ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

私のマラソン理論

2012年02月25日 22時50分07秒 | Weblog
 金曜日の夜は久々の飲み会でした。
 
 会場では20数年来の友人であるHさんと一緒になりました。

 私が陸上競技から遠ざかっていたのとは反対に、彼は走り続けて、50代となった今でもマラソンはコンスタントに2時間台でゴールしています。

 「菜の花は速かったじゃない」
 「いえいえ、そんなことは・・・」
 記録は更新したものの、やはり目標が目標だっただけに喜べませんね。

 「どんな練習しているの」
 しばし練習の仕方で盛り上がりましたが、彼は明日のランニング桜島などあちこちの大会に出まくっているようです。
 私にゃ、とても真似できません。

 「ガラスの足だもんね~」
 そうです、私は高校の頃はけっこう故障に悩まされていました。ちょいと調子が上向いてくるとどこかを痛めてしまうのです。
 今だってそうです。
 
 ですから、事前に30㎞走をするとか、どこかのフルマラソンに参加するとか私にゃ、とてもじゃありませんが、恐ろしくてできることじゃありません。

 
 他にもあれやこれやと詮索されましたが、どうやら私のことが彼の所属しているサークルでも話題になっているようです(そのサークルには他にも私の友人が何人かいて、誘われているのです)。
 
 去年、高校時代以来参加した鴨池陸上競技場での記録会の5000mの記録からして、「菜の花」の記録は信じられない記録らしいのです。






 厳密に言えば、5000m、10000m、フルマラソンのタイムにはしっかりとした関係性があります。確かlog関数を使っていたのではないかと記憶しているのですが、ベストタイムをつないでいくと、ほぼ直線ができるので、ポテンシャルを最大限発揮した場合の最高記録が予想できたと思います。

 でも、それってあくまで数字遊びなんですね。

 よく全国高校駅伝や箱根駅伝で、優勝校はどこかと話題になる時、必ず5000mや10000mの平均タイムが話題になります。が、その記録が一番だからと言って優勝するとはかぎりません。
 この記録って極めて眉唾物でして、箱根駅伝でたびたび10000m平均タイム№1をたたき出している某大学が優勝戦線に全くからめていないのはその典型です。

 私は大会までのプロセスで記録を残すことは全く考えてはいません。だから、30㎞走なんてことはしません。
 きつくて、体を痛めるだけです。

 もちろん、これは基本的な部分なんで、全否定したとは思わないでほしいところですが。
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大きな変化に向けての準備 ~長女の決断~

2012年02月19日 21時53分49秒 | Weblog
 2013年から数年間、我が家は大きな変化を迎えます。結婚以来初めての事態にその他様々な要因も相絡まっているだけに、今から準備としてできることはしていかなければ間に合わなくなってしまいます。

 その理由は今はまだ伏せておくとして、そのための準備として先週・今週と長女と2人であちこちの中古車センターを回り、我が家の生活スタイルに合う車を購入することになりました。
 持ち主は長女です。
 ペーパードライバーとして2年過ぎてしまいましたが、先週、免許更新に行ったついでに車種の絞り込みをしました。

 絞り込まれた車種の年式、走行距離、値段などを比較して、購入を決定したのがコレ↓↓↓

 

 最近、人気の車・TANTOです。
 (30万円コーナーののぼりは隣りのコーナーです)
 
 以前のオーナーがこだわりの方だったらしく、オプションがいろいろとついていました。

 彼女の賃金からすると、毎月の返済額はけっこう大きいですね。
 彼女にとっては、生涯初の大借金だけに「仕事をがんばるぞー」と張り切っていました。
 その気合いだ! 体調に気をつけてがんばれ!

 これから、この流れに乗っていろいろとしていかなければなりません。何が起ころうとしているのかは、次第に明らかになってくることでしょう。
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まだまだ寒い日が続きます。

2012年02月18日 21時10分28秒 | Weblog
 北陸地方や東北地方ほどではありませんが、今年の冬の寒さは一段とこたえます。

 昨夜からちらちらと降り始めた雪でしたが、今朝はずいぶんと白くなっていました。


 

 今日は朝から昼過ぎまで外仕事だったのですが、平地なのに日中も雪が降り続けました。
 「雪焼け」でもないんでしょうが、顔は酔っぱらったみたいに赤くなってしまいました(笑)


 そうそう、今朝の朝日を見て気づいたんですが、もうしばらくすると、ダイヤモンド富士ならぬ「ダイヤモンド花尾山」が撮れるかも。

 花尾山の麓には1218年に島津氏初代・島津忠久が父・源頼朝、母・丹後局、神社創始者である永金阿闍梨を祭る為に創建したとされる花尾神社があります。
 島津氏にとっては重要な場所の一つです。

 

 朝日の右側の頂上が平べったい山が花尾山ですが、この山の頂上に朝日が重なる姿というのは、これまで意識していませんでした。
 今朝の朝日を見ながら、ふと昨今のダイヤモンド富士のことを思いつきました。
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国鉄・宮之城線の今  薩摩湯田駅の変化

2012年02月13日 20時42分26秒 | Weblog
 2/11に用事で出かけた際、時間が半端に余ることになったので、佐志駅を様子を見に行ったのですが、ついでに船木~薩摩求名間の様子も見ることにしました。

 佐志駅とその近辺の変化ぶりには驚いたのですが、もう一つ驚いたのが薩摩湯田駅でした。
 
 

 佐志駅方面から向かいます。右カーブから直線に出たら、道路左側の建物(公民館)の隣りが薩摩湯田駅跡です。
 が、なんだか妙なことに気づきました。何かが欠けているのです。

 
 
 反対側からも見てみましたが、あれっ?


 そうです。
 薩摩湯田駅には大きな銀杏の木がありました。

 

 この写真は2009年11月に撮ったものです。
 11月というのに青々とした葉のままなのがどうかとも思うのですが(笑)、この木がなくなっていました。

 撮りためた写真フォルダをチェックしてみると、ちょうど1年前に撮った銀杏の木の写真がありました。

 

 枝が落とされています。この時は単純にも枝を落として樹勢を押さえたぐらいにしか思っていなかったのです。
 が、よくよく考えて見ると、これはどこかに移植されたのかもしれません。

 郡山のJAの敷地にあった巨大な銀杏の木も何年か前、八重山公園へ移植された時、こんな状態だったなと思い出しました。



 これは公民館と駅跡の間にあった道路の拡幅工事によるものかと思います。

 

 道路が広くなっていました。
 ついでに動輪と一緒に記念碑も数メートル移動していました。



 薩摩湯田駅もまた姿を変えつつあります。
 それ自体は否定できないことですが、面影がなくなっていくのはやはり寂しいものです。

 

 ↑↑↑ これは現役時代の薩摩湯田駅の姿です。

 小さな駅舎のすぐ近くに立つ銀杏の木。ここで何百何千という乗降客の姿を見送った銀杏の木、雨が降れば雨宿りされたり、待ち合わせの目印にされたりしたことでしょう。

 この銀杏の木、どこに行ったのでしょう。
 どなたかご存知なら教えてくださいませ。
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国鉄・宮之城線の今  佐志駅とその近辺の変化 ②

2012年02月12日 20時57分06秒 | Weblog
 「国鉄・宮之城線の今」シリーズを終えてからなかなか宮之城以北を訪れる機会も時間もなかったのですが、そんな中、TanaTooさんから佐志駅近辺の整備の話を聞いたのが昨年暮れでした。
 気にはなりつつも、なかなか時間が作れずにいたのですが、11日(土)に訪れることができました。

 今回の訪問で一番驚いたのは駅舎跡が完全に撤去されていたことでした。

 

 ↑↑↑これは2009年10月の様子です。
 それが今では↓↓↓こんなふうになっていました。

 

 旧駅前通りが新しい道路に向かって延伸されそうな感じです。


 これを反対側から見てみると

 


 なんの変哲もない景色です。が、宮之城線現役時代の様子↓↓↓を重ねて見てみると、その変貌ぶりが痛々しく感じられます。

 

 線路近くの電柱2本が過去の名残ですね。
 でも、それは知る人ぞ知ることでしかありません。悲しき過去の墓標に感じられました。




 地域の方々の要望があったにもかかわらず、プラットホームが削られてしまいました。

 

 駅舎跡の土台がない上にプラットホームのスロープもなくなってしまいました。


 

 駅跡の証明だった動輪はどうなってしまうのでしょうか。

 また、動輪の横にある鉄骨は何か分かりませんが、これまたどういう運命をたどるのでしょうか。



 全国各地で鉄道の遺構がなんらかの形でその存在を残そうとされています。
 厳しい地方財政の下では、こんな要望はぜいたくな相談の部類に入るようですが、それでもやはり私はなんらかの形で残してほしいと願います。
 それもできるだけ過去の姿をイメージしやすい形でと。
 この佐志駅跡も動輪とレールは本来のものとは垂直の関係でした。これではダメです。現役時代と同じ向きにすべきです。

 
 小さな要望かもしれませんが、産業遺産として見る場合、できるだけ現役時代を正確に想起させる形がいいと思うのです。

 京都や奈良の寺社仏閣同様に、「遺産」という物は、その場所にその形であるからこそ価値があるんです。現代人の価値観や都合で勝手にいじればいいというものではありません。その点だけは踏まえておかないと、とんでもないことになってしまうと思います。




 

 


 
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水道の復旧

2012年02月12日 09時17分04秒 | Weblog
 先週末の厳しい冷え込みで-8℃という寒さに包まれた我が家は、水道の凍結という事態になりました。凍結自体は過去にも1回あったので、時間が解決してくれると思っていたのですが・・・

 翌日にはちょろちょろと出てきたので、水道管に流れが出来ればもうすぐだと確信していました。


 が・・・・・・・!



 いつまで経っても、ちょろちょろです。


 え・・・・・・・!



 いえいえ、台所の水量は回復しました。

 
 ほ・・・・・・・!



 お湯も止まっていたのが、やっと動き出しました。

 
 が・・・・・・・!



 台所から離れた所にあるトイレや洗面所・お風呂はいつまで経ってもちょろちょろ。
 洗濯機は水が十分にたまっていないのに、すすぎを始めるし、お風呂はお湯がたまる頃にはぬるま湯になっているし・・・・・

 水道管が破裂もしくは断裂して水がもれているのかと思い、ご近所さんに尋ねると、大丈夫との返事。
 
 水道組合に電話して今朝、修理に来てもらいました。

 原因は凍結のために、水道管の鉄さびがはがれて、それが管につまったからだとのことでした。
 
 修理を終えた蛇口からは水がじゃばじゃばと出てきます。
 やっと「節約生活」から抜け出せました。

 今夜からは暖かい湯船につかれそうです。
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国鉄・宮之城線の今  佐志駅とその近辺の変化 ①

2012年02月11日 21時21分20秒 | Weblog
 久しぶりの「国鉄・宮之城線の今」の続編です。



 宮之城駅から佐志駅に向かう大きなカーブは、豊臣秀吉と島津氏の攻防でも名高い弥三郎ヶ岡から見下ろせば、優美な直線と曲線を描いており、宮之城線でも屈指の名所の一つだと私は勝手に思っていました。

 ここには、2010年まではまだ築堤がしっかりと残さていました。

 

 
 これは2010年4月の様子です。 
 進入禁止柵の左側のこんもりとした草むらの中には設置目的がよく分からない遺構もありました。
 それが、↓↓↓こうなりました。

 

 
 直線からカーブに転じていく所に、右への分岐路がありました。ちょうど踏切もありました。

 

 この辺りには小さい小さい鉄橋もあったのですが、その存在は全て消し去られていました。左側のガードレールのあった所から右の土手の間に踏切がありました。

 

 すっきりしてしまえば、もう鉄道の存在のかけらもありません・・・・・


 さらに、佐志駅ですが、下の写真の段階で既にもうかなりいじられていました。

 

 この段階では、まだ駅とこの先の国道との間に小さな鉄橋跡も残されていました
 それも、「国鉄・宮之城線の今」の連載の真っ最中に撤去されてしまいました。

 そして、今では、↓↓↓こうなりました。

 

 地域の方々の要望が強くて、プラットホームが残された佐志駅ですが、残し方がこれでよかったのかなと思う佐志駅でした。

 私の感想については次回、述べたいと思います。

 
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やっと梅が開花しました。

2012年02月11日 21時10分24秒 | Weblog
 「最強寒波」だのなんだのと毎週のように気温が氷点下になる寒い寒い今年の冬です。
 
 例年なら既に開花しているはずの梅もまだまだ蕾を固く閉ざしていました。

 今日も一日いろいろとしなければならないことがありましたが、朝日がてらてらと柔らかく私に光をあててくれているのに、なんだかがんばらなければと思った私でした。

 


 そうこうして出かけた途中、我が家から1㎞ちょっと走ったところにあるTさん宅近くの梅の木に花がついていました。

 


 やっと梅の開花です。
 春の訪れを感じた今日でした。
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妻のたたかい

2012年02月06日 23時42分18秒 | Weblog
 昨年、義父が亡くなって以来、妻は心身ともに不調が続いています。
 ボケ・・・・・?!かと思われる状態もしばしば。
 あちこち連れ出したりして気分転換を図ろうとするのですが、足が不自由なことと気持ちがついてこないことを理由に断られ続けています。

 そんな状態の妻が、ここ1か月ほど寒い寒いとかなり着込んで過ごしています。
 もちろん、「最強寒気団」のせいもあったと思いますが、今夜のように、ストーブたいて室温が20℃あっても寒い寒いと言うのです。
 しかも、下痢症状がひどく、もう何度トイレに駆け込んだか分かりません。

 車いすに座る表情は意識を失っているのではないかと思われるのです。
 「大丈夫か?」と声をかけると、はっと我に返ったようになります。

 明日は仕事休むから一緒に病院行こうよというのに、病院行きだけは固辞する彼女。

 妙に生暖かく、久々に室温は16℃。
 南西から湿った暖かい空気が流入してきているようです。
 時折、強い雨が降ってきます。 

 

 早く元気になってほしいのですが・・・

 
 
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酸っぱくて甘い収穫

2012年02月05日 00時38分46秒 | Weblog
 義母と2人でハッサクとボンタンの収穫に出かけてきました。
 昨日までの極寒の空気はなくなっており、冷たさの名残はありつつも暖かい一日でした。

 
 
 義父が弱った1年前から失礼な行為が平気で行われるようになっていた現実を目の当たりにすることになりました。

 果樹園の管理が行き届かなくなったため、親族が断りもなく実をもいでいくということ、土地の境界を示す木が影になってジャガイモの収穫に影響が出るからと勝手に切り倒されたこと等々・・・。

 一家の主は謙虚に生きた方で、決して人様に迷惑をかけていた男ではありませんでした。
 それがこの仕打ちです。
 田舎は人情味が厚いと言いますが、しょせんこんなものかと怒りを感じました。

 
 さて、収穫作業は私の都合でどたばたと30分程度で済ませなければならなかったのですが、下の写真のように、たくさんの収穫がありました。

 

 今年は寒さのために甘みが足りていないと思っていたのですが、けっこうおいしかったですね。
 早速、身近な方々にボンタンとハッサクは差し上げました。

 
 
 

 
 
 
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