現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

痛い!

2020-03-26 09:54:35 | 作品
「あーあ」
 彩加(さやか)はトイレから出るとため息をついた。今朝も生理が来ていなかったからだ。もう三か月もずっと生理がなかった。
 中学三年生の健康な女の子だというのに、彩加にもこれは異常なことのように思えた。
 でも、なんだか恥ずかしくて、おかあさんには相談できなかった。おかあさんの方でもうすうすは気づいているようだったが、今まではなんとかごまかしてきた。このままでは気がつかれるのは時間の問題だろう。
彩加は憂鬱な気分で、食堂のテーブルについた。
 そこには、彩加の朝食が用意されている。低脂肪のミルクとノンオイルドレッシングの野菜サラダだけだ。
「いただきまーす」
 彩加はミルクを一口飲むと、フォークでサラダをつつきだした。
「それだけで、本当に大丈夫?」
 おかあさんが、今日も心配そうに尋ねてくる。
「大丈夫、大丈夫。朝練があるんだから、おなかいっぱいだと走れなくなっちゃうのよ」
 彩加は、無理に笑顔を浮かべて答えた。
「それなら、走った後で食べられるように、サンドイッチかおにぎりでも持っていったら?」
 おかあさんが重ねてそう言ったけれど、
「ううん、走った後はぜんぜん食欲がなくて、まったく食べられないよ」
と、彩加は断った。
 本当のことを言うと、長期のダイエットによって収縮した彩加の胃袋には、朝食はそんな少ない量でもちょうどよかったのだ。

それよりも問題は、生理が来ないことだ。もともと彩加はおくての方で、初潮をむかえたのも他の子よりは遅く、中学生になってからだった。
 成長が早い子たちは、小学高学年になると次々とむかえはじめ、彩加は自分だけが取り残されたようで心配していた。
 中一になってようやくむかえた時、自分でも嬉しかったし、おかあさんもすごく喜んでくれて、昔からのしきたりどおりにお赤飯を炊いて祝ってくれた。
 しかし、去年の初めごろから生理が不順になって、暮れごろからはたまにしか来なくなってしまった。
 彩加は、身長百三十八センチで体重三十二キロ。クラスでも一番小柄だった。
 胸もぺったんこで、髪もベリーショートにしていたから、よく男の子と間違えられた。口の悪いクラスの男子からは「おとこおんな」とからかわれていた。

「ラストッ!」
 ストップウォッチを片手に、陸上部の顧問の宮川先生がどなった。
 彩加は、走るスピードを上げてラストスパートをかけた。
 あっという間に、前のランナーたちを追い抜いて先頭に立った。それまでは、駅伝チームのメンバーたちは、隊列を組んで一定のペースで走っていたが、ラスト一周だけは自由に走ってよかった。
 彩加は、そのまま後続を引き離して先頭でゴールインした。
「吉谷、いいぞ」
 ストップウォッチを片手に、宮川先生が笑顔で声をかけてくれた。
「はい」
 彩加は息が切れていなかったので、すぐに先生に応えられた。
次々にゴールインしてきた他の部員たちは、苦しそうに両ひざに手をついてあえいでいる。平気でクールダウンのジョギングをすぐに始めた彩加とは対照的だった。

「サーヤ、調子よさそうだね」
 練習が終わって、スポーツタオルで汗を拭きながら、部室のある校舎のそばに彩加が来た時、同じ陸上部の由姫(ゆみ)が声をかけてきた。
 由姫は、彩加とは対照的に大柄でがっしりした体格をしていた。専門種目は砲丸投げだ。陸上部でも有数の実力のある選手で、二年生のころから市大会で活躍していた。今年は県大会にも、彩加の学校からはただ一人で出場している。
 由姫は、今日は生理中で練習を休んでいたので、校舎のそばで彩加たち駅伝チームの練習を見ていた。
「まったく面倒くさくて。彩加がうらやましいな」
 前に、彩加が生理のこない悩みを打ち明けた時、由姫はあっけらかんとそう言っていた。
 陸上部で一番小柄な彩加と一番大柄な由姫、不思議に気が合って、一番の仲良しだった。

彩加は、来月にせまった市の駅伝大会の選手に選ばれていた。彩加にとっては、これが最初で最後のレギュラーだった。しかもエース区間を任されている。ここのところ二千メートル走のタイムが急激に伸びてチームで一番になったので、宮川先生に補欠から大抜擢されたのだ。
 彩加たち三年生は、この大会で引退することになっていた。二年間の苦しい練習と減量に耐えた彩加の努力が、ようやく報われる時がきたのだ。
一年のころの彩加はやはり小柄だったけれど、どちらかというとポッチャリタイプで、ピークの時には体重が四十五キロもあった。
「吉谷、もっと体重を落とさないと、タイムが伸びないぞ」
 宮川先生に口を酸っぱくして言われて、この二年間で十三キロも体重を落としていた。
 その影響か、身長も二センチしか伸びなかったのは、かなりショックだった。
 しかし、体重を落とした効果は、三年生になってからてきめんに表れてきた。
 今では、足が軽々と前に出てストライドが伸びたし、ピッチをあげて長く走っても疲れが少なかった。
 彩加は、二年生のころまでのタイムを、三年になってから大幅に更新していた。

「うめえー!」
「最高っす!」
 駅伝のメンバーに選ばれなかった子たちは、コンビニでアイスクリームを買って、おいしそうに食べている。
「ずっと我慢していたんだあ」
 屈託なくそう言いながらアイスをなめている子たちを見て、彩加は少しうらやましかった。
 彩加に限らず、駅伝チームのメンバーは、宮川先生から帰り道でのアイスを厳禁されていた。もっとも中にはこっそり食べている子たちもいたが、彩加はまじめにいいつけを守っていた。
(がまん、がまん)
 大会が終われば部活を引退するので、帰り道だけでなく普段の生活でも自分に課している「アイスクリームやチョコレートは厳禁」という戒めを解くことができる。彩加は、もう半年以上もスイーツ類を食べたことがなかった。クリスマスも誕生日も、家族にも付き合ってもらってケーキを我慢していた。
 普段の食事でも、おかあさんの協力で、今朝の朝食のように炭水化物や糖類をできるだけ少なくしたメニューにしてもらっている。
「サラダばかりで、大丈夫?」
 おかあさんは心配していたけれど、
「平気、平気。部活でも絶好調なんだから」
 彩加はそう答えて、最近生理がないことは、おかあさんにはひた隠しにしていた。

 翌日も、彩加はチームメイトと練習をしていた。
 千メートルを過ぎたところだった。
(痛い!)
 カーブで左足を踏み出した瞬間、足首にズキンと痛みがはしった。
 とっさにその足をかばったので、足の運びがばらついて、隣を走る子にぶつかりそうになった。
 彩加は、何とかバランスを立て直した。
 でも、左の足首の痛みは続いている。
 彩加は、なるべく左足に体重をかけないように注意しながら、走り続けた。
 千二百メートルから千六百メートルへ。
 走るにつれて、足首の痛みはますますひどくなってきていた。
(痛い!)
 彩加は、とうとう我慢できなくなって、一人コースを外れると、その場にうずくまってしまった。
「吉谷、どうした?」
 宮川先生が、心配そうな顔をして駆け寄ってきた。

「疲労骨折ね」
 レントゲンを見ながら、女性のお医者さんがあっさりと言った。白衣に「田丸」と書いたネームプレートを付けている。髪をボブカットにして、両耳にピアスをした若い先生だった。
 田丸先生は、それからもいろいろな検査をしてくれた。
 どうやら彩加は、骨密度にも異常があるようだった。
「中学三年生かあ」
 田丸先生は、画面に映し出された彩加の検査データを見ていたが、急に声を潜めて言った。
「ねえ、あなた生理はちゃんとあるの?」
 彩加が赤くなってうつむくと、
「やっぱりねえ。まだ血液検査の結果は出ていないけれど、きっと疲労骨折は女性ホルモンの異常のせいよ」
「えっ!」
 彩加がびっくりして顔を上げると、
「過度のダイエットと激しい運動のやりすぎが原因なの。生理がとまるだけでなく、骨密度も低くなっちゃうの。あなたの骨はスカスカで、まるでおばあさんのようよ。どうやら成長も遅れているようだし、このままだと赤ちゃんも産めなくなっちゃうよ」
 ズバズバ言われて、彩加が泣きそうになると、
「大丈夫、今からきちんと治療すればちゃんと治るから」
と、田丸先生は急に表情をゆるめて、彩加を励ますように言ってくれた。

 次の日、彩加が学校へ行くと、宮川先生から職員室へ呼び出された。
「吉谷、足は大丈夫か?」
「いえ、左足首の疲労骨折だそうです」
「そうだってなあ」
 宮川先生は、彩加から骨折と聞いても、少しも驚いた様子はなかった。どうやら、彩加の骨折の情報は、病院から学校へも直接いっていたようだ。
「それで、すまないんだが、今度の大会のメンバーからははずれてもらうことになったから」
「…!」
 彩加は、大会に出られないことはすでに覚悟していた。左足の患部をギブスで固定して、片方だけだが松葉づえまでついている状態では、とても大会までには回復できそうにない。
 でも、宮川先生から、最初で最後のレースに出場できないことを正式に告げられると、彩加は改めて強いショックを受けていた。
「ついてないなあ。吉谷が抜けると、今度の大会は厳しくなるぞ」
 宮川先生は、彩加が怪我やレギュラー落ちでショックを受けていることよりも、チームの大会での結果の方を心配しているようだった。

「ああ、おいしかったあ」
 夕ご飯の時に、彩加は思わず言ってしまった。いつもはごはんをほとんど食べないのに、今日はお茶碗によそわれたごはんを残さずに食べられた。久しぶりの白いごはんは、甘くて本当においしかった。
「よかった。おかわりは?」
 おかあさんが聞いてくれたが、
「ううん、もうおなかいっぱい」
と、彩加は答えた。これからはダイエットをする必要はないのだから、おかわりしてもっと食べてもいいのだが、胃が小さくなっているので、それ以上はうけつけそうになかった。
「ダイエットし過ぎてたからねえ。まあ、だんだん食べられるようになるんじゃない」
 おかあさんは、田丸先生からもらったアンチダイエットの食事の注意表に従って、タンパク質やカルシウムなどの身体を作る栄養を十分に含んだおいしい料理をたくさん作ってくれていた。今までと違って、炭水化物や糖類もたっぷり入っている。
 なんだか、おかあさんは怪我の心配よりも、彩加がもうこれ以上過剰な練習やダイエットをしなくていいことを喜んでいるようだった。

おかあさんが張り切って用意してくれる食事を、きちんと食べるようになって、彩加の体重はだんだんと増えていった。もう練習はまったくしていないので、その影響ももちろんあるだろう。学校でも、今までのように給食のパンを全部家に持ち帰るようなことはせずに、きちんと残さずに食べている。
 毎朝、体重計にのるのが彩加は楽しみだった。田丸先生からは体重を少なくとも四十キロまでは戻すように言われている。ランニングのタイムの代わりに。毎日つけるようになった彩加の体重グラフは、順調に右肩上がりになっていた。
 宮川先生にチームを抜けさせられてからしばらくは、彩加は強いショックを受けていたけれど、田丸先生にもアドバイスされたように、今はしっかりと身体を治すことが先決だった。
 幸い、左足首の痛みはすっかりなくなっていた。気のせいか、身長も少し伸びたような気がする。

数か月後、運動部の女の子たちを対象に、学校で「無月経と疲労骨折の関係」についての講演と指導があった。
 講師は田丸先生だった。
 陸上部を休部中の彩加も、講演には参加した。左足首の骨折はすっかり治っていたけれど、もう高校受験に備えて部活を引退する時期になっていたので、陸上部には籍だけを置いてそのまま練習は休んでいる。
といって、走るのが嫌いになったわけではないので、毎朝一人で家のまわりを走っていた。練習不足と太ったせいか、すぐに息切れして怪我の前のようには速く走れなかったけれど、ランニングしているだけで気持ちがよかった。
(私って、本当に長距離走が好きなんだなあ)
と、初めて実感できたような気がしていた。
部活で走っている時は、タイムが速くなるのはうれしかったけれど、どこか宮川先生に無理に走らせているようだったのだ。
 身体が風を切っていく音、規則正しい自分の息遣い、アスファルトをけるリズミカルな足音、…。
 朝早いので、彩加の家のまわりの住宅地には、散歩しているお年寄りや犬を連れた人たちをたまに見かけるだけだった。
 こうして自主的に走っていると、ランニングの楽しさを自分で実感できるようになっていた。

 田丸先生は、プロジェクターを使った三十分ほどの講演の後で、駅伝チームの女の子たちだけでなく、体操、新体操、バレーボール、バスケットボールなど、ダイエットをしていそうな女子部員たちに、一人一人の体重や練習時間や食生活、生理の有無などを質問しながら、時間をかけて時には厳しく個人指導していった。
 でも、まるまる太っていかにも健康優良児のような砲丸投げの由姫だけには、
「あなたはダイエットしてないんでしょ。ならぜんぜん大丈夫ね」
と、太鼓判を押していた。
 田丸先生の講演と指導の内容は、宮川先生を含めて、運動部の顧問の先生たちにも伝えられた。
 しかし、宮川先生は、過度のダイエットと練習を強要して疲労骨折させてしまったことを、とうとう彩加本人にはあやまらなかった。

 (あっ!)
 それから、しばらくした朝だった。
 彩加に、半年ぶりに生理が戻った。
 これで、将来ちゃんとおかあさんにもなれると思ったら、すごくうれしかった。
 もうすぐ入学する高校では、また陸上部に復帰して、全国高校駅伝を目指すつもりだった。
 そのチームの指導者は女性で、田丸先生の情報だと、選手たちの健康管理に、非常に理解があるとのことだった。


 

 

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