来年も続きます。

皆様に、ひたすら感謝です。

窓の外の降り止まぬ雪を眺めながら。

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戴き物:食べ物編。

2010年12月23日 | 日記

今年も随分多くの方から
沢山のものを戴いた。


一昨日は我が家の
爪に火をともす生活の様を見るに忍びず、
マリリンから「おでん」を戴いたばかり。
いつもお気遣いありがとうございます。

「愛のデリバリー・レディ」マリリンに感謝。

筆頭は「山口情熱野菜」。
朝夕休日、仕事のかたわら、
手塩に育てた無農薬の旬の新鮮野菜を
いつも大量に戴いた。

それに最近は「しじみ」も加わった。

「旬の野菜が美味しい」と言うことを
いつも教えてくれる山口さんに感謝。

「自然食品」の印象に残った代表は
「クマ農園の木酢」。


(黄色になってからのほうが、私は好きかなぁ)

「木酢」は“もくず”ではなく“きず”。

「柚・かぼす・すだち」と違った、
実に上品で柔らかい独特の酸味は
一度、口にしたら他を寄せ付けないほどの優れもの。

最初の一口でこの「きず」の虜になった。
柑橘酢の女王様。

果汁も多く、贅沢に私はこのまま「ガブリ」。
やわらかい酸味が口の中で無限に広がる。
「酢みかん」と呼ばれる由縁がここに在る。

サラダのドレッシング、酢の物、
ポン酢、焼魚、お湯割り、
柚に代わり食卓の名脇役を務めた。

「本年度食卓助演女優賞」に決定。

この女王様を教えてくれたクマさんに感謝。

それに、お肉やさんのホーリーさんの
新鮮レバー刺し。
お店でしか入手できない逸品を

何か用事を見つけては届けてくれる。

レバ刺しに感謝。いや、ホーリーさんに感謝。

戴いたものは食べ物ばかりではないが、
戴いた食べ物には、その人の気持ちと、
そのものの味の二つを
一緒に味わえるからありがたい。

そして、身体にも良い。言うこと無い


今日の日記は
「来年もお願いしています」を、
暗に示唆しております。
来年も我が家が生きながれるか否かは
皆さんに懸かっています。
良しなに!

ここに書ききれない皆さんの
戴き物に心から感謝です!

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恵良おばさんの熱唱を・・・

2010年12月21日 | 日記

デコのお誕生日のささやかなお祝いに
恵良おばさんの熱唱をプレゼント。

Happy Birthday to Deco

いつまでも、お元気に!
花と猫とボコを愛するデコへ。 



Ella fitzgerald - Mack The Knife High quality

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パスワード。

2010年12月20日 | 日記

愛用のパソコンが、修理から
半年ぶりで我が家に帰ってきた。

暫らく、不便を強いられたが、
使い慣れた相棒が帰ってきて
喜んでいるのもつかの間、
保護の為、パスワードが無いと入れない。

なんと、僅か半年の間なのに
パスワードを忘れてしまった。

自分の誕生日や愛犬の名前などなど、
あらゆる数字とアルフェベットを入力しても、
パソコンはご主人様の意に反し、
いっこうに心を許してくれない。

もつれた記憶の糸をたどり、
と言うよりは、半ば偶然に
実に単純な3桁の数字の羅列で
パソコンは再び“私の物”になった。

使命を全うしたパソコンに罪はなく、
全て責任はご主人様にある。

日増しに忘れっぽくなる
自分に呆れるばかりである。

このパソコンで使っていた“メル・アド”を開くと、
未開封の受信メールが怒涛の如く流れ込んできた。
一日僅かな受信数でも、半年すれば膨大な数となる。

丁寧に仕分けをしていると
マナパパからのメールを発見。

「プレゼントありがとうございました」。

添付画像を開くと、
還暦のパーティ用に赤いセーターを買おうとして、
お気に入りが見つからず、
結局、マナのXmasのプレゼントに
化けてしまった「耳当て付き帽子とポンチョ」。



お気に召したらしく、
いたくご機嫌な様子。
暮れにはこの格好で帰ってきてくれる。

ところで、マナと私のパスワードは

「マナッ、みっちゃんよっ!」

これだけは決して
忘れることは有りません。

日増しに成長するマナにデレデレの
自分に呆れるばかりである。

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変わらないもの。

2010年12月19日 | 日記

マリリンとミセス・ヤスコのお家の間に
太宰府天満宮や都府楼跡が位置する。

お正月の買い物を済ませ、
穏やかな冬の昼前、
あと少しで西鉄大宰府駅
終点近くの踏切を渡って、
なだらかな坂が続く峠の途中に
九州国立博物館があり、
峠の向こうにマリリンのお家がある。

マリリンの温かいお茶をいただいた帰り道、
博物館前の「ゴッホ展」の看板を気に入り、
「ゴッホ先生」の前でスージィーに写真をねだった。

タイミングよく黄色のパーカーとパンツ。


その帰りにミセスのお家に
寄り道をしたが、あいにくお留守。

愛犬と都府楼跡の広い公園で
一緒に遊んでやれば良かったと、
二匹を家においてきたことを
悔やむほどの暖かな日曜日。

私は大宰府が大好き。
特にこの都府楼跡周辺。



過ぎた時間の遠く向こうに、
かって九州を治める政庁があつた
この場所には時が過ぎても特別な空気が漂い、
いにしえの人々の息吹さえ感じることが出来る。

こんなに暖かい12月、
いにしえの人々はどんな風に
過ごしていたのだろうか? と想いがつのる。

陽気に誘われて
「ここから歩いて帰ろうか?」とさえ思ったが、
余りの暖かさと防寒対策の厚着、
そして風邪の再発を気にして
止めることにした。

マリリンとの茶話会と言い、陽気と言い、
暖かさ(温もり)は
心を和ませ、人を優しくさせる。

時は経ても人情は
いにしえから変わることは無い。

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「Let It Snow」。

2010年12月16日 | 日記

昨年、風邪をこじらして
1週間寝込んでしまった

風邪如きで寝込んでしまう
自分が情けなく、落ち込んでしまう
苦い経験をした。

その経験を機に、
今年はジョギングにウォーキングを心がけ、
昨年より「いくらか元気を取り戻した」
と勝手に思い込んでいた。

いわゆる過信。

ところで、本日休むことにした。
目的は、これ以上、風邪を悪化させないこと。

健康の最大の利点は、
心身共に爽快であること。
病は反して心身ともに憂鬱にする。

無駄に長生きしようとは思わないが、
生きている間はせめて
「気分爽快」で生きていたい。

「感受性豊に生きる」ためには、
健康でなくてはならない。

もっと、美しい自然の景色や音楽・アート、
人との繫がりを楽しむハートを
持ち続けよう。と願う。

「使命感」が健康の秘訣と心得たり。


ところで、今朝春日では積雪。
窓の外の雪を眺めながら、
この曲を思い出した。

ボーン・モンローか、ディーン・マーチンに
しようかと迷ったが

やっぱり、シナトラ。

Let It Snow
訳詞付 / フランク・シナトラ

 

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「寒い朝」。

2010年12月15日 | 日記

今朝、いつものように
スージィーを南福岡駅まで送る。

いつもと違うのは、
私はパジャマにカーディガン。

日曜日の空腹のジョギングと、
その後の汗が災いして
風邪をひいたらしく、仕事を休むことにした。

家に戻り床に就こうとしたが、
風邪による体調の不快感にも増して、
「休む」と言うことに、
どこか後ろめたい罪悪寒が身をしばる。

例えば、中国や北朝鮮の極寒の地では、
子供たちが寒風吹き込む
隙間だらけの貧しい家屋の中で

「早く大きくなって、
親を楽にさせてあげるんだっ!」

と、空かしたお腹で朝を迎えているかと思うと
「こんな風邪ぐらいでは休めない」
と気持ちを切り替え、
出かける支度を始めた。


きついながらもどうにか一日が終わり、
いつものようにお湯割を
戴けるまでに体調は回復し、
スージィーは私の身体を気遣い
熱いシチューを作ってくれた。

熱いシチューが食道を通過する度に、
「あの子達はいま頃、
どんなものを食べているのだろうか?」
と、勝手に昭和初期、日本の
冬の食卓シーンのイメージを重ねて想像する。

「風邪も贅沢病の一つ」
を、身につまされた一日でした。

今年の冬のスローガン
「付け様、心と身体に免疫力」。

寒い朝/ 吉永小百合/和田弘とマヒナスターズ

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「季節は巡る」。

2010年12月11日 | 日記

撮影場所:春日市宝町付近

 もう何年も
私に存在を知らしめてくれる
この見事なハゼの木の紅葉を愉しめるのも、
残念ながら今年が最期かもしれない。


その理由は、
ハゼの木と私の一方が、あるいは両方が
来年の秋までに息絶える。と、言うことでなく、

現在、進められている幹線道路の
四車線拡張工事の為に、
何がしかの新たな建築物で
視界を遮断される恐れがある為。

休日を除く毎朝、
私は通勤途中にこの木の前を通るが、
秋ともなれば、見事に色付き
辺りを圧倒する存在感を示す。

私以外にどれだけの人が
この木に関心を持っているか知らないが
このハゼの木といい、バックのお家といい、
田舎の景色を彷彿させる温かみのある景色に
懐かしさと落ち着きを覚えるのは、
私だけでは決してないはず。

例年になく、ため息をつきたくなるような
見事なハゼの紅葉に
「来年も必ず拝めますように」と祈る思いで、
車を降りてシャッターを押した。

時の移ろいと共に街は装い変え、
季節は巡り彩りを変えていく。

真っ赤なハゼの向こうはもうすぐ冬。

季節は巡る。

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「如雲玲音」

2010年12月08日 | 日記

如雲玲音」
私は彼が亡くなった齢40才を
はるかに越えてしまったのに、
たとえ私が100年生きたとしても到底、
彼には敵わない。

日頃は似非(えせ)アーティストを
名乗ってはいるものの、
全てにおいて彼の足もとにも及ばない。

彼は本物のアーティスト。

私の「もっとも身近なに感じる外国人」
人生に「もっとも影響を与えた外国人」
「一番顔を見て、声を聴いた外国人」
御釈迦様以外は
唯一「命日を覚えている外国人」

が彼如雲玲音」。

如雲玲音は、
ジョン・レノンの和名。
如雲(じょうん)とは雲のようだという意味
玲(レイ・リン)には玉の鳴る涼しい音の意味
音(オン)はSOUNDの意味。

今日は彼の命日、
彼の魂は私の中で朽ちることはない。

「Across the Universe (John tribute)」
アクロス・ザ・ユニバース(ジョン・トリビュート)

 

・・・・・・・・・・
止むことのない雨のように
言葉は次々と ペーパーカップの中へと 
あふれでていく

先を争って 滑りながら

言葉は 宇宙の果てへと 飛び出していく
悲哀の海 歓喜の波は
解き放たれた僕の心を漂いながら
僕を虜にし 愛撫しながら

ジャイ・グールー・デ・ヴァ・オーム

何ものも僕の世界を変えることはできない
何ものも僕の世界を変えることはできない

The Beatles- Across the Universe (John tribute)

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「Hard Times Come Again No More」

2010年12月07日 | 日記

大過なく過ごした今日一日、
特筆すべき日記も無く、
眠りに就く前にメールだけはと覗いたら、
ごーんさんから素敵な曲の紹介。

「Hard Times Come Again No More」
(厳しい時代はもうやってこない)

作曲は「おー・スザンナ」に代表される
「アメリカ音楽の父」
と称されるフォスター。
こんな名曲の存在を
今まで知らなかった。

辛い経験をしたものにこそ
この曲の優しさは伝わってくる。

つい、つい、聞き入ってしまう。

夜中に特筆すべき記事が見つかり
優しい気持ちででキーボードを叩く。
もう一度、聴いて寝ることにしようと思う。

少し疲れてはいるけれど、
今夜はこの曲で
幸せな眠りにつけそう。

ごーんさんに感謝。

この曲、できたらバンドで歌いたい。

 

・・・・・・・・・・
 

涙の日々を思い起こし、
悲しみ噛み締めよう

耳を離れぬ歌は告げる、
おお全て終わると

 <繰り返し>

  歌はそっと告げる、
苦しみは終わると

  お前と過ごした長い日々
  おお全て終わると

 

Hard Times Come Again No More

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