ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

予感

2009年11月30日 22時49分27秒 | Weblog
 人に話せば、驚かれるのですが、
 今までの人事異動での異動先、すべて当たりました。
 今年は結婚が多いかもと思ったら、案の定、続々と。当面、来年2月まで月1ペース。

 予感は突然やってきて、波が繰り返すように、弱くなったり強くなったりします。
 たまに、しばらく予感が続いた後にさっと消えてしまうこともあります。それが特別に大事なことであれば、あわててしまいます。特に金運(笑)。いえいえ、あったんですよ。あまりにも強烈な予感を感じたんですが、妻にしゃべったとたん、あっという間に消えちゃってね(爆)。

 先週金曜日、帰宅途中の車中にて妙に予感めいたものを感じました。あまり縁起でもないことが身近な人の中に起こりそう。これこそ、これっきりで消えてほしい予感ですね(妻からは怒られました)。
 
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内にこもる予定が、外ばかりの一日に

2009年11月29日 17時20分41秒 | Weblog
 今日は一日、デスクワークで一日を過ごすつもりでいたのですが、10時過ぎ、窓の外からトントントンという音。
 隣の畑に軽トラが乗り入れ、ブルーシートが敷かれています。
 ! ・・・ 今日は、集落の棚田保全事業の一環であるのソバの実落としの日でした。あわてて行くと、事業の会長のMさんが「昼からだけど、いくらか済ませておかないと」とのこと。
 息子にも手伝わさせながら、私もトントントンでした。

 そうこうしているうちに正午のお知らせ。
 作業を切り上げて昼食へ。
 これまた、思い出したのが、山に入って「葉っぱ集め」です。何に使うかはナイショですが、息子と一緒に秋の山へ入りました。
 結局、集めた「葉っぱ」を使うための仕込みなどもあり、部屋に戻ったのは17時頃。
デスクワークができなかった分が、明日以降、しわよせが来るよな~と思いながら、まあいいやとあきらめです。
 さあ、お風呂にでも入りましょうか。

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国鉄・宮之城線の今  番外編05

2009年11月29日 01時23分00秒 | Weblog
 この間、宮之城線についていろいろと調べ、まとめているわけですが、宮之城線についてはブログなりHPの数がえらく少ないなぁと感じています。これは他の廃線となった区間と比べてもそうです。
 いや、確かに全国各地からわざわざ川内~大口の路線を調べるために、たくさんの方々がやってきているのは分かるんですが、実際、記事になる量は実に少ないと感じるのです。

 ましてや、先日までさつま町の歴史資料センターで行われていた「国鉄宮之城線の思い出」展は、確かに当時の切符棚や融雪ランプ、駅舎の写真や新聞記事を展示していたのですが、今一つ訴えてくるものが感じられませんでした。
 なぜなら利用者の側に立った展示ではなかったからです。

 その意味で、宮之城線をよく利用していた人々にとっても、宮之城線の意味は薄かったのかなと感じてしまうのです。
 そんなことはないと思うのですが、私はたった1度の乗車経験しかないわけですから、そんなことを言うのはおこがましいかもしれませんね。

 やはり影の薄い路線だったのでしょうか。
 否、そもそも「鹿児島本線」の候補として建設された路線ですし、川内川の流通の中軸を担っていたはずなのですから、そんなことはないと思うのですが。
 私の期待のかけすぎでしょうか。
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国鉄・宮之城線の今  063

2009年11月28日 22時41分08秒 | Weblog
 062の写真はこれまでの進行方向と違い、川内側を振り返ったものでした。
 今回は同じ場所から大口側を向いた写真です。撮影した日が別なので、写真の明るさ・空の様子が全く違いますが、これはご了承くださいね。

 写真右側にも道路が写っていますが、これが本来の道路でした。
 
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国鉄・宮之城線の今  062

2009年11月28日 22時32分07秒 | Weblog
 橋を渡ったら、県道より数m高い所にある藪の中へ進んでいきます。

 藪というよりは、もうすっかり森です。

 しかし、ちょっと先回りしてみると、線路跡は藪から突然、舗装道路に変わっています。線路跡をそのまま奥の方へ伸ばしていくと、杉木立と雑木がVの字になっています。
 バラストのために草木の成長が遅れるために、こういう景色になっています。
 これは廃線跡を探す時のポイントの一つです。

 他県や他路線にまで同じことがあてはめられるのかは試してみていないので分かりませんが、宮之城線について言えば、こういうV字、もしくは杉木立の際を線路が走っていたということを、あちこちの姿で確認することができます。
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国鉄・宮之城線の今  061

2009年11月28日 22時26分41秒 | Weblog
 060の写真の写っている白い軽自動車の左側に脇道みたいなものが写っています。ここに入ると、今回の写真の右側の堤上に出ます。
 写真では倉庫が建っており、そこが道路になっているわけですが、この切り通しになっている部分は、以前は築堤で、左側のちょっと先に橋がかかっていたんでしょう。
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国鉄・宮之城線の今  番外編04

2009年11月28日 22時05分17秒 | Weblog
 本来ならば、「番外編」とせず、通常のナンバーの中に組み入れておけばよかったのですが、うっかりしてもらしてしまいました。
 あえてナンバーをつけるとすれば、32.5のあたりです。

 宮之城線沿いには未だに「○○駅」「○○駅前」といったバス停が残っています。
 もうじき到着する樋脇駅や入来駅などいくつか見られます。

 その一つが「楠元駅前」です。
 しかも、このバス停のおもしろいところは、楠元駅の駅舎の隣りに立っているのが「楠元」バス停で、川内川を渡って旧東郷町の中心部に入ってさらに200mほどでしょうか離れた場所に「楠元駅前」バス停が立っているのです。
 もちろん、前者が南国交通で、後者がいわさきバスと、会社が違いはしますが、ちょっと違和感を覚えますね。
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気楽にドライブへ

2009年11月28日 21時49分34秒 | Weblog
 朝から青空が広がり、ぽかぽかと暖かかったこともあり、長島へ行ってきました。
 窓を開けて走ってもちょうどいいくらいでした。

 日本3大急流の黒之瀬戸にかかる黒之瀬戸大橋は路面がきれいになり、新しい橋になったような感じがします。
 
 もう12月になろうというのに、こんな陽気の中、一日とても楽しく過ごせました。
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国鉄・宮之城線の今  060

2009年11月28日 09時14分47秒 | Weblog
 記事が後先しますが、楠元駅から川内川と離れ、吉野山駅近くからは川内川支流の樋脇川に沿って、しばらく宮之城線のルートは進んでいきます。

 川内川は九州第2の長さを持つ一級河川です。古くは水運が発達しており、宮之城の轟の瀬の開削や東郷の地名となっている舟倉はその歴史の証人です。
 樋脇川も八重山に源流を持ち、流域には多くの水田が広がっています。今では水量も少ない川ですが、ダムも建設されているこの川も以前は水運が発達していたのかもしれませんね。時間的に余裕ができたら、調べてみたいと思います。

 その樋脇川に沿って、宮之城線は東へ向かっていきます。
 旧樋脇町に入るあたりで、県道のアスファルトの下に埋もれていた線路跡は、県道から少しずつ分離していきます。
 以前はバラストがよく見えていたのですが、今ではすっかり藪に埋もれてしまいました。

 そして、写真中央の竹藪のあたりが線路跡になります。ここは藪が深すぎて入ることはできませんでした。

 さあ、これで旧川内市の地域とはサヨナラをして、旧薩摩郡の地域へと進んでいきます。

 
 
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国鉄・宮之城線の今  059

2009年11月28日 09時07分34秒 | Weblog
 吉野山駅は構内を出てすぐ右側の山手側に擁壁跡が苔に包まれて残っていました。山の形に沿って右へカーブをとっていきます。
 そして、現在では県道として整備された広い道へ出ました。
 
 樋脇川と山の間に開かれた県道ですが、私の記憶では、ここは20年くらい前とあまり景色が変わっていません。宮之城線が廃線になってすぐに整備されたためなのかもしれません。
 
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