異国の地で商売をする人達の苦労をずっと見てきている。或いは香港の下町で朝から夜遅まで働くく人達もずっと見て来ている。
私が行く、その下町の粥屋では、狭い厨房の中で家族一同が、順番に狭い厨房で立ちながら食事をしている光景によく出くわす。
爺さんも、孫もだ。
誰かが言った。「生きてるだけが人生だ。」
執着して生きることは無駄である。
その執着モノ自身も、広告宣伝、或いはネットで周知されたデタラメである。
それを自慢してどうする?
とっても滑稽ではないか?
満員のキャンプ場に一人で行くことが「ソロ・キャンプ」か?
指定された推薦本を読まされ、お決まりの感想文を書くことが教育なのか、
好きな本を自分で探すことが大事なのだ。
学校をサボって映画を見に行くこと、
年寄りに連れられて歌舞伎の帰りに「鰻や」で「山椒」について教わること、振舞い。丸善で便箋を買うこと、
インク吸取り器を使うのが「大人」だと思っていた。
我々凡人は、日々の生活にちょっとした「エッセンス」や「喜び」なんかを探してしまう。欲に言う趣味とか道楽というものだ。
「本来無一物」なのに・・
だから、俗物なのだね。恥・・汗。
そう現実はイデアの影か・・
「面白きこともなき世を面白く住みなしものは心なりけり」
野村望東尼 晋作
しかし今、精神疾患で多くの人が闇の世界に自ら閉じこもる。
自分の世界を持つことは、他人と比べることではない。
他人の価値観と比べれない。
ネット情報を鵜呑みにしない。
「カフェ坊」が得意になって語るウンチクは皆同じ内容、その月の雑誌の記事である。