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我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「故郷で生れた今年の思い出」。

2011年12月29日 | 日記

故郷を離れて以来、今年ほど
故郷リトル・カントリーに
深い関わりを持った年は無かった。

先ずは、1月9日の「還暦同送会」。
新しい年が始まって、まだ、9日しかたっていないのに、
後356日もあると言うのに、
早、今年のトップ・ニュースに居すわった。

会場の同級生の中には中学卒業以来、
初めて合わす顔と顔。
故郷の同級生達の見事な演出

式典ムードと相まって、
とにかく感激した。

そして、8月。
同じリトル・カントリーで過ごした
家族との短いけど楽しい夏休み。

同窓会も夏休みも、
宿では温泉に入り酒を酌み交わしては、
酔っては機嫌良く布団に枕を並べた。

共に故郷の一泊二日の短くても、
永く心に残る思い出となった。

その二つの思い出には、
それぞれに余韻が生まれた。

「還暦同窓会」は、
来年2月の「福岡(同窓)会」に。

家族の「夏休み」は、
来年の夏も同じ宿を、早、予約することになった。
森の中の小さな宿の女将さんが驚いた
「もう、来年の予約ですか!」

そして、もう一つの故郷との関わりは
「我が家の青空」が、ひょんなきっかけで
「小国ツーリズム協会」デビューすることになった。

恥ずかしげも無く稚拙な投稿内容で、
いつものスタイルを通し、
故郷への想いを“故郷の外側から”届けた。

こんな内容では「協会」のご期待に応えらず
「申し訳ない」と思うが、
あまたの故郷発信のブログの中に
「こんなつまらないブログが一つぐらい、
あっても構わない」と思っている方が
一人でも居らっしゃれば有り難い。

「あの程度で投稿できるのなら、俺だって(私だって)!」
そう思ってくれる方もいらっしゃれば、
それはそれで一つの効果。
少しは協会のご期待には応えたと言うことにもなる。

この故郷のDNAを受け継いだ孫マナが、
由一無二の素晴らしい故郷を
「みっちゃんと、ばぁばぁの、
リトル・カントリーが大好き!」そう思ってくれて、
マナが私と同じ年になった時に、
マナの子供や孫たちと
この小さな町に来てくれればと願う。
残念ながら、そこに私は居ないが、
きっと、いつの日かその日はやって来る。

故郷を離れて以来、今年ほど
故郷リトル・カントリーを
心にに焼き付けられた年は無かった。

同じ故郷、同じ友人を共有できる
私とスージィー、二人の幸せは「極み」に等しい。

リトル・カントリー 小国町。

故郷で生れた今年の思い出。

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「芝浜」。

2011年12月27日 | 日記

 

今夜、スージィーから
 4日遅れのクリスマス・プレゼントを戴いた。

イブの夜
私のサプライズのクリスマス・プレゼントに
感激したスージィーが嬉しそうに、
お返しに「何が欲しい?」というので、

1
週間前の本屋で見つけた、ある「CD集」のことを告げたら、
今夕刻、博多駅の書店から
CDにタイトルを教えて」と、電話が着た。

今、そのCDの1枚を聴きながら、
このブログを書いている。

私ガ書店で見つけた「CD3集」は合わせて、
私が
月に自由に使えるお金の1/3に等しい価格。

そのCD3集を購入できない自分を情けなく、
ただ指をくわえ眺めるだけで、
その表紙を
目に焼き付けてその場を離れた。

ところが今夜、それが目の前にある。

買えなくて情けないと思っていたその「CD3集」を
いつでも聞ける状況にあるし、
現実にその一枚を聴いている。

私は何故、指をくわえて眺めるだけの「CD3集」を
手に入れることができたのか?

それは、自分の欲しいものよりも、
「スージィーが喜んでくれる」と思ったものを
プレゼントできたから。

スージィーからの4日遅れのクリスマス・プレゼントは
「立川談志」師匠のCD3枚。



価格の問題ではなく、
飛び切りに嬉しいスージィーのプレゼント。

談志師匠一枚目の演目は「芝浜」。
「お願い、夢なら覚めないで!」と言う話し

今夜の私の気分と同じ。

スージィーに感謝!

「お願い、夢なら覚めないで!」

 

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「一寸、のんびりした気分」。

2011年12月25日 | 日記

先程、年賀状のデザインが完成して、
これからプリントを始める。

しかし、“出来”が気に食わない。
作り直そうかと考えたが、時間もないし、
このままこれを使うことにした。

数年前から、
ヨウスケ君の年賀状をヒントに、
毎年、オリジナルの年賀状を作ることにしている。

人様からは「こんなものを」と笑われようが、
年に“一度の便り”ぐらいは
「想いを込めて送りたい」と思う。

届けていただいた方には申し訳ないが、
両面プリントで、メッセージも無い
年賀状では味気が無い。

くだらないデザインだろうが、
下手な字だろうが、
直筆で10文字でも、一行でも、
メッセージを添えて届けたいと思う。

「相変わらず下手な字だなぁ」
と、思われるのは
「相変わらず元気ですよ!」
と、伝えているのと同じこと。

両面プリントで届けたほうが
「今年は印刷で着たけど、何かあったかなぁ」
「入院でもしてるかなぁ」と思われるのがオチ。

正月に沢山届く年賀状の束に目を通しながら、
送り主の確認だけでなく、
デザインを眺めてもらい、
メッセージを読んでいただいたほうが、
他の年賀状に比べて、手元の
“滞留時間”が長くなる。

ついでに「クスッ」
とでもしてもらえるなら
「初笑い」も取れると言うもの。
届け甲斐があると言うもの。

プリントが上がったら、
いよいよペンを握ることにしましょう。
作業はまだまだこれから。

曲は、デザインを作りながら
流していたライ・クーダーの
Chicken Skin Music」の中の「Chioe」。

窓越しに、冬の柔らかい陽射しを
受けながら、年の瀬の慌しさの中にも、

一寸、のんびりした気分。

Ry Cooder Chloe

 

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「Happy Christmas the War is over」

2011年12月24日 | 日記

君が望めば、

戦争なんて無い

平和な世界があるんだよ!

ハッピー・クリスマス。

John Lennon-Happy Christmas the War is over

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「マリリンの話」。

2011年12月23日 | 日記

マリリンの話。

と言っても、かつて、そのセクシーな魅力で
一世を風靡したアメリカの女優
本名「ノーマ・ジーン」のことではなく、

私が愛と親しみを込めて、
彼女の名前の響きの韻をニックネームに
「マリリン」と名付けた女性のことです。

ひょんなことが切っ掛けで、
スージィーはマリリンと、もう一人の
ふーちゃんと出遭って以来、
大の「仲良し3人組」となった。

「女3人寄れば、かしかしましい」
と言うが、その「かしまし娘」に例えるなら、
さしずめマリリンは長女の庄司歌江さん。
スージィーが照枝さんで、
ふーちゃんが花江さんと言うことになる。

そのマリリン、
私達よりもたった一つ歳上にも拘らず、
その生き方は堂々として、
言葉と行ないには真実と重みがある。

彼女は熊本市内の生まれ。
「同県人」であることが、
私達二人の親しみを倍加させる。

同じ、時代と言葉で育った者同士の
安心感がある。

彼女の素晴らしいところは
「気遣い」ができること。
スージィーは、マリリンを姉のように慕い、
男には解決できない悩みでも、
姉マリリンには気軽に相談で来て、
暗い足元を照らしてくれる。

今日は、
今年も一年間お世話になったマリリンへ、
スージィーに代わってお礼を伝えておこうと、
マリリンのことを書くことにした。

マリリンに読んでもらえることが書く目的でなく、
たとえ、読んでもらえなくても
書く(伝える)ことに意味がある。

マリリン様へ 
今年も一年間、大変お世話になりました。
来年も妹スージィーを宜しくお願いいたします。

それから、
いつも戴き物ばかりで申し訳ありません。
ついでに、
来年も沢山の戴き物を
心からお待ちしております。

スージィーは、旦那には恵まれ無かったが、
素晴らしい姉さんみたいな人出遭えたと言う、
その名も「マリリン」の話しでした。

そんな愛しきマリリンへ、
一足早いクリスマスプレゼント。
二人から愛を込めて。

・・・・・・・・
Isn't she lovely
Isn't she wonderful
Isn't she precious

かわいくないかだって?
すばらしくないかだって?
魅力的じゃないかって?

大切じゃないわけないだろう!
・・・・・・・

これは、マリリンのこと。

Stevie Wonder-Isn't She Lovely Lyrics




もう一つ、ライヴから。

Stevie Wonder - Isn't She Lovely (Live) (HD)

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「この世の果てまで」。

2011年12月20日 | 日記

 

私が「幸せ?」か、どうかは、
人様には判らない。

自分でさえ、判らなくなってしまうことが
あるのだから、当然のこと。

「今、あなたは幸せですか?」
と、突然、背中から問われたら、
しばらく固まって「・ ・ ・ ・?」何も答えず、

問うた人が過ぎ去ってしまってから
「今、私は幸せなんだろうか?」
と、自問自答を始める。

「ロバートさん、今、あなたは幸せですか?」
ど、どなたかから、突然問われたら
「はい、幸せです」と答えることにする。

なるべく“すかさず”。

問われる直前に、
例えば前日に、もしくはここしばらく、
“じゃ無い”ことが仮にあったとしても、、
気が落ち込んでいる状態が、ずっと
続いていたとしても、そう答えることにしている。


自分が「幸せ」か、どうかは、
自分でさえ、判らなくなるのだから
「自分は幸せ」と信じなければ、
本当の「幸せ」は私にもとにはやって来てくれない。

こんな寒い夜に暖房設備の無い家に
住む人もいる。それどころか、
家の無い人達でさえ世界には大勢いる。

我が家には、
月明かりを受けて輝く屋根があり、
季節の爽やかな風は通しても、
冬の冷たい隙間風は通さない壁があり、

少々くたびれてはいるけれど、ちゃんと住める家がある。

毎夜、スージィーにはキャッシュ、私にはバンク。
それぞれに“暖房器”があって、
人様には判らない「幸せ」がある。

私が、何かの都合で
冷たくなった体(遺体)で明日を迎えたとして、
それはそれで、誰もが「ロバートは幸せ者だったよね」
そう皆が認めて貰える終り方をしたいと願っている。

どこかの独裁者の居なくなった
北の国の人達のことを思いながら、
我が家(私)がどれだけ「幸せ」か
つくづく、つくずく「ありがたい」と感謝する。


曲は今月始め、
リトル・カントリーの往復路に車の中で聴き、
今もなお、、聴き続けている、まりやの曲。


この曲を、故郷リトル・カントリーから「幸せ」を届けてくれる
テレサと、せっちゃんに捧げます。

感謝を込めて!  愛を込めて!


The End Of The World - Mariya Takeuchi

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「機関車」。

2011年12月19日 | 日記

私が選ぶ
「日本のロック・アルバム・ベスト10」
の、甲乙付け難いトップの2枚は
HOSONO HOUSE」と
Live in London」。

細野晴臣先生の、
後にティン・パン・アレイと続く
キャラメル・ママと

加藤和彦先生の
サディスティック・ミカ・バンドの
「黒船」のロンドン・ライブ版。

曲も、アレンジも、演奏も、歌も、
世界水準以上の代物。

アメリカやイギリスの音楽を聴いて
育った日本の子供たちが、
世界を追い抜いたことを証明した作品。

胸張って、威張れる2枚!

今日、you tubeで、
ペダル・スティール・ギターが優しい
加藤先生の「家を作るなら」を探したが
止められていた。がっかり。

それで、探したのが忠さんの「機関車」
昨日のマシュ・ルームレコードに関った作品。
これも、文句なし。


今夜の「日本語のロック特集」は
忠さんには悪いが、
「家を作るなら」を諦めて「機関車」。

細野先生と、加藤先生。
二人を抜きにして「日本語のロック」は語れない。

皆さん、私より二つ、三つ年上の先輩ばかり。
そんな先輩たちが
「日本語のロック」を創ってくれました。

「特集」これでおわりまなぁ、
待てよ、まだ多羅尾伴内も
達つあんも、居るぞっ。

画面下の you tube で見る

からお入りください。

 

小坂忠 「機関車」

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「きのこご飯と 、たんぽぽ」。

2011年12月18日 | 日記

今夜、食卓に「初物」が登場した。

季節柄、最近スージィーが凝っているのが
「きのこ」。

いろんな「きのこ」が、
煮物、炒め物・揚げ物、汁物と、
姿を変えては食卓を賑わせる。

今夜の「初物」は、
会社の日経新聞の「プラス1」に
そのレシピが載っていたと言う
「きのこご飯」。

きのこが4種。
しめじ、エリンギ、えのきだけ、マイタケ、
そして米「旨い」。

本当は、それに椎茸があれば
もっと美味しさを増すことができたのだろうけど、
あいにく品切れ。

先日戴いた大量の椎茸は
お裾分けでなくなった。

でも、これで充分に旨い。
もち米で「おこわ」だったら、
もっと美味しかったろうが。

この「きのこご飯」実は正月に帰ってくる
ケンタとマナに作ってあげる料理の一つ。

今夜は、その試作。

ところで「日本語のロック特集」
今夜は「休もうか」と思っていたところに
「きのこ」

「きのこ」とくれば「マシュルーム」。

ミッキー・カーチスさん達がプロデュースに
加わったインディーズ・レーベルの
「マシュルーム・レコード」を思い出し、
キーボードを叩くことにした。

それで今夜は「GARO」。
学生街の喫茶店で、歌謡曲路線を走る前の
「クロスビー・スティルス&ナッシュ」
に触発された、ギターとハーモニーの3人組。

1970年代は、
国の内外問わず「初物」の目白押しだった。

久しぶりに聴いたけど「いい曲」。
「きのこご飯」のお陰で「特集」を休まずに済んだ。
これでゆっくり“休める”。

1971年作品「GARO」のオリジナル
「たんぽぽ」

明日の朝食も「きのこご飯」。
こんなことなら「きのこご飯」
画像にしとくべきだった。

GARO たんぽぽ

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「星くず」。

2011年12月17日 | 日記

戴くばかりの、一年だった気がする。

本当に、多くの方達から
いろんなものを戴いた。

有形無形関わらず、
戴き物の一つ一つに、
その人の心が、愛が詰まっていた。

戴くばかりで、何もお返しが出来なくて
いつも「申し訳ない」
と、思うばかりの一年だった。

一人占め出来ない性分のスージィーは、
戴たきのを、せっせと、お裾分けに走った。

たとえ、量は少なくなっても、
喜ぶ人が増える方をスージィーは
いつも選択する。

戴くばかりでは申し訳ない気持ちで、
どこのお家を訪ねる時も、
スージィーは心ばかりの品を用意する。

人様から、笑われそうな金額の品でさえ、
中身はスージィーの愛が詰まっている。

ノロケと、取られても、笑われても
構わないが、こんな女性は滅多に居ない。


私は、神様からスージィーという
素晴らしい届け物を戴いた。

戴くばかりで、神様にも彼女にも、
何もお返しが出来なく
いつも「申し訳ない」
と、思うばかりの一生に終るかもしれないが、

もし明日、私が何かの事情で
この世を去ることになったとしても、
悔い無いように今夜、
皆様と、スージィーと、神様には、
せめて、感謝の気持だけは伝え残しておきたい。
と、そう思った。

「ありがとうございます。心から」。


「日本語のロック特集」今夜は、久保田麻琴。
これしかないと思っていた時に
クマさんのコメント。

1977年「ディキシー・フィバー」より「星くず」
プロデュースは細野晴臣。

「星くず」を、皆様と、神様と
スージィーに捧げます。

感謝を込めて。

久保田麻琴と夕焼け楽団 / 星くず

 

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「12月の雨の日 」

2011年12月15日 | 日記

いつも通り道に、小さなレストランがある。

レストランと言うよりは「洋食屋さん」
と言った方が相応しいかもしれない。

お店の名前は、緑・白・赤の
トリロールの看板に名前が書かれているから、
「イタリア料理のお店だろう」
ぐらいしか判らない。

お店の中央に2段のカフェ・カーテンの付いた
ガラス・ドアがあり、
その入口の左右に、所狭しと植木鉢が
行儀よく上下2段に並んでいる。

お店のオープン準備時間と、
私が車で通過する時間が重なるらしく、
植木鉢にせっせと水をやる
小柄なマスターらしき人をいつも見かける。

今朝も丁度、そのお店の前で車が停まり、
お店を眺めると、いつものようにマスターらしき人が
腕を組んでは首をかしげて、植木鉢を眺めている。

思い出したように、
眺めている植木鉢の位置を替えたり、
角度を変えたり。
そして、又、腕を組んでは首をかしげて
植木鉢を眺め始める。

「気が済むまで、やるつもりだなぁ」と思って
その様子を眺めている内に「誰かに似てる!」。

はたと、気が付いた。
誰あろう、それは私。庭で私がやる仕草と同じ。

その店に入ったことは無いけれど、
マスターのその様子を眺めているだけで、

お店の料理が「美味しい」ことが想像できる。

植木鉢でさえ
「気が済むまで繰り返しやる」のだから。

私は、マスターのその後ろ姿を見て
微笑ましい気分になったが、

スージィーも、庭で同じ仕草をする
私の後姿を、
どんな風に見ているだろうか? と・・・


今日、雨だったら出会えなかった光景。
曲は、はっぴい・えんど。「12月の雨の日」
昨日に続き「日本語のロック特集」

 

日本の Soft Rock - はっぴいえんど - 12月の雨の日 - 1970 HD PV

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「土手の向こうに」。.

2011年12月14日 | 日記

夕食を終えて2階に上がり、
入浴の時間まで、
足元でキャッシュとバンクを遊ばせながら、
パソコンをONにする。
      
と、ここまでは昨日と同じ。

昨日と今日が違うのは、昨日が「塀の上で」で、
今夜は、ランディさんも私もお気に入りの
「土手の向こうに」。
昨夜も今夜も「はちみつぱい」。


1970年代に「日本語のロック」
と言う言葉があった。
今でこそ「日本語でロック」を歌うことは、
当たり前のことだが、当時は違った。

今年7月、無念の死となった
中村とうよう氏が主宰する
「ニュー・ミュージック・マガジン」誌の
1970年代の日本のロック賞で
「ゆでめん」の、はっぴい・えんどが受賞した時、
英語で唄うフラワー・トラベリン・バンド率いる
内田裕也氏が噛み付いた。

「ロックは英語だ!」

その後、同誌で「ロックは、日本語か英語か」
の座談会まで特集された。
嘘みたいな本当の話。

私たちは日本人、
日本語が判り易いに決まってる。

アメリカのロック・ミュージックを
ベースにしたメロディも素晴らしいが、
松本隆や鈴木慶一の詩は、
見事にメロディにマッチして、
聴くものに情景を浮かび上がらせた。
私は、彼らの才能にときめいた。

「はっぴいえんど」や「はちみつぱい」を
評価する10代、20代の若い人たちも居が、

もっと、もっと、多くの若い人に
彼らの音楽を聴いて欲しい。
と思うのは、

「歳をとる」
という表れでしょうか。

入りも終わりも昨日と同じ。

 

ザ・バンドを彷彿させる
「土手の向こうに」のコーラスは、
いつ聴いても素晴らしい!

土手の向こうに.

 

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「塀の上で」を聴きながら。

2011年12月13日 | 日記

夕食を終えて2階に上がり、
入浴の時間まで、
足元でキャッシュとバンクを遊ばせながら、
パソコンをONにする。

先ず一通り、今日一日のニュースを眺める。
が、実のところ、ニュースをあまり見たくない。

最近、新聞もあまり読まなくなった。
理由は「喜・怒・哀・楽」の
真ん中二つの記事ばかり。

頭と尻尾の「喜・楽」の記事が無い。
読んでいて辛い。楽しくない。

最近、テレビもあまり観なくなった。
理由は「喜・楽」は、画面の中の
ハシャグタレントさんばかりで、

それを見ている画面の外の私は、
いつの頃からか、つまらなくなったテレビへの
「怒・哀」で気が滅入っててしまう。
観ていて辛い。楽しくない。

それで、you tube のドアを開ける。
お陰で好きな音源を捜しては「温故知新」
いろんな音楽が楽しめる。

今夜は、“凱旋帰国”の由紀さおりさんを
探している内に偶然「はちみつぱい」に出くわし
「塀の上で」を聴きながら、
昔のことを思い浮かべた。

新しいものに出会う時に覚える
「ときめき」よりも、
懐かしいものに再会する
「ときめき」のほうが、
数段心地良くなってきた。

ニュースもテレビも新しいのに、
新しいものへの関心が次第に薄れていく。

「歳をとる」
ということの表れでしょうか?

「塀の上で」を聴きながら
そう思った。

塀の上で-はちみつぱい

 

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「スローな休日」。

2011年12月12日 | 日記

 

久しぶりに家でのんびりと休日を過ごした。

家から出たのは、庭で
キャッシュとバンクのブラッシングと、
達郎の千回記念のいつもの番組を
聴きながらのいつもの散歩だけ。

せわしく動き回ってばかりの休日も良いけれど、
こんなスローな休日もたまには好いもの。

午後にテレサから小包が届いた。
中身は「菊芋の形をした愛」
早速、お礼の電話。

そして夜には
「俺も同窓会に行っていいじゃろうか?」
の遠くに住む同級生の電話。
「勿論!」

そして、山魚女小僧へ
「アナゴ煮」に姿を替えた
「アナゴの形をした愛」のお礼の電話。

何をするわけでもなく、
かと言って、何もしなかった訳でもないが、
スロー一日を過ごさせていただいた。

ただし、スージィーだけは相変わらず、
せわしく動き回ってばかり。

そして、故郷からは雪の便り。
 




植え終わったイチゴ。

 

 

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「彼と出くわす」。

2011年12月11日 | 日記

この福博の街で
「知人に出くわす」ということは
滅多にあることでは無いのに、

一昨日、“逢いたかった人”に出くわした。

とあるショッピング・センターで、
背中から「○○さん?」
と声を掛けられた。

声を掛けた人が
“逢いたかった人”と判るまでに、
3秒ほど時間を要した。

しばし、立ち話で
お互いの元気さを確認して、別れたその彼は、

イラスト・レイターでアウト・ドアの達人。
料理人でもあり、エッセイストでもある。
ジャズもユーモアも解る粋人。

人は必ず、どなたかの影響を受けて、
生き様を形成しているが、
私にとって彼はまさしくその恩人の一人。

勿論、スージィーも大好きな人。

同じアウト・ドア仲間のホリーさんとの
先日のガーデン・パーティでも
彼のことを尋ねたばかり。

病で細めていた身体も、
すっかり昔の“ふくらみ”を
取り戻していて、安心した。

特筆すべきは、
彼がリトル・カントリーのフアンであること。

私の宝物にその彼が我が故郷を
描いたカレンダーがある。
今日はそれをスキャンすることにした。

カレンダーは「1998年8月」

北里から湧蓋山を望む。

 



両神社前の沈み橋。

 



出くわした彼の名前は、品原克幸。

本当は「故郷にこの絵を飾りたい」
と思っていたが、良い機会が巡ってきた。

「積もる話しが山ほど有ります」
と言って別れた彼との
この「出くわす」に何か縁を感じます。

 

勝手に載せて「ごめん」。

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「ありがとう」。

2011年12月10日 | 日記

最近の私のブログを読んで、ある人から
「いつも明るいのに、らしく無いよっ」
と、メールが届いた。

ずっーと以前に、
ブログをいつも見ていただく別のお一人からも
「ロバートは、世の中の苦労知らずで、
悠々自適でな暮らしをしている」
と、羨ましくも、呆れ顔にも取れる表情で
言われたことがある。

人様の目には、我が家が
「明るく、良い暮らしぶり」に映るらしい。

ブログに「きれいごと」を
書いているつもりもないし、
嘘を書いても、理想を描いても、
誰も知らないし判らないが、
スージィーやキャッシュやバンクには、
それが真実か嘘かは、ちゃんと判っている。

他人様は騙せても家族は騙せない。

我が家が実際にどんな暮らしぶりを
しているかは、ブログの投稿内容で、
垣間見ることしかできないが、
人には言えない、グログには投稿できない
悩みも苦しみもある。

しかし、それを書いても誰も喜ばないし、
書いているほうも楽しくない。
マナだって、悲しい気持ちになるに決まっている。

勿論「我が家の青空」のコンセプトにも反する。


昨日、山女魚小憎から
「アナゴ」が届いた。

いろんな方達から、
いろんなものを戴いてばかり。
ありがたくて、嬉しくて涙が出そう。

今朝も山口さんから
沢山の野菜を戴いたばかり。

届いたものは「アナゴ」の形をした「愛」。
戴いたものは「野菜」の形をした「愛」。

皆さんから、元気付けられ、沢山の[愛]を戴く。
こんな幸せは無い。

日々、ブログのネタには困らないほど、
書きたいことは沢山あるが、
今朝、皆様への「ありがとう」の気持だけは、
書きとめていたかった。

皆様に感謝です。

追伸:山女魚小憎へ 
アナゴの写真の撮影に失敗しました。
「ごめん」。

曲は昨日見つけた
エリック・サティ ジムノペルディより

Blood Sweat & Tears - Variations By Erik Satie

 

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