我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「不覚の今夜」

2015年04月30日 | 日記

 さぁ、いよいよ
黄金週間がやってくる。

一年で最高に緑萌るこの季節を、
いつもなら数日を決まって
我が愛する故郷リトルで過ごすのに、

何故か今年は帰らない。

寂しいけれど帰れない。


だけど憂うことは無い。

理由は、
故郷が私を拒んでいる訳でもなく、
単に私が持つ、帰れない事情。

生きている間には、一度ぐらいは
まぁこんなこともある。


故郷がなくなることはない

何にも心配することはない。

あと何年
生きているか分からない私よりも。
故郷は永いこと生きてきた。

子供の時に眺めた川の流れは、
故郷が形を成した時から今日に至るまで
絶えることまで流れているではないか。

故郷が愛おしいのなら、
今夜も月を眺めよう。

故郷に雨さえ落ちていなければ
ここで眺めている同じ月が、
あの空で輝いている。

もし、故郷に雨が落ちてていれば、
子供の時に眺めた、あの空で輝いた月を
思い出せばいい。

雨が落ちたくらいで
故郷も月も、私から隠れることはない。

今も月と故郷が堂々としているのは、
遠くで眺めてくれる人がいるのを
ちゃんと分かっているから。

それは、私が生まれるずーっと、、
ずーっと、大昔のころから。


 
心は故郷、
私は今夜も、月に酔っている。


つい、酒によって書いてしまった、
不覚の今夜。 


トム・ウェイツ

Tom Waits - Drunk on the Moon

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「Ol '51」

2015年04月27日 | 日記

休日こそ、日記に記し残すべき事象と、
あてる時間は余りあるはずなのに、

日曜の黄昏も近づく頃には、
すっかり疲れた体のお陰で、
心はしっかり満たされて、

パソコンを前にする気が起こらないまま、
休日が終って仕舞う。

これは今週に限らず、毎度のこと。

休日にしか出来ないことは、休日に。

平日に出来ることは後回し。
 

すっかり疲れた身体の、
しっかり満たされた心に

日記よりも大事なことが待っている。

庭で酒が待っている。



作業を終えて風呂から上がり、
夕刻、5時。
そこには、100ヴォルトのランタン。 
 

 休日の仕事の一つ、「200A」
 
 

「200A」とは、愛用の
1975年製「コールマン・ランタン」。
愛すべきは独特の丸みのグローブ(グラス)。

使えなくなった今は、
ホワイトガソリンの代わりにハロゲンランプで
ガーデン・レストランを灯す照明の一つとして
愉しませてもらっている。


生産時の塗装が随分と疲れたので、
思い切って原色の赤をアイボリーに塗り替えた。

 

柔らかくて温かみがあってシンプル。
早い話がナチュラル・モダン。


生まれ変わった「Ol'75 200A」の仕上がりに
「大満足」。
(下に伸びているのが同色の電気コード。
これに、コールマンのグリーンのオフシャル・シールを
上から貼れば文句なし!)

暮れなずむ空の下でランタンの明かりを灯し、
独り、休日を振り替える。

庭にはジャズと、
トレイには冷凍保存の一週間前の
「モンゴウイカの刺し身」と、
土曜日にお世話になった「クマ農園の筍」。
(クマさん、その節はお世話になりました)

マテ貝堀りに、筍堀り。

二週続けて土曜日は、鍬(くわ)を振る。

フランス語で百姓の娘を
「モンペ・トゥ・クワ」と言うらしい。

すっかりと頭上の空の日も翳(かげ)り、
しっかりとランタンの灯りも強くなる。

身体は、すっかり、心は、しっかり。
空も、すっかり。ランタンも、しっかり。

その内に、太陽は玄界灘に吸い込まれ、
身体も枕木に吸い込まれ

己の存在すらも失っては、
最早、日記どころでは ・ ・ ・ ・


休日と、Ol '51の身体と心と
生きていることに、感謝です。
 

 ♪

あっという間に時間は過ぎて 

俺は急いで俺の55年型車に乗り込んだ

 ゆっくり走り始めると、神聖な気分になる

 生きてるって言う気分だ

トム・ウェイツ

「Ol '55」 



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「残念無念」

2015年04月22日 | 日記

昨夜、私はある同級生男子から、
電話で戴いた問いに、
どう返答すれば良いものか
困惑してしまった。


彼の「問い」とは、

「みんな、田舎が良(い)い、良いって言うけど、
田舎にどこか良いとこがあったかなぁ?」

だった。


「田舎」とは、

電話の相手と二人の共通の、
私が「リトル」と、親しみを込めて呼ばせて戴く
唯一無二の故郷のこと。

ところが、彼が言う「良い」とは、

リトルの「歴史」のことなのか、
「名所旧跡」なのか、「風光明媚な景観」なのか。

恵まれた温泉資源の「資質」なのか、
その「施設」なのか、
気候を活かし作られた「特産物」なのか。

あるいは「人情」なのか、「友情」なのか、
リトルを離れるまでに創った「思い出」なのか。

問われた初っ端は、その「良い」は、
何を指して言っているのやら
さっぱり解らない。

電話の向こうは、とっくに酔っているのに、
こっちは、まったく酔っていない。

暫らくのやり取りで結局、
正確な問いの整理も出来ず
応えようがないままに、会話は終わったが、

電話を切った後で、その「良い」の対照が
彼が故郷に残した「思い出」であることに

気が付いた。


歴史観や特産物の私見や嗜好にも
個人差があるように、

故郷に残した思い出に、
好感もあれば、悪感もあり、

人それぞれに思いの違いがあるのは
私にも
確かに判る。



子供たちが育った故郷は一つ。

そこで浴びた太陽の光の量も等しい。

なのに、生まれ育った家庭環境は
けして、子供たちに

等しくは無った・・・


成長の過程で
少しずつ見え、描き始めた未来図が、
子供の意思に反して、違う道筋が求められる。

世に「不条理」と言うものが存在することを
そこで知ることになる。


その無念さが、
「等しいはず」と信じた多感な子供の心に
陰を作っていた。


半世紀が過ぎ、既に還暦の峠を越した
かつての無念の子供の心に
酔いが回り始めると、

ふと、あの陰が頭をもたげだし、
誰かの声を聞きたくなる衝動に駆られて
そして、電話を掛ける。


今は互いに遠く離れた街に住む、
同じ故郷の友の声を聞いて安堵し、
そのまま眠りに就く。

私には、昨夜の友の、電話を終えた後が
手に取るようである。


「田舎にどこが、良いとこがあったかなぁ?」

と言うけれど、

「良いとこ(所)があったかなぁ」ではなく、

「良いこと(事)があったかなぁ」と、

言いたかったのかも知れないけれど、

あなたが酔って掛けた電話でも、

酒も飲まずにちゃんと応えてくれる
今でも友人の相手がいるじゃないか。

傍にいれば、モンゴウ・イカの煮物で
昨夜は一杯やれたのに、

残念で残念で


私はなりませぬ。 


ウィーリー・ネルソン。

「Always On My Mind」

「いつも君のことを想っているんだよ」

 

 

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「終:休みになると元気になる人」

2015年04月20日 | 日記

週末に遊び疲れ、飲み疲れをしたので、
今日の日記は
「短い解説付きの画像集」で済ませます。

なので、画像の登場人物名紹介も
今夜は省略させていただくことにした。

いちいち書かなくても、解る人には解る。 

そうと決まれば、さっさと書いて、さっさと終わろう。
今夜も旨いイカが下で待っている。


先ずは、マテ貝堀に偽装した
「入水自殺志願者二人」。



マテ貝堀りに見せかけた「墓堀」。



酔っては夜な夜な、オーディエンスも羨む
「北九州市不良老人合唱団」。



レシピは、七輪で炙るだけ。
マテ貝の「三分間クッキング」。



早起きしたのに、開かれていなかった
「朝市」があるはずだった、落胆のとある漁港で、
偶然、遭遇した「紋甲(モンゴウ)イカ」の水揚げ。



即、喜びの違法取引交渉。驚きの安値。
小僧宅に帰れば勿論、新鮮刺し身で朝から一杯。



チャーリーから届いた一枚の画像。


(火葬は、じっくりと遠赤外線で、「直火厳禁」)。

炙るだけで、「三分間クッキング」。

リトルから飛び入りのキャサリンもいる。

画像に写るマテ貝とイカ以外の
すべての生物、ホモサピエンスの年齢は
63歳。

貝や イカに負けず劣らず、皆、新鮮。
 

しかし、画像をご覧になってお分かりのように
新鮮さなのは、「気持ち」だけで、

「日持ち」は残念ばがら、、
そんなに長くはありません ・ ・ ・    



ところで、「誰が早いだろう」かって?

順当は、世に生まれた出た順。

確かに、十と二つの月齢差もあるが 、
どなたが早かろうが、時間の問題。

「大同小異」 、「五十歩百歩」。 


いや、いや、余計なことを言うよりも、

「人の上に吹く風は、昨日は人の身 今日はわが身」

画像に出番の無い私が、  ・ ・ ・ ・ たりする。
 

冗談はともかく、みんな長生きしてくださいね。


みんなの顔を見て
書いている内に、随分と元気になりました 

私も、みんなと一緒で、

「友達が来ると元気になる人」

なのだから。 

さぁ、今夜はモンゴウイカの 天麩羅。

さっさと終わらせる前に
ただ聴きたくなっただけの

「悲しみのジェット・プレイン」

ピーター・ポール&マリー 

 

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「続々:休みになると元気になる人」

2015年04月16日 | 日記

毎朝、通勤の通り抜けに使う
細い路地の道端に、

春になると言葉では表現できない
見事な色の花を咲かせる

人の背丈ほどの
1本の「ボケの木」がある。

(言葉では表現できないので、借り物の画像で)

春ともなれば、枝を覆い尽くさんばかりの
色鮮やかなこの花に、
私は心を奪われてしてしまい、

狭小な庭に植える場所など無いのに、
「最後に植えるのは、ボケの木」と決め、


「この色鮮やかな花を咲かせ、眺めてみたい」と
いつの頃からか、思うようになった。

私は道端に咲く「ボケの木」に、
恋をしてしまったのです。


幾歳月が過ぎ、また春が来て、
恋焦がれるこの木は、
また色鮮やかな花を咲かせた。


月曜日の夕刻のこと。

迎えに行った南福岡駅でスージィーと
車をバトンタッチ。

私は駅から家まで、歩いて帰ることにした。

家が近くなって、やがて
冒頭の通り抜けの道の近くに来た
丁度その時、


「確か、このお家の奥に、あの木がある!」

心が動いて立ち止まったのは、
お茶屋さんの店先。


心が動いたら今度は、身体が動いた。


訪ねた店主に、私が恋焦がれ続けた
「ボケの木」の話しを始めると、

「あれは家(うち)の木です。
良いですよ、好きなだけ持っていって下さい。
出来るだけ、人通りに面したほうをどうぞ。

花を落とした頃だから
挿し木で接(つ)ぐと思いますよ。

この木も挿し木でしたから、
必ず接くと思います」。
 

この木に恋焦がれて
もう何年もなると言うのに、店を訪ねて
店主から快く承諾を得るまで、

要した時間は、ほんの僅か。


愛おしい人も花も、ただ見つめるだけで
「ポカン」と開けるために

口はあるのではなく、

「あなたが欲しい!」

と言葉にして伝えるために
その役目はある。

「是非」を問うのに、
余計な時間は必要ないのです。


昨日、店主立会いの下で恋人を戴き、
その足で「挿し木用の土」を購入。

店主のアドバイス通りに
切り枝を一晩水に浸して今朝、挿し木した。

小生、初めての挿し木で
恋ははたして成就するのやら?

まだ、根も付けていない内から
狭い庭を見渡しながら、

頭の中は既に、
色鮮やかな花を付けた木の居場所を
思案中なのである。


老い先き短いボケ親父が
さも自慢げに語る「ボケの木」との
老いらくの恋の
この話、

私は皆さんと寸分たがわず、

「恋をすると元気になる人」

なのである。

 


「休みになると元気になる人」は 
まだ続く。

補足

「ボケの木」は、「バラ科」。
棘(トゲ)があるので、植える場所に
ご注意!

「出来るだけ、人通りに面したほうをどうぞ」
とは、その意味。

 

ナポリ民謡

「Non ti scordar di me」
私のことを忘れないで 

邦題「忘れな草」

ルチアーノ・パバロッティ

♪ 

君の愛なくば
この世に生きるかいなし
忘られぬ 君の面影
やさしそのまなざしを
いつの日にか再び
忘れな草を その胸に
君に捧ぐ 忘れな草を


 

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「続:休みになると元気になる人」

2015年04月14日 | 日記

吉田類さんの
「酒場放浪記」を観ていると、
懐かしい会社勤めの時代を思い出す。

会社が終われば同僚と、
出張先では独りで酒場の暖簾を

どれだけくぐらせて戴いたか判らない。

同僚と飲むも善し、独りで飲むも善し。

仕事の達成感で楽しく飲む酒もあらば、
上手くいかずに慰め、慰められて
飲む酒もあった。
 

酒の肴は、
店で作ったものばかりとは限らない。

同僚と飲む酒のテーブルには
「上司の悪口」という名の
会社から持込む料理もあった。

これが最高に旨かった。


会議では隅に座って、下向き加減の無口の輩が、
炉端会議が始まると打って変わって

口角泡飛ばし、大の饒舌家に転じてしまう。

そんな輩が次の朝、また無口・・・


会社員時代に残した、あまたの思い出で、
居酒屋で作ったものは皆、
楽しいものばかり。

今にして思えば、みんな仕事に夢中だったし、
居酒屋ではみんなで円座を作り、
上下隔てなく一体感を作った特別の酒だったと、

あの頃を振り返る。


今日、偶然に
10年ぶりに当時の後輩に出会った。
独身だった彼に今、子供が二人いる。

「随分とおじさんになったもんだ」

と思ったが、向こうだって、

「なんだ、まだ生きていたか」と思っている。


互いに齢を重ねたが、
あの頃はみんな、
仕事に一生懸命だったし、

仕事を一生懸命にさせてくれる
嫌いな上司もいた。

そして、みんなをチームに変える
不思議な力のある居酒屋さんもあった。

あれから、10年、「10年、一昔」です。

今日会った後輩とも勿論、 
居酒屋に一緒に行きました。

会議は盛り上げられませんでしたが、
酒席では 最高に盛り上げてくれました。

どちらかと言えばではなく、
彼は正真正銘の、

「次の朝は無口になるタイプ」
でした。

間違いなく、

「暗くなると元気になる人」

 黄昏になると元気になる彼。


誰(た)(そ) 彼(かれ)は、

黄昏(たそがれ)の語源。

で、今夜は、

永六輔:作詞 中村八大:作曲

日本の名曲「黄昏のビギン」

唄:ちあき なおみ

 

 

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「休みになると元気になる人」

2015年04月13日 | 日記

 最初の休日、土曜日は晴れ。

どうしても早いうちに
終わらせないといけない、必須の仕事がある。

外装工事を機に取り替えた
古くなった葡萄棚の柱の3本に
一度取り外した葡萄の枝を導く
ステンレスのワイヤーの張直し。

張り直した後に、
取り外し工事で一旦、宙ぶらりんの
仮止めの葡萄の枝を元に戻す大事な作業。

先ず、スターダストに向かって伸びた枝を
ステンレスのワイヤーに取り付けを済ませ

次に道路側に向かって伸びた枝を
取り付けようとした時、

実はこれが、思いもよらぬ
厄介な仕事になろうとは ・ ・ ・



枝が柱の家屋側(内側)でなく、
駐車場側(外側)にあることに気付いた。

柱の内側から成長し伸ばしている枝は
柱の僅か10Cmの内と外の違いでも、
スタートの角度が20度違うだけでも
枝の先方では大きく位置は異なり

このままでは枝を元の位置に戻せない ・ ・ ・


一本の枝は途中で三本に分かれ、
その先でまた数本に分れ
それぞれの枝に新しい芽をつけ始めたばかり。

塗装も済んだ柱と、
柱とフェンス固定した金具と、
さっき張ったばかりのワイヤーを外して、

柱を外そうと真剣に考えた。

しかし、どう考えても出来そうにない。

考えあぐね、枝を逆方向に大きく戻し
家屋と柱の空間を通して
迂回させることを考えた。

芽を傷付けてはいけないばかりか、
枝を折らないようにしなければならない
慎重を期する大仕事なのに、

スージィーはリトルに帰っていない。

作業するのは、小生一人。

時間がどれだけ掛かったのか
脚立を忙(せわ)しく何度も移動しながら、
「やっとのこさ!」で枝を折らずに
無事、終了し一安心!


脚立を上り下りする時に、
ラティスが目に留まった。


(画像はエアコンの室外機などを
カバーする時に使う新品の
ラティス)


その瞬間に、
次の休日、明日の日曜日に、
「なにをするか」すぐに決まった。


今は、園芸用品入れのボックスを囲み、
その上に花や緑を飾り、

昔は、都市ガスで不要になった、
ボイラーのタンクを囲っていたラティスのトップに
花台をもう一つ付け加えることにした。

ラティスを外に引っ張り出して
材料のカットの作業中、

「いつも休日は精が出ますね、感心です!」

と近所の奥さんから声をかけられ、
仕上げの塗装の最中に今度は、

「おじちゃん、何を作ってるの?」

と背中から子供の声。

それで、

「お休みになると元気(精)が出るおじちゃんが
今日作っているのはね、お花を載せる台」。

で完成したのが、これ。



40Cmの脚を取り付けた台を作り、
空間を有効利用。

ボリュームがずっと増した。 

 


夕刻にリトルから帰ってきた、もう一人の、
お休みになると元気が出るおばちゃんの、

「良い物ができたね!」

褒め言葉を一つ貰ったばかりに、

昨日の葡萄の枝の苦労話しを、
すっかり言い忘れてしまう小生。

しかし、元気のお陰で昨日も、「自画自賛」。

お休みになると元気が出る
おじちゃんとおばちゃんも、
もうすぐその内、爺(じじぃ)と婆(ばばぁ)。

その爺と婆、
今週末にも待ちに待った楽しみを
迎えているところです。

そんな爺と婆が、日本中あちこちにいます。


幸せです。



ウィーク・エンド 、週末とは、

「金曜の夜から、月曜の朝まで 」を言うらしい。

画像は無事、元の位置に収まった
葡萄の枝。

それで今夜は、ニール・ヤングの
名盤「ハーヴェスト」の1曲目。 

邦題「週末に 」
「Out on the Weekend」

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「センチメンタルな気分」

2015年04月10日 | 日記

足場の外れた工事の後半に
連日の雨。

工事は一時中断したが、
一昨日と昨日は快晴に恵まれ、
一気に工事は終了した。

私の存命中に
今回のような大掛かりな工事は、
そうそうあることではないが、

今回の工事はいつまでも
私の心に留まる、喜こばしい思い出を
作ったように思う。

それは、人との出会いにある。

その人とは、屋根と外壁塗装を請け負った
会社社長、小島さん。


かつて、私は増改築、補修工事を含め
我が家に関わって戴いた建築会社、
大工さん、塗装屋さん、左官さん、水道工事
サッシ屋さんなど、沢山の職人さんにお世話になり、

暑い中、寒い中、雨の中。
仕事をして戴いて、感謝している。


しかし、お世話になった方々の中には
申し訳ないが失望する人達もいた。

働く人たちのとって些細なことでも
私にとっては甚だ遺憾な出来事に
幾度も遭遇したことがある。


屋根の上、木屑の中。
処構わずの作業中の喫煙とポイ捨て。

作業の邪魔になるからと
私にとっては家人にも等しき
庭の枝を鋸で平気で切り落とす。

お願いした仕事をしない、手抜きをする。


すべての人達がそうでない事を前提に

ここまで書いたら、一気に吐き出させて戴く。


私が永年、インテリアの仕事に
携わっていたから特にそう感じるのか、

「プレゼンテーション(情報提示)」
が出来ない会社、人が多い。

「プレゼンテーション?
なんと言っても、家は材料が一番、
職人は腕、腕が一番でしょう!」


喫煙などの前述事例は、
慣習で些細なことかも知れないが、
プレゼンテーションを欠くことは、

物、もしくは夢を創る仕事をする上で
致命的なことである。

出来上がりを言葉や想像だけでなく、
ヒアリングを基に、ビジュアルでイメージを確認し、
完成時の満足を高めることを
プレゼンテーションは可能にする。


小島さんの話に戻る。

彼の素晴しさは、
このプレゼンテーション力(りょく)にあった。

屋根や外装の塗料メーカーの
カラーサンプルに頼らない、
家屋の形式、施主の感性、時代性。

小生の希望を確認した上で、
自らの経験実績に基づいた自信に溢れた
プレゼンテーションがあった。

そこには、プレゼンテーション・ボード一枚も
存在しないのに、説得力のある
プレゼンテーションあった。

工事に入ると、見積り予算度返しの、
屋根の痛みに合わせて、
より上質な塗料で繰り返しの塗装

仕事が丁寧だった。

驚くべきは、
「ガレージのシャッターが錆びていたから」と
お願いもしないのに、これも予算内での塗装。

最後の仕事になるブロックの色は
児島さんにすべて任せた。

そこには、「口出し無用」の信頼感があった。


工期中に、まだ若い小島さんの
職歴を尋ねる機会があった。

「16からこの仕事に入り、20年目になります」
とのことだった。

また、お願いする時の為に
「名刺を下さい」と要求したら、

「斎藤さんが窓口ですから、
そちらを通してお願いします」

とのことだった。

実は、名刺がないので、「小島さん」なのか、
「児島さん」なのか今でも判っていない。


「斎藤さんと小島さんの会社の皆さんを
家に呼んで、食事に誘いたい!」

小生とまったく同じ思いのスージィーの、
“プレゼンテーション”を承諾戴き、
工事が終わってしまい会えなくなった
“児島さん”とも再会できる。

今後、私の存命中に
児島さんに仕事をお願いする機会も
出来無いかも知れないが、

児島さんのことは生涯、
忘れることは無いと思う。


今日は雨、
児島さんが塗ってくれた屋根が
雨に濡れています。

女々しいかもしれませんが今、
「私、センチメンタルな気分です」は、
少しも大袈裟ではありません。
 

曲は、9月ではないけれど
September In The Rain 」

この人も大好きな歌手、
スーザン・マッコークル。
 

あとがき

一部、辛辣な書き込みがありました。
業界の健全な発展の為に
あえて書かせて戴きました。

Susannah McCorkle -
September In The Rain

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「口は災いの元」

2015年04月07日 | 日記

太平洋上に浮かぶガラパゴス諸島は、
他の島から遠く離れている為に
外との接触の機会が無く、

独自の進化を遂げた動植物が
生息することで有名な島です。

何故、いきなり「ガラパゴス?」


永年、小生が使用してきた
携帯電話、通称ガラ系(以後、ガラケー)は、

ガラパゴスの動植物のように、
独自の市場で進化した電話機
と言う意味らしい。

このガラケー、小生が使い始めて
4台目は、既にもう6年目。

最近はビルの屋内や、
例えばリトルの草原から
発信しても圏外状態が頻発。

そこで小生、買い替えを考える。

「ガラケーにするか?」、はたまた、「スマホか?」


仕事柄、携帯電話機が必要となり、
手にした頃はまだ珍しく、

当時は自慢げに、ひけらかす気分は、
無きにしも非ず。

これは、遠い昔のお話しです。


ところが昨今、主流は「スマホ」。


実は小生、
ガラケーに固執するつもりは
まったく無いのですが、

スマホには、どこと無く嫌悪感がある。

嫌悪感を抱くのは、
スマホでなくて、使ってる人。

電車、バスの車中で、
スマホでゲームに熱中するいい親父が
わんさかいる。


通勤、帰宅の車中で日経を読むも、
スマホでゲームを楽しむも、
基本的に個人の自由。

「偏見」と言われようが
小生は、前者に好感を抱く。

「人種差別主義者」では毛頭ないが、
あえて言うなら「人種区別主義者」。

小生、差別はしないが
区別はする。

但し、あえて口にしない。

スマホのゲーム愛好者を前に
「好きの嫌いの」口にしようものなら

多勢に無勢。

愛好者から逆襲に遭い、
車内で袋叩き、挙句は南福岡駅で
鼻血を流して降車が

落ち ・ ・ ・

 

今朝の毎日新聞Webニュース。

「昨年、ガラケーの出荷台数を
七年振りに増加」。

記事タイトルは、
「ガラケーの逆襲」 。
 

Docomoのお姉ちゃんに尋ねた、

「ガラケーは、もう古いですかね? 」

すると、

「とんでもありません!
やっぱりガラケー、根強いですよっ」

迷える子羊に、
「根強い」とは、なんとも「心強い!」

それで5台目も、
やっぱりガラケー。
 

 今夜は、「ガラケー大逆襲」のお話。


明日、車中で「言いたいことがあるなら
束になってかかってこい っ!」

おーっと、調子に乗っては危ない危ない。

口は災いの元 
多勢に無勢は変わりなし 。

電話は、ひけらかしや、ゲームや
区別と鼻血のためにでなく、

愛を伝えるために
あるものなのですから!


「電話でキッス」

ポール・アンカ

 


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「二幕目の春」

2015年04月05日 | 日記

桜の花が散りました。

バンクと散歩の近所の公園の写真です。

まるで雪のようです。

寂しいけれど綺麗です。 



待ちに待った、桜の花が咲いて
始まったばかりの幸せの春が
つい昨日やってきて、

童の心で訪れた新しい春と
無邪気に遊んでいたばかりなのに、

いつの間にか、桜花を散らして、
新しい春は一幕目から
二幕目
に移ろうとしています。


私は何度も何度も、次から次へと、
春の移り変わりを経験してきました。

散った桜の花の後には次々と
新しい生命の息吹。


今日迎えた二幕目の春は
山吹や鳴子欄、
新しい息吹を感じることのできた
一日でした。


私が来年も新しい春と遊べるか は
誰も判りません 。
 

それで今夜、
今年二幕目の春を写真に撮り
心に焼き付けることにしました。

画像は上が椿、
下が山吹です。

 

左端は、新緑のモミジ
 。
右端は、散りゆく桜。

花びらを落とす桜をライトアップで眺めながら、
惜別の一杯をいただき、、

来年は、もっと花を咲かせたい」の桜を傍に、

「来年は必ず、花を咲かせたい! 」

散りゆく桜を眺める二幕目の春の夜に
つくづくと思う小生です。

 「How Do You Keep The Music Playing、」

アレサ・フランクリン&トニー・ベネット。

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「勿論、屋根に上ります」

2015年04月03日 | 日記

明日には外装の塗装工事の足場と
養生シートが取り外されるらしい。

それに先立ち昨日、
一面だけシートを外して
仕上がり具合を見ることが出来た。
 

最初は「 オッ!」、  最後は「 ホッ!」


今、屋根と壁面全面、
期待以上の見事な仕上がりに
安堵しているところである。
 

満足の出来である。

小生のセンスと、塗装会社社長の
アドバイスの賜物である。

手前味噌ながら、いつも通りの
「自画自賛」である。


小生の住むこの辺りは
割りに古い住宅地であるのだが、
最近はどこの街でも同じように、
世代交代でスクラップ&ビルドが進み、

一軒あった敷地に、二軒。

狭小ではあるがモダンな家に囲まれて、
型落ち一方の我が家に、
少々、気落ちしていた向きもあったが、

これで外見だけは、型落ちも気落ちも
一気に払拭できた感がある。

(家で大事なのは外見ではなく、中身)


型落ちばかりか、
屋根も壁も随分と傷んでいた。

ずっと気になっていたし、
放っておくと益々、悪くなるばかり。

工事はここ数年で久々の大出費にはなるが、
背に腹は代えられない。


明日、足場を外したら、
直接、手の届く範囲の作業で
来週半ばにはやっと工事は完了する。


「自画自賛」とは、
屋根と壁全面のカラーの配色とバランスにある。


画像は借り物

ずっと昔に、屋根に植物を生やすことを
本気で考えたlことがあった。

屋根に「草花」

これは、緑が好きな輩の考える
 尋常な発想。

なのに、経済的、構造物理的に 
実現には至らなかったが、

我が家でなくとも、
屋根は太陽に面した一番広い面積を保有する。

なのに、ただの屋根にしておくのは勿体ない話し。

過去にそんな思い入れがあってか、
、屋根をグリーンにした。
 

「細工は流々 仕上げを御覧じろ」

結果は前述通りの「大正解!」。 
 

工事完了時の満足度とは、
その費用の高いか安いかではなく、
出来上がりの満足度にある。
 

今、最高の塗装屋さんに出会って
感謝しています。

 

私、工事が完了したら

勿論、屋根に上ります。


疲れて家に帰ったら 屋根に上がるの

ここならさわやかな やさしい空気が包んでくれる

下の通りの せきたてるような人ごみも

つまらない競争社会の喧騒も 嘘みたいよ

ここは私の 唯一つの隠れ家

あなたもこんな隠れ家が欲しいのなら

さぁ 屋根に上がりましょう

キャロル・キング

「Up on The Roof 」

 

コメント (3)
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