我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「時代の声」

2014年08月31日 | 日記

世界中のいたるところで、戦争や事件。

相変わらず、人殺しが
繰り返されている。

さっき、産声をあげたばかりの
赤ん坊、

寿命を全うし、
暫らくしたら空を飛ぶ覚悟の出来た
老いた人達までもが、

無意義な人殺し(合い)に
巻き込まれている。

「人殺しは、いけない!」

地球上で繰り返えされきた
人殺しの、歴史の反省と教訓を、
どの国も戒律や説法、
教義で学んできたにも拘らず、

無意義な死を前に流す悲しみの涙は、
いくら流しても死者の血を
洗い流すことは出来ない。

血が流れて、涙が流れ、
また、
新しい血が流れて、
新しい涙が流れ落ちる。


世界中で連日のように、
いや、毎秒のように、
人殺しと、そのニュースが
胸を貫くように繰り返される。

虚しさだけを覚えるばかりで何も出来ず、
無念でならない小生、
人殺し(合い)について、
記すつもりは無かったが、

今朝読んだ、解散したザ・バンドの
ロビー・ロバートソンの
三年前にリリースしたソロ・アルバム
「How To Become Clairvoyant」
(「先を見る目の持ち主になる方法」の意)
の、当時のインタビュー記事を読んでいる内に、
小生の心と指が動いた。

これが、あってはならぬ、
無意義な人殺しに対して、無力の小生に、
たった一つ出来ること。

以下が、ロビーのインタビューと
その対象の曲。



「When The Night Was Young」は、
している時期を回想したものなんだ。

1960年代後半のアメリカの若
い世代、
究極的には世界中の若い世代が、
当時の世相に大きな影響力
を持っていた頃だ。

1960年代後半は戦争の真っ最中で、
ウッドスト
ック・フェスティバルに来ていた人や
アメリカ中の人が、「俺達は反対だ!」。

みんな立ち上がって、世の中を変えよう」
と言い、そのように行動し
た。

戦争をやめさせなければならなかった。
悪いことだからだ。現代
の若い世代が
同じようなスピリットの力を示すのを見たいね。

今の状
況はああではないし、
私達が登場したのがケネディ兄弟や
マーティン
・ルーサ・キングJrが暗殺された
時代だったからこそ、とても強力
なやり方で、
音楽が世界中の人々をひとつにしたんだ。

音楽はあの時代の声だ
った。

 補足
一度投稿を済ませたが、 
詩の一部分を 載せることにした。

♪ 

夜が若かったときに、我々は夢を持っていた
夜が若かったときに、我々は信者だった
私たちは、戦争を止める世界を変えることができ
前に、このような何も見たことがない
夜は若い頃
しかし、それが戻ってきました

♪ 

ロビー・ロバートソン
「When The Night Was Young 」
(夜が若かった時 )


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「術中にはまるな」

2014年08月29日 | 日記

日本人男性の平均寿命が、
約80歳。

同じ統計でも、年間アルコール摂取量は
平均値の高位に君臨するも、

他のあらゆる統計平均値、
たとえば「学力」を筆頭に、
押しなべて平均値の低位を
這うように生きてきた小生、

日ごろのアルコール多量摂取の因果で、
平均寿命数値を、はるかに下ぐるは明白。

何時、空を飛ぶやも知れぬ状況で
ここは、「天命に従う」が賢明と、
腹をくくって、ジタバタもせず、
日々、平穏に生かさせて頂いている次第。


されど、
「天命に従い」の続きには、
「人事をなす」の諺。

「なさずして、死する訳にはいかぬ!」
また、
「遣り残しの無きよう、生き抜こう!」と、

毎夜、酒を飲んでは、
己が己に言い聞かす。

言い聞かされた己は、
先ず、手短な目の前の遣れそうなものから
自分のペースで取り掛かる。

やおら腰を持ち上げて、
慌てず騒がず、バタバタせず。


ある日、相方が突然
「みっちゃんなら、絶対やれる」。

唆(そそのか)されて、つい、その気になって、
見よう見まねで練習重ねて幾年月、

どうにか様になったところで、
「待ってました」と初披露。

最初の、股間に手を置くその振りの
その瞬間に、

「バタン.  ツーッ ツーッ 
ツーッ ツッ. ・ツー・・・ 」

奇(く)しくもその日は、
念願の年金が、まともに生涯頂ける記念日、 

65歳のバースディ。 

そんな大事な日の、
大事なバースディに
みんなの前で、「帰らぬ人」

が、

落ち。

小生、いくらどうもがいても、
こんな踊りは踊れない。

いくら唆されようが、
残りの生涯で実現不可能なものに
手を出さない。

無理は禁物、時の無駄。
死に急ぎも同じこと。


寿命を延ばすにゃ、
人の術中にはまらぬこと。
折角掴んだ
自分のペースを護ること。


いくら「人事をなす」でも、
中には心残りな
「見果てぬ夢」もあるにはある。

「見果てぬ夢」は、
孫に託すが賢明。


その、「見果てぬ夢」の
相方が仕掛けて、
マナに踊らす踊りがこれ。

初登場
「ビリー・ジーン」

ご存知、マイケル。

Michael Jackson Billie Jean

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「術中にはまる」

2014年08月27日 | 日記

晩酌と夕食までに
今しばらく、時間があるようで、
小生の酒の薀蓄(うんちく)を
少しばかり。 


相も変わらず、
毎日、酒を頂いております。

たとえ、「アル中!」と呼ばれようとも、
一切、否定もせず、恥じる気など
微塵も持ち合わすことなく、

ひたすら毎日、酒を頂いております。

その際、小生は
覚悟し、気概をもって
酒を頂いております。

「酒を飲むのに、覚悟も気概も要らぬだろう」

そう、仰る向きもありましょうが、

「覚悟」も「気概」も持たずして、
ただ酒を頂くは、
甚だ酒に対し「無礼千万」。

酒への「崇敬の念」を持たずして、
ただ、闇雲に酒は頂くは、
「酒飲みに非ず」と信じ、

毎日、酒を頂いております。

酒を造る。あるいは、酒を売る。

酒を生業(なりわい)にした方たちと同様、
一途に酒を崇拝しております。
 

日に頂く酒の量は、
その日の「気分と体調と稼ぎ次第」
と心得ております。

頂く量を先ず決めるは、
「愚の骨頂」、「愚か者の所作」
と考えております。

誰にも計らせず、誰にも止めさせず。
すべからく、自らの酔いに任せるが
「酒飲みの流儀」と信じて、

毎日、酒を頂いております。
 

呆れるほどに 日課の如く
酒を頂く小生の片方で、
世には終生、酒を頂かないか方たちが
大勢いらっしゃいます。

嗜好は、人それぞれです。

「何が美味いか、さっぱり解らん。
酒飲みの気が知れん!」

いくら愚弄されようとも、

「お前なんぞに、解って貰わんで、結構!」

この言葉、けして口には致しませんが、

「『人生の楽しみの一つ』を知らぬ、可哀相なお方たち」

内心、ただただ、憐れみを覚えるばかりです。


小生、「酒と肴」は特段選びません。

高価なものが口に合わないのは、
小生の育ち柄。

酒は勿論、肴は安価でも、
新鮮で旬の野菜や小魚が少々あれば
十分にこと足ります。

「酒と肴」は選びませんが、
「酒の相方」は選びます。

相方の必須条件は
ユーモアの解せる人。

酒席に笑いがあれば、言うことなし。

「酒と笑いの相性」は、この上なく、
相方一つで、酒は更に旨味を増ばかり


さぁーて、そろそろ夕餉の卓に腰おろし、
今宵も酒を頂く時がやってきました。

下では最高の相方が待っています。

「安価な酒と旬の肴」、「最高の相方」
そして、「笑い」。

たとえば今夜、小生、死して、
これが最後の日記(遺言)になろうとも、
何一つ悔いはありません。

実はこれが、相方の思惑で、
小生が見事に術中にはまっていたとしても

今夜も酒を頂きます。

一切の疑念も無く、

「覚悟と気概」と「崇拝の念」を持って。


今夜も気分は

アイコ アイコ

多分 、初登場
ドクター・ジョンの

「アイコ アイコ」 

Dr.John -IKO IKO

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「至福の刻」

2014年08月24日 | 日記

土曜の朝は8時半、
福岡天神バスセンター。

行き着く先は小倉

最初の目的は、絵を観に行くこと。

「小倉」と言えば、「北九州美術館分館」
ただ今、「葛飾北斎展」開催中。

我が家に飾る同じ絵で
三枚あるのが、北斎の
「神奈川沖浪裏」



同じ絵が三枚あると言うことは、
それだけ、「好きだ」と言うこと。

子供の頃から目に焼き付けて、
やっと出遭うことが出来た、中でも
「富嶽三十六景」の作品群を前にして、
そこにあるのは「感激」だけ。

「駿洲江尻」


ボストン美術館所有の
北斎全作品を、これが見納めと観終えた2時間は

至福の刻(きざみ)。


もう一つの目的

「小倉」と言えば、魚町銀天街は、中華そば「藤王」。

今まで、いろんなお店で食べつくした、
好物「醤油ラーメン」で
一番食べたいラーメンの最頂。



今回、小倉訪問の目的の一つにしたのは、

それだけ「好きだ」と言うこと。

かつて、仕事で訪れた小倉で通い詰めた
七年ぶりに頂く醤油ラーメンを前にして、
そこにあるのは「感激」だけ。

スープを飲み干すまでの時間は
至福の刻。


「小倉」と言えば、「無法松」。

「無法松」と言えば、山女魚小僧。

藤王を離れて旦過市場を散策し、
今度は電車に乗り替えて、
某駅に“無法松”がお出迎え。

まだ日の暮れぬ内から、一杯が始まる

用意してくれた
「アラの刺し身」を前にして、
そこにあるのは「感激」だけ。

(残念ながら、画像なし)。

肴を食いつくし、
酒を飲み干すまでの〇時間は、
至福の刻。

宴を終えるまでに
なんと〇時間を要したのは、

それだけ、友と酌み交わす酒が、
酒酌み交わす友が、
「好きだ」と言うこと。

好きなことを三つも重ねた一日は、
これこそ、至福の刻。

北斎に感謝!

藤王に感謝!

小僧に感謝!

マリリンに感謝!

です。


小倉よ 今夜も ありがとう!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「信じるべき理由」

2014年08月22日 | 日記

先ずは、
本日の日記を始める前に一言



ニュースで 、小生の住む春日村が
大雨の被災地警報 の対象地域として
発表されたことで、沢山の方から
メールやお電話を頂きました。

ありがとうございます。 

皆様のご期待に応えることが出来ず、
今日もこうして、相変わらずの
日記を始めております。

もう暫らくのご辛抱を
心よりお願い申し上げます。

達者で、ご免!

・ 

「孫は可愛い!」

誰もがそんな想いで、
時には身の丈以上の愛情を
惜しみなく注ぐ。

傍(はた)から見ればその様は、
孫よりもよっぽど、愛おしく映る。

愛情の注ぎ方、可愛がり様は
千差万別、百人百様。

「あれが欲しい!」

「これがしたい」

可愛い孫から強請(ねだ)られると、

すぐに、欲求、要求に
応える方達ばかり。

しかし、その一方で、

手とお金は出さないが、
口(言葉)と汗は惜しみなく注ぐ
方達もいる。

小生は、その後者に属する
典型的な一人である。

お金が無いから
前者の手法を使えないのではなく、
「欲しいものを買い与える」、もしくは、
「したいことをさせてあげる」ことが、

時に孫の理想的な愛情の注ぎ方とは
思えないからである。


残された人生では
使い切れない年金や蓄えを、

「たんす預金」にするよりは、
孫のお強請りに使った方が、
経済社会の健全に違いないが、

問題は、その使い方。


さて、ここからは昨日のこと。

昨夕、南福岡駅にスージィーを
迎えのついでに、
駅構内のイオンのお店に買い物を付き合った。

幼稚園生ぐらいの、幼い男女の
二児のママの言葉に、

私は「はぁ?」

陳列された
ドラエモンがプリントされた
魚肉ソーセージを男の子が見つけて、

ママに、「これ買って!」
と強請り始めた。

何処にでもある、よく見かける風景、
特に珍しいシーンでもないが、

小生の「はぁ?」は
そのママの男の子に返した言葉。

「ダメッ!そんなものは、
ジィジに買って貰いなさい」。

「はぁ?」


聞け!万国のジィジ諸君、

“そんなものを買ってあげる”為に、
あなたは永年頑張ってきたのですか?

“そんなものを買ってあげる”ことが、
孫への愛ですか?

隣でそれを聞いていた小生、
何食わぬ顔して、ママに聞こえるように

すかさず、

「あーあっ、ジィジは可哀相!」

するとママは、気まずそうな顔に一変。

心中「してやったり!」

周りの誰も気付かない、
ママと
全国の、いや、万国のジィジを代表した
私だけのお話し。


この話で、帰路に就く車中、
二人の笑い声に包まれたのは、
「言うに及ばず」。

万国のジィジを代表して、面目躍如の

「痛快 嫁退治」のお話しの一幕。

めでたし、めでたし。


最後に

可愛い孫にお金を使えないジィジも
世の中には沢山いるけれど
心は皆、優しい爺ばかり。

偏屈で頑固だろうがその生き様には
確たる信念

信じるべき理由がある。 

この歌のように。

ティム・ハーデン 
「Reason to Believe」
(信じるべき理由 )

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「これぞ、ブルーズ!」

2014年08月21日 | 日記

今朝の読売新聞で
目を引いた記事。

「病的ギャンブラー 536万人」
その数 成人の約4.8%。

世界水準よりも高いこの数値には、
日本は気軽にギャンブルを
楽しめる環境にあるらしい。

そう言えば、かつての駅周辺や
歓楽街に集中した施設は、
今や郊外にまで場を拡げ
巨大化の一途にある。

ギャンブルに無縁の私でさえ、
何層もある駐車場には
いつも満車で驚くばかり。

駐車場を埋め尽くす車の持ち主たちは、

暇つぶしに楽しむ人、

ストレス解消に楽しむ人、

生活のために稼ぐ人、

稼ぐことより
ひたすら勝負事が好きな人。

目的も楽しみ方も人それぞれ、自由形
その数、536万人。

楽しんだ上に、
お土産を子供たちに持参の
ママもいれば、

楽しんだ末に、
お嫁さんと子供たちとの離散の
パパもいる。

勝負はいつも、裏と表。
勝負はいつも、表裏一体。

ギャンブルに限らず、
事業とて同じこと。


「勝つ!」と信じてやってみなけりゃ、
結果は判らぬが、

勝負運が希釈にも拘らず、
持分の僅かな運でさえ、既に使い果たし、
その上、極めて気の小さな小生なんぞは、

「勝つ訳けがない」

と天から信じて疑わず、

勝負が「裏か表」なら、確立も五分だが、
賭場に歩が無けりゃ
施設の巨大化などありえない。

「君子 危うきに 近寄らず」

なので、気の小さい輩は、

「勝者」の醍醐味も、
「敗者」の逆境から立ち上がる勇気も
持ち合わせることなど、けして無く

ひたすら、無難!
ひたすら、安全!

失うことも、得ることもなく
ただただ、それに尽きるだけ。


そんなわが国で、
にわかに持ち上がっているのが
「カジノ解禁」。

民営であろうが、公営であろうが、
利点もあれば欠点もある。

出来ればこれ以上、
「病的ギャンブラー」を増やさぬこと。

ギャンブルで身を持ち崩し、
子供たちと離散などに、
「決してならぬように」と願うのみ。

「ギャンブラー」
で思い出した今夜の曲は

House Of The Rising Sun
「朝日のあたる家」

恋人がギャンブラーで
身を持ち崩したお陰で、
娼家(朝日のあたる家、朝日楼)に
身を置かなければならなくなった
哀しい女の歌。

唄はニーナ・シモン

これぞ、ブルーズ!

House Of The Rising Sun

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「続々:申し訳ない」

2014年08月17日 | 日記

USBコネクターとメモリー・カードの
何らかの不調で、

大切な家族の夏の思い出を

「二人だけの脳裏にだけ焼き付けます」

諦めていたみんなの宝物の画像が、

やっとの思いで
アップできることになった。

「やっとの思い」とは、

今回、
残念ながら参加できなかったマナパパに
どうしても見て貰いたかったから。

「ボツにならず、ホッ!」

主催者の一人として責任を果たした今、
安堵で胸を撫で下ろしているところ。

回復した少ない画像の中から
時系列で。

13日
 
遊水峡のケンタとスージィー


みんなで「乾杯!」

14日

 
アブラメ釣師のマナとケンタパパ


喜多里亭のそうめん流し
左から、ケンタママ、ケンタ、マナ、マナママ、モカ
(カメラのロバは雨の中)


そうめん流し師のケンタパパ

 
花火
(個人的に一番好きな一枚) 
 

マナパパへ

来年も、再来年も、しっかりと
画像を届けます。

 
私に出来ることはこれくらいのこと

申し訳ない。
 

「  さよなら夏の日 」山下達郎 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「続:申し訳ない」

2014年08月16日 | 日記

これを聴かずして、夏を終えるは
四人の衆に義理を欠いたも同然。

ただただ、「申し訳ない!」
の一言に尽きる。

さて、四人の衆とは、

ドン・ウィルスン
ボブ・ボーグル
メル・テーラー
ノーキー・エドワーズ

ご存知、ザ・ベンチャーズ の
四人衆

曲は、「10番街の殺人」

これを聴かぬと
夏は来ぬ。

Slaughter on 10th Avenue'65 
The Ventures (10番街の殺人'65

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「申し訳ない」

2014年08月15日 | 日記

お昼前には子供たちの喧騒も無くなり、
我が家はすっかり、元の静けさを
取り戻した。

夏休みは「安息の休暇日」。

なのに、
普段よりも草臥(くたび)れること甚だしい。

帰省した「二家族と三人の子供」で、これだから
やってくる家族と子供の多いお家の方たちの
心身両面の疲れは計り知れないものがあり、

我が家如きで、

「草臥れる」

なんぞと言っておいては、

たちまち、一笑に付されてしまうに
違いなく、

なんとも恥かしい限りだが
それでも「草臥れた」とは

なんとも実に、申し訳ない。


昨日、14日の昼から
強い雨が降りだした。

幸いにも、
私たちのリトルでのアウト・ドアは
快晴に恵まれたが、

楽しいはずの野外の行楽を
私たち“13日組み”だけが満喫できて
雨に打たれた方たちには
申し訳ない気分でリトルを離れることに
なって仕舞った。

雨は春日村に着いても一向に治まらず、
子供たち待望の「そうめん流し」は、
雨の喜多里亭。

一夜明けて、喜多里亭は
今も雨。

あの時の大喜びの子供たちの歓声は
落ちる雨に流されてしまったが、

子供たちの心の中に、
あの楽しさは何時までも生き続けます。

そして、喧騒から開放されて只今、お昼の2時半。
缶ビールでチビチビやりながらの日記。

二人に、やっと訪れた
「安息の休暇日」。


今年もリトルで夏休みを過ごさせて頂いた。

リトルの変わらぬ「人情と自然」
皆さん、本当にありがとうございました。

今夏の我が家の思い出作りを
手伝ってくれた方たち、

私の子供たちを愛してくれた方たち、

家族を代表し御礼を申し上げます。


残念ですが、楽しくリトルで過ごした
折角の画像が、USBコネクターの不調で

取り込めません ・ ・ ・

「遊水峡」や「魚釣り」、「花火」や「そうめん流し」の
子供たちと私たちの笑顔は、
二人の脳裏にだけ、焼き付けることにしました。 

返す返すも



申し訳ない、心持ちです。 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お盆がやってくる:終」

2014年08月12日 | 日記

本日、二度目の投稿は
最初の投稿から針一回りの
夕刻6時。

空色は明日の快晴を約束したような
優しい青空。

期待の青空の下で、
さっきケンタ・ファミリーが
岡山から無事到着した。

これで、
入院中のマナパパを除く全員が
揃ったことになる。


みんなが揃ったところで、
これから食事に出かけるところ。

当然、酔っ払ってしまえば日記も書けず、
明日は早くよりリトルに出かける。
それで、二度目の投稿になった次第。

明日はいよいよ、
お盆がやってくる。

みんなの思い出作りの
お盆がやってくる。

明日はリトル

明日はお盆。 

明日はいよいよ、
お盆がやってくる。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お盆がやってくる:4」

2014年08月12日 | 日記

「もっと孫から好かれよう」
と思えば、

例えば、
嫌悪を覚える振る舞いが孫にあった時、
一般的には黙認するのが
妥当な処方なのだろうが、

いくら幼い子供と言えど
我輩は黙認せず「言葉にする」
を由とする。

大人が子にへつらう、迎合するなど、
他人様には容易いことでも、
我輩には出来様も無く、

己の信じる流儀に従い
たちまち実行にすれば、

私が覚えた嫌悪を、
今度は孫が覚えることになり、

よって、私は嫌われる。

「春日村には変わった親父がいる」

と死ぬまで嫌われて結構。

いくら嫌われようが
我輩が意を介することは全くなし。

そんな、頑固親父の元に、
今日はケンタがやってくる。

只今、12日午前6時。 

もうすぐ、お盆がやってくる。

はっぴいえんど 
「夏なんです」

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お盆がやってくる:3」

2014年08月10日 | 日記

いつも、我が家とマナ家に
旬の新鮮野菜を作ってくれて、

先週は、「そうめん流し」の竹まで
調達してくれた山口さん宅に
御礼のお土産を届けに出かけたのは、

台風が九州を通過して、
四国高知に上陸した
日曜日の午前のこと。


午後を過ぎると随分と
雨と風は弱まったが、
マナ待望の「そうめん流し」の
好ましいシチュエーションには、
ほど遠く。

それで、
いつでも始められるようにと
セッティングだけは済ませておいた。

マナが、
セッティングした喜多里亭で飛ぶ蜂を
目で追いかける内に、
蜂はあるものに吸い込まれて行った。

そしてマナが、あるものを発見した。

喜多里亭から僅か4mの
洗濯物干し場の天井
(2Fベランダの真下)に
マナが見つけたものとは

「蜂の巣」

それも、「スズメ蜂の巣}。

そう言えば確かに、
大きい蜂の飛行が頻繁だったのは
自覚はしていたが、まさか、こんな近くに
直径15cmほどになる「スズメ蜂の巣」が

あったとは ・ ・ ・

やっと「そうめん流し」の困惑から開放されて
台風の難も幸いに受けず、

数日後には、お盆がやってくるだけと
気分はとっくに夏休みで
安閑としていると

次にやってきたのは、
「ズメの巣」  ・ ・ ・


「スズメの巣を、如何に駆除するか? 」
明日は、市役所に相談の一報。

夏の盛りにまた、
新しい困惑が始まることになった 。


続く

「蜜の味」
66 The Ventures!! 【Live】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お盆がやってくる;2」

2014年08月09日 | 日記

もうすぐ、お盆がやってくる。
そして、もうすぐ、マナがやってくる。

けれど、その前に、
どうやら台風もやってくる。

やってくる台風が、いつ落すか判らなぬ
雨を気にしながら、

朝から、せっせと作る
「そうめん流し」の「竹」。

出来上がったと思ったら、
午後三時には、
マナが新幹線でやってきた。

お盆もマナも台風も、
きたけりゃいつでも好きな時に
束になってかかってきやがれっ!

こちとら、
「季節の風情を子供と愉しむ」
「そうめん流し」は準備万端。

なんなら、期待に応えて
一年中,「そうめん流し」
 

マナがきて、台風がきて、
もうすぐ、お盆がやってくる。

困惑から解放された
今日は、夏盛りの
八月九日。 

我輩の心はいつまでも
マナと一緒の

少年のまま。

続く


井上陽水   少年時代.flv

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お盆がやってくる:1」

2014年08月08日 | 日記

もうすぐ、お盆がやってくる。

そのお盆には、必ず帰ってくる
マナが電話で
「みっちゃん、『そうめん流し』しようーよっ!」。

子供は、
欲しいもの、したいことを言葉にすれば、
たいてい、欲求、希望が叶うと思っている。

マナは、
マンションのベランダでは出来ないことも、
喜多里亭では水も流せるし、

ママはいつも、
「みっちゃんにお金のおねだりをしても
『馬の耳に念仏』だからね!」

「それを言うなら
『ロバの耳に念仏』でしょう」って
思いながら、いつも聞いているけど

だけど、みっちゃんなら
乙女心を踏みにじるようなことは絶対しない
と信じている。


「じゃ、洗濯機でそうめん回して食べようか?」

とジョークでかわしたものの、
期待を裏切ることなど、我輩には
到底できそうもない。

しかし、
また、厄介な悩みの種が出来た ・ ・ ・

夏の盛りに困惑が始ることになる。


「夏、そうめん流し」

「季節の風情を子供と愉しむ」。

願ってもない大切なことなのに、
問題は、その準備。

身上は「軽輩」と言えど、
「風情・情緒を重んじる」を信条の我輩が、

塩ビのパイプや雨どいで、一時しのぎの
「そうめんを流し」など、
持っての外。

「季節の風情を子供と愉しむ」
この大切な儀式に、安直な手段を
間違っても我輩が選択する筈もない。

子供と言えど、想い出は一生もの。

本物の想い出作り。 


「そうめんを流し」は「竹」、
「青竹」に限る。

しかし、もうすぐ盆がやってくる
まもなくマナがやってくる。

時間がない。

問題は、

どうやって「青竹」を調達するか?

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ !

スージィーが山口さんに経緯を話した。

すると、二日後の朝、
お盆がやってくる前に

竹がやってきた!

続く 


「夏休み」   吉田拓郎  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする