F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

うどん亀さん・F老人・紀伊半島・ウロウロ・キャラバン・5日目

2014年03月18日 19時11分46秒 | 旅行記

2014年3月11日(火)

道の駅「なち」はJRきのくに線那智駅、入浴施設「丹敷の湯」と一体化された施設になっています。そして、線路を地下道でくぐると長い砂浜の海水浴場でした。

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八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークになったいきさつが那智駅前の碑に書かれていました。野球で言えば正岡子規のような人が当地から輩出されていました。

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朝の散歩を終え、コンビニで朝食をゲットし、熊野那智大社に向けて出発。

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まず、熊野古道の美しい石畳が残されている大門坂に立ち寄りました。

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ここでハプニング発生。スペインから旅行中の若者3人が熊野古道のスタンプを押す場所が分からないとのことで探すことに。大門茶屋にあることは分かりましたが、時間通りに開いていません。かって旅館をしていたという近所のおじいさんに我が家の庭を見ながら待ちなさいと言われ、急遽、庭見学、風水を英語でスペイン人に説明する羽目になりました。

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やがて茶屋も開き、スタンプを押してもらいました。彼らが持っていたスタンプ帳には8時から開いていると書いてありますが、実際に開けるのは9時、これがトラブルの原因。一応、店の方に状況の説明だけはしておきました。しかし、熊野古道を歩くためにスペインから来る人がいるとは・・感心しました。

大門坂は、いい雰囲気の古道でした。

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平成23年8月の台風12号による水害の跡はいまだに生々しく、工事のための片道通行がいたるところにありました。また、十津川村での悲劇的な事故は報道でよく知っていましたが、熊野方面のほうが被害が大きかったことはよく知りませんでした。

そのような道を通って那智の滝に向かいました。

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ナイヤガラやヨセミテなどの滝も見たことがありますが、迫力は別にして、ご神体として崇められている滝は雰囲気が違います。

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ここでも工事が行われていました。

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熊野那智大社の一番上の(階段を登る距離が最短の)駐車場に停めることができました。この階段を登るだけです。

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整然として厳かな雰囲気です。社殿は水害で損傷したそうですがきれいに修復されています。

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八咫烏。

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隣接する青岸渡寺。

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境内から那智の滝方向。絵になる景色です。

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熊野那智大社の参拝を終え、もと来た道を引き返し、新宮市の熊野速玉大社へ。

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以前住んでいた横浜にも熊野神社がありました。ここが総本宮です。

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祈る若者。

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神事が行われていました。

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門前の茶房「花風月」で昼食。めはり寿司をはじめて食べました。はまりそうです。お店の方の話、地元紙の特集写真集などから水害の被害の大きさを改めて認識しました。

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熊野川沿いに上流へ向かう形で熊野本宮大社へ。広い無料駐車場へ停めることができました。

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きらびやかだった那智大社、速玉大社と異なり、重厚さを感じさせる渋さの本宮大社です。

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1889年(明治22年)まで本宮大社は熊野川の中洲にありましたが、2012年と同じような大水害があり、多くの社殿が流されてしまいました。その後、近くの丘の上に現在の本宮大社が再建されました。旧社地は大斎原(おおゆのはら)、神が舞い降りたパワースポットです。

熊野川の中州にあったということですが、現在は半分ほどが堤防で守られ、奥のほうは直接川原に接しています。

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新旧の比較。

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大斎原を訪れました。大きな鳥居があります。「なぜ?」と思いますが説明文を読んでも「なるほど」という気にはなれませんでした。

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杉木立の奥にかって社殿が並んでいた場所がありました。

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移転されなかった中四社、下四社が祀られています。

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F老人の覚えにくい、苦手なものの中に神様の名前があります。おそらく神話をよく知らないからでしょう。そのようなF老人であっても落ち着いた敬虔な気持ちになったというのはやはり見えないパワーが発せられているからでしょうか。奇しくも長男が伴侶を得て本日入籍。素直な気持ちで幸せにと祈ることができました。

温泉つきの道の駅「おくとろ」に行く予定でしたが、ネットで情報を集めると道が狭く、不安でしたので、近くの温泉に入って、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に停泊することにしました。

わたらせ温泉へ。本宮大社から約5km、大露天風呂です。

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歩いてつり橋を渡って。

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大きな露天風呂が続いており、奥に行くほど温度が低くなっています。ゆったりできました。

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道の駅「奥熊野古道ほんぐう」へ。わたらせ温泉から8.5km、本宮大社から3.5km、食堂が閉まる前に着くことができました。

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熊野川のほとりにある民家に接しているものの静かなところです。

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夕食、まず、お湯上がりの地ビール。うまし!

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はまった「めはり寿司」連食。

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途中で仕入れた焼酎で酒盛り。熟睡。

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大きな地図で見る

A:道の駅なち

B:熊野那智大社

C:熊野速玉大社

D:熊野本宮大社

E:わたらせ温泉

F:道の駅奥熊野古道ほんぐう


うどん亀さん・F老人・紀伊半島・ウロウロ・キャラバン・4日目

2014年03月18日 09時45分15秒 | 旅行記

2014年3月10日(月)

南紀白浜町椿温泉にある道の駅「椿はなの湯」を後にして、朝食を求めて南下を開始しました。道の駅はどこも9時開店で食事をすることができず、遅い朝食兼早い昼食にすることにして、潮岬観光タワーへ直行しました。9時40分着。

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さっそく、食堂に行って「近大本マグロ丼」1,600円を注文。大トロ、中トロ、赤身がバランスよくのっていて、特に大トロはとろけるようでした。

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お腹が落ち着いたところで、潮岬へ。高校で無線通信士を目指したF老人のトンツー練習用の原稿には「シオミサキムセン」とありました。また、船で潮岬沖を何度となく通りました。無線通信についていえば、花形であった商船用の海岸局は衛星通信、データ通信の発展で急速に無用化、同級生には悲哀を感じつつ、配置転換させられた人も多かったようです。

確証はありませんがタワーや芝生のある一帯が潮岬無線局跡地のようです。(受信アンテナは別のところだったとのこと。)

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運動不足解消を兼ねて、潮岬灯台まで徒歩で往復しました。

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海岸沿いの遊歩道を灯台に向かって歩きます。岩礁のいい景色が続きます。

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灯台に到着しました。

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光が届く距離は19マイル、約35km。

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左側は展示室。

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使われているフレネルレンズの原理。

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階段を登って上に。

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振り返ると。

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上を見ると。

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最後の階段。

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上からの眺め。この沖を航海していたのだなあと・・・・・。ここが本当の最南端。

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近くに神社。

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降りてから灯台のすぐ隣にある潮御崎神社へ。本州最南端の神社?

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強風から守るため石垣に囲まれていました。

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灯台の入り口のところにある立派なお宅は灯台とは関係なく、宮司さんのお宅でした。

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駐車場に戻り、個性的な橋、「くしもと大橋」を通って、樫野崎へ。

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樫野崎の無料駐車場、静かなところできれいなトイレもあり、停泊場所としてはいいようです。

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1890年(明治23年)月、オスマン・トルコ海軍の木造フリゲート、エルトゥールル号はここで遭難しました。詳細な経緯などはwiki「エルトゥールル号遭難事件」をご覧ください。

トルコ記念館。事故を契機とした日本とトルコの友好がよく分かります。屋上から見た岩に座礁し、船体はばらばらになりました。

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屋上から見た景色。一番沖の小さな岩が事故現場です。

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美しいタイルで飾られています。

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歩いて数分のところに慰霊碑があります。

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砲の形の花生け。

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さらに数分のところにある樫野崎灯台へ。

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なぜか、芝生の広場にトルコ初代大統領の騎馬像がありました。

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樫野崎灯台は日本最初の石造灯台です。

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灯台からの眺め。慰霊碑、記念館などの位置がよく分かります。手前の建物は官舎ですが、平日は見学ができません。

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海側。

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遠くに航空自衛隊第5警戒隊(レーダーサイト)のレドームが見えます。太平洋方向の対空警戒監視を行っています。

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駐車場にあるカフェ・ラパンで昼食。海を見てきたのでロコモコ。

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串本に隠れていた史実。アメリカの商船、レデイ・ワシントン号はラッコの毛皮を堺に売り込みに来て串本に寄航、数日を過ごした。

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日米修好記念館。史実を日米双方の資料により証明されていますが、鎖国政策上、「漂着」とされ、正式な寄港とは認められていないようです。

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近くに景勝地「海金剛」、樹木のトンネルの遊歩道を歩いていきます。

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遠方の灯台は樫野崎。

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昔見た太平洋の真ん中で見る水平線は360度何もありませんでした。当分、水平線を見ることはないかもしれません。

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橋杭岩を見ながら太地町くじらの博物館へ。高いと思いましたが、シーシェパードとの闘いを応援するつもりで入館。寒いと思いながらイルカショーを見て展示物の見学、くじらと捕鯨に関する資料はさすがに充実していました。

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イルカより観客のほうが少し多かった。

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シーシェパードの人たちに遭遇しないかと町を一周してみましたが、いたって平穏な町でした。

本日は定休日ですが駐車はできる道の駅「なち」で停泊することにして、新宮市のコインランドリーへ。

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洗濯終了後、休暇村南紀勝浦で入浴。清潔で気持ちのよいお風呂でした。

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大きな地図で見る

A:道の駅「椿はなの湯」

B:潮岬

C:樫野崎

D:日米修好記念館

E:太地町くじらの博物館

F:せんたく館新宮店

G:休暇村「南紀勝浦」

H:道の駅「なち」