あけまして おめでとう ございます。
今年も どうぞ よろしくお願い申し上げます。
veera拝
このところ、怪しい雲行きの「イスラム国」の出現などに心底びっくりしておりますが、彼らが何を怒り、何をしようとしているのかを考えてみたくなりました。
中田考氏著「イスラームのロジック」を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
イスラムとヨーロッパ文明
地理的に定義されたヨーロッパは、なにも西側ヨーロッパ、西欧だけに限られたものではなく、東欧とよばれた地域や、地中海沿岸のアフリカ大陸までをも含むことに注意しなくてはならない。
ところが地中海に面するモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、シリア、トルコといった諸国はイスラム教の国々である。
つまりイスラムとヨーロッパの関係を理解するためには、ヨーロッパを単純に「キリスト教文明圏」とみなす我々の常識を、まず根本的に改める必要があるのである。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「一神教諸派・複合」を文明の基礎とする西アジア、北アフリカ、地中海、ヨーロッパを「西洋」としてくくり、「儒教、仏教、道教・複合」の「東洋」、「仏
教、ヒンズー教・複合」の「南洋」と対置する中東史家・三木亘によれば、
「中世のヨーロッパは、アラブ・イスラム教徒主導下の「一神教諸派・複合文明」と言える「西欧」の普遍文明の、むしろ周辺の一要素であり、文明としてのヨーロッパというようなアイデンティティが生まれるのは、はるか後世の18世紀なのである」。
ではなにゆえヨーロッパとイスラム世界を、同一の文明と呼ぶことが可能なのか?
それは西欧思想の2大源流は「ヘブライズム(ユダヤ思想)」と「ヘレニズム(ギリシャ思想)」であると言われるが、「ヘブライズム」と「ヘレニズム」はイスラム文明の源流でもあるからである。
ヘブライズムとは、要するに「旧約聖書」の思想を意味し、それはイスラムと起源を同じくする古代中東のアブラハムの伝統の一部であり、ヘレニズムもまたイスラム文明の一支柱を成している。
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ。。」(マタイ福音書)
日本語の「新約聖書」の冒頭、「マタイの福音書」の1章1節はこのように始まる。
なぜ、アブラハムなのだろうか?
「新約聖書」の冒頭に置かれたアブラハムとは、いったい何者か?
アブラハムは、「ノアの方舟」で有名なノアから数えて11代目(創世記による)の子孫である。
アブラハムは、エジプト人のはした女ハガルとの間に長男イシュマエルをもうける。
「旧約聖書」の「創世記」には、次のように記されている。
「ハガルはアブラム(アブラハムの旧名)に男の子をうんだ。
アブラムはハガルがうんだ男の子をイシュマエルと名付けた」
「マタイ伝」にあるイサクの名は、ここに初めて現れる。
このアブラハムの嫡男イサクの子孫が「イスラエル(イサクの嫡男ヤコブの別名)の民」、すなわちユダヤ人であり、アブラハムの長子・シュマエルの子孫がアラブ人なのである。
「マタイ伝」が、アブラハムにいたるイエスの系図をその冒頭に置いたのは、モーゼの律法に基礎を置く既成のユダヤ教に対して、その正当性を主張するために、モーゼよりさらにさかのぼるユダヤ教の大祖・アブラハムの教えの正統な継承者であるとする、原始キリスト教会の自己理解を表現しているのである。
有名なフランスの哲学者パスカルの改心体験における「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であり、哲学者、学者の神ではない」との言葉の意味も、こうした文脈において初めて理解される。
イスラム教もまた、アブラハムの宗教の再興をうたう。
アブラハムは、ユダヤ教徒ではなく、キリスト教徒でもなかった。
「彼は邪教を離れたムスリムである、多神教徒ではなかった(コーラン3章)」
マホメッドは、アブラハムの長男イシュマエルの子孫・・すなわちアラブ人に遣わされた預言者であった。
イシュマエルの子孫たちは、アブラハムの教えを奉じていたが、西暦1世紀の末頃にマッカのカーバ神殿の守護職アムル・ブン・ルハイユによって、偶像崇拝が導入されたと言われる。
イスラエルの民、つまりイサクの子孫たちが、アブラハムとの契約を破り、バール神、アシュタロテ神などの偶像崇拝に陥ったのと同じことが、イシュマエルの子孫にも起こったのである。
イサクの子孫たちをアブラハムの正しい教えに引き戻すために、幾多の予言者たちが遣わされたように、イシュマエルの子孫たちをアブラハムの教えに立ち返らせるために、預言者・モハメッドが遣わされた。
それゆえコーランにはサーリフ、シュアイブなどのイシュマエルの子孫と共に、ヤコブ、モーゼ、ダビデ、ソロモンらイサクの裔、ユダヤ教の予言者たちの物語に満ちているのである。
イスラム教は、ユダヤ教徒の「教祖」モーゼ、キリスト教の「教祖」イエスを、「イスラエルの民」を正道に戻すために遣わされた「民族的」預言者とみなす。
モハメッドはアラブに遣わされた預言者である。
ただしモハメッドのメッセージは、アラブ民族だけのものでなく、人類全体に向けられたものと理解されているのである。
キリスト教は、ヨーロッパ経由で日本にもたらされた。
それゆえ、キリスト教はヨーロッパの宗教である、といった誤ったイメージが日本には定着している。
しかしイエスの活動したキリスト教の発祥の地は、中東であり、今日にいたるまで最も古い形態のキリスト教が保存されているのはイスラム世界においてである。
イエスの時代には、「旧約聖書」のヘブライ語は、日常語としてはすでに死語となっていた。
イエスが話していた言葉は、ヘブライ語でもなく、ましては語族の違うインド・ヨーロッパ語族に属する「新約聖書」のギリシャ語でもなく、ヘブライ語やアラビア語と同じくセム語族に属する、当時の中東の共通語アラム語であった。
そして今日に至るまで、シリア正教会の典礼では、イエスが語ったアラム語が用いられており、信徒は立ってはひざまずき、ひれ伏し、イスラム教徒と同じ 姿で礼拝を捧げているのである。
イエスの説いた本来の教えは、中東のアブラハムの伝統に連なるセム語文化圏の宗教であり、今日のヨーロッパ化されたキリスト教とは全く異なっており、むしろイスラム教に近いものであったのである。
(引用ここまで・写真下はイスラムのお守り ファティマの手・ハムサ)
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教科書のように堅い本ですが、発想の転換を促されて、なかなか面白いのではないでしょうか?
イスラム教の、西洋世界に対しての、堂々たるパワーを感じさせます。
現実は、今見えるようにしか見えない、と決まったものでもない、、という気持ちになりました。
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