さあ、車道に出ました。
正面の道路が線路跡です。
ここからは、針持駅跡までこの広さの道がのどかに下っていきます。
道路の左側には人家が見えています。
写真に写ってはいませんが、周囲にはもっと多くの人家があります。
久々に人家が集まっている景色に出合いましたね。
やはり人家を見ると、ほっとします。
ここは高塚という集落のようです。
ここから、こんなのんびりとした景色が続きます。
周囲の山々もそんなに高くは見えません。
しかし、この場所の標高は250m台です。
薩摩永野駅よりもまだ80mも高いのです。
同じような景色があるからと言って、標高が同じくらいなのではなく、80mの段差があるのです。
この先の西太良・羽月まで行ってやっと薩摩永野駅の標高になります。
これは【特別編】にも関連しますが、伊佐盆地と宮之城辺りの標高差が宮之城線の線形に影響を与えた最大の理由でしょう。
スイッチバックを使わなければ、この標高差は解決できなかったのです。
改めてそんなことを感じた椿越トンネルを抜けてのこの集落との出合いでした。
正面の道路が線路跡です。
ここからは、針持駅跡までこの広さの道がのどかに下っていきます。
道路の左側には人家が見えています。
写真に写ってはいませんが、周囲にはもっと多くの人家があります。
久々に人家が集まっている景色に出合いましたね。
やはり人家を見ると、ほっとします。
ここは高塚という集落のようです。
ここから、こんなのんびりとした景色が続きます。
周囲の山々もそんなに高くは見えません。
しかし、この場所の標高は250m台です。
薩摩永野駅よりもまだ80mも高いのです。
同じような景色があるからと言って、標高が同じくらいなのではなく、80mの段差があるのです。
この先の西太良・羽月まで行ってやっと薩摩永野駅の標高になります。
これは【特別編】にも関連しますが、伊佐盆地と宮之城辺りの標高差が宮之城線の線形に影響を与えた最大の理由でしょう。
スイッチバックを使わなければ、この標高差は解決できなかったのです。
改めてそんなことを感じた椿越トンネルを抜けてのこの集落との出合いでした。