ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

AIの急速な「進化」とともに進行しつつあること

2023年05月04日 21時13分49秒 | Weblog
 chatGTPの流布に伴うさまざまな「困り事」の多発が問題になっています。
 3月の頃は、もともと英語仕様なので日本語での利用となった場合、「違和感」のある文章になったりする等のこと等の機能の不十分さが言われていましたが、今はそれすら乗り越えてしまったような感じさえうけます。
 chatGTPに代表されるAIの急速な「進化」に対して、イーロン・マスクやビル・ゲイツといったIT企業のトップが開発のいったん停止を呼びかけたり、G7でも一定の制約をかけることが話題になったりするなど、最も「情報」をにぎっている人々の動きがとても気になります。

 技術的特異点であるシンギュラリティーとは、AIが人間の知能を超える転換点だとされています。
 人間のような感情であるとか、葛藤であるとかいうことをAIが持つことを、私たちは「自分たち」を基準にして考えようとしていますが、人間と同等になるシンギュラリティーの時点では、人間はAIに対しては何もできなくなるのではないかと思います。シンギュラリティーに達する直前だからこそ、AIを人間の掌の上で動かせるうちにその「力」を押さえ込もうというのが、イーロン・マスクやビル・ゲイツたちの考えではないのでしょうか。

 
 ただ、私たちは人類の英知を乗り越えたAIが人類を虐げる場面を、「ターミネーター」のように力尽くで支配しようとする、あるいは殺戮するといった絵柄で想像しているかもしれませんが、それより「ずっとずっと用意周到」に、「依存」させる形でしのびこんできてはいまいかと思います。つまりは、人間がコンピューターを使っているようでいて、実はコンピューターに使われてはいませんかということです。

 私もですが、ものごとの判断をするのにiPhoneやPCのサイトで表示されたことを自分の行動様式の判断基準にしていませんか?
 例えば、旅行先で「地元のおいしい料理店を探したい」を検索しますと、数値評価が出てきます。
 たくさんの人たちの評価の平均なんでしょうね。
 でも、料理のおいしさの評価は人によりさままざまです。
 ましてや、長年加工品の味しか知らない人、生まれてからずっと「とりたて」を味わってきた人では評価が違います。
 また、例えば魚のおいしさにしても、「とれたて」のコチコチ感が好みという人もいれば、しばらくおいて「うまみ熟成」が好みという人もいます。

 先日、出張が一緒になった方がネット情報大好きな人でして、いろいろ調べたあげく、結局、「安定」は「ほか弁」だとして、「ほか弁」につきあわさせられました。
 私からすると、「はずれ」かもしれないけど、行った先の「出合い」を楽しみたいと思います。

 
 こういうネット情報を過信していること自体が、もう既にAIに支配されていないかと思うのです。
 




コメント
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