God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

原始宗教の死生観、っていっても、そんなに大したことは書けません(笑)その2

2005-05-26 22:16:31 | 歴史/民俗/伝統芸能
 さて、弥生時代になると、お墓の意識が若干変わってくる。縄文時代には、お墓に葬られる人は限られており、それはおそらくシャーマンや首長なのであろうが、それとて必ずお墓に埋葬されるわけでなく、お墓を持たない(お墓が見つからない)集落はそれほど珍しくない。ただし、埋甕(小児墓)は別であるが。
 弥生時代になると、縄文時代よりもお墓が一般化するようである。まず、弥生時代のお墓でもっとも有名なのは北九州を中心に展開する「甕棺墓」だろう。これは佐賀県吉野ヶ里遺跡のもの。

はい、甕棺のサイズを見れば、大人から子供まで同じ形態のお墓に埋葬されていたことがわかるでしょ?

 一方、東北地方では「再葬墓」と呼ばれるお墓が作られるようになる。一度埋葬した(もしかすると風葬のように放置するのかも)後、白骨化した骨を掘り出して土器の中に納めて再度埋葬するお墓である。これは同族墓として、複数のお墓が同時に作られたりもするらしい。日本の南北で、同じ土器をお墓に使用しながら、こうも違うものかとちょっと感心する。

 それとともに、お墓の周りに溝を巡らせた周溝墓、お墓に高く土を盛り上げる墳丘墓、巨大な石のモニュメント(?)を伴う支石墓など、一般のお墓とは明らかに区別されたお墓が出現するのも弥生時代である。縄文時代においては埋葬者の集落内での立場はその副葬品でしか区別できない(もっとも、墓に埋葬される事自体が多くの場合において特別なのであろうが)のに対し、弥生時代になると、社会的な階層差が墓制にも反映してくるのであろう。社会的な権力が発生したため、権力者の死に際してその継承者が死者のお墓を盛大に造築することにより、自分が継承した権力がいかに強大であるかを知らしめるという図式なのであろうか?これがさらに発展してきて古墳が作られるようになるのであるが、古墳はその図式がさらにエスカレートし、権力者がその権力を知らしめるために生前から築造に着手するのである。

 さて、社会的/文化的な様相を反映してお墓は移り変わってきているが、基本的に墓の構造の問題であって、古墳時代の前半までは死者に対しては一部の小児墓に見られる「再生を願う」以外の意識ははたらいていない。だって、原始宗教だもん。しかしながら、古墳時代には大陸から伝わった道教の影響が反映され始め、仏教文化の影響(仏教伝来ではない!)を受けて、死生観は劇的に変化するのである!
つづく

内容的にはかなりの偏りと違和感を感じます(それは私のブログも同じか!?)が、
こんなのもありました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/index.htm

 

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5 コメント

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そうだったのか! (セイ)
2005-06-02 09:31:17
再葬墓って、東北のものだったのか?!

びっくり。



いずれにしても、「原始宗教だもん!」これがいいよね。

縄文は素朴でわかり易くて、よいですねー。

弥生で他所から知恵が入ってくると、複雑になって、

どこかこう、人間の生臭さが生まれて、なんだかなー。

仏教がその次の順番に浸透したのは、やはりその

生臭さ(権力とか順列とか、死んでからまで身の上を

心配する不自然さ)によるものかしら?
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子供のとき (pinon-pinon)
2005-06-12 14:39:57
小学生の時、自転車こいで

油山という山の周囲に点在する

弥生遺跡にカメカン見に行きましたねー

気持ち悪い子供ですね

つづき楽しみにしてます



なんと首里の博物館は1週間の休業中で入れなかったんですよー織物楽しみにしてたのに。
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おかえりなさい ()
2005-06-13 18:53:49
博物館、残念でしたね。でも内地では決して見ることができないような数々のものをご覧になったようで、羨ましい限りです。

 甕棺、小学生の頃から「弥生」や「遺跡」を意識しているなんて素敵です。甕棺はかつては調査の都合で、「のこぎり」で切り分けていたようですが、「のこくず」の部分が足りなくなってしまうため、割って中を確認するようになったそうです。また、写真のように復元された甕棺は非常に場所をとるので、写真や図面をとったあとは一部をのぞいて再びバラバラの破片にもどしてコンテナに収納します。膨大な量が保管されているため、「いくつかいりませんか?」と九州の教育委員会の方に聞かれたことがあります。
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骨壺 (あつし)
2005-06-17 01:02:43
沖縄に入れ込んでいた時期、読谷村の近くの寺??(沖縄に寺は無かったような・・)で一休み。

ふと、縁側の下を見ると、とてもキレイな壷がいくつか置いてありました。

彩色も派手で美しいので、思わず写真を撮ってしまいました。

すぐに街の写真屋でプリント。それを兄貴(当時、那覇に住んでいた)に見せると大笑いされました。

なんと、それは骨壺だったのです!!

本土の陶器?青磁?のような、なんの飾り気も無いモノと比べて、なんて派手で美しいことか!

沖縄の風土が増々好きになった瞬間でした。
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骨壺 ()
2005-06-17 20:32:27
あつしさん、コメントありがとうございます。

古墳から骨壺に至るまでを次のネタとしたいのですが、

その他にも書かなきゃならないことができたので、このネタはもうしばらくお待ちください(笑)
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