我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「My favorite songs(18)」

2017年08月31日 | 日記

老いた肌に刺す、
熱く尖(とが)った陽射しの先端も、

いつしか丸くなった様で、
昼間の暑さも心なしか優しく、

気が付けば、見上げた天(そら)も
随分と高くなった。


朝は夜露、夜は虫の音。

朝な夕なに留まらず、
日毎に秋の気配は増している。

このまま一気に季節が秋に進めば、
長い間封印されていた秋の愉しみが
一挙に押し寄せてくる。


齢は六十六の、季節は秋。

人生も季節も
これからが、佳境。

例えば、
室内で過ぎし日の想い出に、
独り静かに耽(ふけ)るも善し、

例えば、
外に出て封印された愉しみに
没頭するも善し、

また、旬を喰らい、
大いに飲み、大いに笑い、
まるで最期の秋でも過ごすかの如く
皆でとことん騒ぐも善し。

明日から九月、夜長月。

夜は長い、時間は
弄(もてあそ)ぶほどにあり、
その三つを季節は秋の毎日、
幾度も繰り返すも善し。



嗚呼、有難き哉。

今年もまた、高い天から
美しい秋が落ちてくる。

 

今日の「My favorite songs」、 

「愛燦燦 」

作・唄:小椋佳 

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「続:夏と秋の間の今夜は」

2017年08月28日 | 日記

「夏と秋の間の今夜は」に
小僧から戴いたコメントの
お返しが長くなったので、
今夜の日記に。

 

小僧へ、
コメントの中の
「明年此會知誰健」の一節は、
杜甫の「九日藍田崔氏荘」ですね。

「来年のこの会には、
誰が健やかに出席できるだろうか」

という意味らしいですが、
小生、この漢詩を初めて知りました。

何時の頃からか、この詩の杜甫や
李白の作品に接するにつれ
次第に、漢詩へと
傾倒してまいります。

その傾き加減は、
小僧の比には程遠く、
まだまだ上っ面に過ぎませんが、

「齢をとる」
と言うことは、必ずしも
憂うばかりでは無い様です。

お蔭様で小僧同様に、やっと、
杜甫や李白の漢詩が解る
齢回りになりました。
 

以下の漢詩はしばらく前に、
ひょんなことで見つけ、
ブックマークに追加してたもので
早速、お役に立てます、

李白の「山中與幽人對酌
(山中にて、幽人と対酌す)」
です。
 

中與幽人對酌 李白

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來


「山中で向かい合って酒を呑んでいると、
山の花が開く。

一杯一杯また、一杯
私は酔って眠たくなってきた。

君、しばらく帰ってくれ。

明日の朝気が向いたら
琴を抱いて来ておくれ」

この詩を読んだ時、小生は
あることを映し重ねました。

詩の中の「私」とは
小僧のこと、
「君」とは小生のこと。

また、「琴」とはギターと、
勝手に解釈しました。

さて、次回は
旬のハゼを肴に同窓会の話と、
互いにギターでも弾いて、
秋の夜長をゆるりと対酌を願います。
 

今ならまだ、 互いに
健やかに出席できましょう!

 

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「夏と秋の間の今夜は」

2017年08月27日 | 日記

今年も宅急便で
我が家に好物の日向特産、
「平兵衛酢(へべす)」が
届きました。

なんと、今年は
「生姜」も入っています。



我が家にとって
「生姜」と言えば、冷や奴。

「へべす」言えば、
魚は秋刀魚の塩焼き。


我が家は間もなく夕餉の時間、
季節は
夏と秋の端境(はざかい)期。

有難きことです。

今夜の夕餉は去りゆく夏と
迎える秋の、二つの季節の味覚を
両方一緒に愉しめるのです。

何とも実に、贅沢なことです。


唯今、4時50分。

第1便の「へべす」と
「生姜」に続き、

2便目はクール宅急便で、
「秋刀魚」と「木綿豆腐」が
届くのを心待ちにしているところです。


送り主様のお蔭で、
今年の初もの、秋刀魚の塩焼きを
ヘベすたっぷりで頂けます。

さすが粋人の、送り主様の
見事なまでに憎いご配慮に、
心から御礼を申し上げる次第です。

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「My favorite songs(17)」

2017年08月26日 | 日記

今朝は、屋根を叩く雨音で
目を覚ました。

布団の中から見上げる
窓越しの空が暗いのは、
雨雲が朝の陽ざし遮っていると
思っていた。

TVを点けたら、
時刻は午前3時半を過ぎたところ。

一度目を覚ますと寝付けぬ性質は
目を閉じたまま、

このまま雨が降り続けば
出来なくなる今日の作業の代わりに
何をしようかと

思案に暮れる知らぬ間に、
また、眠りに就いて仕舞った。


「もう直ぐ、山口さんが来るよ!」

で、再び、目を覚ました。

沢山の野菜を頂く時には
雨は止んでいたのに、また、
雨は落ち始めた。


今日の天気を気遣う、
姉妹で母を見舞いに
リトルに帰るスージィーは、

予報の「次第に雨は上がります」
に安堵し、先ほど七時半に、
妹デコの家に向かったが、

依然として空には
雨雲が広がったまま。


お天道様と車を奪われた小生、
「さて、今日は一体何をしたものか?」
と、再び、思案に暮れる。


ここにページ数,365の
一冊の本がある。

タイトルは
「我が家のひととせ(一年)」

第1章から数えて237ページ目の
今日の章のタイトルは
「今朝、再び、思案に暮れる」


最も、今日でなくても
あれやこれやと年がら年中、
思案に暮れてはいるが・・


唯今、午前八時半過ぎの
今日の「My favorite songs」は

トム・ウェイツ
「Ol' '55」

歌詞の通り、
237章目の今日の一日も、
神聖な気分で。

 

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「My favorite songs(16)」

2017年08月21日 | 日記

このところ、

「己の正体とは、いったい何ぞや」

そんな思いが、
頭の中で渦巻いている。


「己の正体」とは、

どのような家系の、
どのような父母の下で
生まれ育ったかと言った、

所謂(いわゆる)、
個人の出自(しゅつじ)とは
全く、無関係ではないが、

六十六年を生きて尚、
己という人間がどうも
解せないのである。

その一つに、
人様への己の言動に屡々(しばしば)、
どう言う訳か、心が向かう先と、
必ずしも一致しない、
表現があり、

言動が結果として、
望むべき結末を迎えていないことが
多々あるからである。


その見事なまでの
意思伝達能力の欠如や

相手に不信や不快、嫌気を招く因は
如何にして生まれるのか?

さて、己の正体とは、
一体、何なのか?

ただただ、首を傾(かし)げる
ばかりである。



この世に生まれ出ると、
先ずは家庭、そして学び舎と
並行して教育を受ける。

その後は社会で揉まれながら、
次第に責任ある個人としての
人格を形成していく。


 人には、
「本性」と「理性」がある。

難しいことは解らないが、
例えば、「本性」とは
動物的な感性で、

「理性」とは
人間的な知的な感性だとする。

己という人間の中に二つの
性(しょう)が存在し、

起こすべき言動の際に
何かの拍子に何かの力が働くと、
どちらかの性に傾き、

二つのバランスを失った時に、
望まぬ結末を迎える羽目に・・


己が己を顧みる時、
「満更、悪いたちでもなかろう」
 とは、勝手な思い込み。

極論だが、
差し障(さわ)りなく、
望むべき結末を迎えられるのは、

あえて無言を通した時だけ。

万(よろず)の人と接する時に、
己の正体が解(げ)せぬ者に
人様の機微も解るはずもなく、

万人どころか一人として
意思の疎通何ぞ、叶おう訳がない。



多分、我、思うに最長で
あと15年でくたばる。

あと15年、
本性と理性の均衡も取れぬまま、
ついには己の正体も見つけられずに、
くたばることになる。

そう、六十六年を生きて尚、
己という人間が
さっぱり解せないのである。


今日の「My favorite songs」

数あるローラ・ニーロの名曲の中でも、
素直に心に染みる曲。

「この曲を美しいと覚える
感性があるのだから、あと15年も
今のままでいいよ」

と誰かが言った 


「 Billy's Blues」
ビリーのブルース

 

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「立派なジジィと素敵なババァ」

2017年08月19日 | 日記

日曜日の20日に、
阿蘇市で同窓会がある。

故郷リトルで催した
還暦の祝賀を兼ねた盛大な同窓会以来、
6年ぶりである。

久方ぶりの再会ともなれば
関心ごとの一つに、

6年の時の流れが
それぞれの容姿や佇まいを
どの様な変容を遂げたのだろうか?
と。

齢は既に、六十六。

誤魔化し様もなく歳相応に
どこにでもいるジジィとババァに
変容したに違いない。


頻繁に会う機会さえあれば、
互いに幼き頃の面影を
隙間なく重ね続けられるが、

遠く離れて暮らし、会う機会を失っては

街で擦れ違っても、
同窓会で出会っても

大凡(おおよそ)、
「あの人?」
とは気づかない。


「去る者は日々に以て疎し、
来る者は日々に以て近し」

別れた者とは日々に疎くなり、
近づいてくる者とは、日々に親しくなる。


参加者には昨日、
会った人も居らっしゃるだろうし、
6年ぶりの再会や、もっと長く
会う機会のなかったの方も
いらっしゃるだろう。


そこで出席者の皆さんへ
ご提案。

懐かしい人に会ったら、

会釈や交わす言葉と同様に
男女問わず、
互いに強くハグし合い、

恥ずかしがらず、
顔のしわとしわを合わせて、
再会できたことの〝しわあわせ”と
喜びを分かち合って下さいますように!

好意を抱いていた人なら、
尚更です。

ラストチャンスになるやも知れぬ
この機をけして逃さぬように。


さぁ、六十六年の齢を重ねた
立派なジジィと素敵なババァに
会いに行こう。

さぁ、明日は
君といつまでも。

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「My favorite songs(15)」

2017年08月15日 | 日記

前を通りかかる人たちが
「本物のレストラン?」と
勘違いするほど佇まいを演出する
この店主である小生は、

この住宅街の界隈で
一番の変わり者ではなかろうかの
自覚があるが、概ね、外れてはいない。

自覚は、羞恥心よりも、自負心。

変わり者には変わり者なりの、
色褪せぬ思がある。

「ガーデニング」と呼べるほど
大袈裟ではないが、
庭いじりや、花や、植物が好きで、

音楽が好きで、アートが好きで、

庭での外食(そとめし)が好きで、
誰しもが憧れる
飯屋の開業の夢があれば

模擬のレストランに辿り着くのは
至極、自然の流れ。

それで先週、
更にその佇まいのグレードを高める
作業に取り掛かることにした。

さて、ガーデンレストラン
スターダスト入り口の右側に
桜の木が一本ある。



彼岸桜は毎年、花を咲かしてくれるが、
花は寂し気に下を向いて咲くし
木は大きくなるばかりなので、

店舗デザイン上、可哀そうだが
思い切って抜くことにして、
そこに木枠を立てた。

材料は全て、二軒隣の新築現場から
頂いた廃材。



喜多里亭は、主に演歌。スタダストは
ジャズやオルディズが流すのが恒で、

リニューアルの基調は、
そのジャズにした。


それで、屋外対応の看板を
幾つか準備。

ビル・エバンスや
キース・ジャレット等の

好きなアルバムジャケットの
集合写真。



OPEN間もない頃に買った
今は無き、ブルーノート福岡のシール。
(画像がボケているのは、書棚のガラスに
貼ったシールを写真に撮り、加工処理したもの)

勝手に「HUKUOKA」を
「KASUGA」にアレンジして作ったシール。

何かに使おうと思っていた
お気に入りのイラスト。

昨日の途中経過がこれ。

正面からの画像

後ろから。

通りのフロント看板

14日、リトルから帰ると
故郷の涼しさを忘れる熱い中を
ボードの仕上げにかかり、

昨日は雨の中をボードにプレートを貼り
完成間近い出来上がりになった。


ご近所の方たちからは
「変わり者は、ようやるよ」と、
相も変わらず呆れているだろうが、

中には「今日も、精が出ますね」
と、声をかけてくれる人、

「いいものが出来ましたね」
と、お褒めを頂く方もいらっしゃる。

結局、他人様が何を言おうが、
当の本人さえ良けりゃいいこと。

ボードのトップには昔
電柱にあったノスタルジックな
中古の外灯を探して
取り付けたら完成。

画像は、借り物。


今日の「My favorite songs」

アルバム・ジャケットの集合写真にある
ディブ・ブルーベック・クァルテットの
アルバム「タイム・アウト」から

「Blue Rondo A La Turk」 
 トルコ風ブルー・ロンド

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「夏の故郷探訪記」

2017年08月14日 | 日記

12日、
夏の故郷を歩くことにした。

家族で出掛けた
ゆうすい自然の森
(旧 遊水峡キャンプ場)
から一人外れて
目的地は奴留湯温泉。

スタートの遊水峡入り口

温泉までの到着時間の
目論見(もくろみ)は、
約一時間半。

カーブミラーには、
凍らせたポカリスエットと
おにぎり二個に着替えを詰めた
バックを背負う我が姿。



曇り空の杉に囲まれた
登りの山道を歩くこと約40分

空が開けると、

青空と明るい陽射しを一身に浴びたが、
福岡の夏に比べて、少しも暑くない。

暫くなだらかな下り道が続くと、
田代地区に到着。

初めて訪れた
田代神社入り口階段 



5分ほど歩いたら
スージィーの叔母さんの嫁ぎ先、
原山さん宅の蔵と家紋。

今まで何度も訪ねるのに、
屋根右下の立派な家紋には
全く、気付かなかった。



北里大社の本宮に着いた時に、
木魂館からお昼を告げるチャイム。
ここまで、丁度、一時間。



ここから20分、
目論見の時刻より少し早く、
1時間20分で目的地に到着。



お風呂で汗を流し、
体を浴槽に沈めること約一時間。



お風呂から上がると、
温泉前のベンチで昼食。

間もなくして、
スージィーの迎えの車がやってきた。


走りなれた道でも、
車窓から眺めるだけでは
発見できない、名所旧跡、家屋や景色。

たった一人で、カメラ片手に
歩いて作った
夏の故郷探訪記。


お次は、どこを歩くやら?


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「My favorite songs(14)」

2017年08月08日 | 日記

台風も過ぎ去り
お盆も近くなれば、
一時の暑さも
随分と
治まってきた感もあるが、
夏は依然として、夏のままの

ゆくりなくそよぐ風に
心に秋を慕う8月8日である。


夕刻とは言え、陽射ししきる空の下で
小さなペットボトルをポケットの、
汗まみれのウォーキングが功を奏してか
夏バテに屈することもなく
過ごす今日は、
気負わず無理せず
身体を労わりの日。


日々の夕餉の卓には
肉やゴーヤ・チャンプルー等の
栄養価の高い食材に交じり、
夏ならではの品々が賑わう。

先日、
旬の野菜ご用達の山口さんが
届けてくれた茄子で作って貰った
「茄子のカラシ漬け」
もその一つ。



早速、好物を頂くことに。

「オッ!」、

いつもの
カラシ漬けと味覚が違う?

酒粕を使った初物のカラシ漬けの
上品さの中に辛さがあり
辛さの中にしとやかさがある、
辛い物好きも、好きでなくても
堪(たま)らない味。


食卓の隅を賑わすもう一つが、
「青唐辛子」

キッチンハサミで細かくしては、
冷や汁、味噌汁、冷や奴、
煮汁にタレ。

「いける!」と思うものには、
なんにでも加えて頂くが、

これも、また、
辛い物好きには堪らない。


時折、加えすぎて
激辛の泣き目を見るが、

てめぇの匙(さじ)加減を
青唐辛子の所為(せい)にするのは
言語道断。

灼熱の如き
辛さを
ひたすらに堪(こら)え
涙目で天を仰ぎ、
口を大きく開けて息を吐いたら、
浄化の水を一気に流し込み、
目を拭う。


熱さの治まるのを待つのは、
涼しき秋を慕う心境に
然(さ)も似たり。

ジジィの66度目の夏の涙。


人には、
通り過ぎた夏に
涙した
幾つもの思い出がある。


例えば、
若き日の夏に失った恋の涙は
悲しいけれど、純で美しいし、

老いる夏に失った恋の涙も
美しいに違いない。

そもそも、
恋に年齢制限がある訳でなく、
老いらくの恋も、けして
捨てたもんじゃないけれど、

同じ夏に涙するのなら
例えば、
親父は
青唐辛子で涙するが、賢明。

老いらくの恋が仇(あだ)で
「倫(みち)に非ず」
と言われるよりは、

道徳的で、且つ、健康的


今日の「My favorite songs」、
映画「おもいでの夏」のサントラは

ひと夏の若きに失った
悲しい恋の物語、

「Once Upon A Summertime」

作曲:ミッシェル・ルグラン
唄:スコット・ウォーカー

 

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「My favorite songs(13)」

2017年08月02日 | 日記

 カラスは保護ネットを掻い潜り
袋ごと地面に突っつき落し、

中身を確認すると
青い房には目もくれず、
熟れた房だけ食い荒らした。

無残にもブドウ棚の下に
散乱する青い房を眺める、

怒り心頭を通り越して
ただただ呆然自失のスージィー。

画像は、6月末のブドウの房。



数は少ないが、
例年になく立派なブドウの房に
期待を寄せては袋掛けを済ませ、
収穫の時を待ち侘びた。

カラスが
ブドウを狙っていると察知し、
先日、ネットもかけたばかり。


無事に収穫を迎えたら
「あの人と、あの人にも」。

年に一度のお裾分けの希望は、
見事に砕け散った・・


お裾分けを
反故(ほご)にしたのはカラス、
ありついたのもカラス。

画像は僅かに残った数袋の一つ、
その甘さの格別なこと。
故に、余計に悔やまれる。



お裾分けがカラスになって仕舞い、
悔しがるスージィーに
慰めにもならない言葉を一つ。

「人間同様、カラスにも
生きる権利があるから」


憎っくきカラスにも一言、

「気付かないだろうが、
あんた達が突いたのは
ブドウだけじゃ無ぇんだよ。

スージィーの心も突いたのは、
判っているだろうなぁ!」

すると、カラスも負けじと一言、

「俺たちゃうまいもんしか食べねぇし、
何時が旬か食べごろか、
ちゃんと、弁(わきま)えてるぜ。

心配するなって、
賞味期限切れの

老い先短い
ババァにゃ
手は出さねぇから。

カラス様にも人間同様、
情もありゃ、プライドもあり
選ぶ権利もあるってもんだよ


カラスの言い分を
知ってか知らずか、

「よーし、来年こそは!」

と奮起するスージィー。


希望を抱かない者に、絶望は味わえぬ。

誰かが言った、
「絶望なくして、希望の種は育たない」


今日の「My favorite songs」、
映画を観た時から今も尚、
心に響き続ける曲

絶望から希望の種を育てた男の物語
「エデンの東」

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