2014年3月11日(火)
道の駅「なち」はJRきのくに線那智駅、入浴施設「丹敷の湯」と一体化された施設になっています。そして、線路を地下道でくぐると長い砂浜の海水浴場でした。
八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークになったいきさつが那智駅前の碑に書かれていました。野球で言えば正岡子規のような人が当地から輩出されていました。
朝の散歩を終え、コンビニで朝食をゲットし、熊野那智大社に向けて出発。
まず、熊野古道の美しい石畳が残されている大門坂に立ち寄りました。
ここでハプニング発生。スペインから旅行中の若者3人が熊野古道のスタンプを押す場所が分からないとのことで探すことに。大門茶屋にあることは分かりましたが、時間通りに開いていません。かって旅館をしていたという近所のおじいさんに我が家の庭を見ながら待ちなさいと言われ、急遽、庭見学、風水を英語でスペイン人に説明する羽目になりました。
やがて茶屋も開き、スタンプを押してもらいました。彼らが持っていたスタンプ帳には8時から開いていると書いてありますが、実際に開けるのは9時、これがトラブルの原因。一応、店の方に状況の説明だけはしておきました。しかし、熊野古道を歩くためにスペインから来る人がいるとは・・感心しました。
大門坂は、いい雰囲気の古道でした。
平成23年8月の台風12号による水害の跡はいまだに生々しく、工事のための片道通行がいたるところにありました。また、十津川村での悲劇的な事故は報道でよく知っていましたが、熊野方面のほうが被害が大きかったことはよく知りませんでした。
そのような道を通って那智の滝に向かいました。
ナイヤガラやヨセミテなどの滝も見たことがありますが、迫力は別にして、ご神体として崇められている滝は雰囲気が違います。
ここでも工事が行われていました。
熊野那智大社の一番上の(階段を登る距離が最短の)駐車場に停めることができました。この階段を登るだけです。
整然として厳かな雰囲気です。社殿は水害で損傷したそうですがきれいに修復されています。
八咫烏。
隣接する青岸渡寺。
境内から那智の滝方向。絵になる景色です。
熊野那智大社の参拝を終え、もと来た道を引き返し、新宮市の熊野速玉大社へ。
以前住んでいた横浜にも熊野神社がありました。ここが総本宮です。
祈る若者。
神事が行われていました。
門前の茶房「花風月」で昼食。めはり寿司をはじめて食べました。はまりそうです。お店の方の話、地元紙の特集写真集などから水害の被害の大きさを改めて認識しました。
熊野川沿いに上流へ向かう形で熊野本宮大社へ。広い無料駐車場へ停めることができました。
きらびやかだった那智大社、速玉大社と異なり、重厚さを感じさせる渋さの本宮大社です。
1889年(明治22年)まで本宮大社は熊野川の中洲にありましたが、2012年と同じような大水害があり、多くの社殿が流されてしまいました。その後、近くの丘の上に現在の本宮大社が再建されました。旧社地は大斎原(おおゆのはら)、神が舞い降りたパワースポットです。
熊野川の中州にあったということですが、現在は半分ほどが堤防で守られ、奥のほうは直接川原に接しています。
新旧の比較。
大斎原を訪れました。大きな鳥居があります。「なぜ?」と思いますが説明文を読んでも「なるほど」という気にはなれませんでした。
杉木立の奥にかって社殿が並んでいた場所がありました。
移転されなかった中四社、下四社が祀られています。
F老人の覚えにくい、苦手なものの中に神様の名前があります。おそらく神話をよく知らないからでしょう。そのようなF老人であっても落ち着いた敬虔な気持ちになったというのはやはり見えないパワーが発せられているからでしょうか。奇しくも長男が伴侶を得て本日入籍。素直な気持ちで幸せにと祈ることができました。
温泉つきの道の駅「おくとろ」に行く予定でしたが、ネットで情報を集めると道が狭く、不安でしたので、近くの温泉に入って、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に停泊することにしました。
わたらせ温泉へ。本宮大社から約5km、大露天風呂です。
歩いてつり橋を渡って。
大きな露天風呂が続いており、奥に行くほど温度が低くなっています。ゆったりできました。
道の駅「奥熊野古道ほんぐう」へ。わたらせ温泉から8.5km、本宮大社から3.5km、食堂が閉まる前に着くことができました。
熊野川のほとりにある民家に接しているものの静かなところです。
夕食、まず、お湯上がりの地ビール。うまし!
はまった「めはり寿司」連食。
途中で仕入れた焼酎で酒盛り。熟睡。
A:道の駅なち
B:熊野那智大社
C:熊野速玉大社
D:熊野本宮大社
E:わたらせ温泉
F:道の駅奥熊野古道ほんぐう