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アラビア語が世界を開く・中国のイスラム教世界の今・・松本ますみ氏

2014-05-20 | アジア


中国ムスリム研究会編「中国ムスリムを知るための60章」の中の松本ますみ氏の著作のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


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              (引用ここから・続き)


アラビア語学校設立は、経済的困窮のため教育を子どもに受けさせることができなかった貧困層の親達、中国共産党の世俗教育を嫌った親達、なんとしても学校に通いたいという子ども達自身の欲求に応えるものであった。

文革で辛酸をなめつつも、水面下で信仰を守ろうとした親たちは、ムスリムとして誇り高く生きることの意味を学んでもらいたいと願い、子供たちを民間のアラビア語学校に送りだした。


当初は授業料もほとんど無料だったことも幸いした。

またアラビア語学校には、男子部と女子部に分かれているものもあり、女子部はとくに「女学」や「女校」と呼ばれた。

男子部では、宗教指導者の養成が謳われた。

「女学」では、イスラーム的教養の育成が謳われた。


西北地方では別々の場所に男子校と「女学」が分かれている。

その一方で雲南など西南地方では、同じ敷地内にあるいは同じ校舎内に男女のクラスが分かれている場合が多い。


改革開放後の西北で「女学」が出来たのは、おおむね次の様な理由による。

西北のムスリム集居地域では、貧困と伝統的な女性蔑視、さらには男女共学の公立学校への嫌悪から、女性は学校に行かせてもらえなかった。

女性の識字者は極端に少なかった。

イスラーム的世界観、生活様式、倫理は家庭で女性が子ども達に伝えるはずであるが、女性にイスラームを教える学校がなかった。

また非識字者であるため、漢族が主体の社会での処世術を教える手段もなかった。

そこで「女学」を作って女性を集め、イスラームとともに漢語を教えた。


ムスリムが生きている間に善行を積んで、死後永遠の命を得ることができるかどうかは、家庭で子供に接する機会の多い女性のイスラーム知識の有無、多寡によるという考え方が主流となった。

その結果公立学校に行かせてもらえなかった女児も、「女学」に通うことができるようになった。

「女学」の卒業生の多くは別の「女学」の教師やイスラーム説教師の仕事に就いた。




21世紀に入るとアラビア語学校の様子は大きく様変わりした。

それは“世界の工場”となった中国の実情とも、連動している。

アラビア語学校はかつての宗教指導者養成、女性であれば家庭や「女学」での「人間の教師」養成の役割に加えて、対イスラーム圏のアラビア語通訳、貿易商社経営者養成の場となっている。


寧夏の呉忠市は優秀なアラビア語学校卒業生を輩出している。

呉忠市政府は沿海地方に出稼ぎに出た彼らの送金を地域振興の起爆剤にと考えている。

たとえば人口166万人を数える浙江省義烏市では外国籍・中国籍の者を合わせてムスリム人口は4万人以上。

そのうち約半数が中国各地から出稼ぎにきた中国ムスリムで、そのうち約8000人が寧夏出身者である。

そのほか甘粛・青海・河南・雲南・新疆出身者が多い。


彼ら・彼女らのうち、通訳・通商業務従事者のほとんどが、民間アラビア語学校の出身者である。

「知識は命運を変え、労働は富を生む」とのキャッチフレーズ通り、彼ら・彼女らの多くは、今や高給ビジネスパーソンとなり、中には出稼ぎ状態から脱して、マンションを買って都市住民となる者も出始めた。


「アラビア語学校に行っていなかったら、今頃は羊飼いをしていただろう、専業主婦をしていただろう」という感慨や、篤い信仰心があるから海外のムスリムのクライアントの信頼を得ることができる、という本音も、よく通訳や企業家から聞く。

アラビア語学校は、ただの語学学校と違うからこそ、彼ら・彼女らの現在の成功があるといえる。


                  (引用ここまで)

(写真は同書より・コーランの教科書)

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