ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  308

2010年02月28日 22時46分53秒 | Weblog
 途中、旧道跡が右側にありました。

 どんどん下ってきて緩やかに右カーブをとる辺りで、頭の上に「鶴宮広域農道」という案内が見えました。鶴は鶴田、宮は宮之城ということなんでしょうね。

 ここは、楠元駅以来、最も川内川に接近する場所です。100mも離れていません。
 久々~!と言いたくなるのですが、藪などが邪魔をして、川内川の姿は全く見ることができませんでした。


 しかし、直線の正面にはもう次の薩摩湯田駅が見えています。

  
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国鉄・宮之城線の今  307

2010年02月28日 22時43分10秒 | Weblog
 私の記憶では、この道はもっと狭かったような気がします。
 そう、306で述べた頃のことです。


 今では広くなった道路を快適に下っていきます。


 ただし、遺構とも言うべきものが、車内から見あたらないのは残念です。
 でも、歩いてみると、思わぬ所にありそうですね。

 見つけ出してやるという自分の気持ちに火がつきそうです。
 
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国鉄・宮之城線の今  306

2010年02月28日 22時36分51秒 | Weblog
 少しずつ登りになっています。

 そろそろ登り切るのかなと思った場所です。


 ここに来て気づいたのが、ずいぶん前(とは言っても10年ちょっと前)、ここを通った時には、右側のガードレールのある道路の一番高い所から陸橋が左側に渡っていたような記憶があります。

 以前、紹介した1995年版のゼンリン住宅地図を開いてみると、なるほど!ここには橋がかかっていました。

 そうこうしていると、ある方のHPにもこのポイントが写真付きで紹介してあって、見事に橋がかかっていました。

 ずいぶん左右とも削られてしまったようですね。
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国鉄・宮之城線の今  305

2010年02月28日 21時59分58秒 | Weblog
 国道504号を渡ると、広い農道になっていました。
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地球の反対側からやってきたTUNAMI

2010年02月28日 21時49分59秒 | Weblog
 チリ地震による大津波の接近に揺れた今日の日本列島。

 東北地方のみなさん、今はどう過ごされているのでしょうか。

 50年前の大津波は、確か教科書で見たことがあります。まさか地球の反対側の地震によって発生したものが、日本列島まで到達して甚大な被害をもたらしたという自然の脅威を思い知らされた地震でした。

 その時の記憶がフラッシュバックした方もいたのではないでしょうか。


 一日も早く、心身ともに回復されることをお祈りいたします。




 そして、チリの国民のみなさんもたいへんです。
 人口の1割が罹災者とのこと。日本で言えば、関東大震災級ということですよね。

 日本赤十字は動きだしたようですが、自衛隊も迅速に救助活動・復旧支援に出動できるよう期待します。

 そうそう、何億円もの「小遣い」をもらっていた鳩山総理、4億円のタンス預金を持っていた小沢幹事長。認識していないお金がそんなにあるのなら、自覚的にその1割でもポンと出してはいかがでしょうか。
 そのお金でどれだけの人命が救われることか・・・
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国鉄・宮之城線の今  304

2010年02月28日 00時19分23秒 | Weblog
 駅を出発しました。

 すぐに踏切です。

 国道504号線と直交する交差点になります。


 
 
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国鉄・宮之城線の今  303

2010年02月27日 23時55分55秒 | Weblog
 この橋を真横から見てみました。

 レールが乗っていたガーターを歩いてみました。

 味わいながら裸足で一歩一歩。



 聞こえては来ないけれど、70年前の蒸気機関車の警笛をイメージしてしまいました。



 ・・・・・・・・


 
 そして、今、この橋も、もうこの世には存在しません。

 1/30の「たくさんの発見、またまた取材してきました。」をご覧になってください。
 11月初旬には「生きて」いました。

 
 このブログを訪問してくださったみなさん、偶然とはいえ、この瞬間に立ち会えた意味を考えてみてください。

 現代の人々の生活が大事なのは当然ですが、あまりにも鉄道遺構は存在価値が不当に低く見られています。
 完全に残せとは言いませんが、なんらかの形で「存在」を後世に伝える努力はしてほしいものです。

 そんな中で良心的に(世間的には理解されずとも)、こだわっている人たちがいることは特記しておかなければなりません。


 最近、「鉄男」くんたちの態度の悪さが報道されます。
 ぼくは「鉄男」くんではありません。鉄道ファンでもありません。
 「宮之城線」が好きなだけです。

 でも、世間は同一視します。正直、迷惑です。

 そのことが、引いては廃線跡に対する見方にもつながっているような気がしてなりません。杞憂でしょうか。

 





 
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国鉄・宮之城線の今  302

2010年02月27日 23時52分05秒 | Weblog
 なんと、本当に小さな物ですが、用水路が下をくぐる小さな小さな橋になっていました。

 ふたをかぶせて、暗渠にしてもよかったのにね。

 285~288で取りあげた、田んぼの中の小さな橋も素敵な景色だと思っていましたが、ここも味わいがあります。
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国鉄・宮之城線の今  301

2010年02月27日 23時38分11秒 | Weblog
 さて、そろそろ佐志駅を出発したいと思います。

 写真は昨年10月末の様子です。

 線路跡は歩道部分から奥へとつながっていくわけですが、その間にある藪の中に貴重な物がありました。
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もう1会場の行方は・・・?!

2010年02月27日 00時29分53秒 | Weblog
 2/25に発表の予定になっていた美里祭りの第4の会場は・・・
 残念ながら、発表の先送りとなりました。

 「☆残す1会場の発表はもう少々お待ちください。」

 とのこと。


 申請手続きでトラブったか?!


 騒音対策だとか、渋滞対策だとかで不十分だったのかもしれない。


 想像はいくらでもできるものの、このジラシにファンとしては、嫌が追うにも、開催場所への期待が高まってしまうのであります。

 
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