我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「ハイ、先生!」

2015年07月29日 | 日記

昨日の日記に、
吉田拓郎氏の「夏休み」を
アップさせて頂き、

その曲のビデオ・クリップに、
懐かしい女優さんが映し出されていた。

いくら、その画像が小さくても、
つとに美しい、もの、ことに、目ざとい私が
この人を見逃すことなど有ろう筈もない。

この、美しい人とは、
「二十四の瞳」の女子(おなご)先生役、
高峰秀子さんである。
(享年 86歳) 




実は私にとって高峰秀子さんは、
「懐かしい」と言った造作のない前置詞で表すには
あまりにも不遜な

日本映画が輩出した大勢の女優さんの中でも
我が生涯において、

最も、尊敬とともに親しみを抱き続ける
お三人さんの、お一人なのである。


お三人さん、と言うのなら、
もう、お二人さんいることになる。

さて、お一人が
高峰秀子さんなら、

もうお一人さんは、

吉永小百合さん。



そして、最後になった
もうお一人が、このお方

原節子さん。
(現在 95歳) 



この方たち、お三人さんが、
我が生涯で愛してやまない
日本映画の三大女優さんなのだが、

さて、この三人さんで、

誰が一番目に好きで、
誰が二番目だとか。

そんな、下賎の輩が考えそうな不敬を、
私が犯す訳がない。


日本映画界屈指の大女優、
お三人さんを愛させて頂く身の誉れに、

更に、世に堂々と「我が愛する」などと
公言して憚らぬこの光栄は、

「幸せの極み」と言って、
いささかも過言であろう筈もない。


愛する女優さんたちの存在とその演技は、

物語の持つ情緒を更に味わい深きものにし
作品の質をより高め
映画の魅力を更に前えと、押し出してくれ、

それで私は、何度も恋に落ちる。


こんな素敵な女優さんに出会えて

私は幸せである。


「日本映画、万歳」

なのである。




あとがき

本来なら、この時間は春日公園を 
這いつくばっているところ。

あまりにも暑いので、今日は走るのを止めて、
休むつもりだった日記で、

「日本映画が大好きなら、少しでも復興に
頑張りなさい!」

と、女子先生が、しりを蹴飛ばし
日記を書き始めた次第。


「ハイ、先生!
僕は美しい女子先生の言うことなら 、
何でも素直に言うことに従います」。
 

六十四の、何時まで経っても子供の私、
恥ずかしながら、

愛するものには、
こうも、従順なのである 。

 

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「早く、家へ帰ろうよっ」

2015年07月28日 | 日記

 週は金曜日の夕刻のこと、

ジョグ&ウォークを終えて、春日公園から
自宅に向けて歩いていると、

公園に近い光町交差点角にある
コンビニエンス・ストアーの駐車場に、

待ち合わせらしい、数組の
女子中高生達が、小生の目を惹いた。

目を惹いたのは、彼女たちの
浴衣(ゆかた)姿。


信号待ちの間に、浴衣の一人に

「今から何があるの?」

と尋ねると、その子は嬉しそうに、

もうすぐ、春日公園に隣接した、
航空自衛隊春日基地で

市民開放の「夏祭り」が始まり、
何でも、盆踊りもあるのだと言う。


「もう盆踊りの季節か。
そうか、みんな、盆踊りが好きなんだ」

そう思いながら 、
やっぱり、夏祭りには浴衣が似合うと
もう一度、後ろを振り返える。
 

「  夏祭り 日本の女は  浴衣の姿 」


ところで、我が家の周辺で、
毎年恒例の「盆踊り会場」と言えば、

この春日基地と、直線で約1km離れた  
陸上自衛隊福岡駐屯地。

それに、各地区の公民館。


春日公園でも、毎年恒例の
大掛かりな「花火大会」もあるが、

そこで「盆踊り」をやっているか否かは
定かでない。

定かでない理由は、

公園で、散歩はしょっちゅうでも、
夏の催しには、とんとご縁がないからである。

ご縁のない理由とは、

小生、浴衣の女の子たちのように
季節の風物詩を愉しむ
粋な心得は持ち合わせても、

季節は夏。

つまるところ、

それでなくても暑いのに、
袖や肌がすれ合う程にごった返す
あの人ごみが嫌いだからである。


それでも最近は、
弥生地区の皆さんが愉しむ、
「弥生公民館の盆踊り」には
顔を出すようになった。


日ごろは会釈だけ。
あるいは、口も利いたことがない人達と、

それぞれの組が用意した
つまみと缶ビール片手に
接することが出来るからである。



今週の日曜日の朝のこと、

暑くなる前に散歩にと、
バンクと公民館の横を
通りかかると、そこは盆踊りの支度。

正面には既に、ステージが設けてある。

どうやら今週の土曜日が
「弥生地区盆踊り大会」らしい。


ぼんやりと、誰もいないステージを
眺めていると ・ ・


ステージの下には缶ビール片手の
大人たちに混じって子供たちが手拍子、

そして、ステージの上では小生が
ギターを抱えて歌っている。



「そうだ、年に一回ぐらいは
馬鹿やってみるか! 」

と本気で考えはじめる。

「いや、あんたはしょっちゅう
馬鹿やってるよ」。

とは、どこかで誰かが言っていそうだが、

今年は無理でも、
来年は高齢者の仲間入り。

自分の記念の夏の思い出つくりと、
子供たちの夏休みの思い出つくりの

ささやかなお手伝いを、みんなで愉しむのも
悪くないなと考える。

「さて、何を歌いましょうか?」


その気になって歌う曲を
考え始めたところに、

バンクがリードを引っ張りはじめた。


「どうでもいいけど、父ちゃん、
馬鹿なこと考えてないで、早く帰ろうよ ・ ・」



「そうだ、そうだった
涼しい内に、早く帰えるんだった
ご免、ご免」。



「でも、待てよ
アンコールがきたらどうしよう?」



「んもおー、父ちゃん、

早く家に帰ろうったらっ!」



どうか土曜日は、
浴衣姿の子供たちが、雨に濡れませんように!

どうか来年も、小生が生きていますように、

どうかこのまま来年まで、

本気が
続いていますように! 


「夏休み」

吉田拓郎

 

 

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「土用の丑の日」

2015年07月24日 | 日記

さぁ、今日は食らうぞ、
土用のうなぎ!」 

さて、今日は「土用の丑の日」。

「土用の丑の日」と言えば、
「うなぎの蒲焼き」。

今日は朝から鰻屋さんも、魚屋さんも、
「うなぎの蒲焼き」で
大忙し。 

それで、小生にとって
「うなぎの蒲焼き」と言えば
「近江屋」。

生まれて初めて戴いた「うなぎの蒲焼き」は
リトルの「近江屋さん」。
 

それが幾つのことだったか、
全く記憶にないが、

店の前を通る度に、
川風に押されて厨房から店先に流れてくる
香ばしい、あの蒲焼きの匂いは、
今でも鮮烈に覚えている。


育ち盛りの子供でなくても、
匂いを嗅いだだけで
無性に食指が働くのは老若男女問わず、
誰しも同じ。


「美味しいうなぎが焼けてますよっ!」

は、通り客に匂いで報せる
お店の販売促進の常套手段。

だが、ただ嗅がされる身にとっては、
酷な話し。

無性に食指が働いても、
食べられずに、ただ匂いを嗅ぐのは
嗚呼、無情。 
 

そこで、演目の題は忘れたが、
子供の頃に聴いた、この落語を思い出す。

飯時になると、うなぎ屋から流れてくる
蒲焼きの匂いをおかずにして
飯を食べていたが、

それを知ったうなぎ屋が、

「匂いは客寄せ、
匂いで飯を食うのなら、金を支払え」

と言ってきた。


「判った、たしかに金は払う」

と言って財布からお金を取り出し
「チャリン」
と音を立てて投げ出した。

そこでオチは、

「うなぎは、匂いを嗅いだだけ、
だから、支払いの金も音だけ

これで、お相子」。



うなぎの匂いにまつわる、落語のお話し。


庶民にとって、
うなぎが高嶺(値)の花であることは
今の世でも変わらないし、

我が家にとっては
財布から取り出す金がないのも、
変わりようがないもの。


だから、冒頭の

「さぁ、今日は食らうぞ、
土用のうなぎ」

とは所詮、
見え透いた大見栄であることは、
誰が見たって、
言わずもがなの承知の助。

今日は、「土用の丑の日」。

我が家の夏の土用は、いつもの冷や汁。




さぁ、見栄など切らずに
キュウリを切って、
熱い夏を乗り切りましょう!



とは言いつつも、本音を言うと、
せめて蒲焼の匂いぐらいは腹一杯、
嗅がせてほしいものです。


「うなぎの蒲焼き」に、何の因果もない
ただ嗅ぎたいだけの、いや、
ただ聴きたいだけの 


ドゥビー・ブラザース

「リッスン・ツー・ザ・ミュージック」

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「遺言」

2015年07月23日 | 日記

今日、とてつもなく、
私の心に強く余韻を残した言葉。


「散っていく男子として、

女性であるあなたに少し言って征(い)き度(た)い。

あなたの幸せを希(ねが)う以外に、何物もない」。


現在、米ハワイの真珠湾に
係留されて記念館となっている戦艦ミズーリで、
旧日本軍による特攻隊の企画展が開かれている。

我が祖国を護るために海に散って逝った特攻隊員の
妻か恋人に宛てた

遺言。

 

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「ところでなんですが」

2015年07月21日 | 日記

昨秋、発症した風邪を
思いのほか長引かせて仕舞い、

再発を恐れ、止(や)めていた
平日夕刻日課のジョグ&ウォークを、
「春」とは名ばかりの四月に再開させて、
四半期余りが過ぎた。

「止めてはいけない!」

私にそう決意させたのは、

庭仕事の際に立ちくらみが
頻繁に起こるようになったからである。

原因はよく解らないが、
ジョグを心がけていた時には確かになかった。


最初は、ウォーク・オンリー、
歩くことから始めて
六月には、ジョグをプラス。

当初は、重い身体に
どう鞭打っても直ぐにへばっていたのに、

最近は、昨年の好調な頃には程遠いが、
満足の距離を走れるまでになり、

心臓、脚力共に、走る愉しみを
再び取り戻しはじめた。


私より、はるかに高齢と思しき方にも、
うら若き乙女にも、子供にまでも、

いとも容易く、次々と追い越される親父だが、
そんなことにはまったく、意を介さず、

走れる身体を取り戻し、目標までを走り終えた
心の中にあるものはただ一つ、

格別の感。



昨日の朝、曇り空を幸いに、
ある作業を開始した。

永雨が影響したのだろう、
敷き詰めた枕木が変色し、
少しばかり朽ち始めている。

枕木は、我が庭の要。

水はけを良くする為に
隙間の無いほどに敷き詰めた
枕木の、木と木の間に溝を作ることにした。


借りてきた電動ノコで
片方の端を切り落として
溝を作る作業に熱中している内に、
汗が一滴、ニ滴

気が付けば、とっくに「炎天下」。

枕木の切りクズまみれの顔からは
汗が止め処(ど)なく流れ落ちて
枕木にしみていく。

衣類は汗でびっしょりの炎天下での作業は、

「ついに枕木に倒れたロバは今、 
クラクションを鳴らして走る車の中・・」

一つ間違えれば,死にも至る
熱中症の危機。

幸いにも熱中症を発症せずに
事なきを得たが、

汗を拭き、水を補給しながら、

「なんで、こんなに頑張っているのだろう?」

と、ふと思う。

巷は、三連休、

多少なりともお金があれば、
世間の人並みに旅行も楽しめるものを、

まるで、何かに取り憑かれたように外にも出ず
ひたすら庭で汗を流す。


予(かね)てより、
賢い生き方を身につけておけば、
なにもこんな苦労もせずに済むものを・・

額に汗して頑張るのなら、
もっと世の中を幸せに出来る
違う頑張り方もあろうものを・・


もし、「富んだ者よりも貧しき者に
一つ賢いことがある」とすれば、

それはメンテナンスの心得。
つまり、モノを大事にすること。

愛するモノを失う、あるいは、壊してしまえば
貧しき者は、容易く買い替えられない。

故に大事に使い、時に補修し、永く使う。

貧しき者の、賢明な知恵。

例えば、枕木然り。例えば、嫁然り。

そして、パラソル然り。



傘の骨が一本折れてぶら下がっている。


テーブルに固定していたパラソルを
作業で解体していた時に
どうやら、傘の骨が折れたらしい。

取り付けた後ににそれが判ったが、
そこは貧しき者の本領発揮、
すぐに手直し完了。



さて、作業も終わり、風呂から上がった夕刻、
焼酎の冷えた水割りを
片手にチェアーに腰掛けて、
今日の作業で寿命の延びた枕木と
パラソルを眺め、

「今日は、よく頑張りましたね」

と自分で自分を褒める。


「知恵ある者は知恵を出せ、

知恵なき者は汗を出せ、

それも出来ない者は去れ」

は、松下幸之助先生のお言葉。


「先生、今日は枕木とパラソルと私の為に
ひたすら汗を出しました。

ところでなんですが、
もう少しばかりこの世にいても
宜しいでしょうか?」



「走れること」が、
たちまち「健康である」とは限らない。
しかし、「汗を流せる身体」は
「健康」と言ってよい。

「無能であっても、知恵が出なくても、
誰かの為に、何かの為に、
一生懸命に 汗を出して、頑張れれば
徒労に終わらず、葬り去られることもない」


汗を流すことが如何に大事かを悟る、
今日この頃である。
 

補足

松下先生の言う「去れ」とは、
「会社や組織」からのこと。

けして、「現世や世間」を
指したものではありませんが 、

同意語として表記。

今日は、雨でジョギングはできず。
その分、日記が走ってしまうことになり。

 

毎回、私のジョギングは、号砲代わりに
この曲でスタート。

「スタート・ミー・アップ 」

ご存知、今や平均年齢70歳の

「健康高齢者バンド」、

ザ・ローリング・ストーンズ

 

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「スージィー菜園」

2015年07月19日 | 日記

分け隔てなく、
我が家にも三連休がやってきた。

有難い三連休を、
さて、どこに行こうかと考える。


ちょっと、西に足を伸ばして、
窓を開ければ潮風の見える食堂で
イカの活造りでも食べに行こうか?

それとも、車を東に飛ばし
昼間は川沿いを走り、連なる山並みを眺め、

夜は鄙(ひな)びた温泉宿で
一泊でもしようか?

そう云えば、
天ケ瀬温泉に「山荘天水」(リンク)と言う
自然に囲まれた評判の宿もあったはず。


しかし、考えなくても我が家では
三連休に、

どこに行くか? 何をするのか?

考えなくても、すぐに決まって仕舞う。


行って見たい所は沢山あっても、
食べたいものは潤沢にあっても、

如何(いかん)せん、我が家には金がない。


金が無いからと云って、
何もめげることはない、

家に居てもやることは山ほどある。

先週、畑を作ることを思いついたはず。


作業前。



「スージィー菜園」予定地。



完成

上出来!




それで作業を開始したら、
快晴で塗料の乾きが早く
思いがけず一日で片付いてしまった。


それで、休みはあと二日もある。

さて、どこに行こうかと考える。

いくら考えても、如何せん、金が無い。

金が無いからと云ってめげることはない、
家に廃材は山ほどあるはず。

それで今日は、大工仕事を愉しんだが、

それでも休みは、もう一日ある。


さて、どこに行こうかと考える。




ただ今、午後四時。
さっき、激しい雨も上がったばかり。

とりあえず今から、
バンクの散歩に行くことにした。


カーペンターズ

「雨の日と月曜日は」


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「植物繊維、天然素材」

2015年07月13日 | 日記

一つの屋根に暮らす者にとって、
モノを味わう趣(おもむき)、いわゆる趣味や、

食べ物の嗜好が共通することは
幸せなことである。

家の中で
異なる趣味や嗜好が混在することは
別に悪いことではないが、

できれば共通している方が、
暮らしをシンプルにしてくれる。


我が家はその面、
「きわめてシンプル」と言ってよい。

どちらかが主導になることもあるが、
流れる音楽も、香漂う料理も、
共に趣味・嗜好が同じであることは、

そこには一切、違和感から受ける
苦は存在しない。

それほど嫌いなものでも無ければ、
接する内に次第に感化され、
その内、好きになるケースは、

「世に先例は、数多(あまた)ある」

共通する趣味の一つ、
例えば我が家では、「庭仕事」。

少しばかり、洒落て言うなら、、
「ガーデニング」

限られた狭小の敷地に
庭を造り、畑を作る。



所狭しと、草木を植え、
花を咲かせ、野菜を育て、

暮らしは貧しく、土地は狭くても
庭を、畑を、自然を愉しむ。




庭の主要な形成の一つ、草木は、
頻繁に植え替えることは無いが、

花や野菜や果物は、季節物。

その季節が訪れる前に、
種苗を買い、土を買い、
肥料を買い、時に鉢を買う。

葡萄、メロン、トマト、スイカ、トウキビ、等々
夏野菜菜や、夏の果物が
今、蔓を伸ばし、花を咲かせ、実を付けはじめた。



「もっと、土地があれば、子供たちに
美味しい野菜を届けられるのに」

スージィーは嘆く ・ ・ ・

子や孫や、あるいは親しき人たちに
届ける夏の贈り物はすべて、

「植物繊維、天然素材」。


何もすることが無い土曜日、
トネリコの木の下に、三年前に作った、
「いちご畑」の柵が朽ちていたのが
気になっていたので
小一時間ほどかけて修理した。

修理した後で気付いた

「ここは畑になる!」

翌日、リトルから帰ってきたスージィーに
「畑予定地」を見せたら、

「日当たりも良いし、
ここなら何か植えられる」

と喜んだ。

かくして、次の休日の
仕事が見つかった。


以前、スージィーのこぼした一言を
思い出した。

「よそのお家よりも、家が断然に高いのは、
エンゲル係数と、エンゲイ係数」。

それを聞いた瞬間、私は

「座布団一枚!
いや、もう一枚!」

「エンゲル係数」に引っ掛けて
「エンゲイ(園芸)係数」とは
うまく言ったもんだと感心した。

これを、「言い得て、妙(みょう)」と言うが、

この妙、
はたして、どこの誰から
感化されたのでしょうか?

画像は、「メロンの花」

いつかは、あの子に届く贈り物の

今は「花 」

「花」
すべての人の心に花を

唄:夏川りみ 
ギター:吉川忠英

 

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「明日は、お休み」

2015年07月10日 | 日記

月曜から今日まで、

天に陽は昇り、静かに落ちて、
海に潮満ち、そして引き、
雨に濡れた鋪道が、午後には乾き
そして濡れ、そして乾きを
幾日も繰り返し、

明日、 
待ち焦がれた休日が
やってまいります。


「赤貧を洗うが如し」の
我が暮らしにとって、

休日は、かけがえのない
心の拠りどころ。
 

我が家にとって休日とは、

世の因果や束縛から
一切解放されて、だれ憚(はばか)ることなく
思いのままに過すことができる
特別な日です。

これは、「至上の喜び」。
 

「自由」と言う言葉があります。

この「至上の喜び」、
これこそが、
「自由」であると信じます。

 
明日、この自由の日がやってまいります。

でも、いつもなら自由の権利を、
存分に執行できるのに、

残念ながら、明日やってくる
新しい休日には、それができません。
 

先週、露天風呂作りと、
葡萄の袋かけを致しました。

あまりにも頑張りすぎて、
今週は
何もすることがないのです。

少しばかり言い換えれば、
頑張ったのでなく、

欲張ったのです。


「自由」と「至上の喜び」を
少しばかり、欲張り過ぎたのです 


欲張り過ぎたた結果、
明日は、
何もすることがない
のです。
 

折角、戴いた自由の二日間を
どうやって過せば良いものやら?

いくら考えあぐねても、方策が見つかりません。


スージィーは明日、リトルに帰ります

居ない二日分の
大枚、5千円を受け取りました。
 

私にとっては、
頂いた自由もお金も、尊きもの。


ここでお願いがございます。

どなたか土日の休日に、
尊き自由の過す方策と、

尊きお金、大枚5千円の賢明な使い方を
お教え戴けませんでしょうか。


例えば、酒と旨い肴を買ってきて、
姫の居ぬ間にバンクを相手に

男同士、自由を、人生を語り合い
日がな一日を、酔って過す方策もありますが、

果たしてこれは、得策でしょうか? 



とっくに、この世の春の
自由を謳歌しているにも拘らず、

今夜の曲は、モンキーズ

「自由になりたい」 

 

 

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「続:これでいいのだ!」

2015年07月08日 | 日記

今日、何気に覗いたWeb、
目を惹くコラムに遭遇した。

コラムのタイトルは、

「ジョン・レノンとスティーブ・ジョブスは共通点だらけ」

著者、井口尚樹氏の
「レノンとジョブズ 変革を呼ぶフール」
についてのコラムである。


私が直ぐに思いつく、お二人の共通点とは、

ジョンのいたビートルズが設立した
レコード・レーベル「アップル」と、

スティーブ・ジョブズが設立した
コンピューターの「アップル」の

「アップル」ぐらいなもの。


書籍では、45個にも渡る2人の共通点を
書いているらしいが、その他にも、

例えば、二人が共に日本通であるとか、

「実父母に放棄された子であり、
直感と変貌の人であり、
既成のスタイルを破るクリエイター。

それゆえ、ふたりは失敗もおかす。
時おり滑稽でもある」(同書より)

私が興味を抱いた共通点は

「ふたりは失敗もおかす。
時おり滑稽でもある」のところ。

「時おり滑稽でもある」、とは、
つまりフール(fool)
お馬鹿さんのことであるが、

コラムの中で、例えばジョンにおいては63年、
ロンドンのBBCスタジオで
ビートルズのメンバー自己紹介の時、

「ぼくはリンゴ。ぼくはドラムを奏る」

「ぼくはポール。ぼくはベースを奏る」

「ぼくはジョージ。ぼくはギターを奏る」

「ぼくはジョン。ぼくもギターを奏る。
ときどき馬鹿もやる」

と言ったことや 


 一方、スティーブは05年、
スタンフォード大学の卒業式での

「ハングリーであれ、
愚直であれ」

この有名なスピーチの
締めの言葉を紹介している。
 

 著者の井口さんはこのように、
二人は共に「フール」に目を向けていたのだと、

コラムには書いている。
 

「愚者の目はごまかせない。
愚者には変革の力がある。
レノンもジョブズもそれをわかっている。
価値を逆転させる存在が、フールである」
(同書より)
 

私はお二人の
はるか足元にも及ばないが、

自他共に認める正真正銘の
お馬鹿さんであることに違いない。
 

お二人の愚直さだけを真似る訳ではないが
生き方は、愚直に限る。

お馬鹿さんは、
お馬鹿さんのまま、愚直に生きるに尽きる。
 

コラムを読んで思った、

やっぱり、

「これでいいのだ!」

と。



で、今夜の曲

ビートルズで「フール」と言えば、

「フール・オン・ザ・ヒル」

だけど今夜、この曲を引っ張り出すのは、
あまりにも安直。

今夜は、安直でなく、あくまでも
愚直に徹することにした。

ビートルズでなく、

セルジオ・メンデス&ブラジル66 。

 

 

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「雨雲の上の星に」

2015年07月07日 | 日記

「昨日は、ほんと疲れたねっ」

とは、筋肉の痛みに縛られた重い体を
布団の中から、やっと抜け出して、
開口一番、口にする言葉、

月曜の朝の、
いつもの二人の常套句。

その次に、きまって出てくるのは
どちらからともなく、

「今日から仕事か、きついなぁ ・ ・」。


土曜と日曜の二日間、
身体の随処に負荷を掛け、

翌日に筋肉痛を発症させるほど
年甲斐もなく後先考えずに夢中でやるから、
迎える仕事がしんどいと言うのに、

数日を経て、痛みも和らげば、
身体のきつさはすっかり忘れ、

心には、まもなく訪れる休日の
一文にもならない愉しみをまた、
懲りずに想い描きはじめる。

そして、休日がきて
そして、月曜日の朝がきて、
そして、いつもの、
あの常套句。


日曜の午後、
露天風呂がひとまず出来上がった後は、
北里葡萄園のブドウの袋かけ。

脚立を上ったり下りたりを、繰り返す。

 
今年は豊作。 

袋かけの数、手前から奥まで、60房以上。


身体を休めるべき休日に、
ある時は酷なほどに身体を使い、

平日は仕事をしながら
身体を休めるが如し。

でも、それが分かっていても
描いた想いを形にするために
身体を動かすのは

無性に愉しいのです。


幸せなことです、
たとえ一文にならないことであろうと、
夢中になれることを絶やさずに
想い描けることは。

幸せなことです、
想い描いたものを、有形、無形に関わらず、
形に成す身体があることは。

幸せなことです、
想い描いたものが形を成した時、
自分以外の人の眼や心が、
それに共鳴してくれることは。


残念なことが一つ ・ ・ ・

愉しみを造り、夢を叶える
想像や着想は、
汲めども尽きせぬ無尽蔵でも、

身体はいつか、尽き果てること。


今日は七夕。

どうか、私の中の
想像する力と、身体を動かす力が、
共に仲良く連れ添い生きて、
絶えることなどありませぬように!

いつまでも我が家の
愉しみをつくり,夢を叶えて
いただけますように!

と、今夜は雨雲の上の
星に願いを込めて。
 

星に願いを
「When You Wish Upon a Star」

ビリー・ジョエル 

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「名前のない風呂」

2015年07月05日 | 日記

何時のことだったか、
いつものマナとの電話で、

「露天風呂を作る」

と酔いに乗じて言って仕舞い、

温泉の大好きなマナはその一言で、
お盆に春日村に帰る楽しみの
コンテンツの一つに、

「露天風呂に入る」

をすっかり加えてしまった。


酔っ払い親父のいつもの
戯(たわ)言の無責任な一言でも、
それが嬉しいことや楽しいことなら、
子供は真に受ける。

それを親父が不履行でもした日にゃ、
悪気はなくても可愛いマナの膨らんだ心を
傷つけたことになる


それで昨日と今日、露天風呂作りに
取り掛かることにした。

以下が完成までの画像。

「露天風呂」設置場所、喜多里亭。

亭には天井を張ったので完全な露天ではないが、
色々と考えたが、ここしかない。 

先ずは、風呂桶(?)を置く。

お風呂までのステップ(階段)作成。
この高さでは、
子供は跨(また)いでは入れない。

跨いで、もし股を割れでもしたら、
責任取らされるのはこっち。

で、これに一番、頭と時間を費やした。

次は、お風呂の周りに板を張る。

初日が雨で塗装が遅れ、
今日の午後、とりあえずこれで、まずは完成。 

露天風呂では、やっぱり「酒」。

風呂に入った気分で、ボトルをセット。 

「上出来!」

は、いつもの自画自賛。

 

マナが帰ってくるお盆までに、
ステップからお風呂に入る
桶底の上部に
座台を兼ねた、
上がり下りの
踏み台を作る予定。


ちなみに、費用は
風呂桶(?)と平板2枚で8,000円足らず。
塗料、釘、残り物の廃材、人件費別。
(費用の高い順に、記入)

貧乏人には大金だが、
何時、何処で、何を食べたのやら
すぐに忘れてしまう、一回の外食のお金よりも、
一生記憶に残る、露天風呂の完成。

お盆まで、一旦、
撤去するのが惜しい露天風呂。

「混浴仕立て」で作った風呂。

とりあえず、暗くなったら一緒に入ってみるか。

しばらくして陽も落ち、暗くなった頃、
周りの気配を見渡して、

それでは、そろそろ一緒に
 。


「すーちゃん、やっと暗くなったぞ

待たせて、ご免

じゃ、そろそろ

バンクを連れて来て!」 

バンクと一緒に入るこの露天風呂、
未だ、名前はありません。

アメリカ
「名前のない馬 」

 

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「家が、走る」

2015年07月03日 | 日記

昨日は、運転免許証更新の日。


前回から途中、一度の違反もなく、
3年ぶりに福岡県警花畑試験場で
9時から11時までの、講習を済ませた。

このまま、順当に行けば
ついに次回の更新は、高齢者の仲間入り。

いよいよ、おいらも高齢者。

警察の年間統計によると、
人身事故と死亡者の半数は、
なんでも高齢者とのこと。

年齢だけなら、
おいらも他人事でなくなるが、


チラシを抱えて出かける大安売りにも、
「残りものに 福あり」、

「我先に!」と、逸(はや)る気持ちで車を飛ばし
慌てて出て行く必要もなく。

隣のシートには、昔の面影は無くても、
かつての可愛いお姐ぇちゃんもいれば、

運転中に、車窓の外を歩くお姐ぇちゃんに
目を奪われることはなく、

車如きで早死には禁物。

「のんびり生きるに限る」
を知らされる、昨日の講習でした。


講習後、仕事も半休のついでに全休にして、
少し早めに春日公園に出掛けることにした。


しばし、ナーセリーで
植物や花を眺めて時間を潰した後で、
いつもと違う、駐車場側から公園に入った時に、

日頃はとんと、車など関心が無いのに
目を惹く車が一台、おいらのすぐ横に停車した。

白塗りのベンツの四駆車である。

「いい車だ!
どんな人が乗っているんだろう?」と
降車する人を待っていると、

想像に反して、降りてきたのは、
年齢は、とうに75歳は越していそうな、
共に白髪の、どことなく品の良い
おじいちゃんと、おばぁちゃん。

最初に降りた奥さんに、軽く会釈して
「良い車ですね」と一言。

どう見ても雑種(失礼)と思しき
老犬を抱えて降りてきた旦那さんに、
「お父さん、車を褒めてもらいましたよっ!」

それから暫らく、お二人と車を横に立ち話。

旦那さん、
「現役時代にどうしても欲しかった車を、
やっと、買うことが出来ました」

続けて、
「私は、黒が欲しかったけど、
家内が『白にしょう』 と言うので、
これにしましたが、正解でした」

更に続けて
「昔は自然に興味がありましたので、
家内とよくこの車で遠出しましたが、

最近は齢ですから、近くしか出掛けませんけど」 


「下世話ですが、
何程(いかほど)するものでしょうか?」
の、おいらの問いに

「結構しました、1700万しました」。


おーい、家が一軒、走ってるぞーっ!


10年間乗り続け、7年前に惜別した、
かつての我が愛車、ハイラックス・サーフの
なんと、5台分。

車は、「メルセデス・ベンツ G63 AMG」
(画像を元に、ネットで確認はしたが
車種は定かではないが、価格は間違いない) 

おーい、走る家が一軒、線からはみ出し停まっているぞーっ!

いやいや、確かに高額だが、
それでも、欲しいものを手にした
二人のお顔は実に幸せそうでした。


車の写真を撮るお許しを頂いて、
お二人と別れ、いつものように
公園を歩き始めたが、

公園を離れる時に、
何故か身体も心も、何時になく上気したのは、
ジョグとウォーキングのせいでなく

夢を実現させることの素晴しさを
目(ま)の当たりにしたからだろう。


かつての愛車は四駆でも、
今の生活 四苦八苦。

しかし、いつか夢が叶うと信じて
歩きましょう。


人生も、のんびり

車も、のんびりと。

「のんびり生きるに限る」
を知る一日でした。

さっき、電話を貰ったマナに
就寝時間の8時までの約束が来ない内に
今から、
電話します!

愛するマナ
パパ&ママへ、

「いつか夢が叶う」

と信じて、
歩きましょう!
 

この写真は,あるミュージシャンが、
アルバムのジャケット用の写真撮影の
前か後のハリウッドのスタジオの 写真です。

話しの相をお付き合いしてくれた
あのご夫婦に、ジャケットで思いだした

 ライ・クーダーのセカンドにして名盤、

「In to the Perple Verlly」
(邦題 ;紫の渓谷)

 のトップを飾るこの曲を。

「How Can You Keep Movig」 

 

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