祁答院地域側(大村・黒木村)を通行するB案で困るのは、鶴田村・求名村です。
鶴田村は、川宮鉄道が倒産・解散してしまった3か月後の1921(大正10)年2月に国に対して、「川内大口間鉄道敷設ニ付キ、停車場設置請願書」を提出しています。
この区間に鉄道が開通するという夢が鉄道会社の倒産という形で、玉と砕けた直後にもかかわらずです。
その請願書を紹介します。
川内大口間、鉄道敷設ノ件決定セラレ、今ヤ其ノ線路測量ノ趣キ、就イテハ、該線中、宮之城大口間ニ於ケル鶴田村ハ地形上、線路適当、貨客豊富ナルヲ以テ同村地内ニ停車場設置相成度、本村会ノ議決ヲ経、此度請願候也。
大正十年二月
鹿児島県薩摩郡鶴田村鶴田3423番地
鹿児島県薩摩郡鶴田村長 若松活麿
鉄道大臣 元田殿
請願理由
一、鶴田村ハ此ノ地方ニ於テ最モ農作物ニ富ミ、殊ニ林産物ノ特産地タリ而シテ、停車場鶴田駅設置ノ暁ニハ多額ナル輸出入物品旅客ノ集散地トシテ最モ利便ノ地タリ。其ノ物資調書ハ別紙ノ如シ。
二、鶴田村ハ日本窒素肥料株式会社発電所、川内川電気株式会社発電所及ビ日本水電株式会社発電所、川内川電気株式会社第二発電所、平江山製材工場二箇所、木炭製造所数十箇所、湯田紫尾両温泉場アリテ、旅客貨物當ニ輻輳シ益々発展シツツアリ。
三、鶴田村戸数千百四十戸、人口七千余、宮之城町戸数二千四百八十九戸、人口一万四千余ヲ有ス。
請願理由の2番目では川内川の豊富な水量を利用した発電事業が縷々述べられている。これは国力増強を目指す国にとっては大きな魅力であったに違いないのです。
しかも、これらの発電所工事において、資材の運搬はなんと、全線開通間もない鹿児島本線(現・肥薩線)の横川から人力によっていたということだったから驚きであるし、川内川の電源開発を促す意味でも大きな理由でした。
鉄道が建設されるかどうかという段階から熱心に請願などで議会対策を行った鶴田村。もちろん、他の村も誘致運動を展開したのだと思いますが、それらは各町村の歴史には残念ながら明記されてはいませんでした。