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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

蜂飼耳「葉っぱ」のろのろひつじとせかせかひつじ所収

2019-04-12 09:03:40 | 作品論
 雨で畑仕事ができないので、のろのろひつじは、いつかせかせかひつじと行った森の絵を描いています。
 のろのろひつじは、葉っぱの一枚一枚を丁寧に書いているので、なかなかすすみません。
 葉っぱを三枚描いたところで、せかせかひつじが遊びに来ました。
 のろのろひつじが、二匹で食べたアイスクリームの片づけをキッチンでしている間に、せかせかひつじが葉っぱを描きだしてしまいます。
 急いで描いたのであまりうまくありません。
 どんどん描いているうちに、とうとう画用紙を葉っぱで埋め尽くしてしまいます。
 のろのろひつじは勝手に描かれてしまったのでがっかりしますが、いつの間にか「森」が完成していることに気づきます。
 そして、また二匹で森へ行こうと思います。
 前の二編よりは二匹のひつじの性格の違いがいかされていますし、かすかに友情も読み取れます。
 ただ、擬人化度がより高くなったので、動物ファンタジーで描く意味合いはあまり感じられません。
 それに、文章がだらだらとしていて、幼年を読者対象としているなら文章が長すぎると思います。
 おそらくこの作品は、若い女性を読者対象に想定しているのでしょう。
 そのため、キャラメル味のアイスクリームなど、女性好みの小道具で読者にサービスしていますが、いかにもありがちな感じがします。

のろのろひつじとせかせかひつじ (おはなしルネッサンス)
クリエーター情報なし
理論社

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ビアトリクス・ポター「りすのナトキンのおはなし」ピーター・ラビット全おはなし集所収

2019-04-07 09:02:48 | 作品論
 この作品でも、主人公のナトキンは、ピーター・ラビットと同様にいたずらっ子に設定されています。
 いい子ばかりの他のリスたちと違って、ナトキンは一人でいろいろな当時の子どもたちの遊びやなぞなぞをしてふざけています。
 この作品で興味深いのは、登場する動物たちが擬人化されているだけでなく、それぞれの本来の生態も残していることです。
 特に、ラストでナトキンがフクロウのブラウンじいさまを怒らせて、あやうく食べられてしまいそうになるところは非常にスリルがあって面白いです。
 また、作品世界に、人間、擬人化された動物、それ以外の動物(リスたちがブラウンじいさまに差し出すネズミやモグラ)が混在している点も、同時代の作品であるケネス・グレアムの「楽しい川辺」と共通していて、これがイギリスの動物ファンタジーの伝統なのでしょうか?
 そこには、冷徹に自然を観察している作者の視点が感じられて、既存の動物のイメージに依存した現代の安直な動物ファンタジーとは、明らかに一線を画しています。

りすのナトキンのおはなし (ピーターラビットの絵本 10)
クリエーター情報なし
福音館書店
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ビアトリクス・ポター「ピーター・ラビットのおはなし」ピーター・ラビット全おはなし集所収

2019-04-05 08:29:28 | 作品論
 1902年に出版された、かの有名な「ピーター・ラビット」シリーズの絵本の第一作です。
 絵本を読んだことのない方でも、ピーター・ラビット・シリーズの挿絵の付いた食器などはご覧になったことがあるでしょう。
 私が長年愛用しているコーヒーカップの絵柄も、まさしくこのピーター・ラビットの挿絵です。
 なぜか青い上着と靴だけつけて、上に伸びあがるようにしてニンジンを食べている愛らしいポーズは、最初から完成していたのです。
 ピーターはおかあさん(その十九世紀的な衣装が作品世界の雰囲気にぴったりです)と四人兄妹で暮らしているのですが、他の兄妹はいい子なのに彼だけがいたずらっ子で、隣のマクレガーさんの農園で問題を起こします。
 このピーターのような優等生じゃない主人公のキャラクター設定こそが、このシリーズの世界的な成功を生み出したのでしょう。

ピーターラビットのおはなし (ピーターラビットの絵本 1)
クリエーター情報なし
福音館書店
 
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マージョリー・フラック さく・え「アンガスとあひる」

2019-03-28 08:36:49 | 作品論
 八十年以上前に作られた絵本の古典です。
 アンガスはスコッチ・テリアの子犬で、好奇心いっぱいです。
 生垣にさえぎられて見られなかった、隣の家のアヒルたちを見にいって、とんでもない目にあいます。
 横長の紙面が、作品世界と登場者たちの動きをよく生かしています。
 児童文学者の瀬田貞二は「幼い子の文学」(その記事を参照してください)において、この絵本を幼年童話や絵本の基本的な構造である「行きて帰りし物語」の典型例として紹介しています。
 アンガス(好奇心いっぱいの子どもたちを象徴していると思われます)が、生垣をくぐって隣の家の庭へ「行きて」アヒルたちに挑みますが、逆にひどい目にあわされて、安全なうちの中のソファーの下へ「帰りし」物語なのです。
 この構造は、もっと複雑なファンタジーなどでも、「日常」から「非日常」に「行きて」、また、「日常」に「帰りし」物語として使われています。
 瀬田が「幼い子の文学」の中で述べているように、有名なトールキンの「ホビットの冒険」の副題(最初の訳者は瀬田自身です)にもなっています。
 
アンガスとあひる (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
クリエーター情報なし
福音館書店
 
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最上一平「こころのともって どんなとも」

2019-03-22 08:35:16 | 作品論
 対照的な性格の、二人の女の子の友情を描いたシリーズの二作目です。
 プールでのもぐりっこ、手遊びの「オチャラカ ホイ」、花火大会、夜店、はじめてのお泊り、ホットケーキ作りと、二人の夏休みは楽しいことの連続です。
 そして、それらを通してお互いを「こころのとも」として確認していきます。

ともだちのはじまり (ポプラちいさなおはなし)
クリエーター情報なし
ポプラ社
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ひこ・田中「レッツとネコさん」

2019-03-19 12:56:46 | 作品論
 五歳の少年が三歳の頃を振り返って、家にやってきたネコとの出会いについて語る絵本です。
 かなり無理のある設定です。
 五歳の子どもが二年も前の出来事を振り返るというのは、発達心理学からいうとかなり無理があります。
 そのため、とても五歳ないしは三歳とは思えない発想や言葉が頻出しています。
 どうしても、大人、それも高齢の男性の視線が、幼い主人公の陰に見え隠れしてしまいます。
 主人公と大人とのずれや、主人公とネコとのふれあいなど、子どもらしいおもしろい場面はたくさんあるのですが、それがことごとく大人の視点で書かれています。
 そのため、子どもの読者が読んで楽しい絵本になっていません。
 それでは、誰がこの絵本を喜ぶのでしょう。
 おそらくそれは、子どもへの本の媒介者(両親、教師、図書館の司書、読み聞かせのボランティアなど)だと思われます。
 それも、幼い子どもを持った経験のある大人たちです。
 彼らにとって、過去の子どもたちが幼かった頃を思い出せて、この絵本が楽しいのでしょう。
 こんな時、絵本は誰のために存在するのかと、考えてしまいます。

レッツとネコさん (まいにちおはなし―レッツ・シリーズ)
クリエーター情報なし
そうえん社
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あびるとしこ「スタートライン」

2019-03-11 08:20:16 | 作品論
 思いがけずリレー選手に選ばれてしまった、四年生の女の子の話です。
 リレーの練習を通して、それまで苦手だったクラスメイトの女の子の違う面を発見します。
 小学生の女の子たちの繊細な気持ちがよく描けていて、同年代の女の子の読者には共感を持って読まれることでしょう。
 グレードを意識したせいか紙数が少ないので、後半はやや駆け足になってしまいましたが、ラストも読み味がいいです。
 二十年以上前に書かれた作品なので、小学校や商店街の様子も今ではだいぶ変わってしまっていますが、人間関係の描き方には普遍性があります。

スタートライン (新日本おはなしの本だな)
クリエーター情報なし
新日本出版社
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黒川みつひろ 作絵「恐竜トリケラトプスと巨大ガメ」

2019-03-07 13:42:52 | 作品論
 この本でも、アーケロン(体長4メートルにもなった恐竜時代の巨大ガメ)を初めとして、いろいろな動物(時代を恐竜時代末期に設定しているので、恐竜以外にも様々な動物を使えます)が登場します。
 読者と交流するコーナーもあって、なかなかの人気だったようです。
 巻末の似顔絵コーナーの投稿者によると、幼稚園から小学校低学年の男の子が読者の中心のようでした。

恐竜トリケラトプスと巨大ガメ アーケロンの海岸の巻 (恐竜の大陸)
クリエーター情報なし
小峰書店
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黒川みつひろ 作絵「たたかえ恐竜トリケラトプス」

2019-03-04 08:50:17 | 作品論
 「恐竜の大陸」と銘打たれた絵本シリーズの一冊です。
 絵はマンガ的で、ストーリーも他愛ないのですが、いろいろな恐竜が登場し、巻末には恐竜についての解説も載っているので、男の子(特に恐竜好きの子)にとっては、なかなか楽しい作品に仕上がっています。

たたかえ「恐竜」トリケラトプス―旅立ち前夜の巻 (恐竜の大陸)
クリエーター情報なし
小峰書店
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田中すみ子・作 夏目尚吾・絵「あづみのひみつ基地」

2019-03-02 09:05:14 | 作品論
 「登校拒否を考える絵本」と銘打たれた作品です。
 ここでは、登校拒否から一歩進んだ、「保健室登校」を取り扱っています。
 絵本は、普通の児童書と比べて、普段は本を読まない子にもとっつきやすいので、子どもたちのまわりにあるいろいろな問題について考えるきっかけを作るのも、その大事な役割になっています(さらに低学年向けには紙芝居が有効でしょう)。

あづみのひみつ基地 (登校拒否を考える絵本)
クリエーター情報なし
汐文社
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中脇初枝「うばすて山」きみはいい子所収

2019-02-24 10:16:38 | 作品論
 子どもの時に母親から虐待を受けていた独身のキャリアウーマン(雑誌の編集長をしています)が、今は認知症にかかって6歳までの記憶しか持たない母親を、いつも面倒を見ている妹から三日間だけ預かる話です。
 この話でも、6歳の時に幼女に出されて虐待を受けていた母親が主人公を虐待するという因果律に、作者は縛られています。
 これでもかこれでもかと、次々に書かれている虐待のエピソードも、認知症の母親の介護の大変さも、どこか絵空事で心に響いてこないのは、肝心な部分でのリアリティがないからでしょう。
 まず、長年母親の面倒を見ていた妹が、三日間とはいえ八年も母親に会っていない主人公に母親を預けるでしょうか?
 今はきちんと探せば、介護保険を利用してリーズナブルな価格で、ショートステイなどのサービスを受けられます。
 ましてや、母親が主人公だけを虐待していて、妹はかわいがられていて実家の団地のそばに家を建て同居までしている設定なのですからなおさらです。
 また、この作者の大きな欠点なのですが、父親像があまりに不鮮明で、なぜ教師をやっていた母親が専業主婦になったかが不明確です。
 このことは、虐待をするようになった一つの理由なのですから重要です。
 その他、様々なご都合主義な設定(なぜ両親は団地暮らしを抜け出せなかったのに、母親は教師の資格を活かして共稼ぎをしなかったか? なぜ、これだけ束縛していた娘を関西の大学に行かせたのか?など)があるのですが、中でも主人公が母親のただ一つの優しかった思い出を心に秘めて生きていこうというラストには苦笑を禁じえません。
 作家の年齢からすると、この短編集で書かれた様々な今日的問題(児童虐待、認知症の親の介護、障害を持った子どもの養育、ネグレクトなど)はおそらく実体験ではないでしょうし、またそれほど切実なテーマですらないのではないでしょうか。
 これらの問題は、ひとつひとつ現代において深刻で重要な事柄なので、このように単なる小説のネタとして扱ってほしくはないと思います。
 おそらく、この作家の主な読者である若い女性たちは、一つ一つ丹念にエピソードを重ねてリアリティを追求するような作品より、情緒的で単純な因果律で割り切れるこの作者のような書き方の方が好まれるのでしょうが。

きみはいい子 (一般書)
クリエーター情報なし
ポプラ社
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皿海達哉「チンドン屋の雨やどり」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-23 09:23:22 | 作品論
 小学校三年生の男の子と三人のチンドン屋の男たちの交流を描いています。
 チンドン屋たちがその日で商売を辞めるといったので、主人公の少年は彼らのそばを立ち去りがたくなります。
 演奏する曲などは出版年に合わせて新しくしてありますが、舞台は作者の郷里の広島のようです。
 チンドン屋は60年代後半から衰退し、この本が出版された70年代の前半にはほとんど姿を消したようです。
 おそらく作者は、滅びていくチンドン屋という文化への幼いころの郷愁を、この作品に託したのでしょう。
 懐かしい物への惜別、マイナーな物への愛着、繊細な少年の内面描写、新しい世界への恐れやあこがれが混じったような不思議な感情など、作者の世界の特徴がこの作品にもよく表れています。
 作者は「あとがき」で、同人誌「牛」の友人である日比(茂樹)や小倉(明)などへ謝辞を述べていますが、彼らは四十年以上たった今でも同人活動を続け、「プールのジョン」などの共作も出しています。
 「牛」の同人たちの息の長い活動に敬意を表したいと思います。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
クリエーター情報なし
偕成社

 
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きたやまようこ「いぬうえくんがわすれたこと」

2019-02-23 09:18:57 | 作品論
 人気絵本シリーズの第5作目です。
 大事なことを忘れること、忘れないようにする覚えかたなど、この作品でも作者は幼い読者に大事なことを伝えようとします。
 冒頭で、気のいいお人好しのくまざわくんとしっかり者で少し図々しいいぬうえ君のキャラクタ設定が、いつものようになされますが、この作品ではあまりうまく生かされていません。
 また、お話が観念的で教訓的な部分が多すぎて、このシリーズの良さである物語のおもしろさやユーモアが弱く、読者はあまり楽しめないものになっています。

いぬうえくんがわすれたこと (いぬうえくんとくまざわくん)
クリエーター情報なし
あかね書房
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内田麟太郎 作、降矢なな 絵「ともだち くるかな」

2019-02-21 09:15:16 | 作品論
 オオカミを主人公にした絵本です。
 独りよがりなオオカミが、自分の誕生日をめぐっていろいろと考えすぎて独り相撲します。
 ドタバタストーリーの中で、生きていくうえで大切なことを、さりげなく読者に考えさせてくれます。
 内田麟太郎「文」でなく「作」になっているのは、絵本全体の構成を内田が創造しているからです。
 作者は、優れた絵本のライターであるだけでなく、敏腕な絵本のプロデューサーとして有名です。
 普通は編集者が選ぶことが多い絵描きさんも、作者が自分で指定する場合が多いそうです。
 この作品でも、降矢の迫力のある絵が、作者の物語世界にフィットしていて、楽しい絵本に仕上がっています。
 ところで、内田は2016年から日本児童文学者協会の理事長になりました。
 現在の児童文学における絵本の占めるポジションからいって、絵本作家が日本児童文学者協会の理事長になるのは至極妥当なことでしょう。
 私の所属する同人誌でも、同人の出版する本は絵本が増えており、毎月の合評会に提出される作品も、絵本の原稿がかなりの割合を占めています。
 幼年童話と絵本は、エンターテインメント作品に席巻されている日本の児童文学に残された、最後の聖域なのかもしれません。

ともだちくるかな (「おれたち、ともだち!」絵本)
クリエーター情報なし
偕成社
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後藤竜二「風にのる海賊たち」

2019-02-20 09:00:05 | 作品論
 炭鉱の閉山闘争に敗れて荒廃した北海道の町で、それぞれに苦しい状況を抱えた子どもたちが一年後に再会した二日間を、四人の子どもたちのそれぞれの視点で描いた作品です。
 1973年3月に出版された作品なので、70年安保の挫折を、作者がどう総括したかに興味があったのですが、かなり混乱している印象です。
 しいて言えば、学園民主化闘争や組合闘争とは距離を置いて、歌声運動や市民運動に活路を見出そうとしていることが読み取れます(巻末の解説によると、作者自身も、この作品を執筆している時には、それらの運動にのめりこんでいたようです)。
 明確な方向性は打ち出せずに問題点を投げ出しただけですが、それが作者の置かれていた正直な状況だったのでしょう。
 私はその年の四月に作者と同じ早稲田大学(彼は1966年卒業です)に入学したのですが、新左翼セクト間の内ゲバが過激化したきっかけの一つである川口くんリンチ殺人事件の後の、革マル対反革マルの闘争中の荒廃したキャンパス(入学式も中止になりました)で、同様に呆然とした気分だったことを思い出します。

風にのる海賊たち (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
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