我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「君を忘れないよ」

2015年02月27日 | 日記

やり場の無い二つの思いが
小生の心に芽生えて数日が経過した。

思いは日を追うごとに増殖を繰り返し、
いつの間にか一つの塊となって
居座り続け離れようとしない。


やり場の無い二つの思いとは、

「悲しみ」。   「怒り」。

「悲しみ」とは、
海に囲まれた田舎で育った少年が
引っ越した都会で失命しこと。

「怒り」とは、
夢に向かって羽ばたこうとしていた少年の羽を
無残にも折ってしまった者への憤り。

無限の可能性を信じ、明るい未来が開かれる
ドアのノブを握ることもなく
少年は亡くなってしまった。


あまりにも残虐で
憤懣やるかたないこの事件には、
憐れみや同情だけでは語れない
真実もあるのだろうが、

少年の死は
小生のみならずとも、誰もが心痛な思いで
居た堪(たま)らずにいる。

既に事件は
18歳と2名の少年が逮捕された。


少年も大人も、それに子供も、
生きていく社会の中で何がしかの
やり場の無い怒りや不満を抱いている。

その怒りや不満を晴らすべき矛(ほこ)先は、
その直接の対象や相手ではなく、

容易にそれを可能にする
自分よりも弱いものに向けられる。

バッティング・センターでボールを、
ゲーム・センターでモグラを叩いて
怒りや不満を発散させるのは、
ある意味で平和的手段だが、

矛先となり、いつも犠牲になるのは
弱い者。
 

小生はこの出来事以外にも最近、
やり場の無い怒りがあった。

それは先日発覚した、
東京電力の福島第1原発で
汚染水が排水路を通じて外洋に流出したことを
東電が隠していたことである。


小生の日記は私的なものであっても、
オープンにしている限りは
「誰かが嫌悪を覚えることは書かない」を
基本理念に掲げてるので、この件は
これ以上はもう書かないことにする。


時が経てばこの事件は
人々から忘れ去られるかもしれない。

しかし、エンドレスで起きる
このような事件を
二度と繰り返さないようにしっかりと
大人の力で子供たちを護ることを
忘れてはならないと思う。
 

青い海に囲まれた田舎で
育った少年の死はそのためにあり、
社会が一つになって努力する。

社会の反省と努力で、彼の死が報われると

かつて、緑い山に囲まれた田舎で
育った小生は
そう信じ、ただ願うばかり。


遺体の見つかった河川敷に置かれた
少年へのメッセージに
最後の一言。


「君を忘れないよ」
 
 

あらためて、合掌です。
 

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「似非と本物」

2015年02月26日 | 日記

我が家に来てくれて、二年目の冬を迎えた
鉢植えにした蝋梅(ろうばい)が今年も、

甘い香を放つ
可憐な黄色の花を咲かせた。

しかし、昨年ほど勢いが無い。

「地植えにすべきです。
植え替えるなら今です」

あるお方からアドバイスを戴いたので、
早速先週、植え替えることにした。

一年後の成長した
蝋梅の花も甘い香りも、身近で愉しみたいので、
喜多亭の一番近くのモミジを移動し
そこに植え替えることにした。


その時、モミジの木と一緒に
株の周りに植えていたナルコ蘭の根を
掘り起こしてしまったが、

根は既に、土の中で発芽の準備中。

それで元の位置の、今度は移植した
蝋梅の株の根元に、戻してやったが、

突然、掘り起こされ外気に晒され、
今年の開花に影響が出なければ
と気を咎(とが)めているところ。


蝋梅の地植えも済ませ、これで暫らくは、
似非(えせ))庭師の仕事も無く、

喜多里亭に天井を張り、
ランプ・シェードを取り付けて、
亭のリニューアルに、しばし励んだ
似非大工の仕事も一段落。

ご近所の人も呆れるほどに
狭い庭を働き続けた職人も
今は職も無く、

折角、温かくなったというのに
当分は、我が家に来て二年目の
桜の開花を、ただじっと
待つ身となってしまった昨今である。


季節は移ろい、
同じ周期を幾度も幾度も繰り返しても、
我が家の狭い庭の一つでさえ、
その年でしか味あえない
趣向も愉しみ方もある。

移り気な亭主の庭で、同じ景色は
二度、拝めない。

当分は、間もなく花咲かす桜でも
眺めながら、大人しくしておこうと思っていても
その内、勝手に身体が動き出す。

懐にいくらかでも金がありゃ、
家では味わえぬ趣向も、愉しみも、
街に出れば飽きるほどに
満喫できるものをと思うのだが、

それとこれとは、別物。

「植物」と言えど「家人」に違いなし。

ナルコ欄の開花を気遣うが如し。
一年後の蝋梅の生長を見守るが如し。 

庭師と大工、共に技術も知識も、
正真正銘の「似非」。、

しかし、思いだけは
「本物」。

どうか、今年もナルコ欄が
鈴なりの花を咲かせますように!

(画像は借り物)

 

端唄「梅は咲いたか」
(歌詞付き)

 


梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ 風次第
山吹ャ浮気で色ばっかり
しょんがいな

 

浅蜊とれたか 蛤ャまだかいな
鮑くよくよ片想い
さざえは悋気で角ばっかり
しょんがいな

 

柳橋から小舟で急がせ
舟はゆらゆら 棹次第
舟から上がって土手八丁
吉原へご案内〜
 


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「秘話」

2015年02月23日 | 日記

以前、小生はスージィーから、

マリリンは「天草市民センター」で行われた
「ミス・天草コンテストの初代女王に輝いた」
と聞き及んでおります。

ご存知のように女王は
単に見た目の「美貌」だけでなく、
「教養」や「品性」、「健康」を
重要な選出の基準としています。

確かに“しているはずです”なのですが、
その彼女が、よもや、

「・ ・ ・ おだたるなー
 とつけめにゃーこつば云うて、漬け物石で
 打たるるぞーっ」

(「寝息」で小僧から戴いたコメントに
出てくる、マリリンの発言内容


あのマリリンが
こんな、恐ろしき発言をする訳がないと、

只今、二人して疑念の渦中です。


時折、彼女と接し垣間見せる
「教養」、「品位」、「優しさ」といい
まさしく「女王」と呼ぶに相応しい
言葉遣い,振る舞いです。

しかし結婚を機に、連れ合い次第で
変貌する女性もいるにはいます。

「孟母三遷」。

かつての
「ミス天草女王マリリン」も今は、
ただのおばさん?

どうかこの発言、
「嘘であって欲しい」と
手を合わせ願う二人です。


ただ、かつての女王マリリンも、
人知れず悩みがありました。

普段は飼い猫みたいに従順な亭主も、
酒が一滴入るだけで、

たちまち、酔っ払い。
たちまち、荒くれ者。

小僧、驚くべき程付けられない輩に
「大変身」なのです。

「こりゃ、子供が大きくなる前の今ん内、
どうかせにゃいかん!」

そこで、しばらく、マリリンは
考えあぐねることになりました。


結論、
この亭主を手なづけるには、
酒の入っていない従順な時に、
徹底した「恐怖教育」しかない。

家庭を平和に導くには、
嫁としてはこれしかない。


それがあの「発言」の「伏線」と言うのなら、
「判らなくもない」と小生は納得するのですが  ・



その「ミス天草コンテスト」の、
風の噂に聞いたお話しです。


初めて天草で開催される本大会、
主催者が公募を呼びかけた際の案内作成に、
「未婚」と「年齢」の応募基準の
重要な「記載漏れ」が発覚しました。

それは慣れぬ主催者の不手際による、
「印刷ミス」でした。


大会の当日、
予期せぬ大型台風の異常接近。

会場に行くのを恐れ、安全を優先し、
外出を控えた殆どの応募者。

そこに、予期せぬ大型台風の
「ニアミス」。


当日、「塩加減4%、極上雲丹」の初めての配達。
折りしも、台風で道路標識も揺れ、
豪雨で行き先も迷い、たどり着いた配達先は
「天草市漁協センター」でなく「天草市民センター」に
間違って訪問したマリリンでした。

そこで出くわした、応募者不足で
苦慮していた主催者が、

憎っくき台風も今や、「天の助け!」、
これで、会の最低基準を満たす
「三人、揃った!」と会場の中は
台風の嵐に負けない歓喜の嵐。

その結果、先着の二人の「既婚者」を抑えて
「ミス天草コンテスト初代女王」に
輝いたのが、言わずもがな
マリリンです。

主催者の「印刷ミス」、

台風の「ニアミス」、

そして、

マリリンの「配達ミス」。
 

この、「偶然のミス」が
三つ重なった、輝けるマリリンの
「初代ミス天草女王誕生の秘話」です。

あくまでも、噂話ですが、

どうかこの話し、絶対に
「嘘であってあって欲しい」と
手を合わせ願う二人です。

マリリンは、「美貌」と「品位」と
「教養」と「優しさ」で、
大勢の応募者を抑えて、真の女王の座を
勝ち取ったと。



アルコール溶液、まだ一滴も口にしていないのに
コメント一つで無駄な時間使わせやがって、

俺も、荒くれ者に豹変してやるぞ!


豹変したくとも、できません ・ ・  ・

小生も普段の、誰かの「恐怖教育」が、
精神も身体も支配されております。
 

誰かさんとと一緒です。

ここだけの「秘話」です ・ ・ ・

お願いだから、誰にも言わないで。

 

バート・バカラック&ハル・デヴィッド作
「I Say a
 Little Prayer」
小さな願い

唄:ディオンヌ・ワーウィック 

 

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寝息」

2015年02月22日 | 日記

テーブルの下では、
ファン・ヒーターを前にどんな夢を見てるのか、
安らかな寝息のバンク。

背中には
今しがた風呂から上ったばカリの
スージィー。

そして、デスクトップを前に
いつものようにキーボードを叩く私。

2月22日の夜9時45分、
二人と一匹は間もなく眠りに就きます。

今日一日、何にも無かったお陰で、

何かのご縁で一緒になった
二人と一匹、

これからみんなで一緒に

新しい明日を迎えます。
 

小椋 佳 「愛燦燦」

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「相思相愛」

2015年02月20日 | 日記

わが国では武士道の頃から、

「男は泣いてはいけない」
「男が人前で泣くのは親が死んだ時だけ」

の、こんな社会通念が存在した。

しかしそんな通念、
小生にはまったく、通用しない。


泣くのが「親が死んだ時だけ」
と言うのなら、

毎日、「お通夜」、毎日、「本葬」。
365日、毎日「親のお葬式」。

自分でも呆れるほど「涙もろい」が、
ここまで“もろい”と、恥じるどころか、

「感受性の研ぎ澄まされた
稀有な人間」と、

むしろ誇らしささえ思えてしまう。


己が「美」と信じたものに触れては泣く。

その対象、たとえば「花鳥風月」。
たとえば「音楽」。

日記に添えた
「ふたり酒」を聴きながら毎晩、「お通夜」。

毎夜、すでに「アルコール溶液」は
過剰摂取の状態。

そこに「佳曲」と
浄化された「純な心情」とあらば、
「落涙のシチュエーション」は、もう完璧。

落涙に要するに水分は
溶液ですでに補充済み。


で、今夜は、

「音楽のお話」。

 

「カテゴリー」といえば良いのか、
「ジャンル」と言うべきか、

クラシックとかジャズとか
同じ類(たぐい)を一括(くく)りで表わす
さまざまな呼び名が音楽にはある。

生を享け、
物心ついた頃からこの方、
まるで魂が取り憑かれたかの様に
親しみ続けた音楽。

さほど好き嫌いも無く、
カテゴリーに関わらず聴いたお陰か、
小生と音楽は極めて相性が良い。

モノとモノが容易に結びつく様を
「親和性」と言うが、

小生が、拒絶でもしない限り生涯、
音楽とは「相思相愛」を続けることになる。


世の中に
人を心酔させるものは、あまたあるが、

小生にとって音楽は、
その最たるもの。


何故、「音楽が好きなのか?」

答は、音楽には「愛」がある。


そして、口悪い小生の純な気持ちを
見事に音楽は代弁してくれる。

これに尽きる 。


音楽が持つ「愛」で、小生は救われ
小生は泣く。

美しいものに触れて泣くのは
至極、自然であり、

泣かない人間の方が
むしろ、おかしい。


で、今夜も間違いなく泣く。

「泣き虫親父」と後ろ指でも泣く。


さて今夜も今から、
その「シチュエーション作り」の
アルコール溶液摂取に取り掛かることにする。

不覚!

摂取前の音楽を 聴いただけで今夜も ・ ・ ・
 


聴きづらいが最後は、

「愛してる」

で終わります。

斉藤和義 - 「歌うたいのバラッド」

 

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「春来たりなば」

2015年02月18日 | 日記

この画像は永年、2階で使っていた
お気に入りだが使用頻度の低くかった
真鍮(しんちゅう)製の「ランプ・シェード」。

日曜日、
喜多里亭に張った天井に引越しさせたものの、
前回、貼り忘れただけのこと。
本文とは関係ありません。




夜明けも、夕暮れも気付けば
随分と明るさを取り戻し、

日々、風も円(まろ)み、寒さも和らぎ、
一雨ごとに春めく季節となった。

小生の五感は、
春の到来がすぐそこまで
近づいていることを、とっくに感知している。

今年もまた、春がやって来る。


竹内まりやの「人生の扉」に


満開の桜や色付く山のモミジを、
この先一体何度観ることになるだろう

という歌詩がある。

歌詞のように、60余年の人生を生きた小生が、

「今年も無事に冬を越せた、ホッ!」

また一年、どうにか生きながらえた
悦びと安堵で、胸なで下ろすのは、
些か早計ではあるが、

春の到来は、小生のような貧しき者にとって
「この上なき悦び」であることは確かである。


前述の「五感」とは、
「視覚」 「聴覚」 「嗅覚」 「触覚」 「味覚」。

小生の「この上なき悦び」とは、
「味覚」のこと。


冬の間に土中で栄養を蓄えた
春野菜や山菜が一斉に芽生え、

やがて貧しき者の食卓には、
春の大地がもたらす恵であふれ出し、

味覚も心も満たされて、
たちまちに、恵みの「栄養」は貧しき者の
「滋養」と化(成)す。

「食」とは、
人生の価値を高めること。

「味覚」とは、
人を幸せにすること。

「人生を豊にし、心を満たす」、

そんな季節が、
もうすぐみんなににやって来る。
 

今年で64年を迎え生きた小生の、
人生の足を引っ張る突然の難事にさえ
もう暫らくだけ遭遇さえしなければ、、もうすぐ

幸せをもたらす63回目の春がやって来る。

今夜の曲は、「人生の扉」ではなく
この季節になると、春の恵のように、
必ず一度は顔を出す、

「Come Next Spring」
(邦題:春来たりなば)

前回は確か、トニー・ベネット
そして今回は、スコット・ウォーカー 

Scott Walker  Come Next Spring

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「終:一文なし」

2015年02月16日 | 日記

先週の水曜日だったか、
NHKのズームアップ現代は、
客足を取り戻した庶民派の代表的なお店、
「居酒屋」をテーマに取り上げた。

同番組は他局にもかかわらず
客足を取り戻した居酒屋の
「功労者」と呼ぶに相応しい人、

「酒場放浪記」の吉田類さんを
番組の冒頭に登場させた。

消費者がどんなお店よりも優先した
居酒屋が再び、活気を取り戻す。

酒呑みの端くれの、居酒屋好きの一人として、
嬉しく番組を拝見させて頂いた


「客がお店を選らぶ基準」。

それは、例えば「口込み」。

例えば、グルメ志向の連中なら、
ミシュラン・ガイドの「星の数」でお店の評価を決め、
旨いものを求めて遠くのお店まで足を運ぶ。

誰だって美味しいものは戴きたい。

しかし、特に後者は、「金があれば」の話し。


「流れる時代の、変わり行く価値観」。

お店を選ぶ基準も、変遷し、
かつて繁盛したお店にも、閑古鳥が鳴く。

居酒屋さんも然り。


時が経ち、類さんの番組の影響もあってか、
一時は遠くのお店まで足を運んだ連中でさえ、

駅やお家から最寄のお店  気軽に入り易いお店
勿論、美味しく、その上、安いこと
そして、お店の心地よい雰囲気。

一度暖簾をくぐったら、たちまちに、「リピーター」
すなわち、「常連」。

知らない店主も客さんとも、何時しかお友達。

「会話も弾めば、おのずと酒もすすむ」

となると、

「酒税」も、お店の「売上」も、お客さんの「満足度」、
すべてが「弾む」に反映し、

これを「三方両得」という。


かつては小生にも、
こんなお店が何軒もあった。

しかし、今や、「一文なし」

ひたすら「納税」は唯一、我が家のみ。

その唯一の我が家の店の名は、「喜多里亭」。

その亭の
「亭主」であり、「常連客の筆頭」
でもある小生は昨日、

2階にあったランプ・シェードを
亭の天井に取り付け、とりあえず、
リニューアルを一段落させた。

おかみ曰く、
「カキ小屋の雰囲気が、また一つ、
良くなったね」。


いつしか「喜多里亭」の名は忘れ去られ、
今はスージィーでさえ「カキ小屋」呼ばわり。

「栄枯盛衰」

まだ一度も栄えてはいないのに・・・

今夜の曲は
ランプ・シェードを取り付けた後、
カキ小屋の音響機器の仮の設定で
テストで流した、川中美幸さん。

お店の屋号が、
「喜多里亭」だろうが、「カキ小屋」だろうが、
どうだって良い。


たとえお客さんが、一人も来なくても、

「ふたり酒」 

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「続:一文なし」

2015年02月14日 | 日記

今日、我が家のインターネットのプロバイダを
NTTからBBIQに替える工事の調査がきた。

替える理由は、
今や絶対的生活必需品である
ネットの「通信費削減」の為である。

可能な限り、
無駄な出費は抑えたほうが賢明だし、

現在、有料の
「元気百倍.JP」のメールアドレスを
無料メールアドレスも使えるサービスも、
BBIQの変更コースはセットしている。


永年、使い慣れたアドレスを替えるのは寂しいし、
Webサービスやアプリなどの
メッセージ送受信に支障をきたす
デミリットも充分に考えられるが、

その時は、その時。

「無駄遣いできない人間」となった今、
「無料」に越したことは無い。


「工事は可能です」と言うことで、我が家は
来月あたりに新しいネット環境となる。

まるでBBIQのCMだが、
これで月額五千円弱の
「出費削減」が可能になるのは
実に有り難いこと。



ところで先ほど、マナ&モカから、
「バレンタインのチョコ」が届いた。
 

実は今朝、マナから「荷物をおくりました」の電話を
もらってからは、身動きもせずにずっと、
玄関にたち続け 宅急便の来るのを待ち続けた。

しかし、待てど暮らせど来ない・・、

日暮れて暗くなるとともに、心も ブルー。

その時、届いたのが、 



、マナ&モカからの「アニマル・チョコ」。

宅急便にはマナの手紙が同封。

「みっちゃんへ

いつも おにもつ おくってくれて

ありがとう」 


昨日と一緒で、

「出費削減が可能になるのは
実に有り難いことである」は、
「マナのチョコ」が主題の
小生にとっては、どうでも良い、
今日の日記の、枕。 

二日も続けて、枕で、
「時間を無駄遣いさせられた」

と、お怒りの向きは、 
是非、「アルコール溶液」を一口、二口。

誰かさんが仰いました

「酒を飲むのは、時間の無駄。
酒を飲まぬは、人生の無駄」と。
 
 

ところで、
「通信費削減」で浮いた分は何に使うか?

スージィーは、相変わらずの
惜しみなく子や孫に送る宅急便の
便数と重量を増やすのは明らかで、

小生はと言うと、
日々、心身を清める「薬」と思って
我慢して飲み続ける「アルコール溶液」を
25%から35%以上に変更することも無く、

しっかり身に染みた「無駄遣いできない人間」を
ひたすら貫くだけ。

今日は、大瀧 師匠の
「ブルー・バレンタインズディ」を 探したが、
達郎が見つかったので、この曲を
マナともかへ、二人から。 

マナとモカへ

こちらこそ、ありがとう! 
 

「Blue Valentine's Day」

山下達郎 

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「一文なし」

2015年02月13日 | 日記

小生、一人では「外食」しないし、
最近は、「CD・DVD」、「書籍購入」も
皆無に等しい。

「衝動買い」なんぞは、もっての外。


理由は子供でも判る、「経済の仕組み」

「よそにはあるものが、我が家には無い!」。
実に「単純明快な理由」。


それじゃ小生、一月に、限られた家計の中から
自由に使えるお金は一体、

どのくらいなのだろうか?


すっかり「貧しさ」が身に染み付いたのか、
いつの間にやら、「無駄遣いのできない人間」
となってしまったが、

強(し)いて「遣う」と言うなら、例えば
日曜大工で購入する「木材、「塗料などの材料費」。

この出費、
小生としては比較的高い額ではあるが、
出費は「不定期」。

「定期的に遣うもの」の代表は、

「携帯、ネットなどの通信費用」、
「医療費」、「新聞代」、「弦の張替え」、
「バード・レストランの餌購入」、など等。

定期的に遣う、
大事なものを一つ忘れていた。

れこそ、規則正しく
絶えることの無い「定期的な出費」、
帰宅すると慣例的に日に一度、必ず行う所作。

一日の、
世間の垢で汚れた心の洗浄と
災いを招く口の消毒に使う


「アルコール溶液の購入費」。

アルコール溶液の「効能の有無」はともかく、
「妙薬は口に苦し」と言うが如し、
この溶液、まことにもって「実に不味(まず)い」。


しかし、心が清み口の悪さも治るのならと、
我慢して、溶液をお湯で希釈し、
仕方なく胃に流し込む毎日。


貧しくとも、心身を清めるための
意義ある出費は「無駄遣いではない」と
小生、天から信じて疑わない。

無駄なことにはお金を遣わず、
本当に必要なことにだけ、
最小限のお金を使うことを、

清貧と言う。


その小生の清貧の暮らしに一昨日と昨日、
嬉しい言葉を戴いた。


先ずは昨日、スージィー。
鍋を囲んで食事中に、

「外食はできなくても、こうして毎日、
バンクと一緒に、
お家で美味しいものが
頂けるから
有難いねっ」


そして一昨日の、マナの極み付け。


「マナ、早く働けるようになって、
みっちゃんにお金送ってあげるからね!」

 


二日続いた
 

 

ジーン」と「ジーン」の
 

 

2連発。



 

記述した
「一昨日と昨日、嬉しい言葉を戴いた」
までの文章は、「2連発のジーン」を
書き出すまでの、枕。
 

「じゃ何かい、読んでる身になりゃ、
あんたの可愛い孫の話が出てくるまで、こっちは
『時間を無駄に遣わせられた』と、言うんかい?」
 

仰る通りでございます。

小生、
一文(ぶん)は無駄にできても、
一文(もん)たりともお金は

「無駄遣いのできない人間」ですから。 

 

映画「ザ・マペット」サウンド・トラックより
「Life is A Happy Song」を、

ジーンの二人へ。

 

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「苦労人」

2015年02月11日 | 日記

キャロル・キング、ボニー・レイット 
矢野顕子、美空ひばり、エラ・フェジラルド 
ご無沙汰気味の、ローラ・ニーロ、 ジョニ・ミッチェル
 そして、一昨日の シェリル・クロウ。

この方たち、我が日記の常連であり、
マイフェバリット・フィーメル・ボーカリスト、
小生お気に入りの女性歌い手
八人衆である。

内、御三方(おさんかた)は
既に他界され、残念ながら
ライブを楽しませて戴くことはできないが、

矢野顕子さんは昨年に、実現。
機会があれば、「ご存命の御四方のライブも是非」
と願うばかりである。


ところで昨日、
第57回グラミー賞受賞者が発表された。


英国のサム・スミスが、
最優秀楽曲賞と最優秀新人賞など、
輝く4冠の偉業を成し遂げたが、
(どうも小生、この手の音楽が苦手・・

前述の残りの御三方の御一人に
1995年第37回では、最優秀レコード賞、最優秀新人賞
、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞
の3冠受賞に輝いたお方がいらっしゃる。

そのお方のお名前は、
“一昨日”の シェリル・クロウ。



小生は、その授賞式模様をTVで拝見し、
この歌手の存在を知ることになる。

しかし、「どこかで見た顔?」

実は彼女、1989年のマイケル・ジャクソン
「ワールド・ツァー東京公演」の
何度も繰り返し観たライブ録画で
バック・コーラスを務めていた
「あの時の、あの彼女じゃん!」


授賞式で、一目で彼女の才能を見抜いて以来、
彼女は小生の
マイフェバリット・フィーメル・ボーカリストの

一角を占め続けることになるのは、
いたって自然な成り行き。


新作CDは購入できなくとも、ずっと
彼女の作品と活躍を追い続けることになる。

追い続けて、しばらくなるし、
もう随分、おばさん(失礼)のはず?

で今日、彼女を日記の題材にするにあたり
御齢を確認したら現在、彼女は52歳。

HP

「したたかさを秘めた大人のミュージシャン」
「遅咲きのミュージシャン」とは、
彼女の評価のほんの一端。


紆余曲折を経て、持ち前の才能を
枯らすことなく咲かせ続けて、

現在の地位を確立した、「クロウ人」。


今日2月11日今日は、
彼女の53回目のバース・ディ

そうと分かれば、どうしても今日の
日記の題材は彼女。

一ファンとしは、見過ごすしは「禁物」というもの。

新作CD購入で「印税」を払えない代わりに、
「気」を払うことにした次第。

実は彼女のバースデイ、、
御齢確認で今朝、偶然に判ったこと。

「こんなこともあるもんだ」と、
小生にとっては実にありがたい偶然でした。

おめでとう!苦労人、シェリル。

同じ曲を並べるのは無粋だが、
95年のグラミー賞受賞の「All I Wanna Do」と
以後のライブを続けて。 

Sheryl Crow - Grammy Awards 1995

 

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「続々:今年で64」

2015年02月09日 | 日記

今日は、仕事をしくじった。

しばらく、”しくじり”が、小生の心を暗くした


それでも、いつだって仕事は
「好調」と「不調」の繰り返し。

人生も、「七転び八起き」。

交流電気だって、バイオリズムだって、
「上下の波の繰り返し」。

すべては、「オルタネィティブ」

そう言い聞かせた小生の、“
しくじった心”に

この曲が今夜、、

今年で64のロック親父のハートに火をつけて、

 「気にするな、、
明日はきっと、うまくいく!」

と、その気にさせてくれた。


さぁーて、明日も頑張るかっ!


シェリル・クロウ 
「ショット・ガン」
 

Sheryl Crow - "Shotgun"

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「変わり者、ミッチャン」

2015年02月08日 | 日記

我が家の朝は、バード・レストランの
OPEN準備から始まる。

すでに、レストランの周辺には、
我が家の屋根、隣の屋根、木の枝。

まだ陽も明けやらぬOPEN前から、
沢山のお客さんが列を作り、

二人の内どちらかが
モーニング・セットを準備するのを、
「ピーチク、パーチク」と、世間話で時間を潰し、
OPENするのを待っている。

「バード・レストラン」をOPENして
何年になるだろう? 

いつしか、レストランは口コミで
お客さんは年ごとに増すばかり。

いちいち数えたことは無いが、
今やその数、優に40羽を越えている。


今日はそのお客さんの中にいる、
一羽の「変わり者の雀」のお話。


変わり者の雀、
とりあえず、名前は「ミッチャン」にしておく。

雀とは言え、変わり者のために、
人間にも雀にも、
この名前はあるようなものだから。

「変わり者」とは、物怖じしないこと。

それに、仲間と群れを成さずの「一匹狼」
もとい、「一羽雀」の性分の持ち主であること。

ほんのたまにではあるが、
小生、庭に出ていると、その足元に飛んで来ては、
しばらく散策し
食べ物がないと知ると、諦めて
何処かに飛んでいってしまう。

ほんのすぐ足元まで、やって来るのは、
この雀だけ。


そのミッチャンが、今日もやって来た。
勿論、一羽で。

喜多里亭の鉢置きの板まで
近づいてきたので、餌を置いたら、



一度は離れたが、また舞い戻って来て、


餌を啄ばみ始めた。



そこに、メジロ・レストランに
あのヒヨドリがやってきた。



右上が、ヒヨドリ。
左下が、ミッチャン。

ヒヨドリを追っ払えば、
ミッチャンも居なくなる。

だから、そのまま。

これは、ガラス越しの僅か1mの
至近距離からのミッチャンの撮影画像。



窓越しと夕闇で判り辛いが、
変わり者、「人間みっちゃん」が、
変わり者、「雀ミッチャン」を撮った写真。


いつか、みっちゃんの手の平で、
ミッチャンが餌を啄ばむ日が

必ず来ることを願いつつ、

他人様には他愛も無い、
小生にとっては永年の夢を叶える

待望の、変わり者の雀、ミッチャンのお話。


今日は、可愛いいメジロも、
正体が判り、情が 生まれたヒヨドリよりも、

ミッチャンしか目に映らない一日でした。
 

曲は、「Don't Cry Out Loud 」

邦題「あなたしか見えない」を
変わり者、ミッチャンへ。

歌は、メリサ・マンチェスター。 
 

Don't Cry Out Loud -
Melissa Manchester 

 

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「孟母三遷」

2015年02月07日 | 日記

少々、風邪気味なので
掘り炬燵の卓下には、ガス・ファンヒーター
背中にはアラジンのストーブ。

そして、ケトルの湯気で部屋を暖め湿度を保ち
今、好きな音楽を聴いている。


4,5年まえから使えなかった
BOSE(ステレオ)が直り、
PCを買い替え、使っていなかった
無線LANを再起動して、

音楽環境が一変した。


You Tubeで好きな曲を探しては
飽きもせずに聴き続け、時に目は、
みかんの輪切りをセットした花台、
(冬季は、「メジロ・レストラン)に
飛来するメジロを追いかける。



メジロは先ず、鉢植えの黄色い花を
咲かせた蝋梅(ろうばい)の枝に止まり、
辺りの気配を窺(うかが)い確かめて、
“レストランのバー”に移り、みかんを啄(つい)ばみ始める。


みかんを目掛けて飛来する鳥は、三種類。

雀よりも少し大きい野鳥。
灰色の野鳩より少し小さめな鳥。

両方、名前が分からない。


スージィーが面白いのは、
この灰色の鳥がやってくると
可愛いメジロが退散するので、
躍起になって追っ払うこと。

その様はまるで、家族を護る防人(さきもり)。


春夏秋冬、
季節が変われば、庭に咲く花も、
飛来する鳥も変わり、
環境が変われば愉しみ方も変わる。


さて、そこで少しは
「自分も変わっているのだろうか?」と思う 

これは昨日、
ある同級生男子さんより頂いたコメント、

「本当にこの人が、あのロバ君か?と疑うほど」

の言葉を受け、そっと胸に手を当て、
己の過去を顧(かえり)み、鑑(かんが)みてのこと。

確かに、
変わっていると言えば変わっている。

毎年、冬に一度、
節分が終わるころ、必ず脱皮するし、

秋の夜に、満月を眺めると、
たちまち狼に変貌し

「お月様、私は貴方に従います」

と誓いの遠吠え。

しかし、これはスージィーさえ未知の、
私だけの穏然たる秘め事のはず 。

間違っても、変わっていることが
暴(あばか)れるはずはない。


しかし、誰しも己が変化していることに
気付いていないのは、当の本人だけ。


先週の日曜日、
新しいPCの設定変更、諸々に、7年ぶりに訪れた、
長年お世話になっているPC環境のご指南役から

「ロバさん、随分とゆっくり(気長)になりましたね」

とスージィーに言ったとか。


音楽をはじめ、好きな趣味は
変化するどころか、ますます造詣は深くなる。

ところが、環境一つで、相棒次第で
性格も思考も変わり得る。


同級生男子さんから、もう一つはリクエスト。

「もう少し、毒気を持って欲しい」。

小生、これは成れません!
成れば
金輪際、この家に居れません!

これ以上、毒気は持っては、
灰色の鳥を追っ払われる如しです。

期待に応えられず、あしからず! 


そろそろ、怖いババーが来るぞっ


先日、ジョージ・ガーシュインの名曲、
「But not for me」を聞いて、「良い曲ねっ」
と言ったババー、 いや、スージィー。

今や、一端のジャズの一ファン。

環境が変われば確かに変わる。

で今日は、そのボーカルもの。
井上真紀のボーカル
フランク・ストラッツェリのピアノで。

ところで今夜は、年に一度の
脱皮の日。
 

誰にも気付かれず ・ ・ ・

BUT NOT FOR ME-Love Notes feat.Frank Strazzeri on piano

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「終:義侠心」

2015年02月05日 | 日記

先般、
大リーグからカープに復帰した
黒田選手の男気を讃え、
私は「義侠心」を書き、そのすぐ後で、

後藤さんの“出来事”があった日の
我が家の一日を「無事平穏」に書いた。

この、わが身を取り巻く環境で起き
小生が受けた、感慨、情緒を綴る日記には、

小生自身の思考や嗜好、
悲喜交々(こもごも)の日々の生活ついては
あからさまにしても、

人によって捉え方、考え方が普遍でない
ものについては、書かないことにしている。

その最も顕著なものが
思想や政治などと判断している。



日記は一個人のものであり、
何を書こうが小生の自由なのだが、
オープンにしている以上は相手がある。

意図せず書いた一行一句が、
相手である、読者の心情に無意義な
不快感を与えることもありえる。

それが、書かない理由である。


前述の「無事平穏」を書いた次の日の夜、
小僧と話す機会があった。

小僧はその時、「無事平穏」に触れ、
「消化不良みたいなことを書いている」
と、ご指摘を頂いた。

書いた本人が、何をか言わんやの日記を
「削除しよう」と思うぐらいだから、
「指摘は見事に的を射ている」
としか言いようが無い。


故に、今日は消化不良の「無事平穏」に、
自分なりに決着をつけることにした。

不快を覚える人がいるやも知れず、
を覚悟の上で。
 

友人を救いに戦火に自ら進んだ後藤さんは、
勇気ある人、義侠心の持ち主に違いない。

救出の決断は、
自分自身が覚悟の上で選択したことで、
「何が起ころうが自己責任」
と彼は言った。

そして結末は、
火中の栗を拾うが如く ・ ・ ・


彼について昨日、
自民党副総裁、高村氏が発言した、

以下に記載する発言内容は
NHKの報道からの抜粋です。



「「拘束された後藤健二さんは
極めて優しい人で使命感が高く、
勇気のある人だった。

テロリストたちに対する怒りが、
ますます強くなってくる」と述べました。

一方で、高村氏は
「後藤さんが3度にわたる日本政府の
警告にもかかわらず、
テロリストの支配地域に入ったということは、
どんなに使命感が高かったとしても
蛮勇と言わざるをえない。

個人で責任を取りえないこともある
ことを肝に銘じてほしい」と述べました。

さらに、高村氏は
「後藤さんの遺志を継いであとに続く人たちは、
使命を果たすためであっても
蛮勇にならないように細心の注意を
払って行動してほしい」と述べました。


以上が今、波紋を呼んでいる
高村氏の発言です。
 

小生、他人の口を借りてものを言うようだが、
個人的にはこの思いに近い。

この発言には波紋もあるので
当然、読者にも異論がおありの方もいようが、
小生敢えて、この発言を持ち出した。


同じ国の民として、
「一個人」と「国を治める者」とには、

ことが国内ならまだしも、
戦火を交える国外においては、
両者の思いに乖離(かいり)する
現実が存在することは歪めない。


弱い者が苦しんでいるのを見逃せない気性、
男らしい気質。「義侠心」とも言う。

と、日記「義侠心」の冒頭に小生は記した。

表現こそ違えど、高村氏もそう後藤さんを評し、
彼の使命感を讃えた。

しかし、彼の起こした行動が
「義侠心」に依るものかは私には解らない。、



今日も地球の何処かで、
誰かが血を流し、誰か涙を流す。

夜には死におびえ、昼には弾丸(たま)を撃つ。

いつしか、戦いの大義は忘れて
撃たれたから撃ち返し、殺されたから殺し返す。



シリア人 フランス人 ヨルダン人 日本人。
世界中、国こそ違え、我ら皆、同胞、地球人。


そして、世界が平和を願うその傍らに
地球人の一人としての小生がいる。


小生がすべきこと。

家庭の「無事平穏」に力の限り努めること。
いかなる災難からも先ず、家族を護ること。

そして、自分を護ること。

それが些些(ささ)たる小生の
大いなる使命。


後藤さんにも妻と2週間前に生まれた子供と
もう一人子供の、護るべき家族がいた。


あの夜、早朝に届いた後藤さんの
死の報せを受けて、心がざわめいたのは、
これを書きたかったからです。


「蛮勇(ばんゆう 」
意味:向こう見ずな勇気
 

誰かに捧げるでもなく

スタンリー・マイヤーズ作曲 
「Cavatina」
 カヴァティーナ

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「No problem 」

2015年02月04日 | 日記

時代は進化し、便利になった。

「子供の頃には想像も出来ない
時代になった」と
昨夜、二人でその象徴の一つである
パーソナル・コンピューター
通称、パソコン(PC)の出現を話した。

二人して
音楽探訪やレシピなどの調べもの、
ニュース、CD・DVD鑑賞など等、

生活必需品の上位に台頭したのが、
PC。

もしも、「TVをとるか 、PCをとるか」と
二者択一を迫られたら、

躊躇(ためら)うまでもなく、PCを選ぶ。

仕事に趣味に小生のみならず、
今や、「PC無し」では、
働けないし、暮らせない。


その優れものの、小生が7年間愛用した
デスクトップ型PCが
突然、起動しなくなり、
買い換える羽目になったのは
昨年の暮れのこと。

電気屋さんに行ったが、
新品は高くて、とても手が出ない ・ ・ ・

そこで、電気屋さんのすぐ前にある
パソコン工房から、Winndows7を搭載した
中古の同型機種を購入した。

音楽、調べもの、ニュース、
日記投稿が主のPC作業では
充分すぎる、余りある機能と低価格に
小生、満足していると、
お次は ・ ・ ・

スージィーが10年愛用の
ノート型・PC。

最近は動きも遅く、
突然、起動しなくなったら、
「弥生会計」などのデータ消失を
危惧しているところへ、

小生のPC寿命到来と、
新聞に一枚のチラシ。

1月25日、
春日市ふれあい文化センターで。
「中古PC販売会」。

例えば、リースが終了し、
御用済みになったPCを初期化し、
Winndows7やセキュリティーなどの
必要ソフトを搭載したもの。

スージィーは早速、
この会社を調べたが、

「問題なし」。

大勢の来場者を見越し、
早めに会場に出向いたのが功を奏し、
長い行列の前方に並んだ。


お陰で、容量の大きな
希望機種を購入でき、
勿論、価格も満足。


これで、「弥生会計」などの
保存データを移行できると
安心も束の間、

CDソフトが無くて実行できない ・ ・ ・

じゃ、このPC、
今、何をしているかと言うと、

「Radio Tunes」と言う
海の向こうアメリカに、一日中、
音楽が流れっ放しのフリーソフトを
2階の無線LAN親機から1階に飛ばし、
‘BOSE(ステレオ)に継いで、

Jazz中心のアメリカン・ソングブックや
RockやPopのオルディーズを
聴いている。


今年で64の、この親父、
まるで子供のように、家に帰るのが
楽しみでならないらしい。


今年で64の親父が子供の頃に、
庭中にTVのフィダー線を張り巡らし、
九州の山間(あい」の町に届く
僅かな電波をかき集め、

夢中で聴いた海の向こうの音楽を
半世紀後には、

PCの出力音を
上質のステレオ音源に変換し
愉しめて、

しかも、フリー
しかも、流れっ放し。

子供の頃に、よもや、
こんな時代が遣ってくるとは、
夢想だにしなかった。


確かに時代は
進化し便利になった。

2台のPCも、
それぞれのオーナーも、

共にいずれ劣らぬ「中古品」。

PCと人間、
どちらが先にイッたとしても、
些(いささ)かも

「問題なし」。

「問題あり」とすれば、

進化し便利になった時代を
愉しまぬままに、イッて仕舞うこと。


ジョージ・ガーシュインの名曲
「But not for me」 

“ボーカルもの”と思ったが
エディ・ヒギンス・トリオの演奏が
PCみたいに出来が良すぎて、

「問題なし」。 

 

 

 

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