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利他的遺伝子・・「自分」と「自分達」は、どう違うのだろうか?

2011-12-31 | 心理学と日々の想い
大みそかになりました。

今年最後の投稿になりました。

読んでくださる方、本当にありがとうございます。

どうかよいお年をお迎えくださいますようお祈り申し上げます。





生物学者・柳澤嘉一郎さんの「利他的遺伝子」という本を読んでみました。

「利己的遺伝子」という言葉が流行ったことがありましたが、柳澤さんは、遺伝子レベルの現象をふまえた上で、あえて個体として「利他的」であろうではないか、という提言をしているのだと思います。

当たり前と言えば、当たり前のことなのですが。。

でも、「利他的遺伝子」という言葉は、いい言葉だと感じました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


       *****


       (引用ここから)


動物が群れて暮らすようになると、群の中で生きるための生き残りの術が必要となって来た。

それは群の仲間への気遣いや協力、援助などの「利他」的な行動である。

それは群の秩序を維持するためだけでなく、群の中でその個体が生き抜き、繁殖の相手を探し、子孫を増やすためにも有利であったから、そうした個体はより多くの子どもを残すことができて、世代を重ねるごとに子孫を増やしてきた。

一方「利己」を優先し、自分勝手で群の秩序を乱すような個体は、群を追われたり、あるいは群に残っても、交配のパートナーが得られずに、子孫を増やすことが出来ずに、その数を減らしてきたことだろう。

そして「利他」性は、長い間に動物の持つもう一つの本能として遺伝子に刻まれて、群をつくる動物たちの間に定着してきたと考えられる。


では、この「利他」性の遺伝子はどこから来たのだろうか。

その起源、由来は何だろうか。


考えられるのは、「利他」的な本能の遺伝子よりずっと古くから動物達の間に存在していた、母性本能の遺伝子に起因する可能性だ。

私たちが今ここに、こうして存在しているのは、祖先達がその子ども達を養い育てて来てくれたからである。

子どもの養育は自分以外の生命を育み守ることだから、それは当然、「利他」的な行動で、魚のような産卵しっぱなしのものは別として、多くの動物、特に哺乳類では、母性本能として身にしみついている。


「利他」的な遺伝子が進化的に古い母性本能の遺伝子から生じてきたとの考えは、決して不自然ではない。

母性愛の遺伝子はそれ自身、「利他」的な遺伝子でもある。

ただ両者の違いは「利他」性の遺伝子の方が母性愛の遺伝子よりもその行為の対象が広いというだけだ。


では「利他」性の遺伝子はどのようにして母性愛の遺伝子から生じてきたのだろうか。


それはおそらく、母性愛に関わる遺伝子群の中の一つが、自己複製の時に重複してコピーされ、その行為の対象を自分の子供だけでなく、より広く他者へと向ける働きの遺伝子へと突然変異したのだろう。

単一の変異遺伝子の出現が、その個体の行動を大きく変えることはバソプレシン・ホルモンの例からも理解することが出来よう。

こうして生じた「利他」的な遺伝子は、長い進化の間に突然変異によって多数生じ、それらが増えて、現在の私たちの「利他」的な行動がコントロールされているのだろう。

「利他」的な行動は、「利己」的な行動を抑え、それに拮抗して働いており、「利己」性と「利他」性は一見相反しているように見える。

しかしそれは表裏一体で、種の存続、個体の生存には共に必要な本能行動として、一部の動物の間に広く存在しているのである。


“社会には「利己」的な行動ばかりで「利他」的な行動が見られない”とこぼすが、正直、ヒトほど他者に協調し、協力したり援助したりする種は他には見当たらない。

人と他の動物との最も大きな違いは「利他」性にあると言ってもいい。


このように人の高い「利他」性は、その強い社会性と脳の高度な発達の二つに主に起因している。

では、社会と脳がさらに発達すれば「利他」性もさらに高くなるだろうか、と問われれば、大いに疑問だ。

それはむしろこれからの社会の在り方と教育の仕方に大きく依っている。


子ども達の行動はすべて、遺伝と環境(教育)の掛け算的な結果から生じてくる。

掛け算というのは、その一方が欠ければ結果は何も生じてこないということである。

子どもがどんなに優れた知能や深い思いやりをもって生まれてきても、教える環境が劣悪なら、よい結果は決して期待出来ない。

すべての知識と同じように、社会のルール、道徳や倫理もまた、年長者が教えて初めて、年少者は知ることになる。

もしこの教育がしっかりとなされないならば、社会はまともに存続しないだろう。


かつて地球は無限に広い空間であった。

そこにはゆとりも資源も十分にあって、小さな共同体や個人の欲望や希望はすべて受け入れてくれるものと思われていた。


だが今は、地球は宇宙の小さな一惑星で、その空間も資源も限られていることを誰もが知っている。

近代科学の進歩、特に情報通信機器や交通機関の著しい発展は世界をすっかり狭小にしてしまった。


人々は、地球そのものをも一つの社会として捉えるようになっている。

地球の資源、資財が有限であることは事実である。


この事実を前にして、今なすべき大切なことは、資源、資材の獲得競争ではなく、人々の意識を変えることである。

物へのこだわりを捨てて、物の獲得に費やすエネルギーを精神面へと向かわせることだ。


「利己」から「利他」へと生き方を変えることだ。

そうすれば、地球社会の資源はより長く維持され、資財も公正に分配されて、人類全体がより豊かに穏やかにより長く存続していくことだろう。


私たちは日頃、「利己」的な本能をむき出しにしていても、その心底には、「利他」的な本能をしっかりと持っている。

何か事があれば、それは一気に表面に噴き出してくる。

そのことは災害時の人々の助け合いを見れば分かる。

だが日頃は、それは心底に沈積したままで、潜在している。

私たちはこの「利他」心を日常の生活の中でも、もっと顕在化させたいと願う。


人は「利他」によって心の満足を得る。

「利己」でなく、「利他」で満足が得られるのは、おそらく、共に本能であっても、「利他」の方が「利己」よりも進歩的に新しく、発達した脳の働きが強く作用しているからであろう。

よい生き方とは「利己」と「利他」のバランスを適切に持って生きることである。

よき社会とは、「利己」と「利他」のバランスが適切に保たれている社会である。

地球社会を持続可能なよき社会とするのは、私たち一人一人の、よき「利他」と「利己」のバランスの維持に依存している。


            (引用ここまで)


              *****


道徳の教科書のようなことが書いてありますが、考える材料としては、いろいろなテーマを含んでいるのではないかと思います。

母性本能というものが、人間の優しさの根源の部分にある、という説は、仕事をしたり、子どもを産んだりしてきた自分としては難しいテーマだと感じます。

ただ、心の広さというものは大層魅力的なもので、そういうものは様々な場面で、様々な人から教えられたことが思い出されます。

男性には男性の魅力がありますし、老若男女、どんな人にも高貴な魂、清らかな魂を感じることは多々あることです。


人類の最初の生活は共同生活だったはずで、人類にとって「共同体」というものは最も根源的なものではないかとも思えます。

共同生活においては、利己主義であって有利なことは少ないはずで、捕獲された一匹の魚をそこにいる人々で分け合うのは生きるために必要なことであっただろうと思われます。

ですから、社会主義の実験をはじめ、常に「共同体」というものが理想として目指されてきたのだと思います。

どれほどの挫折を繰り返しても、人類が到達すべきものは、“今の社会とは何かが違う「共同体」に違いない”という直感が、人類を次の世界へと導いているのではないかと思います。



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2 コメント

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利他主義と宗教 (Unknown)
2012-01-12 19:06:14
利他主義と宗教
返信する
利他心 (veera)
2012-01-13 19:45:51

Unknown様

コメントありがとうございます。

利他主義は宗教性をもっていますよね。

困っている時にふと見知らぬ人に助けてもらったりすると、とても有難く、深く感謝の気持ちがわいてきます。

そして同じ風景を見ても、風景が深みをおびて見えるというか、、一瞬前にいた世界とは違う世界のように感じられます。

心がふわっと広がるようで、幸福感を感じて、自分も他の人に親切にしたい、という気持ちが自然に湧きあがってきますよね。

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