我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「老婆心」

2015年10月30日 | 日記

先日、Kさんと
大分での仕事を終えて、
帰社のついでに、仕事とは無関係の
竹田市に寄り道をした。

この行為は、業務時間中の、
いわゆる「サボり」となり、

労務契約に背いた
違反行為と言えるかもしれないが、

もし、それでお裁きを受けることになり、

「身の潔白を証明しろ」

と言うならば、

「私は唆(そそのか)されたただけ、
Kさんが主犯者です

と答える。

これはいつものジョークで
仮に今回はKさんが主犯者でも、

昔は、同種のサボりに
帯同者がいれば、ほとんどは、
私は帯同者(そそのか)す側で、
完全な主犯者だったし、

「遊びも出来ん奴に
仕事ができるかっ!」

と嘯(うそぶ)いていた。

その主犯者の私のお陰で
今回のように
良い思いをした者は沢山いた。



仕事で遠くに出かける時は、
用意周到に準備をして
必ず、翌朝早起きをしたし、

仕事が早く済めば、いや、早く済ませて、
その土地の名所旧跡を巡り、

その土地でしか口に出来ない
特産品や名物にありついた。
 

成果を上げることに集中して
戴いた満足の結果に費やす時間は、

小生、信じるところの

「サボり」でなく、「ご褒美」。 

仕事もサボるのも、愉しかったが、
これは、小生の見聞を広める
大きな役目を担ってくれた。

寄り道の竹田行きは、
そんな懐かしい時代を想起させる
ご褒美の“旅”だった。


「想起」といえば
出雲に出かけた時のこと、

仕事を終えると直ぐに、出雲駅から
バスに乗り、出雲大社に向かった。

確か、大社の境内跡地から
巨大なスギの柱が発見された
その年の10月のこと。

肌寒い曇天の一人、
肩にバック、手に傘を下げて
大社を散策をしていると、そこに

観光客の団体さんを引き連れた
バスガイドさんがやってきた。

「しめた!」

何食わぬ顔をして、その団体さんに
加わることにした。

そして、このガイドさんはありがたいことに
最後まで、私のために
出雲大社のガイドを
引き受けて下さったのです。


ガイドも無ければ、立派な大社も
ただ眺めるだけ

「見聞」とは、見て聞くことである。


お次は皇居外苑の
「楠正成象」の前に立った時、

そこでもガイドさんと団体さんが
大楠公の象に近づいてきた。

「しめた!」

出雲と同じ手口を思い付き
ガイドさんの言葉に耳を傾けたが

さっぱり解らない ・ ・ ・

団体さんは韓国の方たちだった。
 

出雲の幸運は東京で
再現できなかったが、

出雲を訪れた10月は、神無月。

国中の神が出雲大社に集まる月を
「神無月(かんなづき)」。

しかし、出雲では
「神在月(かみありづき)」とも言う。

さしづめ、あの時のガイドさん、
小生にとっては神様の如し。

懸命に仕事に取り組んだ者には、
ご褒美どころか、神様が手を差しのべて
待っている。


その神無月も明日で終わり
神様がみんなの元に帰ってくる
何か良いことのありそうな

11月が始まろうとしています。
 

最後に、永年の経験上、

「サボりは共犯よりも、
単独犯に限ります」。

共犯者は時に
酒の席で酔いに乗じて、
簡単に口を割ることがある。

鶏の唐揚げと、アゲの交換は、
互いの「口封じ」なのである。 

老婆心ながら、ご参考までに。
 

今夜は、出雲大社参道で見つけた
旅館、
竹野屋の娘の歌でなく

ジョージ・ハリソン

「My Sweet Lord」


 

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「幸せ者」

2015年10月28日 | 日記

一昨日、会社のKさんから
「ロバさん、良かったら明日、
一緒に大分に行きませんか?」
の誘いの言葉に

既に月内の仕事を片付けていたし、
既に社長の許可も取っていては
断る理由もなく二つ返事で快諾し、
同行することになったのだが

、これが実に、思いがけない
嬉しい発見の旅になろうとは
その時は、全く、
予期せぬことだった。

日田で高速を下り、
久し振りに山国川沿いに下った中津で
一つ仕事を片付けたら、大分へ走る。

大分市内では
二つほど仕事を片付けたが、
仕事があまりにも順調に進み、
午後二時には終了。


「このまま、帰ってもなんだし、
寄り道でもして帰りますか?」

仕事はKさんの担当責任でも、
何の問題もなく終わらせれば、
会社への罪悪憾は微塵もなく、
小生、ここでも二つ返事。

寄り道に向かう先はKさんの故郷、

岡城、
「荒城の月」の滝廉太郎先生、
「坂の上の雲」の広瀬武夫海軍軍人の、

竹田市(たけたし)。


小生の好きな岡城があり
何度も訪れたこの城下町に、
「美味い鶏の唐揚げの店がある」
と言う。



店主が、「(唐揚げが)
「揚がるまでに暫らくかかります」
と言うので、一人外に出たら、



通りの向こうに見えるは、
「豊肥線竹田駅」。



初めての竹田駅。
歴史を感じる佇まいに惹かれて、
一度血が騒ぐと治まらない性分は、

Kさんに「行ってきていいかなぁ」

すると、

「帰り道ですから、駅で待ってて下さい」。

その向かった先の竹田駅で
冒頭の思いがけない発見が
待っていた。

かつて、この竹田に山水や花鳥を描く
優れた画家がいたのです。

その名は、
「田能村竹田(たのむら・ちくでん)」。

駅前の橋の欄干に、その作品と
説明書きには「江戸後期の画家」
の記述があった。

初めて知る画家の名です。


何度も訪れたはずの竹田の町でも、
訪れたことも無い初めての町でも、

旅人は年齢とともに
嗜好も関心事も変われば、

おのずと、
傾注する対象も変遷するのは
きわめて自然な流れ。


帰宅して早速、(正確には今朝、五時)
先生の竹田で拝見した以外の作品を
調べてみることにしたが、

素晴しい作品ばかり。



「亦復(またまた)一楽帖(いちらくちょう)」

「カワセミの掛け軸画」(上)と
その拡大画 (下)
口ばしには虫。 



竹田を後にした頃から、雨と霧。

唯一、久住の紅葉が拝めぬのが
悔やまれるが、それでも

揚げたての唐揚げをパクつきながら、
満足げにKさんが一言、

「ねっロバさん、
私の田舎もよい所でしょう!」

そして車は瀬の本から
リトルの町に入ると、今度は負けじと、

「ねっ、私の田舎もよい所でしょう!」

互いに、故郷自慢。
 

Kさんから、
唐揚げ1Kgを、私とスージィーに。

豆腐と揚げの大好きなKさんには、
宮崎豆腐さんのアゲと豆乳を私から
共にお土産に。

日田から高速で家に戻る
充実の昨日の一日は、

岡城と、前述のお二人のお名前に、
田能村竹田先生の名が
上書きされた、

、思いがけな発見の
“竹田の旅”でした。


かつては、描かれたカワセミが
戯れていたかも知れぬ
駅前を流れる川。 

ゆったりとした川の流れは、
実にのどかな景色です。 

ゆったりとした時の流れで
作られた歴史と、恵まれた自然を

人に自慢できる故郷を持つ人は、
幸せ者です。

そしてそれは、誇りある歴史と
絶やさぬ自然の豊かさを
今に伝える

先人達のスピリットの賜物です。



「スピリット」

魂・精神・情熱・息吹・勇気

 

永くなったついでに
ここで、「あとがき」

昨夜、帰宅した折り、
お酒が届いておりました。

「ワタリガニ」と「ハゼ」の次の日は、
「酒」。

連日の奇特な方達からの頂き物に
小生は幸せ者。

なのに、
お返しすべきものもありません・・・

この場を借りて心より
御礼とお詫びを申し上げます。

小生、「酒」が「ワタリガニ」と「ハゼ」に
一日遅れをとったことが、
悔やまれてなりません。

今夜は、最高の酒に合うアテが
無いのです・・・

最高の紅葉の久住を、雨に打たれ
霧に包まれる心境です。
 

最高の酒に相応しいアテが届くのを
四、五日ほど、
お待ち致しております。

 

イーグルス

「ホテル・カリフォルニア」

の歌詞の一部
 ♪

ようこそ 

ホテルカリフォルニアへ


なんて素敵な所

なんて素敵な顔

 

中略

 

私はボーイ長を呼んで頼んだ

「ワイン(スピリット)を持ってきてください」

すると彼は言った

「私たちは1969年以来、

スピリット(魂)を


ここには置いていないんです」

 

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「不可欠なもの」

2015年10月25日 | 日記

先々週、
小生はマナ・ファミリーに送る
クール宅急便の中身を
二品ほど加えることにした。

それで、
豚足とチーズの燻製を作り、
出来上がった豚足の燻製を
マナ・ファミリーとは別に、

豚足のお店を教えてくれた
友人のふーちゃんに届けたが、

そのふーちゃんから昨日、
小生へ一枚の葉書が届いた。

「初めて豚足の燻製を
とても美味しく頂きました」
とのこと。

届けた豚足は二つ、
この嬉しい葉書にも
つい微笑んでしまうことが
二つ。

その一つ、
葉書には豚の親子のイラストには



「何だってそんなにあわててるんだ
早く大きくなって
何が待ってるというんだ

子豚よ そんなに急いで食うなよ
そんなに楽しそうに食うなよ」。

親豚の子豚への愛を感じる
メッセージが添えられている。

ユーモア溢れるこの葉書は
小生の豚足の燻製のお礼の
最適で最高のツールである。 

 

もう一つが宛名、

「北里みっちゃんへ」。 



未(いま)だかつて、この宛名で
便りを頂くのは小生、初めてである。

互いに孫もいる、
差出人64歳のおばさん。
受取人、同い年の爺。

お礼なら電話一本で事足りるのに、
わざわざ、豚の葉書を
街中探したに違いない。

嬉しいことである。

私からふーちゃんへ、

「初めて、みっちゃんの宛名の葉書を
とても楽しく拝見しました」。

ふーちゃん、こちらこそ
ありがとうございました。 


老いていく者の人生には、
身体と心にとって、
豚足と葉書のように
不可欠なものが二つある、

それは、
「コラーゲン」 と 、「ユーモア」。

更に
もう一つ大切なことは、

「慌てて食べ(生き)ないこと、
楽しく食べ(生き)ること」。


曲は今日の午後の達郎の番組で
流れた大好きな曲

「ジョアンナ」

唄:スコット・ウォーカー


 

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「秋半ば」

2015年10月20日 | 日記

死んで仕舞えば
日記も書けない。

死なずとも、
意識や身体の自由を奪われて
病に伏すも、同じこと。

五臓六腑も、身体の節々も、
見る、聞く、喋るも、

すべてが、歳月と
共に老いてゆく。

とは言いつつも、日記を綴ると言う、
この一点のみにおいては、

まさに、死に体も同然、

全く、思考が働かない。

今更、世を拗(す)ねる訳でもなく、
貧しき暮らしが、更に、
峻烈を極めた訳でもなく、

つい先ほどまでは、
いつもの春日公園。

とりあえずは五体満足の
いたって健康で、

夕餉の卓には、ささやかながらも
秋の味覚の一品で、

気立ての優しいスージィーを前に
今から最初の一杯を戴くところ。

お金の不自由さ以外には、
取り立てて哀歓も無く、

安穏と過ごした
十月も中旬過ぎの今日は、

すっかり、
秋の風情に心を奪われて、
今宵も昨日と同じく
志向は全く、働かず、

まるで、歳甲斐もなく、
恋に落ちて仕舞った様(さま)。

否、歳を重ねるからこそ
秋の風情が
愛おしく思えるようになる。


さりとて、日記に綴る
特筆すべきことの無い
こんな一日の、こんな夜は、

いつものように、
好きな曲を聴いて寝るに
限る。

今宵は秋半ばの、
八時十五分前。

夕餉が済んだら
上でこの曲が待っている。

「エデンの東」 

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「Beatiful Dog」

2015年10月17日 | 日記

Cute dog never had to be taught how to love baby

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「秋雨上がる」

2015年10月12日 | 日記

五月のある日、私は我が家の庭に
オベリスクを立(建)てた。

が、しかし、
その時は自分が立てたものが、
ガーデニング用語で
「オベリスク(語源は記念塔)」
と呼ぶことを全く、知らなかった。

「こんなのを作ったら良いだろうな」。

いつもの、物好き親父の
思い付きで作った代物だが、

今では、すっかり庭にも馴染み
無くてはならぬ優れもの、

自称、庭師も驚きの、
お気に入りの逸品である。

そのオベリスクのトップには、
当初より、ヘンリーヅタの鉢を
置くことを考えていた。


そして、五ヶ月が経過した今朝、
雨の上がった庭に、
紅い葉のツタ。

常緑樹の樹木に囲まれて
一際目立つ紅一点は、
紅葉した「ヘンリーヅタ」。



もう少し、ツタが伸びると
想定していたが、

それでも
今夏の熱い陽射しに耐えて
見事に葉を紅く染めてくれました。



あと何日間、
染めたままの葉を
付けてくれるか判らないが、

ツタは葉を落とし、一冬を越し、
春が来たら緑の葉を付けて、

又、秋が来たら、
期待通りに葉を赤く染めて
庭主(にわぬし)を喜ばしてくれる。

画像は、五月の鉢植えした
ヘンリーヅタ。



来年には更に、ツタを伸ばして
葉を紅い染めてくれるに違いない。

それを楽しみに、精魂傾けて
ツタを護ってあげさえすれば、

庭主自身も、
紅い葉を拝めさせて頂く日が
必ず、訪れるに違いない。

期待に応えたオベリスクの主、
ヘンリーヅタを眺めながら、ふと思う、

深まる秋の雨上がりの朝である。

ヘンリーヅタに、この曲を。


It's the time of the season 
When love runs high. 
今、この時、愛が高まるとき。
♪ 

60年代の音とは思えない
ゾンビーズの
邦題「二人のシーズン}

The Zombies - Time Of The Season

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「続:今夜も酒を吞む」

2015年10月09日 | 日記

8月頃から、
春日公園一周1,6Kmを
3周走るようになり、

今年初めての外灯の下で、
こっちも一年ぶりにさっき、
今年初めて5Kmを走った。

他人様には
他愛ない距離でも、

「よく、やりました」と、
自分を褒めてやりたいし、

ご褒美と言うのなら
更にも一つ、

その上に
まだ、距離を延ばせる
余力があったこと。


曲はジョンの
「スタンディング・オーバー」


It'll be just like starting over,
 starting over

そう、また、
「振り出しから」って感じだね。



今夜は、去年と同じ
振り出しに戻れたご褒美です、

ご褒美を頂くための
大儀名分は十分。

それで、今夜も酒を吞む。

否、
「今夜もお酒をいただきます」
です 。

JOHN LENNON .STARTING OVER

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「今夜も酒を吞む」

2015年10月08日 | 日記

今夜は、本当にある話。


酒に酔っていると度々、
不思議なことが、我が身に起こる。

例えば、
TVの誰かさんの発言の趣旨や、
史実や事件の真相に、

自分の中で
くすぶり続けて、埋もれたままの、
潜在意識が触発すると、

今までの己の知力では想像だにしない
モノの成り立ちや謂(いわ)れ等を、
たちまちに解き明かす才が
突然、生まれてくる。

その摩訶不思議な現象を
小生は昨夜も体験した。


「なーんだ、そうだったんだ。
簡単じゃん!」。

例えば、今在る己の性格
(思考・判断の価値基準)が、
何に起因して、どう形成されたかなど、

きわめて知力の乏しい小生でさえ、
実に理路整然と瞬時に解明させる
「閃(ひらめ)き」とは、

いまだ、手にしたことのない
「才能」である。


その酒に酔うと、
度々起こるその現象から、
折角、戴いた閃きも、

残念ながら
一瞬にして、水泡に帰してしまう。


かつて、学び舎では
勉強が嫌いで
先生が大嫌いな輩でさえ、

酒に酔うと、一升瓶を「先生!」と呼び、
愛おしいほどに抱きしめ、頬ずりし

「誰も教えてくれなかったことを
先生は(酒)は教えてくれました!」

と、涙ながらに叫ぶと言う。


どうやら人の脳には、酒に酔うと
眠ったままの未知の才能を覚醒させる
不思議ながらも素晴しい働きがあるらしい。


二人の日本人のノーベル賞受賞の
報せに歓喜しながら、

覚醒した才能がそのまま続けば
オイラも何時しかその内に、
ノーベル賞でも頂けるものを、と思う。


一度、手にした
あの素晴らしい感覚を
失うのは捨て難く、忘れ難し。

されど、
努力なくして身に付けたものは、
所詮、「悪銭身に付かず」の如し。

今夜はせめて一時でも、
あの、酔うと眠ったままの才能が覚醒する

あの摩訶不思議な現象を
取り戻したくて

今夜も酒を飲む輩が
此処にいる。


酒を呑み、酔うにつれて
人はノーベル賞受賞に値する

哲学者となり、詩人となる。
 

これは、私自身の実体験が証明する
本当に起こる話。
 

ただし、残念ながら
それも永くは、続かない 。


それでも小生は、
こんな曲を聴きながら、

それでは今夜も酒を呑む 。
 

チャーリー・ヘイデン(ベース)

マイケル・ブレッカー(テナー・サックス) 

「Travels」 

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「続:心が言ったよ」

2015年10月06日 | 日記

先般の日記、「心が言ったよ」で、

心の中で眠ったままの
大切な一つ一つを、叶うならば
記憶の中から蘇らさたい。

と私は記述した。

現在、六十四才の私の日ごとに
老いることから生まれる感情だろうか、

生まれて青春期までに故郷に残してきた
人達との温かき交わりや
思いで深き出来事を

「もう一度取り戻せたら」

そんな淡い期待感が心の中で
未だに途絶えないでいる。


そんな日記を書いて間もなくの
一昨日の日曜日、

ヴァリィーとの携帯での会話の中で、
半世紀前の我が故郷での出来事に
話しは及ぶことになる。

それは、
「蜂の巣城の戦い」
のことである。

「蜂の巣城の戦い」
あるいは、
「蜂の巣城事件」とも言うが、

裁く側にとっては確かに
「事件」でも、
私の日記においては断じて
以後、「戦い」としか
書かないことにする。


小国町志屋地区と大分県の県境を
流れる筑後川の上流の津江川に
建設省が造るダム工事に

反対する地元の人達が建てた
砦(蜂の巣城)にたてこもり
最後まで戦った、

1958年(昭和33年)から始まった
ダム工事を進める国と反対派の
ダム工事史上、日本最大の
反対運動の戦いである。

その反対派のリーダーに、
当時、66歳の室原知幸さんがいた。


ヴァリィーが、
「その時の貴重な動画がある」
と言うので、

私はそのドキュメンタリーの
URLを送って貰った。

ドキュメンタリーは、
大島渚さんが監修し、
先の映画「綴方教室」の貧しき職工役の、
徳川無声さんがナレーター。

約30分と短いが、
本格的な作品
ある。


私が子供の時とは言え、
同じ町内で起きたにもかかわらず、

初めて知る戦いの一部始終を
観終えた後の感慨深さは、
独特な重さが心を支配した。


観終えてヴァリィーに
感謝の弁を届けた。
 

既に、終わってしまった過去の
故郷の出来事を、

今更、蒸し返す必用は無いし、
知らないままで良い事もあるが、

この戦いは、
私にとっては、関心を抱き続け
知っておかなければならぬ
重要な出来事であった。


「蜂の巣城の戦い」については、
人それぞれに見識もあろうし、
私見を並べるつもりは毛頭ないが、

最後に、

反対派の室原知幸さんの記述を。



公共事業、それは
理に叶い、法に叶い、情に叶う
ものでなければならない。

そうでなければ、
どのような公共事業も挫折するか、
はたまた、下筌の二の舞をふむであろうし、

第二の、第三の蜂の巣城、
室原が出てくるであろう。

室原知幸さんの自身の随想
「下筌ダムと私の反対闘争」より。


私が初めて見た
旧宮原小学校のグランドに集結した
おびただしい数の機動隊が、
向かった先で繰り広げられた

「蜂の巣城の戦い」の終結は
1964年のこと。


半世紀前の同じ町の中学校に通う
私のすぐ傍で起きたこの戦いを
よもや、半世紀を過ぎて今、
その終結を見ようとは。


ドキュメンタリーを
心が「観たい」と言わなければ、
この戦いから学ぶものもなく、

関心は何時しか忘れ去られ
風化させてしまうだけ。

このドキュメンタリーは
私に多くを教えてくれました。

 

室原さんは1970年、死去
享年70歳。 

室原さんの葬儀で、
涙ながらに弔辞を読んだのは

当時の建設省
九州地方建設局 (九地建)
の所長であった。


かつて、わが町の先輩に

たとえ、一人になろうとも、

国を相手に戦い続けた人がいた。

 

The Imposible Dream 

「見果てぬ夢」

唄:ブライアン・ストークス・ミッチェル 

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「塩梅善き一日」

2015年10月04日 | 日記

季節は秋。

今更、書かずとも
誰もが判っていることだが、

季節は秋の、今日の秋はこれまた、
実に塩梅の良い一日であった。

結局、
取り立てて何をするでもなく
過ごした一日だったが、

柔らかくて、優しくて暖かで
爽やかなこんな秋の一日は、

陽気に現(うつつ)を抜かして
ぼーっと過ごすのも悪くない。

それで、
庭でオールディズを聴いていると、
忘れていたメロディが飛び出してきた

曲はボビー・ダーリンの
「ビヨンド・ザ・シー」。


それで、もう一度聴きたくて、
「お気に入り」の中から
この曲を聴くことにした。

ボビー・ダーリンでなく、
アメリカのアカデミー賞の
主演男優賞を
取った
演技は勿論、俳優で唄も達者な

ケビン・スペイシー。

今日の陽気みたいに
ぽかぽか気分にさせる曲である。


間もなく夜が更ける。

上で、ぽかぽか陽気で干した
ぽかぽか布団が、
酔いどれ親父を待っている。

さて、それでは
晩酌を始めることにしよう、


塩梅の良い最高の秋の一日に
感謝しながら、

勿論、この曲を何度も何度も
聴きながら。 

「Beyond The Sea」 
Kevin Spacey in Beyond the Sea

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「二つの理由」

2015年10月02日 | 日記

いよいよ、今年の
プロ野球のペナントレースも
終盤に差し掛かってきた。

この時期になると、
とりわけ優勝から遠のいたチームほど、
來シーズンのチーム強化に向けた
再編に早くも動き出し、

選手との保有契約の破棄や、
監督・コーチの人事刷新が始動し
メディアは連日、それを書きたてる。

そんな周りの穏やからなぬ気配に、

「何時、わが身に呼び出しが?」

それはあたかも、
ゲージの戸が開かる度に、

昨日までの仲間がいなくなる 

騒めく養鶏場の中で、
出荷を待つ鶏のようだが、


球団からの要請を待たずして、
自ら、引退や退団、辞任を決意し
申し出る人もいる。

その一人が、小生の大好きな
野村克也さんである。


野村さんは、
南海ホークスの選手兼監督時代、

現夫人である沙知代さんとの
同棲などの私生活を

球団や選手への影響を咎(とが)められ、

「野球を取るか、女を取るか、
ここで決断せい!」

と、択一を求められた。

野村さんの言葉は、

「女を取ります!」

「野球を辞めても、仕事は探せば
他にいくらもあるが、

沙知代は一人しかない」。


この言葉で、野村さんは
ホークス退団へと繫がります。


巷には、バツの悪そうに
小指を立てて、

「“これ”で会社を辞めました」

 と言う親父が、居るには居るが、

野村さんは、堂々と、

「“これ”で監督を辞めます」

と言いきった、前代未聞の
監督解任劇の主人公です。

誰もが知る有名な話ですが、

「女を取ります」は
ちょっとした、映画のワンシーンです。


随分前に、
この話を知った瞬間からずっと
スージィーは野村さんの大ファン。

実は今夜、
野村さんを書いた理由は、
もう一つ別にある。

今度は野村さんが、
選手を辞めた時の話し。


野村さんは選手として、
西武ライオンズでユニフォームを
脱ぐことになりますが、

その年に、
プロ生活で初めて、自分の打席で
代打を送られた野村さんは

屈辱のあまり、心の中で

その選手の失敗を願ったと言う。

選手である前に、人として、
あるまじき邪悪な思いに
野村さんは失意して、

自らの現役引退を
自らが決意したのです。


このことを知った小生は、

「言わなきゃ、誰にも判らなかったのに」

誰も知り得なかった筈の
自分の恥を、野村さんは堂々と
世に晒したのです。

これこそが、
野村さんの「魅力」なのです。


ところで、小生も堂々と

「女を取ります!」

と躊躇(ためら)わず答えます。
 

ただし、

「男を取るか、女を取るか、
ここで決断せい!」

と択一を求められた時に
限ってですが。
 
 

球団事務所から
電話が掛かってくる度に

養鶏場の鶏 のように
鳥肌が立ち、身の毛もよだつ 
監督、コーチ、選手の皆さんへ

「運命を受け入れましょう

又、どこかで頑張りましょう

自分の人生を賭け、家族のために、
頑張ってきたあなたを

ファンはけして、
忘れることはありません !」


今夜の曲は、そんな皆さんへ

ライ・クーダー の名盤
「チキン・スキン・ミュージック 」
(鳥肌音楽)から、

「Gooodnight Irine」
おやすみ、アイリーン 

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