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ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

鳩山、ふんばれと言いたい。

2010年05月04日 22時39分21秒 | Weblog
 鳩山首相の訪沖。
 政権への怒り、不信が渦巻いた中での訪問だったと、多くのマスコミが報じている。

 そして、「県内移設」案の再浮上。
 「友愛政治はどこへ行ったのか」「この数ヶ月はいったいなんだったのか」という声、当然だと思う。


 政権支持率も急落しており、デッドポイントを下回ろうとしている。

 
 ただ、この責任を民主党や鳩山首相にだけ押しつけていいのかということになると、私はおかしいと思う。
 普天間問題というのは、単なる基地問題に矮小化してはならないはずである。

 「どこに移設する・しない」は、沖縄や徳之島の人々にとって切実な問題であることは理解するのだけど、それ以前に、「対米対等外交」を打ち出した民主党政権にとって、基地問題は本来は枝葉の問題の一つであったはずである。
 
 「日米対等外交」は日米安保の根幹に関わる問題である。

 日米地位協定によって沖縄県民(日本国民)がどれだけ理不尽な目に遭ってきたのか、私が語る前に、「愛国心」を強く訴える団体の方々・「愛国心」をもとに保守政治の再結集を図ろうという政治家の方々が街宣活動すべきであると思うのだけど、そんな動きは全く聞こえてこない。
 ただ、「民主党はだめだ」とキャンペーンをはっているだけだ。
 マスコミも同罪。

 民主党はだめでもいいけど、一番こだわらないといけないのは「日米対等外交」ではないかと私は考える。


 参院選の結果がどうなろうとも、後3年半は民主党政権の時代なのである。自民党にできなかった「日米対等外交」を追求してほしいし、私としては米軍の全面国外移設が一番いいと思う。


 鳩山さん、今こそふんばり時ではないでしょうか。

 

国鉄・宮之城線の今  517

2010年05月04日 17時48分59秒 | Weblog
 橋台まで戻ると、路盤がどちらを向いているのか分かりました。

 今までと違って、私の背より高い藪ですが、冬場なので、葉は落ちており、けっこう足元はよく見えます。

 ここはどうやら築堤になっているようです。


 と、人工的な建造物がありました。
 距離標かなと思いましたが、この直後にその分析は間違いだと分かりました。

 なんだろう・・・ 

 ただ、鉄道絡みなことは確かでしょうが。

国鉄・宮之城線の今  516

2010年05月04日 17時40分58秒 | Weblog
 橋脚から10mほど傾斜を上がっていくと、今度は見慣れた形をしたコンクリートの塊がありました。

 今度は橋台です。

 ここに、鉄橋のガーターが乗っていました。

 橋脚を見つけた時には ? の気持ちだった私ですが、橋台を見つけた時には ! の気持ちでした。
 「スタート地点」から25分後のことでした。 

国鉄・宮之城線の今  515

2010年05月04日 17時34分11秒 | Weblog
 橋脚の上部はこんな感じです。
 コンクリートの中に鉄骨が4本埋め込まれています。

 きれいに鉄骨は切断してあるんですが、それこそ、この時は、なぜか橋脚だということを思い出せなかったのです。

 それほど、言葉は悪いのですが、なんじゃこりゃあって感じでね。

 ただ、川内からずうっと調べてきて、たくさんの鉄橋・鉄橋跡に出合ってきましたが、実は、橋脚にはまだ一本も出合ってはいないかったのです。
 いや、一箇所ありましたね。スタート直後の川内駅構内に(橋脚らしくありませんが)。
 

 宮之城線跡は全て訪れたのですが、私が確認した範囲では、橋脚跡が残っているのは川内駅構内とここだけです。
 ただし、ここの鉄橋は5本の橋脚があったわけで、残り4本については確認していないので、もしかすると、他の4本も残っている可能性はあります。


 言い訳がましいのですが、久々の橋脚だけにイメージが伴わなかったと、自分を納得させたいと思います。

国鉄・宮之城線の今  514

2010年05月04日 17時27分20秒 | Weblog
 藪の中で、何かないかなぁ~と見回しながら歩いていると、斜面の途中に突如として、巨大なコンクリートの塊に出くわしました。

 この時には、気がつかなかったんだよね~。

 これが橋脚だって。


 よっぽど気がせいていたんだろうけど。


 なぜか、なんだろう、これって感じでね。

国鉄・宮之城線の今  513

2010年05月04日 17時00分14秒 | Weblog
 ガードレールから右側へと下りていく道がありました。
 道とは言っても、何者かが踏み固めた程度で、そのうち、分からなくなってしまいました。

 1974年頃の航空写真を見てみると、この辺りは田んぼだったようです。
 一番低い所に小川があったのですが、この上流にも田んぼがあったようです。

 今では植林されており、すっかり雰囲気は現役時代とは変わってしまっています。


 小川を渡ると、さて、どこから線路跡に向かおうかと見回しますが、どこを通っても険しい傾斜になっています。
 しかも、枯れ葉が表面を覆っているので、滑落する危険もありますが、息子と登りにチャレンジです。

 周囲が明るくなり、路盤に戻ってきた感じがします。
 が、周囲は藪。

 
 
 
 ここで、私、大きなミスを犯してしまいました。
 
 というのは、ここは鉄橋でした。100mほどの長さの鉄橋だったはずですが、ガードレール側の橋台の有無の確認をし忘れたどころか、橋足の基礎部分の確認もしていませんでした。
 いくら時間が気になるとは言ってもねぇ~。

 ここにかかっていた鉄橋の写真があるのですが、5本の橋脚があり、特に、中央の橋脚は立派なコンクリートの塔のような柱です。
 これが残っているのかいないのか・・・

 残念ですが、今からの季節はもう入りたくないので、覚えていたら来年1月頃に確認に行きたいと思います。
 
 
 
 

5連休も明日まで

2010年05月04日 16時53分33秒 | Weblog
 私が熊本に行っている間に実家に行っていた家族が先ほど帰宅しました。
 
 いや~、気楽です。

 好きな時に起きて(体は定刻に反応)、
 好きな時に飯食って(作る手間がかかるが)、
 大いに掃除をし(娘たちの分まで働き)、
 そして、好きな時に寝て(持ち帰り仕事をしながら)・・・

 結局、休みなのに、何やってんだろうね。

 でも、気分は楽ですわ。


 来年か、再来年か、その次の年には確実に単身赴任が待っているんで、練習を兼ねた5連休です。