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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「ないしょ!」

2019-02-18 08:50:53 | 作品論
 この作品は、普通の物語絵本ではなく、子ども向けの新聞に連載された連作掌編のひとつひとつに絵をつけてまとめたものです。
 後藤は、ヤングアダルトから幼年まで、シリアスなものからエンターテインメントまで、自在に書き分けられた稀有な現代児童文学作家です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、2010年を「現代児童文学」の終焉とした理由のひとつに、彼の死をあげています。
 この絵本でも、キレのいい掌編をうまくまとめて、全体ではひとつの大きな物語が浮かび上がらせています。
 長谷川の絵も、いつもながら迫力満点で魅力があります。
 この二人のコンビは、「1ねん1くみ」シリーズなどで、読者にはお馴染みなのですが、よほど相性がいいのか、絵本などでも一緒に多くの仕事をしています。

ないしょ!
クリエーター情報なし
新日本出版社
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皿海達哉「ナイフ」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-17 09:35:39 | 作品論
 この作品も、主人公は普通の小学校六年生の男の子です。
 主人公は、学校対抗の野球の試合のメンバーにも選ばれず、クラスの女の子たちのいざこざ(リーダー格の女の子がなくした指輪を、別の女の子が盗んだのか、拾っただけなのか)にも巻き込まれます。
 男の子の世界でもうまくいかず(これも1976年の出版時期にはすでに変わっていたと思いますが、作者の子ども時代のころの学校対抗の野球の試合の持つ意味は、今では想像できないぐらい大きなものでした。なにしろ、他に盛んなスポーツがないので、男の子のほとんど全員がいっぱしの野球プレーヤーでしたから)、女の子たちにも相手にされない(しかも不運にもいざこざにまで巻き込まれてしまう)男の子の屈折した感情が見事に書かれています。
 20年後の1996年に、それまで野球を全く知らなかったあさのあつこ(本人が語っています)は、超人的少年ピッチャー原田巧を生みだして、「バッテリー」シリーズを1000万部以上売ることに成功しました。
 この間に、確実に児童文学は変貌をとげました。
 自然主義的文学からエンターテインメントへ、普通の男の子が共感できる男の子の主人公から、女性読者(大人も含みます)があこがれるヒーロー的な男の子の主人公へ。
 近代文学をベースにした「現代児童文学」は、こうして終焉しました。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
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偕成社

 
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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「りんご畑の九月」

2019-02-17 09:33:22 | 作品論
 農家の子どもたちが、りんご泥棒を見張る話です。
 人間を信じることの大切さを伝える後藤の文もいいし、長谷川の絵もいつものように魅力的なのですが、どこかしっくりとしません。
 絵本というよりは、短編小説に大きな絵をたくさんつけたような感じなのです。
 絵本で一番大事な、ページをめくった時にどんな世界(絵)がひろがるかのわくわく感が、決定的に欠けています。
 その原因は、後藤の文にストーリー性が不足していることだと思います。
 そのため、美しいシーン(絵)はたくさんあるのですが、それらが十分に生かされていないように思いました。

りんご畑の九月
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新日本出版社
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石井睦美「すみれちゃん」

2019-02-16 09:11:01 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 幼稚園児のすみれちゃんを主人公にした連作短編集で、時間が進行しない「循環型」でなく短編ごとに時間が進んでいく「進行型」です。
 シリーズ作品ですが、その後も主人公は成長していって、読者の成長に合わせてお話が進んでいくようです。
 ストーリーは主人公に妹が生まれることの葛藤を描いた平凡なものですが、ところどころで主人公が歌を歌うミュージカル仕立てのような点が工夫されています。
 主人公の年齢からするとやや文章が難しくかたい感じですが、シリーズが進むにつれてあっていくのでしょう。
 ただ、この本の範囲においては、エピソードがありきたりで、本になっていない素人作品も含めて同様の作品はすでにたくさん書かれているでしょう。

すみれちゃん
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偕成社
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皿海達哉「メジロのとまり木」坂をのぼれば所収

2019-02-15 09:25:49 | 作品論
 小学六年生の稔は、大晦日の日に、正月に使うウラジロを探しに山に行った時に、足に枝をぶらさげたメジロを見かけます。
 トリモチを使った罠から逃れてきたのでしょう。
 しかし、枝を足にぶら下げたままなので、上手に飛ぶことも枝にとまることもできません。
 それでも懸命に飛んでいるメジロを見て、それまで熱中していたメジロ捕りをもうやめようと思います。
 始業式の朝に、前を歩いている中学生たちの会話から、そのメジロがナワシログミの枝にひっかり、さらに空気銃で撃たれて死んだことを知ります。
 稔は、卒業記念の植樹の木を、メジロが大好きな蜜のたくさんある赤い花の椿にしようと思います。
 この作品は、従来の「アクションとダイアローグ」で書かれた現代児童文学ではなく、主人公の心理を中心に徹底して「描写」を用いて書かれた「小説」です。
 この本は1978年に初版が出たのですが、このころから小説化した児童文学が現れ始めて、それらの本では読者の対象年齢も上がって、やがて一般文学への越境が始まります。
  物の哀れ、生き物の死、弱者へのまなざしなど、感受性豊かな少年の気持ちを鮮やかに描き出していますが、今の同年代の読者には高尚過ぎるかもしれません。
 しかし、それ以前に、このような普通の男の子を主人公にした男の子向けの作品(出版当時あるいは作者が子ども時代の地方の男の子の遊びである、メジロ捕りについて克明に描いています)など、L文学(女性の作家が女性の読者のために女性を主人公にした文学)全盛の現在では、出版すらされないでしょう。

坂をのぼれば
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PHP研究所
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河合雅雄「モル氏」少年動物誌所収

2019-02-13 14:44:39 | 作品論
 小学生の男の子が、縁日で買ったモルモットを、弟と一緒に飼う話です。
 戦前の地方で、しかも、主人公はのちにサル学の権威になる学者の子ども時代なので、現代のペットのモルモットを飼うようなチマチマしたお話とは次元が違います。
 目的は、ずばり、つがいで飼って子どもを増やして、金儲けをしようというのです。
 巣箱も餌もすべて手作りで、子どもたちだけで繁殖に取り組みます。
 この種の話は、昔はわりと一般的だったようで、柏原兵三の「兎の結末」(その記事を参照してください)も、兄弟(ただしこちらは中高生)でつがいの兎を飼って増やそうとする話でした。
 柏原の方は、つがいだと思っていた兎が二匹ともオスだったので頓挫しますが、こちらは順調に増えていきます。
 いや増えすぎて70匹以上にもなってしまい、しかもあまり売れず、兄弟は大食らいのモルモットたちの餌の草刈りに追われます。
 そして、とうとうあたりの草を刈りつくしてしまい、よその畑の麦にまで手を出してしまうところで、お話は終わります。
 動物学者の冷静な観察眼は、動物愛護的な児童文学にありがちな甘さに流されずに、モルモットたちの生や死、それに生殖までも包み隠さず克明に描き出しています。
 
少年動物誌 (福音館文庫 ノンフィクション)
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福音館書店

 
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エリック・カール「1,2,3 どうぶつえんへ」

2019-02-12 08:59:13 | 作品論
 「かずのほん」と銘打たれた一種の知育絵本です。
 ただ、そんな堅苦しいことは抜きに、鮮やかな色彩と見事な造形を楽しめます。
 1から10までの数字以外に、いっさい文字はありません。
 子どもたちの大好きな蒸気機関車に引かれた貨車には、ゾウ、カバ、キリン、ライオン、クマ、ワニ、アザラシ、サル、ヘビ、トリが、それぞれの数字の数だけ描かれています。
 そして、すべてが揃うとできあがるのは?(それは読んでのお楽しみ)
 動物好きの子どもならば、繰り返し何度でも楽しめます。

1,2,3どうぶつえんへ (文字と数のほん)
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偕成社
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安東みきえ・さく ミロコマチコ・え「ヒワとゾウガメ」

2019-01-23 15:54:51 | 作品論
 あける24号という同人誌に掲載された作品が、2014年に絵本として出版されました。
 作品の内容は、同人誌の時とほとんど変わらないので、そちらの記事を参照してください。
 その時述べたように、主人公たち(特にヒワ)のビジュアル面が文章からはわからない点は、絵本になったことで解消されています。
 作者の作品は哲学的な内容を含んでいるので、子どもたちには難しいかもしれませんが、最近の絵本の読者の中心になっている広範な年齢の女性たちには受け入れられると思われます。
 ミロコマチコの絵は力強くて魅力的なのですが、作者の持ち味である繊細な感覚と練り上げられた文章には、もっと精密なイラスト風の絵の方がマッチしているのではないでしょうか。

ヒワとゾウガメ
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佼成出版社
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長 新太「キャベツくんとブタヤマさん」

2019-01-18 17:42:49 | 作品論
 この絵本にも、「キャベツくん」(その記事を参照してください)が登場するのですが、お話自体はあまりシリーズらしくありません。
 大きなサカナ、ヘビ、ムカデ、ミミズ、アオムシがどんどん登場して、子どもたちの大好きな繰り返しの手法を使って、楽しい絵本になっています。
 ユーモアがありながら迫力満点の絵に比べると、文章や物語の魅力はもう一つです。

キャベツくんとブタヤマさん (えほんのもり 17)
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文研出版
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石井桃子「ノンちゃん 雲に乗る」

2019-01-18 17:38:40 | 作品論
 1951年に出版され、1955年に、当時天才少女バイオリニストとして有名だった鰐淵晴子を主役に、おかあさん役の原節子などの豪華俳優陣で映画化されて、ベストセラーになった児童文学作品です。
 一般的には、1959年にスタートしたと言われている「現代児童文学」以前の作品として扱われています。
 戦前戦中を舞台にしている戦争に対する立場があいまいな点などから、社会主義リアリズムの立場をとる「現代児童文学者」たちからは、批判ないし黙殺されることが多かった作品ですが、戦前の中流家庭とそこで暮らす子どもたち(特に主人公のにいちゃん)を生き生きと描いた点は、もっと評価されるべきだと思われます。
 ただし、現時点で読むと、雲のおじいさんの教訓めいた話と主人公が優等生すぎる点が鼻につく読者が多いでしょう。

ノンちゃん雲に乗る (福音館創作童話シリーズ)
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福音館書店
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神沢利子「ハンカチのねずみ」いないいないばあや所収

2019-01-18 17:34:34 | 作品論
 幼い子どもたちにはわからない大人の世界。
 それを垣間見る主人公の様子が描かれています。
 同じような雰囲気の短編は、芥川賞作家の柏原兵三の「メンコの王さま」でも読んだことがあります。
 また、それ以外の一般文学者が幼少のころを描いた作品でも、同じような味わいの短編がありました。
 そういった意味では、神沢のこの短編集は児童文学と一般文学のボーダーにある作品なのかもしれません。
 児童文学と一般文学の越境化が注目され始めたのは、ちょうどこの作品が発表された1970年代後半で、その後は児童文学の世界で急速に一般化されていきました(例えば、江國香織や湯本香樹実や荻原規子の作品など)。
 しかし、それ以前にも、前述したように一般文学者が幼少の読者を意識して書いた作品などにそういったものはあり、この越境化という現象は、たんに児童文学者側からの意識変化にすぎないように思えます。
 それは、1950年代に形成された「現代児童文学」が行き詰まりを見せて、その枠組みから外れる作品が生み出されたということなのかもしれません。

いないいないばあや (岩波少年少女の本)
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岩波書店
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グードルン・パウゼヴァング「お手本」そこに僕らは居合わせた所収

2019-01-15 09:33:36 | 作品論
 主人公の女の子は、宿題の「お手本とする人」のネタに困って、祖母に尋ねます。
 すると、祖母の少女時代のお手本は、意外にもアドルフ・ヒトラーだったと言われます。
 ヒトラーが死んだときには涙を流したほどだといい、当時の少女団に入っていた人たちはみんなそうだったと証言します。
 さらにもう一人のお手本は、父親の親友のナチス党の管区指導者だった男だとも言います。
 しかし、このお手本には祖母は裏切られています。
 ロシア軍が攻めてきた時に、みんなには逃げるなと言いながら、自分は家族と村を脱出したのです。
 そして、祖母の真のお手本は、貧しい名もない農婦だと教えてくれます。
 この農婦は、戦争中に近くの捕虜収容所から労働の割り当てとして農場に来ていたフランス人にも、夕方に彼を迎えにきた収容所のドイツ兵にも、分け隔てなく夕食のジャガイモをふるまったのだと説明します。
 この作品の語り手が述べてるように、敵味方なく同じ人間として接することの大切さは、洋の東西も時代も問わず、世界平和のためには一番重要なことでしょう。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
クリエーター情報なし
みすず書房
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「第一話 ルナールの誕生と子供時代」狐物語所収

2019-01-06 11:58:47 | 作品論
 児童文学の動物ファンタジーでは、動物によっては既定のキャラクターがそのまま設定されている場合があります。
 例えば、キツネの場合は、「ずるい」、「賢い」、そしてその二つを兼ね備えた「ずるがしこい」というキャラクター設定がされることが多いです。
 これらのキャラクターは、12世紀のフランスで異なる作者によって生み出された「狐物語」の主人公である、キツネの「ルナール」によって確立されたものでしょう。
 この短編では、ルナールが誕生した背景について書かれています。
 中世ヨーロッパは王政でしたので、ライオンを王として、このお話の脇役であるオオカミの「イザングラン」は重臣という設定です。
 王に直接はむかうことはこの時代では死を意味しますから、このお話では、代わりに重臣のイザングランを権力の象徴として、本来は力を持たない民衆の代表であるルナールが、ずるがしこさを発揮してイザングランをやっつける姿に、読者たちは喝采したのでしょう。
 ただし、現在ではこうした本来の物語構造をすっかり忘れられて、たんなるキャラクター設定になっている場合が多いようです。
 なお、本来は民衆(大人)のために書かれたので、「狐物語」には猥雑なシーンが頻出します。
 それが、子ども用の物語になる過程において漂白されて、人畜無害なものになってしまいました。
 過度にモラリッシュな現在の日本の児童文学界では、こういったピカレスクロマンを受け入れるのは難しいでしょう。

狐物語 (岩波文庫)
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岩波書店
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小沢正「ゆめの オルゴール」目をさませトラゴロウ所収

2018-12-20 17:34:45 | 作品論
 ゆめのオルゴールは、例によってきつねが発明した、その音を聞くと自分の好きな物を夢に見ることができる物です。
 それによって、トラゴロウの宿敵のりょうしや機関銃の弾丸が、トラゴロウの大好物の肉まんじゅうに変わってしまいます。
 子どもの好きな繰り返しの手法を使って、いろいろなパターンでオルゴールと肉まんじゅうが出てくるのですが、今回はややひねりすぎていて、幼年の読者にはすっきりと楽しめないかもしれません。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
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理論社
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神沢利子「熊」いないいないばあや所収

2018-12-15 14:24:49 | 作品論
 カーニバルの夜の仮装大会で優勝したのは熊に扮した八百屋の御用聞きの若者でした。
 でも、主人公には、口ひげをはやし胸毛も生えているとうさんの方が、もっと本物の熊のように思えてしまうのでした。
 幼い日の、虚構と現実がないまぜになったような夢幻の世界を、鮮やかに描いています。
 他の短編もそうですが、平山英三の挿絵が作品世界をさらに際立たせています。

いないいないばあや (岩波少年少女の本)
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岩波書店
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