現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

蔡宣静「『氷河鼠の毛皮』の<鉄道>空間の設定と列車映画との関連」

2018-09-21 08:12:41 | 参考情報
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で行われた講演です。
 これは、宮沢賢治研究 Annual Vol.22に掲載された、蔡の同名の論文をもとにしています。
 蔡も述べていますが、賢治の作品は視覚的な描写の印象が強く残ります。
 この分野での研究は進んでいて、1996年には「宮沢賢治の映像世界」(その記事を参照してください)という本もが出版されています。
 ここでは、蔡はそれらの先行研究をふまえて発表しています。
 『氷河鼠の毛皮』は、賢治が27歳の時に、1923年4月15日の岩手毎日新聞に発表された作品です。
 先行研究で明らかになっているように、賢治が25歳だった1921年の7ヶ月間の東京滞在中に、彼のほとんどの童話の原型は作られました。
 私が大学の児童文学研究会の分科会である「宮沢賢治研究会」に入っていたころ聞かされた、様々な賢治の伝説のひとつである「ひと月で三千枚の原稿を書いた」というのもそのころのことです。
 「宮沢賢治年譜」によると、賢治はこの作品発表後の1923年8月に、当時日本領だった樺太に鉄道旅行をしています。
 そのころの樺太には、日本人だけでなくロシア人もたくさん住んでいましたから、賢治はこの作品に書かれているような無国籍の雰囲気を実際に味わっていたかもしれません。
 賢治は鉄道好きで、童話の10分の1、詩の5分の1に鉄道関連の言葉がでてくるそうです。
 この作品は、1903年に作られたアメリカ映画「大列車強盗」の影響を色濃く受けていると思われます。
 ここで、蔡は、DVDで「大列車強盗」の全編を上映してくれました。
 映画が発明されて10年後に作られた「大列車強盗」は、14のシーンからなる約10分の映画ですが、起承転結のはっきりした本格的な劇映画です。
 列車強盗、格闘、ダンス、馬による追撃、銃撃戦など、西部劇(もっとも、アメリカの西部で映画が作られたのは1910年からで、これは東部で撮影されたそうです)の構成要素を含んでいて、後の映画に大きな影響与えたとのことです。
 賢治の映画鑑賞体験は不明なのですが、盛岡中学にいた1910年代後半にはかなり洋画を見ていたことが推察されています。
 また、東京や仙台などへの旅行中にも映画を見たようです。
 その中に、この「大列車強盗」が含まれていたとしても不思議はありません。
 蔡は、『氷河鼠の毛皮』の中に、「大列車強盗」や1911年のフランス映画「ジゴマ」などの影響が見られると推定しています。
 蔡自身が言うように、まだ未確認の部分も残っているので、これからの研究に期待したいと思います。


氷河鼠の毛皮 (珈琲文庫 (10))
クリエーター情報なし
ふゅーじょんぷろだくと

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