ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  551

2010年05月10日 22時25分50秒 | Weblog
 さあ、車道に出ました。
 
 正面の道路が線路跡です。
 ここからは、針持駅跡までこの広さの道がのどかに下っていきます。

 道路の左側には人家が見えています。
 写真に写ってはいませんが、周囲にはもっと多くの人家があります。

 久々に人家が集まっている景色に出合いましたね。
 やはり人家を見ると、ほっとします。
 ここは高塚という集落のようです。

 ここから、こんなのんびりとした景色が続きます。
 周囲の山々もそんなに高くは見えません。


 しかし、この場所の標高は250m台です。 
 薩摩永野駅よりもまだ80mも高いのです。
 
 同じような景色があるからと言って、標高が同じくらいなのではなく、80mの段差があるのです。
 この先の西太良・羽月まで行ってやっと薩摩永野駅の標高になります。

 これは【特別編】にも関連しますが、伊佐盆地と宮之城辺りの標高差が宮之城線の線形に影響を与えた最大の理由でしょう。
 スイッチバックを使わなければ、この標高差は解決できなかったのです。

 改めてそんなことを感じた椿越トンネルを抜けてのこの集落との出合いでした。



 
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国鉄・宮之城線の今  550

2010年05月10日 22時21分03秒 | Weblog
 コンクリート橋を渡ったら、すぐに急で短い上り坂になります。

 これは549で紹介した道路につなぐためですが、これは盛り土されたんでしょう。

 その証拠に、道路の部分と右側の土手の部分に大きな溝ができています。
 土手が切り込んだ奥が路盤の高さだったことを表していると思います。
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国鉄・宮之城線の今  549

2010年05月10日 22時15分35秒 | Weblog
 548で紹介した川が路盤の下をくぐっています。
 
 コンクリート橋になっていました。


 さて、写真後方にガードレールが写っていますが、これは、椿越えをしてきた道路(535で紹介しました)から伊佐市側へ下ってきた道が途中で分岐して、車道にされた線路跡につながる道です。
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国鉄・宮之城線の今  548

2010年05月10日 22時05分10秒 | Weblog
 547の写真の路盤の右側には田んぼがあります。
 間には、溝というか川があり、水が流れています。

 その田んぼの土手に境界標がありました。

 後ろの田んぼには、ひこばえが青い穂を伸ばしているようです。

 
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国鉄・宮之城線の今  547  

2010年05月10日 21時50分41秒 | Weblog
 宮之城線の最高標高地点は現在、農道のスムーズな通行のためでしょうか、盛り土がなされ、さらに、その上がコンクリート舗装されています。

 ですから、ここから一気に下っていく感じがしますが、感じがするだけでしょう。
 現役時代はコンクリート舗装されている部分までがは、その先の砂利道が本来の路盤の高さだったでしょうから、もう少し緩やかに下っていたはずです。

 写真は11月上旬の様子なので、紅葉の雰囲気が漂っていますね。
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