ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

とてもいい試みだと思います。

2006年11月27日 22時09分17秒 | Weblog
 アサヒ.comの速報で鹿児島市の市電のことがとりあげられていました。
 鹿児島中央駅前―鹿児島駅前2.8㎞のレール周辺の芝生化を進めるそうです。このことは以前もとりあげられていましたが、なんと全国の路面電車では最長とのこと。しかも市電としては全国初。
 08年3月までかけて鹿児島駅まで延ばすということですが、総事業費がなんと約2億8000万円の見込みには驚かされる。市交通局も財政的には厳しいはずですが、このとりくみは支持したいですね。
 現在は中央駅前だけですが、近くを通るたびにさわやかな気持ちにさせられます。ヒートアイランド現象の抑制もですが、人・愛・ランド(かっこよすぎ?)、人の心もなごませる働きが促進されるのかなと思います。
 どういう計算をしているのか分かりませんが、鹿児島市は東京都より緑が少ないそうです。そう言われれば東京にはあちこちに大きな緑地公園があるし、街路樹も様々な種類の木が多数植えられています。
 これを期に、鹿児島市も鹿児島らしい緑化をすすめてほしいと思います。県みたいに県庁からの景観確保のために11億円以上もポンと出すくらいなら、こんな事業にお金を使ってほしいものです。
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ソバ刈り、完了

2006年11月26日 18時52分28秒 | Weblog
 今朝方はすさまじい地響きがするほど雷が激しくなり、雨も強いでした。私は午前中、川内に行く用事があったのだが、川内に青空が広がっている間も小雨が降ったりしていたようです。
 それでも、予定通りにソバ刈りが実施され、約30名ほどが鎌をふるいました。みんなでとりくむとあっという間に終わってしまいました。
 さあ、次は12/17の収穫祭です。おにぎり・そばだけでなく、鹿肉の鍋なども出されます。誰でも参加できます。みなさん、ふるってのご参加をお願いいたします。
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明日はソマ刈りですが・・・

2006年11月25日 20時26分38秒 | Weblog
 ふれあい事業の2本柱の一つがソマ(ソバ)。明日はその刈り取りの日です。予定通りであれば13時から八重上バス停隣の畑で刈り取り作業にとりかかります。
 植え付けの日は雨で中止。その後1週間も雨。集落の有志で種まきをしたものの、やはり雨はたたった。2ヶ所に分けて植え付けたものの、一つの畑は水がたまり1/5程度しか成長していない。中心となる畑の方はアップした写真のようにたわわに黒い実をつけている。
 でも、明日は終日70~80%の降水確率。刈り取りできるのかな・・・
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天気予報はずれて大喜び

2006年11月25日 20時05分31秒 | Weblog
 昨夜の時点で今日の天気予報には「昼前から雨」という言葉があり、息子との登山はあきらめていた。今朝、起きた時には既に予報通り東風が強く吹き荒れていた。しかし、外に出てみると、この風に冷たさはない・・・! もしかしたら大丈夫かも、と予感し、登ることを決めた。
 鹿児島市と薩摩川内市の境目にある八重山だ。登山道入り口から山頂までは2.4㎞しかなく、登山道は先般行われたハイキング大会に合わせて整備された上に踏み固められているため、心配な要素はほとんどない。
 登山道入り口近くの広場に車を停め、登山開始。足元もそんなにぬかるんではいない。適度な湿り気程度。息子を先頭にして彼のペースで進んだ。しかも、登山道はほとんど樹木に覆われているために、風の強さを感じることもない。
 途中休憩を含め1時間弱で山頂に到着した。山頂の草原には入れ替わり立ち替わり老若男女がやってきた。空は真っ青だったが、景色がかすんでいたのが残念。でも、息子は大喜びでおにぎりをほおばっていた。
 頂上で30分ほど過ごした後、下山だが、登りとはコースを変えて下山最短コースを選択。ほとんど一直線に甲突池まで下りていくコースだ。それだけに急峻であり、途中で膝が笑いっぱなし。運動不足を痛感。息子は元気だ。
 そうして八重山登山が終わった。息子はまた山に登りたいと言っていたので、今度はどの山にしようか、これからの楽しみが増えた。
 
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休日なのに雨・・・!

2006年11月23日 15時43分41秒 | Weblog
 秋は土日のたびに何事かあるので嫌だ。
 運動会一つとっても自治会、学校、校区、地域と幾重にも行われる。似たようなメンバーで同じような競技を毎週するというのは、やはり好きになれない ・・・ 時間のムダって思ってしまう。最初から全部まとめて!って思う。
 PTAや地域の文化的行事も多い ・・・ ふれあい、ふれあいって言いながら、肝心な家族でのドライブは最近とんとご無沙汰している。
 今月中旬になって仕事も土日の行事も一段落し、息子と山に登ろうと計画。ところが、その18日は雨。仕方ないので今日23日としたがまたもや雨。行事のある日に降ってほしい・・・
 我が家の庭はすっかり霧にけぶっている。
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先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ⑦

2006年11月19日 21時33分11秒 | Weblog
 いよいよこのシリーズ最終回です。
 相変わらず「予告状の主」が自殺したという報道は聞こえてこない。・・・やっぱり愉快犯だったのではないかと思う。以前、私はこれだけ周囲の人々を振り回したら、文部科学省として損害賠償請求くらいしたっていいと述べた。しかし、事態は損害賠償どころではなく、その後、全国で相次いだ子どもたちの自殺のきっかけになったのではないかと思っている。
 群発自殺、という言葉があるそうだ。まさに群発の発端である。と、考えれば、予告状の主は殺人をそそのかした・煽ったという解釈はできまいか。私はそうだと思う。
 さて、私に「相談」をしてきたお母さんと昨夜連絡をとったが、聞いてびっくり。私に相談を持ちかける一方で、同時進行で教育委員会に直接乗り込んで話をしたとのことだった。・・・あいた口がふさがらないとはこのことで、人を天秤にかけるようなことをするなんて、願い下げもいいところだ。こんなことを平然としてやっていながら、我が子をなんとかしてなんていうのは、実にムシのいい話だ。もちろん、必死になっているのは理解できる。でも、教育委員会から学校に指導がいったからといって、もし仮に担任が変わるようなことがあったとしても、劇的に状況が一変するなんてことはないから、あせらずに話をすすめましょうと言っておいたのに・・・。
 だからこそ、「先生はいじめられた人の味方です」と言い切っていいのか疑問である。いじめる・いじめられるという単純な図式でとらえられる時代ではない。
 ここで変なたとえ話を持ち出すことにする。人気アニメ「ドラえもん」では、ジャイアンは機嫌が悪いとすぐにのび太に対して暴行を働く。ここに大の仲良しで正義の味方・ドラえもんが弱い子・のび太に助け船を出し、事態は解決に向かう(アニメの宿命として「落ち」を求めてしまうため、のび太がやりすぎて失敗というのはいつものことだが)。
 この典型的な「友達はいい」パターンのストーリーをナナメから見てみよう。非常に頭がいいが人間関係づくりの下手くそな少年・のび太は、その下手くそさ故にトラブルに巻き込まれることが多い。そこでドラえもんに頼って(頼るふりをして)強烈な道具を借りだし、ジャイアンたちに報復する。
 最近、私はのび太とドラえもんの友情の物語というよりも、「ナナメから見たのび太的な精神」が世の中にはびこっているのではないか、と危惧している。自分にできないことを一生懸命努力して解決しようとするよりも、強烈な「武器」で一撃で、しかも簡単に実現しようとする・・・
 もちろん、「ドラえもん」は友情のすばらしさをうたいあげた作品であることはよくよく知っている。3月に「のび太の恐竜」を見た時、涙が止まらなかった。
 けどね。同じもの見てても、全く違う感じ方するってのはよくある話で、素直にそうとは受け取っていない子どもがいるかもしれない。今回の「予告状」騒動を通して、ふっとそんなことを考えた。



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先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ⑥

2006年11月17日 00時26分23秒 | Weblog
 「予告状の主」の件はもうずうっと過去のことのような感じがする。
 今回のようなことはいずれ起こるだろうと予感はしていた。と言うのも、学級で何らかのトラブルが発生した時に、担任に対して説明なりを求める気風というものはなくなりつつあるからだ。「直訴」が校長に行く内はまだいい。それがここ数年、校長の頭の上を通り越して市町村教委もしくは県教委へ直で行くような事例が増えてきた。
 ここ数日、アップできずにいたが、それは私が以前住んでいたご近所の子どもが殴る・蹴るの暴行・いじめを受けているという電話を受けて、その対応をしていたからだが、このお母さんの下心は、「私に相談」ではなく、「私を使って」教育長に直で話をし、学校にガツンと言いたいということだった。
 こういう頭越しにトラブルの解決が求められるという状況は、保護者が学校を信頼していないということもあろうが、自分と学校の間の話ができないというフラストレーションの解決策として、学校を上から指導してもらうことで解決を図りたいということである。もっと言えば、先生にきちんと考えを理解してもらうような話ができないことの裏返しだろうね。
 全ての事例がこうとは言い切れないとは思うが、今回の一件でそういうことかという思いを新たにした私がいる。
 子どものいじめ・いじめられの関係の中だけしか目が行っていないから、鹿児島県教委は「先生はいじめられた人の味方だよと子どもたちに伝えるように」と言うのだろう。しかし、いくら口で言っても、結局、保護者の意識はほとんどそこにはないとすれば、こんな滑稽なことはないだろう。だから、こんなことを言うのはおかしいと言っているのに・・・。
 頭越しの対応の行き着くところは都道府県の首長であったり、文部科学省であったりになっていくだろうことは容易に想像できた。文部科学省のお役人はお慌てのようだが、ある意味、そんなことすら予測できなかったのかという鈍感ぶりだ。んな鈍感な人たちが与党と一緒になって教育基本法の改正案を作成したかと思うと、本当にまじめに教員やってる人たちはやってられないっと思うようになってくる。
 さあ、次回でいよいよ最終回ですよ。「予告状の主」の決断実行が早いか私の最終回が早いのか乞うご期待である。
 
 
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先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ⑤

2006年11月15日 00時10分39秒 | Weblog
 予告状の主は生きていた! そして、石原都知事に向かって「さらに自分を追いつめることになりました」などと言い放ったというという。どこまで甘えた根性なのか、ふざけるな!と言いたい。
 彼(彼女?)を追いつめたのは、学校で彼をいじめた人々であろう、だから、耐えられずに自殺したい、ここまでは理解できる。
 要はその後だ。自殺の理由がすり替えられてしまった。石原都知事のせいだと。石原氏は、言い方のきつさの問題はもちろんあるものの、自殺したいあなたの意志を尊重すると言っているのである。そんな明確な覚悟もないのに、いつまで人のせいにするのか? 純粋に心配している人々をどれだけ振り回すのか? また、振り回された人々がどれだけ仕事に集中できなかったりしていると思っているのか? ・・・ 命をカネの話に例えたくはないが、どれだけの経済(損失)効果を生み出していると自覚しているのか?
 いいかげんにしろ!と言いたい。
 あえて言う ・・・ 死にたければとっとと死ねばいいさ!!!!!!
 本当にそれだけの思い詰めた覚悟があるなら、みんながこんなに騒がずとも、とっとと死んでいたと思う。こういうことから予告状の主が冷静に世間の反応を楽しんでいるのではないかと疑ってしまうのである。
 「あ~、心配して損した」
 そんな空気を作り出してしまいかねない。そういう問題だと思う。
 
 だから言いたい。
 「先生はいじめられた人の味方です」と言い切っていいのかということ。

 今日でシリーズ5回目になったが、後2回ほどは言いたいことが続く。明日は記事をアップできないかもしれないが、このシリーズ最終回までに予告状の主が本当に自殺したら、私は「先生はいじめられた人の味方だよ」と言い切りたい。
 私にとっても信念をかけた賭けだ。私は命はかけないが、信念はかける。それでも彼の命より私の信念が重たいと思うのだが・・・
 ええ~い、出血大サービスでぃ!!!!!!!!!!!




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椿山課長はなかなかのものですぞ!

2006年11月13日 23時03分52秒 | Weblog
 11/18に映画公開が予定されている「椿山課長の七日間」を読み終えた。
 感想を率直に言えば物足りない。もっといろいろなドラマが短時間のうちにあったはずではないか?!・・・と。
 浅田次郎の作品は全てがこうだ。もう少し突っ込んで人物像を描いて欲しいと。もっとドラマを描くことでこの作品を楽しまさせてくれという絶叫にも似た思いにさせられる。
 私の浅田評は「腹八分目どころか腹七部目の飢餓感ある作品」。
 中途半端と言えば中途半端。
 読者に作品を味わわせるために、あえてこんな手法をとっているのかとも言いたい。
 この物足りない思いを映画がどう描いたのだろうか、興味津々だ。
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先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ④

2006年11月13日 22時07分24秒 | Weblog
 県教委が実態調査を実施した結果、約1100件の該当事例があったという報道があった。昨年度の157件からすれば異常なほどの数値の跳ね上がり方だ。
 その報道の中で、いじめの定義として「本人がいじめと思えばいじめである」としていた。実に曖昧模糊とした表現であることは否めない。裏を返せば「いじめと思わなければいじめではない」ということだ。
 調査する先生たちが子どもたちにどう語って、またはどういう価値判断で、事例を掘り起こしたのか分からないが、この数値にあまり意味はないというのが私の率直な評価だ。
 というのも、「いじめと思わなければ、いじめではない」からだ。いじめと気づいていない、いじめと言いづらい、それらしい行為は受けていてもいじめだとは思わないといった子どもまたは先生たちの判断があるからだ。
 さて、昨夜指摘した「究極の学校生活」だが、一言で言えば、接触を伴う全ての教育活動等について保護者の許可状をとるということだ。
 異性と手をつなぐフォークダンスは男女ともに心ときめく瞬間でもあるが、嫌いな異性との接触は気持ち悪いという子は当然だが、握り具合ではセクハラだと問題視されるだろうから、握り具合を数段階に分けるという指導を先生たちはしなければならなくなるし、そのためにあらかじめ、お互いに握り具合をどうするのか話し合う活動が「総合的な学習の時間」として扱われる。その達成度しだいでは先生たちの指導が十分か不十分かで裁判沙汰だ(それとも評価制度との関係で賃金を左右する?)。
 小規模校ではかけっこの順位など、こけるとかよほど不測の事態がないかぎり決まっている。にもかかわらず運動会であえて順位が分かっているかけっこをさせ、子どもが傷ついたと言えば、精神的なダメージを受けたとして、これまた裁判沙汰。
 プロレスごっこは誰がしても技をかけられれば痛いし、技は簡単にはずすわけにはいかないのがプロレスごっこだ。痛いから技をはずしてほしいという要求をしたのに、すぐにはずさなければ、暴力行為が本人の意志を無視して継続されたとして、裁判前に現行犯で即逮捕。
 そうなる前に、保護者に許可状をとろうというものだ。フォークダンスの時には手をぎゅっと握ることがあってもいい、順位があらかじめ分かっていても不特定多数の前でそれを披露してもいい、プロレスごっこでは何をしてもいいといった想定される事態については個別に?許可状をとっておけばいい。
 もしかすると、30年後くらいには、「なかまと手をつなぎ」といった歌詞は全て死語と化し、子どもたちは半径1m以内に許可された者以外の接触ができないようなセンサーをからだにまとって学校生活を送ることになるかもしれない。
 ・・・・・ 筒井康隆のショートショートのような世界だが、あながち非現実的なものとは言い切れまい。なにせ、20年ほど前に私が聞いていたアメリカの裁判社会の現実が今や笑えない状況に日本もなっているからだ。

PS 予告状の主はどうなった? まだ・・・のようだが。生きているのか、死んだのか。興味はつきない。
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