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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

さよなら、シュウチ

2020-06-01 09:44:25 | 作品
 両手でパッパッと砂を払うと、ぼくはアスファルトの道路に耳を押し当てて横になった。
 向こうから自動車が走ってくる。4WDのバギー、オフロード専用のやつだ。
 バギーは、ぐんぐんスピードを上げて近づいてくる。
「わーっ!」
 そばにいた男の子たちが、叫び声をあげる。
 ぶつかると思った瞬間、ぼくは思わず目をつぶってしまった。
でも、バギーは鋭く左にカーブして、ぼくの頭すれすれをかすめて走り去っていく。幅広のタイヤが巻き上げた砂埃が、鼻をツーンと刺激した。
「ほーっ!」
 みんなの声が、今度は感心したようなため息に変わった。
「ミッタン、だいじょうぶかあ!」
 向こうから、修司が大声を出しながら走ってきた。手には、RC(ラジコン)のコントローラーを握りしめている。
そう、さっきのバギーはRCの模型だったのだ。
「ああ。でも、ギリギリだったぜ」
 ぼくは道路から跳ね起きると、ニッコリしながら答えた。

今度は、ぼくの番だ。愛車のサンドホッパーⅡを手に、二十メートル先のスタート地点に向かった。
 RCによる腕試し。これは、ぼくと修司がみんなの前でよくやるデモンストレーションだ。うまくいけば観衆をアッと言わせることができる。
 スタート地点に立った時、ぼくの心臓はドキドキしてきた。もし、失敗して、修司の顔や頭に激突させたら、いくら模型とはいえけがをさせてしまうかもしれない。
そう思うと、何度やってもスタート前は緊張してしまう。
 それに引き替え、目標になっている時はまったく平気だった。修司のRCの腕前に、絶対の信頼をおいているからだ。
「シュウチ、いくぞ」
 さっきの地点に横になった修司に、声をかけた。
シュウチというのは、修司の呼び名だ。ぼくたちは、お互いを「シュウチ」、「ミッタン(ぼくの名前が道隆だからだ)」と、呼び合っている。
 ぼくは、コントローラーを操作して、サンドホッパーⅡをスタートさせた。
 すぐに全速力になった。ぐんぐん修司に近づいていく。
「わあーっ!」
 また観衆から歓声があがった。
 次の瞬間、サンドホッパーⅡは、修司のだいぶ手前でカーブしてしまっていた。

 かあさんによると、修司に初めて出会ったのは、二人とも一才になる前のことだという。
 近くの公園の砂場に、双方のおかあさんにバギーに乗せられてやってきていたのだ。
 それ以来、修司とはずっと一緒だった。
 居間の壁に、ベタベタとはってあるぼくのいろいろな写真。そのほとんどに、修司も写っている。
 若葉幼稚園の入園式、運動会、遠足、雪ん子発表会、……。
 いつも、修司と一緒だった。
 年中のナデシコ組でも、年長のバラ組でも同じクラスだったから、たっぷり二年分の写真がある。
 それから、そろって若葉小学校へ。ここでも、一年の時からずっと同じクラスだった。
 入学式。運動会。遠足、学芸会、……。
 もううんざりするほど一緒の写真がある。
 スイミングスクールに入ったのも一緒。1級になって辞めたのさえ同じ時だった。
 今、ぼくたちは小学校六年生になったところだから、もう十年以上の付き合いになる。
 RCにのめり込むようになったのは、ぼくの方が一週間ほど早かった。二年前に、従兄の健太にいちゃんから、二台のRCをもらったのだ。
「ミッタン、これあげるよ。もう使わないから」
 健太にいちゃんは、照れくさそうに笑いながら言った。
「えっ?」
 ぼくは、びっくりしてしまった。これらのRCを、健太にいちゃんがどんなに大事にしていたか、よく知っていたからだ。勝手に触って、プロレス技をかけられてこっぴどく痛めつけられたこともある。
「どうして? もう使わないの?」
 ぼくは、健太にいちゃんにたずねた。
「うん。中学に入ったら、本格的にサッカーをやるんだ。毎日、夕方遅くまで練習があるし、土日も試合なんだ」
「ふーん」
 サッカーをやるからって、どうしてRCをやめてしまうのかよくわからなかった。
でも、とりあえず納得したような顔をしておいた。だって、RCをもらったのが、うれしくてたまらなかったんだもの。
 その時、ぼくもRCを持っていた。だけど、それは、健太にいちゃんのやつに比べれば、まったくチャチなオモチャみたいのだった。家の中でならなんとかなるけれど、外で走らせると、砂や障害物なんかですぐに止まってしまう。だから、今まではあまりRCに熱中していなかった。
「おにいちゃん、ありがとう」
 ぼくがいうと、健太にいちゃんはまた照れくさそうに笑っていた。
(あっ!) 
ぼくは初めて気がついた。いつもはくりくり坊主頭だった健太にいちゃんが、前髪を少し伸ばしていることに。ひたいの上のところが、ひさしのように少しとがっている。スポーツ刈りってやつだろう。それにいつのまにか、背もすごく高くなっている。もしかすると、うちのかあさんよりも大きいかもしれない。ぼくには、なんだか健太にいちゃんが見知らぬ大人になってしまったかのように、まぶしく感じられた。

 もらった二台のRCのうち一台は、一週間後に修司にあげた。ただし、古い方のやつだけど。
こういうことは、一人で遊ぶより仲間がいた方がだんぜん面白い。
「ほんとにもらっちゃって、いいの?」
 修司は、こういった時にいつも浮かべる、はにかんだような笑顔になった。こうして、ぼくも修司も本格的なRCを手に入れたってわけだ。
 すぐに、ぼくはRCに熱中するようになった。
毎月のこずかい、クリスマスプレゼント、お年玉などを、すべてRCにつぎこんだ。本体以外にも、バッテリー、チューンアップ(改造して性能を上げること)部品など、けっこうお金がかかるのだ。それに、RCの知識をつけるために雑誌や専門書も買わなければならない。そのために、コミックスやゲームソフトなどは、すべて友だちから借りるだけでがまんすることにした。
 修司も、ぼくと同様にRCに熱中するようになった。
 でも、違っていたのは、ぼくが二年間に四回も新しいRCを買ったのに、修司は二回だけだったことだ。
 高性能の新製品が出るたびに、ぼくはついついそれを買ってしまう。ところが、修司の方は、いちど手にしたRCを、徹底的にチューンアップして使い込むのだ。
 今、修司が使っているグラスブラスターは、ぼくのサンドホッパーⅡより一世代古いマシンだ。
でも、公園などで競走させてみると、どうもぼくの方が、少し分が悪かった。

 ルルルー、ルルルー、……。
「はい」
 修司のおかあさんが電話にでた。
「あの、石川ですが、シュウチいますか?」
 今週のRCの大会について、相談するつもりだった。
「あら、ミッタン。今、修司はいないのよ。今日は塾の日だから」
「えっ、塾?」
 思わずびっくりして、修司のおかあさんに聞き返してしまった。ぼくも修司も、今まで塾なんかに通ったことはなかった。
「あら、修司から聞いてない? 急に塾に通いたいって言い出して、今週から行ってるのよ。そういえば、珍しくミッタンとは一緒じゃないって、言ってたけど」
 修司のおかあさんも、意外そうな感じだった。
 でも、もっと驚かされたのはこっちの方だ。そんなこと、ぜんぜん聞いていなかった。
「そうですか、わかりました」
受話器を置いてからも、ぼくはなんだかモヤモヤした気持ちだった。
(シュウチの奴、塾へ通うなんて、どういう風の吹きまわしだろう。それに、ぼくに内緒だなんて)

 翌日、学校で会った時に、ぼくはすぐに修司にたずねた。
「シュウチ、塾に通っているんだって?」
「えっ、ああ、ちょっとね」
 修司は、少しあわてたように答えた。
「どうして、急にそんな気になったんだい?」
「うん、私立を受けようかと思っているんだ」
 修司は、さりげなさそうに答えた。
「えっ、私立だって!」
 ぼくの方は、またびっくりさせられてしまった。
ぼくたちの学校では、女子にはけっこう私立中学を受ける子もいたけれど、男子で受験するのは少数派だった。修司も、ぼくと同じように地元の公立中学にすすむのだと思っていた。
「どうしたんだよ。親に受けろって、言われたのか?」
「いや、そうじゃないんだけど」
 修司は、ちょっと困ったような表情を浮かべていた。
「じゃあ、どうしてなんだよ」
 ぼくが重ねてたずねても、とうとう最後まで、修司ははっきりした理由は答えなかった。

 それから、数日後のことだった。
その日、ぼくは自転車を飛ばして、駅前の模型店へRCのパーツを買いに行っていた。
 店を出たとき、ロータリーの向こう側の公園に修司がいることに気がついた。
(シュウチ!)
 すんでのところで、声をかけるのを思いとどまった。誰かと一緒だったからだ。
よく見ると、3組の村越香奈枝さんだった。二人は、楽しそうに何かを話している。
 ぼくは、離れたところからじっと二人をながめていた。
 しばらくして、二人は並んで公園から出てきた。
(あっ!)
 そのとき、ぼくは気づいてしまったのだ。二人が手をつないでいることを。
 その時、前から犬を連れた女の人がやって来た。二人は、パッと手を離して少し距離をおいた。
 でも、女の人が通り過ぎると、二人はまた寄り添いながら手をつないだ。
 ぼくは思わずコソコソと、また模型店の中に戻ってしまった。とても修司に声なんかかけられない。関係ないのに、なんだかぼくの方が照れてしまう。
 二人はこちらに向かって歩いてきて、駅のそばのビルまでくると、またつないでいた手を離した。そして、そのままビルの中に入っていた。
その時になって初めて、そのビルに修司が行っているという進学塾があることに気づいた。

(シュウチに彼女がいたなんて!)
 自転車をゆっくり走らせながら、ぼくはまだ驚いていた。そういえば、修司はいつもバレンタインチョコもたくさんもらっていた。クラスの男子でも、もてるほうだと思う。その点は、せいぜい隣の席の女の子から義理チョコをもらうだけのぼくとはぜんぜん違う。
 でも、付き合っている彼女がいるなんて、今までぜんぜん気がつかなかった。もしかしたら、塾に入ったのも彼女がいたからかもしれない。
(チェッ、女の子とでれでれしやがって)
 なんだか、無性に腹が立ってきた。
 家に戻ると、すぐに情報通のケンちゃんに電話した。
「なんだ、ミッタン、知らなかったのか。3組の女子の間では、もう有名な話だぜ」
 やっぱり、バレンタインデーのチョコがきっかけだったようだ。そのときに、香奈枝さんの方から告白されて、修司もOKしたらしい。
「もてる奴は、いいよなあ」
 ケンちゃんは、うらやましそうな声を出していた。
さらに、ケンちゃんの情報では、修司は彼女と同じ私立を受けるのだという。そのために、塾へ通いだしたに違いない。
(それならそうと、なんでぼくに話してくれないんだろう)
 ぼくは、まだモヤモヤした気分のまま電話をきった。

「よおっ」
 バス停のところで、先にきていた修司にいつものように声をかけた。
「やあっ」
 修司もすぐに返事をかえした。こちらもいつもと変わりはない。昨日、香奈枝さんと一緒だったところを見られたとは思っていないのだろう。ぼくの方も、二人を見たことは、修司に黙っていようと思っていた。
 修司も、ぼくと同じようなナップザックをせおっている。中には、RCやコントローラー、それに調整用の工具などがぎっしりとつまっていた。これから、二人でRCの大会に出場しにいくのだ。
 今日の大会は、あちこちで開かれている草レースとはわけがちがう。大手模型メーカーが主催している全国大会の予選だった。今日の県大会で上位に入れば、関東ブロックへ。そして、そこでも上位に入れば、東京で開かれる全国大会に出場できる。
すでに始まっている各地の大会での入賞者は、まんが雑誌に写真入りで紹介されていた。全国大会は、テレビ中継までおこなわれる予定になっている。
 会場は、ターミナル駅にあるデパートだ。家からは、バスと電車を乗り継いで一時間近くもかかる。こんな本格的な大会に参加するのは、二人とも初めてだった。
「わくわくするなあ」
 ぼくは、いささか興奮気味だった。昨日の夜は遅くまで寝付けなかった。
「うん」
 それにひきかえ、修司の様子はいつもと変わらないようだった。

 大会の会場になったデパートの屋上には、すでにたくさんの小学生たちが集まっていた。みんな、それぞれチューンアップをかさねた、じまんの愛車を手にしている。
 会場のまんなかには、すでに今日のレースの舞台になる特設コースが作られていた。
直線とカーブを組み合わせた一周五十メートルのコース。レースは、このコースを五周してあらそわれる。コースのところどころには、木やタイヤで作った障害物がおかれている。ベニヤ板のジャンプ台も二か所あった。
 ぼくと修司は、たんねんにコースを下見した。
「どうだ?」
 ぼくは、修司にきいてみた。
「ジャンプのあとに、すぐ右カーブするところがあるだろ。あそこが要注意だな」
「うん。それと、木でデコボコになってるところが、けっこうむずかしいんじゃないか?」
「そうだな。ギアはローに落としたほうがいいよ」
 ぼくたちは、会場のはじに荷物をおろすと、ウォーミングアップをはじめた。
それぞれの愛車にバッテリーを装着して、軽く走らせてみる。裏返しにして、サスペンションやハンドル、ブレーキなどをチェックする。
そうやって準備をしていると、だんだん大会への興奮が高まってきた。
 今日の大会には、ぜんぶで二百人以上も出場するらしい。一レースは四台ずつ。予選、準々決勝、準決勝、決勝と、優勝するまでには、四レースも戦わなければならない。優勝できなくても、決勝戦まですすんだ四人は、全員が関東大会に出場できる。
 しかし、決勝まで残るためには、それまでの三レースを、すべて一位でクリアしなければならないのだ。
 本部になっているテントの前には、上位入賞者に贈られるトロフィーや盾などがならべられていた。そのそばには、予選出場者の組み合わせ表もはられている。それによると、ぼくと修司は決勝まですすまないと、レースで顔をあわせることはないようだ。
「シュウチ、決勝であおうぜ」
 ぼくは、修司にVサインを送った。
「ああ、ミッタンもがんばれよ」
 修司も、にっこりしてそう答えた。

 バーン。
スターターのピストルで、四台のRCがいっせいにスタートした。ぼくのサンドホッパーⅡは、ちょっと出遅れて三番手になっている。
はじめのカーブで少しふくらんで、コースの外壁にぶつかった。
 でも、すぐにバックできりかえして、先行する二台を追っかける。ヘアピン、S字は、なんなく突破した。
 問題の木で作られたデコボコ道にさしかかる。ここも、修司のアドバイスどおりにギアをローにして、しんちょうにクリアした。
 いよいよ最初のジャンプ。サンドホッパーⅡを、いきおいよくジャンプ台へつっこませた。
着地して、すぐに右カーブ。
(しまった!)
 完全に着地する前にハンドルを切ってしまったのか、サンドホッパーⅡははげしく横転してしまった。一回転半して裏返しに。後輪だけがむなしくまわっている。
 コースぞいに立っていた係りのおにいさんが、すぐに車体をおこしてくれた。急いで再スタートさせる。さいわい、故障はしていないようだ。
 しかし、その間にもう一台ぬかれて、とうとう最下位になってしまっている。
(くそーっ!)
 ぼくはくちびるを強くかみしめると、必死に先行する三台を追いかけはじめた。

 修司のレースが始まった。
ぼくはコースの横の最前列に立って、修司の愛車、グラスブラスターを応援していた。
 けっきょく、ぼくのサンドホッパーⅡは、後半の追い上げで一台抜いたものの、残念ながら三位で予選落ちしてしまっていた。
(シュウチ、がんばれよ)
 せめて修司には、予選だけでも突破してほしかった。
 グラスブラスターは好スタートをきると、快調に二位をキープしていた。先行するグリーンのシャドーランナーとも、わずか1、2メートル差だ。
 修司はいつものように、おちついてコントロールしていた。カーブやデコボコ道では、あせらずにスピードダウンして確実にクリア。ストレートコースやジャンプ台では、一気に加速している。
 二周目のコーナーで、とうとうチャンスがきた。先行していたシャドーランナーが、カーブでふくらんで外壁に接触しスピンしてしまったのだ。
グラスブラスターは、すばやくその横をすりぬけて先頭にたった。
「やったあ、シュウチ」
 ぼくは、おもわず大声を出してしまった。
 でも、修司はニコリともせずに、グラスブラスターをコントロールしていた。

 レースは四周目に入った。いぜんとしてグラスブラスターが先頭。二位の車とは、1/4周近く差がついている。
 ジャンプ台のところで、グラスブラスターは最下位の周回おくれの車に追いついた。黄色のロードビートだ。
外にふくらんだこの車をさけて、修司はインコースからぬこうとしている。
 ほとんど同時にジャンプ。
「あーっ!」
 観客からどよめきがおこった。
 ロードビートが着地と同時にスピンして、内側へつっこんだのだ。グラスブラスターは、ロードビートと内壁の間にサンドイッチになってしまった。
 バーン。
グラスブラスターが、大きくはねあがった。そしておしりからもろに地面へ激突してしまった。
 バリーン。
大きな音がしてリアウイングがわれて、遠くにふっとんだ。
「あーああっ」
 観客の声がためいきにかわる。
 ぼくはあわてて、そのそばにかけよっていった。
すぐに係りのおにいさんが、グラスブラスターをおこしてくれた。
 ところが、なかなか再スタートできない。
 スタート地点にいる修司を見ると、必死にコントローラーを操作している。
 でも、グラスブラスターはピクリとも動かなかった。どうやらモーターのあたりで、断線でもしてしまったらしい。
 とうとう係りのおにいさんが、両腕でバッテンを作った。リタイヤのサインだ。
修司は、残念そうにうなずいている。
ぼくは係りのおにいさんから、修司のかわりにグラスブラスターを受け取った。リアウイングがかけただけでなく、シャーシにも大きくひびがはいっている。地面にぶつかったときの衝撃が、いかに大きかったかわかる。
 コントローラーを手に、すぐに修司がやってきた。表情がすっかりこわばっている。思わぬ敗戦と愛車の大破で、さすがの修司もショックをうけているらしい。
 バーン。
うしろでピストルがなった。どうやら一位の車がゴールインしたらしい。
「わーっ!」
 観客からあがった大きな歓声を背に、ぼくは修司と一緒にその場を立ち去った。

「ふーっ」
 Lサイズのコーラを半分ぐらい一気にのみほすと、ぼくは大きなためいきをついた。修司はハンバーガーを手にして、まだぼんやりしているようだった。ぼくたちは会場をはなれて、屋上のはずれにあったハンバーガーショップに入っていた。
「わーっ!」
 ここからでも、レース場の歓声がはっきりときこえる。
「ちえっ、あのロードビートのやつ、シュウチにあやまったかあ?」
「ううん」
「あとでとっつかまえて、ぶんなぐってやろうか?」
「よせよ、あいつだって、わざとやったんじゃないし」
 修司は、急に真顔になってとめた。ぼくが手の早いことは、よく知っているのだ。
「そりゃ、そうだけど、おもしろくねえなあ」
 ぼくはやけくそ気味に、ダブルバーガーにかぶりついた。
「あーあ、ついてねえなあ。まあ、おれの予選落ちは実力かもしれないけど、シュウチの方は絶対に勝てたのに」
 ダブルバーガーを食べ終わったとき、ぼくはもういちどためいきをついた。
「いや、ちがうよ」
 思いがけず、修司がハッキリした声で言った。
「えっ?」
 ぼくはおどろいて、修司の顔を見た。
「ああいう事故にあうのは、やっぱり実力がないからだよ。二位とは充分に差があったんだから、あそこで無理して周回遅れのロードビートをぬくことはなかったんだよ」
 修司はきっぱりと言った。
「うん、まあ、そうかもしれないけどさ」
 ぼくはコップに残っていた氷を口にほうりこんで、いすから立ち上がった。

「わーっ!」
 コースの方では、あいかわらず熱戦が続いている。
 でも、こちらから見ていると、もう別世界のようだ。五月の風が、汗ばんだ額に気もちがよかった。
 ずっと楽しみにしてきたRCの大会。それが、あっというまに終わってしまったのだ。なんだか、すっかり気がぬけていた。
「シュウチ、来月さあ、マミヤの大会があるけど、出てみないか」
 なんとか気をふるいおこして、修司にいってみた。
「……」
 返事がなかった。
「だからさあ、もういちど練習して、マミヤの大会に出てみようよ」
 ぼくはテーブルにもどって、もういちどいった。
「いや、おれはもうやめるよ」
 いきなり修司がポツリといった。
「えっ?」
「もうRCのレースに出るのを、やめようとおもうんだ」
「どうして、あのくらいの故障なら、シャーシをぜんぶかえなくてもなおせるよ」
「……」
「もし金がないんなら、修理代を貸してもいいぜ。こないだ、おじいちゃんのところで芝刈りのバイトをやったから」
「ううん、そんなことじゃないんだ」
「じゃあ、どうしてだよ」
 ぼくがいきおいこんでたずねても、修司はそれ以上はっきりとした理由を答えようとしなかった。

 帰りの電車の中で、ぼくたちはほとんど口をきかなかった。つり皮につかまりながら、ぼくはチラチラッと修司の横顔をながめていた。
(こいつ、みんなの前ではじをかいたからって、いやになったんじゃねえだろうな)
 もしそうなら、そんないくじなしとはこっちから絶交だ。ぼくは目玉に力をこめて、修司の横顔をにらんでやった。
 でも、修司はそんなことには少しも気づかないかのように、すずしい顔をして立っている。どう見ても、あんなことでまいってしまうような、ヤワなやつには見えない。
 と、その時、ふいにぼくは、修司がいつのまにか背がすごくのびていることに気づいた。
 つり皮につかまったぼくの腕よりも、修司の方がたっぷりと余裕があるのだ。どうやら二、三センチは、ぼくより身長が高くなっている。
 ぼくは軽いショックを受けてしまった。小さいときからずっと、ぼくの方が体は大きかったのだ。ぼくは六月生れで修司は一月生れだから、赤んぼの時にぼくが大きいのはあたりまえだ。
でも、その後もずっと少しだけリードしていた。
  ぼくの家の居間の壁には、古くなった身長計がある。ぼくの二才の誕生日に、とうさんが買ってきてくれたらしい。そして、毎年、誕生日に、ひとりむすこのぼくの身長を記入するのが、わが家の習慣になっている。
 二才の時のぼくの身長は、たった八十四センチしかなかった。去年、十一才の誕生日の時は、百五十三センチ。九年間で倍近くになったわけだ。
 五才の時からは、ぼくだけでなく同じ日の修司の身長も記録されている。修司がいつも一緒にはかりたがったからだ。その記録は、いつも二、三センチぼくより低かった。
 来月の十八日に、またぼくの誕生日がやってくる。
でも、その身長計はもう使えない。だって、目もりが百六十センチまでしかないからだ。ぼくたちの身長は、もうそれをこえてしまっていた。
 修司の横顔をもういちどながめながら、二年前に健太にいちゃんがいったことばを思い出していた。
(これ、あげるよ。もう使わないから)
 RCで遊ばなくなる日が来る。今のぼくには、まだそんなことはとても考えられなかった。
あの時、健太にいちゃんがいっていた「サッカー」のような何かを、ぼくはまだ見つけていなかった。
もしかすると、修司はぼくより一歩先に、その「何か」を見つけてしまったのかもしれない。

 駅前から、「若葉町住宅」行きのバスにのった。昼すぎの車内は、ガラガラだった。
ぼくたちは通路をはさんで、はなれた席にすわっていた。
修司は、ずっと窓の外をながめている。そんな姿を、ぼくは横目でチラチラ見ながら考えていた。
(修司の「何か」って、私立受験なのか、香奈枝さんなのか。それとも、別の「何か」を見つけたのか)
 ぼくには、まだよくわからなかった。
でも、とにかく修司が、「何か」を見つけたことだけは確かなようだった。
 そして、きっとぼくにも、「何か」を見つける日が来るのだろうなと思った。なんだか、それはそんなに遠い日ではないような気がしてきていた。
 バスが、ぼくたちの停留所についた。
「じゃあな」
 バスからおりると、修司はかるく手をあげてぼくにあいさつした。
「うん、じゃあな」
 ぼくも手をあげて返事をした。
 修司は、反対方向へすぐに大またで歩いていった。
 ぼくも肩のバッグをゆすりあげると、家へむかって歩き出した。
 でも、すぐに立ちどまってふり返った。
修司のうしろすがたは、ぐんぐん遠ざかっていく。なんだか、いつもの見慣れた修司とは別人のように見えた。
「さよなら、シュウチ」
 ぼくは、口の中で小さくつぶやいてみた。


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