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一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

ペルソナ・・・

2004-09-06 20:29:23 | 歴史/民俗/伝統芸能
 縁日では必ずと言っていいほど「お面」が売られている。その時々のヒーローである場合が多いが、何故縁日ではお面が売られているのだろう。
 縁日とは本来、他界から現世へ戻ってきた祖先霊をもてなすための催しが行われる場である。その催しの多くは現在は歌舞伎/神楽/軽業など、(伝統)芸能として存続している。そして、芸能に不可欠なもの、それがペルソナ(仮面)である。縁日と仮面は切っても切れない縁がある。
 さて、では何故人は仮面つまり異なったペルソナを身にまとうのであろうか?自分の顔を作るという意味では、縄文時代にさかのぼりうる。土偶に見られる身体文様のなかには、衣類の文様ではなく入れ墨や自傷が含まれているようであり、弥生時代には魏誌倭人伝にあるように「鯨面文身」つまり全身に入れ墨をした人が居るという事実が報告されている。おそらく人は自分の持てる以上の力を持つために自分自身に文様を施し、結果的に自分とは異なるペルソナを身にまとう事となったのである。
 呪術と文様の関係についてはまた日を改めるとして、我々の世代で具体的にペルソナを纏った人として思い浮かぶのはSTALINのミチロウ、ガスタンクのBAKIやAUT-MODのJUNEである(笑)彼らは自らの「歌」に更なる力を込めるためにペルソナを纏った。簡単に言ってしまうと髪を立てるとPUNKな気分が盛り上がるのと大差ないのかもしれないが、もともと表現すべき/歌うべき何かを持っている人たちにとって、その表現を増幅するために、ペルソナは非常に有効な手段であったことだろう。彼らにとってのペルソナはトレードマークでもなければセールスポイントでもない。忌野清志郎はかつて「ステージに上がるたびに自殺している」と言われたが、多くのミュージシャンは一度死んで、生まれかわった新たなペルソナとともにステージにあがるのであろう(かな??)。
 その表出された外面的な呪術性しか見ない(見えない)次の世代には、それは派手なメイクとしか映らず、ペルソナ(メーク)と表現が乖離した段階で、ロックの失速(ビジュアル系の出現)が始まり、エスカレート合戦の末、お笑い一直線か、卒業を決め込んでAOR風歌謡曲になっていくのは必然と言えば必然であろう。

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