我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「自分に言い聞かす」

2014年11月27日 | 日記

「なんだか、休みが多すぎる」

と思いつつ、
今月の
カレンダーを眺め
指折り数えれば、


11月は、
「西 向く 侍(にし むく さむらい)」
の最後の月、日数は30。

その30日に、
土・日・祭日、合せて12日の休日。

月の40%が休日。

この、持て余すほどの休日を
秋の行楽に使うお金など、とんと無く、

振り返れば、今月は
家の片付けに終始していた。

行楽の車でごった返す、
高速道の渋滞ニュースを尻目に
せっせ、せっせと、お片付け。

「お金さえあれば、
あの渋滞に加われたのに ・ ・ 」

などと嘆く前に、

休日が多いことを
「幸せ」と思わなければ
「罰(ばち)が当たる」と言うもの。

そのお陰で、
22・23・23の三日間で、
お家は随分と片付いたではないか。 
 

「お金がない」とか、「羨ましい」とか、

誰かや、何かと比較して、
自分の幸福度を計るのは
良くないことである。


誰かさんが言った

「私は自分が世界で一番
幸せだと思って生きている」。

週末、
“侍の月”の最後の連休を
故郷に帰る。

私には、帰る故郷があり、
温かく迎えてくれる人がいる。

「私は自分が世界で一番
幸せだと思って生きている」

「と思わなきゃ、
本当に罰が当ってしまいますよっ!」

と、自分に言い聞かす。

「世界で一番の幸せ」を 
嚙み締めるように、しみじみと

今夜の曲は、
Autumn Leaves」
ご存知、「枯葉」

キャノンボール・アダレィ (アルト・サックス )
のアルバム
「Somethin' Else」(1958)
に参加した 
マイルス・ディビス (トランペット)。

 

 

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「花を咲かす」

2014年11月25日 | 日記

ご存知のように、
小生の日記には何時の頃からか、

「訃報」とか、「人生は一度っきり」とか、
「死」に関わる書き込みが随分と
増えてきたように思えます。

六十数年を生きて今、親の世代や、
同世代を生きた諸先輩ばかりでなく、
同輩や年下の方たちの訃報が
耳目に飛び込む昨今です。

そんな時節に小生は、
いつしか訪れる己の死を前に、

悲観や諦観を抱くどころか、
今、生きていることの「有り難さを」
ひたすら痛感しております。

前の日記に書き記したように、
「万人に訪れる死は公平」。

不条理な世間に、
「死は公平」。

こんな道理の敵った
素晴らしいことはありません。

そして、世界のどこを探しても
「不老長寿の薬」はありません。

「公平な死」が、
早く訪れるか、遅いかは、
その人の宿命です。

すべて、受け入れるしかありません。


土曜日にスージィーは、
亡くなった隣の野口さんの
葬儀に訪れた斎場と昨日、

二人の葬儀の契約を交わしました。

私は、「葬式不要 戒名無用」
を掲げておりますが、

戒名だけは勝手に素晴らしいものを
自作しました。

常々、スージィーには
「葬式不要」
と言っておりますのに、

「みっちゃんは良いけど、周りが困る」と
、勝手に契約を済ませてしまいました。

小生、予定では来年あたり、
葬儀の代わりに「生前葬」を執り行い、
集めた香典で、
「ドンちゃん騒ぎ」のつもりでした。

と言うのも、死んでしまえば、
誰が葬儀に来て頂いたやら、
さっぱり判りません ・ ・ ・

それに葬儀は辛気臭くて、
小生の「ライフスタイル」
に合いません。

小生、死んでも「我流」を貫きたい。

もし、斎場で葬儀なら、
好きなオルディーズを
お通夜から出棺まで、
エンドレスで流して欲しいのです。

が、そんなものを許可する
斎場はどこにもなく、
思いをかなえるのは当然、
我が家しかありません。

それに、立派な斎場で葬儀でも、
親族以外は、小僧も来ない葬儀に
なるやもしれません。

もし、「死が悔しい」としたら、
正(まさ)しく、これ。

ところが、
「来る」と信じる葬儀に、親族までもが
欠席となると ・ ・ ・


やっぱり、生きているうちに
集めた香典で、「ドンちゃん騒ぎ」。


実(まこと)
しやかとも、
ジョークともとれるお話しはさておき、

「死んで花実が咲くものか」
と言うのがありますが、

死んで咲くのは、「祭壇の花」ぐらいなもの。

「生きている内が花」の言葉もある。

例えば葬儀が秋ならば、
そこに一輪の野菊と線香一本。
そしてオルディーズは、「秋特集」
 

小僧へ、

お互いに、ただただ、
「生かされている」ことに感謝し、
「生きている」ことを享受し、

ひたすらに
「天からの使者」を追っ払う程の
気概を持って、

今からでも遅くない、
「生きている内が花」は、
「酔っ払いの武勇伝」。

「金」も「名誉」も残せずとも、
残すものは、己にしか作れない、
オンリー・ワンの
「酔っ払いの武勇伝」。

誰も望まぬが、
それが、小生の唯一の遺産。
 

最後にお願い。

あなたが、
七つの海、五つの大陸を又にかけ、
兄貴」と慕う、今は亡き恩師から、
教えを請うた

・酒の飲み方
・喧嘩の仕方
・遊び方

愛の教えで作った、
あまたの「武勇伝」の、
ほんの一つでも

是非、
ご伝授願いたい。
 

小生には、時間はたっぷりあるが、

あなたにはない。


いつの日か、私も同じように
あなたを

恩師」 

と偲びたい。


 

今夜の曲は、日曜の達郎の番組で
流れた懐かしい曲。

キャロル・キング

「Some kind of Wonderful 」
言葉にならない素敵なもの 

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「・・なきゃ意味がない」

2014年11月22日 | 日記

 それはまるで落葉のごとく、

連日のように届く
一葉の葉書には、

「喪中につき年末年始の ・ ・ ・」

の文字。

友人、知人の近親者の「死」を知り、

そして、今日の午後には
亡くなったお隣の野口さん、ご主人の
本葬に出かける。



季節は、「春夏秋冬」。

秋には
枯れ葉を落としても、

冬には
次に訪れる季節に備え
静かな眠りに就き、

目覚めた春に、また
新しい葉をつけ、

夏が来て
そして、一巡りの秋が来る。


季節は巡っても、

人生は巡らない。

樹木が「新しい春」に
葉を茂らせ始めても、

その「新しい春」に
葉を落とす人もいる。

健さんも逝けば、
野口さんも逝き、
次に・ ・ ・

世の中の何が
「素晴らしいか」と言うと、

「死は万人に等しく訪れる」。

と言うこと。

これほど、「公平」なことはない。


いろいろと、考えあぐねても
仕方ない。

「人生は一度っきり」

故に、一度っきりの人生、
「スウィングしなきゃ意味がない」。

 It Don't Mean A Thing 
If It Ain't Got That Swing

とりあえず、
三連休をどうスウィングするか。


今朝9時、撮影画像

歌と踊りは
バーン・ザ・フロアー

曲は
「Boogie Woogie Bugle Boy 」

 「 Sing Sing Sing "」

Burn the Floor
" Boogie Woogie Bugle Boy" 
" Sing Sing Sing "

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「続:あなたの面影」

2014年11月20日 | 日記

健さんが亡くなり、
マスコミは挙(こぞ)って、

健さんの
「映画人、高倉健」としての功績や、
「人間、高倉健」の人となりの
素晴らしさを紹介する
放送や記事を連日、伝えている。

今日、そんな中
毎日新聞の‘Webニュースに、
倉本總氏と加藤登紀子さんの
「追悼対談」を見つけ、
感慨を持って読ませて頂いた。


一昨日、小生は
健さんの訃報に触れ、
小生なりの感謝の想いを込めて
「あなたの面影」を書いた。

その文中、
「私生活を表にしない健さん」
と書いたが、

この「追悼対談」で、
「表にしない」、その意味を
倉本さんが明かしてくれた。

以下が、その談話の一部。


今は誰だって自分から
打ち明けちゃう人もいるけど、
スターというのは神秘なもので、

「こいつが離婚した」とかなんとか、
役者としてやること、
一つの役をつくるのと
無関係。

そういうものに
役者として左右されたくない。

だから、プライベートなことは、
世に出したくなかった。

以上、原文ママ。


判りきってはいることだが、
あらためて「成程!」と頷いた。

役者とは、
「私生活の残像を、スクリーンに
映してはならぬ」。

これは小生が、
健さんの言葉を勝手に解釈し
創作したものだが、

これが健さんの、ゆるぎない
「役者魂」である。

余談だが、
前述の「あなたの面影」で
“盛りのついた役”を演じた
今や“大スター”の
歌手(以後、お方)の話し。

もう30年ぐらい前のこと、
福岡のとあるゴルフ場でプレイの途中、
茶屋で軽食をとっていると、
周りが急に騒がしくなった。

茶屋にいた数組の人達ばかりが、
茶屋のおネェさんまでもが、
このお方の予期せぬ登場に気付き、

一斉に握手とサインを求めだし、
中には、「一緒に写真を!」。

偶然にもこのお方は
小生の二組後ろを回っていた。

そして、
俄(にわか)に巻き起こった
喧騒の中心にいた、
故郷に錦を飾ったこのお方が
その時、

握手とサインと写真を求める人たちに

とった、あの態度 ・ ・ ・

これ以上は、このお方の名誉上、
書かないことにするが、

あれ以来、
このお方がTVに登場するたびに
小生は、「あの態度 ・ ・ ・」が
重り映って
なって ・ ・ ・


故に、TVは
あの“大スターが登場するたび” に
「 OFF 」

「見なきゃ、良かった」
の、その後は、

「見なきゃ、良い」
なのである。


余談はともかく、そろそろ
「クローズアップ現代」に
健さんの登場の時間。

かつて見た、あの“大スター”の
あの嫌味な思い出を

今から健さんが払拭してくれる。

最後はやっぱり、

「あなたの面影」です。

 

歌は、ダイアナ・クラール

曲は、「The Look of Love」

邦題「恋の面影 」

勿論、健さんに捧げます。

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「あなたの面影」

2014年11月18日 | 日記

健さんが、亡くなった。
享年、83歳だった。

突然の健さんの訃報を知った時、

哀しさよりも、感謝の想いが、
小生の心を包んだ。

ここ最近は、
TVコマーシャルで映された健さんに、
メイクでは隠せぬ「忍び寄る老い」を
感じ受けていた。


福岡県中間市生まれで、
同じ、「九州人」でもあってか、
「当世の大スター」にもかかわらず
親しみを覚える役者さんだった。


長い間、
スクリーンの中の健さんを
羨望の想いで眼(まなこ)に
焼き付けたものの、

私生活を表に出さなかった
“素の健さん”を知ることは
出来なかったが、

芝居そのまんまの、
「寡黙で優しく、実直で男気ながらも、
繊細なお方だったろう」と
推測をする。

その推測はおおむね、
「的確ではなかろうか」と
小生は信じている。


先日、BSで「動乱」を観た。

これが「2.26事件」を
あらためて学ぶ契機となり、
その最中の訃報だった。


演技はいつも武骨で無骨、
不器用ささえも感じさせたが、

観る者の目には、それがかえって
派手さのない生真面目で純朴な
男像に映り、

どことなく、
背中に哀愁(罪)を背負った
一途な役どころが多かった。

女ならずとも、「男が男に惚れる」

それが、健さんの魅力だった。


小生が好んで観た
「幸福の黄色いハンカチ」では、
コミカルな健さんも拝見させて頂いた。

桃井かおりに執拗に迫る
“盛りのついた”武田鉄矢を
一喝するシーン。

「いい加減にせんか! お前みたいな男を
『草野球みたいな奴』と言うったい」

「『ミットもない』 と言う意味たい」

台詞は記憶で定かではないが、
子供でも知っていそうな、
使い古された「シャレ」を、

自信なさそうで照れくさそうに喋る
健さんの、あの演技は今でも
しっかりと憶えている。

健さん、お疲れさんでした。

近い内に
「特別番組」でお会いするのは

とても残念でなりませんが、

あなたの面影は、
今も、そして今からも、
眼と心に焼き付いております。

どうか、ゆっくりとお休み下さい。

あなたを失った私の哀しみは、
もう暫らくしたら、

怒涛の如く押し寄せるのでは

と ・ ・ ・ ・ ・


高倉健さんのご冥福を
心からお祈りします。
 

映画『幸福の黄色いハンカチ』予告編

「幸せの黄色いリボン」

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「だから、なんなの」

2014年11月17日 | 日記

昨日見つけた
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが
企画した「ジャズの100枚」。



世界初のジャズの録音は、
1917年の
「オリジナル・デキシーランド・バンド」
によるもので、
それから、約100年が経過した。

そこで、
「ジャズの「100年」の歴史を記念して、
代表アルバム「100枚」を
発売するのが、「ジャズの100枚」。

限定価格、一枚1000円。

既に、先月8日には、我が愛聴盤
ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」
を含む2枚が、第一弾として発売されている。

順次、発売される「100枚」のリストの中には
既に、購入済みのアルバムも多数あるが、

その中にお気に入りの
あのアルバムがない ・ ・ ・

思い立ったら無性に聴きたくなって、
You Tube で探していたら、

凄いのに遭遇した。

それは、
「So What 」

なんと、
マイルス・ディビス(トランペット)と
ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)
競演の
スタジオ・ライブに出くわした。

スタジオには、ピアノは弾いていないが
ビル・エバンスらしき(?)姿も垣間見れる。


関心のない方には、
どうでも良い話でも、

小生にとっては、
「宝物」を掘り当てた気分。

私にとって、「You Tube 」は 、
宝物を 探す地図、

「宝の地図」を頼りに 、
さほど労せずして掘り出したのが、

「So What 」 

この曲の収録され
1956年に発売された
「Kind of Blue」
「カインド・オブ・ブルー」


小生がYou Tube で見つけた二人が、
このアルバムが発売された頃だとすると、

同じ齢の二人は、30歳。

才能ある若き二人のプレイに小生は、
何度も耳を傾け、目を注いだ。

ところで
「So What」とは、

「だから,なんなの」
の意味。

人様にとっては 、
「だから、なんなの」
でも、

私にとっては、
「宝物 」

もっとも、
「宝物」とは言わないまでも
小生が大事に続ける
「我が家の青空」でさえ、

人様にすれば、
 

「それがなんなの」

には、違いないのだが ・ ・ ・

「宝物」か否かは、
自分は判断するだけのこと。 
 

今では我が家の
スージィーでも判る

これが、その凄い奴 。

「So What 」 

 

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「愛染橋」

2014年11月16日 | 日記

今朝、
ヴァリィーからメールで、

旧宮原線の鉄橋を走る
「キハ07 41号」と二人の子供さんの写真、

それに
小僧が届けてくれた「廃線記念」の
ポストカード、2枚の写真の
「撮影現場探し」の
私からの依頼に応えて、

2枚の写真と、
私からのストリート・ビューを元に
記憶・時代考証・航空写真から 

彼なりの、信憑性の高い
撮影ポイントを届けて頂いた。

 

この画像については、

「柏田 住宅付近の土手」

ただし現在、
この撮影場所と同位置があるか
不明?

そして、この写真の撮影ポイントは?



ヴァリィーが届けてくれた
1985年5月撮影の航空写真に

彼の説明資料に、私が補足で
場所名表記を添付したもの。

 
航空写真上部に「撮影場所」とあり、
その左下赤丸が 撮影ポイント。

小生はおそらく、
R212の橋よりも下流からの撮影だと
思っていた。

そうなると、R387の橋を撮る時に
R212の橋が重なってしまう。

橋よりも上になれば、
どうやら撮影可能となる 。

ヴァリィーはこの写真、
「遠くから望遠レンズで撮ったもの」
と察しているが、

私も同感で、たとえば
「物産館ぴらみっど」辺りの小高い
位置からではないかと思う。

 

今回、「撮影現場探し」で、
思わぬ収穫があった。


一番上の写真の中央のアーチに
橋が架かっているのをヴァリーが
見つけた。

「よくもまぁ、見つけたもんだ」
と感心していたら 、

「国勢橋」の下流の
橋の名前が 「判らない」と言う。

それで、テレサに尋ねたが、

「私も判らない 」

しばらくして、返信。

橋の名前は、
「愛染橋」
(あいぜんばし)

こんな、素敵な名前の橋があったとは!
 

ヴァリィーに、
これほどまでに、ご足労を掛ければ、

「何が何でも、2枚の写真の
再現を!」
 

リトルにいる同級生に聞けば、
いとも容易く判るものを
故郷を離れたもの同士が
撮影現場探しとは  ・ ・


ヴァリィーへ
届けていただいた 
説明文。写真を、すべて紹介できず
ご免!

小生、
 「何が何でも、2枚の写真の
再現を!」の心境です。 

今日の日記のタイトルを
「続 :ヴァリィーへ」に
しょうと思いましたが、

「愛染橋」にしました ・ ・ ・

重ねて、ご免!
 

それにしても「愛染橋」。

こんな素敵な名前の橋が
あったとは!

ヴァリィーの資料といい
今日は、「大収穫」の一日でした。

ヴァリィー が、「A」と入れてくれた、

愛染橋」

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「ヴァリィーへ」

2014年11月15日 | 日記

ヴァリィーへ

この画像はご存知、
「旧国鉄宮原線 肥後小国駅」の跡地。

現在の、
「道の駅 ゆうステーション」です。



そして、ここから「豊後森駅」までの
26.6Km を、「宮原線」が走ります。

右が「ゆうステーション」



このすぐ 向こうに、「キハ07 41号」 が走る
この鉄橋があります。


 

ところで、この写真の撮影現場ですが、

下の画像は、鉄橋が現在のR387仁架かった
橋の上から、上流を撮った画像です。



下の画像は、下流を撮ったものです。
右、建物が、「柏田住宅」になります。


この画像は、R387を走る橋の下流、
R212に架かる橋から、上流を撮ったものです。

「旧国鉄宮原線」現役当時には勿論
この橋は在りませんが 、

どうやら、R387の橋と、R212の橋の中間地点 に
この撮影現場が あるものと思われます。


しかし、下の写真の撮影になると
当時は存在しなかったR212の橋
が架かっているために
再現できません?。

この撮影現場が
R387の橋と、R212の橋の中間地点なら
それも可能ですが ・ ・ ・

 

それはそれとして、この写真を参考に、
無事、撮影現場に辿りつかました折には


「パシャ」 

と、いきたいものです 。
 

現在の小国町の画像は、「Googleマップ」
「ストリート・ビュー」を、スクリーン・キャプチャーで 
画像化したものです。

因みに、この 「ストリート・ビュー」の撮影時は、
「2013年 11 月」と表示されております。


ちょうど、一年前の今頃の写真です。 


本日、春日村は
素晴らしい天気に恵まれました

それでは今から、
バンクと散歩に出掛けます。

リンゴ・スター

「思い出のフォトグラス」

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「また、小僧が泣かした」

2014年11月14日 | 日記

小僧から届いた30年前の
2枚のポストカードが、今になれば、
これほどの「力」があるものとは。
ついぞ思いもしなかった。

「力」

あるいは、「効力」。

あるいは「求心力」。

あるいは「誘引力」。


小僧から届いた30年前の
2枚のポストカードが、

最初に私を動かし、

高木さんの心を動かし、

ヴァリィーの好奇心を誘った。

そして、先ほど小生はコメントで、
一枚の写真を撮る約束を
ヴァリィーと交わすことになった。

もし事前に、小僧自身が
この結末の先を見越して
企(くわだて)ていたとすれば、

小僧には「力」、

「企画力」があった
と言うことになる。

小生をはじめ
、高木さん、ヴァリィーまでもが、
小僧の「企画力」に関心を抱き 
何がしかの行動を促すことに
なってしまった。

30年前の2枚以外の写真にも、
読者の方たちは
少なからず関心を抱き、

「心を動かされたのでは」と、
小生は信じている。


その「企画力」について
当の小僧は言うかも知れない

「それも言うなら、神通力でしょ!」。


思いもせず小生は、
30年前の2枚のポストカードと、
故郷が企画して頂いたイベントで、

11月の30日に、
旧宮原線を歩くことになった。


愛する故郷が
小生を引き寄せてくれた。

小生以外にも
旧宮原線を歩く人たちの心はひとつ。

その心を繋ぐキーワードは、

「お・ぐ・に」


こんな言葉が、この世に
存在しないかも知れないが、

これこそ「故郷力」。


文末に蛇足ではあるが、
小生は「炎のランナー」を聴いて
恥ずかしくも涙した。

それは昔と一緒、

「また、小僧から泣かされた」。

この度の一部始終、
すべては、

小僧の暇のお付き合い。


今夜は、ベッド・ミドラー 
曲は
「From a Distance 」 
(フロム・ア・ディスタンス)

 

 

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「ロバ、橋上を走る」

2014年11月12日 | 日記

午後7時に初回の投稿を
済ませて、
どうしても 、旧宮原線とディーゼル機関車に
感謝の想い(音楽)を捧げたくて
10時15分に 、再稿いたしました。

かつて、自身が親しみ過ごした
故郷の景色の中には、

時の流れと共に
次第に色褪(あ)せ
いつしか薄れて
消え去るものがあれば

幾年月を重ねるごとに、
心にしっかりと根を張り、
まるで身体の一部の如く
生き続けていくものもあります。

喜びや怒り、
哀しみや楽しみを抱えて
眺めた景色は、

ただ呆然と眺める景色よりも
はるかに息が長いことを、
60数年を生きて今、
身をもって知り得ることができます。


望み叶うなら、あの景色を前に、
あるいは只中に身を置いて、

あの時に、受けた心情を
「もう一度、取り戻してみたい」と、
ふと、思うことがあります。

つい、、いつもの癖で
前置きが長くなりましたが、

昨日、山女魚小僧が
そんな思いを膨らます
2枚の写真を届けてくれました

1枚は、旧国鉄宮原線を走る
ディーゼル機関車。



もう1枚は、肥後小国駅で停車する
始発前(多分)の同型車輌の写真です。

間もなく、役目を終える寂しさと、
11月の朝霧に包まれた、幻想的な
素晴らしい写真です。




ポスト・カードの裏に、
「宮原線廃止記念 ‘1984.11.30」
の印字がありました。

宮原線の全線廃止、前日の日付です。

日付が示す通り、
「宮原線全線廃止」から間もなく、
30年を迎えようとしています。

懐かしい写真を眺めながら、
電話の向こうの小僧と
撮影位置確認など、

「ああじゃない」、「こうだった」。

しばし、「宮原線談義」です。

上2枚の画像の車両は、
2年前に小僧が引率した
九州鉄道記念館(門司)の
想い出深き、下の車輌
「キハ07 41号」 とは違い、



40年以上前に
故郷を離れた小生には
あまり馴染みの無い
「キハ40形気動車」
(Wikipedia 参考)
らしい。


小生の日記が御世話になっている
小国ツーリズム協会の「最新情報」に

宮原線廃線30周年記念
「旧国鉄 宮原線を歩こう」
のイベント情報を見つけました。

下の画像は、そのイベントの案内に
添えられた肥後小国駅の懐かしい画像です。 



11月30日、
旧宮原線を歩くことにしました。

あの時、受けた心情を
「もう一度、取り戻してみたい」と、
思ったからです、


昨夜は電話で、そして今度は
30日に、旧宮原線上で実現する
「宮原線談義」です。


どうかその日が
「好天に恵まれますように」

願う小生の心には、
今も宮原線の線路の上を
みんなを乗せた「キハ07 41号」が
走り続けています。

今月30日に、かつての心情を、
取り戻せそうな

そんな気がしているのです。 


今夜は折角ですから、
以前に載せた、2枚の写真を追加します。

我が家の壁を飾りたいような
今も 九州鉄道記念館にある「プレート」

そして、昭和33年撮影写真、

上から2番目の同じ橋と思しき、
橋の上を走る
「キハ07 41号」
 

30年後に
今度は、“彼に代わって”
小生が走ります。

あの日を、取り戻すために。 

この曲を感謝の思いを込めて
旧宮原線と、走り続けた機関車に捧げます。

 「炎のランナー」

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「続:てまえの暇のお付き合い」

2014年11月11日 | 日記

何気に覗いた
来年のカレンダー。

目を引いたのが九月。

21日から23日までお休み。

土日の二日を加えれば
土曜日に始まり、水曜日までの、
「5連休」。



21日、「敬老の日」  22日、「国民の休日」
23日、「秋分の日」。

「連休5日」を頂ける人達にとっては
おおよそ、喜ばしことだろうし、

カレンダーを見て
早速、旅行を計画する方も
いらっしゃるだろうが、

それは、世間でのお話し
小生は、「貧乏人」。

巷は「連休5日」でも、
小生にしてみれば
持て余す暇を過ごす日を
所詮、無駄に増やすだけ。

もっとも、
そんな「貧乏人」の本人が
来年の九月まで生きているやも
知る由もなく、

そこで、

「求む」
来年九月の連休を
一緒に私の暇を潰して頂く方。

ー 条件 ー
「貧乏人」とは、
けして申しませんが、

その時までは、必ず
「生きている」こと。

ー 待遇 ー
日に、「三食一汁一菜」
午後に、「ティータイム」
晩酌に、「一合」。

但し、持ち込み大歓迎。

と言う訳で 、
生きているやも 知れぬ来年の
九月の「連休5日」を
楽しく過ごす計画を立てた
 
今夜の曲は 、

ジャズ・ヴァイオリニストの
第1人者だったステファン・グラッペリと、
クラシック界で人気を誇った
ユーディ・メニューイン、お二人の
「素晴らしい」の一言に尽きる

「Tea For Two」 

待遇は、
午後は二人でティータイム
てまえの暇のお付き合い。 

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「てまえの暇のお付き合い」

2014年11月09日 | 日記

さあさ、お立ち会い。

御用とお急ぎでない方は、
ゆっくりと聴いておいで。

てまえ持ちいだしたる音楽は、
そんじょそこらのシロモノとは
訳が違う。

メリケンのルーツ・ミュージック
(ブルース・フォークetc)とやらを発掘し
世に知らしめたるは言うに及ばず、

万国の民族音楽への造詣も
これまた深く、

スライド・ギター、フラット・マンドリンの
名手としても世に名だたる
「ライ・クーダー」とは
この御仁のこと。

この御仁の奏でる音楽を、
聴けばたちまち えも言えぬ
実になんとも、仏様みてぇな、
優しい心持ちになれるときた日にゃ、
聞き逃す手はないというもの。

何でもメリケンじゃ、このての音楽を、
「チキン・スキン・ミュージック 」
鳥肌の立つような音楽と 
よぶらしい。

しかし、聞かなきゃ、
とんとその音色がわからぬが
道理。

御代はとらぬ 心配御無用。

なぁーに、御仁の粋な音楽を
てまえが勝手に、広く世間に
行き渡らせてぇばかりのこと。

今日はあいにく、外は雨。

ふられて困るは日曜の雨
ふっていいのは竿のつゆ。

朝に仕込んだ小道具ソフト)の
腕ためしも兼ねた
てまえの暇のお付き合い。

朝から雨降るこんな日は、
ご存知、
「レニーデイ・サービス」

普通は一曲のところを
今日はおまけに、もう一曲、

御用とお急ぎでない方は、
ゆっくりと聴いておいで。

てまえの暇のお付き合い。

雨がふっても、気が晴れる
御代はとらぬ お慰み。


 

協賛 : 「春日村 ライ・クーダー普及会」

「ボ-ダー・ライン」 

♪  

デザート(砂漠地帯)の砂の上を渡って
風の中の ささやき声が
きみが置き去りにした過去を 思い出させる
でも誇りを失くした時でも 愛は残されている
そしてそれが きみを前にと進めてくれる
国境の向こうへ帰れと きみを呼ぶ

♪ 
 

 「 Border Line」

 

「鳥肌音楽」
「Chicken skin music」
 

 

 

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「初中後」

2014年11月07日 | 日記

「こんな筈じゃ 無かったのに」

は、たとえば10年前のお話。

「今、人気の車種ですから
下取り価格は群を抜いています
後悔はさせません
絶対にお買い得です!」

そんなセールスの口車に乗って
乗った車が、

その時になると、
下取り価格が、1万円 ・ ・ ・ 
 
「こんな筈じゃ 無かったのに」

さて、今の私の
「こんな筈じゃ 無かったのに」
とは、

今度ばかりは思いも依らず
長引いた風邪に思い知らされ、

「自分の身体が
自分のもので無くなっていく」ような
不思議な感覚に駆られた、

それは、
「加齢」の一言では済まされぬ
「悔しい現実」。


「悔しい現実」は他にもまだある。

つとに思うのは、
「物忘れ」。
 
「物忘れ」とは、

「記憶力の低下」とも言い、
あるいは、「ボケの始まり」とも言う。


例えば、数種の工具を使って
一つの作業をする。

その際、持ち替えた工具を
再び使おうとして探しても
見つからない ・ ・ ・ 

ほんの少し前に置いたのに、
何処に置いたのか忘れてしまう。

最近、ここんなことは「頻繁」。

「頻繁」とは、

あるいは、「しょっちゅう」とも言い、
あるいは、「初中後」と書く。

「忘れ物」、あるいは、「忘れ

いつの日にかその内に、
自分が何処の何者やらを忘れてしまう。


「お降(お)りの際は、忘れ物の無いように
お願い致します」。

これはご存知、「バスの案内」だが、
きっとその内、誰もいない車内に
一人、ぽつん。

「そんな筈じゃなかった」

と言う自覚も、とっくに失い
自分自身が「忘れ物」。


これからも、
遣りたいことは沢山あるし、
忘れてはならない遣り残しも
沢山ある。

せめて元気な内は、
「人生の忘れ物」の無きようにと
願うばかり。


「次は 天国 天国。
「お忘れ物」がおありのお客様は
ここでは お降りになれません。

申し訳ございませんが
お乗りになったバス停にお戻りになり
「お忘れ物」をすっかりお片付けになって

あらためて ご乗車いただきます様に
お願い致します」 


「おじいちゃん、おじいちゃん
、聞こえますか?  
天国に着きましたよっ

このまま降りますか、
それとも、もう一度 戻りますか?」


 

「後悔」とは、
「こんな筈じゃ 無かったのに」
を言うこと。

「余生」とは、
「こんな筈じゃ 無かったのに」
を言わずに済ませてくれるために
与えられた時間のこと。
 

小生には、余生までに
まだたっぷり、時間がある。

 

「天国前」のバス停からは、
二度と“元”には戻れない。

これまた、「悔しい現実」。


ずいぶんと
元気をと取り戻した
今夜は、
この曲しか思い浮かびません。


ホリーズ 
「BUS STOP」

 

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「秋に気付くこと」

2014年11月05日 | 日記

耳に音楽を、
目にはアートを焼き付けて、
心はかつての邪心を知らぬ
童心に戻し、

肌に自然の優しさと厳しさを感じ、

週に半分は、身体に
負荷を与えて汗をかき、

、まだまだ、感性も身体も
「若い」と思っていても ・ ・ ・。


自然には季節があり、
季節には夏がある。

夏が終われば
次にはに秋がやってくる。

夏に、熱い陽射しを跳ね返し
緑の輝き放つ萎えぬ葉が、

夕日に染まり、枯れる秋。


勝手に「若い」思っていても、 
老いは静かに 身に染みる。
 

人生にも季節があり、
季節には夏があり、
夏が終われば
その内に秋がやってくる。
 

治らぬ風邪と共に過ごした2週間、

立ちはだかる「自然の法則」に、
立ち向かう勇気は何時しか萎えかけた。
 

「我が人生の 夏は短く 秋深し」。 

深い秋を、これからどう生きるか。


風邪と過ごした2週間で、
気付かされたこと。
 

 

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「Oh!GO!GO!」

2014年11月03日 | 日記

私の身体の何処が
住み心地が良いのか、

いつまでたっても
風邪が抜けきれずに、

連休最初の曇り空の二日間を
インドアで過ごし、

最後の三日目の朝を、
眩いばかりの陽射しで迎えたのに、

我輩にとっては、
「眩い陽射し、明るい空」も
横目で眺めるだけ・ ・ ・ 

情けなくもその様は、
「老人」。


ここで言う「老人」とは,
「活動的ではない」と言う意味。

日がな一日を縁側で
日向ぼっこで過ごす、
「老いた人」と言う意味。

そう、我輩の身体は、
まさに「老体」。


昨夜、ミセス・ヤスコが、
ダディの「お見舞い返し」と
我が家を訪れてくれた。

我輩の長引く風邪を
気に掛けてくれたミセスも、
どうやら、利き腕の右手の動きが
良くないらしい。

久しぶりに顔を付き合わせれば、
互いに、

「ここが悪い」「ここが痛い」  ・ ・・

まさに、「老人の会話」

午後になり、
いつもならこの時間は、
定番の「春日公園」。

インドア暮らしじゃ、
「お天道さんに申し訳ない」と、
庭の片付けで2時間ほど、
身体動かす。

なんと、
ついに2週間、ジョグ&ウォークを
休んだことになる ・ ・ ・

明日から又、仕事。

気を取り直し、
今朝、引っ張り出して聴いたCD。

チャック・ベリー
「グレイテスト ヒット」


今日は、この曲。

「老体」と言えば、
我輩。

「ロックン・ロール」と言えば、
「Johnny B. Goode」



風邪を追い出し、
頑張って  GO!GO! 

日向ぼっこは
もう厭(あ)きた GO!GO!

それでも酒飲んで、
非難  GO!GO!

Oh  ロバ  GO!GO! 

ロバ Be Good

(ロバ、良い子にしなさい)


♪ 
 

Chuck Berry
 Johnny B. Goode live

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