現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

浅野俊和「総力戦体制化の「幼児文化」」

2018-08-30 09:25:33 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 保育雑誌「国民保育」を手掛かりとして、戦時下の「幼児文化」を扱った研究です。
 この「国民保育」という保育雑誌は、「その存在もよく知られていなかった」ようです。
 今回、これが発見された(すべてではありませんが)ことは、それだけでも大きな成果だそうです。
 この報告では、この雑誌にどういった人たちがかかわったかを中心にまとめています。
 質疑の時に、この雑誌がどういった層に読まれていたかを質問したところ、「読者層を広げて一般の家庭にも対象を広げていった」とのことです。
 ただし、どの程度広まっていたかは今のところ不明だそうです。定量的な解析はこれからのようです。
 ちなみに、この雑誌は60ページから80ページでA5サイズだそうです。
 研究の苦労として、「資料の保護のためにコピーはさせてもらえないことが多い」ことをあげていましたが、会場からは「写真撮影したらどうか」とのアドバイスがありました。
 こんな時、マジックスキャン(その記事を参照してください)のようなハンディスキャナがあれば力を発揮すると思いますが、その時はまだこのアイデアを思いついていなかったので、アドバイスできませんでした。
 なお、内務省の指示のもと幼児文化を「浄化(もちろん悪い意味で)」していた保育問題研究会と、この雑誌を出していた国民保育協会の関係は不明とのことです。

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佐藤宗子、高田ゆみ子「<記憶>の伝達を考える――「戦争児童文学」という枠からの脱出」

2018-08-29 09:02:35 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で行われたラウンドテーブルです。
 児童文学評論家の西山利佳が司会をして、児童文学研究者の佐藤宗子と翻訳家の高田ゆみ子が発言者になって行われました。
 佐藤によると、比較文学などの国際学会では、「戦争児童文学」というタームはなく、「メモリー」という言葉がキーワードになっているそうです。
 ここで「メモリー」とは、国民的記憶という意味合いで使われているようです。 
 日本では、戦争児童文学の評論は多いが研究は非常に少ない状態だそうです。
 例えば、雑誌「日本児童文学」などではほとんど毎年特集が組まれるのに、学会の発表では戦争児童文学はほとんどありません。
 現在では、短編や幼年ものでは戦争児童文学はだめだというのは、共通認識になっているそうです。
 また、東日本大震災の経験を踏まえて、日本でも戦争だけでなく記憶の問題になってきているとのことです。
「そこに僕らは居合わせた」ということを伝える必要が重要です。
 しかし、過去の記憶を現代の読者に読ませる工夫が必要です。
 高田によると、外国の作家、例えばドイツのグードルン・パウゼヴァングの最新作「そこに僕らは居合わせた――語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶――」(その記事を参照してください)は、過去を振り返るだけでなく軸足は現代にあって、戦争体験を孫世代に聞かせる形で書かれています。
 そのあたりは、1961年に同じドイツで書かれた戦争児童文学の代表作と言われているハンス・ペーター・リヒターの「あのころはフリードリヒがいた」とアプローチが違うようです。
 1961年には「メモリー」として共有されていた事柄が、2012年では共有されていない若い読者にどのように伝えるかが工夫のいるところでしょう。
 記憶は風化していくので、繰り返し更新していくことが必要ではないでしょうか。
 ただし、負の歴史を、現代の子供たちに響くように伝えることが大事です。
 高田によると、佐藤の発言と矛盾するようですが、「そこに僕らは居合わせた――語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶――」では、短編であるがゆえに強さが出ているそうです。
 これからは、記録、記憶、物語化の位置づけを明確にする必要があるでしょう。
 戦争体験者の高齢化が進んでいるので、再話、再創造をする必要がだんだん高まってきています。
 しかし、記憶とメモリーの間には違いがあるでしょう。
 記憶は個人的で、メモリーは例えば国民などの集団的記憶という意味があるのではないでしょうか。
 記憶は主観なのでブレがあってもいいと思われます。
 集団的記憶の問題では、例えば広島とそれ以外では被爆に対する温度差があります。
 8月6日は、全国的には「原爆の日」としてその日だけ盛り上がるが、広島の人たちにとっては犠牲者と向き合う鎮魂の日です。
 最後に、「閉塞している戦争児童文学の現状を文芸主義的に反転して欲しい」と、二十年前から戦争児童文学と言う枠組みに疑義を示してきた児童文学研究者の宮川健郎が発言しました。
 たしかに何が描かれるかも大事ですが、児童文学の学会なのだから文芸論的な検討ももっと必要だと思われました。


はじめて学ぶ日本の戦争児童文学史 (シリーズ・日本の文学史)
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田中卓也「戦後における「少年倶楽部」の紙面構成と読者の様相」

2018-08-22 15:46:14 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 戦前は最高75万部まで売り上げた講談社の人気雑誌「少年倶楽部」が、戦後どのように復刊されて、その後衰退していったかの研究です。
 紙面構成などを調べ上げて詳細に語っています。
 それによると、戦後復活の号は54ページ、A5版、80銭の小さな雑誌だったようです。
 その後、名前を「少年クラブ」に変えて、だんだん雑誌も厚くなっていったのですが、週刊少年漫画雑誌(同じ講談社では少年マガジン)におされて1962年に廃刊になりました。
 発表からは、研究に対する熱意はすごく伝わってくるのですが、どうも練習不足だったようで、前振り部分が長すぎて、発表は尻切れトンボで終わってしまいました。
 後半の読者の様相まで触れられなかったので、質疑の時に助け舟にそこを質問したところ、「戦前は読者間の共同体志向があったが、戦後はそれが薄れてしまった。」とのことでした。
 どうも、戦後は出版社のモラルも低く、戦前のよう少年雑誌文化を作り上げようという意欲に欠けていたようです。
 それは作者たちも同様で、盗作が横行していたとのことです。
 発表後に、発表者と少し話す機会があったので、「戦後は雑誌「漫画少年」に読者間の共同体志向があったようだ」と話したところ、「ぜひ調べてみたい」と言っていました。

はじめて学ぶ日本児童文学史 (シリーズ・日本の文学史)
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丸尾美保「大正期におけるロシア昔話の受容について」

2018-08-11 15:56:06 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 大正期には、驚くほどたくさんのロシア昔話が日本で紹介されたそうです。
 その変遷と原典、訳者による違いなどを丹念に調べた労作です。
 ただ、発表が淡々とレジュメを読むだけで、用意されたプロジェクターなども使われなかったので、せっかくの内容が時間切れで十分にアピールできてませんでした。
 調べたことをレジュメ通りに話すのではなく、考察の部分をパワーポイントなどを使ってまとめたりして、プロジェクターを使ってもっと詳しく説明すればよかったと思いました。
 また、司会者たちの再三の注意に従わずに、終了時間を超過してそのまま話し続けたのも好感が持てませんでした。
 しかし、今回発表された研究は、鈴木三重吉の訳の変化と雑誌「赤い鳥」の関係など、もっと考察すれば面白くなりそうなテーマでした。
 また、「なぜその時代にロシア昔話」なのか、当時の政治的、社会的背景との関連などについても研究を広げられると思います。

ロシアの昔話 (福音館文庫 昔話)
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大橋眞由美「欲望する主体の構築」

2018-02-22 17:23:19 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 戦時中の有名な標語である「欲しがりません勝つまでは」は、1942年に公募されたものだったそうです。
 大橋は、「欲しがりません」という以上は、それ以前に<欲望する主体>が構築されていたはずだと推測しました。
 そして、幼児メディアの中に、そのことを象徴するポーズを発見したと主張します。
 ここで幼年メディアとは、絵雑誌と絵本を指します。
 大橋は、「お伽絵解 こども」の中にそれを見出し、特に3巻6号(1906年)の「貞ちゃん」の<頂戴のポーズ>をしている幼児像に着目します。     
 これらの絵は、すべてベースの物語は「桃太郎」を使っています。
 その中に、<頂戴のポーズ>をしている物が七点あります。
 「貞ちゃん」は、物が渡されているのが少年から女児であること、渡している物が兵士人形であること、男女の大きさの違いがデフォルメされていること、そのポーズ自体などにおいて、<頂戴のポーズ>の典型としています。
 このわずかの資料から、社会構成主義の理論を使って、ジェンダー(男性と女性の差異的関係性)やナショナリズムの形成との関係にまで探求していった、大橋の論理展開や推測力には驚かされました。
 また、「お伽絵解 こども」は全ページ多色刷りなので、プロジェクターをうまく使ってそれぞれの絵をカラーで見せたのも、プレゼンテーションに迫真性を持たせていて効果的でした。
 さらに、三十年以上後の1938年3月の「一目でわかる最近五十年間日本躍進絵本」にも、<頂戴のポーズ>をする大人の男女の絵があり、その関連性が興味深く感じられました。
 ただし、発見された<頂戴のポーズ>は今回紹介された二例のみで、その間をつなぐものを探しているそうです。
 会場からは、「近代以前にも女性が<頂戴のポーズ>をしたものがある」との指摘があり、今後の研究が広がる可能性が感じられました。

近代以前の児童文学 (研究=日本の児童文学)
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日本児童文学学会東京例会

2017-09-06 11:31:29 | 参考情報
 2012年7月14日に行われた日本児童文学学会の東京例会です。
 発表内容は、今回は二件ともに英米児童文学で私の研究分野とは違うのですが、それぞれ発表者の情熱が感じられて面白かったです。
 一件目は、エコクリティシズム(環境の観点から文学を批評する新しい方法)を用いてボストンとピアスの作品を再評価したもので、新しい評価法についての知見を得ることができ、おおいに刺激を受けました。
 二件目は、エイキンのダイドー・トワイトシリーズを中心にした音楽と児童文学についての研究す。
 音楽と児童文学の関係についてはそれほど突っ込んだ内容ではありませんでしたが、作品の細部にこだわった発表は、発表者がいかにこの作者の作品に情熱を持っているかが伝わってきて、好感が持てました。
 ただ、例会の進め方や発表の仕方については、改善の余地がかなりあると思いました。
 発表は、その場でワードで書かれた紙のレジュメが配られ、後は発表者が一方向で話し続けるという旧来の授業形式の方法でした。
 最後に質問の時間が若干とられているのですが、時間も短いし発表者と質問者の一対一の応答にとどまっていました。
 せっかくの発表なのでから。レジュメは学会のホームページに事前に掲載し、参加者が読んでから参加するようにしたらどうでしょうか。
 当日は、単なるオーラルコミュニケーションでなく、パワーポイントなどを使った資料をプロジェクターで映すなりしてビジュアルなプレゼンテーションにすれば、もっと参加者にアピールできると思います。
 また、参加者はレジュメをすでに読んでいることを前提に、もっとディスカッションする時間を設定すれば、参加者のみならず発表者にとっても、今後の研究にプラスになるのではないでしょうか。
 また、レジュメをホームページに記載すれば、当日参加できなかった他の学会員も読むことができます。
 さらに、費用や会場の制約はあるのですが、将来的にはネットミーティングや電話会議なども導入して地方在住の発表者と同じような研究をしている学会員もネットなどで参加できれば、議論はもっと活性化することでしょう。
 また当日の進め方ですが、司会者は単に進行係をするのではなく、記録をとりながら議論が活性化するように運営してもらいたいと思いました。
 例会というものは司会者の手腕によって面白くもつまらなくもなることを、長年の同人誌活動で体験してきました。
 また、発表の議事録を取っていないことも気になりました。
 学会活動の継続性や参加できなかった学会員のためにも、議事録は必ず作成してホームページに載せてもらいたいと思いました。
 これらを蓄積していけば、きっと貴重な資料になることでしょう。
 また、発表者は、英米児童文学研究者なので当たり前かもしれませんですが、作品の原書や未訳の作品も読めるわけですし、英語の発音の感じではおそらく留学経験もあるでしょうから、もっと現地の最新の研究状況を紹介してほしいと思いました。
 「日本」児童文学学会という閉じた世界でなく、もっとグローバルな研究の意義を意識してもらうと、発表の価値がもっと高まるのではないでしょうか。
 2017年の7月に、久しぶりに東京例会に参加してみました(内容についてはそれらの記事を参照してください)。
 発表者が若い研究者たちだったせいもあってか、プロジェクターもきちんと使われて、ビジュアルなプレゼンテーションはかなり進歩していました。
 しかし、会の進行方法などはあまり改善されていなくて、特に発表後の質問が私以外からはほとんど出ないのは相変わらずで、これではせっかく発表した研究者たちが気の毒です。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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シンポジウム 「児童文学の境界」

2017-07-08 09:26:07 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会における全体シンポジウムで、百名弱の参加者がありました。
 横川寿美子(敬称略、以下同様)の司会で、四人のパネリストがそれぞれの分野から「児童文学の境界」についての発言がありました。
 府川源一郎は、「教育と文学の境界」について発言しました。
 まず最初に、「文学はどこに生まれるか?」という問題提起がありました。
 そして、「日本ではお話し(ストーリー)を教訓にかぶせる必要があり、そこから児童文学が生まれてきた。」という歴史認識が示されました。
 「児童や文学という概念は近代になって作られたもので、現在はそれらは揺らいでいる。」という現状認識が提示された後で、「国語と修身と児童文学は一緒じゃないか。」という挑発的な発言がなされました。
 目黒強は、「児童文庫にみる児童文学の境界」について発言しました。
 「児童文学は知識教育学的な観点で語られてきたが、そこに収まらないエンターテインメントの分野が伸長している。」と指摘しました。
 「エンターテインメント作品を語るときに、「まんがのような」という表現がよくつかわれるが、ここでまんがのようにとはどういうことか。」と問題提起して、「ワンピースのノベライズ」のような作品に対しては、他分野との共同研究が必要である。」と提案されました。
 灰島かりは、「現代英米絵本はパロディの花ざかりなのに、なぜ日本の絵本はパロディが嫌いか?」を豊富な実例を示しながら語りました。
 そして、「絵本の買い手である母親が毒のあるものは選ばない。」と推測し、媒介者の問題であると指摘しました。
 また、「日本の児童文学の賞にパロディが入ったことはない。」と、日本の児童文学界の体質も批判しました。
 川勝泰介は、「児童文学研究の境界」について発言しました。
 「日本児童文学学会の会員がピークの400人台から300人台へ減少している」ことを指摘し、「児童文学研究の衰退、多様化への不適合があるのではないか」と推測しました。
 「大学でも文学関係の学部が減っている」とも発言し、研究者の絶対数の減少と職業として成立することの困難性を指摘しました。
 「2000年に「21世紀に児童文学は消滅するか?」と本田和子(雑誌「日本児童文学」において。その記事を参照してください)が予言したことが当たるかもしれない。」と警鐘を鳴らしました。
 それを回避するためには、「児童文学の境界も(研究対象として)取り込んでいかなければならない。」と提案しました。
 ここでいったん休憩に入り、聴衆に配られていた質問票を回収し仕分けしました。
 質疑では、司会者の好みなのか関連質問が多かったのかわかりませんが、テーマであった「児童文学の境界」から離れて、「なぜ日本ではパロディが受け入れられないのか」に偏ってしまいました。
 目黒は、「皮肉が社会に受け入れられるかどうかであり、若い人たちには受け入れやすいのではないでしょうか。」と発言していました。
 府川は、「教科書には載らないだろうが、教師がパロディを教室に持ち込むことはあってもいいのではないか。ただし、人権その他の偏見につながることには歯止めはかけなければならないと思う。テキストだけを使うのが授業ではない。当然、声などの身体性が加わる形になる。」と、教育現場での可能性と限界について述べました
 議論の発端を作った灰島は、「日本にはパロディの伝統はあるが、絵本では出版社や研究者によって除外されている。」と、現状の問題を指摘しました。
 川勝は、「子どもが良くても親が納得しないと買ってもらえない。パパとママでは選ぶ本が違う。パロディはママに選ばれにくいかもしれない。」と、媒介者の問題を指摘しました。
 府川は、「現在、国が読書運動を進めているが、かえって選択の幅が狭くなっている。」と危惧していました。
 目黒も、「読書活動の推進にはプラスとマイナスの面がある。エンターテインメント系の作品も読書運動に取り込まれている。何がパロディとして認められやすいのか。例えば二次創作は若い人ではやっている。」と、教育界や出版界と、実際の若い人たちのアクションとの遊離を指摘しました。
 話がここでややとんで、灰島が「日本には言葉狩りとかタブーがある。」と発言しました。
 川勝も「大人はいいが、子供はダメという制限がある。」と児童文学としての限界について述べました。
 府川も、「言葉を均質化する方向に進んでいる。」と、教育、出版の方向性に対する問題意識を示しました。
 会場と自由に質疑をしたり、パネラー同士が議論するような場面もなく、シンポジウムとしてはまとまりはよかったものの、物足りなさは残りました。
 また、司会者の独断で、質疑がテーマの「児童文学の境界」からそれていったのは不満でした。
 ただし、「児童文学の境界」というと、一般文学との境界しか頭になかったので、いろいろな境界が存在することを知ったのは収穫でした。
 シンポジウム終了後、パネラーの目黒と少し話ができましたが、「いわゆる児童文学作品とエンターテインメント作品とまんが」の境界については、「媒介者である大人に、まんがよりは{まんが的に読まれている)エンターテインメント作品の方が許容されやすい」程度の認識で、まだ研究は進んでいないとのことでした。

児童文学事典
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創立五十周年記念 日本児童文学学会第51回研究大会

2017-07-08 09:22:18 | 参考情報
 2012年10月27日、28日の両日、千葉大学で標記の学会が行われました。
 大会では、研究発表が14件(もっとも2会場で並行して行われたので7発表しか聞けません)、全体でのシンポジウム、ラウンドテーブルが2件(これも2会場で行われたので一つしか参加できません)、学会賞と五十周年記念論文の表彰式、総会、懇親会が行われました。
 発表やシンポジウム、ラウンドテーブルについては、必要に応じてそれぞれの記事で個別に紹介していますので、ここでは全体の感想を述べます。
 発表・ラウンドテーブル、シンポジウム・表彰式・総会、懇親会はそれぞれ教室で行われ、昼食は各自持参、千葉大の学生さんたちがスタッフをしてくれるなど、手作り感満載の質素な学会で、非常に好感が持てました。
 特に、学会賞特別表彰では、学会員ではないご高齢(76歳と86歳)の研究者の方々の労作に贈られて、私もまだ20年から30年は研究できるかもしれないと大変励まされました。
 また、総会で報告された会計報告などでも、いかに費用を抑えて会費の値上げを回避するか苦心がみられて共感できました。
 ただ、改善できそうな点がいくつかありましたので、それも書いておきます。
 まず、今回は首都圏で行われたので参加者が多くて盛り上がったそうなのですが、例年、日本各地の大学で持ち回りになっていて(2013年は広島経済大学)、地方の場合は参加者が少ないようです。
 大学関係者が多いのでその人たちは公務出張として学会に参加できるのですが、民間の人たちは地方では参加が難しいのでしょう。
 やはり、大会は総会もあるのですから、原則として会員の多い首都圏でやった方がいいと思います(もちろん、定期的に地方へ行くことは地方会員のために必要です)。
 次に、会員が最大のときに比べて百人も減っているとのことなので、若い会員を増やすために、発表内容の中にエンターテインメントやライトノベルなど、児童文学の新しい分野も取り入れるべきでしょう(今回は研究発表では皆無で、シンポジウムやラウンドテーブルで一部取り上げられただけでした)。
 最後に、会員同士が「××先生」、「○○先生」と呼び合っているのが気になりました。
 これは大学に限らず小学校や中学校の教員でも同様に行われていることですが、今は民間企業では「課長」とか「部長」とか肩書きで呼ぶことは減っています(私のいた会社は外資系なので私が入社した40年前から社長でも「さんづけ」でした)。
 最近はジェンダーフリーが進んで学校では男の子も「さん」づけで呼ばれるところが増えているそうですから、先生たちもそろそろ「先生」でなく「さん」で呼び合うようにしてはどうかなと思いました。
 こんなところも学会の閉鎖性につながって、若い人たちが入ってこない原因になっているかもしれません。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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ブックスタンド

2017-07-04 14:24:25 | 参考情報
 児童文学の研究においては、膨大な文献を読まなければなりません。
 読書効率の向上のために、電子書籍リーダーのキンドルペーパーホワイトを導入しました(その記事を参照してください)。
 しかし、キンドルは日本語のカバー率が悪いので、洋書やワードで書かれたドキュメントを読むのにはすごく便利なのですが、児童文学の本や研究書を読むのには使えません。
 雑誌などの論文は、マジックスキャンというハンディスキャナ(その記事を参照してください)でJPEGに変換してパソコンで読んだり、ワードに変換してキンドルへ送って読んでいますが、すべての本をスキャンするのは現実的ではありません。
 そこで、非常にアナログ的ですが、エレコムのブックスタンドEDH-004を購入しました。
 これは、傾斜角度も18段階に調整できますし、シリコンストップホルダーで厚さ62ミリまで挟み込むことができて便利です。
 特に、本をホールドしたままでページめくりができるので、読むのにわずらわしくありません。
 また、幸か不幸か老眼気味なので、本を少し離して読むことができるので好都合です。
 読みかけの本はホールドしたままにしておけるので、続きをすぐに読むことができます。
 ただし、ストップホルダーの間隔がやや広いため、文庫本はホールドしにくいです。
 どちらかというと、厚い本(児童文学関連には多い)を長時間読むときに適しているようです。
 紙の本はブックスタンドで、電子書籍とワードで書かれたプライベートドキュメントや論文はキンドルペーパーホワイトで、それぞれ使い分けて読書の効率を最大化にしようと思っています。

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宮沢賢治学会イーハトーブセンター

2017-05-01 08:18:36 | 参考情報
 宮沢賢治学会イーハトーブセンターは、1990年9月22日に設立されました。
 以下に設立趣意書を示します。
「生前には、ほとんど世に知られていなかった宮沢賢治の人と作品の魅力は、草野心平をはじめ、すぐれた先人たちによる紹介・推賞や、普及のための努力の積み重ねもあって、没後六十年近くを経たこんにちでは、日本国内はもとより、海外にも広く知れわたり、その声価は着々と高まりつつあります。
 愛読者・敬慕者・研究家の数は、すでに数えきれず、それらの人びとによって、それぞれの立場から賢治宇宙への真摯なアプローチが試みられ、多くの貴重な成果がもたらされてきました。
 こうした成果が一か所に集められ、それらに万人が自由にいつでも接することができるようにならないものか。
 また、賢治に関心をもつ人たちが、わけへだてなく一堂に会して、のびのびと意見交換や研究発表、研究活動をすることのできる〈場〉がつくれないだろうか。
 こうした夢が語られるようになってから何年もが過ぎ、とりわけ、花巻市に宮沢賢治記念館が開設されて以来、賢治センターとしての記念館の特性を生かしつつ、それをいっそう拡大充実する形で、ひとつの組織が考えられないかという、具体的な提案も、さまざまな方面からなされるようになりました。
 このような気運を受けて私どもは、賢治が生まれ育ち、苦闘し、また、その作品世界の根源でもあった岩手県花巻市に、ひとつの場、ひとつの有機的な組織の設立を発起し、これを「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」と命名することにいたしました。
 この名称には、ここを賢治宇宙・賢治精神の探究の最先端をになう場としたい、しかも単に研究者ばかりでなく、賢治の人と作品に関心のあるすべての人が自由に平等に交流でき、また利用できる開かれた《広場》、かつ《情報センター》にしたいという願いがこめられております。
 この趣旨にご賛同いただける一人でも多くの方々が積極的にご参加・ご協力くださることを切に期待いたします。
 ここでイーハトーブとは、賢治の独創による地名です。
 童話集『注文多い料理店』の自筆広告文には「実にこれ(イーハトーブ)は筆者の心象中にこのような情景を以て実在したドリームランドとしての日本岩手県である」とあります。」
 私はこの会の存在を知って、1994年に会員になっています。
 ちなみにその時の会員番号は2742番でしたから、設立からわずか三年余りで延べ3000人近くの会員を集めたわけですから、当時の賢治の人気がいかに高かったかがわかります。
 もちろん途中でやめた人(私も高齢になった両親や子どもたちの世話、仕事、同人誌活動などにおわれて、その時は二年間しか在籍しませんでした)もいるのでしょうが、1995年3月31日現在の会員名簿には二千人以上の会員が載っています。
 活動が岩手県花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館で行われることが多いので、岩手県を中心に東北の会員が多いのですが、会員はすべての都道府県のみならず海外にもいました。
 主意書にあるように、研究者だけでなく年会費(三千円)さえ払えば、誰でも会員になれるので、他の学会に比べればかなり敷居が低いのもたくさんの会員を集める原因かもしれません。
 特に、大学生、高校生は半額、中学生、小学生は無料なので、若い会員も多いのでしょう。
 私は、2012年に17年ぶりに会員に復帰しましたが、会員番号は5993でした。
 ずいぶん時間が経過した割には、延べの入会人数が増えていないので、現在の会員数は以前より減っているのかもしれません。
 今では個人情報の取り扱いが厳しくなっているので、会員名簿は発行されていないでしょうから実数はわかりませんが。
 主な活動としては、まず1年に1回の「定期大会」が花巻市で開かれます。
 学会ができる前から、毎年9月21日の宮沢賢治の命日に、花巻市の名所にもなっている「賢治詩碑」の前で、盛大に「賢治祭」が行われていました。
 その後の9月22日と23日に、定期大会が行われているようです。
 つまり、遠方の人は前日のうちに花巻に行って、夜に賢治祭に参加し、一泊して翌朝は学会の大会に参加しよう、ということのようです。
 22日の夕方には交流会も行われ、大勢の賢治ファンの人達と交流を深めることができるようです。
 その他に「セミナー」が年に数回、開かれています。
 岩手の広大な自然を満喫しながら、講師の話を聞いて、宮沢賢治の人と作品への理解を深めることができるそうです。
 参加費は基本的に無料なのですが、花巻までの交通費や宿泊費は自己負担なので、地元の会員が多いのでしょう。
 そんな不満があるためか、「セミナー」は花巻だけの開催ではなく「地方セミナー」(あくまでここでは世界の中心はイーハトーブなので、東京で開かれても「地方セミナー」です)も、ときどき開かれています。
 こういった会合以外に、学会のメンバーはいろいろな出版物を受け取ることができます。
 「宮沢賢治研究Annual」というのは、年1回発行の学会の機関誌です。
 この中には、その前の年に発行された宮沢賢治に関する本が、全部紹介されているので、賢治研究には役に立ちます。
 ただし、編集が遅れがちで3月末日の日付の本が、毎年暑くなるような季節になってから届きます。
 春と秋には、「会報」が送られてきます。
 うすい本ですが、オールカラーで、イラストの投稿などものっています。
 最後に、「事務局だより」が年に数回届きます。
 これは学会の催し物の案内やイーハトーブ館資料室の新着情報などが載っています。
 最近の会報は、手元に残っていた8号(1994年3月20日発行)と比べると、ページ数も減っているし内容も薄くなっているので活動が低調になっているようです。
 会員数の減少で、経済的にも苦しくなっているのかもしれません。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
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北川透「〈異界〉からの声をめぐって ―宮沢賢治と「四季」派の詩」

2017-02-26 10:37:56 | 参考情報
 四季派学会・宮沢賢治学会イーハトーブセンター合同研究会 ―宮沢賢治から「四季」派へ―で行われた講演です。
 講演要旨は以下の通りです。
「賢治の詩と「四季」派の詩の関係についてという、わたしにとって思いがけないテーマをいただきました。まだ、いまの段階で、どんなことがお話できるか、あらましの輪郭もできていない状態です。このテーマや周辺に、これまでどんな研究や分析があるのか、ということもわたしにはよく分かっていません。
「四季」派の詩という漠然とした領域で、賢治の詩を比較しやすいのは、たぶん、自然観とか、自然認識についてでしょう。でも、それには賢治はともかく、「四季」派の詩の感性を最大公約数的に、浅く掬いあげてしまうような危うさがあります。本当はそこに大事な問題が潜んでいるような気もしますが、そこへいきなり接近するのは安易かな、という気もしました。「四季」派という括り方をすると、いいアイディアが浮かんでこないので、個々の同人と賢治との関係ではどうか、と考えてみました。たとえば同人の一人中原中也を取りあげれば、これは影響ということを中心に、沢山の接点があります。しかし、中也は存在としても、ことばの質や詩の傾向としても、「四季」派とは異質というか、傍系に位置する詩人です。それにわたしは、賢治と中也の関係では、これまでに公的な場で喋ったり、書いたりしていますので、今回触れるとしても、主要な対象にすることは避けたい、と思います。
そうすると、「四季」派の要の位置にいた同人、三好達治をここへ、やはり持ってくる他ありません。そう思った時、戦後詩人・田村隆一に、短いエッセー「鳥語――達治礼讃」があることに気づきました。「荒地」派の詩人は、鮎川信夫、黒田三郎、吉本隆明など、いずれも三好達治に(「四季」派の他の詩人も含めて)、とてもからい点数をつけています。その中で、ほとんど唯一の例外が田村隆一です。このエッセーでも、サブタイトルは、「達治礼讃」でした。これの詳しい紹介は止めますが、田村は達治のよく知られた詩「雪」のニ行《太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。》を引いて、こんな風に言っています。

《この有名な詩を、もう一度、声に出して読んでみたまえ、きみ自身の声が、すでに鳥の声になっている。太郎や次郎をねむらせる声は、人間の声ではないからだ。/鴎(かもめ)、鶫(つぐみ)、燕(つばめ)、鴉(からす)、雉(きじ)、雲雀(ひばり)、鶸(ひわ)、鶲(ひたき)、鵜(う)、鵯(ひよ)どり、鵲(かささぎ)、鳶(とび)、……》。

「雪」の解釈の是非を超えて、ここには田村のユニークな「雪」の読み方が出ているばかりでなく、田村の三好達治観までもが凝縮しているような印象があります。それを一口で言えば、自然や社会のなかから、異界の声を聞いている人、ということです。田村自身が、鳥語の詩人でした。
もとより、宮沢賢治ほど異界の声を聞いた詩人はいないでしょう。近代で言えば、北村透谷は『蓬莱曲』のなかで、魑魅魍魎の声を聞いていました。山村暮鳥や萩原朔太郎然りです。中原中也も丸山薫も異界の方に、耳を欹てていました。異界というより、他界、彼岸、虚界、凶(狂)域等、別の言い方をした方がいい場合もありますが、ともあれ、人間の現実世界、日常の界域以外からの声が、わたしたちの詩の世界にひびいていること、語りかけられていることをどう考えたらよいのか、ということです。それを賢治と三好達治の詩の接点、境界において、これから考えてみようかな、というのがわたしのいまの段階のモティーフです。まだ、講演当日まで八週間ほどありますが、それに集中できるほど余裕のある生活をしていません。どこまで考えを詰められるか覚束ない限りですが、とりあえず、講演要旨とは似て非なるメモを提出して、務めだけは果たさせていただきます。」
 冒頭で「賢治は嫌いだ」と明言し、一時間半を超える講演の中でも賢治に触れたのは最後の十分だけというおざなりな取扱いでした。
 講演の内容は、鳥をキーワードにして、四季派の代表的な詩人である三好達治を中心に、戦後の荒地派の詩人の田村隆一なども含めて紹介し、それを、賢治の「銀河鉄道の夜」の「鳥を捕る人」や詩の「白い鳥」と結びつけようとするものでした。
 そして、「鳥」が、「異界」と現世を結びつける象徴であることを述べようとしたもので、それ自体は興味深い内容です。
 しかし、話し方がだらだらと長く、結局尻切れトンボに終わってしまいました。
 現代詩の実作と詩論では若いころからならした方のようですが、ご高齢のせいか話が堂々めぐりしていてくどく、レジュメも本のコピーの切り貼りにすぎず、何が言いたいのか理解するのに苦労しました。
 前に述べた賢治に対する取扱いも含めて、今回の研究会(四季派学会と宮沢賢治学会の合同主催)の講演者としては、明らかにミスキャストだったように思います。

わがブーメラン乱帰線
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思潮社



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マジックスキャン

2017-02-24 10:06:50 | 参考情報
 2013年1月25日に、OA機器メーカーのサンワサプライのハンディスキャナ、マジックスキャンがアマゾンから届きました。
 購入目的は、以下の三つです。
1.図書館から借りた資料や学会などのレジュメのコピーと電子化。
2.電子化した資料から、執筆時に引用するためのディジタルテキストの作成。
3.キンドル・ペーパーホワイト(その記事を参照してください)のための自炊(紙の本から自分で電子書籍を作成すること)。
 結論から言うと、すべてにおいて実用的であることは分かりました。
 現代児童文学研究のためには、たくさんの本や資料を読む必要があるのですが、すでに書斎や書庫の本棚は満杯なので、これ以上は増やせません。
 電子書籍になっているものは、これからはキンドルストアで購入すればよいのですが、キンドル・ホワイトペーパーの記事に書いたように、残念ながら現代日本児童文学に使う本は、現時点ではほとんど電子書籍化されていません(学術論文は、別途電子化されたデータベースがあります)。
 そこで、図書館などで借りた資料をコピーするわけですが、その量もかなり多くなり整理も大変です。
 マジックスキャンは、最大A4までの資料をスキャンして、JPEGあるいはPDFのファイルとして、白黒ならば最大2000枚まで2GのマイクロSDに保管でき、USBでパソコンにデータをコピーすることもできるので、1の目的は十分に達成できます。
 JPEGで取ったデータは、付属ソフトウェアをパソコンにインストールすれば、OCR機能によって文字情報をディジタル化できます。
 ディジタルデータは、ワードやエクセルにもできますが、文字化けがひどく実用的ではありませんでした。
 テキストデータにした場合でも若干文字化けしますが、ワードにコピーしてから手直しすれば実用に耐えるレベルです。
 PDFやJPEGでとったデータは、ワードで一つのファイルにまとめてから、キンドルへ送れば、コピーを持ち歩かなくても携帯して手軽に読むことができます。
 スキャンしたデータは、将来のテキストファイル生成のために、JPEGで統一することにしました。
 電子化した資料はパソコンのメモリ内とキンドル内で階層化して、すぐに使えるように整理しているので、作業効率が飛躍的に向上しました。

サンワダイレクト ハンディスキャナ A4 自炊対応 OCR機能 ハンディスキャナー ブラック 400-SCN012BK
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サンワダイレクト
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キンドル・ペーパーホワイト

2017-02-22 09:32:26 | 参考情報
 2013年1月12日に、アマゾンの書籍リーダー、キンドルペーパーホワイトを購入しました。
 キンドルストアの日本語の電子書籍の品ぞろえは以前として不満な状態(購入時よりはかなり改善されています)なのですが、いろいろな使い方ができました。
 私の読書生活のある部分を担えているので、気づいた点をまとめておきます。
 内蔵ライトと電子ペーパー(日本人のエレクトロニクスの技術者であった私の目で見ると、画面はかなりムラがあります)により、文字と背景のコントラストが良く、日向でも暗闇でも同じように読書が楽しめます。
 寝床で仰向けになって片手で持って読むときは日本人にはやや重いですが、椅子に座って両手で持って読むときには重さ(213グラム)は気になりません。
 文字が大きく(文字の大きさは何段階にも変えられます)、画素数が多くて文字が鮮明なので、目が疲れません。
 バッテリーは、かなりハードに使っても一週間近くもちますし、USBでPCから四時間ぐらいで充電できるので不便は感じません
 充電中も、ケーブルにはつながっていますがキンドルを使うことはできます。
 以上の点で、文庫本のハンディさとハードカバーの本の字の大きさを共存できています。
 読みやすさと画面に集中できるので、読む速さは紙の本と比べて二倍近く速くなっていると思います。
 本の購入はワンクリックで、WiFi経由で瞬時に行えます(3Gで行えるタイプのものもあります)。
 キンドルからも直接買えますが、私は買いやすいのでPCでキンドルストアにアクセスして購入しています。
 その場合も、本は私のキンドルへ直接送られてきます。
 本は、キンドルに1000冊内蔵でき、それ以上はクラウドで無限に所有できます。
 本や文書は、「コレクション」という機能でグループ化できますが、「コレクション」の階層化ができないので、本などの数が増えると整理は難しくなると思います。
 これ一台で、すべての本や文書を管理できるような設計にはなっていません。
 やはり、寝室や外出時の読書用と位置付けるべきでしょうか。
 キンドル本は、サンプルがダウンロードできるので、試し読みができます。
 ただし、サンプルの量はまちまちで、かなり読めるものもありますが、目次だけしかないものもあります。
 以上のように携帯読書機としての使い勝手は申し分はないのですが、問題は日本語の品揃えがまだ十分でない事と値段の高さ(紙の本の価格(文庫が出ている場合はその価格)から若干安くなっている程度の事が多いです。中には値引き率の高いお買い得品もありますが)です。
 品揃えの印象では、話題の新刊ぐらいのカバー率はかなり改善されてきました。
 翻訳本はベストセラーに限定されています。
 古い本で文庫本が出ていないものも、かなり限定されています。
 文庫本は、話題になっている物を中心にかなり増えてきています。
 青空文庫(著作権の切れた古典的な本をボランティアが電子化した本)は、無料で読めます(古い言葉は内蔵の大辞泉という辞書で調べられるので便利です)。
 自己出版本(著者が直接キンドル版にしたもの)は値段が安いですが、タイトルが魅力的なだけで詐欺まがいの本が混じっているので注意が必要です。
 それに比べて、洋書は海外のキンドル本が読めますので、英語の本はかなり充実していますし、値段も日本語の本よりかなり安いです(おそらくペーパーバックの値段を基準にしてでディスカウントしているのでしょう)。
 ただし、英語以外の言語の本は、日本語の本の品揃えとほぼ同様です。
 以上の状況を、児童文学者の立場でまとめてみます。
 まず、英米児童文学の研究者や学生には、キンドルは必携のツールでしょう。
 原書が安く瞬時に購入できますし、プログレッシブ英和中辞典を内蔵していて、わからない単語はそれにタッチするだけで和訳が出るので、辞書を引く必要がありません。
 プログレッシブ英和中辞典にない単語も、The New Oxford Amerikcan Dictionaryも内蔵されているので、やさしい英語で表示してくれます。
 私の感覚では、原書を読むスピードは少なくとも二倍以上は速くなった気がしています。
 品ぞろえも日本語に比べれば段違いで、ためしにカニグズバーグとピアスを検索してみたら、主な本は三、四百円ぐらいでだいたい買えます。
 もちろん、著作権の切れた本は無料で読めます。
 ケネス・グレアムの「楽しい川辺(The Wind in the Willows)」をダウンロードして、久しぶりに読んでみました。
 しかし、今のところ、現代日本児童文学の研究には全く使えません。
 日本語の児童文学の本は、ほとんどありません(キンドルストアにはジャンルさえありません)。
 せいぜい、青空文庫の賢治や南吉の本が若干読めるだけです。
 これに関しては、今後の品ぞろえに期待するしかありません。
 しかし、PDFでデーターベース化されている論文やマジックスキャン(その記事を参照してください)でJPEGでスキャンした論文などは、キンドルへ転送できるので、コピーを持ち歩かなくても携帯でき、手軽に読むことができます。
 最後にやや特殊ですが、2013年の12月に復帰した児童文学同人誌の会員としての目で眺めてみると、同人から送られてくるワードで書かれた作品もキンドルに転送して読むことができるので、いちいち印刷しなくても作品を携帯できてすごく便利です。
 また、外出することが少ないのでいまだにガラケーを使っているので、時刻表や初めての外出先の情報をパソコンからキンドルへ送って持ち歩いています。
 現時点での私のキンドルの使い方を整理してみると、以下のようになります。
1.ワードやPDFやJPEGのファイルを、パソコンから転送して携帯する。
2.新刊本のサンプルを試し読みして、値段に見合えば購入する。
3.文庫本のサンプルを試し読みして、良ければ購入する。
4.青空文庫の本をダウンロードして、漱石、太宰、賢治などの古典を読み直す。
5.英語の本を購入して、錆びついた英語力をブラッシュアップする。
6.同人の作品を転送して、合評会に携帯する。
7.外出時に必要な情報を、事前にパソコンから転送して携帯する。

その後、外出時はタブレット端末(上記の機能はほとんどカバーできます)を使うようになったので、キンドルペーパーホワイトは室内での電子書籍の読書専用(タブレット端末より軽くて画面も読みやすいです)になりました。


 
Kindle Paperwhite
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高橋律子「雑誌をめぐる「見ること」「描くこと」「語ること」の連関~<夢二式>の流行を中心に~」

2017-02-11 08:56:40 | 参考情報
 2013年12月21日に行われた日本児童文学学会の東京例会での、高橋律子(金沢21世紀美術館学芸員)による講演です。
 竹久夢二に関することだけでなく、当時の少年少女の雑誌受容についても述べています。
 高橋は美術史学会に属している美術史畑の人ですが、日本児童文学学会は児童文化もカバーしているので、彼女の著作に2011年度の学会の奨励賞をあげたこととの関連で今回の講演は行われました。
 夢二は、「黒船屋」に代表されるような美人画が有名ですが、高橋自身は美人画よりデザインや子供の絵が好きだそうです。
 夢二は、明治の終わりから大正時代において、たんなる画家ではなく今でいえばAKB並みの人気がある時代のアイコンだったそうです。
 雑誌に夢二の絵を載せれば、その雑誌が爆発的に売れたそうです。
 また、社会現象としての夢二式(単に夢二の絵の中の女性をさすだけでなく、それをまねた若い女性たちも含まれます)は一世を風靡しました。
 今で言えば、アニメのキャラクターのコスプレーヤーのようなものでしょう。
 いや、なにしろ「夢二式でない女学生は人間ではない」とまで言われたそうですから、それ以上の存在、コスプレーヤー兼読者モデルのような存在だったかもしれません。
  夢二は、もともと詩人になりたかったのですが、雑誌に投稿した詩は入選しなかったので、入選した絵描きの方になったのだそうです。
 全盛期には、四十冊ぐらいの雑誌に絵を描いていたほどの売れっ子です。
 また、挿絵を集めた夢二画集がベストセラーになりました。
 はたして夢二式の目は大きいのか?
 今の基準(少女マンガの主人公やエクステンションやコンタクトを使った女の子たち)で見ると決して大きくはないのですが、それ以前の女性画の主流だった浮世絵では目が細かったので、相対的に大きく感じられただと思われます。
 明治になって女性の美の価値観が変わってきて、それまで目が細いのが美人とされてきたのが、パッチリとした目の女性に変わったようです。
 また、夢二式の特徴は目ばかりではありません。
 髪型やお化粧、身のこなし、顔だち、夢二がデザインしていた港屋の襟、衣類にも夢二式はありました。
 また数多くの夢二の恋人たち(数十人いたとも言われています)がみんな夢二式だったので、今でいえばモデルや女優などのファッションリーダーとしての役割をはたしていたのでしょう。
 特に、写真が残っている夢二の恋人のお葉は、夢二式そのものです。
 このように、絵そのものと現実の女性の両方に夢二式が存在しました。
 夢二式はどうしてそんなに人気が出たのでしょうか?
 そこには、当時の雑誌の受容との関係があったようです。
 雑誌の力が、夢二の人気を生み出したのです。
 当時、雑誌がマスメディアとして力を持ってきていました。
 それまでは、本は絵双紙屋で売られていました。
 それが消滅して、近代書店が現れました。
 雑誌は、そういった書店で売られるだけでなく、通信販売でも日本中(海外の植民地へも)に流通し始めました。
 また、太陽(大人用)と少年世界(子供用)が、今までの雑誌を束ねる形で総合雑誌として現れたことも部数拡大につながりました。
 それまでの雑誌と、これらの総合雑誌とでは、部数の桁が違いました。
 その雑誌の売り上げをのばすのが、挿絵や付録などのビジュアルだった。
 また、この時期に石版印刷による多色刷りが可能になりました。
 ちょうど日露戦争の時期で、その戦況を伝える写真図版の誕生とが同期して、爆発的に人気を集めていました。
 また、夢二などの絵の人気には、美術趣味の流行がその背景にありました。
 ちょうど今の映画やアニメのイメージに近く、絵を見るだけでなく、自分で描いたり、美術展の様子が語られたりしました。
 当時美術館に行かれる人は限られていましたので、その背後には美術展の図編を楽しむ人たちが膨大にいました。
 その一方で、芸術写真もはやっていました。
 こうした活動を直接的に体験できない子どもたちが楽しむものとして、雑誌の存在は特に大きかったと思われます。
 図版を切り抜いてスクラップブックをすることが、子どもたちにはやりました。
 古本屋では、そうしたスクラップブックまでが流通していました。
 図版の絵を紙を重ねて写すこともやっていて、写し絵と呼ばれていました。
 特に夢二の絵は線が単純なのでまねしやすく、写し絵も楽でした。
 夢二は、絵の専門教育を受けたのではなく、自分も雑誌を写して学んでいたので、デッサンを重ねるのではなく一発勝負の線で描いていたので、写しやすかったのだろうと思われます。
 当時の雑誌の投稿欄にも、夢二式の絵がたくさん送られてきていました。
 そして、そこから多くの芸術家(画家とは限りません)が育っていったようです。
 こうして、夢二の精神性がいろいろな芸術家に受け継がれていきました。
 当時は、肉筆の回覧雑誌が全盛(私が読んだ芥川賞作家の柏原兵三や漫画家の藤子不二雄の本によると戦後も行われていました)で、それには最後に読者の感想を書くページもありました。
 スクラップブックと同様に回覧雑誌も、雑誌の再生産の場になっていました。
 中には、回覧雑誌を出版社へ持ち込んで、作品が雑誌に採用されたものもありました。
 今のコミケのような働きをしていたのかもしれません。
 こうした文化が起こった背景には、日清、日露の戦勝により、日本が対外的にも隆盛して、国内にも裕福な家庭が増えた事があげられます。
 ビジュアルが本の売り上げを左右し社会の風俗にも影響を与えたのは、美少女キャラクターのイラストを前面に出して売り上げを伸ばしているライトノベル、マンガ同人誌のコミックマーケット、アニメキャラクターのコスプレなどの現代の風俗と通じるところがあって興味深い発表でした。
 なお、質疑の時間に「「夢二式」の人気はいつまで続いたか」と尋ねたところ、「関東大震災(大正十二年)と夢二のスキャンダルによって下火になり、昭和五十年ごろに再評価されるまでの五十年間は夢二は忘れられた画家だった」との答えでした。
 また、「当時の新しいメディアだった映画への夢二や夢二式の影響は?」の質問には、「確認されていないが重要な視点だと思う」とのことでした。
 映画が発明されたのは明治28年で、夢二が活躍していたころにはすでに日本でも爆発的に人気をはくしていましたが、日本では初めは女性役を男性の女形が演じていて、女優が誕生したのは大正7年になってからだったので、映画に夢二の影響がなかったのでしょう。
 もし映画の初期から女優がいたら、夢二式の美人たちが映画界を席巻していたかもしれません。
 高橋は美術史の専門家なので、いつもと違って児童文学からは直接的には離れましたが、現代の児童文学につながるいくつかの示唆が得られて有益でした。

竹久夢二―社会現象としての“夢二式”
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名木橋忠大「立原道造と宮沢賢治 ―われもまたアルカディアに―」

2017-02-06 17:59:50 | 参考情報
 四季派学会・宮沢賢治学会イーハトーブセンター合同研究会 ―宮沢賢治から「四季」派へ―で行われた研究発表です。
 研究発表要旨は以下の通りです。
「立原道造(一九一四~三九)は、一九三八年七月の段階で肺尖カタルの診断を受けており、死期を予感するように自身を彷徨に駆り立てた。「僕は 十月一ぱいあたりまで盛岡に行つてくらすだらう、そして秋ふかくなつて南へかへつてゆくだらう、候鳥のやうに。そして冬一、二月あたりには長崎に行つて住まうとおもふ」(九月六日付矢山哲治宛書簡)。盛岡滞在時には「僕はこの小さい丘の麓にあたらしく生れたのではないだらうか。昨日でないならば、けふたつたいま!」(九月二八日付猪野謙二宛書簡)と新たなる生の実感が述べられる。ところが彼は一方で、「宮沢賢治をよんでゐたら、宮沢賢治もかなしいうそつきです。僕がいま欲しいのはあんないつはりの花ではありません」(九月二八日付深沢紅子宛書簡)、「もとは宮沢賢治にはあのイメージの氾濫でだけ反撥した。しかし今はもつとふかく反撥します。大切な大切なもののために」(同)のように賢治への否定的見解を吐露してもいた。なにゆえ賢治が「かなしいうそつき」なのか。「大切な大切なもの」とは何か。長崎での手記には、「北方のドイツ人たちがアルプスをこえてイタリイに行つたとき見たものを見得ないのは僕の罪だらうか」(長崎紀行・一二月六日)とあり、彼の彷徨はゲーテ『イタリア紀行』を模したものと見られている。これらの書簡・ノートを足掛かりにして、彼をとりまいた環境要因をすりあわせ、晩年の立原を読み解いていきたい。」
 研究発表は、以下の順番に進められました。
1.宮沢賢治への反発
2.融和の詩想 リルケ
3.遍歴の詩想 芳賀檀
4.立原道造の帰趨
 1と4は賢治との関連に触れていますが、2と3は賢治から離れて道造の詩想の背景について述べられたものです。
 そういった意味では、やや道造側に偏った発表内容になっていたように思われます。
 まあ、名木橋は四季派学会の研究者なのですから、それもやむを得ないかもしれません。
 各項目は、道造の書簡や先行論文を丁寧に引用していって、それに名木橋の考察を加える形で行われていました。
 なにしろ分野が狭いので、先行論文に自分の考えを積み上げていく形でしか研究ができないのでしょう。
 その点では、この発表はよくまとめられていたと思います。
 名木橋は現代詩の実作もやっているそうで、彼もまた道造の「アダジオ」、「のちのおもひに」、「何処へ」、「歌ひとつ」、「風立ちぬ」、「南国の空青いけれど」などを引用して、朗々と歌ってみせました。
 うっとりとした表情を浮かべて歌う名木橋を見て、この人は本当に詩が好きなんだなと、感銘を受けました。
 そういう意味では、実作をやらない児童文学の研究者たちよりも、詩の研究者たちの方が純粋に対象を愛している気がして、「創作、評論、研究、翻訳」のすべてをやる「児童文学者」を目指している自分としては、非常に励まされた気がしました。


立原道造の詩学
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双文社出版
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