やり場の無い二つの思いが
小生の心に芽生えて数日が経過した。
思いは日を追うごとに増殖を繰り返し、
いつの間にか一つの塊となって
居座り続け離れようとしない。
やり場の無い二つの思いとは、
「悲しみ」。 「怒り」。
「悲しみ」とは、
海に囲まれた田舎で育った少年が
引っ越した都会で失命しこと。
「怒り」とは、
夢に向かって羽ばたこうとしていた少年の羽を
無残にも折ってしまった者への憤り。
無限の可能性を信じ、明るい未来が開かれる
ドアのノブを握ることもなく
少年は亡くなってしまった。
あまりにも残虐で
憤懣やるかたないこの事件には、
憐れみや同情だけでは語れない
真実もあるのだろうが、
少年の死は
小生のみならずとも、誰もが心痛な思いで
居た堪(たま)らずにいる。
既に事件は
18歳と2名の少年が逮捕された。
少年も大人も、それに子供も、
生きていく社会の中で何がしかの
やり場の無い怒りや不満を抱いている。
その怒りや不満を晴らすべき矛(ほこ)先は、
その直接の対象や相手ではなく、
容易にそれを可能にする
自分よりも弱いものに向けられる。
バッティング・センターでボールを、
ゲーム・センターでモグラを叩いて
怒りや不満を発散させるのは、
ある意味で平和的手段だが、
矛先となり、いつも犠牲になるのは、
弱い者。
小生はこの出来事以外にも最近、
やり場の無い怒りがあった。
それは先日発覚した、
東京電力の福島第1原発で
汚染水が排水路を通じて外洋に流出したことを
東電が隠していたことである。
小生の日記は私的なものであっても、
オープンにしている限りは
「誰かが嫌悪を覚えることは書かない」を
基本理念に掲げてるので、この件は
これ以上はもう書かないことにする。
時が経てばこの事件は
人々から忘れ去られるかもしれない。
しかし、エンドレスで起きる
このような事件を
二度と繰り返さないようにしっかりと
大人の力で子供たちを護ることを
忘れてはならないと思う。
青い海に囲まれた田舎で
育った少年の死はそのためにあり、
社会が一つになって努力する。
社会の反省と努力で、彼の死が報われると
かつて、緑い山に囲まれた田舎で
育った小生はそう信じ、ただ願うばかり。
遺体の見つかった河川敷に置かれた
少年へのメッセージに
最後の一言。
「君を忘れないよ」
あらためて、合掌です。