不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「記念日」

2016年03月31日 | 日記

 今日は、山女魚小僧から届いた
コメントのお返しの内容をアレンジして
日記にしました。

 

かつて、
私は店頭で見つけた商品に
一目惚れしてしまうと、

その場で即座に買ってしまうことは
珍しくありませんでした。

いわゆる、
「衝動買い」と言うものです。


その時分は、今と違って
自由に使えるお金がありました。

また、「衝動買い」だけではなく、

一端(ぱし)のコレクターを気取って、
好きなミュージシャンの作品(CD)を
すべて、買い揃えるなど、

一体、私は今までに、
そんな買い物にいくら
お金を使ったのでしょうか? 

服やCDや雑貨等々、その名残は
今も身の回りに溢れています。


しかし、そんな時代は
何時までも長くは続きません。

いつしか、
私に経済的恐慌が
襲って参りました。


現在、恐慌は随分と
鳴りを潜めました。

否、鳴りを潜めたのでなく
慣れたのかも知れませんが、

恐慌のさ中を生きる、
私が覚えた有り様(よう)は、
今はすっかり暮らしに根付き、

苦を苦ともせずに
不自由を不自由と感じず、
日々を過ごしております。

かつての豊かな時代から反転して、
迎えた貧しき時代は、

あながち、「不幸な時代」とは
言いきれないようです。


(ある意味、今も続いている)
貧しい時代から、
私は多くを学ばせて頂きました。

それは、モノの扱い方や、
買い物の仕方、一つをとっても
如実に現れています。

チャーリー同様に、
モノを大事にし、
壊れたモノは、勿論、直します。

かつての「衝動買い」なんぞは、
以(もっ)ての外です。


そんな暮らしの、
二人にしか通用しない
言葉があります。

それは買い物に行った時に
出てくる言葉です。

たとえば、美味しそうな肉を
見つけたとします。

当然、
食べたい衝動に駆られます。

だけど、お金はありません。

そこに、
この言葉の出番です。

「見なかったことにしよう」。

この言葉一つで、
その場を離れれば、もう肉のことは一切、
忘れ去られています。


ある日、前から欲しいものを
私は見つけました。

いつもの様に、

「見なかったことにしよう」

としたのですが、
数日を経過ししても、
その商品が
頭から離れないのです。

スージィーから「OK」を貰ったものの、、
いつもの癖で
尻込みをしてしまいます。

長年の習性とは、恐ろしいものです

そこで、あることを決断しました。

お店を訪問した時に、
もし、売れて無くなっていたら
諦(あきら)め、

もし、まだ、売れずにあったら、
「私が来るのを待っている」
と判断し、買うことにしました。

有るのやら、無いのやら・・

落ち着かぬ気持ちで、
お店に出掛けました。


そして、商品は
居場所をお店から
我が家に替えることになりました。


「見なかったことしよう」
に出来なかったこの商品は、

何時か近い内に、山で
山女魚小僧と使う折り畳み式の
コールマンのタープです。

一度か二度、使っただけの
殆ど、新品同様のタープです。


「Easy Come Easy Go」

と言う言葉があります、

「容易く手に入れたものは、
容易(たやす)く失う」

と言う意味です。

この言葉通りに、私は
このタープを大事に使い
私が死んでも、
けして、失うことはありません。

画像は
昨日、午後6時の春日公園の桜 
この桜の写真を小僧に贈ります。 



今日、3月31日で小僧は退職致します。

小僧へ
長い間、ご苦労さんでした。
これからは、釣り三昧でお過ごし下さい。 

桜の花は、あなたの
「退職記念日」を祝う花なのです。 


それから最後に、
私事ですが、 

今日は「我が家の青空」を始めて
「8年目を迎える記念日」です。
 
昔と今の暮らしの中で
「幸せとは何か」を考える、
私にとって良き
記念の日記になりました。

感謝です。 


「Easy Come, Easy Go」

ボビー・シャーマン。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小生の人生観」

2016年03月29日 | 日記

我が家に、古びた
ガーデン・デッキ・チェアー
が一つある。

数年前に、ナーセリーで
廃棄処分にあったこのチェアーを
お店から払い下げて頂き、
傷んだ個所を補修し、

昨年は肘掛けを取り付けた機に、
名前をチャーリーと付けた。

以来、チャーリーは活躍の場を
広げたが、
木製素材の宿命か、

腐食は進む一方で
寄る年波には勝てず、終に、
足(脚)が折れてしまった。


外の空気の中に佇むのが
好きな輩にとっては、

こうも気候が温かくなっては、
断然、庭に出る機会が
多くなるのは当たり前。

お湯割りを抱え庭に出て、
チャーリーに腰を掛け、
肘を掛けた。

瞬間、ベキッ。


チェアーと言えど、
チャーリーは酒飲み親父の
飲み友達みたいなもの。

〝二人”の間には、
飲み友達に然るべき
友情があるし、

足を無くしたからと言って、
友達を見捨てる訳には
いかないのである。


夜が明けた翌日の日曜日に
直すことにした。
 

折れた足の接合し易い箇所から
下を切り取った。

板を足の形にカットして、切り取った箇所と
交差する箇所をボルトで固定する。 

切り取った箇所の接合部は
鉄の板で前後を副えて固定。
 
これで、大丈夫! 

足を取り戻したチャーリー。



以外に簡単に直すことができ、
体重以上の負荷をかけても
ビクともしなくなった。


使い物にならないからと言って、
捨てたりはしないし、
金の有る無しにかかわらず、

仕事であれ、遊びであれ
愛着あるものは直してでも使うのは、

確たる小生の人生観であり、
あるいは道具を愛する者の
哲学でもある。

足を取り戻したチャーリーを眺めると、
何故か、以前より、
愛着が増してくる。


今夜も、庭で晩酌。

勿論、親父の手酌の相手は、
元気になった飲み友達のチャーリー。


今夜は永年、
CD棚に眠ったままで、
聴く機会のなかった 

酒飲み親父が好きな
ジョージ・ストレイトの
「ハート・ランド」 を

飲み友達の
チャーリーへ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やさしい とは」

2016年03月28日 | 日記

落葉樹の枝は
新しい緑葉を付け

植物たちは色とりどりの
鮮やかな花を
一斉に
咲き始めた。


通りを歩く人達が
立ち止まって眺めてくれるのに
気を良くし、

春に間に合うように
身体を動かした甲斐もあり、

27日の日曜日、
スターダスト前スペース
リニューアルを、一まず終えた。

下は、花壇の完成画像。

小さな「Stardust」看板の左に
「THIS WAY(こっちです)」
の矢印プレート。

完成前の花壇画像。

テーブル・トップに「OPEN・CLOSED」
の回転式プレート。



最後の仕事は、サクランボの前の
鳩のとまり台を 兼ねたハンガー・ポール。



通りを歩く人達の一人、

隣の中尾のおばちゃんが
ぶらりとやってきて、

花を眺めながら、作業中の
スージィーに声を掛けた。

「アンタ達は、
よう(好く)頑張るね、感心するバイ!」

そんなお喋りの中に、

「父ちゃん(私のこと)が、やさしかけん、
できるとよ」。

と言ったらしい。

その場に居合わせなかった私は、
後でそれを聞かされたが、

自慢ではないが生まれてこの方、
顔と性格と行いは、ただの一度も、
褒められたことのない私には、

おばちゃんの
「やさしかけん」の
言葉は、
俄(にわ)かには信じがたく、

「『やさしかけん』とは、何ぞや」を
少しばかり考えることにした。


「やさしかけん」の「やさしい」とは、
「(心が)優しい」とか、

あるいは、
「1足す1は、2」の「易しい」がある。

「1足す1は、2」同様、
直ぐに、答えが出た。

私は後者の「1足す1」。

「易しい」には、こんな意味もある

「扱いが簡単」。

「(心が)優しい」でも、「扱いが簡単」でも、
どちらが正しいのやら判らぬが、

「褒められた」と思えば
悪い気はしない。


そうか、「扱いが簡単」か・・・・

当たっているだけに
何も言えない私である。
 

日曜日にリニューアルを終えた
スターダスト前の

チョットだけ、通りすがりの人達が
足を止めて眺めてくれる

「優しい」のと、「易しい」のが
精いっぱいに作った

やさしいスペースの
画像です。

どうか、
見てやって下さい。

「花のかおりに」
作詞:北山修 作曲:加藤和彦

ザ・フォーク・クルセダーズ 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「果報は寝て待て」

2016年03月25日 | 日記

いつもの様に夕食を終えて
二階上がり、YouTubeで
音楽を楽しんでいた。

少し酔っていたし、余程
音楽が心地良かったのだろう、

いつの間にか
椅子に凭(もた)れ掛ったまま、
眠り込んでしまった。


不覚の眠りに就いて
どのくらい経ったのか、
誰から起こされた訳でなく
目が覚めた。

YouTubeはまだ、
愛おしい旋律を流し続けていた。


時計を見ると、 
僅かな時間だが約30分ほど
夢の世界にいたことになる。

起き抜けのぼんやりとした頭に、
聞き覚えのある曲が聴こえてきた。

トム・ウェイツの
「Come on up to The House」
だ。

しかし、ディスクトップの中の
この曲を歌うアーティストは
初めて見る顔。

この曲で
すっかり、私は目覚めたが、
すぐに、その理由が判った。

この娘(こ)が夢の世界いた
私を揺り起こしたのだ。


この曲が終わってからも
この娘の曲を探しては聴き続けた。

夜更かしを止めて
布団に潜り込んだのは、
それから暫くしてのことだった。


初めて知ったこの娘の名前は、
アメリカでは結構人気者の

ギター、バンジョー、
フラット・マンドリンを巧みに弾きこなす、
才能溢れるブルーグラス娘、

「サラ・ジャローズ」。


うたた寝のお蔭で、
お気に入りのアーティストが
もう一人増えることになる

昨夜はまさに、私にとっては
「果報は寝て待て」
の夜だった。


トム・ウェイツの繰り返しのメロディは
いたってシンプルだが、

シンプルさに反して、
素晴らしい重みのある詩と、

彼女の歌声を聴いて、

今夜も眠りに就くことにした。

 

♪ 

月が砕け
空はひび割れている
うちに来なよ

目に映るのは
自分にないものばかり
ならうちに来なよ

泣いてたって何にもならない
うちに来なよ
十字架になんかすがってないで
その木は使えるけどね
うちに来なよ

うちに来なよ
この世に居場所のない
俺もただの通りすがりさ
うちに来ればいいんだよ

灯りのないトンネルの中で
仕事の当てもないなら
うちに来なよ
ソプラノの独唱を
くず屋のコーラスを従えて歌ってる気分なら
それならうちに来なよ

人生が汚らわしく野蛮で短か過ぎると感じたら
うちに来なよ
海が荒れ港が見つからない
そんな時はうちに来なよ

この世じゃ
自分にはなす術もないなら
うちに来ればいい
自分の衝動に振り回されてたら
うちに来ればいい
これ以上はないという位の
悲嘆に暮れているときは
うちに来なよ
降参するしかないのに
踏ん切りがつかないような時には
うちに来ればいいんだよ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月明かりの小夜曲」

2016年03月22日 | 日記

子供のころに
美味しく頂いた故郷の味は、

どんなに時を重ねようとも、
そうそう忘れられるものでは
ありません。

例えば、
海を故郷に持つ人たちは
魚介類などの海産物を、

山間の里を故郷に持つ私たちは
自然に根を張り育った山菜です。

季節ごとの旬の食材
あるいは、
手間暇かけた加工品は
今もなお、そこに育った人たちに
愛され続けています。


四季折々に、私たちが
そんな愛すべき食材を求め
るのは、

慣れ親しんだ故郷の
嗜好と望郷を
重ね合わせるだけのものでなく

鮭が産卵のために
故郷の川を遡上するような
本能に近いものがあります。


「春分の日」の
振り替え休日の昨日、

私たちは、旬のセリとノビルを
摘み(採り)に出掛けました。


一袋のセリを摘むのに
どれだけの時間を要したのか
計ってはいませんが、

体を屈(かが)め、
痛くなった腰を何度も伸ばして、
セリ摘みが終わりました。

袋いっぱいのセリとシャベルを
左手に持つ、「田んぼの儀式」を
終えたばかりのロバ。 



そうです、
セリ摘みは、「儀式」です。

春分の日の趣旨は、

「自然を称(たた)え、
生物を慈(いつく)しむ日」。

儀式は
家に帰っても続きます。

「田んぼの儀式」は、
摘む楽しみ、

「家の儀式」は、
食する楽しみです。

摘んだセリとノビルを
好みの料理で頂くのです。

儀式の場所は「喜多里亭」、
「自然を称え、生物を慈しむ」
ための儀式ですから、
勿論、お神酒を供えます。

以下が、その儀式の画像です。

洗ってざるにあげた「セリ」。

「セリの白和え」と「ノビルのぬた」
そして、お供え物の「お神酒」 。

「セリご飯」と、「セリの味噌汁」に「セリの白和え」
そして、お供え物の「
お神酒」。

そして、今夜は
画像はありませんが
「セリの卵とじ」と、
初の試み「セリのスパゲティ」に

そして、お供え物のお神酒。

昨夜の私は、故郷の味と
お神酒のお下がりの施しで
すっかり酔ってしまいました。、

春分の日の、私たちなりの、
「自然を称え、生物を慈しむ」
年に一度の儀式を満足に終えて

見上げた空の、トネリコの木の上には
私と心と同じ、まん丸のお月さま。



ゆっくりと空に昇っていく
お月さまを眺める
月明かりの静かな夜でした。
 

曲は、
「Moonlight Serenade 」
(月明かりの小夜曲)

唄は昨夜に続い、
てシェリル・ベンティン。

Cheryl Bentyne & The Harmony 
Moonlight Serenade

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「うきうき・ブギウギ」

2016年03月21日 | 日記

「道草を食う」
と言う言葉があります。

約束の時間に遅れてくる時に、
口実でよく使う言葉です。


何でも昔、
馬が主の交通機関だったころ、

目的地へ行く途中で、
馬が道端の草を食って
進行が遅れることを言うのだそうです。

ところが、リトルの
かつて政治の中心だった村に、

喜多里小学校と言う、
当時としては結構、生徒数の多い
学び舎がありました。

かつて、
政治の中心だった村でしたが、
当時はどのに限らず、

誰もが皆、食うや食わずの
貧しい暮らしをしていました。


朝まだ明けやらぬ頃から、
家の仕事を手伝い、それから
学校に通います。

学校が終わってからも
同様です。

大の大人でなくても、
仕事の後は、

子供はお腹を空かせる
栄養の必要な成長期です。

さりとて、
今のようにコンビニもなければ、
自由に使えるお金など
ある訳がありません。

それで子供たちは、
馬になるのです。

道草です。

学校に行くのが嫌で、
仕事の待っている家に帰るのが嫌で、
道草を食うのではなく、

ひたすら、腹が減っている故の
「道草」なのです。


こんな子供たちの通う
喜多里小学校を,
誰が言ったのか、

「つんばな小学校」

と呼んでいました。

「つんばな」とは、
「芽花」。

勿論、今でもあると思いますが、
白い綿をつけた
道端に生息する植物です。

これを食べたからと言って、
お腹が膨らみ、
空腹を満たす訳でもありませんが、

子供たちは、このつんばなを
ひたすら道草しました、

多分、ガムみたいに噛むことで、
あたかも、食べている気分に
空腹を紛らわす
効果だと思います。

そんな、通称、「つんばな小学校」の
卒業生にスージィーがいます。

今日、卒業生スージィーと
年に一度の、
「儀式、セリ摘み」に行きました。

その、摘み方の上手なこと、早き事。

小生、恥ずかしくも遅ればせながら、

「びっくり、ポン」です。 

今日は、つんばなで道草して、
三連休に楽しんだ花壇作りと、

今日の摘んできたセリを
早速、料理したお話や、せっかくの画像を
紹介できませんでした。

今夜は、「つんばな」を口実に、
セリ摘み今日の日記にできない
口実にしました。 

書き終えた私は今、
随分と酔っております。

「つんばな」を書き終えるまでは、
道草できないのです。

必死で、書き終えました。


今夜の曲は、「ブギウギ」です。 

今日のセリ摘みで、
気分は「うきうき」のスージィーの
「つんばな娘」に敬意を表し
プレゼント。

曲は「約束」で歌った、
シェリル・ベンテインが在籍した
マンハッタントランスファーの 

「Choo Choo Ch' Boogie」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「後れを取る」

2016年03月19日 | 日記

淡い霧に包まれた朝の今日は、
予定が二つほどある。

まずは、
花壇を作ること。

早速、霧雨の中を
早朝からオープンする
いつもの店で材料を買い、
ガレージでカットし、

塗装が乾くのを待っている合間の
今日の早めの日記です。


もう一つ、
毎年、スージィーは
妹、デコの12月下旬の誕生日と
互いの誕生日を祝う食事会を
姉妹水入らずで行うのですが、

年末と年度末の慌ただしさで
今年は機会を失ったまま。

それで今夜、
食事会を行うことにしました。

食事会お店は、
フグ料理の店。


大阪では中毒で当たるから
フグを「てっぽう(鉄砲)」と呼びますが、

福岡では縁起を担いで
「ふく」と呼びます。

実は、会社のKさんの
馴染みのふくのお店が、

閏年の今年の2月29日の
「ふく」の日に因んで、

常連客限定の
ふくを
格安で頂けるメールカードを

「ロバさん、どうぞ」

と頂戴したのです。


結局、
「身の丈」で書いたうどん屋さんにも
行かず仕舞いのまま。

スージィーの誕生日からは
随分と後(おく)れを取ったが、

後れを取った分、
ふく(福)が舞い込んだ
と言う次第です。


「後れを取った」と言えば、
三月生まれは「早生ま」。

かつて、
リトルの旧宮原小学校では、
早く生まれた順に
クラス分けを決めていました。。

1組は、
4月の2日から生まれた順に
1年1組、そして、2組。

まだ、幼き1年生では、
知能の発達が月齢差に
明確に表れるというのが
その理由だそうです。

何処かの誰かはいまだに、
早生まれの同級生を
「知恵遅れ」と呼んでいます。

それは蔑(さげす)むような
嫌味な心からではなく、

例えば、遠足で山に登る時に
先を登る子が、遅れてくる同い年の子を、

心配そうに気遣い見守る、
優しさ溢れる心からなのです。

くれぐれも、
誤解なきように願います。

しかし、進級に伴い
その差もなくなり、

その内、ついに4月1日生まれに
追い越されてしまう羽目に・・


ところで昨日、Webで
面白い「頭の体操」を見つけたので、

遅生まれの方も、早生まれの
お暇な方はチャレンジしてください。

マッチ棒2本を動かし、
正しい式にして下さい。

答えは複数あります。

一つはそんなに
時間が掛かりませんでしたが、

もう一つの答えは、
しばらく、時間を費やしました。

もし、
早生まれの4月1日生まれと
「せーの」
で同時にスタートして
私が後れを取ったら・・・


それでは早速、「頭の体操」

 


ふく(福)に因んで

悲しみのラッキースター」
細野晴臣 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春愁い」

2016年03月17日 | 日記

ここ数日、
日記は休止状態。

病の床に伏している訳でもなく、
普通に生活をしているのだから、

身の回りに起きている、
例えば季節は春の、

我が家にきて
三年目の桜の木が、
日に日につぼみを膨らませ、

それを眺める私は期待で
胸を膨らませているとか、


期待とは逆に、

茶舗山田園のご主人の
ボケの木は
既に満開でも、

ご主人から
いただいた
我が家のボケの木は、

いくら待ち侘びても
いまだ、葉も花芽も付けず
性分にもなく、少しばかり憂うつな
気分になっているとか、

季節の移ろい一つでも、
記す対象はいくらでもある。


心待ちにした春はやって来たのに、
一向に日記に食指が働かない ・ ・ ・


しかしながら、
所詮は酔いどれ親父の
悪戯書き(いたずらガキ)みたいな日記。

少々、サボったところで、
憂うつになる人などいないし、

そもそも、私の日記など
誰も期待などしてもいない。


そして、今日も日が暮れて
もうすぐ、夕ご飯。

ただいま、七時少し前。

いつものように、
おかずを肴に晩酌を始め、
そして、いつものように
酔う。


夕ご飯を終えたら、いつものように
千鳥足で2階に上がり、

足元にバンクを侍(は)べらかせ、
好きな音楽を聴いて、床に就き
一日 が終わる。


何年も何年も、
多分、死ぬまで繰り返し過ごす、
金太郎飴の夜。

だけど、
ここ数日は少しばかり違う。

待ちわびた春が来ても、
まだ、眠ったままの
ボケの木に
想いを馳せる私の心は、


期待と憂鬱を
日ごと、繰り返し過ごす
金太郎飴の夜。

そうか、
そうなんだ! 

休み続ける日記の理由が
やっと、判った。


愛するボケの木が、
葉と花芽を付けてくれないと、

私は日記を書く気に
なれないのです。
 

今夜は、期待と憂鬱を繰り返す
金太郎飴の夜の、
春愁いを和らげる曲。

久しぶりの、達郎、

「 Music Book 」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Flower will Bloom 」

2016年03月11日 | 日記

「花は咲く」

真っ白な 雪道に 春風香る
私は懐かしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった
変わりたい自分もいた
いまはただなつかしい
あの人を思い出す

 誰かの歌が聞こえる
 誰かを励ましてる
 誰かの笑顔が見える
 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう


夜空の向こうの
朝の気配に
私は懐かしい あの日々を思い出す
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛(いと)おしい
あの人を思い出す

 誰かの想いが見える
 誰かと結ばれてる
 誰かの未来が見える
 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために

作詞:岩井俊二
作曲:菅野よう子

「Flower will Bloom 」

唄:ヘイリー・ウェステンラ

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サー・ジョージへ」

2016年03月10日 | 日記

レコード屋さんからの帰り道は、
脇目も振らずに、
ステレオの前にまっしぐら。

震える手でジャケットの包装の袋を外し、
レコードを取り出して、
ターンテーブルに乗せ、針を落とす。

さて、どんな音が飛び出すのやら ・ ・

期待と不安で高鳴る心臓、
誰もが経験する、緊張の瞬間です。
 
私はかつて、この興奮を
何度、繰り返ししたことだろうか。


レコードに針を落としたら、
いよいよ、ショーの始まり。

私はステレオの前で、
飛び出す音にしがみ付く。

体を揺らしながら、
ウーン、ウーンと何度も頷き、

表の面が終わると、
今度は裏面に針を落とす。

また、ウーン、ウーンと何度も頷き、
同じように、体を揺らす。

裏面が終わると、
また、表面に返して、針を落とす。


次々と飛び出す心地よいメロディは、
私が最初に抱えた、期待と不安の、
不安をたちまちに、払拭し、

「嗚呼、4人はやっぱり、
今度も、私の期待を裏切らなかった!」。

次のアルバムも、
また、その次のアルバムも
そうだった。


そんな、4人の音創りの傍に、
いつも、彼がいた。

彼とは、
ビートルズの録音に最初から関わった
音楽プロデューサーの
(後に、「サー・ジョージ」と呼ばれた)
ジョージ・マーチン氏。

3月8日、90歳で亡くなられた。


4人の才能もさることながら、
彼の才能と手腕は、4人が生み出す
ポップとロックのエッセンスに、
アート(芸術的)な質の高い音(作品)に
仕上げてくれた。

ビートルズが、ほかのポップ・ロックグループと
一線を画すのは、

彼の才能に負うところが大きいことは、
世界の誰もが認めるところ。

今夜は、彼の功績への敬意と、
哀悼の意をを表し、

迷わず、「Love Me Do」。

ビートルズのデモテープを聴き、
直ぐにレコード録音契約を交わし、
最初のシングルが、1962年発売の
「Love Me Do」です。

4人と、ジョージ・マーチンは
この曲を契機に、数々の名曲・名盤を
次々と、世に送り出すことになります。


曲の始まりに
サー・ジョージは最初に少しだけ
顔を出しています。


ところで、「サー」とは

彼の功績を称え、
イギリス王室から「ナイト爵位」を
授与され人にのみ与えられる
名誉な称号です。

サー・ジョージへ

おやすみなさい。

そして、ありがとう。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「3650日(3)」

2016年03月09日 | 日記

昨夜、書き終えた日記を
酒に酔ってついに、
投稿するのを忘れてしまい、

そのままにしていたところに、
チャーリーから電話。

会話の内容は
まるで示し合わせたように、
そのままにしていた日記の内容と
同じものでした。

一つ、
4月16日に行う、恒例の「京滋会」、
(京都・滋賀・三重在住の同級生の集い)に、
今回は愛知とリトルから
新たな参加者が加わること。

一つ、
GWのトルの「同級生仲良し会」に
今回、新たに(私も会いたい)もう一名が
参加すること。

そして、もう一つが、
「デザインにベースがあったとは言え、
「夢」の文字を「ありがとう」と読む

彼が作った見事な出来の
竹筒のランプ創作などの「趣味」を
もっと、上に!

そして、同級生との「集いの会」を
もっと、横に!

「更に広めたい!」。、

それはまさしく、
夢を追いかける人ならではの、終始、
明るい口調でした。


偶然にも、結局、投稿しなかった
私の日記「3650日(3)」も、
「趣味や生き甲斐」、「友の存在」について
書いたものでした。


以下が、
昨夜のチャーリーの電話以前に
書いた日記に今日、
昨夜の会話を交え、加筆したものです。



これから老いを重ねる者にとって、
悔いのない人生を送るために
「趣味」や「生き甲斐」を見出すことは、
極めて重要なことだと思います。

しかし、
「趣味」や「生き甲斐」を楽しむことは
あくまでも私的な価値判断です。

例えば、

「折角、人として生まれたからには
自分が世に、何を貢献できるか」

とか、例えば、

「ご先祖の皆さんが綿々と護り続けた
家系を受け継ぐ者として、
子孫を繁栄させるには何をすべきか」

など、

趣味や生き甲斐に
日々を過ごすことは、真の人生の目的では
ないかも知れません。

しかし、
六十余年の人生で、人それぞれに
使命を担い、社会や家のために
懸命に汗して働いてまいりました。

それはこれからも、
変わることはありませんが、

多くの同級生がまもなく、
高齢者の仲間入りです。

社会や家のために働いた時間に、
少しだけゆとりが持てるようになります。

さぁーて、人生、これからです。

世の役務から少しばかり解き放されて、
「3650日」を私的な生き甲斐に
邁進できるのです。

趣味や友の存在は、れからの人生を
更に豊かなものにしてくれます。

とりわけ、友の存在は単に
「懐かしみ」だけではなく、これからの生き方の
刺激とヒントとを戴きます。

私にとっての、昨夜のチャーリーも
「また、然り」なのです。


実は私、
多趣味の趣味に、もう一つ、
趣味を重ねることにしました。


山女魚小僧から、釣りを
ご指南頂くことになりました。


いたって風情を好み、
「食の達人」でもある小僧には常日頃

「男子、厨房に入らず」の 私はおろか
スージィーさえもが、
敬服と同時に
憧れと刺激を頂いておりますが、


「食の達人」の一方では、あれほどの
「釣りの達人」の友に持ちながら、

そんな粋人小僧の生き様を
ただ遠巻きに眺める傍観者では、

「目の前の当たりくじを、拾わぬも同然」

と、弟子入りすることになったのです。


共に老いを重ねて、
趣味を重ねる友がいて、

水を掻き分け川を上(のぼ)り、
あるいは、
川石から川石を飛びて
竿を振る。

川から上がると温泉に浸かり、
火を起こして
釣った魚を肴に酒を喰らう。

いつしか夜も更け、
星を仰いで大いびき。

これは、私の勝手な「夢」。


「夢」を見るには、先ずは「足腰」。

趣味と生き甲斐の「3650日」は、
兎にも角にも、体力勝負なのです。


最後に
チャーリーへ、二つの会の盛会を
心より、お祈り致しします。

 

「 I Have Dreamed」
(私は夢を見ていた)

フランク・シナトラ 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「約束」

2016年03月06日 | 日記

今日、蕾を綻ばせて、
サクランボの花が咲きました。

 

サクランボの
ピンクの花びらは、

春を待ち焦がれた私の心を
たちまちに
綻ばせ、
喜びに染める季節の色です。

 

 サクランボの木は、
長い冬が終わりを告げる春が

今年も、私と我が家にやってくる
約束を
守ってくれました。 
 

私は、じっと、ただ、じっと、
サクランボの花を
見つめて 

サクランボの花に一言 、

「私も、約束を守りましたよ」。

 

日曜の夜の九時五十分は
とっくに布団の中にいる頃ですが、

今夜の私は、
いつもよりも酒に酔っています。
 

やってきた春が嬉しくて、
少しばかり
飲み過ぎてしまったのです。
 

作;キャロル・キング

 「Will You Still Love Me Tomorrow 」

唄;シェリル・ベンティン

 ♪

So tell me now,   
and I won't ask again   

Will you still love me tomorrow ?   

Will you still love me tomorrow ? 
 

Will you still love me tomorrow ? ....

 

だから今 私に言って、 

そしたら 
私は二度とたずねないから

あなたは明日になっても 
まだ私を愛してくれるって 

あなたは明日になっても 
まだ私を愛してくれるって。



Cheryl Bentyne - Will You Still Love Me Tomorrow

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「身の丈」

2016年03月04日 | 日記

今日は、「特別な日」。

「特別な日」は、

ご飯とみそ汁と漬物に
おかずを一品加えた
「一汁二菜」の
いつもの夕食から解放されて、

清水の舞台から
大ジャンプのつもりで、
「外食」を決め込むことにした。

憧れの店の、掘り炬燵の席に着く。

さも、常連客の顔を装いながらも
なぜか心は落ち着かない。


お店の人が
オーダーを取りにやってきた。

「お決まりですか?」 

「一寸、待って下さいねっ、
今日は『特別な日』ですから、
少し考えます」。

声は上ずり、
テンションが高い



「お決まりになりましたら、
お呼び下さい」。

しばらくして、

「お願いしまーす」の声に、

お店の人がきた。

「今日は『特別な日』ですから、
海老天と、肉うどんを
お願いします。

それに、いつもの、
入れ放題のネギと、スープ(つゆ)と
天かすも、山盛でお願いします。

あっ、それから
今日は『特別な日』ですから、
稲荷も一皿お願いします。

今日は一つでなく、
三つ一皿の、ちゃんとしたやつです。

今日は、『特別な日』ですから」。


よーし、これだけ大盤振る舞いすれば、
オイラの面子も立つと言うもんだ。

これで食べても食べても
どんぶりの底から湧いてくるような、
魔法みたいなやわやわの麺が
いよいよ、食べられるぞっ!

これが毎日だったら、嬉しすぎて
早死にしそうだなっ。


「お待たせしました。
ところで、いつもは
素うどんをご注文のお客さんの、
今日の『特別な日』」って、

何の日なんですか?」

テーブルに並んだ、
いつもは隣の席でしか
目にすることしかできないメニューを
前にして、誇らしげに

「今日は、
スージィーの誕生日です」。

そうです、

いつもは、一汁二菜の

今日は六十四歳の
スージィーの誕生日なのです。

これから、
牧のうどんのバースデイパーティに
出掛けるところです。

しかし、なぜかそわそわして
落ち着きません。
 

そうです、貧乏が身に染みて
多分、贅沢が身の丈に
合っていないんです。


ところで、昨日から、
『特別の日』のために、一度は
言ってみたかったセリフを
準備しています。

それはレジで、

「今夜は、全部、俺が持つ」。
 

「毎日がスペシャル」
竹内まりや

(ギターのアドリブは我慢ください)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「続々:ホタル」

2016年03月01日 | 日記

起き抜けに身体の異変、
頭が重く、体がだるい。

一つ屋根の下に、インフルエンザの
スージィーが暮らしていては、

既に回復にあるとはいえ、
風邪が遷ったとしても、
不思議ではない。

もし、これが
初期の風邪の症状だとしたら、
職場への持ち込みはご法度。

様子を見て寝ることにしたが
寝付けない。

それで、
身体の様子を見ながら、
ついでに、
パソコンを見ることにした。

で、これを見つけた。

どなたかが、ドローンで撮影した
旧宮原線の
廣平と塩井川に架かる
二つの橋梁。

勿論、ディーゼル機関車で
何度も走った橋梁でも、
平橋梁は何処にあるか判らないが、

塩井川の橋梁は、
スージィーの実家のすぐ傍にある。


しばらく前の災害の後で、
ホタル狩り(鑑賞)に
キャッシュとバンク連れて
みんな揃って出掛けたことがあった。

「災害で極端に(ホタル)減少した」

と近所の人の嘆く声もあったが、
それでも、飛び交うホタルを
眺めることができた。

昔の人から、

「ホタルは死んだ人の魂だから、
粗末に扱うな」

と聞かされたことを思い出す。


そして、この温泉も
好きでよく入らせてもらった。

この橋梁の下を流れる川と、
温泉の下の川が合流したところで
私とキャッシュは泳いだ。

この二つの動画を見ると、
丁度、3年前の今日と同じ、
冬の晴れた日に亡くした
愛犬キャッシュを思い出す。

私とキャッシュを乗せた宮原線は
今も思い出の景色を眺めながら
今夜も走っている。


製作者に敬意を表して。

近いうちにまた、
お世話になります。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする